超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

オーディオの歴史

2015-05-24 15:32:48 | 昭和
ひと昔だったら「趣味はAVです。」と堂々という男子がいたら、少なからず「ぎょっ」としたかもしれない。まさか「アダルトビデオ」ではなかろうと・・・いつの間にかAVという略称は「オーディオビジュアル」というのが主流らしい。自家用車の無かった我が実家は「カーオーディオ」という習慣がなく、木の箱のようなスピーカーの付いた小さなレコードプレーヤーだけが音楽を発する機器だった。まだ幼かった私は雑誌の付録にあった「ソノシート」でアニメの主題歌や特集などをもっぱら聞いていた。初めて買ってもらったLPレコードはアニメ、特撮などの主題歌を集めたアルバムで、記憶しているだけでも「オバQ音頭」「サスケ」「狼少年ケン」「巨人の星」「黄金バット」「妖怪人間ベム」「パーマン」「キャプテン・ウルトラ」「怪物くん」「マン」「セブン」「レインボー戦隊ロビン」が収録されている豪華版だった。なぜこんなに覚えているかというと今でもカラオケのアニメ編では歌えるから・・・我が家のプレーヤーは何かターンテーブルの大きさが中途半端で、シングルレコードよりは大きいが、LPレコードを乗せるとはみ出てしまうにも関わらず、「何とか大行進」というこの1枚のアルバムをそれこそ擦り切れて針が向こう側に突き抜けてしまうくらい繰り返し聴いていた。

小学校も高学年くらいになると「ハム」と呼ばれたアマチュア無線を行う者が登場し、さらに「エアチェック」といってFM放送を受信したり、外国の短波放送を受信できる軍隊の無線通信機みたいなラジオを持って自慢げに見せびらかすヤツがいた。ソニーの(やはり当時先進的なのはソニーだった)何とかいう機種(59何とかいうシリーズ)で、真っ黒なボディに周波数を合わせるダイヤルがいくつもついていてすごくカッコいいが、小学生が「北京放送」などを聞いて何が嬉しかったのかさっぱり分からなかった。そして我が家にも3バンドのラジカセが登場した。たしか「AIWA」というメーカーでラジオに興味の無かった私の「オーディア」は「カセットテープ」に移行していく。ミュージックとしてのアルバムは高価だったのでほとんど持っていなかったが、「大行進」同様テープが擦り切れて最後は切れてしまうほど聞いていたのが「Gメン75」のテーマ集である。今でも道路いっぱいに広がって並び歩く者たちを見ると「(Gメンか?お前らは)」とつぶやかずにはいられない。。。

ラジカセの登場で切り開かれたのが「世の番組を録音して繰り返し聴く」という分野である。
今のようにテレビに「オーディオ用外部出力端子」はないから、ラジカセの本体に付いているマイクをテレビのスピーカーの間近に置き、番組中はしーっと押し静まって雑音が入るのを防いでいた。(それでも台所の洗い物の音など、陶器の音は入ってしまった)ずばり、録音の対象は「宇宙戦艦ヤマト」と「8時だよ、全員集合」である。約40年前に初めて放映された時の「ヤマト」はそんなに人気があったわけではなかった。「戦艦」などが好きでプラモなども作っていた私は夢中になったが、クラスメイトの間では同じ時間に放映されていた「猿の軍団」の方が圧倒的に人気があり、教室で「話題を合わせる」にはビデオがない当時、そちらを見るしかなかった。必然、「ヤマト」はラジカセの録音のみを聞きながら、情景を想像することになるのである。野球中継などで「猿の軍団」がない時は「ヤマト」を見ていたので、登場人物の姿はインプットされていた。その後、「ヤマト」はなぜか再放送で爆発的な人気となり「社会現象」と言われるほどになる。

