超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ファミリーレスな中年男

2016-12-15 07:00:41 | 書籍
先日、久しぶりに知人たちとお薦め本を交換し合った。考えてみると人に本を薦めるというのは、相手の読書スタイルや好みの分野、さらには人となりや物事の考え方など色々慮るべき事柄が多く簡単ではないが、古くからの知人であれば何となく最近の会話と話題からだけで「この辺りはどうかな?」というところが思い当たる。私が貸してもらったのは、正月明けに映画化も予定されている重松清作品である。私はテレビドラマにもなった「流星ワゴン」から始まり、かなりの著書を読み込んできたお気に入り作者だ。家族、親子、夫婦は友達など、基本単位ともいえるつながりを独特な人間観で綴っている。安易なハッピーエンドには決して向かわず、時にはやり切れなくなるほどシビアに展開していくが、必ず「うるうる」「ほろっと」するところがあり、最後はペナントレースで言えば最下位からAクラス入りくらいには「救われる」物語が多い。本作品は日常どこにでもありそうなあまり重くない主題のようだが、かなり複雑な人間模様が描かれてあり、私達の置かれる年齢や家族構成的なシチュエーションとして「ものすごく身につまされる」物語だった。

ざっと登場人物とそれらの人間関係、ストーリー展開だけ紹介しておくと、主人公から
・宮本 陽平:ちょっとした男の料理を嗜みとする50歳間近のベテラン中学校教師。
  妻 美代子:陽平とは「できちゃった婚」の専業主婦。子供らの自立を契機に「おひとり様化」を志向?!
 長女  葵:数年前に大学を卒業後、一人暮らしで出版会社にアルバイトしながら正社員化を目指す。
 長男 光太:仙台の大学へ入学し一人暮らしを始める。サークルで被災地ボランティアで自立化を志向。
・竹内 一博:通称タケ。葵の勤める出版会社の編集長。妻は5年前に実家の母の介護に戻ったきり別居状態。雑誌「男の深呼吸」の編集長で敏腕とされ、手料理その他こだわりが強い。
  妻 桜子:母の介護で実家に戻り、そのまま自身の本業である和菓子ジャーナリストに従事しておりテレビ出演するほど著名。
・小川 康文:通称オガ。実家の惣菜屋「ニコニコ亭」を半分継ぎ、マリちゃん号で移動販売。子供は離婚時に前妻が引き取る。17歳年下のマリと再婚。編集長のタケとは小学生以来の幼馴染で陽平の料理の師匠的存在。
・北白川エリカ:タケの通う料理教室の新任講師。離婚歴2回でジャンク料理が得意。  長女 ひなた:エリカの一人娘。「突走っちゃた婚」で妊娠中だが、ミュージシャン志望の夫に愛想を尽かし離婚。
・ドン :陽平の担任クラスの教え子。父親は海外赴任中に母親が不倫して交通事項入院。祖母に面倒を見てもらうがその厳格さにキレる。

  

主人公の陽平は長女葵の勤務先の編集長として竹内(タケ)と知り合い、「男の料理」のような腕を上げていく。タケは陽平にとって男のダンディズムの師匠のようなものだが、同い年の妻の桜子は京都の実家に母の介護に帰ったきり別居状態である。夫婦それぞれに仕事を持ち、それを尊重して子供を持たずに互いの距離を楽しむように過ごしてきた。小川(オガ)は前妻と惣菜屋を営む母の嫁姑関係が悪く離婚するに至り子供は手放した。17歳下のマリとは3年前に再婚し、離婚歴のある彼女の連れ子と母と住んでいる。中心にいる男子3人はどれも私達とほぼ同年代で、多少ワケありではあるが、ものすごい過去を持っているわけでもなく、どこにでもいる中年のおっさんである。このおっさんたちが粋な酒の肴などを作りながら、それぞれの悩みや思いを語り合うスタイルで物語が進んでいく。そしてエリカ先生とその娘の騒動に巻き込まれていくのである。

