超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

凄まじき虫の世界

2015-05-02 08:04:24 | 書籍
昆虫界最強最悪、かの「みなしごハッチ」のお母さん女王バチを監禁し、「カマ吉おじさん」を死に至らしめた残忍で冷酷な軍団、スズメバチの物語である。(ちなみに最終回はお母さんに再会するシーンよりも、カマ吉おじさんが死んでしまうシーンの方に涙が止まらなかった・・・)正しくは「オオスズメバチ」学名は「ヴェスパ・マンダリニア」という。満州人の国である中国清朝の官僚の制服が黄色っぽいオレンジ色だったことから名付けられたそうだ。八ヶ岳にある市の体験施設の見学ルームには巨大な巣が展示されていたし、息子が幼い時に実際に周辺で遊んでいて、何度かその恐い顔と不気味に光る尻を見て恐怖を感じたものだ。子供の頃、ハチに刺されて赤くなった(「○●」をかけろとよく言われたが)のは大抵ミツバチでスズメバチに本気で刺されると無事では済まない。多くはないが、死亡に至ることもあるという。ちなみに偶然にもかの小夏師匠はなんとこのハチ(と思われる)に頭に止まられるという、恐るべき経験をなさっている。平然と去るのを待ったという師匠の大物ぶりが伺えるエピソードである。
さてこの物語は期間にしてわずか30日の命しかない、オオスズメバチの帝国に生きる「ワーカー」と呼ばれるメスバチの一生を描いたものだ。著者は「永遠のゼロ」を書いた作家である。

主人公は「マリア」という帝国でも優秀なハンターだ。巣の中央には「偉大なる母」と呼ばれその名は「アストリッド」という。巣の中の育房室にひたすら卵を産み続け、生まれ出る幼虫はすべてメスである。マリアと同じワーカーは自身は幼虫の唾液や樹液をエネルギー源として幼虫が羽化する「ためだけのために」交尾も産卵もすることなく、献身的に世話をする。新しい育房室を建設するもの、巣の掃除や補修をするもの、マリアのように獲物を狩って巣に幼虫にもたらすもの、にきちんと役割分担されている。ハンターは他の昆虫やクモなどを噛殺し、丸めて肉団子にして巣まで運搬する。肉食なのは幼虫だけでハンター自身は獲物を捕食できないから、完全な戦闘マシーンである。「見逃してくれないだろうか」と嘆願するアオドウガネの背中に容赦なく牙を立て、大量殺戮したミツバチの巣では女王バチに「この悪辣な略奪者たち!」と叫ばれ、オンブバッタには「この残酷な虐殺者!」と罵られ・・・いやー、えらい言われようだ。。。彼女たちは感情に流されることなく、無表情に(当たり前か!)肉団子を作り続ける。

ある日マリアは初めて「オス」のスズメバチと出会う。幼い妹達と「偉大なる母」のために帝国の戦士として狩りを続ける彼女がふと、種に定められた宿命というものを考え始める。先に書いた通り彼女たちの寿命はわずか30日、そして数日早く羽化した「姉」がなぜかその宿命を承知していてマリアに告げる。ちょっと無理がある展開に上塗りするようだが、それは「ゲノム」の意思というものの興味ある説明だった。スズメバチには性染色体がなく、ゲノム(遺伝子)の数で雌雄が決まる。一般的な受精で生まれる個体はむろんゲノムがオスの分とメスの分で2種類あり、これは全てメスになる。ここ女王バチも同様でゲノムを二つ持ち、これをAとBとする。オスはゲノムを一つしか持っておらず、これをCとする。この2匹が交配すると生まれてくるのはAとC又はBとCを持つメスとなる。これがマリアを含め帝国にいる全てのワーカーである。帝国内にオスは一匹もおらず、自分も含め「偉大なる母」から生まれるのは全てメスである。では一体父親はどうなってしまったのか?マリアの一抹の疑問はそこから自身の宿命へと発展する。

ここで「ゲノムは子孫がより多く共有することを望む」という不思議な法則に則り、驚くべきスズメバチの生存戦略が明らかになる。先に出てきたAとCのゲノムを持つワーカー�は仮にDというゲノムを持つオスと交配して「娘」を生むとすれば彼女らはAとD又はCとDということになり母である�から見ると父親分が半分入るからゲノムを50%共有していることになる。しかし女王バチがCと交配した結果の受精卵を延々と生み続ければ、つまり「妹」を生み続ければ、彼女らは常にAとB又はAとCのゲノムを保有することになり、ワーカー�から見るとAとB保有なら100%、AとCでも50%、平均すると75%のゲノムを共有することになる。つまり雄雌交配で世代交代せずにメスが妹を生み続け、それを成長させた方が、ゲノムの共有率を高くすることができるというわけだ。マリアはメスであり交配も産卵もできる器官があるが、女王フェロモンによりこれが発動するのを抑制されていると聞いた。