そして「宇宙戦艦ヤマト」が国民的な一大ブームとなり、テーマソング集やBGMが「交響組曲」としてレコード発売されたりする中、いよいよ我が家に「コンポ」なるセットがやってくる。正しくは「システムコンポーネント」という。専用のラックにピタリと収まるその姿は一種の家具でもあり、インテリアとしてもデザインされていた。ラジオチューナー、メインアンプ、カセットデッキを重ねたラックと、「ダイレクトドライブ=DD」が流行りだったレコードプレーヤー用のラック(下部がレコード格納用になっていた)が左右に並び、その両サイドにほぼ同じ高さの段ボール箱大のスピーカーを設置したコンポは経済成長のステータスを表すシンボルのようでもあり、一応我が家では客間におかれたが、4畳半部屋の3分の一のスペースは占有されてしまった。かつてここでも書いたかもしれないが、当時大型電化製品と言えばここしか売ってなかった茅ヶ崎ダイクマ店のオーディオコーナーで試し聴きとして店内中に大音声でかかった(当時はヘッドフォンなど使わない)のが「かもめはかもめ」、ドーナツ盤はあまり買わなかったが「アリス」のアルバムは買い続けていた。今、家に残っていたのは少し前の「ヤマト」や「ハーロック」などアニメのサウンドトラックものばかりだったが。。。

  

レコード針のカートリッジを手でつまみ上げ、既に回転しているレコードの一番端っこにそーっと置く昔のプレーヤーに比べ、コンポのプレーヤーはボタン一つでアームが勝手に指定したサイズ(LPかドーナツ)のところで停止し、すーっといかにも自動的に降りていく姿に感激したものだ。レコードは静電気のせいなのか放っておいても小さな埃がつきやすく、聴くたびごとにスプレーを吹き付け、15cm幅くらいのベルベット生地をスポンジに巻いたような専用のクリーナーでせっせと拭き取っていた。「音を楽しむ」と書いて音楽と読む。我が家にコンポが来て以来、音の響きというのを感じるようになったのだが、今から考えるとあの時代の「コンポ」はデカ過ぎた。。。左右のスピーカーからして学校の視聴覚室のよりも大きいのである。体育館で聴くならまだしも、4畳半の部屋で聴くとなるとボリュームは12まである目盛のせいぜい1.5くらい、全開にすると家が吹き飛ぶんじゃないかと思われた。そのうちに陸上自衛隊の大型ヘリch-47に搭乗した時に装着したような丸い形のヘッドフォンを使うようになったが、一体何のためにあんな巨大なセットが必要だったのか・・・これも昭和の謎のひとつである。

さて私が通勤で使う電車は都内に入って新宿の手前くらいになると「ナガオカ」という看板が見えてくる。ダイヤモンド製のレコード針と言えば何と言っても「ナガオカ」だった。今はCDプレーヤーからUSBメモリー、スマホで音楽を聴く時代でありいくらなんでも「レコード針」で事業は無理だろうと思うが、どうやら他のアクセサリーなども手掛け、脈々と販売し続けているらしい。以前ネットのニュースいで見たことがあるが、日本ではそうでもないものの欧米ではアナログレコードの販売量がまた増えてきているという。昔からのコアなアナログファンやディジタルアーカイブになっていない年代もののアルバム曲などは分かるが、普通に聴く音楽対象だとネット配信が主流の時代には考えにくいことだ。好みもあるだろうが、物理的な「音質」ならディジタルの方が勝ると思う。アナログの持つという独特な雑音や周波数域もその気になれば作ることができる。しかし音楽にはほとんど造詣のない私でも「アナログレコードへの回帰」は何となく「そうだなー」と思うのである。レコードの溝に直接的に刻まれた「音」の方が、ディジタル信号の羅列により再現された「よい音」よりも何やら刻まれた「歴史」を感じ取れるような気がするのである。今売っているレコードプレーヤーには何とUSBポートが付いているが、すごく気持ちが分かるのだ。単なる懐かしさだけかもしれないが、子どもの頃に飽かずに聴いた「オバQ音頭」を当時のレコードで聴いてみたいものだ。残念ながら実家の物置の隅々まで探したが、「●○大行進」はさすがに残っていなかった。ちなみに写真は大阪の「パナソニックミュージアム」で撮影させてもらった昔の電器製品である。

      

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