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超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

新・共通の趣味

2015-02-08 20:51:00 | スポーツ・健康
はるか以前だが、我が家も周囲のお友達にも「共通の趣味」を持っている家族・夫婦は少ないということを書いた。「共通の趣味」編だったろうか、何か一緒に打ち込むことがあるのは羨ましいが、一方でパートナーごとの不可侵領域(理解不能領域と言ってもよい)は何かあった方が、「逃げ道」があってよいというようなことで結んだ。前職場でそんな話を昼飯時にしていたら、真っ先に「そうそう!」と膝を打ったのが育児休暇明けの「しーちゃん(仮称)」である。私が数ヶ月後に異動してしまったので、短い期間だったが明るくバイタリティもあり「もう少し早くから同じ職場にいたかった」と思える「デキ女子」だった。上司にも平然と食ってかかり、たまに衝突して「泣かされた」らしい。

しーちゃんによると、「夫婦共通の趣味などありえない」というのである。「できかた」の不均衡がちょっとでもあるとうまくいかないらしい。スポーツで言えば、何にしても体力的に男性の方が先を越すケースが結構多い。旦那にすすめられて始めたゴルフとか、サーフィンなどもそういう知り合いばかりだ。ちなみに私がサーフィンを始めるきっかけとなった向かいの奥さんも、ご主人はかなりのベテランでそのために引越してきたくらいのサーファーである。(私はかの奥方の姿を見て「この人にできて、オレにできないはずがない!」と衝動的に始めたのである)女性が大学のサークルの後輩なんてケースもあるが、どちらにしても男性側がリードしていくことが多いようだ。

「初めから師弟関係だったり、『ごろにゃん保護されてますー』状態だったらいいんですけどぉ・・・」夫婦の間は他人よりも近いので「教えたり」「叱咤したり」する時の言葉に容赦がない。能力が拮抗して相手が少し上にいる時の「上から目線」や「夫婦ならではのキツい言い草」がしーちゃんには許せないらしいのである。結婚して後に運転免許を取った時、初心者マークを付けてご主人が助手席で色々「指導」されたが、あまりの五月蠅さに「そんなら、お前が運転しろー!」とステアリングを両手放しにしてふんぞり返ったという。慌ててご主人がハンドルを切って止めたと言うが、恐ろしいことをするもんだと思った。そう言えば私も妻が結婚してから免許を取ったが、仮免の練習中はおんなじように五月蠅く吠えていた。しかし彼女が自分で作った「仮免許練習中」のプレートの端っこに小さい字で「無事故無違反」と書いてあったのを見て、何となく怒れなくなってしまった。。。

運転は教えても教えられても「ムカつき」が出てしまう例だろうが、スポーツや他の趣味でも確かにしーちゃんの言うことには一理ある。その場で落ち着いた結論は「夫婦で同じ趣味を持つなら妻側が少しだけ上をいくのがよい」ということだった。「ところでしーちゃんはどんな趣味を持ってんのさ?」と聞かれて、何か聞いたこともないディープなコミックを読むことと言っていた。なるほど絶対領域を作ってるんだなと思った。さて、遠からず息子甘辛が家を出て行った後にさしあたって共通の趣味と言えるようなものは「散歩」くらいしかないと以前書いた。実はただ歩くだけのことでも、趣味として侮れないことは分かっている。特に我が家周辺は川があり公園があり、海が近いので歩きネタには恵まれている。カメラ片手に面白ネタを探すのもよし、ちょっと負荷をかけてトレーニングするのもよし、途中で釣り糸を垂らすこともできるし、江ノ島まで歩くといっぱしの観光は全部揃っている。

  

二日酔でも海に入ると治ると以前書いたが、海には医学的な効用以外にも不思議な解毒作用があり、精神がささくれている時でも、地雷を踏んでしまった時でも海辺をふらふら歩くと、何となく治癒していくような気がする。海岸線を離れ最近よく歩くのが江ノ島「スバナ通り」である。江ノ電の江ノ島駅から弁天橋まで向かう小路で、大昔からあるお土産屋、老舗旅館や廃業した旅館の店先で使用していた食器を展示販売している軒先、「日本で一つしかない」と自称している「灯台の店」、種々の「しらす料理」店街に紛れて、ちょっとしたトラットリアやベーカリーなどが姿を現すが競争が激しいらしく入れ替わりも速い。そして江ノ電江ノ島駅を過ぎて龍口寺方面を歩くと、何となく「有閑マダム向け」レストランみたいな店がいくつか現れる。最近は散歩の終点にそう言った「行ったことない店」で試しにランチを取ることが多いのだが、「これで1500円?」・・・決して味覚の閾値が高いわけではないが、「やっぱロアジにすればよかったな」ということが多い。

    

龍口寺の前から腰越にかけては江ノ電が唯一「路面電車」と化すところで、電車接近の相図が鳴ると私でも何か緊張する。鎌倉方面行きはホントに住宅に挟まれた路地から突如現れるのである。信号があるわけでもないので、観光できた他県ナンバーの自家用車などはどうしていいか分からず、立ち往生してしまうこともある。安全のためだから仕方ないが、こういう時、江ノ電運転手は「ぷぅうわあああーん」という情け容赦のない警笛の浴びせる。この交差点に古くから「江ノ電もなか」という小さな店があり、本物の「単コロ」車両の顔部分とパンタグラフが目印になっている。ファンには結構な名所のような気がするが、あまり人で賑わっているのを見たことがない・・・すぐ隣にあるアイスクリーム屋の方がお客さんがたくさんいるようだ。この江ノ電が路面に登場する少し手前には真横が線路というカフェがあり、店内には線路に向けたカウンターがある。電車を眺めながら一休みというノリだが、窓から手を出せば頭が撫でられるくらい近距離だから、あまり眺めにならないと思う。。。

        

先週末は天気も良かったので、こんな風にして散歩を楽しんだが、ここにきて共通の趣味の世界が二つ増えた。一つは「爽やかな楽走編」で少し書いたが、マラソン大会出場である。以前、湘南藤沢市民マラソンは5kmのレースがあったので一緒に出たことがあるのだが、その後10マイルオンリーになったので離れ離れになっていた。その後もいくつか10km(テンケー)レースを誘ってみたが、5kmマラソンもかなりキツかったらしくノッてはこなかった。しかし最近少しずつジョギングを再開しているようで、私が先日16km走り切った後に来年は一緒に出場することになったのだ。ただし共通なのは「マラソン大会出場」であり、ジョギングや練習は各自バラバラだ。しーちゃん曰く典型的な「合わない」ケースで速い私(と言ってもそもそもただ走るだけは好きでない)と遅い妻ではペースが合わず無理にお互いに合わせても楽しくないどころか共倒れになるからだ。直近の大会出場は県内の某国際親善大会で妻は5km、私は10kmである。当分そんなスタイルを続けて、ターゲットである来年の湘南藤沢市民マラソンを一緒に走れればよいと思う。

      

さて共通の趣味候補が意外なところから現れた。「スカッシュ」である。ラケットボールと区別がつかぬが、密室で防護メガネをして壁に向かって打ちあう競技だった。5,6年くらい前に息子甘辛のサッカー合宿が千葉の保田というところで開催され、冷やかし半分に泊まりに行ったホテルに両方とも施設があったので1回だけ試しに遊んだことがある程度だ。我が家と遠からぬ縁のある一家の奥方が近所のセンター施設でスカッシュに打ち込み、妻を誘って割と本格的に始めたのである。(誰と分かってもスル―してね)彼女らが何度か練習をした後に私も誘われて、見よう見まねで久し振り(と言っても2回目だけど)に小さなラケットを振ってみたが、正直妻と大したレベルの違いは感じなかった。先日夫であるしんさんも一緒にラケットを握ると、意外なほど上手になっていた。女性軍はこそ練したり、上手な人に習ったりしているらしい。

スカッシュというのは卓球ボールよりも小さく堅いゴムボールで行う。(ラケットボールはもう少し大きいようである)ボールの空気が抜け気味?で最初はほとんど弾まない。しかしバコバコ打ち合っているとボール自体が暖まり、内部が膨張してだんだん弾むようになってくるのである。「弾み方」がテニスボールや卓球よりも弱いので、初速が速い割には打ち返すタイミングが難しい。床に対しノーバンやワンバンで打ち返し、正面の壁の有効エリアにノーバンで当てなければならないのは記憶していた。前後左右の壁を自在に使ってよいので、単なる壁打ちよりははるかに複雑で面白い。しかし少年時代(インベーダーゲームが流行るはるか以前・・・)誰よりも「ブロック崩し」の得意だった(ちなみに最初の1球で一度もミスすることなく全面(7面)をクリアできた)私は「反射」には滅法強いのだ。

一番上手なのはキャリアの長い奥さん、私としんさんは2回目くらいなので似たようなものだが、相手の取れないところにボールを落として(多少こすっからく)得点する嗅覚は素晴らしく、奥さんもガチンコゲームすると負けることがあるという。私はレベルがどうなのかはよく分からぬが、テニスでも卓球でも「続ける」ほうが楽しいと感じ、難しい球をギリギリですくうのに快感を感じ、相手が歯ぎしりするようなところにボールを落とすのは(武士として)好きではないので、たぶん試合には強くない。ただしばらくやっていて身体は動かなくても要領は飲み込めてきた。このスポーツのキー技術は「予測力」である。相手が打つボールの球筋とフォームから跳ね返ったボールの軌道を予測して予め移動するのである。来てから動いたのでは間に合わない。次回はブロック崩しで培われた「大リーグボール1号」並の私の予測力が光ることだろう。

さて話を共通の嗜み論に戻すと、スカッシュにおいては明らかに妻の技量が私を上回っており、しーちゃん言うところの理想スタイルである。「勘や反応だったらあなたの方が鋭い」と言われるが、やはり上級者から色々教わっている者は上達速度が速い。たっぷり1時間汗をかいて、サイゼリヤで遅めの食事を摂っている時、「きなこもちさん、急激に上手くなってない?」という奥さんの言葉にしんさんは「そうそう、すごい上手になったよねえ。初めて見たけど・・・」とマリアナ海溝よりも深く、オレイン酸の単分子膜のように薄っぺらなコメントを吐露した。「???初めて見たのに、どうして上手くなったのが分かるの?心眼?」妻は腹を抱えて笑い転げていた。。。彼には注意して聞くと失笑するか苦笑するか迷うような謎の言葉が多い。現時点で明らかな母親似のお嬢さんについて「パパはどこに入ってるんだろうねえ」と首を傾げると、自信を持って「内臓ですよ」と答える。「ぎゃーっはっは、胃内視鏡検査で初めて『うわー、お父さんそっくりですねーっ』って言われるん?」(どうも意味が分からぬ・・・)
しかし家族夫婦で嗜めるものができたというのは素晴らしいことである。今回は写真を撮るのを忘れてしまったが、次回はちゃんとレポートすることにしよう。

爽やかな楽走16キロ?!

