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超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

桜まつりラン

2016-04-04 21:19:49 | スポーツ・健康
年末年始の暴飲暴食の報いを受け、どんよりした身体にムチ打って少しずつジョギングを重ねて、ぎりぎり調整の末、「湘南藤沢市民マラソン」何とか走り切る。10マイルという普段はほとんどは知らない距離だから、それなりに緊張し練習もするが縁起も担ぐ。そしてまだ冷たい湘南海岸の風を切り、無事ゴールした後は「マラソン」に関する意識がやたらに高揚して、次々にエントリーしたくなるのがここ数年である。妻はまだ16kmは走れないようなので、もっとファミリー向けの手頃な大会を探すが、会場までそう遠くなく、コースも楽しそうなお祭り性の高いイベントは中々見当たらないものだ。昨年は4月の中旬に相模原の米軍工廠で開催される親善マラソン大会に参加し、普段は走れない敷地を妻と走った。今年はご丁寧に大会主催者から案内の郵便が送られ、早々とエントリーしてあったのだった。前回同様、私が10km、妻が5kmのコースである。

3月も半ば過ぎ、暖かくなったり寒くなったり繰り返して「今年の開花予想日は・・・」なんてニュースで言うような陽気になった時、マラソンをエントリーするポータルサイトからメールで開催案内がきた。「日米親善キャンプ座間 桜まつりラン&ウォーク」である。これまた在日米陸軍の居住地内を走るもので、同日には「親善桜まつり」として一般人にも開放されているので、ジョギングで汗を流した後、そのまま花見を楽しむことができるという趣向である。参加賞は特製Tシャツ、距離は7キロ(6.7km)と3キロ(2.7km)でウォーキングの人も一緒になって子供も走るというから「緩い」マラソンである。桜が咲きだした頃だったが、満開の時期になるとやたらに美しい名所風景をアップする人ばかりになって、「ただ花見するだけじゃつまらんから」と妻とお友達のたまさん夫婦を誘ってエントリーしたのだった。

4月に入って最初の週末、桜はちょうどほぼ満開となって絶好のラン&花見の陽気だった。小田急線の相武台前駅から一番近いゲートまでは一直線で15分くらいだ。実は同じ県内で座間と言えば「光化学スモッグ」とコストコ渋滞というイメージしかもっていなかった。相模原市もそうだったが海辺に住んでいる我々は県央と言われるエリアはあまり出掛ける用事がなく、甘辛の小学サッカーで県内をくまなく廻った時に何度か訪れた程度だった。「座間杯」という招待杯にチームが参加して予選を突破し、いよいよ決勝トーナメントという時になって「光化学スモッグ」注意報が防災スピーカーでアナウンスされ、「えっ?ええっ?今時、そんなの出るの?」子供の頃にたまに目がチカチカし、胸が苦しくなった「光化学スモッグ」など昭和の遺物だと思っていた。審判や主催チームは少しだけゲームを中断したが、結局構わず続行し、甘辛達のチームが確か優勝したのだった。国道246号から少し入ったところにコストコが開店して何度か訪れたが、休日など幹線道路は凄まじい渋滞となった。道路交通情報に明らかにこれまで登場しなかった「座間市東原・・・」という地名が頻出し「あの周辺の住民は気の毒だ」と感じたものだった。

あまり芳しくないイメージのあった座間だが米軍キャンプでは毎年「桜まつり」が開催され大いに賑わうそうなのだ。敷地内にゴルフコースもあるという広大な敷地の端っこのゲートに着くと、何人かのおじさんが座って並んでいた。まだ閉まっているゲートの向こうは単なる山にしか見えなかったし、おじさんたちも「ランニング」するスタイルではない。「何時になったら開くのかな。まだ誰も来てないみたいだけど・・・」すると先頭にいたおじさんが「マラソンかい?マラソンなら正面ゲートだよ。そこの信号を右に曲がって大きな通りにぶつかってさらにに右、ずーっと坂を下りたところだよ」どうやらおじさんグループはずっと後の時間になって開場されるという「一般花見客」のようだった。「あのおじさん、待ちながらもう飲んでんじゃねえか?」教えられた正面ゲートまでは歩いて15分ほどあった。ラン&ウォークは1000人くらいの参加者だということだが、入口には100メートルくらいの家族連れなどが列を作っていた。しばらく最後尾に並んでいたが、一向に列が進む気配がない・・・後ろにはどんどん人が並んできた。「何か変だよな」妻は我々の列から離れてゲートの方まで偵察に行き、しばらくして「こっち、こっち!」と手招きしていた。

どうやら長い行列は先のおじさん達と同じ「一般花見客」だったようなのである。そのくらいのこと、入口に看板でも置いてくれればいいのに・・・「やっぱ、米軍だからな。あんまりサービス行き届いてないよな・・・」かなりウォーミングアップ含めてかなり余裕をもってきたのに、ゲートに入った頃は9時を回っていた。スタートは10時の予定である。敷地の中には「桜まつり」というだけあって満開の桜が至るところに咲き誇っていた。正面に「日米平和の碑」や神社もないのになぜか「鳥居」が多くみられ(そう言えば相模原工廠も鳥居が多かった)自国領土とは言え異国の地に住む人々の心細さが分かるような気がした。右も左も分からず、受付場所を表す案内もなかったが、露店の準備をしている人たちが「あっち、あっち」と指差していて受付の体育館に入ることができた。年齢層別、コース別にある受付でゼッケンと記録チップをもらいシャツに取り付けた。走るのはマン、宇宙忍者バルタン星人に続く宇宙恐竜ゼットンである。

    

スタート10分前になってスタートの前にランナーたちがぞろぞろ現れてきた。雨は降っていないが、4月の割にはやたらに寒い日だったので本格ランナー以外は皆体育館内で暖を取っているような緩いレースである。さすがに6.7kmくらいならこの前の半分以下の距離だ。急勾配コースと書いてあったのが気になるがそれくらいの刺激があった方が楽しいだろう。とりあえずストレッチだけ念入りにしていると「磯辺さん!こんにちは。こんなところでお会いできるなんて!」と声を掛けてくる女性がいた。昨年、大山ハイキングでご一緒した「ちーちゃん」である。ハイキングだけでなく本格山歩きにフルマラソンまで出場する私と同門のスーパーガールなのだが、「へーえ、こんなヌルいマラソンも出るの?」と聞くと「職場の仲間と一緒に来たんです。練習してないからバテるのが心配です」スタート地点で皆と記念写真を撮っていた。なーるほど、ランナーを見ると職場では彼女がダントツで若いのが分かった。

    

カウントダウンが始まり、サーフィン大会でよく使われる「ぷあぁぁぁーっん」という豆腐屋のラッパみたいな音と同時に一斉にランナーがスタートした。数百人しかいない上に「親善」らしく居住者らしい米国人も交じって和気あいあいとしていたが、少ないだけにやけにペースが速い。気分が高揚しているのか、周囲がどんどん飛ばしているのを見ていたが、あえて抜かれるに任せ、道沿いに咲く満開の桜を楽しみながらウォームアップがてらたらたら走っていた。私が間違えたのか妻はウォーキングの部にエントリーされてしまっていた。また一緒に走るつもりだったたまさんはどこか故障があったのか、やけに軽装でいるので「もしかして、走らないなんてことは・・・?」「うん、もしかして走りません!」と胸を張っていた。彼女らは私のはるか後方からスタートしたはずなのだが、いつの間にか一応ちゃんと走っている妻が前を走っていた。多少アップダウンはあるが、景色のよい敷地内のコースで徐々にスピードアップして、妻に手を振り再び前に出た。その後3km組のコースは分離し、たかだか15分程度でゴールしてしまったそうだ。

ちょっと肌寒かったが、満開の桜の道を楽しみながら軽快に走っていた私だが、後半に差し掛かってとんでもない試練がやってきた。頂上が見えないくらい、ものすごい上り坂に出くわしたのである。「な、な、なんだ?この坂は!?」箱根駅伝の復路、我が家の近くを通り過ぎると「遊行寺の坂」という有名な上り坂が現れるが、そんな気分になる絶望的な坂だった。レースの案内に「急勾配あり」というのはこれのことだったのか・・・・!仲間同士でおしゃべりしながら走っていたグループもすっかり黙り込んでひたすら前に身体を倒して上り続けた。中には歩きだしてしまったランナーもあった。私も走っているつもりが歩きと変わらないくらいの速度になり、恨めしそうに上を睨み付けるだけだった。てっぺん付近で二人のアイスクリーム好きのアメリカ人と思える体型の女性二人が拍手をしながら「Good Job!」と手を振ってくれていたが、「虫の息」とはあういうことを言うのだろう。

  

その後はだらだら下り坂になって(当たり前か)最初におじさんたちが並んでいたゲート前を通り過ぎると、長い一般花見客の列ができていて、身分証明と荷物確認を行っていた。そしていつの間にか来たコースを逆に進み、ゴール前まで辿りついていた。時間にすると約40分・・・いつも海岸沿いの平坦なコースばかり走っていたが、長い上り坂がこんなにキツイとは初めて経験し、何とも重たい身体を引きずってやっとの思いでゴールした。とっくにゴールした妻やたまさんが花見の場所取りをしてくれており、2リットルの巨大なペットボトルのミラービールをごっくりのでようやく人心地ついた。アメリカらしい(ちょっと不自然なほど)巨大なホットドックに、ぼそぼそのボリューム満点のハンバーガー?を頬張った。会場はすっかり「桜まつり」としてたくさんの露店と一般客で賑わっていた。

  

(もうたぶん現役を引退してしまったようだが)軍用ヘリの姿を見ると、ついつい吸い寄せられてしまう・・・同じ会社の知人や息子甘辛が幼稚園の頃仲良しだった子のママにも声をかけられた。マイナーそうなイベントだが結構色んな人が来ているのだな。しかし冷たいビールを飲んでいるととにかく寒い・・・・風が強くなって指先がかじかんでくるほどになってしまった。満開のさくらランでの「花見の部」は別の機会にレポートすることにして退散したのである。

    

血圧レコーディング作戦(立案編)

2016-03-23 21:25:14 | スポーツ・健康
年齢を重ねると以前のように身軽に動けなくなったり、疲労が中々回復しなくなったりするのを感じるものだ。人間ドックなどで検査すると内蔵、各器官などの機能は年齢の割に概ね順調な数値を叩きだしていたが、時には故障することもあったし、前回の検査では大腸ポリープが見つかり切除する羽目となった。また視力の低下を実感するようになり、レーシックその他これまで御縁の無かったクリニックの門を叩くようにもなった。そして以前から指摘はあったのだが、人間ドックではそれほど強く言い渡されなかったのに、数値だけから機械的に判断すると「要治療」という領域に入っているものがあった。悪いことにこれが「特定保健指導」を受診する項目になっていたために、警告のお手紙を頂戴してしまった。「高血圧」である。

    

「血圧が少し高めだから、日ごろから測るように」言われ、ジムに血圧計があるのでたまに気が向くと測定していた。確かに少し前は正常値範囲だったのだが、ここ数年で「正常高値」という領域に入ることも少なくなかった。ただ血圧というのは視力や聴力のように「その場しのぎのごまかし」で数値を改善することがほとんどできない。逆に何か原因があって「何か血圧が上がっているようだ・・・」と感じることはたまにあった。人間ドックのでの結果診断でも「何かを避けるとか減らすとかじゃなくて、もっと攻撃的な改善はないんですか?」と聞いたほどだが、決めてとなる作戦がなかったので何となく放っておいた。妻が毎月購入している糖分のない生野菜ジュースを飲むくらいはしていたが、お酒の飲み過ぎや濃い味志向にならないようにと気にかけてはいても具体的に何か取り組んでいたわけではなかった。

息子甘辛が卒業し、基本的に母親の手弁当を持参することはなくなったので、自然とおまけで作ってもらっていた私の弁当もほぼ消滅した。ここ数か月、昼食にカップラーメンやコンビニ弁当などをしきりに食べ、夕食はジムに寄る前に外食などで軽く済ませることが多くなったのが原因なのか、たまに測定する血圧がとうとう「要治療領域」に入ってしまった。「これはまずいかな」と思っている矢先に追い打ちをかけるように「特定保健指導」案内である。実は健診時にはちょっとだけオーバーしていることが多く、医師の診断では「注意深く観察」ということで、昨年もこの案内が来たときは「シカト」してしまった。以前、一度指導を受けたのはグンマでご一緒した保健師「ナエさん」だったが、あの時は腹囲オーバーのメタボであり、いざとなったら力技で(腹を引っ込めて)改善することもできた。3月も下旬に差しかかって少し暖かくなった時、試しに自分で弁当箱にご飯を詰め、簡単なおかずを詰めて持って行ったのだが、すごく塩辛く喉が渇いたと思ったら、帰宅時間くらいになるとどうにも頭に血が集まるような息苦しさを感じ、ジムで血圧を測ったらかつてないほどの記録的数値を叩き出してしまった。。。ここに至り、真面目に血圧正常化に取り組む決心をしたのである。

