サーフボードでもスケートボードでもない。。。「プラモな世界」編で最後に書いたが私にとってはプラモデルと同様、ゲームの世界も歴史が長い。それも大きく分けて「古来から専用の盤の上でコマを動かす「ボードゲーム」と電子デバイスを使った「テレビゲーム」の2系統がある。今でこそゲームと言えばバーチャルものが主流だが、その昔から我が家では何やら家族でのゲームが盛んでたくさんのボードゲームを楽しんできた。のんきな母は何をやっても弱かったが、父親は自らを「勝負師」(笑っちゃうけど)と名乗るくらいにゲームが好きだったからその影響を受けたのか私も幼い頃から色んなゲームで競うことが大好きだった。最初は古来からの路線でトランプ、花札、将棋、五目並べ、ダイスに至り、最後は麻雀に落ち着いた。大人になってからも麻雀を囲むことは多く、さすがにその腕は似たようなレベルとなったが、他のものは家族で同レベルでもあったが、将棋だけは滅茶苦茶に強く父親に本気を出されたら一度も勝った記憶がない。飛車角落としどころか、歩3つだけ持った裸の王様にも平気で負けた。段持ちのプロにも渡りあえる自信があったらしく、休みの日に昼間はいつもNHK教育テレビの将棋番組を見ていた。私は子供心に「勝てない」のは面白くないので、将棋に関しては「回り将棋」や「はさみ将棋」、「将棋崩し」ばかりやっていた。
小学生になって雨の日は家に友達読んで遊ぶこともあるようになった。この頃からエポック社などから専用のボードやアイテムを使ったゲームが次々に登場し、誕生日やクリスマスのたびに買ってもらっていた。プラモデルや望遠鏡などの類はこずかいをためて買ったが、ゲームは「家族で遊べるから」とプレゼントに買ってもらうことが多かったのだ。友達とは魚雷戦ゲームやニューレーダー作戦ゲーム(実はこの二つは紛らわしかった)を飽くことなく遊んでいた。また野球盤は一番小型のCM盤しかなかったのだが、小学校中学年で野球を始めた頃にやたらクラスで流行った。オリジナル技は直球、カーブ、シュートそして「消える魔球」で、ランナー人形を塁に刺し、野手人形のいる溝に入ったらアウト、フェンスにも溝があり塁打が決まっている。最近の野球盤もこの基本構造は変わっていないようだから懐かしく面白い。私達子供はこの基本機能を様々に改造して色んな技を出し合うのを常としていた。(今の子供はそういう遊び方するのかな)例えば投球について「巨人の星」の影響を受けて、超剛速球、チェンジアップ、スローボールにカーブを加えた「魔送球」、さらに私が編み出した「大リーグボール3号」(ヒント:消える魔球を応用する)などがあった。
家族盤としては「億万長者ゲーム」が主体だった。我が家では「山あり谷あり」の人生ゲームよりも健全で経済好きの父親好みだったらしい。ボロボロになるまで使い込み、いよいよ卒業して次に登場したのが誰も知らないかもしれない超マイナーボードゲーム「ペトロポリス」である。今から言うと「モノポリー」の油田版で億万長者ゲームよりははるかに大人向けで高度なものだった。コマは全て金属性(さすがに銀ではないと思う)だでズシリと重く、何せ「世界銀行」が登場するのである。(ホントにあるものだと中学の公民で知った)テレックスカードに書いてあった文字も子供では意味不明の言葉が多かった。「カイウンスト ソンキンP$50000シハラワレタシ」ペトロダラーというありそうでない通貨(ビットコインの走りではないよな)が使用される。箱もアラビアめいた大人っぽいものだったが、今考えると怪しげだった。石油採掘権などをテーマにしたハイレベルのビジネスゲームのようだったが、私の記憶では実はこのゲーム、「サウジアラビアとイランを制したものが必ず勝つ」という実に奥の浅いものだった。
