超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

仕事も納まって

2009-12-28 22:56:15 | 職場
今日は仕事納めの日であった。例年、午後からは大掃除が始まって、夕方には買い出しが済み、終業時間の少し前には幹部が挨拶に回ってくる。
乾杯して、めいめいのグループで何やら宴会めいた催しが始まる。
1年で自席で酒を飲む、唯一の日である。どういうワケか私はどんな忘年会よりもこの仕事納め会のダメージが甚大だ。

今年はクリスマスからアルコールを飲む機会が続きに続き、かなりへばり気味だった。
午前中に最後の会議(こんな日でもあるのだ!)を終えると、息子甘辛のチームが県南カップで準決勝に進んでいるとメールが来る。(実は4位リーグなんだけど。。。)
今年最後の試合を応援に行くべし!と決めた私は、昼休み早々に今年の仕事納め欠席を宣言し、皆に挨拶して足早に横須賀に向かったのである。

既に職場には休みに入っている人も多く半分くらいしかいない。
今年は「ウルトラサイダーを探して」だとか「知り合いに歴史上の有名人がいないか」だとか色々意味不明な協力を強いてしまった。。。
このサイトでも第3●次南極越冬隊やJAICAマラウィ派遣団など香ばしい経歴をもつ人を紹介したが、先日の部門忘年会で聞いて回った中でグランプリファイナルは

「美智子皇后陛下とおしゃべりしたことがある」

上で出てきたアニキが海外協力隊の壮行会で経験したそうだ。恐れ多くも「ぜひテニスをやってこようと思います」とかなり外したセリフを言上したんだって。
事前に宮内庁係官から「皇太子の婚期だけは話題にするな」と釘を刺されていたそうだ。そういう時節だったらしい。

「宮沢りえと六本木でチューをしたことがある」

当人は二十歳前後のときだったというが、自分が酔っていたのか、相手が酔って店に入ってきたのか、追求を微妙にかわしていたが、出会い頭の事故と本人は主張する。
職場が六本木にあり、若さに任せて夜の街に繰り出すとすんごいことが起きるものだ。
ちなみに安西マリアとはもっとすごいことがあったらしいが、ついに口を割らなかった。。。

「ひいおばあさんに伊藤博文と御見合いをする話が持ちあがった」

色々聞いて回ったが、ホントに御見合いをしたかどうかはついに不明だそうだ。しかし見合い写真を撮って準備だけはしていたらしい。すごいことだ!当人の意見ではたぶん実現はしなかったということだが、志士として活躍していたであろう伊藤俊輔は長州藩が大変なことになっていたので、見合いどころではなかったのだろうか。。。
しかしひいおばあさんなる方が伊藤俊輔と成婚していたとすれば、そのひ孫であれば彼はしがないサラリーマンではなかったろうにね。

そのときの忘年会会場は新宿歌舞伎町の雑居ビルでいかにも幹事が「ネットで探しましたぁっ」と言うような7Fの食彩居酒屋。。。
やっとの思いで見つけたビルのエレベーターに並ぶと、6Fに「戦艦大和」という名の店名が見えた。

「ねえねえ、ちょっと6Fで降りていいかなー?」

私は香ばしさに我慢ができずに、店を覗いたのだが「ヤマト」の第一艦橋のような構造を期待していたら、何と言う事もなく入口に髪型が面白いお姉さんが二人。。。
「何だよ。名前だけ先行してねえか?!」幾分がっかりして階段を上り7F居酒屋会場へ行き幹事名を告げると、6Fに降りてくださいという。。。
「な、なんと!あの店かよ・・・」別に普通の店だったよ。「大和」を名乗るなら46センチ主砲くらいはないとねえ。。。

写真はその数日後、年寄りたちと連座した忘年会だ。
神楽坂の玄品ふぐ「関門海」という、上司の好みだったようだが、学生の街らしく結構値段はリーズナブルだった。何せ生まれて3回目くらいの「ふぐ尽くし」だぜー。
「ひれ酒」が一人一杯つくのだが、炎によって香りをつける演出が面白い。
年寄りばかりの忘年会だからお笑い話題性には乏しい。最も話術が面白いのは若手役員である上司くらいのものか・・・

一列テーブルの宴会席ではなく、今でも東海道線に3、4両くらいあるBOK席形式で、しかも一人ごとのふぐ尽くしコースだから席を移動しようがない。。。
私は飲み会のときに席を次々に移り渡ってお酒を注ぎに行く習慣がないのに加え、もの珍しい「ふぐ料理」だったので、最後まで同じ席で同じメンバーだけ爆笑ワールドに誘っていた。。。
忘年会なのに同じBOX席の3人としか会話しなかった・・・

「ふぐ」を食いながら、同じ世代だったら「絶対話題にしたよな」という「金八先生」のくだりを思い浮かべていた。
我々はほぼリアルタイムで「顔はやばいよ・・・」を見ていた世代だが、たしかあの話は生徒に受験に臨む心得を説いているときだった。
それは「文化とは『ふぐちり』である」というものである。「金八先生」の中で私が一番好きなくだりだ。

「昔、海辺に男が住んでいた。その男はとてもお腹が空いていたんだろう。拾ってきた奇妙な姿をした魚を頭からバリバリ食べる。そしてその男は魚の猛毒に当たって死んでいく。その魚は『フグ』という魚だった。まわりの人間は皆、笑った。『そんな、得体の知れない魚を食うからだ。あいつはバカだ』と。しかし彼は単なるバカではなかった。。。その証拠に彼は死ぬ前に一言だけ言い残すのだ。『どうもオレはあの魚の皮を食ったのが悪かったらしい』そして別のところに別の男が住んでいて同じことをして・・・・・『どうもオレはあの魚の骨を食ったのが悪かったらしい』・・・そしてまたまた別の男が同じことをして死んでいく。『皮も悪いかもしれない。骨もダメかもしれない。しかしあの魚は内臓がいけないんじゃないか?』・・・」

そして我々はこの「バカ」たちの営々たる努力によって、今「フグ」を安心して食うことができる、と言うのだ。
そして・・「我々は何か次の世代の人たちが幸せになるためのことを残さなければならない。そのためにキミ達は勉強しているのだ」
あの河川敷での「金八先生」の説教は今でも鮮やかに脳裏に甦るのだ。

年末スペシャルは今年マイブームとなった「学ぶこと」に続き「働くこと」(実際の私の労働状況とは直接関係ない「フィクション」です)で〆ることにするか。

つづく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