前の土日は大学入試センター試験だった。息子は縁がなかったが、同級生は「これから本番」という人も多く、月曜日のように雪で交通が混乱しなくて良かったと思う。年齢的に当然なのだが、中高の同級生や同年代の知人はご子息に「受けに行った」と人も多かった。そして某SNSに同級生の女子が息子さんのために作って持たせた「お弁当」を掲載していた。彼女曰く、昔の共通一次経験者という男性は「自分たちの時は、親なんて何にもしなかった。お弁当なんて重たいからやめた方がいい」だそうだ。(もしかしてパートナー様かもしれない)30数年前はどうだったかな。たまたま竜泉寺に行く途中に母親に聞いてみると、たぶん「カツ入りの弁当」を作ったはずだという。今でこそセンター試験の会場は我が家のすぐそばの大学も含めてたくさん設けられているが、我々の時は横浜にある某国公立大学が試験会場だった。周囲にコンビニのようなものや食堂は無かった(あっても初めて行く所だから知らなかった)から、間違いなく弁当持参で行ったのだろう。受験に「勝つ」といういかにも昔風の内容だったようだが、ものすごいボリュームをガッつり食べたからか、午後からの試験後半(さすがに科目は忘れた)はやたらに眠かった記憶だけが残っている。
息子さんに手作り弁当を持たせた女子の投稿に対し、「私も持たせた」とか「母の愛情が一番」
とか、「おにぎりと具だくさんスープがよい」、「緊張しても一緒にいてくれる感じでほっとする」「コンビニのおにぎりは売り切れになるから手弁当が一番」などと受験生を持つ又は経験した母親の思いが賑やかに交差した。中には「私は上の子の時ついて行っちゃった」というママもいた。自分は方向音痴なので、すべての会場を試験時間に合わせて下見したそうだ。そういえば前日にニュースでまだ立ち入り禁止の試験会場の門前で受験生がインタビューされていて、翌日の試験開始時間から見て電車の所要時間やルートを確認しているということだった。親がついていくというのはちょっと心配性のような気もするが、「無事会場にたどり着けるか心配でついて行きたい」と名乗りを上げたママの気持ちもよく分かった。最初の女子の言う「共通一次経験者の男性は弁当をやめたほうがよいという」に反論して、「ボクは持っていきました」と母に確認した後コメントしたら、「今みたいに親は関与しなかったけど、お弁当くらいは作ってもらった」と賛同してくれるバスケ部の同級生も出てきた。「確か雪が降っていたか、雪がやんだか、すごく寒い日でしたね」と件の女子が返してきたので「(へーえ、彼女も受けたんだな)」と思っていたらプロフィールに何と、我が家と浅からぬ御縁の学校が載っていた。(不思議なものだが、よろしく願いたい)
翌月曜日は朝から大雪で首都圏の交通は大混乱、県内から通勤する人は軒並み普段の倍以上の通勤時間をかけて苦戦していた。前日のセンター試験投稿を見るとさらにたくさんのコメントが寄せられていた。女性が多かったがやはり受験生の母親らしくお弁当のメニューなどの話題が多かった。それらを見ていて私は電撃的に思い出した東京ガスのCMのことを「タイミング遅れですが・・・」とコメントしてみた。渡辺えり子さんが「息子にお弁当でメッセージを伝える母」の物語である。最初はたぶん少年が中学生になったときだろう、玄関で「好物ベスト3」を差し出す。その後「おふくろの味」「リラックス」・・・「野菜も食べなさい」と思い切り弁当箱に野菜炒めが詰め込んであるのは笑える。「元気だせ」「ごめん!寝坊した!」「晴れるといいなぁ」とテルテル坊主のノリ弁、8点の答案用紙を見つけた時は「カツ(喝)!」、彼女と歩く姿を見つけて「祝!」、誕生日には「ハッピーバースディ」、試験勉強(たぶん受験勉強?)で机に向かう姿を見て「がんばってるで賞」・・・そして少年の月日は流れ母がお弁当を渡す最後の日がやってくる。高校生活最後のお弁当だろう。メッセージは「このお弁当、覚えてる??」最初に渡した卵焼き、ハンバーグ、鳥唐揚げの「好物ベスト3」である。その後の展開は涙で画面が滲む。。。ところが後から「弁当篇は渡辺えり子じゃないよ」と妻に指摘され。大慌てとなった。。。
