「太郎坊宮」は正式名称を「阿賀神社」といい、巨岩を磐座とする神道・天台山岳仏教・修験道が混じり合った信仰形態の神社になります。
本殿は太郎坊山(赤神山)の中腹にあり、後方の山は箕作山・小脇山・岩戸山などのピークが連なる神宿る信仰の山とされており、近年何度も訪れている霊山です。
湖東の近江盆地に点在する山々は「湖東流紋岩」と呼ばれ、石灰岩などと比べると硬く緻密で風化に強いため、周辺の山々を歩くと巨石やゴロゴロとした岩場に出会うことが多い。
巨石の点在する山々が古代から信仰を集めてきたパワースポットを代表するような神社「太郎坊宮」を2023年の初詣の神社と決めて参拝へ向かいました。
太郎坊宮(阿賀神社)へは電車なら近江鉄道の「太郎坊宮前駅」から行けますが、車で行くと「一之鳥居」は車で抜けて、駐車した後「二之鳥居」の前から歩きだします。
後方に見える赤神山の上方の岩が剥き出しになっている場所が「夫婦岩」でその横に本殿があり、訪れる度に新鮮な気持ちになります。
東近江市の名物「飛び出し坊や」が複数立てられた参道を進むと、天台宗「成願寺」への石段へと続きます。
「成願寺」の山号は赤神山で、799年に最澄が「阿賀神社」の神宮寺として建立したとされます。
成願寺は戦国時代に戦火により炎上したものの、江戸期に本堂と鐘楼が再建されますが、成願寺と村人との間で入会地を巡る争いが起こり阿賀神社と成願寺は分離される。
1753年には成願寺は「太郎坊大権現」を名乗り、阿賀神社は「太郎坊宮」と称されるようになったといいます。
数年前に成願寺の堂内に入らせてもらったことがありましたが、御前立の薬師如来像・十二神将像・閻魔像・二天像が祀られていて見事な仏像群に圧倒された記憶があります。
滋賀県は浄土真宗が盛んな地ですが、現存する天台宗寺院や観音堂の仏像はやはり見応えのあるものが多いと思います。
太郎坊宮へは約740段余りの石段を登らないといけませんので、石段登りに慣れていない人だとやや苦行になるかもしれません。
元旦にも関わらず、石段の最初の方は随分と空いているなぁと感じて今年は参拝者が少ないのかと錯覚してしまいましたが、これは最初の石段だけでした。
石段の途中には玉垣に囲まれた中に「不上石」という石があり、この石は旧石段のひとつで明治初年頃までは“参拝当日に魚鳥肉類を食べた者はこの石より上には登らず、ここで拝礼した”という。
石面は自然に魚の形をしているとあり、言われてみれば魚のようにも見えます。
参集殿が近くなって石垣が見えてくると、石段で大渋滞が始まります。
参集殿の近くで石段から登ってきた人と中腹駐車場から来た人が合流し、尚且つ「夫婦岩」が近くなると石段一段に4人ほど登れたのが一人しか通れなくなる。
また夫婦岩を抜けた所にある「本殿」が一組ごとにしか参拝出来ないこともあって滞った列は中々進まない。
途中の石段の横には「竜神舎御霊水」の手水舎があり、ゴツゴツとした岩の窪みのようなところにある手水で身を清めます。
この竜神舎の横の道はハイキング道になっており「赤神山北峰」や「太郎坊山」「箕作山」方面への登山口になっていて、歩いたら岩戸山まで周回できます。
「夫婦岩」は高さ20m近い巨石の間に巾80cm・長さ12mほどの間道が通り“良い心の持ち主はどんな願い事も叶い、悪い心の持ち主が通ると岩に挟まれる”と言い伝えられている。
夫婦岩は「近江の高天原」とも唱えられ、神社を守護する太郎坊天狗が住むともされています。
霊山と呼ばれる山には巨石の間を通り抜けた先に祭事の場所があることが多々ありますが、門のような巨石は山の磐座であるとともに結界の役割を果たしているのではないかと思います。