さっそく図書館で関係著書を探したら「血圧を下げる」関連の本は世の中にゴマンと出版されており、3,4冊見繕ってさーっと読み流してみた。「肥満をしないように」「適度な運動を」「規則正しい生活」「栄養のバランス」「塩分摂り過ぎに注意」・・・どれもよく聞く話ばかりである。「血圧が高いと何がいけないか?」大抵の本には心筋梗塞や脳卒中のリスクなどが挙げられているが、リアルだったのは「血圧が高いまま放置していると血管がボロボロになる」という半ば脅しのような表現だった。そして「なるほど!」と膝を打ったのが「毎日ひたすらに血圧を測り続ける」という単純な提案だった。むろん測定すること自体が降圧する作用はないが、血圧は栄養バランスや睡眠量、神経系の調子、感情・ストレスなどおよそ身体の状態を最もよく表す言わば「鏡」であり、毎日測定することにより「身体の声を聴く」ことが血圧正常化に直結するというのだ。私はこれこそ「30日コミットメント」につながるものだと直感した。

「美人を前にすると緊張しちゃって・・・」というのがドックで血圧測定値が高かった時に使い古したベタな言い訳だが、専門用語では「白衣性高血圧」というらしい。医者や看護師の着る白衣などを見るだけで血管が収縮し普段よりも血圧が高い状態になってしまうそうである。血圧というのはちょっとしたことでもかなり乱高下するらしく、たまに思い出したように測定するだけではとても健康管理のために「普段の値」を把握することなどできないそうなのだ。基本は毎日決まった時間、起床時と就寝時に同じ条件で家庭で測定する。特に就寝時の結果を見て、その日何があったか、思い当たることを挙げるのがポイントのようだ。やることに目新しいことはないのだが、以前流行った「レコーディングダイエット」と心理的には同じで、意識して取り組んだ結果が結果として数値に出れば「やる気」モードになり、続けていくことができるというものだ。その気にな徹底的に追及してしまう自分の性質からみて、かなり有効なのではあるまいか?

まずどの本にも書いてある似たような血管危険度チェックテストを見てみる。○が多いほどリスクが大きいのは言うまでもない。
・血圧は健康診断や病院で受診したときくらいしか測らない。(スポーツクラブでもうちょっと頻繁に測定しているから△)
・家に血圧計がない。あっても家でほとんど測ったことがない。(家にはないが他で測るので1項と合わせて○)
・健康診断でメタボを指摘されたことがある。もしくは血圧が高めだと指摘されたことがある。(残念ながらこれはドンズバ○!)
・頭に血が上りやすい。人から「怒りっぽい」「イライラしやすい」と言われる。(アーユルヴェーダによれば「カファ」(癒し)が優勢なのでこれは×)
・常に緊張を強いられる仕事をしている。(会社員としては「その通り!」とカッコよく決めたいところだが、どっこいあまり緊張感はない×)
・いつも忙しく毎日を時間に追われるように過ごしている。(ビジネスマンとしてはそうあるべきだろうが、これまたどっこいあまり忙しくもない×)
・ストレスが多い生活をしている。 8.残業で夜遅くに帰宅したときは、いつも布団に直行する。(ストレスも残業もあまりない×)
・急に立ち上がったときなどに「立ちくらみ」がすることがある。(これってヤバくないか?!特にはないから×)
・「自律神経失調症」もしくは「起立性低血圧」を指摘されたことがある。(聞いたことがないから×)
・朝、なかなか起きられない。もしくは仕事へ行ってもいつも午前中はなかなか調子が出ない。(これは真逆!私は完全朝(それも早朝)型である)
仕事や普段の生活リズムなどを診断しているようだが、あまり危険と見られる項目にチェックがつかない。「結構オレもいい線いってるじゃん」と思ったが、その後の食習慣で思わず「血管ボロボロ?」と打ちのめされる。。。

・ラーメンのスープは全部飲み干す(うーん。以前はそうだったが、「すごくよくない」と指摘され、申し訳程度に残す。△)
・刺身を食べるとき、しょうゆを多めにつけるほうだ。(その通り!しょうゆどころか、わさびも大量でベタベタにして食べることが多い○)
・外食や出来合いの御惣菜を利用することが多い。もしくは外食の料理をいつもおいしいと感じている。(これもそうだなー○)
・しょっぱいものを食べ過ぎて、夜に喉が渇くことがある(これもその通りだ・・・やばい、ターキーになってしまった。○)
・お酒が好きでほとんど毎日のように飲んでいる(これは微妙だ。一度に飲む量は多いが、休む日も結構あるから毎日ではない△)
・野菜や果物をほとんど食べない日がある。(うーん、朝は納豆ごはん、昼に親子丼、夜はコンビニおにぎりが多い。。。○)
・カレーライス、丼もの、回転寿司などが好きだ。(ナエさん、すいません。ボクの3大好物であります。○)
・甘いものやお菓子に目がない。(女子のように甘いもの好きというわけではないが、口が寂しくなるとお菓子を食っている△)
うーむ。。。これはまずいぞ。ほとんど該当してるではないか。自分の血管が悲鳴を上げているような気がしてきた。
その他は体型、運動、睡眠などだが、前半同様あまり問題があるとは思われない。BMIはかなりオーバーだが、標準体重66kgなど絶対になるわけがない。運動は不足どころか過多気味、早寝早起きだから該当するところはないようだ。

どうやらチェックリストによると食生活が絶望的によくないようだ。ものの本によると私の食生活もそうだが、世界でもトップクラスという「塩分過多」とストレスが圧倒的な原因のようだ。高血圧対策としては1日に平均10~11g摂っている塩分を半分にする必要があるという。塩分だけでいうとピンと来ないが、私の好物である北海道味噌ラーメン一杯で6gだそうだから、一杯分でその日は「ハイ終わり!」となってしまう。これはかなり高いハードルのように思えるが、困難が大きければ大きいほど火が付くというものだ。一応、療法期間としては3~6カ月が目安のようだが、とりあえず30日コミットメントで1か月は続けてみようと決意した。巻末にあるレコーディング用のシートを見ると、起床時、就寝時の時刻、最高・最低血圧、脈拍と朝晩の体重などを記録するようになっている。

  

とりあえずはついでに塩分を通常の半分程度にするために記録できるようにEXCELシートに表を作成してみた。応用編でレコーディングダイエットにもなるというから、だんだんノッてきてしまい、基礎代謝以上の運動による消費カロリーや塩分、なども付け足してみた。さらに気分が盛り上がってきて、朝昼晩の食事内容やそのカロリー、含まれる塩分などのフィールドも作っていくと最後には何が何だか分からなくなってしまい、もう一度作り直してシンプルなものとした。ダイエットのようなものは結構行ったり来たりの繰り返しだが、今度は何せ身体の「鏡」」だから、本気で取り込むことになるが、私がその気になって全力で行うとどんな結果となるか・・・いずれ実践編でレポートしようと思う。

今年のオープニングRUN

2016-01-27 20:25:22 | スポーツ・健康
今年で6回目となる湘南藤沢市民マラソンである。募集開始とほぼ同時に定員締切になってしまう、湘南国際マラソンに比べるとマイナーな大会だったが、それでも出場者は1万人を超えたようで年々活発になっているように思う。第一本家とも言える湘南国際大会はスタート&ゴールが大磯などという「湘南」というには首を傾げるネームだが、市民マラソンは江ノ島出発の江ノ島ゴール、コースは湘南ど真ん中そのものである。私は資格試験日と重なってしまった第3回を除き全て出場している。最初は10kmレースだったが、コースが変更されて今は10マイルレースになってしまったから、多少は真面目に準備しないと、途中でへばるか故障欠場となってしまう危険がある。特に制限時間内にゲートを通過できずにバスで「回収」されることを仲間内では「ドナドナされる」というこれ以上はない屈辱を受けることとなる。しかし16キロレースも3回目ともなれば多少は余裕もでき、前回あたりからレース中に行うミッションを設定したりもした。年に数回しか走らないマラソンだが、色々なレースで経験したことを少しずつでも活かしてはいるのだ。。

昨年はアンダーシャツの上に「ウルトラマンTシャツ」を着て、沿道の声援を稼いだが、今年も同じでは能がないので同じシリーズの「バルタン星人」とした。某SNSには家で妻に撮ってもらった写真を投稿し、「道路の端っこを颯爽とよろよろ走る宇宙忍者を見かけたら声をかけて」と書いておいた。むろん沿道で「バルタンがんばれ」と応援されたら「フォッフォッフォ・・・」とかますのは言うまでもない。ファイテンのネックレスもバンデルのリストバンドも前回全く効果を感じなかったので今回は脱ぎ捨て、鳩サブレの黄色い手袋を装着して会場まで自転車を走らせた。あまりスタート地点に近づくと人混みに埋もれて停める場所すらなくなってしまうから、準備運動も兼ねてだいぶ手前の水族館横に駐輪し小走りでスタート会場に向かった。134号の規制はまだかかっておらず、時々パトカーや白バイが行ったり来たりしている。沿道にはボランティアによる給水場や距離表示の準備などが進んでいる。晴れてはいたがものすごく寒い朝で、早くからありがたいことだ。私は今回のマラソンは裏方の姿や沿道の応援を中心に写真に収めることにした。

      

今回は知人で出場する人が結構多かった。ずーっと連続出場の「たまさん」、前回休んで「ヘタレ」呼ばわりされ雪辱に燃える「しんさん」そして初登場の「マイク」である。土日の運動量だけ言えば私を軽く凌ぐスポーツマンの「おとおさん」(仮称)は昨年に引き続きボランティアの警備員、息子甘辛も走る予定だったのだが、アルバイトの収入に目がくらみ、イベント警備に乗り出してしまった。しんさんとマイクとはゴールして帰り支度を済ませたら藤沢観光センターで待ち合わせ、我が家まで一緒に帰ってスーパー銭湯に行く予定になっていた。しかし暗黙の了解なのか、レースの前、中に連絡を取り合って一緒に走るようなことはない。フルマラソンもこなす怒涛のマイクを除けば10マイルというのは我々にとってギリギリの距離であり、下手に並走したりすると間違いなくペースを乱してスタミナが消耗するような気がするからである。上着を脱ぐだけだが、走る準備をして荷物を預けると私はトイレに向かった。実は走っている最中にトイレに行きたくなることで、昨年の相模原マラソンは散々辛い思いをしたのである。米軍工廠内がコースになっているので、沿道にはトイレが全くない。1周5kmのコースを2周する大会だったが、スタート地点にしか特設トイレがないため、30分近く我慢して走り続ける羽目になったのだ。その辺で立ち○ョンでもしようものなら、MPに打ち殺されるような気がした。

    
 
前回の経験でエナジードリンクなどを入れるとすぐに吸収されてトイレに行きたくなるようだったので、今回は固形の「スポーツようかん」としたのである。ところがスタート前、会場のトイレには信じられないほどの列ができていて、かなり長く待たされることになる。比較的時間には余裕をもって出てきたのだが、トイレを出るころにはスタート1分前とアナウンスされてしまっていた。「これはヤバい!」慌ててポケットのスポーツようかんを頬張り、スタート待ちの1万人を超えるランナー群のほぼ最後尾から押し分け前に出ようとしたが、自分のタイムゾーンまでは辿り着けなかった。号砲一発、巨大な列が少しずつ動き出したが、あまりに前の人が多すぎてスタート地点を過ぎてもしばらく徒歩スピードになってしまった。おかげで沿道でカッコよく太鼓を決めるお姉さんたちの姿も収めることができた。弁天橋を渡って「イル・キャンティ・ビーチ」を通り過ぎる時、「(確か前回、この辺にMラさんがいたんだよな)」とキョロキョロ見回したら、昨年以上に派手なキラ星メイクで「寒いのは気のせいです!」とかましていた。軽く手を振ってみたが、ほぼ真下を通ったので気が付いてくれなかった・・・

    

しかしこの少し先でようやく走るスピードが落ち着いてくると思わぬ試練がやってくる。慌てて固形ようかんを頬張ったので、のどにつかえて下まで降りないのである。咳き込むほどにひどくはないが、どうも喉の下の方に固形物が詰まったまま留まっており、何やら息苦しい。。。「(早く胃に降りてくれ・・・)」苦しみながら走っていると、最初の給水地点が見えてきた。しかしスタート2kmくらいで給水する人など誰もおらず、どうもまだ準備中のようなのだった。私はそーっと走り寄って苦しそうに「あのーぅ、お水もらっていいですか?」と尋ねると「どうぞ、どうぞ」と紙コップになみなみとミネラルウォーターを注いでくれた。私は一気飲みすると「ありがとういございます」とまだ何も入っていないゴミ箱にコップを落として走り出したのだった。ようやく元気になったが、どうも集団のペースが遅い。。。しばらく走ると「おとおさん」が手持ち無沙汰で立っているのが見えた。「おーい!」と大きく手を振ってハイタッチする。「ちょっと今日、出遅れて何か遅いんですよね・・・」

