超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

野球型vsサッカー型

2012-04-25 15:35:17 | 職場
今頃は新社会人が集合研修を終えて最初に現場にやってくる季節だ。2012年も昨年と同じくらいのルーキーズがやってきた。いつも何かしゃべらされるので昨年みたいに思いつきではなく、世にある「新入社員向け講話」をパクってカッコよく決めようなどとずるがしこく考え色々見ていると、お隣の県にいる同輩の講話は締めが実にカッコ良かった。。。
“The best way to predict the future is to create it”
ただ精神に訴えるだけでなく、どこか合理的かつ知的な香りがするのが「理系」の私にはきりりと響いた・・・

ネット検索してみると(いやー我ながらあざとい)世に名のある人はすべからく「いいこと」をお話しされているが、正直どれもピンとくるものがなかったので、結局昨年と「似たような」話をした。「これまで身に付けた武器はたぶん役に立たないから勇気を持って一旦捨てろ」「消費者マインドを持ち込まず『雪かき仕事』を惜しまず行うこと」「『適性・適職』などとは都市伝説である。やっている仕事を天職にすること」
自分の華麗なる「たらい回し」&「結果オーライ」のインデックスと「地頭の体操」などを織り交ぜて結局のところ相変わらず思いつきでしゃべった。

詳しいところはここではしないが、ネット上の「社員研修」などで比較的多かったのが「野球型vsサッカー型論」である。私も直接講話されたことはないが、著書やブログなどで目にしたことはある。私は野球もサッカーも経験が多少なりともあるから、スポーツとして見るのもやるのも大好きだ。(自分でやる方はさすがに「ぎりぎり」ね)しかし、ことビジネス・組織論になると「野球型」が圧倒的に不利なことにどうにも違和感を感じる。一見もっともらしく聞こえるが「何を言ってやがる」と思うときも正直ある。ほぼ全てのサイトで言っていることは同じである。

「野球型」は・・・
上意下達型、絶えず監督の指示で動き自分で考えるより、上司に言われたことを忠実に処理するスタイル。役割分担が明確に決まっていて他のプレーヤーのテリトリーは侵さない。場面が固定化されていて断片的なシーンが多く戦略より戦術が重視される。プレーそのものは個人だが、個は完全に組織に従属している。
一方「サッカー型」は・・・
試合前に監督の指示を聞いたら後はすべて自分で考えてプレーする。自分のプレーにいちいち指示されることはなく、役割分担もシチュエーションによって異なっていく。場面は目まぐるしく変化して行き、常に流動的である。個人の戦術よりもチームとしての戦略が比較的重視されるが、プレーする個人の主体性が強く現れる。

いかがであろうか?およそ仕事をしている人なら上記から「何が言いたいのか」明らかだろう。ほぼ全てのコメントが「これからのビジネススタイルは野球型からサッカー型へ変わらなければならない。日本は野球型で躍進してきたが、今はもうダメだ。激しく時代が変化し創造力が求められる現代、そして指揮官が不在でも一人ひとりが主体的に責任を全うできる危機対応には『サッカー型』がビジネスには適している」
10年前はなるほどど一時的に納得したが、まるで野球型のおじさんは「時代遅れ」とでも言わんばかり・・・ずいぶん乱暴な差別だと思う。

むろんそんな講話を新入社員にはしなかったが、私が敢えてこの手の話をするとしたら、たぶん正反対の「求める人材をどちらかと問われれば間違いなく『野球型』です」と申し上げる。別に「指揮官の指示に忠実な部下であって欲しいから」なんてことは全然ない。サッカーのスタイルだけ見て「これからの時代は・・・」なんて嬉しそうに講釈するのはいかにも安易に感じるからだ。(少しへそ曲がりも入っているが)
まずサッカーは常に「何となく」動いているように見えるが、人間45分間全速力で走るのは無理なので、大半の選手は歩いて(つまりサボって)いる。これは自分がサッカーをやっていたからよく分かる。
また状況によって臨機応変に役割分担が変わる、ということは言い換えれば「誰も責任を取らなくてよい」。そして世の中の流れは次の瞬間ホントに何が起こるか予測もつかないほどではなく、場面変化はむしろ野球のほうがマッチしているように思う。