御神体は夫婦岩のある場所側の山頂(南峰)と考えられますが、南峰は神体山で禁足地となっているため登れません。
ただし、もうひとつのピークである北峰には登ることができ、神が降臨する南峰を眺めることが出来ます。
太郎坊宮の石段の横には境内社が幾つか祀られており、この場所には稲荷大神を祀る「稲荷社」、石段の先には「愛宕社」があり、すぐ横には「義経公腰掛岩」がある。
山に張り付くようにして境内地があるため、境内社は石段の参道のすぐ横の岩場やわずかな平坦地に建てられています。
やっと夫婦岩の前の銅鳥居の前まで来ましたが、この岩の大きさには何度見ても圧倒されます。
伝承では太郎坊大神が神力により押し開いたと伝わるそうですが、この姿になるのに何が作用したのか不思議に感じます。
夫婦岩の間道から上を見ると、巨石の間をさほど巾の違わない隙間があり、まさに神様の力によって押し開かれた天狗の住まいとの伝承も頷けます。
岩のわずかな凹みには御賽銭がねじ込まれていて、時には千円札が挟まれていることもあって人々の願いの強さが伺われる。
夫婦岩を抜けて展望台から岩を振り返るが、フレームにはとても納まりきれない巨石が並びます。
怖ろしいまでの自然の造形に驚かされるとともに、赤神山が古代から信仰されてきた理由も納得してしまうような畏敬の念を感じます。
展望台から見えるのは蒲生野の光景。
この季節の展望台の前にはタマミズキの紅い実が風物詩になっていますが、かなり実が落ちてしまっているのは残念でした。
太郎坊天狗の額が掛けられている絵馬殿の奥に古札納所の回収箱がありますので、昨年の神札をお返しして改めて新年のスタートとします。
歳を重ねるとともに年々“平穏”を求める気持ちが強くなってきていますが、今年は何か新しいチャレンジや新しい関係作りを求めていきたいと思います。
本殿は太郎坊山(赤神山)の中腹にあり、後方の山は箕作山・小脇山・岩戸山などのピークが連なる神宿る信仰の山とされており、近年何度も訪れている霊山です。
湖東の近江盆地に点在する山々は「湖東流紋岩」と呼ばれ、石灰岩などと比べると硬く緻密で風化に強いため、周辺の山々を歩くと巨石やゴロゴロとした岩場に出会うことが多い。
巨石の点在する山々が古代から信仰を集めてきたパワースポットを代表するような神社「太郎坊宮」を2023年の初詣の神社と決めて参拝へ向かいました。
太郎坊宮(阿賀神社)へは電車なら近江鉄道の「太郎坊宮前駅」から行けますが、車で行くと「一之鳥居」は車で抜けて、駐車した後「二之鳥居」の前から歩きだします。
後方に見える赤神山の上方の岩が剥き出しになっている場所が「夫婦岩」でその横に本殿があり、訪れる度に新鮮な気持ちになります。
東近江市の名物「飛び出し坊や」が複数立てられた参道を進むと、天台宗「成願寺」への石段へと続きます。
「成願寺」の山号は赤神山で、799年に最澄が「阿賀神社」の神宮寺として建立したとされます。
成願寺は戦国時代に戦火により炎上したものの、江戸期に本堂と鐘楼が再建されますが、成願寺と村人との間で入会地を巡る争いが起こり阿賀神社と成願寺は分離される。
1753年には成願寺は「太郎坊大権現」を名乗り、阿賀神社は「太郎坊宮」と称されるようになったといいます。
数年前に成願寺の堂内に入らせてもらったことがありましたが、御前立の薬師如来像・十二神将像・閻魔像・二天像が祀られていて見事な仏像群に圧倒された記憶があります。
滋賀県は浄土真宗が盛んな地ですが、現存する天台宗寺院や観音堂の仏像はやはり見応えのあるものが多いと思います。