身体の調子はすこぶる良いのだが、なーんか調子が出ない。まだまだコース上を走る人口密度が高い上に集団のペースがやたら遅いのである。箱根駅伝でも登場する「浜須賀」で折り返し、給水地点でランナーが左側に寄り始めてできた右側のスペースでぐぐーっとスピードを上げた。そして昨年、可愛らしいカゴにお菓子を抱えていたお嬢ちゃんが二人で佇んでおり、「ありがとねー」と頭を撫でた。「(おじさん、前回ももらったんだけど、憶えてないだろな)」今度はスマホを構えてパチリと押したのだが、振られ過ぎて調子が悪いのか肝心な時にピントが合ってくれない…さらにこれまた昨年同様(顔は憶えていなかったが)、黒い服を着た長い髪の女性がお皿を持っていた。やはり夏みかんの切り身だったが、ちょっと気味悪かった昨年と比べてにこにこ近づき、「これ頂いていいですかぁ?昨年も頂いたんですよ」と聞くと彼女もにっこり笑い「どうぞ、どうぞ」とお皿を差し出してくれた。すると後ろから何人ものランナーが駆け寄ってきて「お、いいですねえ。頂きます!」と次々に売れて行き、あっという間にお皿は空っぽになってしまった。何か自分が人気を呼んであげたようで嬉しくなった。何か元気が出てきて水族館手前で向かい風と登り坂になっても一気に駆け上って行った。2回目の折り返し点を過ぎ再びイル・キャンティまで来て大きく手を振ると今度はMラさんも気づいて「おー、がんばれー」と声をかけてくれたのだ。

  

さあここからは残り5km、今回はやけにペースが遅かったが適当に走っても30分程度でゴールには到達する。どこも痛いところはなく、疲れもあまり感じないので「(そろそろ10マイルも馴染んできたかな)」とほくそ笑んでいたら、相模原マラソン同様突然にトイレに行きたくなってきた。米軍工廠とは異なりこのコースはいくつものトイレが用意(というか元々ある)されているので、早々と駆け込んだ。最後の折り返し地点を過ぎ、残り2kmでは沿道にたくさんの応援者が「もう少し!がんばってー」手を出している。「あー、バルタンだ!」という人から10数人、「ふぉっふぉっふぉ・・・・」とハイタッチして駆け抜けた。ウルトラマンと違い、意外にもバルタンはあまり声援を稼ぐことがなかったのだ。Mラさんは道路を渡って再びメガホンを構えていた。今度は名前を呼ばずに「磯辺2号がんばれ!」と声をかけてくれた。後にも先にもこのサイトのペンネームで応援されたのは初めてである。134号から右折して弁天橋に差し掛かった時、最後の試練がやってきた。元々風の強い日だったのだが、ものすごい向かい風に襲われたのである。しかも砂浜の砂が舞い上がり、加えて橋桁にぶつかる波しぶきまで被る始末だった。たかだか数百メートルなのだが。やたらゴールが遠く感じられた。「最後、風強いけどゴールはもうすぐ!頑張って~」というスピーカーからアナウンサーの声が聞こえる。ここだけでかなり体力を消耗しやっとの思いでゴール!前回同様、ボランティアの学生さんたちが「いぇーい!」と待ち並んでハイタッチ攻めしてくれた。しかしここでもスマホの調子が悪くピンボケ・・・何かちょっと冴えないことも多かった藤沢マラソンだが、普段は知らない距離だけにいつも完走できうrかどうかはドキドキものだ。某SNSではたくさんの友人が応援メッセージを入れてくれていた。身内の声援など自分で見つけたT焼きさんだけなのに中々心温まることの多く、まあまあ幸先のよいスローペースな今年のスタートRUNだった。

    

視力回復企画

2015-12-15 07:01:06 | スポーツ・健康
やけに時間がかかったが、先日受診した人間ドックの結果がやってきた。健診終了時は故・大滝秀治さん似の医師とくわばたりえさん似の保健師にはほぼ「オールグリーン」と褒められて気をよくしたのだが、実際結果が文書でやってくると体重、血圧の他にどころどころに経過観察の項目があり、医師からの紹介状まで入っていていた・・・確かに彼らのいう通り特に緊急を要する深刻なことはないようだったが、1点だけ「いよいよかあ」とため息をついたのが「視力」である。自宅から1時間半近く自動車を運転した直後で疲れ目だったとはいえ、片目/両目とも運転に若干の支障がでるゾーンに入ってしまった。今まで条件欄は真っ白だったのに、次の運転免許更新時には間違いなく「眼鏡」とかかれてしまうに違いない(とほほ)。今までサングラスしかしたことないのに、目の前にレンズがあるなんて鬱陶しいことこの上ないが、目の中に異物を入れるコンタクトなどさらに想像できない。

私はすぐに「レーシック手術」を思い付いた。初期の頃は事故もあったり何かと物議のあった施術だが、今は最新の設備が整って技術的にも安定し、ほぼリスクのない安全な近視回復術のようだ。これまで人生の大半をド近眼で過ごしてきたかなり年下の知人が視力2.0まで劇的に改善し「世界が変わった」と述懐していた。インターネットで調べると手術例数、設備、口コミ評判などからいくつかのクリニックが浮上した。レーシック手術は人によって適用できないケースもあるそうで、大抵のクリニックでは無料で「適性検査」を行ってくれるようだ。3時間も所要する結構本格的で精密なもので、検査技師の細かい説明や医師によるカウンセリングもセットになっている。手術そのものの費用は数万円から数十万円というところだが、後から想像するにこの懇切丁寧な事前検査料金は手術料金に含まれているような気がする。いつもはぐずぐずとふんぎりのつかない私だが、今回は何となく一つのきっかけのような気がして、さっそくネット上では最大手?とされる近視クリニックの門を叩いたのである。

都心にあるれっきとした眼科なのだが、元々健康保険が利かないから初診でも保険証の提示は不要、分割やカード支払いもOK、無料託児所や交通費補助、提携ホテルもあり我々は患者ではなく完全なお客様、医療機関ではなくサービス機関のようである。「3時間もかかる検査とは一体何をするのか?」という疑問があったが、視力だけでなく普段眼科でも見たこともない検査機器がずらりと並んでおり専門の技師がつきっきりで案内してくれた、。また途中で瞳孔を開く目薬を点眼し、しばらくは外界がぼーっと見にくくなるので運動や運転は不可ということだった。まず、角膜の屈折度や曲率半径を測定し、次に角膜そのものの形状を調べる。さらに角膜の細胞数を数えたり、厚さも計測してドックお馴染みの眼圧検査に入る。この時点でようやく詳細の視力検査である。「C」の字があちこち向いているいつものボードに加え、黒い斑点の滲み方、赤と緑の背景にある二重丸の見え方など、さまざまなレンズをつけて検査された。私は初めてだったが、一般的に眼鏡を作成するときのプロセスだそうだ。この検査結果と最初の角膜の測定値を解析した上で散瞳点眼というのを行う。これが利くまでに30分ほどかかるので、その間に専門の機能訓練士というジョブタイトルの人から私の見え方の質やレーシック手術で期待できる効果などを詳しく説明される。

  

完全商業モードでやたらに手術の効能を説明され高額メニューを勧められるのを予想していたが、思ったよりも淡々と事実と期待される効果、デメリット、メニューの違いなどを丁寧に説明してくれたことが逆に信頼をもてた。まず今の見え方だが、近視は緩やかに進んでいる程度だが、乱視の気がありこれが悪さをして遠方が見えにくくなっている。年相応に老眼は進みつつあるが、近視と中和されて近くを見るのにそれほど不便ではない。左右の近視の度合いが異なるので、結果的にどの距離でも何となく普通に見えており、日常生活にはぎりぎり支障がない状態のようである。これにレーシック手術を施すとどうなるか?角膜に異状はないので施術はむろんOKで遠方の視力は1.5まで回復する。しかし近視の影響によって見えている近くが見えなくなり結果的に「老眼鏡が必要となる」という衝撃的なものだった。ただ彼によると乱視もきれいにとれるので、見え方としてはメリットの方が多く、手術はお勧めだということだ。最近のレーザーを使用した視力矯正技術は目覚ましく、「遠近両用レーシック」というメニューもあるそうだ。ただし費用はほぼ倍、もっともすごいのは水晶体そのものを特殊加工のレンズに変えてしまうもので、緑内障や白内障など高齢化に伴う病気の心配は一切なくなり、死ぬまでよく見えるという・・・(ここまで来たほとんどサイボーグである)

「ボクはガチャ目ということなので、片方だけ手術というのはありですかね」技師は大きくうなずいて「乱視さえなければ、あなたの場合ドンズバ片側というところなんですが、費用がかなり割高になってしまって・・・やはり勧められません」
さらに目薬が利いてきたところで最初の検査に近い測定が行われ、最後に眼科医師により詳しく異状がないか診察された。コンサルしてくれた医師はまた気さくなもので、「ボクはこのクリニックに雇われているので手術を勧めなきゃいけないんですが・・・眼科の医師として意見を言わせてもらえば、少し様子見かなーというところなんですよ。そんなに困ってないすもんね?」この後、先般の「モトチバ会」編で書いたように医療従事者のマイクその他に意見を聴き、喫緊のアクションとしての「レーシック」は私の中から消え去ったのである。しかし営業丸出しではなく、きちんとした結果から見解を示してくれた件の近視クリニックはかなり好感が持てた。

いきなりレーシックに臨んだ安直さを反省し、図書館で「近視の回復」などについての本をいくつか借りこみ目を通してみた。これまでも少しは効果のあった「立体視」や、眼球の運動によるピント調節トレーニングなど色々「回復法」があるものだ。しかし通勤列車での読書を欠かさない私はこれから先、よくなることはないだろう。「眼鏡を作るなら眼科医の処方を受けてから」という記事が多かったので、今度は近所の普通の眼科医院に行ってみることにした。たまたまネット検索していたらまさに灯台下暗しだが、私の通うスポーツジムのすぐそばに面白い療法を営む医院があった。「オルソケラトロジー」といい、個人向けにオーダーメイドで制作した特殊なコンタクトレンズを夜間就寝時に装着し角膜の形状をよく見えるように矯正する、というものだ。普通のコンタクトレンズの使い方とは真逆で寝ている間に装着し、起きている昼間は裸眼で活動できる。よくよく調べると発想は「矯正下着」と同じようで、矯正したい形状のものを一定時間装着し、無理やりその形にしてしまうもので、軽度の近視ならば一晩の装着で2,3日は効果が継続するようである。この医院でも角膜の測定以外はレーシック同様、細かい視力や眼圧、カウンセリングなどをしてもらった。

      

ジュディオングさん似の眼科医はやはり両目をくまなく調べて「まあちょっと様子を見て、危険を感じるくらいだったら運転の時だけ使う眼鏡を作ってみたら・・・」「ここで眼鏡も作れるんですか?」「月、水は眼鏡屋さんがきているから、処方からそのまま製作できますよ。でも普段はかけたくないんでしょ?」女医は「できればかけたくない」という本心を見透かしたかのように、レーシック医院の医師と同じように「様子見」を仄めかした。さらに彼女はレーシックはもちろん、できる医師は限られているというご自身の「オルソケラトロジー」も「全然、お勧めできません。リスクというよりは、デメリットの方が大きいです。不便な世界が広がっちゃいますよ」あっけらかんと言い放ち診察を終えた。院内は眼鏡をかけた子供も多く「世の中小さい頃から不便な人が多いんだな」と感じた。当面、心配される免許更新までは3年・・・よほど不便にならなければそれまでは「眼に直接手は加えない」色んな方法を試してみるか。初めての眼鏡でこれまでのイメージが一変するような衝撃的(笑劇的)なイメチェンも「あり」かと思われたが、たぶんそのうちに忘れてしまうだろう。

今年もドック 2nd Day

2015-11-10 06:52:13 | スポーツ・健康
毎度さしたる話題もなく淡々とこなす行事となったドックだが、2日目の朝、思わぬ試練に見舞われることになる。前夜、飲食制限時刻は守ったのだが、一人で黙々と飲んでいたためかやけに「残っている」感があった。いつもの通り、腸管洗浄剤1.8リットルをコップに空け、1時間かけて飲み干す。30分くらいで反応があるはずなのだが、どういうわけか1時間たっても何も身体に変化がおきない。通常多くても10回程度の排便で綺麗に洗浄されてしまうのだが、集合時間の30分前になっても何も起こらない。。。まずいぞ、これは・・・このままだと大腸内視鏡検査が受けられない。1.8リットルの液体が腹に入っているのだから、かなりの膨満感はあるのだが、何か神経が麻痺してしまっているのか?!時間がたつにつれ、事の深刻さを実感して行った。このまま何も起きなかったらどうなってしまうのだろう?

