超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

夏休みの三大ワークス

2012-09-14 21:00:35 | ホビー
夏休みも終わって半月近くたってしまったが・・・まだまだ北関東は灼熱の日が続く。「何か課されたものを残したまま遊ぶのが嫌い」で夏休みの宿題など入って1週間(一部は終業前)に終わらせてしまった私と異なり、息子甘辛は休み明け前日(9/2)まであたふたと走り回っていた。夜更けの2時くらいまで何かやっていたから、典型的な「宿題残して大慌て」タイプである。夏休みの終わりまで残っていたのは大物ワーク3個「自由研究(理科)」「自由工作(技術家庭)」「読書感想文」である。(私もこれらには苦戦した)
昨年は息子の自由研究は実に「ズル」をしていて、私が春先に好奇心から取り寄せた「納豆キット」の残りを使い「いかにも」もっともらしく研究成果のように仕上げていた。

今年はどんな「ズル」をするのか注意深く見ていたら、意外に感心にも「柱状節理」、つまり韓国済州島の海岸で目にした、「自然の奇跡」とも思える6角形の不思議な柱群の生成プロセスや実際にそれを模擬的に作ってみる、というものだった。「中々よいところに目をつけるじゃないか」手を貸すことはできなかったが、私は横目で見ながらあの不可思議な造形の謎を自分でも調べたくてうずうずしていた。火山活動によって流出したマグマが冷却されて均質に固化した結果出来上がるとガイドブックには書かれていたが、それだけで「職人が測って作ったような」模様になるものかどうか?!

        

甘辛の実験を見ていて感じたのは、恐らく田んぼが干からびた時に見える割れのようなもので、極めえ高温のマグマがはるかに温度の低い空気や海水に触れて急速に冷却されたときには、ランダムな模様になる暇がなく、一定の割合で割れが進み、応力集中であのような綺麗な6角形になったのではないか?インターネットで調べると大体そのような想像通りのことが書いてあったが、詳しいことはまだよく分かっていないようだ。どんな実験をやったのか甘辛に詳しく聞かない(できたてのほやほやの)うちに休み明け学校に持って行って提出してしまったので今となっては何をどうやったのかわからないが、大体こんな作業を行っていた。

              

片栗粉に一定量の水とアルコールを加えてプラスチック容器で混合して、その後自然に水を蒸発させたり、強制的に加熱して水分を飛ばしてみたり・・・水溶き片栗粉は加熱すると中華丼のようにとろみができるものだが、なるほど乾燥させると干上がった水田のようにひび割れができてくるのがわかる。今やインターネットで、その実験方法まで調べられるので便利になったものだ。ネットでは強制乾燥させるにはドライヤーで加熱するようだったが、甘辛は「電子レンジで加熱する」などという暴挙に走り「ぎょえーっ!すげえ変なもんができちゃった・・・?!」何に反応してしまったのか、世にもおぞましい「エイリアンの糞」みたいな物体が出来上がってしまった。(それはそれで研究材料になるか?!)提出の前夜、未明になってトイレに起きると甘辛はまだパソコンと奮闘していた。「デジカメ画像ファイルの落とし方がわからねえ」ぶつぶつ言いながら動かしてやった。。。。
内容は結構感心していたからPCで綺麗に編集してさぞやよい出来栄えかと思ったら、何やら模造紙に貼り付けて小学生みたいな下手な字で説明を書いていた。(何のためのパソコンかわからん?!)

           

      

次は技術家庭の自由工作である。テーマは「赤ちゃんが喜んで遊ぶ玩具」だそうだ。中々粋なテーマを与えるものだが、当の本人は一番困り果てていた。甘辛に言うとインチキしたことになってしまうから、妻だけに話した私の考案は「扇風機を使ったおもちゃ」である。指を入れてしまわないように保護網をかぶせ、正面に色々なアクセサリーを着けられるようにする。あるものは音や音楽を鳴らし、あるものは風で踊る。強弱や取り付ける場所によって音や動きが変わるのだ。名付けて「ファニマルくん」
(扇風機のファンとアニマルを合成)である。ファニマルくんの音に合わせてファンの前で歌うと何と「声が変わっている」残念ながら(言ってないので)採用には至らなかった。

