超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

趣味と嗜みの境界線

2015-05-16 06:09:22 | ホビー
今年の3月に昨年まで私が勤務していた台場のオフィスの一部門が移転して新組織となり、連休の合間に見学がてら近況を伺いに赴くこととなった。私はわずか1年の在任だったが、経験的に「変わりバナ」というのは何か厄災を「持って来てしまう」もので、主に天候に起因するトラブル多発で、野球にしてみたら毎回フォアボールとエラーでランナーを2塁に背負うような苦しいピッチングが続いた。現組織はすっかり様変わりして当時のメンバと新メンバは半々くらいだが、皆どこかでご一緒しているもので、快く訪問に応じてくれた。運営状況を示す大型スクリーンも以前はほぼ常時真っ赤なランプが並んでいたが、今は季節的には落ち着いた期間とはいえ平和そのものだった。「オールグリーンかよ、羨ましいなあー・・・」思わずつぶやきが口に出て、当時を知る者は皆苦笑していたものだ。終業後は新たに責任者として赴任したタッチさん(仮称)を交え、私の好物のエキストラコールドを飲み放題にして席を設けてくれた。(ちなみにだいぶ編成が変わっているのでタッチさんは私の後任には当たらない)

セッシーやジュンちゃんをはじめ、その場に居合わせた者は奇しくも「カワハギ船」仲間だった。私はいつもジュンちゃんから竿や道具を借りるのだが、彼は釣り全般を趣味にしているようで、本業は「ヘラブナ」だそうである。聞いたことはあるが、それはそれはディープで高尚な世界で、専用の竿やウキだけでも何十万もする名作があるらしい。セッシーは「食える獲物」を船で狙う専門のようだが、ジュンちゃんは奥方のそれこそエクストラコールドな視線にもめげず、県内にはほとんど釣り場所がないというヘラブナを求めて遠出を繰り返すようだ。当日の気温、水温や釣り場周辺の環境により、エサの練り方やタナ(水面のウキからエサまでの深さ)の取り方を考え、「魚の身になって」ポイントを巡ったあげく、「こうすれば釣れるはず」と仕掛けた通りに食いついてきた時の快感は何事にも代えられないそうだ。

そういう話は何度か聞いたことがあって私はうんうん唸っていたが、突然ジュンちゃんは隣で話を聞くヌーさん(仮称)に話を振った。私とは1,2度くらいしか面識のないヌーさんを指差して「この人、バス釣りのチャンピオンなったことあるんですよ。すごいでしょ!」うーむ。。。専門誌が多数あって、プロと言われる人もおり、世界大会も開かれるという「バス釣り」の世界でチャンピオンとは?!どちらかというとスポーツ的要素の強いバスフィッシングだが、ヘラブナと同じように自然と対話し、何十種類ものルアーで水面近く、あるいは底の方、あらゆる技術で動きを操り、どこのポイントでどのように誘えば食いついてくるか、丹念に探り続けるそうである。ヌーさんとジュンちゃんは話題が一気にヒートアップしていき、途切れることがなかったが、二人が何年もかかって習得した共通の技は「どこに魚がいて、どうすれば釣れるか何となく分かる」というものだった。それこそ「空気を読む」ような感じだという。

私の周囲には何となく「置いてけぼり」の雰囲気があったが、ここにはっきり「ただ嗜む人」と「趣味として持つ人」の境界線を感じ取ったのである。私はヘラやバスをほとんど経験がないが、「釣り」に関しては数十年嗜んできた。土地の人からポイントの情報を仕入れたりするし、先般のGW行楽のように偵察に足を運ぶこともある。その場に適した釣り方や釣りモノ用の道具の準備するし、かなり広範囲でポイント経験があってそれなりの成果もあったが、「釣れるまであの手この手で1日中仕掛け続ける」ようなことはなく、何となくダメそうだとさっさと諦めて違うことに走る、どこか「片手間」感が拭えないのである。海で言えば潮の流れや満ち引き、魚の活性などを観察して「こうすれば?」という創意工夫をあまりしない。恐らく「空振り」も含めて何十何百という「足掻き」を経験し、初めて「何となく分かる」境地に立てるのであろう。3度の飯よりも釣りが好きという、腰越の●アジのマスターが「あの場所釣れてますよ」というところに行って釣れたことがない理由が分かったような気がする。執念が足りないのである。

