超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

バンクーバー五輪閉幕

2010-03-01 22:55:55 | スポーツ・健康
グアム島旅行記(あと後半残し)の合間だが、話題が冷めないうちに。。。ちょっと割り込み・・・

バンクーバーオリンピックが閉幕した。冬季も夏季も毎回色々な物議を呼ぶのも「スポーツの祭典」の常であろう。
メインイベント(と思っていた)の女子フィギュアは旅行先でちょっとしか見られなかったが、夏季に比べていまいちマイナーなイメージのあった冬季オリンピックもそれなりに盛り上がったと感じる。



せっかく「旬」な話題なので、私もオリンピックについて3つほど考えたところを書いてみようと思う。
と言ってもあらためて数えると生まれてから約10回しか見ていないことになるから不思議と言えば不思議な経験だ。

まず最初に思いついたのは、
「オリンピックというのは自分が見る年齢によって、興味、応援に入る熱、感動が異なるということ」

小さい頃は両親と一緒にまるで別世界の人たちを無邪気に応援していた。日の丸をポールに立てることがどれほどすごいことかもよく分からずにプレーだけをひたすら見ていた。
すんごく不思議なことだが私の場合、出場する選手達と同年代くらい(高校から大学、新社会人数年)になると、急速に興味を失って、結果しか見なくなった。

恐らく自分もスポーツをやっていたので、「死ぬ気で努力すれば立てたかもしれない舞台」にいる同年代の彼らにちょっとした羨望、嫉妬みたいなものがあったのではなかろうか。
ロサンゼルス大会あたりだっただろうか、柔道と体操とカールルイスだけをニュースで見て、他の種目はリアルタイムで見るほど興味は湧かなかった。
たしか同級生だった女子が久しぶりに地元で食事をしたときに、夜中に眠い目をおして「オリンピックの種目はすべて生中継で見ている」と言うのが不思議でしょうがなかった。

「水球なんて国内でもやってるところ見たことねえじゃんか」と首を傾げる私に
「国の代表として飽くなき努力を重ね、晴れの舞台で精一杯戦っている姿はどんなスポーツでも美しい」という今から思うと惚れぼれするようなコメントだったのを覚えている。
彼女の気高さに感動しつつも、うまく言えないが多少の妬みを感じ、なおかつ「この人にとってあの舞台にいる選手たちは同年代という意識がないんだろな」と考えていた。(うーむ。我ながらイマイチ・・・
それからしばらく年月を重ね、「自分にとってあらゆる可能性がゼロ」だと確信できたとき、素直に熱く応援できるようになった。

次に感じたのが
「昔に比べて日本人選手に対する応援の姿勢が少しずつ変わってきているということ」

全部ではもちろんないし、選手の周りはそんなことはない。一部に見られる傾向というところか。
昔はそれこそ「日の丸」とともに国民の期待を一身に背負い、「負けたら生きて帰るな」的なプレッシャーに選手達は追い込まれたが、国民は派遣された選手達を無邪気に応援していた。
少なくとも結果を直接的に責めることはなかったように思う。(当人が感じた責苦は途方もないものだと思うが)

「オリンピックを楽しむ」とコメントしてえらい叱られた選手がいた。でもその言動自体を責められたわけではなく、「大口叩いた割には」結果を出せなかったことに対してだと思う。
ところが今はさらに違う。制服?を腰パン(っておろして履くこと?)で着て現れたら、それだけですんごく怒られた選手がいた。
私もアレには眉をしかめた。今は滅亡したがひと昔、藤沢駅でよく見かけた高校生を見る目だった。

どういうわけか今は、結果云々どころかあのスタイルで現れただけで「競技に出るな」と言われる。
行儀よく節度を持った日本人らしくないからか?そもそも「日本人らしい」という意識そのものが、この前読んだ「他と比較することでしか自らのアイデンティを確保できない辺境人」たる所以か?
正直あの選手にはムカついたが、ウサイン・ボルトがあの姿で出てきたら怒られたろうか?
五輪代表選手が色々な意味で身近に感じるのはよいが、「我々の税金で行かせてやっている」みたいなスポンサー根性を感じてしまったのは私だけかなあ・・・

