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『栗田郡の神・仏-祈りのかがやき-』~栗東歴史民俗博物館 開館30周年記念展~

2020-10-10 05:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 2020年は「栗東歴史民俗博物館」の開館30周年にあたり、記念展として「滋賀県立琵琶湖文化館(1961年開館・2008年休館)」と連携した美術展が開催されています。
「滋賀県立琵琶湖文化館」は大津市の琵琶湖にせり出した天守閣を模したような建物で、大津の湖岸をドライブした時などに目に入ってくる建築物です。

「琵琶湖文化館」に寄託された収蔵品は、「近代美術館」を改装する「新生美術館」へ移される予定でしたが、「近代美術館」の再整備は未だ凍結中となっています。
「新生美術館」は、「琵琶湖文化館」が保管する収蔵品と滋賀のアールブリュットを2本柱とするとのことで大いに期待していましたが、「近代美術館」自体も休館中。
滋賀県立の美術館は未来が見えない状況となってしまい、「琵琶湖文化館」に眠る130万点とも言われる収蔵品はこういう機会でないと見ることが出来なくなっています。



ここでいう「栗太郡」とは現在の市町でいうと、草津市・栗東市全域と、大津市・守山市の一部の地域を含めた一帯をいい、古来より奈良・京都と縁深い地域とされます。
琵琶湖の水運や京都奈良へと通じる瀬田川の流れにより都の文化が流入したこともありますが、歴史は縄文・弥生時代から続くともいいます。
また、霊山・金勝山を信仰の対象として金勝寺を始めとする寺院が多く、金勝山宗教圏とでもいうべき文化を築いてきた地で、神仏とのつながりが深い地域でもあります。



記念展の構成は「1.栗太郡の仏教美術銘品選」」「2.珠玉の仏たち」「3.神と仏の聖地・栗太郡」の3部で構成され、別室ではコーナー展示として「栗東の神・仏」が開催中。
神仏の文化で興味深いところは、同じ滋賀県でも地域によって宗教文化の形態が随分と違うことでしょう。

隣り合わせとなる栗太郡と甲賀地方でも違いがある。湖北の己高山仏教圏も金勝山宗教圏とは違う。湖東や伊吹山の信仰圏とも違う...。
山への信仰と修験、天台密教の影響ということでは類似点はあるとは思いますが、感覚的にはかなり違いを感じます。

さて、記念展でもっとも魅了されたのは観音寺(草津市 観音寺)の「木造阿弥陀如来立像(鎌倉期・重文)」の美しいお姿でした。
衣文の彫りは深くはっきりとしており、端正な顔立ち。光背の透かしも美しい光背は、造立当時のものだという。
高さは約90cmの阿弥陀如来の足の裏には「仏足文」が描かれているといい、このような仏像はこの世に肉体を持って現れた仏「生身仏」と呼ばれているようです。

 

「1.栗太郡の仏教美術名品選」では仏像・仏画・経典・鰐口など幅広く仏像美術品が展示されており、興味を引かれたのは「厨子入銀造阿弥陀如来立像(鎌倉期・重文)」でした。
高さ7.6センチの銀製の阿弥陀如来もさることながら、厨子の蒔絵の美しさは仏像としてよりも美術品としての魅力を感じる。



「2.珠玉の仏像たち」では先述の観音寺の阿弥陀如来(琵琶湖文化館寄託)の他にも同じ観音寺の「地蔵菩薩立像(鎌倉期・重文)は凛々しいお顔に均整のとれた躰の地蔵さま。
半丈六の「薬師如来坐像(平安期・重文)」と「日光菩薩・月光菩薩」の両脇侍の薬師三尊も見応え充分な見事な仏像です。

栗太郡の宗教圏で特徴的なのは神像の多さでしょうか。
「3.神と仏の聖地・栗太郡」と別室のコーナー展示「栗東の神・仏」には合わせて20躰以上の神像が並び、狛犬も数対展示されていました。
「僧型神座像」「女神座像」は共に金勝寺からの寄託品で平安時代のものと伝わります。

 

また、「熊野本地仏像」が3躰展示されており、熊野信仰が栗太郡に流れ込んでいたことを示しているされます。
当地は山岳信仰が盛んだった地とされていることもあり、修験道や神道文化が栄えて、金勝寺仏教圏へと発展していったのでしょう。
常設展では「山の神」の神事の様子や供物が展示されていて興味深く拝見しましたが、山に対する信仰がかなり深かった地という印象が残ります。

ところで、いまだに訪れたことのない「狛坂磨崖仏」の等身大のレプリカが、栗東歴史民俗博物館で見られるのはここを訪れる楽しみの一つです。
険しい神の山・金勝山の山中にある高さ6.3m幅4.5mの摩崖仏。ぜひ山の中で本物を見てみたい。



狛坂磨崖仏」のある一帯は、平安時代には狛坂寺が建立されていたといい、摩崖仏はそれ以前の奈良時代、もしくは白鳳時代に新羅系渡来人が彫ったとされています。
金勝山は、奈良の都への木材供給地だったとされており、鉱物資源にも恵まれていたといいます。
渡来人が住み着いた地には鉱物資源の豊富だったという話は、渡来人ゆかりの地で聞くことがあり、当時から鉱物資源が重要視されていたことが伺われます。



同じくレプリカの摩崖仏や丁石としては「小屋谷観音摩崖仏(像高100.5cm・鎌倉期)」と「不動明王廿九丁石(像高75.6cm・室町期)」が展示。
こちらの実物がある場所は、狛坂磨崖仏への道より遥かに困難そうですので、レプリカで満足するほかなさそうです。





最後は博物館の前にある「旧中島家住宅」へ立ち寄りました。
旧中島家住宅は明治初年に創建された農家住宅で、昭和30年代頃までは人が住んでいた民家だったといいます。



不思議に思ったのは葦ぶきの屋根に貝があったことで、係の方に聞いてみるとこの貝殻はカラス除けなのだという。
カラスが巣作りに葦を抜いて持って行ってしまうとのことで、大きなアワビの貝殻のパール色の光でカラス除けをしてきたのだといいます。

今ならCDを置くのだけど、かつては光るもので手に入るのは貝殻だったので使っていたとのこと。
でも効果はイマイチで、カラスに葦を持って行かれると嘆いておられました。カラスは賢い鳥ですからね。



室内は広い土間があって“デイ(客間)”“オクノマ”“ダイドコ(食事をする部屋)”“ナンド(寝室)”“オクノマ(仏間)”の4部屋で、トイレとお風呂は外にある。
ヘッツイ(カマド)では火が焚かれていたので“いつも火を焚いているのですか?”と聞くと、“火を焚いておかないと家が傷む”とのこと。
カマドの煙が充満していると逆に家が傷むのではないかと思いましたが、煙によって葦ぶきの屋根の害虫駆除になるのだということで納得。



もう一つ不思議に思ったのは土間の角に設けられた場所で、藁などを保管する場所のように見える。
これも聞いてみると牛小屋なんだと言われます。確かに昔の農家では牛は農耕の貴重な戦力だったのは知っていますが、家の外に牛小屋を作っているのだと思っていました。
農耕を助けてくれる牛は家族同様。ふかふかの藁の上で寝させてもらい家族同然に大事にされてきたのでしょう。



金勝山は昨年、上桐生~オランダ堰堤~逆さ観音~落ヶ滝を巡りましたが、次回は金勝山側から登って龍王山~茶沸観音~狛坂摩崖仏のコースで行こうかなと思います。
可能なら天狗岩の方へも行きたいところですが、登ってみないと行けるかどうかは分からない。



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