陽平の長女葵は1年前にタケが編集長を務める出版社に就職(と言ってもアルバイトだが)し、一人暮らしを始めた。息子の光太は将来やりたいことも決まっていない受験生で何となく頼りなかったが、「震災復興の当事者になりたい」と東北の大学に進学し仙台で一人暮らしを始めた。子供が大きくなって家を巣立って行った陽平夫婦は50歳前後で二人きりの生活に戻るわけである。これに対し、それぞれの経験から幼馴染のタケとオガはお洒落な肴をつまみながら、ダンディに真逆なことを言うのだ。「夫婦で大事なのは言葉だぞ。以心伝心とか、阿吽の呼吸とか、そんなものを信じてたら、俺の二の舞だ」妻が京都へ行ったきり帰って来なくなったタケは夫婦円満の秘訣を「言葉」に置く。一方、バツイチで若い奥さんを持つオガの理想形は「車の運転席と助手席に座ったところ」と主張する。正面切って向き合って話さずとも、同じモノを見ていればそれだけでよい、とするオガの言葉は経験の分だけ説得力がある。

ある日、陽平は偶然に妻の所蔵する本に署名捺印された離婚届が挟まれていることを見つけてしまう。一体何が原因なのか?全然思い当たるふしがない・・・自分に黙って息子のいる仙台に一人旅しようとしたり、一緒にボランティアに参加したりしようとする。露骨ではないが、何かにつけて別行動しようとし、態度もイマイチそっけない。「ホントにそういう気なのか?!」子供二人にさりげなく聞いても「喧嘩してるの?」と返されるだけで理由は分からない。むろん他の二人に相談することもできず、一人で思い悩むこととなる。この流れまでだと、まさしく我々の境遇と重なるものが大いにあることに気付く。息子甘辛は春から大学生となり自宅から通っているので普段からいるにはいるが、終電までうろうろ遊びまわったり、友達の家に泊まって帰って来なかったりするし、アルバイトも忙しいので家族で食事することもめっきり減ってきた。むろんウルフェス他恒例行事以外は一緒に出掛けることもない。

そう遠くないうちに物語の陽平・美代子夫婦のように銀婚式を迎える我々だが、いつかこのサイトでも書いたように、共通の趣味らしきものはあまりない。休日に家でゴロゴロすることが決してできない私は多方面に触手を伸ばし、1日のスケジュールをアイドルなみに詰め込み、お茶を飲みながらのとりとめのない世間話などただの時間の無駄としか思っていない。妻も私ほど多くはないが、それなりにハマっているものがあり、好き勝手に出かけている。何よりも彼女は共通の趣味で知り合った「友達」が多い。私はそういう人がほとんどいないのだが、この年齢になって仕事や子供を媒介としない「純粋な趣味友達」というのは貴重なものだと羨ましく思う。オガの主張するように「運転席、助手席に座って同じ風景を見る」ことはあまりなく、てんでバラバラの方向を眺めている。本を読み進めてきて「こりゃーやばいかも。アイツも離婚届どこかに忍ばせてるかもしれないぞ」と思ったものだ。何せ「原因にさっぱり思い当たる節がない」というのが主テーマだからである。

主人公の陽平・美代子夫婦は「できちゃった婚」であり、結婚前後のいわゆる恋人期間がほとんど無かった。大きな問題もない普通の家庭だったが他と同様に一所懸命子育てし、いざ一段落して子供が家にいなくなるといきなり「ファミリーレス」(つまりファミレス)となるスタイルは少し前の「団塊」世代ではまず無かった新しい現象だろう。その昔、団塊と言われる世代の「お父さん」は家族のために「モーレツ社員となり」、子供の成長も間近で見ることもせず、妻を顧みることもあまりせずに何十年も勤め上げたあげくに、定年退職と同時に妻や子供に見捨てられ途方に暮れる、こちらは「ファミリーロス」が定番の悲哀のストーリーだった。いずれにしても同じようなシチュエーションにいる私には笑えない脅威ではあるが、さらに読み進めながら「オレはこうは、ならんだろな・・・」と楽観していたのである。と、いうよりも「仮にそうなってもそれほど驚かない」という境地に近いところか。