最後の感想は色々なところで書いてきたが、
「単一民族の日本人にとっても、国境を越えて競技のグローバル化が進んでいるということ」

長州未来選手(長州力の娘じゃないよ)は米国籍(日米両方)だし、ロシアのフィギュアペアの川口悠子選手はロシア国籍だ。
「辺境人」の国である日本では、オリンピックで活躍するために他国籍でチャレンジするというのは見たことがない(実はあったらしい)が、自分でも不思議なくらい素直に応援できた。(そういう自分が「大人」だと思った)

しかーし!これがジャンプだったら「ちょっと待ってくれよぉ」と思うのは私だけだろうか・・・?
ここで私はボストン派遣前に(無駄な)英語修行として乗り込んだベルリッツ短期集中コースでオーストラリア人女性講師が仕掛けてきた「スポーツとは何か?」という深ーい話題を思い出す。確かトリノ五輪のパンフを指差しながらの議論だったように思う。
むろん正解などあるわけがないが、1時間の議論の末その女性と意見が一致したのは

「勝ち負けが割と客観的に合意形成できるのが(狭い意味での)スポーツ」

つまりホッケー、ジャンプ、スピードスケートなどは人間のジャッジがあるから絶対ではないものの、得点、距離、タイムなど客観的な数値で「競う」ので、勝ち負けが割と誰が見ても明らかだ。
一方でフィギュアスケート、エアリアル、ハーフパイプなどは色んな国から派遣された審判員でたぶん細かく採点の規定があり、かなり合意形成に向けて公平性は担保していると思われるが、やはり「主観的」だ。
フィギュアスケートは選手の努力の結果に現れる美しさに感動するのであって、勝ち負けではないような気がするのだ。

旅行先で日本人と韓国人の区別がつかない米国人に対し、にっこり笑って「こっちがキム・ヨーナ、オレがマオ・アサーダ」と息巻いたが、翌日韓国からの彼と「Congratulations!キム・ヨーナ!」とがっちり堅い握手した。
それほどどちらの演技も素晴らしいと思ったのだ。勝ち負けが客観的にはっきりしてしまう競技ではここまではできなかったと思う。
つまりグローバル化はフィギュアはいいが、ジャンプだとそうはいかぬということだろな。日本国籍に迎えたマッチ・ニッカネンの息子が145mの大ジャンプするのを見ても歓喜するかなあ・・・



異なる考えもつ人もたーくさんいるだろう。。。
ガラにもなく五輪について徒然書いてしまったが、なんだかんだ言ったって真央ちゃんが滑り終えた後のインタビューで涙ぐんだのにはグッときた。
閉会式のトナカイの笑顔にはホント救われた気がしましたよ。。。


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2 コメント

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Unknown (八五郎小夏)
2010-03-03 20:09:46
またまたこんな登場シリーズ

親分っ てぇへんだっ ぜぇぜぇっ
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t153024160?u=;lovecub50project

ひとまず失礼しやす
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Unknown (磯辺太郎)
2010-03-03 21:46:41
おっ、どうしたんでえ、ハチィ!

(十手でちらっとめくり・・・)
こいつぁ、ただごとじゃぁねえぜ。

何せ二十一万両のお宝でえ、下手人はそこらのへっぽこ野郎じゃあねえな。
しかも3分できっちり仕事片付けて行きやがる。。。

まず、おめえさんは「うるとらけーびたい」という模様のブツがねえか確かめてくれ。。。

って小夏さん!いつもながら高感度偵察衛星のような情報キャッチ、驚きです。
私の待ち受け画面とおんなじ模様だ。。。
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