私のようにデスクで暇なのか麻雀仲間だったバスケ部同級生は「あれは良いCMだった。」と返してきたが、今時のある方面の方々からは「女性の役割の固定化だ」とクレームが付きそうだともいう。うーむ。。。言われてみればそうかもしれないが母親は母親だ。日本のお母さんと言えば昔は京塚昌子さん(もしくは畏れ多くも先の皇后陛下)、今は渡辺えり子さんというイメージなんだが・・・件の女史は同じ東京ガスの「母とは」篇を見て「世界で一番料理がウマイ」以外は自分のことのようだとコメントを返してきたが、しばらくして「東京ガス」「渡辺えり子」「お弁当」検索して出てきた動画を見て「号泣中」と方向修正し、関連で出てくる色んな動画を見て「今日は、流行りの涙活です。」と締めくくった。(雪で仕事がキャンセルになり、暇になったらしいがえり子さんじゃなくてお騒がせしました)
地方のスタイルとして私も息子甘辛も同じで、小学校は給食だから弁当はなし、中高は部活で遅いからがっつりお弁当となるから、この6年は母親の濃い時間である。しかし高校を卒業するとすべては外食となり弁当持参ということは一旦なくなる。つまり母の手弁当最後の日が普通やって来るのである。同級生の女史も妻も遠からずこの日を迎えることとなる。
父親が職場に弁当を持っていく人だったから、私の母は私が中高生である「母の手弁当篇」が始まる前も終わった後もずーっと弁当を作り続けていた。父向けの弁当は偏屈なのか内容に無頓着なのかいつも同じような「ごめん!寝坊した!」篇のようなものだった。毎日シャケと卵焼きと漬物だけでよく飽きないものだと感心していた。私の弁当は横になっても汁が漏れない巨大なタッパに入っており、「好物ベスト3」に似たコンテンツが多かったが、たまに焼き鳥が串ごと入っている時もあり、「こいつんちは酒飲みだ」と冷やかされた。東京ガスCMでは「喝」の意味だったが、普通カツが入っているのは何かの「勝負時」だった。しかしソースを入れ忘れられたり間違って醤油を入れられたりすることが多く、100万円の宝くじに2番違いで外れたような気分をよく味わわされ得た。母にとっては高校を卒業して私の弁当はなくなっても、父の弁当はさらにしばらく続いたからあまり感慨深いものはなかった(割とこの方面はドライだった)ようだが、孫の甘辛の運動会向けに「何かおかずを作ってきて」というとかなり嬉しそうに色んなものをこしらえてきたものだ。
結婚して一緒に遊びに出かける時に妻が作ってくれる弁当以外はしばらく遠ざかっていたが、甘辛が生まれ幼稚園に通うようになって「第一期手弁当時代」を迎える。「ボクの大好きなものだけ入れてね」