仕方がないのでジャンプしたり、その場で足踏みしたりスクワットしたりしてみた。さらにカトちゃんのように腰を前後にして歩く、スタジオプログラムでやらされる「腰から下だけをぐるぐる回す」を繰り返して、汗びっしょりになった。何でこんなことやらなきゃならんのだ?と泣きたくなりつつも「(神様ごめんなさい!もう食堂以外では飲みませんから今回だけ正常波を呼んでください!)」集合10分前でようやくお腹がぐるぐる言い出したが、時間になるまでに完全に洗浄は仕切れなかったようなのだ。受付で正直に「あのーぅ、すみません。洗浄剤の効きが遅くて、まだ全部出切ってないようなんですけど・・・」係の人は「大丈夫ですよ。そこにトイレがありますから、検査時間までに出ますよ」人の心配もよそに笑って答えた。

大きな問題は最初が上部の胃内視鏡検査ということなのだ。実はこれはこれで結構な試練だ。嘔吐反射の強い私は経口だとものすごく辛いので経鼻法でお願いしてあるが、横になって鼻から内視鏡チューブをずっぽり入れた状態で下部が反応してしまったら・・・前日付きまとった「屁男」なんて笑える事態ではないとんでもない惨状となる。ぎりぎりまでバタバタトイレに駆け込んだりしていたが、幸い腸管洗浄は完了したようで、続く大腸内視鏡検査も無事に終了した。まったく冷や汗ものだった。ちなみに前日試してみようと思った、「血圧測定前に大笑いしてみる」だが、それどころではなくすっかり忘れたうえ、前日朝よりもはるかに悪い数値を叩き出してしまった。

全ての検査が終わると医師による総合診察があり、げっそり疲れ果ててドアを開けた。おじいさんの先生は既に参照できるようになっている検査データをさーっとみて、「ふーむ。。。いいじゃないか。血圧と体重以外全部異状なし。何か気になることある?」「あのーぅ、大腸内視鏡で『直腸にポリープがある」って言われたんですけど・・・』「んっ?あー、これか。何て書いてあるのか読めないなー。大きかった?」「いえ、小指の先くらいですって。でも取った方がいいと言われましたけど」「直腸はねー。回りに何もないから失敗しても心配なし。取るんなら躊躇しなくていいよ。医者によって見解は違うけどね」「失敗してもって・・・もしかして、放っておいてトカゲの尻尾みたいに治ることもあるとか?」「はははー。難しい質問しますね。医師としては最悪、悪性に変異することもあるから取れ、ということなんだけど・・・モノによっては無くなっちゃう場合もあるにはあるよ」

昨年の上部内視鏡検査では「耳鼻咽喉科の分野ですけど」とポリープが撮影されたのだが、1年たった今、どうも無くなっていたようだ。私は来年まで様子を見ることにした。人間ドックの最後は保健師による保健指導である。毎年、酒をへらせ、野菜食べろ、塩分注意の3点セットから微動だにしないのでここ数年スルーしていたのだが、今回は激闘腸管洗浄のこともあり、ふらふら〜と診察券をケースに入れてしまい、すぐに名前を呼ばれてしまった。「くわばたりえ」さん似の保健師が愛想よく、「どうもー、お疲れ様でした〜。全部終わりましたか。ちょっとデータと問診表見ますね。」さっきの医師と同じ画面を見ながら、りえさん(仮称)は「すごーい、ほとんど『A』じゃないですかぁ。前回NGだったのも全部改善してますよ〜。どれどれ、体重がオーバー?ホントだ。標準65キロですからねー・・・」

「体重は65キロになんて絶対になれないと思います!高校でサッカー部だったんですが、人生で最も締まっている時でも70キロだったんですよ。」「そーですね。体脂肪もOKだし、このまま維持してください。あと血圧高めですねえ。昨日2回目が下がってますが、大体いつもどのくらいですか?塩辛いもの好きですか?塩分制限は年々の標準で厳しくなってるんですけど・・・」「まあ、血圧は2回の平均くらいですかね。薄味好みじゃないですが、ラーメンのスープは気持ち残すようにしてますよ」測定前にバカ笑いしたら血圧が下がったなんて言っても本気にされないだろうと、黙っていた。

「りえ」さんはさらに問診表と検査データを眺めながら「休肝日は週2日?いいですねー。1回に飲む量は・・・4合!多すぎ!肝臓が疲労しきってしまいますよ。半分にしてください」「ま、毎日じゃないですよ。ところで前から聞きたかったんですけど、飲酒量って1週間のトータルで調整すればいいんですかね。例えば1升飲んじゃったら2回分休みとか・・・」「そんな無茶な飲み方したらダメです。肝臓以外にも色んなダメージもありますよ。そんなに飲むことあるの?最高どれくらい?」パッと思いついたのは甘辛が幼い時に妻とサイゼリヤで飲んだデカンタワイン8本だったが、「ワインでも1升くらいですよ」とごまかしておいた。

「1合とか2合とか。。。中途半端に飲むくらいだったら、その時は止めにして『固め打ち』にしたい性格なんですよ。」りえさんは微妙に笑うだけだった。
「あとは・・・視力が低下した?まあ、この年齢まで裸眼ていうのが珍しいんだから。。。でもねー、メガネやコンタクトで矯正しないとよい方の目まで悪くなっちゃいますよ。私がそうでした。このメガネ最近作ったんですけど、もっと早く作ればよかったってね」「(そんなくわばたりえメガネで役にたつんですか?)」と心の中で首を傾げた。「それから・・・全身に痒みや湿疹ができやすい?まあ、乾燥すると誰でもね。内臓疾患が原因なこともあるけど、この検査結果から見るとは関係ないですね」

最後に減塩パンフレットを取り出して説明するりえさんに「血圧って塩分減らすとか、酒を減らすとか『後ろ向き』の治療ばっかりじゃないすか。何か『これをやるとよい』 とか『前向き』なヤツはないんですか?」りえさんは紙面裏の一番下を指差した。カリウムがよいらしい。食品はバナナ、キウイ、納豆、ワカメ、豆腐など、私が日常で結構頻繁に口にするものである。しかし1日の推奨摂取量はバナナだと10本、納豆だと18パックに相当してしまう。(そんなに食えるかい!)「でも検査結果は全体的にすごくいい方ですから、このまま維持してくださいね」こうして今年も波乱のあった人間ドックは終了した。

赤いライオン号に乗った私はすかさずナビをセットして三嶋大社へ。流された源頼朝が源氏再興を祈願した伊豆国一之宮である。滅多に訪れない地ではその土地の一之宮または神社仏閣に足を運ぶべし。平日なのに観光バスで乗り付けた(多くは年寄)参拝客で賑わっていた。境内に国の天然記念物に指定された樹齢1200年の金木犀がある。銀杏やけやきなど大木がメジャーな中で「君のひとみは10000ボルト」の金木犀とは珍しい。私も参拝していつもしているように息子甘辛用に「八方除守」、最近体調がイマイチのような妻にも小さな鈴の御守りを購入した。



次に向かったのはるるぶにもあった、箱根西麓・三島吊り橋である。残念ながら富士山はほとんど雪に隠れてしまっていたが、橋が完成すれば全長400メートル、歩行者専用吊橋として日本最長となり、空へそびえる富士山の様々な表情や広大な駿河湾の絶景が一望できるそうだ。場所はこの辺だろうとうろうろ走っていると工事現場となって巨大な橋桁が見えた。ドライブインのような施設を建設中らしいが、ものすごい規模だ。前日のような雲一つない天気だったら素晴らしい景色だろう。しかしここから見えてあの大きさということは・・・高所恐怖症の人には世にも恐ろしい場所になるかもしれない。



帰り道がてら立ち寄った最後の地は昨年チェックしておいた山中城跡である。小夏師匠の三河の国にも山中城というのがあるらしいが、こちらは三島市のほうである。国道1号線を挟んで本丸方面のエリアと出丸のエリアがあるようだが、時間の関係で出丸の方に歩いて登った。北条氏風と言われる畝堀や障子堀が残っており、出丸跡からは富士山や駿河湾も眺め渡すことができる。山頂付近が少しだけ見えるようになったが大半は雲に覆われている。さっきの巨大吊り橋の柱が小さく見えている。豊臣秀吉の北条攻めに備えたようだが、数にして15倍の敵に取り囲まれわずか半日で落城してしまった悲劇的な城だ。



箱根新道を家路に向かい、西湘バイパスの入口に降りてくると、正面に何やら浮遊する物体が見えた。昔見たことがある、生命保険会社の宣伝用?飛行船である。よく見るとバイパスに沿って東に向かっているようだった。途中で西湘バイパスを大磯方面に疾走する赤いライオン号と完全な並走状態になったが、運転中に真横を向くわけにはいかない。ふわふわと優雅に漂っているように見える飛行船も実は並び走ると結構な速度で飛んでいることが分かる。ほぼ同じ速度で走ってみたら、推定時速75キロくらいのようだ。確か今日本の上空を飛んでいる飛行船はあの飛行船のみ。中々見られないものを運よく発見した。視界に入れたまま走るとちらちら気になって危険なので、一気に速度アップしてフロントガラスからは消し去り、そのまま竜泉寺に向かったのであった。



今年もドック1st Day

2015-11-06 21:18:48 | スポーツ・健康
昨年は夏休みにそれこそ「完全レジャー化」を目論み、海水浴の準備までして乗り込んだ人間ドックだったが、今年は職場の都合もあってこの時期になってしまった。もう10回以上も回を重ね、このサイトでもいい加減書いておくような話題もなくなってきたのだが、ウルフェス同様、何となく毎年の行事として記録しておくことにする。検査終了後のむやみに退屈な時間と自家用車の機動力に目を付け、今回も「赤いライオン号」で箱根峠を越すことにした。1泊2日の天気予報は絶好のドライブ日和のようで、昨年同様ゴルフバックに星空撮影セット、磯釣りセットを積み込んだが、今年は海パンの代わりにクーラーBOX、そして自分用PCを搭載したのである。

昨年と同じコースだが地図で見ると我が家から検査場まではほぼ西向き一直線だ。R134号を快調に飛ばし、今回は竜泉寺をスルーしてそのまま西湘バイパスに乗り入れた。正面に頭の端っこにちょっとだけ雪を被った富士山が見える。私は超兵器203号を首にかけ、信号待ちのたびに色々と近くの風景を撮ってみようと思い立った。ドライブもそうだが「撮影日和」でもあったのである。運転しながらの撮影はむろん危険なのでできないが、「おーっ。これは見事な風景だ!」と思う所で停止できるとは限らない。私は考えた末にダッシュボードの前にカメラをおいて、星野撮影用のレリーズで画面を見ずにシャッターを切ることを思いついたが、これはカメラが固定できなかったためNG・・・・少し改良が必要だ。




西湘バイパスから箱根新道に入り、そのまま峠を越えて三島市内に入ると所々見事な富士山が現れた。いつも鉄道、バスで来るので知らなかったが、病院はどうやら幹線道路からは少し外れた位置にあるようだ。建物、設備が老朽化し近々建替えと聞いていたが、慣れ親しんだ本館は巨大なシートカバーに覆い尽くされていた。隣に少し小さめの新しい建物が完成しており、かなり手狭だがこの棟で通常の外来診察や入院治療、人間ドックも行うようだ。10年も健診にかかればどこで待たされ、何をしておけば要領よく進むか全て頭に入っているのだが、必ずしも効率がよいとも思えない従来のプロセスからずいぶんと改良されていた。何せ今までは最初の受付時間が9時半から10時の間、この間にバス組はどどーっとやってくるから、受付には長い列ができてしまい、80人からのドック受検者にオリエンテーション始めるのがどうしても10時半頃になってしまう。



今回からそれが8時半から11時という長時間受付に変わった。つまりグループではなく、受付けた順番にそのままさみだれで検査を受けていくのである。最初に保健師の問診があり、その日の体調を確認されたり検査予定項目の説明が個別にされる。順番や項目はこれまで通りだが、素晴らしく流れがよくあっという間に終了してしまう。(かなり研究されているな)いつものように最初に糖負荷検査用に採血されるのだが、保健師が取り出したのはびっくりするほどデカい小型のフラスコくらいある容器だった。「血液検査用に2本、糖負荷用に3本取りますからね、へへ。」何かやたらに明るい看護師だったので「こっ、これデカくないですか?5本も取ったら貧血になるかも・・・」「はははー。この大きいのは3本分なんですよ。残りは1時間、2時間後に糖負荷用ね。」

アルコール消毒され血管をさすって場所を確認する看護師に「だいじょーぶ。出はいい方なんですよ・・・ぶすっ!おー、いつもより多めに出ております!」「あははは。面白ーい」何か朝から明るい気分になってきて、この調子で話題(笑い)の多い検査にしようと思いついたのである。私は渡されたファイルを持って身体測定に向かった。腹囲はこれまでのようにメジャーで自分で測る自己申告ではなく、係りの人に何やら新式の装置で測られるのでインチキができない。へその位置を確認し「ここをもってぐるーっとお腹の周りを回して・・・カチッとはめてくれますか?はいはい、普通にしてOK。じゃ、ちょっと絞めますよ。大丈夫?」84.2cm・・・メタボに引っ掛からないことを確認したうえで、この人も気さくに見えたので、私はかねてから疑問に思っていたことをここぞばかりに聞いた。「今、糖負荷検査用のジュース飲んだからお腹膨れちゃってますよ。少し凹ましましたけど。お腹をぶよーんと膨らませた時ときゅうっと凹ませた時って結構サイズ変わりますよね。ちょっと測っていいですか?」