こうした話の中にタッチさんが乗り込んできた。彼は今何とグンマに住まい、GW後半には彼に言わせれば「グンマの海」であるところの新潟、柏崎に釣りに出かけるというのである。私同様、防波堤など港湾施設からの海釣りだそうだが、我が家周辺のように魚がスレて(=人間に警戒心をもって)いないので、たいそうよく釣れるそうだ。つい先日は栃木の山奥にも足を運んだという。「山奥?タッチさんは渓流釣りの方なんですか?」私が軽く振ると「待ってました!」とばかりに「実はオレ、ホントの趣味は『ムシ』なんですよ」と目を輝かせた。これにはジュンちゃんもヌーさんも新鮮に感じたようだ。「今の季節は蝶が中心なんですけどね。夏になると甲虫類、水棲の虫なんかも飼育します。この前なんか、2ヶ月くらいかかってようやく『タガメ』をGETしたんですよ」「へっ?タガメ?あの黒いカマみたいな腕を持った怖いヤツ?」「今はねえ、水田とかから姿を消しちゃってるんですよ。外来種の影響もあってね」

グンマの彼に自宅には「虫の館」が設営してあり、大クワガタなど飼育している甲虫類やタガメなどの水槽、そしてコレクションとして夏休みの自由研究でお馴染み昆虫標本なども多数あるらしい。私も以前、甘辛が合宿で捕まえてきたカブトムシを水槽に入れ夏を越して卵を産ませ、何代(何年)か飼育していたことがある。ある夜、水槽の金網を持ち上げてメスのカブトムシが逃げてしまい、「ぶーん、ぶーん・・・」と響く不気味な羽音に妻が発狂し、家中で大捜索したことがあった。タッチさんに言わせると何世代も卵を孵化させて昆虫を飼育したければ、絶対的に大事なのは「タンパク質」であるという。「クワガタやカブトは木の蜜を吸っているイメージが強いから、スイカとかゼリーとかやってればいいと思うでしょ?でも糖分だけじゃ卵は育たないんです。昆虫ゼリーなんか、その辺で売ってるヤツは糖分だけなんですよ。食べると単にどろっと甘いだけでね。自分が生きるにはいいけどね」ジュンちゃんは驚いて「こっ、昆虫ゼリー食べたことあるんですか?」彼は甲虫専門店で「高タンパクゼリー」を購入し自分で食べて確かめるという。「(オレも昆虫ゼリーは食ったことはあるんだ。伊豆で・・・)」と心中つぶやいたが、黙っていた。

「じゃあ、オオクワガタなんか飼育する時はローヤルゼリーだな。人間様よりも贅沢じゃんか・・・」私は以前読んだオオスズメバチの「マリア」がハンターとして狩りを続け、ひたすらに新女王バチ幼虫たちに獲物の肉ダンゴ=タンパク質を与えていたことを思い出した。タガメやゲンゴロウは水棲生物として人気があるが、環境変化や薬品などに弱いため飼育には非常に気を使うそうだ。取り換える水は汲み置きし、生食なので小さい金魚やコオロギなどをエサにする。ちょっと抵抗あるんだなー。人間の勝手な見た目好みだが、「みなしごハッチ」で言えば、間違いなく仲間と悪役が逆になるはずなんだが、飼育する気の人にとっては、金魚が瞬殺されるのを見ても可哀そうとは思わないそうだ。私もかつてはカブトムシの他に息子甘辛の捕まえてきたカメやクチボソ、テナガエビ、ザリガニなど色んな生き物を飼育してきた。釣ってきたハゼやシタビラメ、極め付きはウナギのウナ吉など、キャリアだけ言えば中々のものだが、ここでも「嗜む者と趣味とする者」の大きな壁を感じるのである。