ここからは野球賛美編だが、何よりも野球は「この一球は絶対無二の一球なり!」という緊張感と集中力を感じる。そしてあきらめない強靭なスタイルで可能性を見出せる。なぜならタイムアップ1分前に1:10で負けていたら、逆転するのは物理的に不可能だが、9回裏に10点差で負けていてもひっくり返すことは可能だからだ。またキーパーと投手を除けば、サッカーよりも野球のオールラウンドプレイヤーの方が貴重だ。それぞれ必要とされる能力の違いが大きく複数身につけるのは大変だからである。
そしてより「練習から実戦が遠い」のが野球だと思う。サッカーは蹴って走れば何をやっても実戦に通じる練習である。しかしファーストは試合では50m5.5秒で走る必要もないし、外野手は2000メートルを6分で走る必要もない。重戦車のように敵陣を突破するシーンなんて野球の試合ではないのに、選手はタイヤをつけて繰り返し走り続ける。直接役に立たなそうなことを地味に続けられる選手が社会では確実に強い。

責任感が強く集中力があって、すぐには現れない努力を惜しまずに、不利な状況でも諦めずに土壇場で逆転してみせる。定説とは真逆だが2アウトから頑張れるビジネス・組織が「野球型」だと思う。
ところがである。人生に野球用語を加えてたとえると、笑っちゃうほど圧倒的に不利なことが分かる。以下に思いついただけ挙げると・・・
●人生「中継ぎ」:主役でも締め役でもない中途半端なスターになれない役回りなんだよなー。
●人生「送りバント」:大事な役なんだけどイマイチ目立たないし印象も少ない。
●人生「犠牲フライ」:取り合えず打点がつくのは結構だが、自分が「犠牲」になってというのが・・・
●人生「デッドボール」:一度くらいはどこかで大きな怪我はあるかも知れないが、人生そのものというのはつらい
●人生「打撃投手」:これもイマイチ縁の下の力持ちで、結局のところ主戦力になれなかったということか・・・
●人生「万年ベンチ」:入れるだけでも大したもの、という考えもありだが、やはりフィールドに立てないのは・・・
●人生「凡フライ」:もちろん一塁まで全力で走らなければならないしわずかだが望みはあるものの「がっかりさ」は否めない。「インフィールドフライ」という救いのない制度もある。
●人生「ポテンヒット」:意図とは違う苦笑いの結果オーライだが、この中ではかなりいいほうだ。
●人生「ボーンヘッド」:明らかに取り返しがつかないエラーでこれまでの全てがパー。。。
●人生「かくし球」:悪い結果ではないけれど、フェアプレーではないし、相手から無用の恨みを買ってしまうなー。

ここまで10個思いついて、どれも相当厳しいぞ。少しは輝かしいのはないものか?!人生「完全試合」、「ノーヒットノーラン」・・・どちらも「やられた方」のイメージを持ってしまう。人生「フォースアウト」「サードゲッツー」「ホームスチール」・・・だめだこりゃ。。。ネガティブ路線まっしぐら?!
少しでも励みになる例えと言ったら・・・
●人生「ホームラン」:いくら何でもこれだけは「いける」と思うんだが、何となく「一発屋」という気がしたりして・・・
●人生「三冠王」:昔は「飲む」「打つ」「買う」の三冠でぶいぶい言わせた?!
●人生「エンタイトルツーベース」:うーむ、何と言ってよいか。。。結果はよしなんだが、そこはかとなく納得できない。

他にもたくさんあるがキリがないので、最後に極め付け・・・人生コールド負け・・・これだけは絶対いやだ!
日本人に一番親しみが深く、おじさん受けがよくて高度経済成長の立役者と言われてきた「野球型」がいかに冷たく扱われているかがわかる。
私は人も組織も「ゆるい野球型」がいいんじゃないかと思っている。我が組織を支えてきた双璧スティーブは野球部で速球派の投手、先日引退したもう一人の巨匠八兵衛はラグビーで鳴らしていた。この話をしたらスティーブは喜ぶかもしれないが、一般趨勢はかなり不利に向かっている。二人揃ったら「一体どっちがいいんですか?」と聞かれそうな気がする。そうなったら私は迷わず答えるのである。

「両方できるのがいいに決まってんじゃんか」 ・・・・おーっと、観客席からモノが飛んできそうだ。。。