係の人は面白がって「そうね。普通にって言っても、感覚難しいかもね。」ヨガで行う腹式呼吸の要領で「ふんっ」と腹を膨らませて「早く早く!」と測定器をぐるっと回すと92.5cm、次に「ぐむぅっ」と凹まして再び図ると78cm。。。やはり最大値と最小値の差が14.5cmもある。係りの女性は感心しながら「へーえ、結構差が出るものなんですねえ。」「でしょ?でしょ?85cm超えると特定健診で呼ばれちゃうんですよ。ボクの場合、ギリギリだからね。ちょい超えの時はまけてもらおうと思ってたんですよ。」「ちょっともう1回測ってみましょうか・・・」「えっ?わー、わー、そんなのなしですよぅ・・・」からから笑う係員からファイルを奪うと隣に向かった。

「(アイツ、脅かしやがって・・・)」と心の中でぶつぶつ言いながら次の検査場に行ってファイルを出すと「はーい、こちらでは身長、体重、体脂肪を同時に計測しますので、スリッパを脱いで足を金属板に合わせ、真っすぐに台の上がってください。って、あはあはは。34番磯辺さん!そっち向きじゃなくて前向きですって。」動揺してぼーぅっとしていたのか、身長測定用の柱に真っすぐ向いてそのまま上ってしまったのである。(オレは「たけし」か?)体脂肪率20.8%・・・・うーむ、無念だ。このために今週はジムでかなりハードメニューをこなし、お酒も減らして体重を落とし、直前のスーパー銭湯でいつもより2kg近く落としてボクサー並みの減量してきたのに、どうしても20%の壁を破れない・・・・

遠方の視力は1時間以上運転してきた影響もあるのかがっくり落ちた・・・これまで半世紀、裸眼で耐えてきたのだが、いよいよ「運転に支障」ゾーンに突入である。普段の生活にそれほど不便はないが、見えにくくなっているのは間違いない。これだけで自分的にはかなりセンセーショナルな話題なのだが、ここにきて「顔の一部」である眼鏡の世話になるか?私には高音難聴の気があり、聴力はいつも「勘」でクリアしている。音がしている間ボタンを押し続ける測定なのだが、低音、高音、右、左の発出パターンが読めるので、聞こえなくても「心聴」できるのである。昔の電話交換士のような古典的なヘッドホンを装着し、両手でヘッドホンを押さえ「逆探願います!」と言って(話を長く伸ばせ!)というお馴染みの両手ジェスチャーしたら、思い切りポカンとされた・・・そうだ、この女性たちは昔の刑事ドラマなんか知らない世代なんだ。。。その日初の大滑り・・・

次は肺機能である。鼻をつまんでチューブみたいなものをくわえ、思い切り息を吸い込んで一気に極限まで吐き出す計測で、昔の肺活量測定みたいなものだ。ここの計測員は大抵明るい人が多い。「大きく息を吸ってぇー、吸ってー、吸って・・・・ぷうううぅーって、あれ?ダメですよ磯辺さん、横から漏れてます。口をすぼめて息が漏れないようにして」70歳代くらいの値になってしまった私を見て慌ててやり方を説明し始めた。「はい、もう一度、吸ってぇ、吸って吸って・・・何で笑ってんの?」こういうのを思い浮かび笑いというのだろう。吸って吸っての後に「思い切り吐いて、ぷうううぅー!」とかまされて、真面目にやるあまり息は横から漏れて、下から音が出てしまう人っているんだろうな、と想像したら可笑しくて笑いが止まらなくなってしまったのである。

思い出し笑いというのは怖いものである。その後、眼圧・眼底、心電図の測定まで、静まり返った検査室で「肺機能検査で思い切り息を吹きすぎて下からも『ぶっ!』とやってしまった人」が脳裏をかすめる度におかしくて、笑いをこらえるのが大変だった。、腹部超音波検査の時など、「はい、大きくお腹を膨らませてぇー・・・止めてください」を繰り返すので、頭の中に口では言えないような「下ネタ」が炸裂しまくり、自然と笑い顔になってしまう。。。検査技師はきょとんとした顔で「何か楽しそうですが、どうかしましたか?」「い、いやぁ。。。何かお腹をぐりぐりされてくすぐったいんですよ・・・」と慌てて取り繕うことになる。

ここまで終わると糖負荷検査の2回目の採決時間となり、これが済むと昼食を食べることができる。前夜の9時以降、水以外一切口にしていないから、この懐石弁当のような昼食がたまらなく美味なのだ。私は終えると近くにコンビニに向かった。その日、翌日の検査終了後についで観光する場所を確認するためである。るるぶ静岡を眺めてみるも残念ながら周辺にはプチ観光するような見どころがほとんどない。三嶋大社と来月完成予定という日本最長の箱根西麓・三島吊橋工事現場、そして昨年通りがかりにチェックした「北条ゆかりの」山中城跡の位置を確認しただけだった。

昼食時は別に何ともなかったが、午後の頸動脈・甲状腺超音波検査、胸部CT検査時にも「屁男」の残像が襲ってきて、とうとう我慢ができずトイレに駆け込んで「どぎゃーっはっはっはぁ・・・」と思う存分笑いこけた。ところが最後にその日2回目の血圧を測定したら不思議なことが起こる。朝、いつもより高めに出てしまった血圧がほぼ正常値に戻っていたのである。もしかして、「大笑い」するのが血圧を下げる要因となり得るのか?翌日、内視鏡検査の前にも測定するから試しにやってみようと思った。1日目の検査はかなりスムーズに終わり、午後の結構早い時間に新しい宿泊棟に入ることになる。私は赤いライオン号のトランクにあるクーラーBOXから持参した「ゼロ仕立て」という糖質、プリン体、香料、着色料、甘味料すべてゼロという素晴らしく健診向けの飲料をリュックに詰め込んだ。(まさかクーラー持って部屋には入れぬから)

さて、すごく中途半端に時間が余ってしまい、神社の参拝などには合わない時間帯だったから、昨年同様車で10分くらいのゴルフ練習場に行くことにした。夕食時間までは3時間以上あるし、平日だから打ち放題でもそう高額ではない。夏の真っ盛りだったらかなりバテるところだが、今は季節的に一番いい時かもしれない。いつもの運動量から思えば大した消費量にはならぬと思われるが時間制限いっぱいまで右に左にボールをぶっ叩き続けた。一応クーラーBOXにはつまみっぽいものも入れておいたのだが、何か足りなさそうなのでコンビニでチーズ、ところ天などを買い込んで部屋に戻った。空には雲一つなく、「これは夜中にポラリエ1号の登場かな」とも思っていたのだが、朝早くから1時間半の運転とやはりそこそこ緊張する検査、2時間半におよび打ちっ放しでかなり身体が疲れているらしく、同じ宿泊棟にある温泉風呂に浸かり、時間制限である9時まで持参した「ゼロ仕立て」を飲み尽くしたらばったり眠り込んでしまい、翌朝を迎えることになるのである。ここまでならいつものずっこけドックであまり話題にもならぬのだが、翌朝思いもよらぬ試練を受けることになるのである。(つづく)

ソフトファンボード新着、甘辛サーフデビューす。

2015-09-22 20:49:02 | スポーツ・健康
自分の倍くらいあるロングボードをチャリに装着して我が家の入口を通過しようとしたご近所の奥さんを見た時は衝撃的だった。「私はまだインサイド(波打ち際)でねー。『えのすい』の前でやってるんですが・・・楽しいですよ」ご主人は屋外に専用ラックを設け、長短何枚ものボードを並べるかなりのベテランで、「湘南でサーフィンするために引っ越しきた」というのは聞いたが、まさか奥さんまで染まるとは・・・?!「(この人にできてオレにできないはずがない!)」と妻にスクールだけ付き合ってくれるよう拝み倒し「MABO ROYAL」の門を叩いたのが10年前だった。波の状態がいつも似たりよったりなのと、そこそこ出来るとそこで進歩が止まってしいまう私の性質からか、波乗り10年目を迎えても我ながらそんなに上達したとは思えない。

奇しくも生シラス禁漁区間とほぼ同じ厳冬期を除くと週末天気が良ければ割と頻繁に海岸に出動する。レジェンドとは知らなかったマーボさんに無断でサインされた赤いボードを担いでスケパー前がいつものポイントである。波はいつもヒザ~モモくらいしかないが、たまに台風が接近したりすると素晴らしく綺麗で大きなウェーブがやってくる時がある。かなり沖に出なければならないし、人も多くてスピードが出ると危険だから乗れたことは少ないが、颯爽とテイクオフできた時は「これだよ、これ!この雄姿、誰か撮ってよ~!」と言いたくなる。多少の偏見もあるが一部の「世にサーファーと言われる人」の容貌や言動がどうも苦手で、仲間内で浮かぶ人々の中に入って行く気がせず、顔見知りと挨拶して言葉を交わすくらいで、波乗りするときはほとんど一人きりである。

妻は海辺を散歩したり、弁当を持って来たり、夏場は日焼けしにきたりもするが、本人がサーフィンすることは一番最初のスクールに付き合った以外ほとんどない。9フィートのボードを取りまわすのは女性ではちょっとしんどいし、多くの人が浮かぶ中で怪我やアクシデントが怖いらしい。「共通の趣味にできたらカッコいい」と今まで幾度となく誘ってみたが、ノッてきたことはほとんどない。基本は一人でするものだが、誰かとつるむとまた別の楽しみがある(別の煩わしさもあるが)かと思うが、私は常に一人で海に行き、長くて3時間もいると「今日はこれくらいにしておいてやろう」とさっさと帰り支度を初めてしまう。遠方からグループで来ている人はそれこそ1日中入っているようだ。

そして先日、息子甘辛が部活を引退して受験生モードに入った。と言っても、休みの日もだらだらゴロゴロしているだけで、全然緊張感がないし勉強のスイッチが入った様子も見られない。友達は真面目に受験勉強しているのか、一緒に遊びに出掛けることもない息子を見て「そうだ。コイツを引き込もう!」と思い付いた。むろん場所柄、子供さんがサーフィンする同年代などたくさんいるのだが、我が家は真逆なのである。そしてついでにもう一つ思い立ったのが10年ぶりに「サーフボード」を新調することである。実は今のロングボードを多少なりとも使いこなせるようになってから、もう少し短いファンボードというたぐいに興味を持っていた。ただ家族で私しかやらないのに2枚もボードを持っていては何となくもったいなく感じ、この機会に甘辛をダシにしてしまおうと考えたのである。(我ながらアザトい)

聞くと息子はこれだけ海辺に住んでいながら、パーフェクトなまでに「サッカー一筋」でここ数年、海岸にすら行ったことがないという。確かに土休日ほとんどオフのない部活生活では海に行く機会がなかったかもしれない。
「オレ、今度短めのファンボードを買うつもりなんだが、休みの日受験勉強の合間に海に行ってやらねえか?」(やってもいない「受験勉強」の合間と言ったのがミソ)
「海辺に住んでるし、部活引退した後の半年でサーフィンできるようにしておくと、あとあといいと思うんだが」(「あとあと」というのは暗に女子にモテそう、という意味を含ませている)
妻は「休みの日に父子でボードを担いで海に向かう姿そのものがカッコよくてよい」と思ったらしい。(でも購入費用は出してくれなかった)

ファンボードとはロングとショートの間くらいで7フィートくらいまでのボードを言うようだ。私自身が乗ったことがないのと、息子や妻が使用しても危なくないように「初心者」用のソフトボードを購入することにした。本格的なボードに比べると値段も安く、材質はボディボードのように柔らかく本格ボードに比べると「おもちゃ」みたいなものだが、その分軽くて持ち運びしやすいし、エントリーにはぴったりのようだった。私は今まで何度かサーフボードで怪我をしているが、大抵は波に揉まれた際に板の縁が激突するものだった。特に初心者の頃は「危ない!」と思った時にアクションを途中で止められないことが多く、よく打ち身を作ったものだ。ソフトボードは「キッズ用」もあるくらい、ぶつかっても怪我しないし最も危険なフィンもビニール製で安全そうだ。

以前、目をつけていたソフトボードのあった店で話を聞いたが、「大きなアクションやドルフィンスルー(波の下をくぐって沖合に出る動作)は難しいが浮力があるので、初心者には向いています。よくサーフィンスクールなどでも用意してるんですよ」「どんな種類があるんですか?」「大体6フィートから7フィートまで、9フィートというロング並みのものもありますが、取り回しが難しくてあまりお勧めできません。あまり短いと浮力が足りなくて乗れません。キッズ用だと体重制限みたいなのもあります」色々話を聞くことはできたが残念ながらその店で扱っていたソフトボードは売り切れてしまい、次に入荷するのは来年の夏らしい。(それじゃー意味がない)今回はお手軽系で行くつもりだったから、MABOのような本格ショップではなく、スポーツ用品店や「HARDOFF」のような中古品扱い店(さすが地元)を物色して回った。