2015-01-28 23:16:38 | スポーツ・健康
自分の書いてきた記事は普通読まないのだが、あえて昨年のレースを読み返すと準備期間からして似たり寄ったりの行動で、全くもって進歩していないのが分かる。息子が合宿等で不在となり、夫婦で飲みに行って直前まで未調整というのも変化なし。「ドナドナ音」による不眠に悩まされながら、6時の目覚ましで起床・・・湘南藤沢市民マラソンの日がやってきた。昨年と異なるのは10マイルという距離が初めてという緊張感がないこと、前回の経験を活かし、沿道その他レースそのものをじっくり「見て楽しむ」余裕があることである。何せ「この姿を見たら声かけて」ととあるSNS上で宣伝してある。スタート2時間前に前夜、妻の製作した特製中華丼(三河産にら入り)を軽く一杯、野菜ジュースとともに腹に入れ、家を出る直前に前日買ってきた「スポーツようかん」を口に入れた。小夏師匠のアップされた両口屋是清さんの「ささらがた」を思い出し購入したのだが、中身はなんと普通の羊羹!うーむ。。。エネルギー171kcalとあるが、単なる糖分ではあるまいか・・・

そのままウルトラTシャツを着るつもりだったが、正月の箱根駅伝で山登りの選手がアンダーウェア抜きで走ったために「低体温症」でふらふらになってしまった例を思い出し、下に黒いアンダーシャツを身に着けた。ランニング用アパレルを持たない私は、これまで妻子が父の日にプレゼントしてくれたスポーツジム用ウェア上下にゼッケンを着けて走っていたのだが、今回は沿道の声援を稼ぐためにこのスタイルとしてある。これに昨年完走した時にもらったファイテンのネックレスとゼッケンと共に送られてきた足首用シール、前日に購入した(もはや効力をあまり感じない)バンデルのストリングブレスレットを身に着けて江ノ島に向けチャリを走らせた。このゴム(バンデル)ホントに効くんかなー。かなりやられたような気がする・・・真っ直ぐ道を進み出た134号線はまさしくマラソンコースである。ボランティアの方々がドリンク所や救護班などの準備を行っている。全く彼らのおかげで気持ちよく走ることができるのはありがたいことだ。

  

昨年同様天気は快晴、風もなく絶交のマラソン日和である。観光大使のつるの剛士さんが親子ランを走り、FM横浜のDJハギーさん、ホズミンが10マイル走るのも前回と変わらず、ただ今回は「どこにいる?」と連絡を取り合う知人もおらず、後ろから2番目のEゾーンでワイワイガヤガヤグループで楽しそうに身体を動かす人たちにポツンと交じった孤独感あふれるスタートだった。号砲が鳴ってからスタートラインを通過するのに10分近くかかり、その後さらに10分くらいは完全にノロノロ状態だ。取りあえず「スタートだ!」と某SNSサイトに投稿し、しばらくスマホを握ったまま走っていた。少し時間がたつと(たぶん)応援メッセージを投稿してくれた合図のようにスマホがブルブル震え始め、何となく独りぼっちのような気分だったのが元気が出てきた。スタート直後たくさんのランナーでひしめく弁天橋を渡り、イル・キャンティの近くまで走ってきた時に突然頭上から「磯辺さぁーん!」と大声がかかった。ジムで話していた人が昨年よりも派手なキラ星を顔中につけてメガホンを振っており、思わず「Mラさぁーん、ありがとう!」と叫び返していた。

          

私は昨年走って色々あった愉快な経験からこのレースで成し遂げる5つのミッションを自分に課していた。
1. 全ての給水所でドリンクを受け取り、ボランティアの人(たぶん中学生)に名前を呼んで「ありがとう」と伝える。
2. 沿道で飴やドリンクを差し入れてくれる子供から受け取って「ありがとう」と伝え頭をなでる。
3. 「ウルトラマン」という声援に対し、必殺技のポーズをしてみせる。
4. ボランティアで警備員をやっているKちゃんパパを見つけ、こちらからその様子を写真に撮ってあげる。
5. ゴール後ずらりと並んで「ギブミーファイブ」してくれる人たちと写真を撮る。

江ノ島水族館の手前あたりで、たくさんのランナーと向こうに聳える富士山が収まるポイントがあり、思わずスマホを取り出してシャッターを切っていた。最初の給水所はスタートからわずか2キロ・・・コップの水を受け取って野球部のようないがぐり頭のネームカードを確認し、「ありがとう!●石くん」とにっこり笑って走り去った。「ランナーのみなさん、がんばってください」と書かれた紙の箱を持つ小さな子供に走り寄り飴玉をつまんで「(んっ?この子、昨年もいなかったかな)」と思いつつ、「ありがとうねー。」と頭をさらっとなで、横にいた親御さんらしき人に軽く頭を下げて走り出した。

  

海浜公園のトンネルを超えるとどこかにスピーカーがあるのかラジオの中継のような声が聞こえてくる。声のする方角へ少しスピードを上げていくと。。。「ただ今、脈拍115、消費カロリー336、1キロあたりのペース6分45秒、走り始めて25分経過です・・・」などとスピーカーから流れている。周辺のランナーは物珍しがって近寄ってきたが(もしかして宣伝?)、私は一人「ウルトラセブン」の最終回、モロボシ・ダンが自分の脈拍、体温などを自己計測し体調不良を認識するシーンを思い浮かべていた。(たしか地球人にはありえない、とんでもない値だった。)
箱根駅伝では海岸コースに出る地点として登場する浜須賀で1回目の折り返しだ。手前に給水所があり、「あと半分でーす。頑張ってください」と声をあげる「○橋さん」からスポーツドリンクを頂いた。最初の折り返し点を過ぎると沿道には家族連れや見物客もたくさん登場してくる。「あーっ、ウルトラマンだよ!」「えっ?どこどこ?」最初の子供の声援に私はすかさずスペシウムポーズで応えた。



思ったより距離があったが、海浜公園のトンネルが現れた。Kちゃんパパはトンネルから入口の間で警備していると聞いていたが、トンネル内は保安上の理由からか応援者は入ってはいけないようだ。トンネルを通過してきょろきょろ探していると、はるか向こうにKちゃんパパが手を振っていた。足を止め、スマホを取り出してパチリ・・・警備員は職務上、記念写真などは撮ってはいけないことになっているそうなので、逆にこちらからその雄姿を撮ってあげる約束をしていたのだ。「こんなところで、うろうろしてて大丈夫なんですかぁ?」げらげら笑うパパとハイタッチして再びコースを江ノ島に向かった。天気は良くて風もなく走るには気持ちよかったが、警備の為に数時間立っているのは寒かろう。たぶん朝からゴミ拾いなどしてコースを整備してくれるのだろう。8600人余りのランナーが走るが、我らを支えるボランティアの人たちの数もものすごい。「熱い男」はロードバイク(でいいのかな)が趣味のようで、この後ご自身もランナーの興奮気分で県の最果てまで走ったようだ。次はぜひ一緒に出場したいものだ。



さらに進んだ先の竜宮橋が2回目の折り返し地点になっているため、ゴールに向かう人とこれから江ノ島入口で折り返す人が車線で分けられた結果、少しスピードに乗りかけたペースがまたダウンした。この辺りから沿道の声援や関係者の活動もさらに活発になってくる。黄色い声援はなかったが、「ウルトラマンがんばれー!」というたくさんの声を頂いた。数えていなかったが20回はくだらないだろう。。。私は律儀に声をもらうために光線技ポーズをとっていたが、初代マンの技だけでは足りなくなりウルトラ兄弟まで範囲を広げていた。自分に向けられた応援と分かると確かに元気100倍だ。ちょっと自分が円谷プロの宣伝マンにも思えたが、初代マンのTシャツは作戦通り沿道の声援を集めるのに絶大な威力を発揮した。これを着ていればさらに同じ距離くらいは走れる気がした。

しばらく走っていると大き目の箱を持った男の子が「スパイダーマン!」と大声をかけていた。見るとホントのスパイダーマンのコスチュームを着たランナーが近寄って行って「ありがとー!」と飴玉をもらって行ったが「あれっ、オレ食えねえや!」(ちゃんとマスクもしていったので)と頭をかいて周辺を笑わせていた。道の真ん中を走っていた私は笑いながら走り過ぎようとしたが「ウルトラマーン」という声に思わず180度反転し、コーラ飴をもらいに走った。さらにそのすぐ先に一人の女性が佇んで(という表現が合っているように見えた)おり、何かを皿に乗せたお盆を持っていた。距離が縮まってきて、何なのか目を凝らしてみるとオレンジが3切れくらい乗っかっているようだ。うーむ。。。申し訳ないが、たった一人でポツンと立たれるとちょっと恐い感じがしたが、気が付いたら魔女に吸い寄せられるように接近しており、パシっと目が合ってしまった。

「あのーぅ、これ頂いてもいいですか?」「どうぞ、どうぞ!」と笑って差し出す彼女は少なくともメドゥーサよりはアテナに近かったと思う。一切れ口にして思わず(羊年だけに)「うんめぇ」と言ってしまった。疲れた時に果物の糖分はこんなに美味く感じるのか。そう言えば高校時代サッカー部のマネージャーは試合のハーフタイムでよく「輪切りレモンの蜂蜜漬け」を配ってくれた。彼女は昔、どこぞの運動部のマネージャーだったかもしれないなどと考えつつ新江ノ島水族館手前の上り坂にかかった。この辺が10キロ地点だろうか、そろそろしんどくなってきたかなーと腕をぶらぶらしているとイル・キャンティ前にまだいたMラさんがメガホンで「皆さん、ここが頑張りどころ!皆さんなら必ずやれます。もう一度富士山を眺めましょう!」ははは。あの人元気だな。ところで何で自分で走らないのかな。。。。
2回目の折り返し点(江ノ島入口)を過ぎ、早い人たちは弁天橋を渡ってそのままゴールに向かう。我々は最後の折り返し点(さっきの竜宮橋)に向かう群れだが、走る人数は半分近くになり道路が空いてる感じがしてくる。

おーっ、Mラさんが言うように再び霊峰富士の雄姿が・・・ここまでくればもう大丈夫だ。いけるだけスピードアップしてみるか。いつも波乗りするスケートボードパーク前が最後の給水地点だ。大きなテーブルが2か所並んでいて、手前がただの水、向こう側がスポーツドリンクだ。ランナーは最初、手前から水を受け取って走り続けるが、2週目は要領が得て、奥側にスポーツドリンクがあるのを知っているからそちらへ殺到することになる。私はガラガラになっても水コップを差し出している人に余裕で走り寄ったら「これで最後、残り3キロでーす。がんばってください!」「●○君、ありがとうなー。このままいけそうだよ。」とサムズアップして力強く加速した(自分ではそのつもりだった)。申し訳ないが沿道へのサービスはこれまで、竜宮橋で折り返してからは持てる最高速(と言ってもそう変わらない)でゴールを目指した。弁天橋の歩道では観光客がたくさん物珍しそうにこちらと富士山を交互に眺めている。

そのまま(自分のイメージでは)風のようにゴールを切り、すかさずスマホを取り出して向こうに並ぶハイタッチっ娘軍団をパチリ、鳩サブレてぶくろを脱いで、ギブミーファイブ攻めを味わったのである。終わってみれば色んなところで道草を食っており、初回に比べてずいぶん楽走だったと思う。ランナーでは誰一人として知っている人とは会わなかったが、ボランティアや関係者、沿道の人たち全員と何かつながっているような気のするアットホームな大会だ。何せ我が家のすぐ前だし・・・私は帰宅して妻とスーパー銭湯に身体をほぐしに行った。「楽勝、楽勝、もう10マイルくらい走れるぞ。ちょっとこの後ヨーガでも行ってくるかな」「この人、16キロ走った後にもジム行こうとしてるよ・・・」呆れて冷やかに笑う妻も実はここのところ少しずつランニングを始めている。かのタイソン氏は何と来月の東京マラソンに抽選が当たり、フルマラソンに挑戦するそうなのだ。私は来年もこの134号を必ず走る。ボランティアの警備はいずれお手伝いするがまだ先の話だ。次回はぜひお友達全員でハイタッチと行きたいところである。

 

スーパーランニングシャッター

2014-12-23 08:37:01 | スポーツ・健康
勇ましいタイトルだが、昔幼い時の甘辛がハマった「ムシキング」の究極必殺技「スーパーランニングカッター」をモジッただけである。飲み食い寝るだけの正月メタボ期間が終わるとすぐに「湘南市民マラソン」がやってくる。地元も地元、我が家のすぐそばがコースになっており、スタート/フィニッシュが江ノ島でお散歩気分で参加できる気楽さから第1回開催から参加しているが、前回レースから一般は10マイル(約16km)となってしまった。1年に2,3のマラソン大会には出るものの普段は「ただ走るだけのジョギングなんてしないから、割と身体に慣れてきた10キロに比べ相当キツいことは確かだ。昨年はひと月以上前から少しずつジョギング練習をはじめ、緊張の中で割と余裕をもってゴールした。時間は約95分、時速10キロのスピードである。ジムの「ハツカネズミマシン」で時速10キロというのはかなり速めで、60分も走ると息も絶え絶えになるのだが、江ノ島と富士山を視界に海岸線を気持ちよく走ると沿道の声援にも助けられて「頑張れて」しまうのである。

確か前回は意外にも「楽勝」だったので、本場の「湘南国際マラソン」でハーフマラソンを宣言したのだった。GW前がエントリーだったのだが、目を疑うことに湘南国際マラソン(ハーフ)の制限時間はなんと1時間30分!私の10マイルタイムよりも「回収時間」が早いのである。こんなのありか?!どうやらフルマラソンに焦点をあて、本格ランナーだけに絞るためハーフマラソンの制限は厳しくなったようなのだ。サッカー現役バリバリの息子甘辛は公的試験で走れない私に成りすまして10キロを約45分で走った。彼の走力をもってしてもハーフマラソンは制限時間ぎりぎりになってしまうのだ。とてもじゃないが、そんなに速く走るのは無理なので、皆が忘れてくれることを祈って断念した。市民マラソンの方はだいぶ制限時間も緩いし、地元カラーが強くアットホームな雰囲気だ。8500人の中にも色んな趣向を凝らしたランナーがいる。前回も走りながらスマホで何枚かレースの様子を撮ったが今回はもう少し色んな物をレポートしてみたいと思った。R134号を全面通行止めにして走れる機会など、年に2回しかないからである。

