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御朱印蒐集~京都市左京区 狸谷山不動院~

2018-12-06 06:15:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 京都左京区一乗寺に石窟に不動明王の石像を安置する修験道大本山・狸谷山不動院があると聞き、参拝へとまいりました。
神仏習合のみられる寺院は多々ありますが、この狸谷山不動院の醸し出す雰囲気は神道の色合いが濃く、独特のというよりも特殊な空気感を持った寺院という感があります。

寺院が点在する一乗寺の街から林道を登っていった先に寺院はありますが、かつて山伏の修行地辺鄙な場所にあるにも関わらず参拝者は多かったと思います。
寺院によっては“静寂・繁華・活気”など受ける印象は様々とはいえ、狸谷山不動院には少々異質なエネルギーのようなものが感じられる寺院でした。

 

狸谷山不動院は桓武天皇の勅願により平安京の鬼門封じとして「不動明王」を安置したことが始まりされ、その不動明王は「咜怒鬼(たぬき)不動明王」と呼ばれたとされます。
「咜怒鬼」は読んで字のごとく、鬼を叱り怒るということのようで、修験道の地の名に相応しい名前が付いています。



寺号を彫った石碑の下にタヌキの焼き物が奉納されているのは「咜怒鬼(たぬき)」とタヌキをかけたものかと思いますが、現在の寺院としてのご利益は“交通安全”“ガン封じ”となるようです。
寺院の結界に当たる場所には仁王門等ではなく、鳥居となりますので神道色を強く感じます。



狸谷山不動院には250段の石段を登ることになりますが、最初の石段を登った場所にはタヌキの焼き物と一緒に奉納碑がありました。
懐かしいのは1985年に日本一となった「阪神タイガース 監督・吉田義男」の奉納碑と、同じく「阪神タイガース 小林繁」の奉納碑でしょうか。
吉田義男さんは生粋の京都人。故小林さんも社会人野球時代に京都と縁があった方ですね。



参道は途中でスロープの道と「白竜弁財天」への道に分かれます。
白竜弁財天の朱色の鳥居をみると、伏見稲荷の千本鳥居を思い浮かべますね。



御堂に安置された白竜弁財天は1718年、木食上人が参籠修行の折に「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安したとされています。
しかし御堂の中は真っ暗でしたので中に祀られている白竜弁財天の姿は確認出来ず。





石段を50段まで登ってきた先には御神木と「お迎え大師」と呼ばれる弘法大師像を拝むことになります。
弘法大師像の腰下に下げられているのは「健脚わらじ」で、弘法大師にあやかって足腰の健康を願って奉納されたものとのことです。





さらに石段は続き、途中には「七福神像」の姿がみえてきます。
前日が雨だったのか、寺院全体がじっとりと濡れた感じがあります。



次の石段を登りきると約200段の位置まで登ってきたことになります。
石段の区切りの場所でタヌキの焼き物が段数を教えてくれるため、今自分がどの位置にいるかが分かりやすくなっているのはありがたい。



この位置までくると舞台造りの本堂の下まで来ることができ、清水寺を思い起こさせるような姿を見ることが出来ます。
狸谷山不動院の寺院としての開山は、朋厚房正禅法師〈木食正禅養阿上人)によって1718年のことだったとされています。

木食正禅養阿上人は、若くして禅、律、真言、天台の四宗の要義を学び、また木食行を体得するため高野山で修行した後、狸谷にあった洞窟の中にある尊像を知り、参籠修行の場として開山したとあります。
平安京の時代に祀られたとされる「咜怒鬼不動明王」が蘇り、修験道の場として栄えたということになるようです。





本堂を左手に見ながら参道を進むとほどなく「三社明神堂」へ参ることになります。
三社明神堂は衣・食・住の神として朋厚房正禅法師(木食上人)により勧請祭祀されたものとされています。



さらに進んでいくと「宮本武蔵修行の滝」と呼ばれる小さな滝と御堂がありました。
時は1605年、京にのぼった武蔵は吉岡一門との決闘を前にこの滝に打たれて、己の恐怖、煩悩に打ち克ち、吉岡一門を倒したとされます。

吉岡家は代々足利将軍家の師範だったとされ、武蔵の父とされる新免無二が吉岡一門と戦い、勝利したことが決闘となった経緯のようです。
武蔵は2人と戦い勝利した後、吉岡門下生数百人に狙われますが、一門を蹴散らし自分の門人たちを退却させたとの武勇伝が残されているようです。





本堂への道は急な男厄坂と緩やかな女厄坂があり、女厄坂から登ると本堂の全景が見渡せる場所があります。
現在の本堂は昭和61年に建立されたとされますが、江戸時代に繁栄した狸谷山不動院も例に漏れず、廃仏毀釈によって随分と荒廃してしまったといいます。
明治後期から郷土の有志により整備が始まり、昭和になって再興を遂げたようです。



今年は「狸谷不動明王300年祭」の慶祝年となっていますので内陣まで入れますが、まずは舞台から京都の町並みを眺めてみます。
見える場所は左京区になるのかと思いますが、随分と山中まで来ていることが風景から分かります。



舞台から歩いてきた女厄坂方向を見下ろすと、三社明神堂・宮本武蔵修行の滝・地蔵石仏群が見えます。
中央の広場になっている場所は護摩道場で、ここで祭典などが行われるのかと思われます。



本堂の舞台の柱には膨大な数の護摩木が掛けられており、祈願は「ガン封じ 病気平癒」といわれます。
護摩木に描かれた人体図に自分が直したい部分をマークして奉納するようです。



本堂内へ足を踏み入れると、奥の洞窟の中に祀られた不動明王の鋭い眼光にハッとさせられます。
内陣まで入れますので至近距離で拝むことが出来ますが、まさしく全ての煩悩を焼き尽くす迫力に圧倒させられる不動さんでした。




広告用ポスターを撮影

さて、狸谷山不動院には本堂から山中を進んだ先に「奥之院」があり、幸竜大権現を祀っているといいます。
せっかくなので進んでみようと思いましたが、こちらは凄いことになっていました。



まず鳥居があるのですが、「不動明王」と書かれた扁額は割れて鳥居の下に置かれている。
鳥居の奥にある道はジメジメとしてどこまで続くのかも分らない。



分かれ道があったのでどちらへ進もうかと迷ったのですが、右の方向には道らしきものがすぐに途絶えてしまっている。



左へ進もうとしたが、行く手に木が倒れている。
そもそも道らしきものが見えなくなっている。
すぐに諦めて引き返しましたが、既に御堂はなくなっているのかもしれませんね。



神仏習合の寺院というより“修験と神”の印象の強い狸谷山不動院からは、ある種独特の雰囲気を感じます。
それが京の鬼門由来のものか、修験道由来のものかは分かりませんが、京都都心部から近いパワースポットとして人気を集めているのはこの地の力によることもあるのでしょう。
少し怖い感じもする狸谷山不動院ですが、300年祭特別千社札(シール)は可愛らしいタヌキさんが修験者に扮しているものなのが、面白いですね。





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