年末年始の暴飲暴食の報いを受け、どんよりした身体にムチ打って少しずつジョギングを重ねて、ぎりぎり調整の末、「湘南藤沢市民マラソン」何とか走り切る。10マイルという普段はほとんどは知らない距離だから、それなりに緊張し練習もするが縁起も担ぐ。そしてまだ冷たい湘南海岸の風を切り、無事ゴールした後は「マラソン」に関する意識がやたらに高揚して、次々にエントリーしたくなるのがここ数年である。妻はまだ16kmは走れないようなので、もっとファミリー向けの手頃な大会を探すが、会場までそう遠くなく、コースも楽しそうなお祭り性の高いイベントは中々見当たらないものだ。昨年は4月の中旬に相模原の米軍工廠で開催される親善マラソン大会に参加し、普段は走れない敷地を妻と走った。今年はご丁寧に大会主催者から案内の郵便が送られ、早々とエントリーしてあったのだった。前回同様、私が10km、妻が5kmのコースである。
3月も半ば過ぎ、暖かくなったり寒くなったり繰り返して「今年の開花予想日は・・・」なんてニュースで言うような陽気になった時、マラソンをエントリーするポータルサイトからメールで開催案内がきた。「日米親善キャンプ座間 桜まつりラン&ウォーク」である。これまた在日米陸軍の居住地内を走るもので、同日には「親善桜まつり」として一般人にも開放されているので、ジョギングで汗を流した後、そのまま花見を楽しむことができるという趣向である。参加賞は特製Tシャツ、距離は7キロ(6.7km)と3キロ(2.7km)でウォーキングの人も一緒になって子供も走るというから「緩い」マラソンである。桜が咲きだした頃だったが、満開の時期になるとやたらに美しい名所風景をアップする人ばかりになって、「ただ花見するだけじゃつまらんから」と妻とお友達のたまさん夫婦を誘ってエントリーしたのだった。
4月に入って最初の週末、桜はちょうどほぼ満開となって絶好のラン&花見の陽気だった。小田急線の相武台前駅から一番近いゲートまでは一直線で15分くらいだ。実は同じ県内で座間と言えば「光化学スモッグ」とコストコ渋滞というイメージしかもっていなかった。相模原市もそうだったが海辺に住んでいる我々は県央と言われるエリアはあまり出掛ける用事がなく、甘辛の小学サッカーで県内をくまなく廻った時に何度か訪れた程度だった。「座間杯」という招待杯にチームが参加して予選を突破し、いよいよ決勝トーナメントという時になって「光化学スモッグ」注意報が防災スピーカーでアナウンスされ、「えっ?ええっ?今時、そんなの出るの?」子供の頃にたまに目がチカチカし、胸が苦しくなった「光化学スモッグ」など昭和の遺物だと思っていた。審判や主催チームは少しだけゲームを中断したが、結局構わず続行し、甘辛達のチームが確か優勝したのだった。国道246号から少し入ったところにコストコが開店して何度か訪れたが、休日など幹線道路は凄まじい渋滞となった。道路交通情報に明らかにこれまで登場しなかった「座間市東原・・・」という地名が頻出し「あの周辺の住民は気の毒だ」と感じたものだった。
あまり芳しくないイメージのあった座間だが米軍キャンプでは毎年「桜まつり」が開催され大いに賑わうそうなのだ。敷地内にゴルフコースもあるという広大な敷地の端っこのゲートに着くと、何人かのおじさんが座って並んでいた。まだ閉まっているゲートの向こうは単なる山にしか見えなかったし、おじさんたちも「ランニング」するスタイルではない。「何時になったら開くのかな。まだ誰も来てないみたいだけど・・・」すると先頭にいたおじさんが「マラソンかい?マラソンなら正面ゲートだよ。そこの信号を右に曲がって大きな通りにぶつかってさらにに右、ずーっと坂を下りたところだよ」どうやらおじさんグループはずっと後の時間になって開場されるという「一般花見客」のようだった。「あのおじさん、待ちながらもう飲んでんじゃねえか?」教えられた正面ゲートまでは歩いて15分ほどあった。ラン&ウォークは1000人くらいの参加者だということだが、入口には100メートルくらいの家族連れなどが列を作っていた。しばらく最後尾に並んでいたが、一向に列が進む気配がない・・・後ろにはどんどん人が並んできた。「何か変だよな」妻は我々の列から離れてゲートの方まで偵察に行き、しばらくして「こっち、こっち!」と手招きしていた。