前回は走り始めでまだ集団に紛れて走って(ほとんど歩いて)いた時にシャッターを切っただけで、後は走るだけで精いっぱいだったのだが、今回はもっと手際よく色んなシーンを記録したい。我ながら邪なことばかり考え付くものだが、「走りながら撮る」とはどんな塩梅かジョギング練習を兼ねてちょっと感触を確かめてみることにした。前回同様、スマホを腰に巻き付けて我が家を出発、10分ほど歩きながらストレッチやウォームアップを行って「歩くスピード」で走り始めた。海岸線でもよかったのだが、被写体がワンパターンで変化に乏しい(ちょっと贅沢か?!)ので、少し走ったところにある公園の周回ルートをジョギングすることにした。いくつかコースがあるが一番外側を1周すると約1.1kmでこれを15周ほどする計算となる。朝はここ数週間でどーっと雪の増えた素晴らしい富士山の眺めだったのだが、昼近くになると雲で霞んできてしまった。この公園は今の家に住んでから、甘辛が幼年期を過ごしたところで最初に目に入るのは名前のよく知らない池である。実は松林の向こう側は国道を挟んで海岸で、排水溝のようなものでつながっている。

  

あまり水のきれいな池ではなく、どこからか居ついた亀が日向ぼっこをしているようなところだ。端の方にはザリガニが棲息し、クチボソなどの小魚やフナも住んでいる。子供というのは時として実にすごい行動力と粘りを見せるもので、ちょっと見「とても捕まえるのは無理だろ」と思っていても、何だかんだあらゆる工夫をして最後には捕まえてしまう。動物にとってはまことに厄介な天敵だが、甘辛もこの池から様々な生き物を捕まえて持ち帰ってきた。ザリガニは楽勝だったそうだが、クチボソは薄焼きせんべいの破片でおびき出して網ですくい、フナに至っては「手づかみ」という力技だったそうだ。パッくんもこの池出身で2度ほど台風で脱走したが2年ほど我が家で過ごした後、無事にこの池に戻っていった・・・そういう意味でハゼドンとウナ吉を生んだ向かいの川と並び、我が家の生き物ルーツとなっていた。

      

そんなことを考えながら、ほとんど歩く速度で走っていた私は腰の後ろに巻き付いているナイロンのウエストポーチからスマホを取り出して起動した。デフォルトは「顔照合」となっているのだが屋外だと光の反射で大体識別できず、暗証番号を入力することになる。そして「カメラ」を軌道し、構図を決めてシャッターを押す。この一連の動作を走りながらやると実にまだるっこしい。そのまま緩やかに進むと小学生の甘辛と毎日「朝練」したグランドが出てくる。ジュニア用のゴールを組み立て、数チームが集まってちょっとした大会を開催しているようだった。さらに走り進めると公園の入り口となり、ジョギングロードはここがスタートとなる。ほとんどアップダウンのないコースだがランニングにはつきものの「最初の20%」くらいがものすごく辛い。心拍数がいきなり高くなって身体が驚きの悲鳴を上げるのと、1周だけでもこの辛さと時間なのにこれがあと10周以上続くという絶望感から、とてもカメラを出す気分にならず「やっぱ今日のところは5周くらいで止めとくか?!」と自分との苦闘になるのである。

4周目くらいでようやくリズムが乗ってきて、周囲に目が配れるようになってきた。芝生の広場では少年少女のグループが仮面ライダーガイムで見たような今流行り?の「ダンス」の発表会をやっていた。かなりトロトロな走りだが、だいぶ心拍数も上がって身体も温まった状態でカメラを取り出し、シャッターを押すまでの一連の動作を行うと想像以上に辛い・・・画面タッチも(そもそも画面もよく見えないが)覚束なく暗証番号さえうまくタッチできないし、カメラを起動させるだけでも一苦労である。ジョギングの振動で違う文字をタップしてしまうと全部やり直しになるから、ほぼ立ち止まったような状態で操作することになる。せっかく落ち着いてきたペースが狂ってしまうし、下向きの状態が続くからいきなり走りを再開すると頭がくらーっとするし、かなりの苦行だ。。。1周に1回だけ「その光景を撮る」ことにした。少し余裕ができると公園で過ごす様々な人たちの様子が目に入る。甘辛が幼稚園の時、友達とよく遊びに行った「タコの広場」があるぞ。

  

グランドでサッカーボールを追う子供達、これに対し後ろ手に組んで声をかける指導者たち、シートを広げて弁当を食べる家族とベビーカーに乗って眠る赤ん坊、ゲイラカイトを同じ長さのタコ紐で引っ張り走る女の子、内側に隣接する交通公園で自転車でぶつかってしまい泣き出す男の子。。。前半のちょっと上り坂の何もないコースで父親らしき男性に叱られて泣いている小さな男の子がいた。2周走ってきてもまだ同じ姿勢で我が子?を睨みつけていたからずいぶん根気のある叱り方だと思った。さすがにこんな光景を撮るわけにもいかない・・・3周目でようやく手をつないで歩き出したようなので少しホッとした。そう言えば息子甘辛を「時間をかけてじっくり叱った」となどどうも思い当たらない。3周走るごとくらいに水分補給がいるようで水飲み場に寄ろうとするのだが、たくさんの小さな子が占領していてどうも近づけない。。。

1周する度に色々な(主に家族の)光景を撮るのだが、「ランニングシャッター」というのは実に難しく、ほとんどがまともに撮れていない。また起動から撮影まででどうしてもペースが狂い、どうにも息が続かなくなってきた。。。距離でいけば15周くらいする必要があるのだが、その時は11周でリタイヤすることにした。最後の1周の後半は少しコースを変え、園内にある「交通公園」に入ってみた。この公園内にあると噂される「あれ」を探すためである。って入口の交差点でカメラを向けている人がいるからいきなり分かってしまった・・・!?アトムの信号機である。小夏師匠に伺うまでは名前すら知らなかったのだが、「人間の命を守る」というイメージから採用され、神奈川県は「信号機を見つけることを楽しんでほしい」と設置場所はあえて公表しなかったのに、某大手新聞社が記事で場所を明らかにしてしまい、物議を醸しだしたそうだ。何だオレんちのすぐそばじゃないか。。。
この公園は息子甘辛が幼い頃から色々なことをして遊んだ思い出深きところだ。ジョギングしながら撮影していくという試みはどうもあまり「イケない」ようだが、超兵器を持ち出して散歩気分で歩き回れば何か新しい発見があるかもしれない。

    

よろしく!脳ドック

2014-12-16 06:34:21 | スポーツ・健康
タイトルは昔欠かさず読んでいた「少年ジャンプ」に一時連載された「よろしく!メカドック」をイジッただけのものだ。数か月前、スピリチュアルヒーリングの先生から妻や母親に私の「頭を診てもらえ」と熱心に連絡があったそうだ。離れたところにいても何となく閃いたり感じるところがあるらしいのだが、「暴走」するときもあり的中するかどうかは半々くらいだ。母について何やら言われた時は何ともなかったが、人間ドックで「完全体」と診断された後の私が「入院することになる」とした予言は見事?その年末に的中した。まあこういう話を聞いたから自分から従来抱える疾患を根治しようとしただけだが。。。しかし「頭の中を・・・」」というのは穏やかではない。一たび何か発症すると命も危険だしその後も無事には済まないのは終身名誉監督を拝見してもよくわかる。そこで妻の知人を通じて「脳ドック」なるものを受診することにした。いつも無料で受けている「人間ドック」とは異なり、それなりに値が張るものだが、今年は節目の年齢でもありこの際やっておいてよいだろう。

これまでのドック同様、事前に「問診表」に記入して提出するのだが、さすが脳というのは身体のあらゆる制御を司っているから、直接は関係なさそうな症状の設問も多数ある。いかにもメンタル系の「最近やる気がおきない」「夜なかなか寝付けない」「世の中めんどうだ」などは鼻で笑っちゃうし、疲労系と思われる「身体がだるい」「目が疲れる」「息が切れる」などもこれまで同様自信をもって「ない」とするのだが、「最近視力が落ちた」とか「眠りが浅い」「頭痛がする」など思い当たるふしがある項目が「そんなの誰でもあるじゃん」とスルーできなくなる。最近やけに原因不明の湿疹ができたり、むやみに身体が痒くなるのも「野菜を食べないからか・・・」と苦笑できなくなる。頭痛や眼精疲労のように頭に直結していない「脳から遠い」症状にとてつもない重病が隠れているような気がしてくるのである。一体ヒーリングの先生は何を見たのか?!

1日で全ての検査を終えたいので装置の空き状況をみながら予約が二転三転し結局先週末となり、いつもとは違う緊張感をもって健診センターへ足を運んだ。以前にも「北関東編」のどこかで少し書いた気がするが「医療はサービス業」と徹底している。受付ではかなり丁寧に頭部MRI検査の注意事項を説明された。更衣室で検査着に替え(どうせたくさん待ち時間があるから)先日読み返したばかりの「壬生義士伝(下)」をもって待合室にいたら、早速係りの人がやってきてその日のスケジュールを細かく説明し、またしてもMRI検査時の注意事項だ。「アクセサリー、時計、メガネなど全て外してください。受診直前にまた詳しくお聞きすると思います。検査着の下はパンツだけですね?」それはそうだが、周囲にたくさん人がいるのにそんなことを聞かなくたって・・・いっそのこと「いえ、ノーパンですけど!」と言ってやろうかと思った。強力な磁場を使用するので人体に危険を及ぼしたり、うまく写らなかったり、装置が故障する場合があるからだそうだ。

血圧、採決の後はいよいよ脳ドックの主力兵器「MRI」の登場である。検査室前の待合スペースではまたまた別の女性が現れ「繰り返しになりますけど・・・」と細々説明を始めた。検査には約20分、今、前の人が入ったばかりだそうだ。「必ずお読みください」という紙面をもって一つ一つ確認していく。椅子一つしかない小部屋で係の人と二人きりでは何か退屈で時間を持て余し気味だったが、チェックペーパーを繰り返しみているとだんだん面白くなってきた。
「このパンフレットにある『最新の3.0テスラMRI』って磁場の強さですよね。どれくらい強いんですか?」「さあ、具体的には分かりませんけど、過去の事故では死亡例まであるようなんです」
「義手・義足もダメね。。。金具のついた下着ってSMに出てくる皮の貞操帯みたいなヤツ?」「えっ?あはは。ワイヤー付のブラとかですよ・・・」(やべー、変なことを思いついたがこの人、キラいじゃなさそうだ)
「入墨もダメ?ぎゃーっはっはは。カツラもダメなんだ。慌てて人前で外すのはカッコ悪いですよねえ。軍歴?体内に強磁性体の破片がある方ってのは生生しいなあ」(私は「巨人の星」のオズマを思い浮かべていた)
「入墨の塗料に磁性体があると熱を持つんです。カツラは固定用のピンとかね。破片じゃなくても体内に金属のある人結構いるんですよ、ペースメーカーとか。」「そういや、ボクも足首骨折した時、金属プレートが入ってましたぁ・・・」「でも、今は取ってあるんでしょ?取り残しがあるとまずいですよ」(あるわけねえだろ!)
「可動式義眼、体内除細動器、脳動脈瘤クリップ、磁石式人工肛門・・・何か聞くだけでぞっとするようなアイテムがあるもんですねえ・・・」

      

やがてドアが開いて中の人が出てきた。「お待たせしました。こちらへどうぞ」と言われて入った部屋でまず度胆を抜かれた。壁に自然画があるが、全面ブルー仕様で未来映画の冬眠室のようだ。「こちらへ腰かけてください」検査技師がテキパキと装置の準備をしていた。「膝をマットに合わせて立て、横になってください。時間は20分くらい、様々な音がしますがリラックスしてなるべく頭を動かさないようにしてください」
腹部をベルトで固定され、その上に毛布をかけられ、ヘッドフォンをされると何やら音楽が聞こえてきた。最後に頭の上から顔面半分くらいの仮面みたいなものを装着され最後に念を押された。「身体に埋め込まれているものはありませんね」うーむ。。。このスタイルで聞かれても笑えねえ・・・まるで改造人間手術を受ける気分だった。