大型連休には間に合わせたかったので、店頭品や入荷時期などを色々聞いて回ったあげく、結局は通販で購入することとした。これだけ色々と手に取って触ったから、現物を見なくてもイケるだろう。PCを前に「甘辛よ、お前のボード、これから買うが何色がいい?」「いきなり、オレのになってんのかよ?色なら青!」苦笑いしながらも満更でもなさそうだった。さすがAMAZON、注文してわずか3日で我が家に10年ぶりのニューボードが届いたのだった。会社から帰ると大きな長細い段ボールが玄関に所せましと立てかけてあった。私は早速中身を取り出してフィンを取り付け、腹這いになってテイクオフ時のボード幅や位置などを確認していたら、居てもたってもいられなくなり、翌朝早く起きて出社前に繰り出すことにした。

        

翌朝、苦も無く5時に起床しテレビをつけたら愕然とした。まさかの「津波注意報」発令だったのである。前日にチリで大地震が発生し、その津波が約1日かけて太平洋岸にやってくる可能性があると聞いていたので念のためニュースをつけたら、気象庁が午前3時頃に津波注意報を発令していて、耳をすますと防災放送がスピーカーから流れていたのだ。「浜辺や港湾エリアに様子を見に行かないでください。」まるで私の行動を見透かされているかのような報道だ。さすがにこれでは海に近寄るわけにはいかない・・・その日、用事があって早く帰宅したので夕方、新サーフボードを持って恐る恐る海岸に向かうと驚いたことに洋上にはサーファー一人おらず、たぶん初めて見る無人の海岸だった。。。サーフビレッジには中型の消防車が赤いサイレンだけ回してこちらに向かって移動中だった。実は注意報が解除されて撤収するところだったので、そのまま入っても咎められることはなかったのだが、どうにも薄気味悪く、その日の試運転は断念した。

翌日の早朝、いつものところで真新しいソフトボードを抱えて海に飛び込んだが、やはりどうも勝手が違う。。。ロングボードより約60cm短いから、パドリングするとノーズがすぐ目の前にきてしまい、安定してボードが滑り出さない。テイクオフのタイミングもだいぶ異なるようだ。「浮力があるので初心者にもすぐに乗れます」という売り込みだったが、2時間近く格闘してちゃんと乗れたのは台風接近中の強いスープにわずかに数回だった。その日はグンマの時のジローくんが久々に集めてくれた若者達とサーフビレッジでビーチバレーを行う予定になっていた。今回は我が家を打ち上げ会場に提供することはできなかったが、いつものようにサーフィン体験をさせてあげられるよう、ボードを持参してコートに行くことになっていた。今回は自分も練習したいことがあり新登場のソフトファンボードにしたかったが、1年に数回だけ若者相手にカッコつけられるこの集いでレクチャーする本人がまともに乗れないのでは具合が悪い・・・

  

迷った末に何とママチャリに装着するボードキャリーのバンドの長さを2倍に増して元々あったロングボードと2枚とも持参することにした。タイヤはぺしゃんこになり、ハンドルが動かなくなってしまい、実カーブが曲がれないので何度も転倒の危機に見舞われたが、ゆっくり歩くように進んでようやく会場までたどり着いた。しばらく皆とビーチバレーを楽しんだ後、サーフィン体験希望者を連れ2枚のボードを持って海岸へ歩いた。台風20号の影響でかなり強いうねるが入っており、朝方は比較的綺麗な波面だったのだが午後になるとかなりざわついてスープ(崩れて岸に向かう波)ばかりになっている。強い潮の流れと所々掘れてしまっている海底に苦戦しながらもスープに押されてきれいに長くライドできた人もいて喜んでくれた。

さて、いよいよ甘辛のデビュー戦である。PICでお土産に購入したお揃いのラッシュガードで、だいぶ波も落ち着いてきた湘南海岸に向かった。私自身もいまいちテイクオフのタイミングとパドルパワーの加減が分からないまま、二人で奮闘を繰り返したのだった。連休中、私と再び始めた数Ⅲの勉強に合間に合わせ、妻に弁当を作ってもらって再びホームショアへ出陣、波はさらにスモールコンディションとなっていたが、私のフォローがあればかなりの確率で甘辛はテイクオフできるようになってきた。タイミングの難しいのを痛感するソフトファンボードだが、さすが現役の運動部高校生である。ちょっと寒い空だったが、いつもの浜辺にシートを広げ濡れた服を乾かしながら妻の弁当を平らげた。。。。もう少しで彼も一人でテイクオフできるようになるだろう。そうすれば私もいつものロングボードを抱えて海に向かうことになろう。

進学先の決まるまでのいわゆる受験生期間の数か月、休みの日はこうして少しだけ息抜きに息子と海に繰り出すとしよう。ただ一つ心配なのは、あまりにものめり込み過ぎて肝心の本業を忘れ去ってしまうことだ。やってみれば分かるが、そこそこマスターすると傍から見ていてもかなりカッコよく、女子にモテるネタとしてはかなり上級をいく嗜みだからである。無謀とも思えるが、私は中学生の時のように受験勉強の一部を一緒にやることにした。海に行くのはあくまでそれが一段落した時である。今のうちは息子甘辛はそれこそ上達が早くそれこそ満更でないように見えるが、いずれそんな時間は一分たりともさけない時が来るかもしれない。うんと先は分からぬが、受験勉強もサーフィンも息子と一緒に行うのは今が最初で最後かもしれない。ウルトラ同様、親子三代で打ち込む日を夢見て、この数か月でマスターしてもらおうと思う。

心境の変化とレッスン効果

2015-08-10 22:21:00 | スポーツ・健康
言動や風貌(とうことはないと思うが)からか、知人友人は私のことを「勝負師」かのごとく言う人が多いが、実はどっこいカミングアウトすると、「ここ一番」という時に際立って「弱い」のである。つまりは「勝負弱い」。プレッシャーに弱いとも言える。自分なりにその傾向に気付いていたから、普段から多くのことに「ポイント」を重ねるようなスタイルを選び、何事もなるべく一発勝負にならないように分散するように努めてきた。意外に思われることが多いが、「雌雄を決する」こと自体があまり好きではないのである。「負けず嫌い」という言葉は「人に負けるのが嫌いで何事も負けないように頑張る」人のことを一般的に言うが、私の場合負けるのも嫌いなので最初から勝負しないと意味で「負けず嫌い」でもあるのだろう。こう言うと何か逃げ回っている弱虫みたいに見えるから、カッコよく言うと「戦う前から結果がわかっている」勝負にだけ臨む、という孫子のスタイルを好む。

これまでの日常において勉学や運動、仕事、そして色恋分野ですら、結果を目立たないように分散させてきたのだが、やはり強く現れるのはスポーツの世界である。当時の小学生は野球が多かったが武道その他個人スポーツに勤しむ者もいるにはいた。中学生の部活は競技の幅がほぼ大人と同じになり、陸上・体操競技や球技においてもテニス、卓球など個人競技も選択肢として登場する。県下でも有数の強豪野球少年団だったが万年「半補欠」だった私は小学校卒業で野球とは見切りをつけるつもりだった。子供の頃から幸いに何でもそこそこできる運動神経があったから、次は何をやろうかと考えて何となく始めたのがサッカーだったが、決して個人競技を選ぼうとはしなかった。野球チームメンバにはテニスや陸上に転向した者は結構多かったのである。

一発勝負に弱いというのは「精神的に弱い」ということだ。武道や個人競技は勝負の結果に対してすべてが個人の責任であり、「唯一無二の一球」(エースをねらえ!)に自他すべてが集中するが、舞台が大きくなればなりほど私はこのプレッシャーに耐えられない。団体競技ならむろんプレーの一つ一つは自己の責任だが、連続的な流れの中でチームワークにまぶされる。ミスをしても周囲が助けてくれるし、仲間のミスを助けることもできる。むろん団体スポーツであってもゲームの勝敗全てが自分にかかっている、という世にも恐ろしいシーンがないわけではない。サッカーなどでもPK合戦などはその最たるものだが、少年野球の大きな大会の決勝で2点を追う最終回、ツーアウトランナー一塁で前のバッターがワンストライク取られて代打に出された。一球目はど真ん中ストライクを見逃し、二球目は高めのくそボールを空振りして一瞬にしてゲームセット・・・翌日の神奈川新聞に「9回裏、ランナーを出したが代打磯辺が三振で万事休す」と記事に書かれてしまった。。。新聞に自分の名が載るなどとは後にも先にも「万事休す事件」だけだったのだから少し情けない。

そしてもう一つ、この数十年貫いてきたのが「個人的には人にモノを教わらない」ということである。一般的な指導、チームプレーならよいが、個人教授(って怪しいひびきね)ともなるといやでも自分の弱みを曝け出さなければならない。それ自体はどうと言うことはないのだが、「あなたはこれこれだから・・・」とタイプを決めつけられるのが何となく好きでないのである。色々なスポーツをやってきて指導者とかも多くいたし、学問の世界では「指導教官」というのもいた。新入社員の時は指導育成担当なるセクションで世話になった人もいる。しかし自分のもつミッション以上に私個人に踏み込み「メンター」となった人はいなかった。あまり人にモノを教わるのが上手くない、というのも本質にあるのだろう。

あらゆる物事に「人にモノを教わらず、一発勝負はなるべくしない」というポリシーは適用されている。スキーやサーフィン、スケートボードそして大嫌いだったマラソンなども基本は自己満足の世界である。釣りや天体撮影、模型作りなどもむろん「人に教わる分野」ではない。最近妻と始めたスカッシュは個人競技ではあるが、基本は仲間と楽しみながら汗をかく、というレベルに留まっている。この夏から施設が運営するスカッシュのグループレッスンが募集されたので妻と応募してみた。妻は初心者コースは卒業しており、私はその次のコースでよいだろうということで、共に「初級コース」を申し込んだのだが、残念ながら応募者多数で抽選の結果落選してしまった。後から聞くとそのコースは月の最後に個人リーグ戦が行われるというのでぞっとした・・・やはりポリシー違反はしないことだ。

ここまでやたら長い前置きになってしまうが、このポリシーにウソのように背いているのがこのサイトにも何度か話題の登場した「ゴルフ」である。グンマ勤務時代の終盤にスティーブの手ほどきを受け数十年ぶりに封印を解いた。そしてその後あろうことかスポーツクラブのゴルフ教室ではあるものの、プロのレッスンを受け始め早2年になろうとしているのである。自分のスイングや性格などを隅々まで診断され、それなりの矯正トレーニングを受けるなどとは初めての経験で、完全に私のこれまでのスタイルに反するものだが、人生ハーフタイムにあたり新しい心境を得たのはこのサイトのどこかで書いた。ゴルフというのは各々の個性丸わかりのところがあり、スティーブや八兵衛を始め個性派揃いのグンマーに囲まれ、ずっこけゴルフを楽しんできた。ラウンドでは結果はともかく話題性を楽しみ、レッスンでは上達そのものよりもコーチとのやり取りや自分の気が付かなかった性質などを指摘されることを楽しんだ。

しかし再開して3年もたち、グンマ時代ほど頻度は高くないにしても、全く進歩しないのは困ったことに思えてきた。練習やレッスンの成果が実感できないのである。コーチに「2年もレッスンされて結果が出ないなんて見どころないんじゃないか?」と聞いたことがある。裏には「やはり自分の信条を裏切ってするものではない」という罪悪感もあった。コーチのコメントは「スコアを上げたいだけならパットとアプローチだけ練習すればすぐだが、『ずっと使えるスイングを作りたい』というイメージは持っていたほうがよい。これは一生モノの話ですよ」という分かったような分からないようなものだった。2年間でよくぞこれほどドリルの引出があるものだと感心するほど色々なことをやらされたが、結局二つのことをあの手この手で矯正したいだけのことだ。ただゴルフ練習の面白さと難しさは「自分のイメージと実際の姿があまりにもかけ離れている」ことだそうだ。「こんな変なカッコで打って当たるはずがない」と思うスイングがビデオで見るとかなりイケている。

さて、河川敷の練習ラウンドを除けば年に数度とという頻度になったしまった本コース巡りを共にするのは社宅時代からのお友達である。当初ご自身のHPでは「釣りが趣味のサラリーマン」という紹介コメントがあり、よくメジナ釣りに波止場まで行ったものだが、引っ越してウォーターフロントにお洒落なシティライフをおくるようになって、ゴルフ一本にしてしまったらしい。「何でもそこそこ」という私とは対照的に何事も形から入る傾向があり、打ち込みの集中力がハンパではない彼はむろんゴルフ理論も多く語るものを持ち、スコアも断然上を行く。私の本コース巡りは彼のおかげで成り立っていると言ってもよい。メンバは彼の同僚や友人であることが多く、毎度初対面だがゴルフというのは不思議なもので(そういうメンバーなのだろうが)一緒にラウンドするだけで誰とでも大昔から仲良しのお友達ようになれるのである。接待ゴルフという文化があるのがよく分かる。