甘辛は「アン・シャーリー」のように想像力はないようで、見事なまでに粗末なモノを作製しつつあった。ペットボトルにビー玉を入れただけの「ガラガラ」を意識したものらしい。思わず「もうちょっと何かヒネリがいるんじゃねえか?『暗い所では中のビー玉が光る』とかさー」「おーっ、それいいな。どこにあるんだろ?」東急ハンズあたりに行くつもりだったらしいのだが、結局どうしても行く時間を作れずに私がホームセンターまで蛍光塗料を買いに行く羽目になった。やはり前日の昼間、シェッドで何やらごそごそ作っていた。一つだけグレードアップしていて大きいペットボトルと小さいのを組合せ「マトリョーシカ」のようにしたらしい。完成品かどうか知らないが、ふと見て気になったのは私の買ってきた蛍光塗料をボトルの外側にも塗ってカラフルにしていたことだ。「甘辛よ。おもちゃの外側に塗料を塗るのはNGよ。あれ、水性だから舐めたら毒じゃねえかな」(家庭科の先生が気付かないことを祈ろう)

最後は「読書感想文」である。こちらのほうは8月中に終わらせたらしい。課題図書は昨年は「聖夜」、今年は「怪物はささやく」という著書だ。甘辛の後に読もうと思って「どうだった?」と彼に聞くと最初の一言は「何だかなあ・・・・」
私は読んでみて、彼の感想の意味が分かった。私も同様な感覚を持ったのである。同時に「難しい本」を読ませるものだ、とも思った。いわゆる思春期にいる若者に読ませるものではなく、私達の年代が思春期を思い出して読むべきもののように思えたのだ。本のタイトルから「怪物」というのは恐らく主人公などの心の中に潜む「黒い物」だろうと予測がつく。そして実際大体その通りだった。

主人公は13歳、両親は離婚して父親は米国に別の女性と住んでいる。母親はどうやら末期のがんか白血病、薄々もう助からないと気付いているが、それを無理に押し殺して「治療が効く」と思い込もうとしている。そんな彼を学校の誰もが「気を遣い」腫れ物を触るか、見ないように扱う。手伝いに来る母方の祖母は独特な個性を持って主人公とはソリが合わない。。。。
そんなところに現れるのが「怪物」である。怪物は主人公に3つの物語を聞かせる。それぞれのキーワードはたぶん「理不尽」「信念」「心の底」あたり、そして最後に主人公自らに4つめの物語を作らせる。そのキーワードがたぶん「受容」。。。重々しい、やり切れないが、深い意味がたくさんあって、「救われる若者」も結構いそうな物語だった。(やっぱり読書感想文は「赤毛のアン」だなー)

さてこの物語には割と都合のいい役回りとして主人公の幼馴染の女の子が登場する。自分を「見えないもの」として扱う周囲のその存在を知らしめようとして、派手な校内暴力を演じた主人公に「私は見ている」という内容の折りたたんだ紙切れの手紙を手渡す。
主人公の表現を借りるとその手紙は「百回くらい折り込まれていて」「『私は』というところに百本くらいアンダーラインが引いてある」のである。どちらも「はなはだしい」ことを表現したいのだろうが、アンダーライン百本は許せても「折り込み」は元理系の私にとってはどうしても許されない「ありえない」表現なのである。何故か?計算してみれば分かる。厚さ0.05mmの十分に大きな紙を50回折りたたむと●●まで1往復半以上できる長さになるのである。(さて●●とは何でしょう?)

息子甘辛が宿題であたふたしだすと「夏の終わり」を感じる。毎年似たようなことばかりしながら、今年も何かと収穫の多い夏休みだった。私はなぜか9月1日が大好きだった。8月が終わって久々に学校に行き、クラスメイトに会うのにものすごくワクワクしたのである。ちなみに職場ではそういうことはない。夏期休暇があけて重たい「みかんマッコリ」を手土産に出社した際、誰も私には言わなかったが「ありゃー、焼けてるなんてもんじゃないぜ。焦げてるんだよ」と噂された。夏休みの宿題とは正反対で「キリのいいところまで仕事を仕上げて休暇に入る」習慣の全くない私の机には「ここまで気を使ってくれなくても・・・」と思えるほど丁寧に仕事が残されていた。休み前「今、やっといた方がいいんじゃないか?」とささやいてくれる「怪物」がいなかったからである。

  


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