さて麻雀を除いてはトラディショナルなゲームから一旦離れて(つまり家族であまりやらなくなった)から、登場したテレビゲーム機はゴジラシリーズにキングギドラが出現したくらいに衝撃的だった。以前から駄菓子屋やデパートの屋上などに「ブロック崩し」や「テニスゲーム」などのようなテレビ画面でプレイするゲームはあったが、家庭で好きなだけそれができるなど思ってもみなかった。ベータマックスに「読み違え」たが比較的新しいものを揃えるのが早かった我が家には任天堂の「テレビゲーム6」という白黒のマシンがあった。確かテニス(シングル&ダブルス)、バレーボール、卓球、スカッシュ、一人練習などができたと思う。今のようにコントローラーを持ってプレイするのではなく、本体についているダイヤルを回して画面のレバーを操作した。当時はかなり画期的なゲーム機で夢中になって遊んだが、意外にも飽きるのが早かった。
そのうちシューティングゲーム系の画面のきれいなテレビゲームが現れ、「スペースインベーダー」の登場となった。喫茶店や当時はほとんど無かったゲームセンターに置かれ、社会現象にもなったが中学生だった我々は一部を除いて遊ぶことは無かった。これにハマると当時「不良の溜り場」とされた喫茶店やゲーセンに入り浸ることになる「悪魔のゲーム」とされてしまったのである。グループで部活引退後グループで鎌倉かどこかに遊びに行った帰りに隠れて遊んだ以外にインベーダーの記憶がない。。。その後「ギャラクシアン」というゲームになりさらに進化して行ったが、そもそ中高は部活で忙しくゲーセンなるものにあまり興味が無かった私はほとんど上達することがなかった。当時はものすごい猛者がいて、何十万点とかたたき出し、テレビに出演した者もいたようだったが・・・私は「サーフィン」「バンド」「ゲーセン」を好む者は「不良」という当時のPTA神話を忠実に信じる、実に健全な青少年だったのである。
しかし大学生となって時間が有り余ると一時的に体育会系スポーツからは遠ざかりバブル全盛の文化に染まってゆくが、夜な夜な遊びまわるほど財力があるわけでもなし、不健康に家で深夜まで座り込む回数が増えていった。「テレビゲーム6」同様任天堂のファミリーコンピューターの登場である。シューティング系の積み重ねがほとんどなく、マリオやドラクエなどRPGにも興味を覚えなかった私が唯一ハマったのが「シミュレーションゲーム」の類である。当時、読書としては歴史物しか読まなかった私が選んだのはむろん「信長の野望」だ。何種類かあったうちの結構簡単な方で大将の資質や両国の経営、軍隊の調練などあまり細々とコマンドしなくてもどんどん進めることができた。登場人物もそのパワーレベル(ゲーム用語?)もほぼ頭に入っていたが、だから戦国武将の気分になったかと言うとそんな単純なものではなく、「全国版」というのが大人気となったが手を出すには至らなかった。続いて始めたのがお馴染み「三国志」だが、こちらのほうは登場人物が格段に多くしかも似たような漢字の地名や氏名(当たり前か?!)ばかりで紛らわしく、スケールが広大過ぎていつどこで何をしているか分からなくなってしまい挫折の憂き目をおった。
私が次に始めたファミコンソフトのゲームが人生で最もハマったもので、「ファミコンウォーズ」という。きっかけは何のことは無い、CMがすごく印象的だったことなのだが、たまたま中古ショップで説明書なしですごく安く買えたのだ。覚えてるだろうか?米国海兵隊が隊列を組んで走っている・・・
「ファミコンウォーズが出るぞー(ファミコンウォーズが出るぞー)」
「こいつはドえらいシミュレーション(こいつはドエラいシミュレーション)」
「のめり込める!(のめり込める)のめり込める!(のめり込める)」
「母ちゃんたちには内緒だぞー」
暇な大学生だった私は「母ちゃん公認」で、今から考えるとずいぶん単純なこのウォーシミュレーションゲームに夢中になり、最長35時間連続無休憩で即身仏のようにコントローラを操作し続け、母親を気味悪がらせた。何せ朝から翌日の晩まで猫背のあぐら姿でテレビの前に食いついているのである。