しかしマリアがたまたま出会ったオスのスズメバチは名前をヴェーヴァルトといい、彼の帝国は女王バチが病気で死んでしまい、女王フェロモンの抑制がなくなったためにあるワーカーが擬女王バチとして産卵したのである。その名をルーネという。しかし交尾していなかったから、生まれたのはオスだったのだ。
「ぼくたちオスバチはワーカーではないから、巣作りもできないし、狩りをする本能もない。だから何頭生まれても帝国を維持することはできない。今、生きているぼくの姉たち・・・ワーカーが全員死ねば帝国は滅びる」
「あなたは・・・オスバチは何のために生まれてきたの?」
「新しい女王バチと交尾するためだよ。ぼくたちの務めはそれだけなんだ。」
「それであなたは新しい女王バチが誕生するのを待ってるのね」
「ぼくはその時まで生きていない・・・ぼくは早くに生まれすぎたんだ」ヴェーヴァルトは寂しそうに笑う。悲しい物語である。
「ぼくは羽化してもう2週間になる。こうして雑木林から雑木林を旅して樹液を飲んで生きている。でももうあとわずかしか生きられない。新しい女王バチが誕生する前に死ぬ」
「君が女王バチならよかった」ヴェーヴァルトはそう言うと、マリアに近づいて二本の触角をマリアの顔に触れさせた。「あなたの触角はすごく長いわ」マリアがいう。
「オスバチの触角は女王バチの匂いを探し求めるために長くなっているんだ。ぼくには役に立たないものだと思っていたけど・・・マリア、君に触れることができてよかった」
マリアはゲノムの仕組みとヴェーヴァルトの悲しい将来を思う。自分は立派なメスで卵管や卵巣があって、交尾も産卵もできるが、おそらく本能がそう命じない。しかし彼女は誇り高き戦士であり、姉たちはそんな自分をゲノムの命令で機械的に育ててくれたのではなく、そこには深い愛情と優しさがあった。マリアとヴェーヴァルトの出会いはものすごく切ないが、「ゲノムの共有」というところは自然界に人間の知恵を超えた崇高さがあるようにも感じた。

次に女王アストリッド(何か登場する人物は独特なネーミングだ)が自身の歴史をマリアに語って聞かせる。女王バチ(候補)はある一定の時期になるとワーカーと同じように生まれるが、特別な部屋でワーカー達の特別な待遇によって女王バチ候補たる体格をなす。ある日羽化して巣を飛び立つとフェロモンに引き寄せられた他の帝国からのオスバチが待ち構えていて、交尾のために襲い掛かってくる。しかし帝国のすぐ近くなので巣を守るワーカーたちはオスたちに本能的に襲い掛かるのである。オスには最大の武器である針(本来は産卵管だそうだ)がないので、圧倒的に不利で次々と撃退され、自然に弱いものは淘汰されていく。

この淘汰は凄まじく、ついに若きアストリッドに辿り着いたオスバチは瀕死の重傷だ。二本の触角はが切断され、腹には針を受けた傷が3か所、胸にも牙でつけられた傷があった。フリートムントと名乗ったオスバチは最後の力で交尾した後、生き延びてたくさんの娘を生むよう頼んで息絶える。これがマリアの父親である。そして一冬を眠って過ごし、自らで小さな巣を作り、フリートムントから受け取った精子を受精嚢で卵子と結合させ、娘を生み始める。こうして少しずつ拡大していったのが今の帝国である。ある一定時期になると、新女王バチ用の大型育房室が作られ、女王バチ用に高タンパクのエサがふんだんに与えられる。そして次にアストリッドはオスのハチを生み始める。ヴェーヴァルトはこうして生まれてくるはずだったのだが、母となるはずの女王バチが死んでしまい早過ぎる生を受けてしまったのである。このオスバチはむろん、他の帝国に飛んで交尾するためにいるのだが、ここでも凄まじき「ゲノムの意思」が現れる。