シティライフのため自家用車を持たないスタイルの彼が選ぶコースは都内からアクアラインを使ったり高速ですぐに行ける場所、近県に列車で行くこともある。ここ数回我が家からすぐの県内にあるコースを回ることがあったが、近いのはありがたいものの、これがまたとんでもないキワモノコースだった。キャディ付で回るのがルールというのでやけに贅沢だなと思っていたら、ティグランドまでプレーヤーだけケーブルカーで上るところが何か所もあったり(しかも後半なんてケーブルカー乗り継ぎ!)フェアウェイまでケモノ道のような隘路を彷徨ったり・・・次に行ったコースは私がよく流星群を観測する丘のさらに奥にある山の上で、ティグランドから崖下に向かって打ったり、山二つ分向こう側にグリーンが見えていたり・・・そのうち空中ケーブルでも登場するんじゃないかと思った。景色だけはこれ以上ないくらい素晴らしかった。プロが武者修行すると言われたスーパーリンカンコースはOカントリーと言った。そして酷暑の中、先日回ったコースも途中までは「星の綺麗な丘」に向かうルートだった。

        

「何かOカントリーの香りがするぞ・・・」困ったような呆れたような苦笑いが浮かんだ。前の晩飲み過ぎてまさかの遅刻となった友人は駆け付けるタクシーの中で運転手さんに聞いたらしい。「ああ、結構色々あるけどOカントリーほどじゃないよ」幸い心配されたほど猛暑ではなかったが、天気が良ければ相模湾を一望できる素晴らしい景色だという。しかしとにかく暑くて結果は期待できないだろう、と私はこのラウンドに限ってこれまで何があっても変えなかった攻めのスタイルを封印し、前日のレッスンでコーチと約束した「腕を伸ばさずに打つ」という子供向けみたいな呪文をひたすら徹底した。「何か今日、たろーさん安定してますねえ・・・」自分のイメージではおもちゃ売り場で動くロボットのようなヘンテコなスイングだったのだが、不思議なことに真っ直ぐに飛び続けた。終わってみればこれまでなかったような、スコアが飛び出したのである。なるほどこれが一つの成果か?!私は喜び勇んで赤いライオン号を走らせたのである。「今日の結果から見るとあの人形のようなスイングがコーチの言っていたものに近いのだろう。これは忘れないうちに復習する必要があるかな」ラウンドした後に練習場に行くという、これまでの私には考えられない真摯な姿勢だったのだが、帰宅して凍りついた。「ゴルフバッグ、忘れてきちゃった・・・!」興奮のあまり?こういうオチだったのか・・・!?

こそ練の効果(むくい)

2015-06-05 20:31:37 | スポーツ・健康
「こそ練」という言葉を初めて聞いたのは、広島で有森裕子さんの講演を聞いた時だった。元々スポーツ選手としては恵まれていなかった彼女は、結果を出せない陸上部で自分にもできることという意味で「一人こっそり練習」を行っていた。長距離選手として実績の無かった時代は名門で日の当たるところではなかったが、彼女のこだわりとなった「こそ練」を続け、ついにマラソンオリンピックでメダルを手にする。講演ではたくさんのことを熱く語っていた有森さんだが「こそ練」という言葉が妙に頭に残っていたのだ。それ以降「人に隠れてこっそりと行う」ことを「こそ○○」と勝手に名付けて使っていた。意外に広範囲に応用が効くのである。

テスト前に「あー、今回何も勉強してないから、ヤバいよ〜」なんて言いながら実は陰でこっそり机に向かってねじり鉢巻き、高得点をとって「えへへへ」と頭をかく「こそ勉」、中学時代にこういうヤツがいていつも冷やかに見ていたが、私自身数十年たって「エコ検定」で復活させた。学校時代に持って行った弁当を休み時間に食ってしまうのは「はや弁」、妻に作ってもらった弁当を持って出社したが、外出帰り時には昼休みが終わってしまい自席で弁当を食うわけにもいかず「応接室」にいかにも機密資料をもって籠るようなふりをして食べる弁当は「こそ弁」である。グンマに勤務する前の職場にいたスタッフ同士が数年後めでたく結婚した。お祝会に駆け付けた時によくよく聞くと、なんと私が在職している時には既に育んでいたらしいのである。(見事なまでに当時のスタッフは誰も知らなかった)衝撃の「こそ恋」である。(オフィスラブなどといういかがわしい響きではない)

さて昨年から、お友達のつぶやきさんつながりで妻が「スカッシュ」を始め、夫婦共通で嗜むスポーツとしてはマラソンを上回り成長株であることは既に書いた。つぶやきさん一家は施設が近いこともあるのか、一人者であるつぶやきさんに引っ張られお嬢さんもご主人もスカッシュを楽しみ、週末夕方は我が家と合流することも多くなってきた。お嬢さんも含め4人とも「何でもそこそこできる」から、手軽な壁打ちのようなスカッシュは「家族ぐるみでいい汗をかく」健全なスタイルになってきた。ゴルフなんかもそうだが、終わった後に振り返って「ああだ、こうだ」話合ったり、レッスンクラスで一人先行するつぶやきさんのアドバイスを聞いたりするのも実に楽しい時間だった。しかしビギナーらしく好きに打ち合う「楽しみレベル」を超えてくると、ちゃんとやって上手になりたくなってくるものである。(皆、実は体育会系なのかもしれない)

妻は元々ちゃんと続けるつもりでいたらしく、初心者レッスンからきちんと教わっていた。そのうち選手権レベルの試合を見学に行って、トップクラスの選手のプレーを参考にしたり、限られた店でしか売っていない「専用ラケット」とウエアを購入してきた。私は図書館で1冊しかない「スカッシュ上達テクニック」という松井千夏さんというスカッシュ第一人者の著書を借りてきて熱心にイメージをつくり、「ようつべ」で選手権の試合などを見て研究を始めた。レッスンに通う妻やつぶやきさんがコーチから言われたことを聞くと、「ラケットでボールを打つというスタイルでもテニスとはだいぶフォームが違う。テニス癖の抜けない人はちょっと苦戦する・・・」私と同年代の学生時代バブル組は当然テニスなど「お手の物」である。つまり打ち方が完全に「テニス打ち」になっている。さらにつぶやきさんによると「どちらかというとゴルフスイングに通じるものがあるのか、ゴルフの上手い人は上達が早い」うーむ。。。テニスもゴルフもどっちもやるが、嗜み程度で大した癖もないが上手くもない・・・

つぶやきさんのご主人はゴルフが上手だ。確かにプレイした回数は私より少し多いくらいなのに、フォームが綺麗でものすごいキレのある球を打てる。私はアジリティ(敏捷性、反応)には自信があるので、ずる狡いドロップはニュータイプのような勘がはたらいて拾えることが多いのだが、あくまで「野生」には限界があり、「変な球は拾えるが、ゆっくりしたラリーはできない」過程にあるようだった。普通はハーフ船で二桁は釣れるキスは丸坊主でホウボウが引っ掛かるようなものである。(ようは我流の邪道ということ)そんな中、ご主人のしんさんはいよいよかなり高級なラケットを購入したというニュースが入った。ゴルフ一筋だったのがスカッシュ方面にも進出を企てているらしい。数年間通った(同じ施設の)ゴルフ教室も一旦お休みにして、スカッシュコースを申込むという噂もあった。ここに至り、ついに私は妻に「こそ練やらねえか?」と持ちかけるのである。有森さんが語ると何となく爽やかな感じがするのだが、我ながら自分で使用する時は「内緒で練習して、人よりも抜きんでて上手くなる」といういかにも邪(よこしま)な雰囲気が拭えない。

プレイコートを会社帰りに寄ってこられる時間帯に予約し、家から直接やってくる妻と合流することにしたのである。あまり目を通していない「スカッシュ上達テクニック」を詳しく読み込むと、このスポーツはボールを打つフォームの他に、「ステップさばきとポジショニング」がとても重要らしい。有効な地上高エリア内では四方を壁に囲まれたコートではど真ん中にある「Tポイント」という位置に立つと大抵のショットは拾えるのである。著者の松井さんによるとスカッシュというスポーツは「Tポイントの奪い合い」とも言えるそうだ。そして当たり前だが長さのあるラケットの面で打つ以上、床と壁に挟まれた「隅っこ」に落ちるボールが一番取りにくい。相手に主導権を与えない=Tポイントを取らせないで走らせるために、サーブもレシーブ、ラリーも多くのショットは「ニック」と呼ばれるこの「隅っこ」を狙って打つことになる。ハイレベルな試合だと「行先はボールに聞いてくれ」という私とは異なり、いつも三方を床と壁で囲まれるコートの隅でばかり打ち合っており、全仏テニスの錦織選手のように「うぉぉぉっ」とスタンドがどよめくようなハイパープレーはあまり見られない。

この手のスポーツは足さばきが大事なのは、何となく経験的に分かっている。自分の反応に任せて狭いコートを走り回ると、届くまでは行ってもその後の戻りが効かなかったり、ラリーが続かなかったりするのである。高校の体育、110メートルハードル種目があったが、サッカー部で100メートル走るだけなら遅くはなかった私も、そのままハードルを跨いで全力疾走すると愕然とするような惨めなタイムになった。飛び越える高さとフォーム、ハードル間の歩数を決めて自分的には極めて「不自然で変な」走り方をすると見違えてタイムが伸びた経験を思い出した。「今日のテーマは何か?」本を読みながらイメージをしつつ外出先から直接施設に「こそ練」に向かったのだった。着替えてプレイコートに入り妻と「ばうん、ばうん!」とボールを乱打し始めた。スカッシュのボールは卓球と同じくらい(ちょっと大きいか?)だが、硬いゴムでできていて温まる(=中の空気が膨張して反発が強くなる)までは弾まない。だから最初はとにかくバシバシ打ってある程度弾むまで温めるのである。そろそろいい感じかなー、という時になってコートの後ろにつぶやきさんがニヤニヤしながらやってきた。

  

妻から聞いたのだろうか、何やらわざわざお土産を持って来てくれたようで、一緒にプレイしても全然良かったのだが、我々の「こそ練」魂を尊重してか、ご自身はコートに入ろうとはしなかった。私は本で見た図説を見よう見まねで試しているところで自分でも「変な動き」だったから、たぶん「コイツ、まだまだだな・・・」と思われたことだろう。その時のテーマは「なるべく大股でTポイントに戻る」だったのだが、テニス打ちのように踏込足を戻すことばかり考えていると打った後、「どうだったっけ?」と一瞬間が空いてしまうし、Tポイントに戻ることばかり考えるとザリガニが逃げる時のように「後ずさり」になってしまう。。。何度かエビステップを繰り返しながら、何となく「こんな感じかな」と掴みかけた時に悲劇は起こった。スカッシュは二人で交互に打つ「壁打ち」である。つまり自分のすぐそばには相手がいるので、当然移動する時にはその動きを意識しなければならないのである。私がフォアハンドで打った球は少しクロスコート気味に跳ね返り、相手の左側、バックハンドに戻ってきた、素早く私は踏み込んだ左足を戻してTポイントに戻ろうとしたのだが、意外にボールが真ん中に近く相手がまだそのポジションにいたのである。

  

バックハンドで鋭く振りぬいた妻のラケットが「どばかぁーん!」とドンピシャ額に命中し、目の前が一瞬真っ暗になった。手を当てると血が出ているではないか、慌ててトイレに駆け込むと「機動戦士ガンダムでニュータイプに目覚めたアムロと剣で一騎打ちし額を割られたシャア」のように鼻筋を伝ってたらーりと流血していた。ただ傷はわずか5mmくらいのもので、すぐに出血は止まったので絆創膏を貼ってそのままプレイは続行した。まだまだこのスポーツに踏み込んで日の浅い二人が好き勝手にプレイすると結構危険なことは多いらしい。この後も真後ろから耳元を「ヒュン!」とかすめるボールがきたり、妻のラケットで二の腕をぶっ叩かれたり、尻に猛烈なスイング風を感じたり・・・実は「流血のシャア状態」になった時に偶然、つぶやきさんが後ろからスマホでプレイを録画していたらしいのである。こんなプレイを録画して何をするのかと不思議に思ったが、「上手い人のプレイやボールは速過ぎてよく見えない。ヘボコンビのプレイならノロいから後からみて『ここはこうするべき』とか『私ならこう動く』とか参考になるらしいのだ。うーむ、「こそ練」を「こそ録」とはともにセコいことか?!