以前、私のお気に入りのブログサイトに我々とほぼ同世代の男性のための「結婚論」が載っていた。一言でいうと「結婚」というのは「夫婦という最小の社会組織を通じた『リスクヘッジ』だというのである。病気になったり失業したり、思いがけない事態になったときに、1人では一気に生活の危機に追い詰めらるが、2人なら何とかお互いをサポートして生き延びられるから。晴れの結婚式では「その健やかなる時も病める時も・・・」と宣誓するものだが、年齢を重ねると「病める時」の方が割合を増やしていくのが侘しいことだが自然の摂理だ。そのブロガーは経済学者らしく、今後の日本経済の方向、年金問題、少子高齢化などを挙げて最も恐るべきは「老後の貧困」と結論づけている。「老後の安全保障のために二人でいる」というのは、あまりにも殺伐としていて素直に頷けないが、結婚相手をパートナーとせずに「バディ」と呼ぶ彼の感性には何となく共鳴する。スキューバダイビングではバディにそれこそ「命を預ける」のである。

この物語では(ネタバレしてはいけないが)、「奥方が決定的な収入源(仕事と言ってもよい)を持っていない陽平夫婦は『元のさや』、妻がちゃんと仕事を持っているタケ夫婦は『離婚』という結末となる。色んな事件があって紆余曲折もあるが、やはり結果的にモノをいうのは「先立つモノ」である。経済的事情が「子供のような拠り所がなくなった」夫婦にとって「鎹」であるのは否めないだろう。「甘辛が巣立っていなくなったら犬かふくろうでも飼うか」と妻と話したことがある。一人っ子だから二人ともそれなりに力は入ったと思うが、だからと言って「それがすべて」ではなかった。また私は「これ以上は無理」というくらいに一緒の時間を過ごしたから、「もっとこうすればよかった」などという後悔もない。甘辛が我が家から出て行って年末ジャンボ宝くじ10億円が当たったら、ぶっちゃけ「離婚届」を突きつけられても「あり」だと思うのである。しかしそんなことは万に一つもないだろうから、我がバディとはなるべく「機嫌よく過ごす」ようにしている。唯一「同じ景色を見る」のは散歩するときくらいだが、最近は大山ハイキングを機会に入手した簡易ガスコンロを持参して海辺で肉や野菜を焼いて食べることも増えてきた。(寒くてさすがに海へ入れぬから)

  

物語自体のメッセージは登場する小手先、思い出、ダンディズムを表すたくさんの料理群を通して「あまり思い詰めずに機嫌よく暮らせ」みたいなところだろうか?タケがいよいよと桜子と離婚するにあたり彼女のために考えうる限りのこだわりの材料を用意し、これまでの思いを込めて渾身の力で米と味噌汁を作り上げる。これに対して彼女が最後に言った言葉が「さようなら」でも「ありがとう」でもない一言だったのが良かった。正月には本とは異なったタイトルで映画として上映されるそうだ。何となく原作のままの方がよほどいいような気もするのだが。先日営業100周年を迎えた辻堂駅前の商業モールにある映画館は二人で行くとやたらに割安になるから、とりあえず妻と行ってみようかと思っているところだ。(寝た子を起こすような間抜けなことになるのが心配だが、先日越中一ノ宮(雄山神社)で裏側から「手を繋いでくぐると仲良しでいられる」という「夫婦杉」(根元から二つに分かれ力強くつながっている)をく二人でくぐって円満を祈願したから当分はご加護があると期待している。

  



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4 コメント

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Unknown (磯辺太郎)
2016-12-18 22:34:17
小夏さま