  

準備を終えると係の女性は部屋から出て行った。しばらくするとヘッドフォンから「では、これから検査を始めます。何かありましたら握っているスイッチを押してください。」うぃーんと静かにベッドがスライドし、粒子加速器のようなトンネルに入った。私は思わず1号ライダーのオープニングでお馴染みの「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは・・・・」と口ずさんでいた。そのうち映画が上映開始する時のぶーぅぅーっという長いブザーのあとばばばばばっと妙な雑音から検査は始まった。この状態で20分か・・・かなりの苦行だぞこれは。こんな時こそ、と私は先日ヨーガのインストラクターに習った「片鼻呼吸法」を行ってみた。「左の穴から空気を吸い、右の穴から吐く。次に右の穴から吸い、左から吐く」という、いっこく堂さんでも不可能っぽい芸当だがイメージだけでも心を落ち着かせるのに効果があるという。

そのうちに雑音が止み音楽が聞こえてきた。どうもBGMとして流れているらしいが、うるさい雑音で消されてしまうようだ。次にべー、べー、べー、べーと故・鳳啓介さんの物マネみたいな軽めの音になった。「様々な音」と聞いていたが、その後も断続的に決して愉快ではない雑音が続くことになる。ぼんぼんぼんぼんと底響きのするかなり大きな雑音となって「んっ?この騒音、どこかで聞いたことがあるな・・・」と考えていたら、以前搭乗した陸上自衛隊の大型輸送ヘリch-47チヌークの騒音だった。。。「想像を超すほどうるさいです」と言われて耳栓を渡された機内である。一体この装置は何をしてるんだろうか?そうこうしているうちにまた音色が変わり、たんたんたんたんと割と軽快な音に続きじょーっじょーっと油で何かを揚げているような音がセットで続いた。「(あーこりゃーまな板を包丁でとんとんしてる音だな、とすると何の揚げ物だろ?小さく切ってすぐに揚げるものなんかあったかな。鶏肉とネギをミンチにして油で揚げるようなものか・・・)」全く取り留めのないことを考えているうちに検査が終了となった。

しばらくして内科医師の診察(聴診器をあて、指をとんとん叩く診察を数十年ぶり)を受けた。モニターで初めてMRIの画像というものを見たが、なるほど輪切りや断面図、様々な角度からかなり詳細に脳が写し出されている。(大腸もよかったが、オレの脳も綺麗なもんじゃないか・・・)詳しいところは後日報告書と画像CD-ROMが届くそうだが、その他の検査も含めて今のところ異常なし。自分の脳内を画像CD-ROMで見えるというのも何やら香ばしい。。。(どこかにアップしてやろうか?)あまりに念のいったMRI検査前確認と久々に聞く磁束密度の単位に3.0テスラという磁場はどのような強さなのか調べてみた。地球磁気の約3万倍くらい、方位磁石ならびしーっと0.1秒くらいで整列するかな。またリニアモーターの超電導磁石が1.0Tほどだそうだ。普段あまり馴染みがないのでピンと来ないがかなり強そうだと分かる。通常のMRIは1.0〜1.5Tくらいだそうだから、最新式のかなり強い装置だということが分かる。前室の係員女性が行っていた死亡事故とは酸素吸入が必要な患者用に不用意にMRI室にボンベを持って行ったらリングの中に吹っ飛び入り患者の頭部を直撃してしまったもののようだ。恐ろしい・・・体内に強磁性体などあったらホントにやばいんだな。

何はともあれ、何も異常はなかったようなので一安心だった。受付で「脳ドックを受診されるきっかけは何でしたか?」と聞かれて、まさか「霊能力者に見てもらえと言われた」ともいいにくいので、「まあ、年齢的なもの・・・」ということにしておいた。まだ安心できぬが、先生も何かが見えたのだろうからこれから何かにつけて気を付けるようにしよう。最後に中学生の時に流行ったクイズを思い出したので書き留めておく。
「野菜さんチーム」と「身体の一部さん」チームが野球の試合をしている。野菜さんチーム1点リードで迎えた9回裏の最終回、ノウアウトで「右手さん」が1塁ランナーにおり、一発出れば逆転サヨナラの場面で「背骨さん」が登場したが、セカンドゴロゲッツーで万事窮す、試合終了となってしまった・・・一体なぜか?

ダウンサイジング

2014-08-21 23:42:27 | スポーツ・健康
もう間もなく私は「人生のハーフタイム」とも言える時期を迎える。子供の頃、いくら走り回っても端っこに行き当たることのなかった近所の公園、迷い込んだら二度と脱出不可能にも思えた街の遊園地、ローラースケートで縦横無尽に滑りまくってもクラクション一つ鳴らされなかったラチエン通り、その広大だった記憶が大人になって久々に訪れると「えっ?ここってこんなに狭かったっけ?!」と不思議に思うのはよくあることだ。しかし一定以上の年齢を重ねると、その逆の現象も起きることに気が付いた。フィールドがやたら広く感じるのである。。。むろんこれは体力的なところが多い。マラソンのようにたらたらと自分のペースを維持して、身体と対話しながら走るようなことが苦手な私はあっちに行ったりこっちに曲がったり、全速でダッシュしたり急にストップしたり、という「アジリティ」を活かす運動ばかりしてきた。

スポーツ少年団では野球を中心にバドミントン、卓球など子供でもできる運動はなんでもしたし、中高生期はサッカーを中心に学校で「対組競技」というのが盛んだったからバレー、バスケなども本気(と書いてマジと読む)で練習した。学生になるとバブルらしくテニス、スキーなどが加わって最後に「おやじのスポーツ」と思っていたゴルフにも「試し」に手を出すことになる。社会人になって身体をフルに動かす機会はめっきり減り、たまのソフトボールくらいしか外を走り回ることはなくなった。やはり「社会人の仕事」というのは厳しいものだ。覚えることはたくさんあるし、怒られること、謝ることなども度々で、さらに「夜の付き合い」なるものも盛んにある。何せ「24時間戦えますか?」というCMが流行った頃だから、何をするにもモーレツ(死語?)だった。人間ドックなどその意味すら知らず、健康診断時に赤マークがいくつも付いてくるのを誇っていたようなところがあった。人生で最も体重量があったのが20代なのである。

20代も後半に差し掛かり、信じ難いことに上司の上司やもっと偉い筋、謎の人事担当あたりから「縁談」なるものを持ちかけられたことが何度かある。まるでべたなサラリーマン物語みたいだがホントにあった話で、これらをきっかけによく言う「結婚を前提とした交際」などになっちゃった場合に、どうも今よりも10キロ以上太った醜い姿では「政略結婚」と言われそうな若者らしい危惧を感じ、ここに至ってかなり我流の「肉体改造計画」に走るのである。独身寮に住む貧乏会社員だから、やることと言ったら帰ってひたすら走るだけ・・・5kmくらい先にスーパー銭湯を発見したので、そこまで走って汗を流し、復路はまた走って帰るという、ボクサーの減量のような世にも危険なダイエットだった。むろん身体によくはないことくらい分かったが、何事も一気呵成に行ってしまう私は自分の性格を考えて「一旦、一気に落としてしまい、その栄光を維持する」能力に賭けたのである。脱水で眩暈がしたり、肌がカサカサになる副作用も乗り越え、数か月でほぼ現在の体重に持ってきてしまった。後は毎日体重計とにらめっこしながらジョギングの数はそこそこに抑え、増えれば減量、減れば休むということで維持に成功した。

結婚して地元近くの社宅に住むことになって、生まれて初めて「スポーツ・ジム」なるものの門を叩いた。当時は妻も正社員で仕事をしており「早く帰った者が夕食を作る」ところがあったが、やはり私の方が遠方勤務だし帰宅時間は遅いことが多い。会社帰りに「家で待っている人」があると、夕飯を一緒に食べ共に晩酌しテレビを見る、なんてことが習慣化し、着替えて「ちょっと走ってくる」という気分には中々ならないから、会社帰りに「カロリー消費」してきてしまう作戦だったのである。最初はマシンジムで黙々とバイクを漕いだり筋トレを行ったりのジムライフだったが、ある日勇気を出してスタジオプログラムのバーベルエクササイズに参加してみた。一人でひさすら上げ下げを繰り返すよりも皆で一緒に音楽に合わせて行う方がはるかに楽しい。そのうち恐る恐るパンチやキックを使うコンバットエクササイズに顔をだし、踏み台を使ったステップエクササイズを経て、ついに男子禁制かと思っていた未踏の「エアロビクス」に辿り着くのである。

だらだら走ったり歩いたりの繰り返しでひたすらカロリー消費と汗を流す運動ばかりしていたが、30代になってエアロビクスのような「有酸素運動」に忘れかけたていたアジリティを思い出しかけてきた。そして息子甘辛が幼い時からサッカーを始め、一緒に練習するため再びピッチに立つことになるのだ。普段はスタンドから応援しているが、たまに練習のお手伝いをしたり、保護者も交じって紅白試合をしたりすると、小学校のグランドとゴールなのに「こんなに広かったっけ?」と戸惑うのだった。合宿の際に大人用グランドで試合をした時など、ゴールラインが地平線に見えた・・・ピッチを広く使って走り回ることなどできず、「ボールのあるところに集まってダンゴになる」という幼稚園生のサッカーになってしまう。今から考えるとフィールドの3次元的な識別能力が著しく衰えたので、平面としてとらえた際に距離が絶望的に遠く見えてしまったのだと思われる。

やはり30代半ば、地元の悪友達で草野球チームを結成し大会にもエントリーするようになった。もう亡くなってしまったのだが中学時代世話になった用務員の方に監督になってもらい、高校野球でならした輩が集まったのだ。私は小学校以来野球からは離れていたが、投げて打つことくらいはできるので「ライパチ」(ライトで8番)で入れてもらった。久しぶりに市営球場の外野に立ったとき、「がっちりいこうぜー」と叫ぶキャッチャーが米粒にしか見えなかった。まるで後楽園のジャンボスタンドから試合を眺めているような絶望的な広さで、ゴロはいいけど外野フライだけは「飛んでくるな」と祈ったものだ。そういう時に限って、バンバン飛んできて右往左往するもので、外野手が目測を誤って打球をバンザイしてしまうほどカッコ悪いものはない・・・

守っていて後ろを振り返ると球場のフェンスなど100メートルくらい先に見え、これを超すホームランを打つヤツなど人間じゃないと思ったものだ。大体イチローのようにフェンス間際まで走ってフライを捕るなんてありえない・・・
やはり普段から慣れていないから立体感覚が麻痺しているのだ。真横から見ると地の果てのように見えるが、高台から見下ろすと大した距離じゃないのである。その証拠に10数試合行ったうちに1回だけインローの直球をマン振りしたら見事に体重が乗り、サザンも凱旋コンサートを行った球場のレフトスタンドにワンバンで叩き込むことになるのである。悪友からは「すげえ、オリエンタルツーベースだ」と冷やかされたものだ。しかし40近くにして一旦チームメイトも仕事上地元から離れるものも多く、メンバが集まらなくなってきたのでそのまま草野球チームは自然消滅のようになってしまった。

この頃が急速にダウンサイジングが進んだ期間であろう。町内対抗やレクリエーション大会などで、ソフトボールはいけるが野球は姿を消した。バレーボールはビーチバレーになってしまったし、サッカーはフットサルに変貌した。むろんどちらもスポーツとして決して楽なものではないのだが、「動く範囲と見える範囲が限られる」ことが大事なのである。年を経るに従い自然世の中への視野は広くなっていくものだが、ことスポーツとなるとグランドやコートが子供の頃遊んでいた公園のように広大なものに感じる、すなわち体力とともに行動視野がダウンサイジングしてしまうのだ。それでも昔とった杵柄、できないことはないが、広大な平野で独りぼっちで走り回るような「すっぽ抜けた」感覚があり、以前のような身体能力フル稼働の実感がなくなって徒労感が先行してしまうのである。

割と近い年代でも野球やサッカー、ラグビーなどもまだまだ正規のサイズで頑張っている知人がいる。体力的に素晴らしいのももちろんだが、彼らは広いグランドを立体的にとらえる能力がまだまだ健在なのだろう。たぶん頻度がモノをいうが、これを維持するのは体力以上に難しいものだと感じる。社宅にいたオトウ(お隣ではない)さん、ジローくん、靭帯断裂してもまだ懲りずに続けているKYOちゃんたちには頑張ってもらいたい。
実は先般書いた「応援する者の心理」で競技スポーツから生涯スポーツに転換するポイントがこの「ダウンサイジング」が進む少し前である。まあ、それもそう悲観したものではない。懐は「アップサイジング」しているはずだからである。人生のハーフタイムを目前にして身体はダウンサイジング、心はアップサイジングというところでよしとしようと思う。