幼い頃から色んなスタイルのゲームに親しんだが、数々のスポーツや模型作り他ホビーの世界に比べ、今の私に何かの糧となっているものはほとんどない。唯一ファミコンウォーズを通じて自分の性格や傾向に少しだけ目を向けることはできた。周囲の細かい情勢に目を配り、個々に必要な事象に的確に対応するのが苦手なこと(大雑把で人任せが多い)、敵と戦う時は圧倒的な戦力で洪水のように押し流す(知恵と工夫よりも力技を重んじる)、辛抱強く情勢の変化を待つことができない(物事のタイミングをあまり考えずに一気呵成に行ってしまう)
時々思い出したように「ゲーム」というと何か教育的な問題を指摘する声をPTAや学校側などの人から聞いたものだ。軍人将棋や魚雷戦ゲームなどは戦争を肯定するようでよくない、人生ゲームで最後に子供を売るのは人身売買、億万長者ゲームは守銭奴の養成、シューティングゲームは好戦的な人間性を作るとか・・・いい若い者が働きもせずに不健康だとか、一人遊びだからコミュニケーション力を阻害するとかえらくひどい言われ様である。まあ、それほど邪険にしたものでもないと思う。
かくいう我が家も不思議なもので、甘辛の幼い時から家3人ボードゲームでよく遊んでいた。とっとこハム太郎ゲーム、ゲーム7(オセロなどメジャーなボードゲームが7種類)、サッカーチェス、そしてモノポリーである。幼稚園くらいから「サンタのプレゼント」がボードゲームなことが続いたのである。例の「父ちゃんが事前にサンタから受け取ってクリスマスまで隠してるんだろ」という迷推理を生んだのもゲームである。かなりやり込んでボロボロになってしまい、今では二つくらしか残っていない。
ちなみに我が家が大きな期待とともに購入したwiiとwiiフィットだが、意外にも全くと言っていいほど流行らず、田舎の家のルームランナーやぶら下がり健康器と同じ運命を辿っている。。。テニス、ボーリング、ダンス、ヨガ、スキー・・・幅広く何でも家庭で楽しめるが、どう考えても「部屋でやるくらいなら、本物を外でやるさ」となってしまうのである。TDLでゴーカートには決して乗らないのと同じ心境か。(本物を何時間も運転してきたのに、何が悲しくて園内でまで運転?!)
甘辛もやがて世代的にはポータブルゲーム(機)全盛期に入り、高校生にもなって飽くことなく向かっているのを見て妻は心配している。天気のよい日でもオフになるとずーっとリビングで寝っ転がってPSPを睨みつけている。私には決してできないころだが、考えてみれば彼らは休みを待たずとも毎日お日様の下ではしり回っているのである。我々とは逆にたまにはまったりゲームで癒されたい・・・とのたまっている。まあ何かを養うことはそもそもあまりないのがゲームだから、いずれ「大して役にも立たぬ」ことに気付いて自分から離れてしまうような気がするのだ。
小学生になって雨の日は家に友達読んで遊ぶこともあるようになった。この頃からエポック社などから専用のボードやアイテムを使ったゲームが次々に登場し、誕生日やクリスマスのたびに買ってもらっていた。プラモデルや望遠鏡などの類はこずかいをためて買ったが、ゲームは「家族で遊べるから」とプレゼントに買ってもらうことが多かったのだ。友達とは魚雷戦ゲームやニューレーダー作戦ゲーム(実はこの二つは紛らわしかった)を飽くことなく遊んでいた。また野球盤は一番小型のCM盤しかなかったのだが、小学校中学年で野球を始めた頃にやたらクラスで流行った。オリジナル技は直球、カーブ、シュートそして「消える魔球」で、ランナー人形を塁に刺し、野手人形のいる溝に入ったらアウト、フェンスにも溝があり塁打が決まっている。最近の野球盤もこの基本構造は変わっていないようだから懐かしく面白い。私達子供はこの基本機能を様々に改造して色んな技を出し合うのを常としていた。(今の子供はそういう遊び方するのかな)例えば投球について「巨人の星」の影響を受けて、超剛速球、チェンジアップ、スローボールにカーブを加えた「魔送球」、さらに私が編み出した「大リーグボール3号」(ヒント:消える魔球を応用する)などがあった。