と幼い甘辛にせがまれ、小さなウルトラマンの箱に弁当を作るようになって「ついでに」私の分も作ってもらうようになり、インテリジェントビルの職場で何の抵抗もなく弁当箱を開いた。中高の時のように巨大なタッパーではなかったが、そこそこ入る器だ。私は食い終わると必ず給湯室でさーっと洗うことを忘れなかった。女子社員に感心されたこともあるが、その昔夏休み前に食ったままの弁当箱を机の中に忘れたまま、40日間の休みを過ごしてしまい、9月の新学期に発見してその蓋を開けるという世にも悍ましく忌まわしい経験が忘れられないだけである。そして甘辛の小学校入学とともに私の「手弁当時代」も終わりを告げた。当たり前だが「第二期手弁当時代」は6年後にやってくる。この時は私が使っていた弁当箱を甘辛が使用することになり、私用はミスタードーナッツの安っぽい景品にされた。成長期が遅かった甘辛に対し少しでもたくさん食べさせたいのか、妻は甘辛の弁当箱に凄まじいばかりの米とおかずを詰め込んだ。何せ全体重をかけないと蓋が閉まらないほどの量である(大きいのを買えばいいのに)。一度包みの巾着を間違えて持ち上げたら鉄アレーでも入ってるのかと思うほど重かった。。。

甘辛は自由登校期間に入り、ほとんど学校に行かなくなってから弁当を持っていくことも自然に消えつつある。そのうち甘辛向けの弁当が終わるとき、私の弁当も終わる。まことにありがたいことだが、同級生女史のように本命の息子向けでないのに作ってもらうのは何か悪いし、我が社は昼食の補助制度が結構充実しているから、ものすごく不便になるわけでもないのだ。今度「お弁当メール篇」を妻と息子甘辛に見せて、高校生である彼への最後の弁当はいつになるか、そしてその時は何をおかずにするか聞いてみようと思う。むろんその時は同じものを自分用にも作ってもらうつもりである。母の手弁当が終わる時とは一つのイニシエーション(通過儀礼)だとも思われるが、CMのように、「これで最後」とキメられることは中々なく、後から「あー、あれが最後だったな」と思い出すくらいのものだ。しかし自宅から進学先へ通学するであろう息子は何の屈託もなく「母ちゃん、弁当作ってくれい!」
と頼みそうな気もするし、そうなるとこの感無量的な作戦もパーになってしまう。それとは別に仕事に出る妻にいずれ私が自分用と共に弁当を作ってやろうと最近、朝の忙しい時でも簡単にできる弁当メニューを色々教わろうとしているのだが、その日珍しく甘辛の出かける予定がないのに「弁当作ってあげるよ」と包みを持たせてくれた。どうやらこちらの魂胆を見抜き「やめておけ」というメッセージにも見えるのである。
息子さんに手作り弁当を持たせた女子の投稿に対し、「私も持たせた」とか「母の愛情が一番」

翌月曜日は朝から大雪で首都圏の交通は大混乱、県内から通勤する人は軒並み普段の倍以上の通勤時間をかけて苦戦していた。前日のセンター試験投稿を見るとさらにたくさんのコメントが寄せられていた。女性が多かったがやはり受験生の母親らしくお弁当のメニューなどの話題が多かった。それらを見ていて私は電撃的に思い出した東京ガスのCMのことを「タイミング遅れですが・・・」とコメントしてみた。渡辺えり子さんが「息子にお弁当でメッセージを伝える母」の物語である。最初はたぶん少年が中学生になったときだろう、玄関で「好物ベスト3」を差し出す。その後「おふくろの味」「リラックス」・・・「野菜も食べなさい」と思い切り弁当箱に野菜炒めが詰め込んであるのは笑える。「元気だせ」「ごめん!寝坊した!」「晴れるといいなぁ」とテルテル坊主のノリ弁、8点の答案用紙を見つけた時は「カツ(喝)!」、彼女と歩く姿を見つけて「祝!」、誕生日には「ハッピーバースディ」、試験勉強(たぶん受験勉強?)で机に向かう姿を見て「がんばってるで賞」・・・そして少年の月日は流れ母がお弁当を渡す最後の日がやってくる。高校生活最後のお弁当だろう。メッセージは「このお弁当、覚えてる??」最初に渡した卵焼き、ハンバーグ、鳥唐揚げの「好物ベスト3」である。その後の展開は涙で画面が滲む。。。ところが後から「弁当篇は渡辺えり子じゃないよ」と妻に指摘され。大慌てとなった。。。