分かりにくい話だが、元々A、Bというゲノムを持つ女王バチがオスを生み始めると当然弟たちのゲノムはAかBしか引き継がない。つまりA、Cというゲノムを持つワーカー�から見ればAなら半分、Bなら共有なしということになり平均共有率は25%になってしまう。しかしA、Cのゲノムをもつワーカー�ともう一方いるはずのB、Cのゲノムを持つワーカー�がそれぞれオスを生めば、ワーカー�から見ればA、Cを持つオスは50%ずつ、B、Cをもつワーカー�から生まれたオスは0%、50%のゲノムを共有し、平均共有率は37.5%となる。つまり女王バチがオスバチを生み始めたら、ワーカーがそれぞれオスを生んだ方が、トータルのゲノム共有率を高められることになる。ワーカー達が産卵するにはその機能を抑制している女王フェロモンの元を断ち切らなければならない。そして彼女らは迷うことなく、それを実行するのである。女王アストリッドは最後に語る。
「あなたたちは私と、そして勇敢だったフリートムントの娘です。私はあなたたちを生み、育てました。そして未来のために帝国を築きました。フリートムントとの約束を果たしたのです」
「私は宿命に従って自分の務めを果たしました。まもなく私はフリートムントに会うことになるでしょう。」「さあ、あなたたちの務めを果たしなさい!」ワーカーたちは躊躇なく「偉大なる母」に襲い掛かる!
虫の世界とは何と凄まじいものかと思う。

やがて若い妹たちのう何頭かが女王フェロモンを出し始め、擬女王となっていく。彼女らはオスしか生まないが、その半分は勇敢なフリートムントのゲノムを引き継いでいることになる。女王フェロモンは他のメスバチの産卵機能を抑制してしまうから、マリアたちは息子を生むことはなくなる。しかしオスバチたちは妹達同じワーカーの息子たちだ。半分は自分と同じ勇敢なフリートムントのゲノムを持つことになるのだ。マリアは自分が産まなくても彼女たちが産む子は自分の子と思う。これ生涯の最後に与えられた贈り物だと思うところが切なく悲しい。
マリアは帝国を代表する戦士となり、新女王バチのために軍団を率いて死闘を繰り広げる。新女王を育てるための高タンパクなエサを求めて、キイロスズメバチの巣を丸ごと遅い、多くの戦力を失った。歴戦の勇士や姉たちは全て死に絶え、マリア自体の命も長くないことを悟る。

新しいワーカーたる妹が生まれてこないので、帝国は衰退していくが、一方まずオスバチだちが「姉さんたち、それでは行ってきます」と巣立っていく。別の帝国で新女王バチと交尾するためである。彼らを守るものはなく、厳しい前途が待っているが、その運命と戦う機会すら与えられなかったヴェーヴァルトの悲しさを見れば希望があったろう。そしていよいよ新女王バチが巣立つ時がきた。マリアは自分よりもはるかに威風堂々とした妹たちに「あなたたちには偉大なる母アストリッドと偉大なる父フリートムントの血が流れている。」と巣立ちを促す。一番最後に巣を飛び立った新女王バチは翅が歪んでいた。マリアは巣に向かってくる他の帝国からのオスバチを片っ端から撃退していく。彼女のなすべきことは妹達と強いオスバチを結ばせることである。これがアストリッドの戦士としての最後の仕事であり、生涯最後の戦いとなる。

マリアは多くのオスバチを撃退した後に、先の翅のねじれた新女王バチに向かう一頭のオスバチと戦う。オスバチはマリアの針で何度も胸と腹を貫かれても怯まない。その勇敢なオスバチは「フローヴァルト」と名乗り、母の名を問うと何と「ルーネ」!
瀕死のフローヴァルトはその傷からして間もなく死ぬことは分かったが、最後の力でマリアを退け、彼女はついに生まれて初めて戦いに負けたことを悟る。彼は翅の歪んだクリームヒルトと激しく交尾し死んでいく。。。
「さよならマリア姉さん」「妹よ!戦って生き抜くのよ!」
エピローグでは立派な女王バチとなったクリームヒルトが自身が巣を旅立つ時に「戦って生き抜け!」と叫んだ姉のことを帝国の戦士に語って聞かせる。

アニメ界のストーリーで言えば、主人公が手も足も出ないほど圧倒的な力を誇るボスキャラ最終兵器のようなオオスズメバチである。「みなしごハッチ」の最終回ではこれまで物語に登場した全てのキャラが勢揃いして皆で力を合わせ、多くの犠牲を払いながら極悪非道なスズメバチ帝国を滅ぼしてしまうが、現実には小型昆虫など何千匹集まっても彼らにとっては敵ではないほどの戦闘能力を持った集団だ。小さき者が知恵と工夫と努力で強き者を倒すような「勧善懲悪」ではなく、元々「右に出る者がいない」連中、一般的にはあまり愛されない連中の凄まじくも美しいこの物語を私はすごく気に入ったのである。ちなみに彼らをこの上なく獰猛だが、意味もなく人や動物を襲うことはなく、「巣を守る」ために攻撃するそうである。「巣」には近づかないこと(特に新女王候補の産卵期)、万が一頭に乗っかられてしまったら、払ったり潰そうとせずに念仏でも唱えながら「じっと去るのを待つ」のが正しい対処のようだが、私に小夏師匠のような度胸があるようにはとても思えない。。。