おまけ 湾内では似たような日に夏祭りとともに花火大会が開かれるため、同時にいくつかの催しを見ることができる。写真は茅ヶ崎とたぶん酒匂川。これまでの最多記録は4カ所同時である。
  
  


応援する者の心理

2014-07-30 21:42:54 | スポーツ・健康
夏の甲子園出場校がどんどん決まっている。9回裏に8点差をひっくり返しサヨナラ勝ちしたゴジラ松井の青陵高校はすごかった。高校野球は負けると終わってしまうから、「あきらめる」ことはありえないと思うが、それにしてもすごいドラマがあるものだ。その約1ヵ月前、県の予選大会が始まっており、我が家のすぐ近くにある球場が3回戦くらいまでは試合会場になっているから平日でも臨時駐車場も含め周辺の道路が混雑する。ただでさえ夏場は周辺の道路が観光客で混むのに地元民で混むとは困ったものだといつも思っていた。

部活でいう正規の「現役」は3年生の最後の大会に負けると「引退」することになる。その先の「学生」の身分であっても(体育会でなくても)ヤマトの波動砲発射時のようにすべてのエネルギーをつぎ込んで何かをプレーしているうちは私の定義では「現役」だった。サッカーが主体だったが、バブル期全盛の「何でも手を出した時代」だから、野球やテニス、スキーやゴルフ(はちょっと違うかなー)などそれなりに練習し、ガチで取り組んでいるものは自分にとって現役だ。今となってはかなり「ひとりよがり」だと苦笑いだが、私は「現役であるうちは人の応援などしないものだ」と思っていた。

子供の頃は(実在の)「ヒーロー」がいて、憧れの的として応援していた。プロ野球なら長嶋、大相撲なら「旭國」、サッカーならベッケンバウアー、スキーならステンマルク、テニスならボルグ、女子バレーなら白井、ジャンプなら笠谷・・・いずれもチームとして勝利することというよりは、個人に憧れ個人の芸術とも言える華麗なプレーを見たくて応援していたものだ。また少年野球をやっていた時は指導者から言われて、所属のBチームや下位チームをスタンドから大声で応援したりもした。しかし中学を卒業するあたりから、大人と同じ仕様でそこそこスポーツらしいことをできるようになると無邪気に人の応援はしなくなるのである。可能性があるうちは「オレも死ぬ気でやればあのくらいはできるさ」というのがどこかにある。息子甘辛が元チームメイトがプロチームの下部組織でプレーするのを見て何とも複雑な顔をしたというその感覚がよくわかる。

共感は多くないかもしれないが私は高校や大学などで「応援団」とか「マネージャー」とか選手を応援し支えることを好んで行う存在がどうもに理解しにくかった。応援団もマネージャーも当時は野球が主流だったが、それほど野球が好きならば「自分でやればよい」と思っていた。不幸にもハンデなどがあって「やりたくてもできない」なら別だが、「できるんなら見て応援などしている暇があったら自分でやればよい」と信じていた。(うーむ。。。若いかも・・・)自分が現役だと(勝手に)定義して動く「競技スポーツ」は自ら身体がおかしくなるほど鍛錬することはあっても、同じことをする人を「応援する」ことはなかった。プロと呼ばれる選手たちがいつの間にか自分と同年代になっていて、「逆立ちしても太刀打ちできない」事実を認めたくなかったのかもしれない。「競技スポーツ」の世界に身を置いていると思って(い込んで)いる間である。

学生時代の後半だったろうか、たまたま同級生だった女子と食事をした時があった。単なる数年前の話しだったが、昔話にずいぶん盛り上がったものだが、ちょうど当時開催されていたオリンピックの話題になった。皆が注目する種目が中心だったが、不思議と彼女は聞いたことくらいしかない馴染みの薄い種目についても熱く語ったのだった。例えば(今はないかもしれないが)「水球」「馬術」「射撃」などおよそ日本ではマイナーな競技を時差の関係で明け方近くまで熱心に見入っていたそうだ。「ふーん、そういうの好きだったっけ?」とニヤニヤしながら聞くと、どんな競技でも国の代表として全力を尽くす姿を見ると感動してしまい、夜中じゅうテレビにくぎ付けになってしまうというのだ。その時は「そういうものか」と感心したものだ。

どこからというポイントがあったわけではないが、いつの頃からか「もはや現役ではない」という自覚が生じ、単なるサポーターとして応援に行くということに違和感を感じなくなっていた。おそらくゆっくり健康に悪くても「勝つため」に無理をする「競技スポーツ」から健康を促進し気持ちよく運動する「生涯スポーツ」に変わってしまったのだろう。世の中には「競技スポーツ」が「生涯スポーツ」のようになっている超人的な人もいるが、やはり年齢を重ねるに従って自然に移り変わっていくのだろう。25歳くらいまでが単純な身体的な能力が生涯で最高点だと聞くが、その年代に身を置いていた我が学府は早慶戦のように野球、ラグビー、サッカーなど色々な競技で「伝統の一戦」で盛り上がれる分野がなく「競技スポーツ」としては限りなくマイナーだったから、卒業してから母校を応援するような機会はなかった。

「応援」の興奮を最初に味わったのは社会人になってからの「都市対抗野球」である。入社して20年以上たっても毎年この時期になると我が社の(どういうわけか幹部が多いが)社員は常に「シンボルチーム」の応援に余念がない。。本大会に出られる時もそうでない時もあるが、会社の業態が何回か変わってから結構「常連」となることができた。かの大会はあくまでも「都市」の代表同士の対抗戦なのだが、企業力を挙げての応援合戦と言ってもよく、プロ野球などよりも組織的かつ大規模な応援団とブラスバンド、チアリーディングなどが活躍する。場内に響き渡る大太鼓に合わせ、時には数万人にもなる同じビブスとグッズを手にした大応援団が応援歌を歌うこの一体感と高揚感は選手一人ひとりなど誰も知らなくても鳥肌もんの興奮を呼び起こす。日頃、自社には大して興味を持たぬ社員がこの時だけは大声で「社歌」を歌い、勝利に熱狂し、愛社精神は普段の数倍に達するだろう。(翌日、すぐに元に戻っちゃうけど)

自分は生涯スポーツ側に身を置き、素直に応援した次の経験は「息子甘辛のサッカー」である。経験者として指導こそしなかったが、幼い頃から一緒に練習もしたしゲームに参加したりもした。小学生の時は主力選手で県トレセンにも選ばれ、チームも県内有数の強豪であり自家用車が移動手段でもあったから、試合のたびに応援に駆け付けていた。1年に150試合くらい消化していたプロ野球並みのスケジュールだったのだ。しかし中学になり「学年別」のチームでなくなると下級生の出番はほとんどなくなる。「セブンティーン」でようやく急速成長モードに入った息子はこれまでは同年代の中で身体が小さく最上級生になるまでベンチを温めることばかりになり、そこでは妙な親心が出てしまうのである。こればかりは自分の力ではどうしようもないので、本人は健気にもレギュラーで活躍する選手のサポートに回っていたのだが、やはり時折見せる寂しそうな表情を見ると自然と可哀そうになり、ピッチから足が遠のいてしまうのである。高校でもサッカーを続け、今はようやく半分Aチームになったようだが、正直自分でやりたいことがたくさんあり、何となく応援からは遠ざかっていたのだ。

冒頭書いたように、約1ヶ月前に県の予選大会が始まり、近所の野球場でも「○○高等学校野球部」と書かれたバスを見かけるようになった時、とある日曜日ふと「そういえば母校はどうなってるんだろか?」と思いついた。野球部でなかったからというわけでもないが、これだけ近くにいるのにこれまで卒業以来ただの一度も母校の応援に行ったことがないのに気が付いた。本県は日本一の激戦区で決勝まで7回くらい勝たねばならない。常連校は予選用と本戦用にメンバを分けたり、エースを温存したりして予選を勝ち抜いていくようだ。1回戦負けしていたらもう見る機会はないかもしれない・・・ネットで調べてみると残念ながら近所の会場ではないようだが、まさしくその日の午後に3回戦が予定されているではないか?!勝てばベスト32、本県では中々立派なものだ。海の日3連休はそんまんま海に浮いているつもりでいたのだが、珍しく思い立って妻と新しくできたがまだブツ切りの圏央道を北上し、県北に向かった。

我が家の近所の球場よりはずいぶん立派なスタジアムだ。おーっ、ちゃんと母校の名前が出ているぞ。1塁側のスタンドに入ってみると応援席には小ぶりながら応援団、ブラスバンド隊とチアリーディング、生徒などが詰めかけ、その横にはPTAと思われる大人たちが同じ色のポロシャツに帽子を揃えて歓声を挙げていた。2回を終わっていたが、結構点差をつけてリードしていた。スタンドの一番上に掲げてあった大応援旗の校名二文字を見てさすがに興奮に打ち震えた。(オレ達の時もあったなー!)応援歌はお約束の「狙い撃ち」(山本リンダなんて知ってんのか?)、「ルパン三世」、「サウスポー」、「仕事人のテーマ」、「笑点」・・・なんだ、我々の時から何の進歩もないじゃないか。。。そもそもどれも知らない世代のはずだろ?!試合は何と次々と得点を重ねてコールド勝ち!監督が「『打を売りにする』のチームにしよう」と言ったら皆その気になって強打のチームに仕上がったそうなのだ。

  

予選だからないよな・・・と思っていたら、試合終了後は甲子園同様選手はホームベースの前に並び「同校校歌の斉唱」というのがあった。社歌は覚えていたが、数十年ぶりとなる「北原白秋・山田耕作」ゴールデンコンビ作詞作曲の校歌は鳥肌ものだった。家に帰るとスマホに1件のメールがきていた。懐かしさに写真を某サイトに載せておいたらそれを見た知人から聞いたらしいのだ。「・・・今日、タロウ行ってたらしいよ、て言うから。。。声かけてくれれば良かったのに」中学の同級生女子の息子さんが野球部でベンチ入りし1塁コーチをしているらしいのだ。ご本人が卒業生ではないのだが、保護者応援用スタイルでメガホン持っていたらしい。次は昨年の優勝校らしいが秋の大会で負けはしたものの、それなりには健闘し打力をつけてきているから期待もできるようだ。

  

さすがに試合当日は仕事で観戦はできなかったが、開始時間に「卒業生にも回しておいたから応援頑張って」とメールしておいた。私も午前中、デスクでずーっとネットの試合速報を睨みつけていた。やはり実力差はあったのかビハインドだったのだが、7回に追いついた時は思わず「ちょっと打合せキャンセル!」と叫んでしまった・・・さすがにそういう訳にはいかず、15分遅れで会議に出席したのだが、帰って来て急いでサイトを見ると残念ながらその後得点されて負けてしまっていた。その後しばらくして彼女からメールがやってきた。「・・・・地味な1塁コーチャーの うちの次男だったけど、録画を観てたら、最後の最後 負けて泣いているレギュラーの後輩の肩を抱いて 自分も泣きながら励ましている次男が映ってた。この子は こうやって自分は試合に出られなくても後輩のフォローに回って3年間の高校野球をやって来たんだと、初めて私が気付き、また涙流しちゃいました

うーむ。。。見ていて私は「じーん」ときた、親が子を応援するとはこういうことか。。。人を応援するとはその人に応援パワーを授けるだけでなくむしろもらうものの方が多いんだな。息子のサッカーの場合は自分の経験もあって、「試合に出られない」姿を見たくないあまり遠ざかってしまったが、こういう見方ができる彼女には親としては脱帽する思いだった。珍しく海とは関係なく、都市対抗に母校の県予選と応援に明けくれた海の日3連休だったが、夏休みは今年2年生になる息子の夏の大会を応援できるように予定を組み替えたのである。