どうやら長い行列は先のおじさん達と同じ「一般花見客」だったようなのである。そのくらいのこと、入口に看板でも置いてくれればいいのに・・・「やっぱ、米軍だからな。あんまりサービス行き届いてないよな・・・」かなりウォーミングアップ含めてかなり余裕をもってきたのに、ゲートに入った頃は9時を回っていた。スタートは10時の予定である。敷地の中には「桜まつり」というだけあって満開の桜が至るところに咲き誇っていた。正面に「日米平和の碑」や神社もないのになぜか「鳥居」が多くみられ(そう言えば相模原工廠も鳥居が多かった)自国領土とは言え異国の地に住む人々の心細さが分かるような気がした。右も左も分からず、受付場所を表す案内もなかったが、露店の準備をしている人たちが「あっち、あっち」と指差していて受付の体育館に入ることができた。年齢層別、コース別にある受付でゼッケンと記録チップをもらいシャツに取り付けた。走るのはマン、宇宙忍者バルタン星人に続く宇宙恐竜ゼットンである。

スタート10分前になってスタートの前にランナーたちがぞろぞろ現れてきた。雨は降っていないが、4月の割にはやたらに寒い日だったので本格ランナー以外は皆体育館内で暖を取っているような緩いレースである。さすがに6.7kmくらいならこの前の半分以下の距離だ。急勾配コースと書いてあったのが気になるがそれくらいの刺激があった方が楽しいだろう。とりあえずストレッチだけ念入りにしていると「磯辺さん!こんにちは。こんなところでお会いできるなんて!」と声を掛けてくる女性がいた。昨年、大山ハイキングでご一緒した「ちーちゃん」である。ハイキングだけでなく本格山歩きにフルマラソンまで出場する私と同門のスーパーガールなのだが、「へーえ、こんなヌルいマラソンも出るの?」と聞くと「職場の仲間と一緒に来たんです。練習してないからバテるのが心配です」スタート地点で皆と記念写真を撮っていた。なーるほど、ランナーを見ると職場では彼女がダントツで若いのが分かった。

カウントダウンが始まり、サーフィン大会でよく使われる「ぷあぁぁぁーっん」という豆腐屋のラッパみたいな音と同時に一斉にランナーがスタートした。数百人しかいない上に「親善」らしく居住者らしい米国人も交じって和気あいあいとしていたが、少ないだけにやけにペースが速い。気分が高揚しているのか、周囲がどんどん飛ばしているのを見ていたが、あえて抜かれるに任せ、道沿いに咲く満開の桜を楽しみながらウォームアップがてらたらたら走っていた。私が間違えたのか妻はウォーキングの部にエントリーされてしまっていた。また一緒に走るつもりだったたまさんはどこか故障があったのか、やけに軽装でいるので「もしかして、走らないなんてことは・・・?」「うん、もしかして走りません!」と胸を張っていた。彼女らは私のはるか後方からスタートしたはずなのだが、いつの間にか一応ちゃんと走っている妻が前を走っていた。多少アップダウンはあるが、景色のよい敷地内のコースで徐々にスピードアップして、妻に手を振り再び前に出た。その後3km組のコースは分離し、たかだか15分程度でゴールしてしまったそうだ。