太郎坊宮へは約740段余りの石段を登らないといけませんので、石段登りに慣れていない人だとやや苦行になるかもしれません。
元旦にも関わらず、石段の最初の方は随分と空いているなぁと感じて今年は参拝者が少ないのかと錯覚してしまいましたが、これは最初の石段だけでした。
石段の途中には玉垣に囲まれた中に「不上石」という石があり、この石は旧石段のひとつで明治初年頃までは“参拝当日に魚鳥肉類を食べた者はこの石より上には登らず、ここで拝礼した”という。
石面は自然に魚の形をしているとあり、言われてみれば魚のようにも見えます。
参集殿が近くなって石垣が見えてくると、石段で大渋滞が始まります。
参集殿の近くで石段から登ってきた人と中腹駐車場から来た人が合流し、尚且つ「夫婦岩」が近くなると石段一段に4人ほど登れたのが一人しか通れなくなる。
また夫婦岩を抜けた所にある「本殿」が一組ごとにしか参拝出来ないこともあって滞った列は中々進まない。
途中の石段の横には「竜神舎御霊水」の手水舎があり、ゴツゴツとした岩の窪みのようなところにある手水で身を清めます。
この竜神舎の横の道はハイキング道になっており「赤神山北峰」や「太郎坊山」「箕作山」方面への登山口になっていて、歩いたら岩戸山まで周回できます。
「夫婦岩」は高さ20m近い巨石の間に巾80cm・長さ12mほどの間道が通り“良い心の持ち主はどんな願い事も叶い、悪い心の持ち主が通ると岩に挟まれる”と言い伝えられている。
夫婦岩は「近江の高天原」とも唱えられ、神社を守護する太郎坊天狗が住むともされています。
霊山と呼ばれる山には巨石の間を通り抜けた先に祭事の場所があることが多々ありますが、門のような巨石は山の磐座であるとともに結界の役割を果たしているのではないかと思います。
御神体は夫婦岩のある場所側の山頂(南峰)と考えられますが、南峰は神体山で禁足地となっているため登れません。
ただし、もうひとつのピークである北峰には登ることができ、神が降臨する南峰を眺めることが出来ます。
太郎坊宮の石段の横には境内社が幾つか祀られており、この場所には稲荷大神を祀る「稲荷社」、石段の先には「愛宕社」があり、すぐ横には「義経公腰掛岩」がある。
山に張り付くようにして境内地があるため、境内社は石段の参道のすぐ横の岩場やわずかな平坦地に建てられています。
やっと夫婦岩の前の銅鳥居の前まで来ましたが、この岩の大きさには何度見ても圧倒されます。
伝承では太郎坊大神が神力により押し開いたと伝わるそうですが、この姿になるのに何が作用したのか不思議に感じます。
夫婦岩の間道から上を見ると、巨石の間をさほど巾の違わない隙間があり、まさに神様の力によって押し開かれた天狗の住まいとの伝承も頷けます。
岩のわずかな凹みには御賽銭がねじ込まれていて、時には千円札が挟まれていることもあって人々の願いの強さが伺われる。
夫婦岩を抜けて展望台から岩を振り返るが、フレームにはとても納まりきれない巨石が並びます。
怖ろしいまでの自然の造形に驚かされるとともに、赤神山が古代から信仰されてきた理由も納得してしまうような畏敬の念を感じます。
展望台から見えるのは蒲生野の光景。
この季節の展望台の前にはタマミズキの紅い実が風物詩になっていますが、かなり実が落ちてしまっているのは残念でした。
太郎坊天狗の額が掛けられている絵馬殿の奥に古札納所の回収箱がありますので、昨年の神札をお返しして改めて新年のスタートとします。
歳を重ねるとともに年々“平穏”を求める気持ちが強くなってきていますが、今年は何か新しいチャレンジや新しい関係作りを求めていきたいと思います。