年代が近いし、色んなシチュエーションが重なるのでリアルですね。かの書を読んだ我々世代は皆、同じように身近に感じたことでしょう。
重松本ってバディが「ガンで死んじゃう」ストーリーが多いんですよ。命預けるというより、「世話になる」イメージが多いです。
なるほど、色んな考え方がありますからねえ。「墓に着物は着せられず」ですから、ボクも墓参りよりも生きてるうちに重宝してほしいものです。
ゾーン入り、いいじゃーないですか。「犯罪と非道でなければすべからく経験の多い者が優れている。」というのが持論です。

大震災の時は色々とご心配いただきありがとうございました。ははは、教育というほどじゃないと思いますが、たぶん納豆が買えなくなった時のことですね。
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Unknown (小夏)
2016-12-18 10:39:30
うむむ~ん、ものすごくリアルですね~!すぐお隣に、いえいえ自分の事の様に身近に感じます。
命を預けるのも、経済力もよーくわかりますね。
先日友人が「ご主人が先に無くなってもお墓参りに行かない」と発した一言に私激たまげました。大体、ワタシ話題もそういったゾーン入りなのが、、トホホですよ

師匠ご夫妻様は大震災の折、たとえ離れていても(師匠は前線へ)坊ちゃんへの教育方針に全く一緒の価値観で臨まれていると思いました。
そういえば、初めて師匠と、そして師匠の奥様とブログでご挨拶した時、「仲良くしてくださいね」と同じ言葉が出てきたのが印象的でした(時期も別々よ~)

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Unknown (磯辺太郎)
2016-12-17 15:24:56
月美さま

なーんと、月美さんもこの本をお読みになったとは!奇遇な御縁を感じますね。
なるほど、「言葉」と「同じ方向を見る」、両方とも大事なんですね。物事の両面が揃わないと気が済まないところ、すごく共感を覚えますよ。でも片方だけに偏っていることもないようです。

あの結婚論はどちらかというと男性向きでした。老後の生活困窮は家事の分担などとは比較にならないくらい深刻である」なんて書かれると俯いちゃいますけどね。
ぎゃーっはっは!宣誓の言葉を「深く考えず」に?!ボクは横浜のとある式場で超オーバーアクションの神父の迫力に押され「何も考えず」に誓いました(笑)。
普段は預けませんが、病気になった時だけ我がバディに「命を預け」ます(これまた笑)

月美さんはお読みにあったそうですので、もっとネタバレしちゃいますが「いつでも離婚できるんだぞ」と自分をニュートラルに奮い立たせるために「持っておく」のはありだと思います。でもやはり偶然見つけてしまった時に、二人して映画を見ておけば心の準備ができますね。

我々は飲んでいい気分になると(というかぶっちゃけ酔っぱらうと)よく手をつなぐんですよ。もはやそういう姿を「恥ずかしい」と思う、新鮮ささえ彼方に消え失せました。(苦笑)
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Unknown (月美)
2016-12-17 07:01:21
もうすぐ映画化される重松清作品と聞いて もしや…と思ったら やっぱりそうでした。私も読みましたよ〜その本!男女の違いで 太郎さんとは逆の立場で読み進めた事になると思いますが、私は欲張りなので 夫婦にはタケとオガの助言、つまり「言葉」と「同じ方向を見る」両方とも欲しいですね。実際はどちらも満足はしていないまま 日々の生活に流されてしまっていますが。「結婚論」はなるほど、と思いました。数十年前の宣誓の言葉、若かった当時は深く考えずに誓ってしまったけれど この歳になって老いた両親の姿を見たり 周りで病気と戦っている人を見るようになり その意味の深さがやっとわかってきたような気がします。バディに「命を預ける」…確かにそうなのかもしれませんね。「寝た子を起こすような間抜けな事」…やっぱり男性側はそう思うのですね(笑)私も主人とこの映画を観に行くつもりですが 「うちも まさか…」と少しは心配させたいのかもしれません(笑)「夫婦杉」くぐりに行かないと…ですね。そうでもしないと手を繋ぐこともないですし(笑)
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