まったく飛んでくるのはボールだけではないことがよく分かった。アイガードの必要性も。。。(今でもしないけど)戦場で「弾は前からばかり飛んでくると思うなよ」というエリア88のセリフを思い出した。その後「事故調査委員会」のつぶやき委員からの報告があった。「余計なことはせんでよろしい」と最初は読まなかったのだが、今後「こそ練」を続けて行くうえで毎回流血では身体が持たぬので、一応転送してもらった。やはり原因は私のポジショニングだったようだ。Tポジションに戻るのはよいが、相手がそこで打とうとしている時は前に出ずに後ろでスタンバるべきだったのである。自分のペースを守りたいあまり、振り下ろされてきた杵の真下に手を出してしまったというところか・・・
ともあれ、我々の「こそ練」(もうバレバレだが)は続く。そして、いよいよ私もゴルフに続く8月からのレッスン申込みに走ったのである。このスポーツはオリンピック競技やプロ競技が世界的に流行るほど「実力の立体的な差」があるようには思えない。その分、年齢を重ねても幅広くプレイを楽しめるし、男女の腕力や体力の差も決定的には出てこない(嗜むレベルではね)ので、この先ずーっと共通の趣味としてイケるような気がするのである。

  

米軍補給廠を走る

2015-04-24 23:16:27 | スポーツ・健康
「新・共通の趣味」編で書いたが1月に「湘南藤沢市民マラソン」で10マイルを何とか走り切った後、妻とは次回は一緒に出場しよう、ということになった。最近運動不足が気になるようで、平日の昼間は少しずつジョギングしているらしい。むろんペースなども異なるのでお互いに足を引っ張らないように一緒には走ることはほとんどない。「マラソン大会に一緒に出場する」というのは意外にも私の知る限り周囲の知人にいないが、準備は別々でもレース前の体調管理や前日のコンディショニング調整、会場までの道のりでの緊張感やスタート直前の高揚感、そしてゴール後の達成感など一緒に味わえる収穫は多く、粋な趣味だと思うのである。湘南マラソン完走後、気分がノッていた私は次回一緒に走ることになってから、妻の気が変わらないようにすかさず手頃なレースにエントリーしておいたのである。自身の練習実績から「7km以上は未知の世界」というから、出場レースの条件は「私が10km、妻が5km」という選択肢があること、普段行かないところで面白い風景が楽しめそうなこと、景品に記念Tシャツがあること、などで、「東日本国際親善マラソン」というのを選んだ。

コースは相模原の米軍補給廠敷地内である。国際親善というから、在日米軍との親睦を深めるようなイベントなのだろう。普段は足を踏み入れられないところだから、中々興味深いものがある。今回で19回を数え、店員は何と1万2千人というから、湘南藤沢マラソンより大きい規模の由緒ある大会のようだ。全コースフラットで走りやすく模擬店などアメリカンムードがいっぱい、というのが楽しみだった。私はグンマで初めて10kmレースを走ってから毎年そこそこは出場しているから、経験的に身体が「1時間走り続ける」というのを覚え、それなりには自信がついてきたが、妻は数週間前くらいから結構心配になってきたようだった。数年前に藤沢マラソン5kmを一緒に走った時はヘルニアが完治していない不良コンディションで途中ウォーキングを交える苦戦だったそうだ(私は途中で置いて行ってしまったので知らない)が、たまたま今回もJAL工場見学にも行けないくらい仕事が忙しく練習不足だというのである。

制限時間内にゴールしないと回収されてしまう「ドナドナルール」もこのレースは結構厳しく10kmが70分、5kmが35分である。目安となるのが時速10kmだが、スポーツジムの「はつかねずみマシン」でこの速度を設定するとものすごく速く感じて、とても1時間はもたない気がしてしまう。。。「大丈夫かな、ドナドナされないかな・・・」と妻は不安そうだったが、その割には前日、前々日(何と当日まで!)に趣味となった「スカッシュ」を予定に入れてガンガンに打ち込んでいた。当日に「やっぱ止めておく」と敵前逃亡されると困るので「回収車はたぶん最後尾のランナーがスタートしてから35分で出ると思うよ。30分なんか、あっという間だぜぇ」とフォローし続けた。確かにエネルギー消費量ではジョギングにも勝るスカッシュを1時間以上続けても平気なんだから、30分くらい走れないわけがないと思っていた。私はさすがに怪我を避けるために前日のスカッシュはパスし、スポーツジムの「ボディバランス」というヨーガと太極拳、ピラティスを取り入れたスタジオプログラムでコンディション調整にはしった。

二人でスーパー銭湯の高濃度炭酸泉で身体をほぐしキング・カズ選手の試合前日のように「消化がよくエネルギーになりやすい」パスタを晩御飯にするつもりだったが、「原料が小麦なら一緒じゃね?」とラーメンにしてしまった。健康センターにあるパンフレットによるとマラソンなどの運動前は「3時間以上前に炭水化物を摂り、直前は捕食として胃に負担のかからない糖分を摂るのがよい」とされていた。妻は「お腹が痛くなると困る」からと、朝から固形物を食べないでエネルギードリンクやゼリーを食しており、私もそれにつきあっていたが、これが後にかなりの試練を強いられることになる。会場までは電車を乗り継ぎ45分くらいで、相模原駅の真横に米軍の広大な敷地があり、ゲート通過待ちの長い列が出来上がっている。諸般の情勢で米軍の警戒レベルが上がっているそうで、ゲートでは特設の持ち物検査場があって結構念入りに中身をチェックされている。検査員は皆迷彩服を着ていたが、にこやかでアットホームな雰囲気だった。「Thank You., Good Luck!」

  

広大な敷地にたくさんの人が詰めかけており、めいめいにウォーミングアップしている。開会式や準備運動代わりのエアロビクスなどが催されているが、走る前のランナーはあまり顔を出さない。我々もエネルギーゼリーを飲み込んで、荷物置き場でもらったビニール袋に二人分のバッグを入れて所定の位置に置いた。(と言っても芝生に番号が書いてあるだけなので、雨が降ったらアウトである)イベント会場の端には協賛している靴メーカーのシューズがかなりお得な値段でほとんど「投げ売り」されていた。妻は熱心に段ボールの中を引っ掻き回し、まるでこれから走るのを忘れたかのように、息子甘辛用のいい品物がないか物色していた。「なーんだ。アメリカサイズだからでかいと思ったのに27cmまでしかないじゃん・・・」ちなみに甘辛の靴サイズは28cmでちょうどくらいである。敷地は米国だが協賛している企業は完全な日本企業なので日本サイズしかないのは当然か。しかし結構掘り出し物もあり、私の夏用サンダルと妻のシューズを取り置きしてもらった。

  

そうこうしているうちにスタート時間が迫ってきて、地点に集まるようアナウンスが流れた。もうすでに多数の人がスタートラインから長い行列を作っている。5kmのスタートは10時、10kmのスタートは10時10分で5kmランナーの列の後ろに並ぶから、ゴールした後の落ち合う場所を決めて妻と分かれた。。「ただ今、スタート5分前です・・・」その後1分刻みでカウントダウンアナウンスがあり、会場は別に緊張する必要もないのに条件反射的に熱気を帯びてくる。(この雰囲気は結構独特なものだ)
「よーい、ドン」の号砲が鳴って、しばらくは前がつかえて「たらたら歩き」が続くと思っていたら、さすが米軍基地でコース道路の幅がやたら広いので、あっという間に皆スタートを切ってしまいそそくさと走り出してしまった。準備運動をしない私はいつもだらだら走りで色々身体を動かして心拍数を少しずつ上げていくのだが、今回はいきなり結構なスピードになってしまい閉口した。(ちゃんとストレッチやっとけばよかった・・・)

    

スタート直後に青山学院吹奏楽部による応援ソング「100%勇気」が演奏されていた。10分くらいはやはりキツかったが、心拍数があがって身体が走りに慣れてくると周囲をきょろきょろ見渡す余裕ができてきた。補給廠ではあったが普段は入れない米軍施設で何か目新しいものはないかスマホを片手に物色していたのだが、見事なまでに何もない・・・(当たり前か!)巨大な倉庫とマンションが何棟建てられるか分からない空き地ばかりである。コースは1周5kmで、先にスタートした妻は1周、私は2週することになる。ちょっと日差しが出てきて気温が上昇気味だったが、時折受ける横風が結構心地よく、いつもより多めに給水しながら走っていた。身体と会話しても何の異常もなかったのだが、4kmくらい走って何か退屈になってきた・・・ところどころ許可されたエリアは人がいるのだが、ほとんどのコースは人っ子一人いないただのコンクリートの荒野なのである。湘南藤沢マラソンは一本道の単調なコースだが、沿道には大人も子供もたくさんの声援を送ってくれる人々がおり、走っているだけでパワーが漲ってくるようだった。知り合いは少なかったが、Mラさんのメガホン声援に勇気百倍となったものだ。

「(何か沿道の声援がないと、元気出ねえなー)」今更のように「応援の力」というのを思わざるを得なかった。1周目のゴールが見えてきたが、身体の調子は申し分ないのに何となく足が重い・・・「(妻はこれでゴールか。。。あっという間、全然楽勝じゃないか。オレも5kmにしとけばよかった・・・)」少し憂鬱な気分になって1周目のゲートをくぐった直後、「磯辺さん、磯辺さぁん!」と手を振る4人組くらいの男女がいた。「(はて?誰だったかな。私の名前を知っているということは知り合いのはずなんだがな)」まっすぐ近づいていくと、おーっ、遥か昔に同僚だったクニさんではないか!妻以外には誰も知り合いなどいないと思っていたから、とたんに嬉しくなり思わず両手を振って欽ちゃん走りしていた。彼は自転車をやると聞いていたが、ゴール後ろでランナーのスタイルをしているということは我々の後にハーフマラソン走るのかな。同じ年なのに大したもんだな。何か少し元気が出てきて、少しスピードアップした。

2週目、残り3kmくらいになった時に思いもしない試練が待ち構えていた。尿意を催してきたのである。おかしいな、出走前にちゃんとトイレには行ってきたのに・・・どうもエネルギードリンクやゼリーの類は吸収が早い分、利尿作用もあるらしいのである。近所を走るマラソン大会では公衆も含め至るところにトイレが設営されていたのだが、ここは米軍施設内、簡易トイレなど置かせてはくれないらしい。その辺の陰で済ませて、MPにでも見つかったら銃口を突きつけられるかもしれない。かと言って、勝手に建物の中に入るわけにもいかない。こうなったら1秒でも早くゴールするしかない。幸いどこも痛いところはなく、疲労もピークには達していなかったので残り2kmの看板を通過すると2か所あった給水場をスルーして、その時出せる最高速度で必死に疾走した。しかしラストスパートをかけるには早過ぎたらしく、途中から足首やら太もも、股関節あたりが同時に悲鳴を上げてきた。ゴール前で手を振る妻に辛うじて応え、急いで計測チップを外して記念のTシャツを受け取り、さらにスピードアップして特設トイレにダッシュした。エネルギードリンクものは利尿作用があるのでコースにトイレのないレースでは気を付けなくてならない、というのはどのサイトにも書いてなかったが、貴重な教訓となった。。。

妻も無事30分を切ってゴールしたようで、ハイタッチしたものだ。帰り支度を終えて気になるアメリカンフード模擬店群に行ってみると、気が遠くなるような長い列・・・しかも偵察しているうちに半分近くのメニューが売り切れになってしまった。写真で見ると巨大なビーフステーキサンドやツナ・パニーニ、特製クラムチャウダーなどはあっと言う間だったらしい。ハーフマラソンは数十分前にスタートしており、帰りのゲートまでの道のりもコースになっていたから、先頭ランナー以降しばらく声援を贈っていた。「クニさん、わかるかなー」ガチンコ集団が過ぎ去ってしばらく1周目のランナー群が続いたが、まだかなりの塊で走っている。私も走っている最中だったので彼がどんなウェアを着ているか思い出せず「こりゃー、見つけるのは無理かもなー」とゲートに向かってゆるゆる歩き出した時、一番我々のいる側を真っ黄色なウェアな走り過ぎた。「おおーっ、クニさん、クニさん!」私は反射的に叫んでいた。奇跡的にも彼の姿を見つけ出し、声援を贈ることができたのである。ちょっと興奮のあまりダブルサムズアップで「指圧の心は母ごころ」みたいなジェスチャーになってしまったが。。。

  

身体が記憶していて、支障なく1時間走り切れたとしてもやはりダメージは小さくない。我々はその後、息子甘辛の試合を見物に行ってつぶやき一家と合流、スカッシュすることになっていた。(よくやるよなー)妻はなんと、マラソン大会を挟んで3日連続のスカッシュ漬である。打上げ会場のサイゼリヤに向かう道で「きなこもちさんって走るの好きなの?」と聞くつぶやきさんに「いやー、嫌いみたいだけど・・・」かく言う私は前述したように「ただ走る」だけのジョギングなど退屈で我慢ならない。しかし二人で出場するマラソン大会は走ること以外にも色々と話題があり、今回ちゃんと走り切れたことは大きな収穫だった。会場出口では「湘南ビーチラン」という大会のパンフレットを配っていた。まさしく我が家の真ん前の海岸を走ることになる。「面白そうじゃんか。ビーチはヒップに負担かかるってよ」と軽く振ってみると「何が悲しくて、お金払って目の前の砂浜走らなければなんないのよ・・・」と一蹴。。。それもそうだ。約1ヶ月先だが、その日は波乗りした後ビール片手に応援する側に専念するとしよう。