ちょっと肌寒かったが、満開の桜の道を楽しみながら軽快に走っていた私だが、後半に差し掛かってとんでもない試練がやってきた。頂上が見えないくらい、ものすごい上り坂に出くわしたのである。「な、な、なんだ?この坂は!?」箱根駅伝の復路、我が家の近くを通り過ぎると「遊行寺の坂」という有名な上り坂が現れるが、そんな気分になる絶望的な坂だった。レースの案内に「急勾配あり」というのはこれのことだったのか・・・・!仲間同士でおしゃべりしながら走っていたグループもすっかり黙り込んでひたすら前に身体を倒して上り続けた。中には歩きだしてしまったランナーもあった。私も走っているつもりが歩きと変わらないくらいの速度になり、恨めしそうに上を睨み付けるだけだった。てっぺん付近で二人のアイスクリーム好きのアメリカ人と思える体型の女性二人が拍手をしながら「Good Job!」と手を振ってくれていたが、「虫の息」とはあういうことを言うのだろう。

その後はだらだら下り坂になって(当たり前か)最初におじさんたちが並んでいたゲート前を通り過ぎると、長い一般花見客の列ができていて、身分証明と荷物確認を行っていた。そしていつの間にか来たコースを逆に進み、ゴール前まで辿りついていた。時間にすると約40分・・・いつも海岸沿いの平坦なコースばかり走っていたが、長い上り坂がこんなにキツイとは初めて経験し、何とも重たい身体を引きずってやっとの思いでゴールした。とっくにゴールした妻やたまさんが花見の場所取りをしてくれており、2リットルの巨大なペットボトルのミラービールをごっくりのでようやく人心地ついた。アメリカらしい(ちょっと不自然なほど)巨大なホットドックに、ぼそぼそのボリューム満点のハンバーガー?を頬張った。会場はすっかり「桜まつり」としてたくさんの露店と一般客で賑わっていた。

(もうたぶん現役を引退してしまったようだが)軍用ヘリの姿を見ると、ついつい吸い寄せられてしまう・・・同じ会社の知人や息子甘辛が幼稚園の頃仲良しだった子のママにも声をかけられた。マイナーそうなイベントだが結構色んな人が来ているのだな。しかし冷たいビールを飲んでいるととにかく寒い・・・・風が強くなって指先がかじかんでくるほどになってしまった。満開のさくらランでの「花見の部」は別の機会にレポートすることにして退散したのである。
3月も半ば過ぎ、暖かくなったり寒くなったり繰り返して「今年の開花予想日は・・・」なんてニュースで言うような陽気になった時、マラソンをエントリーするポータルサイトからメールで開催案内がきた。「日米親善キャンプ座間 桜まつりラン&ウォーク」である。これまた在日米陸軍の居住地内を走るもので、同日には「親善桜まつり」として一般人にも開放されているので、ジョギングで汗を流した後、そのまま花見を楽しむことができるという趣向である。参加賞は特製Tシャツ、距離は7キロ(6.7km)と3キロ(2.7km)でウォーキングの人も一緒になって子供も走るというから「緩い」マラソンである。桜が咲きだした頃だったが、満開の時期になるとやたらに美しい名所風景をアップする人ばかりになって、「ただ花見するだけじゃつまらんから」と妻とお友達のたまさん夫婦を誘ってエントリーしたのだった。
4月に入って最初の週末、桜はちょうどほぼ満開となって絶好のラン&花見の陽気だった。小田急線の相武台前駅から一番近いゲートまでは一直線で15分くらいだ。実は同じ県内で座間と言えば「光化学スモッグ」とコストコ渋滞というイメージしかもっていなかった。相模原市もそうだったが海辺に住んでいる我々は県央と言われるエリアはあまり出掛ける用事がなく、甘辛の小学サッカーで県内をくまなく廻った時に何度か訪れた程度だった。「座間杯」という招待杯にチームが参加して予選を突破し、いよいよ決勝トーナメントという時になって「光化学スモッグ」注意報が防災スピーカーでアナウンスされ、「えっ?ええっ?今時、そんなの出るの?」子供の頃にたまに目がチカチカし、胸が苦しくなった「光化学スモッグ」など昭和の遺物だと思っていた。審判や主催チームは少しだけゲームを中断したが、結局構わず続行し、甘辛達のチームが確か優勝したのだった。国道246号から少し入ったところにコストコが開店して何度か訪れたが、休日など幹線道路は凄まじい渋滞となった。道路交通情報に明らかにこれまで登場しなかった「座間市東原・・・」という地名が頻出し「あの周辺の住民は気の毒だ」と感じたものだった。