家族盤としては「億万長者ゲーム」が主体だった。我が家では「山あり谷あり」の人生ゲームよりも健全で経済好きの父親好みだったらしい。ボロボロになるまで使い込み、いよいよ卒業して次に登場したのが誰も知らないかもしれない超マイナーボードゲーム「ペトロポリス」である。今から言うと「モノポリー」の油田版で億万長者ゲームよりははるかに大人向けで高度なものだった。コマは全て金属性(さすがに銀ではないと思う)だでズシリと重く、何せ「世界銀行」が登場するのである。(ホントにあるものだと中学の公民で知った)テレックスカードに書いてあった文字も子供では意味不明の言葉が多かった。「カイウンスト ソンキンP$50000シハラワレタシ」ペトロダラーというありそうでない通貨(ビットコインの走りではないよな)が使用される。箱もアラビアめいた大人っぽいものだったが、今考えると怪しげだった。石油採掘権などをテーマにしたハイレベルのビジネスゲームのようだったが、私の記憶では実はこのゲーム、「サウジアラビアとイランを制したものが必ず勝つ」という実に奥の浅いものだった。
さて麻雀を除いてはトラディショナルなゲームから一旦離れて(つまり家族であまりやらなくなった)から、登場したテレビゲーム機はゴジラシリーズにキングギドラが出現したくらいに衝撃的だった。以前から駄菓子屋やデパートの屋上などに「ブロック崩し」や「テニスゲーム」などのようなテレビ画面でプレイするゲームはあったが、家庭で好きなだけそれができるなど思ってもみなかった。ベータマックスに「読み違え」たが比較的新しいものを揃えるのが早かった我が家には任天堂の「テレビゲーム6」という白黒のマシンがあった。確かテニス(シングル&ダブルス)、バレーボール、卓球、スカッシュ、一人練習などができたと思う。今のようにコントローラーを持ってプレイするのではなく、本体についているダイヤルを回して画面のレバーを操作した。当時はかなり画期的なゲーム機で夢中になって遊んだが、意外にも飽きるのが早かった。
そのうちシューティングゲーム系の画面のきれいなテレビゲームが現れ、「スペースインベーダー」の登場となった。喫茶店や当時はほとんど無かったゲームセンターに置かれ、社会現象にもなったが中学生だった我々は一部を除いて遊ぶことは無かった。これにハマると当時「不良の溜り場」とされた喫茶店やゲーセンに入り浸ることになる「悪魔のゲーム」とされてしまったのである。グループで部活引退後グループで鎌倉かどこかに遊びに行った帰りに隠れて遊んだ以外にインベーダーの記憶がない。。。その後「ギャラクシアン」というゲームになりさらに進化して行ったが、そもそ中高は部活で忙しくゲーセンなるものにあまり興味が無かった私はほとんど上達することがなかった。当時はものすごい猛者がいて、何十万点とかたたき出し、テレビに出演した者もいたようだったが・・・私は「サーフィン」「バンド」「ゲーセン」を好む者は「不良」という当時のPTA神話を忠実に信じる、実に健全な青少年だったのである。
しかし大学生となって時間が有り余ると一時的に体育会系スポーツからは遠ざかりバブル全盛の文化に染まってゆくが、夜な夜な遊びまわるほど財力があるわけでもなし、不健康に家で深夜まで座り込む回数が増えていった。「テレビゲーム6」同様任天堂のファミリーコンピューターの登場である。シューティング系の積み重ねがほとんどなく、マリオやドラクエなどRPGにも興味を覚えなかった私が唯一ハマったのが「シミュレーションゲーム」の類である。当時、読書としては歴史物しか読まなかった私が選んだのはむろん「信長の野望」だ。何種類かあったうちの結構簡単な方で大将の資質や両国の経営、軍隊の調練などあまり細々とコマンドしなくてもどんどん進めることができた。登場人物もそのパワーレベル(ゲーム用語?)もほぼ頭に入っていたが、だから戦国武将の気分になったかと言うとそんな単純なものではなく、「全国版」というのが大人気となったが手を出すには至らなかった。続いて始めたのがお馴染み「三国志」だが、こちらのほうは登場人物が格段に多くしかも似たような漢字の地名や氏名(当たり前か?!)ばかりで紛らわしく、スケールが広大過ぎていつどこで何をしているか分からなくなってしまい挫折の憂き目をおった。