朋あり遠方からビーチバレーに来たる

2014-05-21 22:41:19 | スポーツ・健康
週末、絶好の海日和の中、約1年ぶりに元勤務地の群馬やお隣の埼玉から若手たちがビーチバレーにやってきた。その後我が家で大宴会を行うことになっている。「湘南でビーチバレー&飲み会」ツアーはこれで2度目になるが、きっかけは初回のさらに半年前、海辺を散歩していた我々がばったり元同僚のじろーくんと出会った時だと思う。「埼玉の友人たちとビーチバレーに来る」と言っていたのは「あんな遠くからわざわざ遊びには来ねえだろ」と聞き流していたのだが、暇つぶしにぶらぶら歩いていたらホントに来ていたのだ。確かその日は季節外れの江の島花火大会の日だった(記事にしたような気がする・・・)。その後、サーフボードを抱えて海辺を再び歩いてきた私を見て「ホントにやってるんですか?!」と驚いたものだ。

それから半年くらいして私の知人でも有数の活動派であるじろーくんは、同僚やルーキーズたちに声をかけ、早朝に高崎を出立し、湘南新宿ラインで実に2時間45分もかけサーフビレッジにやってくるのである。同僚の若者たちが我が庭でビーチバレーするのに黙ってみている私ではない。いつもボードを抱えて横を通り過ぎるばかりで、ビーチバレーとはあまりやったことはないが、高校時代から対組競技でバレーボールなら、得意にならしていたからできるはずだ。自分は早朝に「ひと乗り」してしまった後だったが、「もしかして若い人は珍しがってやってみるかも」とサーフボードを持って東城した。すると二人のルーキーズが果敢に挑戦し、初めての「波乗り」体験を果たして大喜びだったのだ。ビーチバレーも大いに盛り上がり、「じゃー、オレんちで打ち上げでもやっか」と我が家に招待したのだった。

たまたま遊びに寄っていたお友達夫婦のパパの方が何とじろーくんの元同僚!それに埼玉から駆けつけていた「しぶやん」も入社時に世話になったらしいのだ。思わぬサプライズに妻も腕を振るっての大宴会となって盛り上がった。体力の限界に挑戦のようなツアーになってしまい、皆帰宅したのは深夜になったようだが、すごく喜んでくれたのが嬉しく「また来ないかなー」と思っていた。昨年11月に再びじろーくんが企画して予定していたのだが、あいにく台風来襲に合ってしまい、高崎駅で解散。。。昨年と同様のこの時期にじろーくんが幹事活動に大活躍しリベンジとなったのだった。前回は「せっかく近所に来たんだから寄ってきなよ」レベルだったのだが、たまたま買っておいた生しらすが大好評だったので、今回はもう少しちゃんとした「おもてなし」をしようかと考えた。

「今回はサーフィン講座は有でしょうか?」というじろーくんのさりげない「フリ」には「あいつ、プレッシャーかけやがって・・・」と重責を感じたものだ。念のため前日も午後から海岸に繰り出したら、たまたま初心者用スクールを開催していたので(やっているであろう時間を狙ったんだけど)すぐ横でストレッチするふりをして聞き耳を立てていた。「目をつむってリラックスして直立し、そっと後ろから肩を押してあげたときに、つんのめって出す側の足が前」だそうだ。左足が前ならレギュラースタンス、右足が前ならグーフィスタンスとなる。(これはスノボでも同じらしい)上手な人のスタイルを見ることはあるが、サーフィンなんて自己流にやるものだから「初めて」という人にどうレクチャーするかなどわかるはずがない。取りあえず陸地でスクールが行っていた「基本形」をやり、後は我々が初心者の時にしてもらったように、「あらかじめボードに腹ばいにさせて、波が来たらスピードに合わせて押してあげる」ということにした。

妻は前日から買い出しにでかけ、色々と仕込みを行っている。知り合いの酒屋に連絡して生ビールサーバーも配達してもらった。私の役目は「生しらす」の調達である。HPでいくつかの直売店を見ると「漁の結果によるので予約したほうが確実」と書いてあるので、何軒か電話してみると「当日にならなければ分からない。何時に上がるか約束できない。少ない場合は一人1パック・・・」人気メニューだから高飛車なのか、単に漁師の店だからぶっきらぼうなのか・・・昨年じろーくん達がやってきた時は「試しにあるかどうか」見に行っただけなので、不漁ということで1パックしか売ってもらえなかった。当日の朝になってその店に電話してみると「上がってますよー。ただ少ないからお早目にね」というおばさんの答えだ。開店までは30分あるが、予約ができないというから行ってみて「無い」と困るからポインター号にクーラーを搭載して出動した。戸の閉まった店の前でクーラーBOXの上に座っていると「まあまあ早くから・・・さっきの方ですね。少し早いけどいいですよ。」おばさんは笑って店に入れてくれた。

  

すぐ後に夫婦連れの客が入ってきたのを見て奥にいた主人は「今日は一人2パックかなあ・・・」そこへ私は拝むように「朝早くから電車でこっちに向かってくる客があるんです。海のない群馬から来るんで何とかもう少し・・・」「何人くらいくるの?」「20人ですけど。。。4つくらいは頂けませんか?」「へーえ。遠くからくるんだね。他に言っちゃだめだよ」おばさんは冷蔵庫から4つパックを取り出してすばやく包んでくれた。うーむ。。。電話は無愛想だが中々話のわかる親切なおばさんだ。これでミッションの一つはクリア!1kgもあるから、前回よりは腹を満たすことができよう。私は一旦帰宅して戦利品を冷蔵庫に入れると再びポインター号で海岸線をいつもの散歩の終点、片瀬漁港に向かった。朝水揚げされた魚をGETするためである。「アジとかだったら思い切ってたくさん買わないと足りないよ」妻にクギを刺されていた。

毎週日曜日は直売所で朝一が開かれ、生きてる魚まで購入できるが、大体はすごーく早くから並んでいる(列の場所取りをしている)飲食店などに持っていかれ、目を見張るような魚は無くなっているのが普通だ。(向こうも商売だからね)あんまり人がいないので不思議に思っていたら、何と会場時間が1時間ずれていたのだ。魚を入れるかごを渡されて入場すると大きい魚はないものの、まだ結構残っているようだ。色んな魚があったが人によって食べる魚が違うのも妙だから、全部アジに統一した。私自身が下すことができるし、新鮮なヤツは高級魚に負けないくらい美味しく、そして安いからだ。中くらいのアジだったが20匹、それに小型のスルメイカ1袋(20匹入り)を購入しクーラーBOXに入りきらなかったので、蓋を開けたまま抱えてポインター号に乗った。

      

思わぬ会場時間のずれのために昼近くになってしまい、合流するつもりの時間が近づいてきてしまった。妻は料理系は全部自分でさばくつもりだったらしいが、他にも色々メニューがあるらしいのに20匹ものアジを下ろさせるわけにもいかぬ。私がサーフィンするところなどは珍しがって見物に来るだろうから、かっこよく滑るために隠れて練習しておこうと思っていたが、時間がないので諦めた・・・とりあえず3枚に下ろして、私の不得意な肋骨?部と皮部の切除は共同作業にし、小骨を棘抜きで除去する作業に入った。シニアグラスをして隣で魚を捌く妻を見て「(年は取りたくねーもんだ)」と思ったが、透明で小さな小骨めがけて棘抜きをかまえた時「あっ、あれ?」目のピントが中々ぴったり合わないのである。もしやいよいよ私にも・・・?!隣で妻が「おいでおいで」をしているような気がした。しかし20匹分40枚の山積みされた切り身の小骨抜きは想像を絶する絶望的な苦行であった。キッチンの高さが妻の身長に合わせてあるため、5センチ高い私は中途半端に屈むことになり、みるみる腰が痛くなってきた

  

1時間の苦行を何とか乗り越えた時はとても運動するような状態でなくなったが、後を妻に任せ無理矢理ストレッチして出掛ける準備をした。最高気温は25度で雲一つない最高の陽気だが、午後になって風が出てくると海上がりは意外に寒いものなので着替え用ラッシュガードを何枚か用意してリュックに詰めた。ピンククルーザー号にサーフボードを搭載し、凝り固まった腰をトントンしながらサーフビレッジに着いたのは1時を回ったところだった。前回同様「しぶやん」が持参した「マイ・ビーチバレー・セット」を使って彼らは一戦終えたところなのか、まったりと休憩しているところだった。分からなかったらそのまま横をスルーして、少し海で慣らそうと思っていたが、前回初めて会った「かなりん」と同僚の初登場「ユッキー」が気付いたらしく2人で走って出迎えてくれた。

「やあ、こんにちは」とあいさつすると新たな仲間もかなり加わっていた。お馴染みの「じろーくん」に「しぶやん」、「この日のために1年ビーチバレーの練習をしてきた」という「いっけい」だが実はこの3人はスポーツに関しては万能選手ではないかと踏んでいる。前回サーフィンに初挑戦した「しげちゃん」、同じ若手の兄貴分として人気の「うっしー」も恐らくバリバリの体育会系だ。駐屯地のソルジャーの後任としてやってきた「とんちゃん」はどちらかというと「出川路線」でいいキャラをしていた。年の差ついに四半世紀!今年のルーキーズからは3人、「しばちゃん」「はるちゃん」「こーちゃん」である。それぞれゴリ系、ミニモニ系、チョイケメン系である。はるちゃんは一見「ビーチバレーならお父さんが肩車してあげよう」と言いたくなるノリだが、サーブの鋭さ、動きの敏捷性からみて侮れない運動能力と見たがマラソンを走るという。

ユッキーは埼玉からの合流組で初参加だが、初めて会ったとは思えないような気さくなキャラでずーっと前から仲良しだったような気がした。しげちゃんと同期のこれまた初登場「あやぴん」もミニモニ系だが好奇心旺盛でなんとしげちゃんとしばちゃん(紛らわしいからゴリさんと改称)と3人で果敢にサーフィンにチャレンジし、完全に初めてなのにもう少しでテイクオフというところまでできた。男子のように余計な筋肉に力が入らず、浮力が使える分上達は早いようだ。皆でビーチバレーで盛り上がったが、いっけいとは異なり不覚にも1年ぶりのプレーとなってしまった私は腰痛にも襲われ「オレってこんなにバレー下手だったっけ?」などと凡プレーを連発したのが悔やまれる。

  

「早めにおいで」と言って若干の買い物を残っていた私は先にサーフビレッジを後にした。帰宅すると仲良し夫婦がやってきていて、すっかり大宴会の準備は出来上がっていた。結構社員数の多い会社のはずなんだが、こんな人数でも色々なところでつながっている。今回のメンバーは半分以上が初登場だったのだが、初めて会った気が全くしない連中だ。肝心の仕事のことはよく知らないが、誰とでも仲良しになれるコミュニケーション能力、運動神経とチャレンジ精神、そして何よりも回遊魚系の香り・・・よくよく我が方は「デキるヤツ」が多いらしい。
ビールサーバから生をたらふく飲み、パパのお土産日本酒を堪能して珍しい湘南の生シラスにアジや妻のメニューに皆喜んでもらえてよかった。

翌日、仕事だったから早くお開きにしてやるべきだったが、あまりの楽しさに夜は更けていき気が付くと私は撃沈・・・じろーくんたちは再び湘南新宿ラインで帰って行ったようだが、高崎に着いたのは日付が変わる頃だったという。もう同僚ではないから友である。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」慣れ親しんだ庭のようなたかが砂浜だが、こうして集まって遊びに来てくれるのは誇らしくて嬉しいものだ。あの連中を見ていると宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長になった気分になる。「完結編」で水惑星に20回目のワープを許してしまい、地球水没の危機に見舞われた時に彼が長官に放つ言葉「だが私は絶望はせぬ。この若者たちと『ヤマト』のある限り・・・」
絶望なんていう大袈裟なことでもないが「この若者たちある限り」というのはよく感じるのだ。
皆さん、お疲れ様でした。またおいでねー。

だましだましのススメ

2014-04-11 07:11:16 | スポーツ・健康
少し前に私の敬愛するとある師匠の記事を読んだ。フィジカルな面も多い仕事をされているが、数年前から痛みだし元には戻らなかった怪我の原因が分かったそうだ。関節の重要な部分を損傷してしまったようなのである。どうも手術をしないと完治はしないそうだが、生活などに与える影響も小さくなく、師匠はセラピーでリハビリしながらお仕事を継続していく道を選んだ。このスタイルを師匠は「だましだまし」と称したが、リハビリの中で「まだまだ使ってなかった筋肉がたくさんある」と発見された師匠にさすがプロとしての誇りと自覚を感じたものだ。ヨガでは体は心や魂が宿る「Temple」と表現するんだそうだ。身体との付き合いか・・・まったく教わることが多くて、何かにつけて読み返している。