私のようにデスクで暇なのか麻雀仲間だったバスケ部同級生は「あれは良いCMだった。」と返してきたが、今時のある方面の方々からは「女性の役割の固定化だ」とクレームが付きそうだともいう。うーむ。。。言われてみればそうかもしれないが母親は母親だ。日本のお母さんと言えば昔は京塚昌子さん(もしくは畏れ多くも先の皇后陛下)、今は渡辺えり子さんというイメージなんだが・・・件の女史は同じ東京ガスの「母とは」篇を見て「世界で一番料理がウマイ」以外は自分のことのようだとコメントを返してきたが、しばらくして「東京ガス」「渡辺えり子」「お弁当」検索して出てきた動画を見て「号泣中」と方向修正し、関連で出てくる色んな動画を見て「今日は、流行りの涙活です。」と締めくくった。(雪で仕事がキャンセルになり、暇になったらしいがえり子さんじゃなくてお騒がせしました)
地方のスタイルとして私も息子甘辛も同じで、小学校は給食だから弁当はなし、中高は部活で遅いからがっつりお弁当となるから、この6年は母親の濃い時間である。しかし高校を卒業するとすべては外食となり弁当持参ということは一旦なくなる。つまり母の手弁当最後の日が普通やって来るのである。同級生の女史も妻も遠からずこの日を迎えることとなる。
父親が職場に弁当を持っていく人だったから、私の母は私が中高生である「母の手弁当篇」が始まる前も終わった後もずーっと弁当を作り続けていた。父向けの弁当は偏屈なのか内容に無頓着なのかいつも同じような「ごめん!寝坊した!」篇のようなものだった。毎日シャケと卵焼きと漬物だけでよく飽きないものだと感心していた。私の弁当は横になっても汁が漏れない巨大なタッパに入っており、「好物ベスト3」に似たコンテンツが多かったが、たまに焼き鳥が串ごと入っている時もあり、「こいつんちは酒飲みだ」と冷やかされた。東京ガスCMでは「喝」の意味だったが、普通カツが入っているのは何かの「勝負時」だった。しかしソースを入れ忘れられたり間違って醤油を入れられたりすることが多く、100万円の宝くじに2番違いで外れたような気分をよく味わわされ得た。母にとっては高校を卒業して私の弁当はなくなっても、父の弁当はさらにしばらく続いたからあまり感慨深いものはなかった(割とこの方面はドライだった)ようだが、孫の甘辛の運動会向けに「何かおかずを作ってきて」というとかなり嬉しそうに色んなものをこしらえてきたものだ。
結婚して一緒に遊びに出かける時に妻が作ってくれる弁当以外はしばらく遠ざかっていたが、甘辛が生まれ幼稚園に通うようになって「第一期手弁当時代」を迎える。「ボクの大好きなものだけ入れてね」




甘辛は自由登校期間に入り、ほとんど学校に行かなくなってから弁当を持っていくことも自然に消えつつある。そのうち甘辛向けの弁当が終わるとき、私の弁当も終わる。まことにありがたいことだが、同級生女史のように本命の息子向けでないのに作ってもらうのは何か悪いし、我が社は昼食の補助制度が結構充実しているから、ものすごく不便になるわけでもないのだ。今度「お弁当メール篇」を妻と息子甘辛に見せて、高校生である彼への最後の弁当はいつになるか、そしてその時は何をおかずにするか聞いてみようと思う。むろんその時は同じものを自分用にも作ってもらうつもりである。母の手弁当が終わる時とは一つのイニシエーション(通過儀礼)だとも思われるが、CMのように、「これで最後」とキメられることは中々なく、後から「あー、あれが最後だったな」と思い出すくらいのものだ。しかし自宅から進学先へ通学するであろう息子は何の屈託もなく「母ちゃん、弁当作ってくれい!」
