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龍応山 西明寺『国宝本堂後陣 仏像群特別拝観』~滋賀県犬上郡甲良町池寺~

2020-03-25 17:58:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県では浄土真宗の寺院が圧倒的に多いとされていますが、大寺院という括りで見ると天台宗の寺院が特に目立ちます。
古来より盛んだったとされる山岳信仰や修験道が密教へつながっていったこと、「比叡山延暦寺」の影響が強かったことなどが理由かと考えられ、湖南から湖東にかけて連なる山に準じるように天台宗寺院が並びます。

「湖東三山」の一つに数えられる天台宗寺院「西明寺」は、834年に三修上人が仁明天皇の勅願により開創された古刹で、秋の紅葉の季節には多くの人が訪れる寺院です。
三修上人は、滋賀県と岐阜県の県境にある「伊吹山」に伊吹山寺を開山した行者でもあり、伊吹山修験道と関わりの深かった上人とされています。



「西明寺」では期間限定で『国宝本堂後陣 仏像群特別拝観』が行われており、久しぶりの西明寺参拝となりました。
本堂の内陣には「十二神将像(鎌倉期)」や「二天王像(平安期・重文)」など見応えのある仏像が多い寺院ですが、後陣の仏像群の想像以上の素晴らしさには驚くほかありませんでした。



前回参拝した時には真新しかった「惣門」は、時を経て木の色合いにも変化があり、古寺の雰囲気にに少しづつ馴染できているようです。
「惣門」が立て直されたのが2015年ですから5年分の風格が出てきつつあり、今後年を重ねるごとに雰囲気が出てくるのでしょう。

大きな草鞋が祀られた「二天門(室町期・重文)」は風格といい、古刹感といいまさに寺院の顔と呼べる門となる杮葺きの八脚門で、室町でも初期の建立だといいます。
巻斗には1407年の墨書があるといい、その時代は足利幕府の全盛期であり、応仁の乱が起こることなど想定外の時代。
ましてや織田信長の焼き討ちにあるとは夢にも思っていなかったことでしょう。



「二天門」には「持国天」と「増長天」の二天が睨みを利かせており、像高2m近い仏像は室町時代に院尋という仏師によって造像されたものだといいます。
尚、織田信長の焼き討ちによって諸堂・僧坊が焼失したものの、この二天門と本堂・三重塔は焼失を免れたとされます。





二天門への石段の横には樹齢千年とも言われる「千年夫婦杉」が立ちます。
2本の杉が寄り添って1本の杉になっていることから「夫婦杉」と呼ばれますが、2本の間からさらにもう1本の若木が生えてきていて、今は夫婦と子供が寄り添う霊木となっています。



参拝順序は西明寺本坊庭園「蓬萊庭」から巡るようになっているため、まずは庭園エリアへと進む。
「蓬萊庭」は江戸時代中期に造園された池泉鑑賞式庭園とされているが、現在は水が抜かれている。
掃除をされていた方に聞くと、石組が沈んでしまったので修復して江戸時代の姿に戻しているとのこと。



築山の立石群は本尊の薬師如来と日光・月光菩薩、眷属である一二神将を表す、1673年に小堀遠州の作庭を参考に友閑が作庭したものだという。
工事中ではあるものの、立石群は実に見応えのあるものです。

西明寺には1000本ともいわれる楓があり、紅葉の美しい寺院となっていますが、グリーンのカーペットのような美しい苔を有する寺院でもあります。
「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」と書かれている看板もあり、苔に痛みは見られないことから大事にされていることが伺われます。





庭園を歩いていると所々にショウジョウバカマの花が咲いていて、春めいた気持ちになる。
毎年どこかでショウジョウバカマの花を見て春を感じ、嬉しい気分になりますが、もうカタクリの花もどこかで咲いているのでしょうね。



「三重塔」は鎌倉時代後期に建立された国宝の塔で、釘を1本も使用しないで建てた塔だといいます。
三重塔は期間限定で内壁画の特別公開をされており、以前に内部拝観した時には、大日如来像を中心として壁に描かれている極彩色の壁画に感動した記憶があります。