さて、この「だましだまし」といういかにも日本語らしい表現を見て私はうーむ・・・と唸ってしまった。英語に詳しくないから何というか分からないが、ベタな変換ならtrickを使うだろうか?怪我を労わるならnurseにもその意味があったような気がするが・・・ボロが出るからこの辺で。
この「だましだまし」という言葉、それこそ以前読んだ「舟を編む」で取り上げられたらどんな話になったのか見てみたい気がする。一定以上の年齢の怪我や病気の対して「その場しのぎ」とか「ごまかして」みたいな意味に使われるが、世の中すべからく「だましだまし」の連続である。考えてみれば「ど真ん中直球を川上哲治さんのように『止まって見え』狙い済ましたようにスタンドに運ぶ」なんてことは滅多なことでお目にかからないのだ。

コースがちょっと厳しかったり、タイミングがずれたりしても外野の前に「運ぶ」のが「だましだまし」打法ではないか。学校の成績が思うように伸びない苦手な科目も「だましだまし」というところがあるし、単位取得とアルバイトの両立も(どちらが主か分からぬが)「だましだまし」だ。ポインター号が来るまでに乗用していた「チョイノリ」はチェーンが外れたり、異音がしたり年中トラブっていたが「だましだまし」乗っていたし、マンダリーナダックになる前に愛用していたNIKEのリュックはファスナーが壊れても縫い合わせ、取っ手がとれてしまっても紐を結んで「だましだまし」使っていた。我が家の家計も「だましだまし」の時はあっただろうし、システム、施設などもうまいこと性能を発揮しないけど止められないから「だましだまし」運転することも多々あった。そうそう、大震災後2週間くらいなど、まさしくあらゆることが「だましだまし」続けるしかなかった。

改めてこの言葉は素晴らしく応用の効くことがわかる。消費税増税後の経済の行方は?・・・「だましだまし」、朝鮮半島の緊張と日韓外交の進めべき道は?・・・「だましだまし」、「笑っていいとも」終了後のフジテレビの昼時視聴率は?・・・「だましだまし」、満開の時期が過ぎてしまいタイミング遅れになった夜桜花見は?・・・「だましだまし」、STAP細胞論文問題をリーダーはどうやって片づける?・・・「だましだまし」、今年で●0周年を迎える我々の結婚生活は?・・・これは怒られるからやめておこう。。。
それにしてもすごいではないか。むろん用法として正しくないものも多いと思うが、何となく全部あてはまるような気がするのである。政治や経済、外交などの評論家もこの言葉をもっと使えば今よりはよほど分かり易くなる(分かったような気になる)のではないか?

さて、まるで万能用途、生き餌界のアオイソメ、生物界のSTAP細胞のような言葉だが、やはり「だましだまし」は怪我や病気に関してが一番しっくりくるものだ。人間、一定の年齢を越えるとこればかりである。いや、年齢ばかりがキーではない。甘辛のチームメイトは成長期特有の「オズグッド」という関節症に悩まされていた。骨や関節が急成長する時の症状だから治ることはない。それこそ「だましだまし」付き合うしかないのだ。これまで頭のてっぺんから足の先まで、自分の身体を振り返るとよくまあ酷使してきたものだと反省するが、それこそ「だましだまし」の歴史だったことがわかる。何せ自然に治らないものはよほど危険なモノでない限りそうしてきたのだ。(コミック)エリア88には数々の名言が登場するが、エアチャイルドA10爆撃機を駆るグレッグと武器商人のマッコイじいさんの間にこんな会話がある。
「命は大切にせんとなあ」(グレッグ)
「そうじゃよ。大事にすれば一生使えるからな」(マッコイじいさん)

「命」を身体と考えて上から順番に考えるとまずは頭髪か。同年代ではすでにかなり薄くなっていたり(ツルッ禿もいる)、ロマンスグレーの初老紳士みたいなのもいるが、幸い私は白いモノは混じっていても「後退」はしていない。これからどうなるか分からぬがいきなり禿ることはないと思うから、少し育毛でも心がけ「だましだまし」薄くならないように努めよう。
次は目。これも幸いにいまだ裸眼で何とか事足りているが、何となく視力も落ち気味だし、霞がちにもなってきた。妻は近眼にはならずにいち早くシニアグラスを手にして「おいでおいで」しているが、「だましだまし」気を付ければもう少しはいけそうだ。先日、中学時代の友人達と久々カラオケに行ったとき、楽曲転送用リモコンに出た曲名を探すのに、そこにいた女子全てがシニアグラスを手にしたのを見て苦笑いするしかなかった。

頭部だけでももう一つある。「歯」である。歯医者に行くと「素晴らしい材質をしている」とよく言われたものだが、虫歯も何本かあり、最近脅されるのは歯周病、つまり歯ではなく土台の歯茎である。「虫歯は一本もないけど、そのうち全部抜けちゃうよ」とドックで脅されて、転勤前に勤務地で3ヶ月近く歯医者に通い続け、べらぼうに痛い歯石除去を耐え抜いたが、歯のメンテナンスも非常に大事なことがよくわかった。「だましだまし」予防保全していき、8020(80歳で20本残存)としたいところだ。外科的に治さなければどうにもならぬ「骨折」が3回。中学部活の時を除くと、不注意によるものである。病気で言うと数年前、年末年始で一気に片づけてしまったのが「ぢろう」である。これは「だましだまし」付き合っていたが、どうにも犠牲が大きくて手術でやっつけてしまったただ一つの例である。

母が無敵の万能細胞をたくさんくれたのか、私はウィルス性の病気に罹ったことがほとんどない。今年も「B型」でゲホゲホ唸っている甘辛の真横で寝ていても全く何も起こらなかった。(これは会社員としては反省すべきだが)皮膚は比較的弱い方だがアレルギー花粉症などには縁がなかった。最近「んっ?」と目がかゆくなったりする時もあるのだが、「これは違うのだ!」と自分を思いこませると気合で何とかなるものだ。ドックで健診すると血圧が高めと言われるが、薬を飲んで下げるとずーっと飲み続けなければならないから、食べ物に気をつけるとかせよということだ。生野菜が嫌いだから生野菜ジュースを飲んで・・・これも「だましだまし」である。そして県民マラソンに向けて走り込み過ぎて腰に激痛が走り・・・「年齢の割に運動し過ぎ」と言われた時はショックだったが、加齢に運動を続けたせいで軟骨やらが変形気味で、これは完治しないからうまく付き合っていくしかない、と言われた時はもっとショックだった。

熱力学には「エントロピー増大法則」というのがある。簡単に言うと全て自然界のものは「秩序が壊れる方向に進む」というところか。人間の身体も社会システムもどんなものでも、時が過ぎればいずれガタがくる。無理して元の姿に戻そうとするのは自然の摂理に反することになる。色んな意味で「だましだまし」とは知恵であり技である。また遊びでありゆとりとも言う。だまさないで結論だけ急ぐとかえってリスクが大きく壊れることが多い。ひょんなことから話題にした言葉だが、意外にも奥が深くそれどころか、「世の中の真理じゃないか?」とも思えてきた。皆さんも「だましだまし」人生をエンジョイしましょう。

おまけ。
まるち師匠に教わったが、4月上旬は湘南地方のあちこちで「ダイヤモンド富士」が見られるようだ。たまたまパートナー会社のショールームを見学して直帰したため、日没に間に合った某日、強風の中いつものサーフポイントの近くで震えながら超兵器を構えていた。途中でちょっと雲がかかってしまったが、概ねいい具合に沈んで行ったが、惜しい!ちょっとだけ左にずれてしまった。茅ヶ崎海岸のヘッドバーが一番よいポイントだったようだ。
ホントの季節もので、この時期を逃すと湘南地方は半年ほど先になる。また職場のある台場周辺は位置的には真冬になってしまうようだ。タイミングと天気によってはこれを追いかけるのも面白いかもしれない。

      


イメトレと反射

2014-03-08 21:13:28 | スポーツ・健康
職場の課題は何でもよいが、自分の課題はまるでダメ・・・そもそも回遊魚系は止まって自分を見たりしないので、課題などないと思っていることが多いが、20年ぶりに再開した、こと「ゴルフ」に関しては「からっきし」という言葉が当てはまる。会社帰りに寄るスポーツクラブにおまけのようについている「ゴルフ教室」があり、月数回くらいのペースでレッスンがある。ゴルフ練習場で受けるレッスンよりは初心者向けで、インドアネットを使い半分くらいは遊び要素も入っているが、コーチはれっきとしたプロらしい。初めての「人に教わる」経験だが、中々引き出しが多く、色んなカリキュラムを示してみせる。レッスンを受け出した当初から彼が指摘する私の課題は二つ、「上半身から力んで打ちに行っている」「野球のスイングのように棒打ちになっていてしなりがない」どちらも連動しているようだが、彼に言わせると半年たっても「あまり改善していない」。

先日彼がこぼした言葉がこれだ。「今まで色々とドリルをやってもらったが、どれもすぐにできるようになるのに肝心なところが改善されていない。つまり、誤魔化して処理するのが天才的に上手い。相当、運動神経はいいと思うんだけどね・・・」全くもって嬉しくもない評価である。さすがプロである彼は色々ダメなフォームを矯正する反復練習の引き出しをもっている。これらの多くは「悪い癖」が表面化するとたちまちにエラーが増幅するような仕組みになっている。例えばボールを3つ右上から左手前まで斜めに並べて真ん中のボールを打つドリルがそうだ。正しい軌道でスイングしないと3つともぶっ叩いてビーンボールのようになってしまう。ボールの右横に小さなコインのような目印を置いて触らないように打つ練習もその一つ。力いっぱい叩くとボールと一緒にコインも吹っ飛んだり、真っ二つになったりする。これら目も当てられないざまにならない様に反復しているうちに自然とフォームが矯正されて行くという仕組みである。

テイクバックの時に一瞬クラブをフワっと浮かすフォームも胸の前ににゅっと伸ばされたドライバーを触らずに前のボールを打つのも初めての練習法なので最初は上手くできなかった(当たり前か!)。ところがしばらく反復しているうちに「こういう打ち方すればできるんじゃないか?」というイメージが浮かび、繰り返しているうちにその日のうち、または数日のうちに見事にボールは前に飛ぶようになる。ここまでなら実に優秀な生徒である。
最近のドリルは組み合わせで斜めにボールを置き、さらに真ん中のボールの15センチ横にコインを置いて触らない様に打つ、というほとんどイジメのような練習法だが、しばらく繰り返しているうちに「これはイケると思いますよ」何人か並んでいる生徒を回ってきたコーチの前で打ってみせる。「ばしゅっ!」ボールは見事に真っすぐ飛んでネットに当たる。コーチは酢を飲んだような顔でしばらく見ていたが、後ろでビデオを構えて見ながら妙な角度に首を傾げて顔をしかめた。「ホントに磯辺さんは『やりこなす』のだけは上手いねえ」

どうもゴルフというのは今まで行ってきたどのスポーツとも「練習で上達するプロセス」においてどうも勝手が違う。野球にサッカー、バレー、卓球、テニス、スキー、サーフィン・・・どれもそこそこ「やりながら上達」してきた。恐らくこれらを支える基礎能力は「反射」である。ホントに基礎的な動きだけ教わって繰り返していると身体が勝手に動く。ホントは地道な反復練習が支えなのは分かっているが、野球は来た球を打つもしくは取って投げる、サッカーはまあ本職、バレー、卓球、テニスは来た球を受けるか打ち返す、スキーは少し時間がかかったが斜面に沿って滑り降りる、サーフィンは来た波に乗るだけ、で全てを司っているのはたぶん身に付いた「反射」である。最近「走る」ことが面白くなってきた。年を経て「反射」が効かなくなった分「対話」で補うからである。

ところがゴルフというものは川上哲治さんの言葉のように「止まったボールを打つ」からあまり「反射」は使わない。身体の動きもわずか2秒くらいだから「対話」もない。レッスンプロの彼に言わせると、ゴルフというのはかなりの部分を「イメージ」が占めるという。何イメージ?イメトレ?もしかして「成功したスイングをイメージ」したトレーニングをすればよい?まさしく「課題解決」編につながるテーマじゃないか。。。。ところがそんなに簡単に話はつながらない。頭のイメージと身体の動きが大きくかけ離れてしまうのがゴルフの一番難しいところとおっしゃるのだ。確かにコーチに言われた通りの形でスイングするとどう考えても「薪割り」としか思えないフォームだったり、背面打ちや居合抜きなど、とても美しいフォームとはほど遠いイメージだ。しかし今は、ビデオという武器があり、改めてちゃんと「打てた」と思った画像を見ると、そっぽ向いて打っていたり、まるで大根切りのようになっていたり・・・イメージと身体の動きが連動していない「よくこんな打ち方で前に飛ぶ」というくらいダメダメフォームなのにそこかしこで微妙に優れた「反射」が発動し結果だけみると「できてしまう」というのがコーチの分析である。

