超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

体育の日

2009-10-12 19:27:12 | スポーツ・健康
今日は3連休最後の日、「体育の日」だった。
体育の日が10月10日でなくなったのはいつ頃だったろうか。。。私達の年代にとってはどうもハッピーマンデーというのはピンと来ない人が多いのではないか?
私の子供の頃から運動会はもう少し早く、9月中に行われることが多かった。

だいぶ記憶には薄いが「春の小運動会」と「秋の大運動会」があったような気もする。
そして運動会というのは小学校まで、中学以上は体育祭となる。。。
歴史は古いらしいが、小学校は6年あるから私の経験しただけでも運動会って色々変遷してきたようだ。

例えば我々のすぐ次の世代・・・「ゆとり教育」なのか「競争第一主義への抵抗」なのか、各競技に順位をつけず徒競争なんか皆で手をつないでゴールしたときもあったそうだ。
「騎馬戦」は普段の友達を「敵」と呼んだり、怪我人を続出するため中止・・・騎馬リレーやおんぶリレーなどに姿を変えたこともあった。
丁度私の世代は「トラディショナルな運動会」と「中途半端なデモクラシーが入った運動会」の境目あたりだった。
それが理由ではないと思うが、私にとって運動会ってあんまり印象の強いものではなかった。

さて今年は息子甘辛は小学生最後の運動会だ。
学校は私にとってはうれしいことに、6年間10月10日にベタベタの運動会を伝統的に行ってきた。
同じクラスの中でも白組赤組に別れ、あまり共闘意識が出ないのがイマイチなところだが、これまで5年間同じ校長先生が

「さあー先生はどちらを応援すると思いますか?赤組?白組?もちろん両方ですよねー」

といいながらテツ&トモみたいなトレパンを朝礼台の上で脱ぎ出し、最新仮面ライダーW(ダブル)のように赤と白半々の服を披露し、大喝采を浴びるのだ。
残念ながら体調不調を理由に引退され、今年は変わってしまったが、なんと来賓でいらっしゃっていた。
普段(と言うか運動会のときにしか)見ない校長先生だったので、顔にイマイチ自信がなく、妻に

「ねえ、あそこの人、紅白ダブルだった前の校長先生じゃね?」

色んな人に囲まれてたから、たぶんそうなんだろう。今年の校長先生は紅白にならなかったからたぶん前の校長の衣装は自前なんだろな。
ココロなしか今年のほうが「校長先生のお言葉」の後の拍手が少なかったような気がする。「引継ぎ」が不充分だよね。
この学校は毎年「これでもか!」と言うほどベタな競技をやってくれる。

昭和30年代の正しい「運動会」を見ているようだ。騎馬戦なんか「大将戦」までつくからな。
ところで甘辛の学校は一学年で5~6学級、我々とそうは変わらないが、今は子供が減り一学年2学級とか3学級というのが多いらしい。
社宅時代仲良しだったSちゃんの学校も2とか3クラスしかないんだって。

幼稚園の場所取り戦争のように暗いうちから・・・というのも何だが、グランドがガラガラというのも祭としては寂しいものだ。田舎の分校じゃあるまいし。。。
このエリアは子供が減っているなかでも、住むには人気エリアらしくかなりの児童数を誇る藤沢では上位のマンモス市立校だ。

6年間この学校で運動会をやってきた息子甘辛だが、正直言って最後の年はイマイチパッとしなかった。
リレーは補欠にしかなれなかったし、徒競争もまさかの惨敗。。。
応援団で一生懸命太鼓を叩いていた。6年生くらいになるとサッカーやってるからと言って「足の速さも一番」というわけにはなかなかいかないものだな。

我が家も茅ケ崎の実母を呼んで弁当持ち込みの応援だ。今年は特にギャラリーが多かったような気がする。
昼休み、グランドに面したところに教室のある甘辛のクラスメイトたちは、前を通りかかると

「おおーっ、甘辛のパパってあのウルトラマンだろ?すっげえ!」「どれどれー?」

一斉に顔を出してきた。
私は鉄人衣笠がデッドボールをくらったときに投手にやったように手を振ったものだ。。。
あまり有終の美を飾れなかったような気がするが、それでも見ごたえはあった。
192人ピラミッド(写真)なんか生まれて初めて見たぜ。

私は息子甘辛には同じことを言ってきた。「世の中のことは2度繰り返すことはない」
1年生の運動会も3年生も6年も。。。同じことを再びやることはない。「常にこれが最後と思え」
まあ、卒業してしまうと6年間走り回ったこのグランドで運動会することはないので、いつもよりは「意味」が深いとは思うが。
4年生のとき、満を持して臨んだ冬の選手権を1回戦で負けたときも同じことを言った。
サッカーでも何でも、「止めない」限りは何事も通過点に過ぎず「これで終わり」ということはない。

息子はここ一番というときは必ず自分が思うように晴らすが、この3連休は家で寝ていると病気になるとほど行楽日和だった。
私も合間々々で海に繰り出し、台風通過後の割りには波はなかったが最高の陽気だった。
10月10日は東京オリンピックの開会式があった日だそうだが、統計的には「晴れ」が多い日を「体育の日」と選んだそうだ。

旧体育の日(10月10日)とかけて、研究所勤務時、最寄りの駅まで同じ場所で4回連続チャリで転び、同じところにアザを作った磯辺太郎ととく。そのココロは・・・「ハレタ日」が多かったんですー。。。