私が次に始めたファミコンソフトのゲームが人生で最もハマったもので、「ファミコンウォーズ」という。きっかけは何のことは無い、CMがすごく印象的だったことなのだが、たまたま中古ショップで説明書なしですごく安く買えたのだ。覚えてるだろうか?米国海兵隊が隊列を組んで走っている・・・
「ファミコンウォーズが出るぞー(ファミコンウォーズが出るぞー)」
「こいつはドえらいシミュレーション(こいつはドエラいシミュレーション)」
「のめり込める!(のめり込める)のめり込める!(のめり込める)」
「母ちゃんたちには内緒だぞー」
暇な大学生だった私は「母ちゃん公認」で、今から考えるとずいぶん単純なこのウォーシミュレーションゲームに夢中になり、最長35時間連続無休憩で即身仏のようにコントローラを操作し続け、母親を気味悪がらせた。何せ朝から翌日の晩まで猫背のあぐら姿でテレビの前に食いついているのである。
幼い頃から色んなスタイルのゲームに親しんだが、数々のスポーツや模型作り他ホビーの世界に比べ、今の私に何かの糧となっているものはほとんどない。唯一ファミコンウォーズを通じて自分の性格や傾向に少しだけ目を向けることはできた。周囲の細かい情勢に目を配り、個々に必要な事象に的確に対応するのが苦手なこと(大雑把で人任せが多い)、敵と戦う時は圧倒的な戦力で洪水のように押し流す(知恵と工夫よりも力技を重んじる)、辛抱強く情勢の変化を待つことができない(物事のタイミングをあまり考えずに一気呵成に行ってしまう)
時々思い出したように「ゲーム」というと何か教育的な問題を指摘する声をPTAや学校側などの人から聞いたものだ。軍人将棋や魚雷戦ゲームなどは戦争を肯定するようでよくない、人生ゲームで最後に子供を売るのは人身売買、億万長者ゲームは守銭奴の養成、シューティングゲームは好戦的な人間性を作るとか・・・いい若い者が働きもせずに不健康だとか、一人遊びだからコミュニケーション力を阻害するとかえらくひどい言われ様である。まあ、それほど邪険にしたものでもないと思う。
かくいう我が家も不思議なもので、甘辛の幼い時から家3人ボードゲームでよく遊んでいた。とっとこハム太郎ゲーム、ゲーム7(オセロなどメジャーなボードゲームが7種類)、サッカーチェス、そしてモノポリーである。幼稚園くらいから「サンタのプレゼント」がボードゲームなことが続いたのである。例の「父ちゃんが事前にサンタから受け取ってクリスマスまで隠してるんだろ」という迷推理を生んだのもゲームである。かなりやり込んでボロボロになってしまい、今では二つくらしか残っていない。
ちなみに我が家が大きな期待とともに購入したwiiとwiiフィットだが、意外にも全くと言っていいほど流行らず、田舎の家のルームランナーやぶら下がり健康器と同じ運命を辿っている。。。テニス、ボーリング、ダンス、ヨガ、スキー・・・幅広く何でも家庭で楽しめるが、どう考えても「部屋でやるくらいなら、本物を外でやるさ」となってしまうのである。TDLでゴーカートには決して乗らないのと同じ心境か。(本物を何時間も運転してきたのに、何が悲しくて園内でまで運転?!)
甘辛もやがて世代的にはポータブルゲーム(機)全盛期に入り、高校生にもなって飽くことなく向かっているのを見て妻は心配している。天気のよい日でもオフになるとずーっとリビングで寝っ転がってPSPを睨みつけている。私には決してできないころだが、考えてみれば彼らは休みを待たずとも毎日お日様の下ではしり回っているのである。我々とは逆にたまにはまったりゲームで癒されたい・・・とのたまっている。まあ何かを養うことはそもそもあまりないのがゲームだから、いずれ「大して役にも立たぬ」ことに気付いて自分から離れてしまうような気がするのだ。