  

「いいじゃんか。。。言われたドリルをすぐできるってすごくね?」と開き直ってみてもやはり上達はしたいものだ。「これOK!」と言われたフォームをビデオで見て確認し、繰り返して少しずつ身体に覚え込ませていく。「おおっ、今のいいじゃないですか!」と言われた時は嬉しいものだ。そんなやりとりを数ヶ月続けてきて何と自分でも「課題は改善していないが、ドリルはできている」状態が分かるようになってきた。先週の新しい練習法では「スイングとしてはダメでしょうけど、このドリルはこうやってできます」と自白するようにまでなった。コーチは様々な経験とプライドを駆使して自分の編み出した練習法(段々と複雑怪奇になってきたが)で私に自身の理想と思うスイングをさせようとするし、私もそういう練習の繰り返しで自らの課題を克服したい。

  

私は私で我流の成功イメージをいくつも重ねた。例えばグリップから一直線にレーザーが発光されているつもりで、ずーっとボールに照準を合わせたまま振り抜く、途中まで脱力しボールに近づくほどヘッドスピードを上げ、最後はエッジでボールを真二つにするつもりで・・・とか。
何かコーチと二人で自分にとり憑いた反射の「邪神」と戦っているようで最近の掛け合いが何だか面白い。練習するのはむろんコースでよいスコアを出すためなんだろうが、朝早く起きて何時間も運転し高価なプレー費を支払って森林破壊で作ったコースを回ることを考えると同じ対価を払うなら1日船釣りの方が家族も喜ぶし生産的だ。イメトレと身体の実際の動きのずれを少しずつ埋めていくのが楽しみという、「ゴルフを教わること自体が趣味です」とでも言うか。。。

涼やかな爆走16キロ!

2014-02-01 06:04:51 | スポーツ・健康
構想2か月、練習期間1か月(って意外に準備してないな)。。。ついに湘南藤沢市民マラソンの日がやってきた。私がテンケー(10km)ランナーからテンエム(10mile)ランナーに進化する日である。普通だったら話題にもしないのだが、何せ10km以上走るのは生まれて初めてでしかも先人に聞くと「身体に何が起きるか分からぬ」領域だと言われビビりまくっていた。コースの下見や練習の様子など他人から見ればどうでもよいことをこのサイトに投稿し、「自分を鼓舞」してきたのだ。取りあえず同等の距離を走れることは確認し、当日近くになったら無理に練習せず、スポーツジムでもヨガとかピラティスと言った「伸びたり、バランスとったり」系に絞っていた。正月2日にあまりの暖かさに思い立ち、突然波乗りしたら変な腰痛が襲ってきて真っ青になったのに懲りここ数週間は大人しくしていたのである。

大会1週間前からは飲酒も控える予定だったが、息子甘辛が2泊3日のスキー合宿に出かけてしまい、ついつい妻と連続で飲み歩いてしまった。。。結局、最終調整に入ったのは2日前の金曜日、3度の消化のよい食事と軽い運動、スーパー銭湯でのリラクゼーションと十分な睡眠に努めた。前日は家に閉じ籠ってプラモデルなどを作成していたが、長時間座っていたので少し身体をほぐそうとジムにゴルフクラブを持って出かけた。ゴルフの打ちっぱなしなんぞは運動のうちに入らぬ。ストレッチと軽く動かす程度にするつもりだったのだが、たまたま30分くらいしてスタジオプログラムのアナウンスがあった。「間もなく9時45分よりAスタジオにおきまして『かんたんエアロ』を行います。」

土曜日のクラスは初めてだったが、45分くらい汗をかくくらいでいいかも、と時間ギリギリにスタジオ入りした。時間になるとやけに張り切ったスタイルのお姉さんが元気よく「皆さん、おはようございますっ!『ガンガンエアロ』を担当します●●です。よろしくお願いしまーすっ。このクラス初めての人いらっしゃいますかぁ・・・」私は乾くるみさん著の「イニシエーション・ラブ」を読み終えた時のように唖然としてしまった。もしかして聞き間違えた?「かんたん」ではなく「ガンガン」だったのである。しかも時間は60分!「かんたん」シリーズよりも速くて難しく休みがない・・・スタジオを出ていく勇気もなく、ひたすら省エネモードで小さく手足を振っていたらコーチがバーンッと目の前にやってきて「ハーイッ、カラダがあったまったら大きく動かしましょー」とダイナミックなハムストリングカールを始めた。。。結局ほぐすどころか十分過ぎるほど汗をかき、完全なオーバーロード気味に・・・ふくらはぎが若干張っているように思えたので慌ててスーパー銭湯にマッサージしに行く羽目となった。

        

当日は5時くらいからごそごそ起きだし、粘り強くノリノリにキミよく「はシラス」ために、納豆に卵とシラス干しを混ぜ込み海苔で丼一杯やっつけた。チャリで外出前にエナジードリンクを飲み、スタート直前用にパワフルゼリーを持参した。今回は走っている側からの風景をできるだけ撮影するため(さすがに超兵器は無理だったが)スマホを入れるホルダーを身体に巻き付けていた。元々着替えているから会場ではビニール袋を預けるだけだ。開会式が始まり、観光大使のつるの剛士さんは親子ランを走ると言っていた。神奈川県の黒岩知事やFM横浜のホズミン、DJハギーさんも10マイルに出場するようだ。会場近くは(たぶんものすごく)朝早くから係員やボランティアの人たちが準備に余念がない。

      

スタートの号砲が鳴り、いつものことだがすごい数のランナーが少しずつ前へ動いていく。ランナーの申告する自己タイム別にゾーンが設けられていて走ったことない私は後ろから2番目のEゾーン(タイムは1時間50分くらい)におり、友人はDゾーンに構えていたようだ。弁天橋に差し掛かるカーブまでは大群だったが少しずつ「ラン」になっていき、応援の和太鼓が鳴り響いていた。息子ほどではないが、私もイベントに関し、かなり高い確率で晴れる。この日も前は雨の予想だったが、見事晴れ渡った上にこの季節には珍しいほど暖かかった。

          

まず最初は人がたくさん過ぎて、完全なスローペースだからウォームアップを兼ねてタラタラと走る。3kmくらい走って早くも給水地点が見えてきた。水分が大事だと思い、一つコップを手に取った。周囲のランナーはポイポイ道に捨て去って行くがどうも悪い気がして、ビニール袋のところまで行って放り込んだのだが、実はただの水の先に「スポーツドリンク」コーナーがあったのだ。「それを早く言ってくんなきゃ・・・」もう一杯もらってやはりビニール袋に入れた。家族が走るのか沿道には名前入りプラカードがを持っている人がいたり、ランナーみんなに声援を送る人も多かった。

  

第一折り返し地点まで何事もなく通過。ここまできて6キロか。。。やっぱ、長えなー。疲れ方も想定内だ。少し人もばらけて余裕もできたので周囲を見回してみると、今年の干支だからか馬の被り物が多く見られた。中にはスーツを着て馬をかぶっている人もいた。「あまちゃん」の潮騒のメロディーズ(ちょっとこの二人はイタかった)、プリキュア、メイド軍団(男入り)。。。そうこうしているうちに10kmの看板が見えてきた。ここで一旦、身体と会話してみることにした。呼吸器系異常なし、背中、腹筋、腕や肩、心配された腰、何が起こるか分からないと脅された足まわり・・・特に異常なし。全然楽勝だ。ここまで馬群の中で何かのろのろとペースが上がらない気がしていたが、ぼちぼちエンジンかけるかー。

正しい走り方というのはよく知らないが、気を付けていたのは息子に教わったように、あまり上下動せずに「ハム」で走る。ということ。これは予想外に自分には効果があったようで、10km過ぎた時点で全くと言ってよいほど辛いところはなかった。大体が平坦なコースなのだが、水族館から川にかけては西に向かってだらだらと下るところがある。この日は結構西風があったから、下りは向かい風、上りは追い風、というナイスなコンディションである。二つ目以降、給水地点はスルーしていた。すごい人だかりでスポーツドリンクのテーブルなど待ち行列ができてしまっている。この大会は給水だけでなくコースの至るところに中高生のボランティアがいてくれて、声をかけてくれたり、コース案内をしてくれ本当にありがたかった。何千人も走ってくるのだから、コップを渡すだけでも大変だし、道に散らばった残骸を拾い集めるのもすごい人数が必要なのだ。その中に時々小さなテーブルにコップを2つ3つ乗せて立っている子供がいる。

どうやらランナーに飲ませようとしているようなのだが、誰か特定の人(家族とか)のためのものかもしれないし、手を出す人はいなかった。途中「竜宮橋入り口信号」に3回目の折り返し点があり、江ノ島入り口交差点の第二折り返し点を目指す我々と先を行くランナーが合流する。半周近く速く先を行く人はやはりスピードもスタイルも全然違うものだ。中には目を血走らせて時計とにらめっこしながら走る人もおり、邪魔にならないように歩道側の隅にコースをとった。そうこうしているうちに第二折り返し点江ノ島入り口が見えてきた。暖かくなってきてそこそこ汗も出てきたが、ここで身体の声を聞くもやはり特に異常なし。残りは4km、高校時代の駅伝コース1周分だ。「TKB48」という赤いTシャツを来ているランナーを何人も見掛けた。T(とみた)K(きょうこ)B(爆走)48(歳)・・・φテンネックレスのPRらしい。(うーむ、オレも自分用のシャツ作ればよかった)

  

もしかしてもっと全然イケる?残り4分の1、もう距離感は知れてるし思い切ってスピードアップするか?!しかし江ノ島入り口を折り返し同じコースを西に向かい始めたあたりで、歩きだすランナーや沿道にうずくまったり、救護員が心配そうに声をかけているランナーが増えてきた。。。やはり一定以上の距離を過ぎると何が起こるか予想できぬのか?ここまで来て何かアクシデントが発生し棄権すると必ず仲間にオムワンバ選手のような悲劇となるだろな。新江ノ島水族館前でちょっと迷いが生じてきたところ、沿道に小さなお嬢さんが両手で浅目の箱を抱えていた。遠目にも手書きで「みなさん、たべてください」という字が見える。スピードダウンして中を見ると小さな飴玉だった。私は近寄って行ってフルーツ味の小さな飴を取りだし、鳩サブレの黄色い手袋でポンと頭を撫でて「ありがとう」と笑いかけ、スピードを5割増しにしたのだった。1時間以上走ってきてるのでさすがにかなりバテて身体的も不安だが、KICK師匠のように「顔は涼やかに、見えないところは必死こく・・・」

最後の折り返し点の手前数百メートルの我々の散歩コースになっている川の河口付近で初めて知っているに感激の声援をかけてもらった。終了後打上げで合流する予定の「つぶやきさん」母子である。これで波動エネルギー充填120%!「水面下の辛さ」が顔に出初めていた私も迷わずさらにスピードをその時可能な最高スピードに上げた。あっと言う間に「Eggs’n Things」まで舞い戻り、風のように弁天橋を走り渡って一気にゴールした。何か興奮してきて(これがランナーズハイというヤツか?!)ゴールの瞬間に写真を撮ろうと思っていたのにスマホを取りだすことすら忘れていた。。。この調子ならあと5kmくらいなら軽くイケルなー。ゴールの先にはボランティアの中高生が行列で待ち構えていて「ギブミ―ファイブ」ランである。

終わってみれば素晴らしい時間だった。たくさんのボランティアのお手伝い、沿道の人々の声援、飴玉を差し出してくれたお嬢ちゃんにパワーをもらった。走った者しか分からぬだろうが、ホントに身体が元気になっていくような気がするから不思議なのだ。普段運動不足気味の知人はまず背中が痛くなり、その後腹筋が痛くなって苦戦しながらも走りきったそうだ。ジムで過激なプログラムの代わりに地味な体幹を鍛えるワークスばかりしていたのが功を奏したようだ。今年の始まり「普通はやらなかったこと」としては実にいいスタートをきれた。今年はいつもよりも参加レースを増やすことにしよう。そしてR134号を同様に駆け抜ける11月の湘南国際マラソンのハーフコースを標的に準備を進めることにしよう。