「趣味の域に達しているな」と感じる人はすべからく、たくさんの失敗を繰り返し長い暗黒のトンネルを経験している。タッチさんご自身も例えばメダカと一緒の水槽に肉食のタガメを入れて、わずか1日でメダカは絶滅、またそのタガメは水道水の塩素に弱く、取り換える水の汲み置きをサボったら全滅・・・手間暇費用を惜しまずに、失敗してもめげないのが続けるコツだという。「嗜み」と「趣味」の間には今まで自分では気が付かなかった大きな「壁」があるように感じられた。その場に居合わせた人たちが共通に持つ「リスペクトされる趣味人」の条件は・・・時間や費用を惜しまないという当たり前のこと以外に彼らの語り口をまとめてみると・・・

� 身近な家族、下手すりゃ自分にさえも何の「実利」をもたらさないこと。
ここで言う実利とは「食べて美味しい」とか「鑑賞して楽しむ」、「売ればお小遣いになる」といった類である。釣ったブラックバスはリリースせずに食べてしまえば、社会的には外来種減少に貢献する、というのは「邪道」とされた。無駄であればあるほど、「へーえ、面白いね」という他人の興味を引きやすい。
� 家族(特に奥方)のエクストラコールドな視線があること
結構自虐的だが、趣味人には意外と大事なファクターらしい。ジュンちゃんも「『カワハギならいつでも行って』と歓迎されるんですけどねえ」と苦笑していたが、タッチさんなどは奥さんの冷たい視線をむしろ「励み」にしているフシがある。「もう、あれらは諦めてますよ・・・」というのが、合言葉らしい。
� 長い暗黒トンネルを抜けてまとったオーラがあること
数えきれない失敗とそれに倍する試行錯誤、悪戦苦闘の末に「魚がいる」とか「虫が獲れる」などという常人では出たとこ勝負となってしまう現象が「何となく分かる」らしい。

そんなことを考えていくと、自分は色々な事に手を出してはいるが、「趣味の域」に達しているモノは何一つないことが思い知らされた。釣りの世界は一番壁を感じるところだし、カメラも好きだが単なる散歩のついでで対象物があるわけでもなし、綺麗に撮ろうともしない・・・天体観察が結構「趣味に近い」と思うのだが、天文イベントがあると時々思い出したように望遠鏡を引っ張り出すだけで、何にもまして優先するというほどでもない。ミニ菜園を作ってはみたが、「三河のにら繁殖」の成功に留まっている。ちなみにウルトラの世界はもはや「趣味」ではなく「反射」に近い。スポーツに視線を転じてみても、テニス、フットサル、野球、ビーチバレー、ゴルフなど「誘われると喜んでやる」レベルでしかないし、サーフィン、スケートボードは近所に行って帰ってくるだけ、最近妻がハマりだしたのはいいことだが「スカッシュ」は今だにレンタルラケット、マラソンも記念Tシャツと話題作りに年に数回出場するだけなので「ランナー」とは言えまい・・・

色々手広く「嗜む」割には何をやっても中途半端というのが、自分がここでも書いてきた特徴だが、世の中には裾野を広げる役回りもいるものだ。息子甘辛は私とは真逆で始めて10年余り(まだ10年か・・・)サッカー一直線だが、先日、高校の体育&球技祭で「ハンドボール競技」に登場し、周囲もびっくりするような華麗なプレーをして見せた。「本職よりこっち(ハンド)の方がいいプレーしてたんじゃねえか?」と冷やかすと、「去年決勝で負けたのが悔しくて、体育の時間にこの練習ばっかしてたんだよ」どうも自分で競技を選んで、練習のカリキュラムを作るスタイルらしいのである。彼らの年代は「趣味」というよりは身体能力と知性を開花させるのがまずは先決だから、色々なことに手を出してもらいたいと思う。趣味と嗜みの境界線を知るのはもう少し先になろうが、「中野」な世界はぜひ「嗜み」レベルに留めてほしいものである。ちなみに写真はグランドの向こう側に見えた「見ると幸せになれる」と聞くドクターイエローだと思うのだが、甘辛に言わせると「年中通過するのでもはやありがたくもない・・・