三重塔の裏側から山に向かって少し登った所には「西明寺宝塔」という鎌倉時代後期(1304年)に建てられた重要文化財の宝塔がある。
過去、西明寺へ参拝した時にこの宝塔を見ていませんでしたが、寺院巡りを続けるうちに興味の対象が広がってきたということなのでしょう。



宝塔には読み取れなかったものの嘉元二年(1304年)と刻まれているといい、高さ2.15mのこの石造宝塔は重要文化財に指定されている。
塔身に何かが刻まれていたのかもしれないが、現在は枠線しか読み取れない。





「本堂」も三重塔と同様に釘を使わず建立された建物で、「瑠璃殿」との別称を持つ国宝の建築物です。
本尊である秘仏の「薬師如来」は、比叡山延暦寺の根本中堂の薬師如来と向き合うように建てられているといいます。



須弥壇の仏像群はあまりにも有名なので今更記載なしとして、後陣の仏像はまさに仏像の宝庫といえる素晴らしさでした。
焼失した諸堂から運び出された仏像が多いそうですが、仏像の種類は多岐に渡り、重要文化財に指定された仏像も多い。

「親鸞聖人座像(室町期)」。親鸞聖人は念仏に帰依したために、越後に流罪にされたといい、寒い地方へ行くためこの像は首に襟巻を巻き手ろ衣の中に入れている。
天台宗寺院に親鸞聖人の像が祀られているのは違和感を感じるが、五木寛之は「百寺巡礼」の中で「トレランス(寛容)」という言葉で読者に問いかけている。

「元三大師座像(室町期)」の塑像と向き合う位置に祀られているのは「役行者と前鬼・後鬼」。
前鬼は男、後鬼は女とされており、後方から見ると前鬼はふんどしを付けている。

「地蔵菩薩立像(鎌倉期)」はライトを当ててもらうと截金の模様が浮かび上がってきて美しい。
衣の紋様を美しいが、衣の裏側に截金で描かれている貝や雲丹・ワカメなどの海産物は興味深い。

「釈迦如来立像(鎌倉期)」は清涼寺式の仏像で、中国から渡来した清凉寺の釈迦如来を模刻された19躰のなかの1躰だという。
手相や爪がくっきりと彫られており、運命線が強く伸びている。また髪は丸まった螺髪ではなく編み込まれたように彫られ、救済の姿となる。

仏像は他にも天地眼がはっきりと彫られた「不動明王座像・制多迦童子・矜羯羅童子(平安期・重文)」、「阿弥陀如来」2躰、「聖観音」「十一面観音座像(室町期)」「宇賀弁財天」など多数。
もっとも興味深かったのは快慶作と伝わる「阿弥陀三尊像(鎌倉期)」で素人目にもいい仏像だと感じる三尊の顔にライトを当ててもらうと男っぽいキリリとした顔、光を消すと慈悲深くやさしい顔に変わる。
TV版の「百寺巡礼」では後陣の様子が映し出され、五木寛之が後陣の仏像群を「仏像ミュージアム」と呼んだのも納得できる素晴らしさでした。

ところで、西明寺には『三修上人が琵琶湖の西岸を歩いていると、琵琶湖の東方に紫雲が現れまぶしい光が差した。上人が湖東の山中に分け入ると、一筋の光明を放つ池があった。』との縁起があります。
この伝承に纏わる池が山の中にあると聞き、探しに行ってみる。



西明寺が「池寺」と呼ばれる由来を表す池からは湧き水が湧いているようであるが、この湧き水は本堂の裏にある閼伽池へと水が引かれているため水量はない。
池の横には木の根が浮き出た道があるが、この道は迂回して本堂エリアへと戻る。





山から本堂の裏側に戻ると水が引き下ろされた「閼伽池」がある。
万病に効く霊水と書かれているが、水は山の中の伝説の池から想像する濁った水とは違い、澄み切った水だったのは意外だった。





西明寺には朝一に参拝したこともあって、寺院をほぼ貸し切り状態での参拝となり、ゆっくりと仏像を拝観することが出来たのは幸いです。
参道を名神高速が横切ったりしている変わった寺院ではありますが、仏像は素晴らしく、古刹としての魅力は、我儘な当方の想いを満たしてくださる寺院です。



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