あまり芳しくないイメージのあった座間だが米軍キャンプでは毎年「桜まつり」が開催され大いに賑わうそうなのだ。敷地内にゴルフコースもあるという広大な敷地の端っこのゲートに着くと、何人かのおじさんが座って並んでいた。まだ閉まっているゲートの向こうは単なる山にしか見えなかったし、おじさんたちも「ランニング」するスタイルではない。「何時になったら開くのかな。まだ誰も来てないみたいだけど・・・」すると先頭にいたおじさんが「マラソンかい?マラソンなら正面ゲートだよ。そこの信号を右に曲がって大きな通りにぶつかってさらにに右、ずーっと坂を下りたところだよ」どうやらおじさんグループはずっと後の時間になって開場されるという「一般花見客」のようだった。「あのおじさん、待ちながらもう飲んでんじゃねえか?」教えられた正面ゲートまでは歩いて15分ほどあった。ラン&ウォークは1000人くらいの参加者だということだが、入口には100メートルくらいの家族連れなどが列を作っていた。しばらく最後尾に並んでいたが、一向に列が進む気配がない・・・後ろにはどんどん人が並んできた。「何か変だよな」妻は我々の列から離れてゲートの方まで偵察に行き、しばらくして「こっち、こっち!」と手招きしていた。
どうやら長い行列は先のおじさん達と同じ「一般花見客」だったようなのである。そのくらいのこと、入口に看板でも置いてくれればいいのに・・・「やっぱ、米軍だからな。あんまりサービス行き届いてないよな・・・」かなりウォーミングアップ含めてかなり余裕をもってきたのに、ゲートに入った頃は9時を回っていた。スタートは10時の予定である。敷地の中には「桜まつり」というだけあって満開の桜が至るところに咲き誇っていた。正面に「日米平和の碑」や神社もないのになぜか「鳥居」が多くみられ(そう言えば相模原工廠も鳥居が多かった)自国領土とは言え異国の地に住む人々の心細さが分かるような気がした。右も左も分からず、受付場所を表す案内もなかったが、露店の準備をしている人たちが「あっち、あっち」と指差していて受付の体育館に入ることができた。年齢層別、コース別にある受付でゼッケンと記録チップをもらいシャツに取り付けた。走るのはマン、宇宙忍者バルタン星人に続く宇宙恐竜ゼットンである。


スタート10分前になってスタートの前にランナーたちがぞろぞろ現れてきた。雨は降っていないが、4月の割にはやたらに寒い日だったので本格ランナー以外は皆体育館内で暖を取っているような緩いレースである。さすがに6.7kmくらいならこの前の半分以下の距離だ。急勾配コースと書いてあったのが気になるがそれくらいの刺激があった方が楽しいだろう。とりあえずストレッチだけ念入りにしていると「磯辺さん!こんにちは。こんなところでお会いできるなんて!」と声を掛けてくる女性がいた。昨年、大山ハイキングでご一緒した「ちーちゃん」である。ハイキングだけでなく本格山歩きにフルマラソンまで出場する私と同門のスーパーガールなのだが、「へーえ、こんなヌルいマラソンも出るの?」と聞くと「職場の仲間と一緒に来たんです。練習してないからバテるのが心配です」スタート地点で皆と記念写真を撮っていた。なーるほど、ランナーを見ると職場では彼女がダントツで若いのが分かった。


カウントダウンが始まり、サーフィン大会でよく使われる「ぷあぁぁぁーっん」という豆腐屋のラッパみたいな音と同時に一斉にランナーがスタートした。数百人しかいない上に「親善」らしく居住者らしい米国人も交じって和気あいあいとしていたが、少ないだけにやけにペースが速い。気分が高揚しているのか、周囲がどんどん飛ばしているのを見ていたが、あえて抜かれるに任せ、道沿いに咲く満開の桜を楽しみながらウォームアップがてらたらたら走っていた。私が間違えたのか妻はウォーキングの部にエントリーされてしまっていた。また一緒に走るつもりだったたまさんはどこか故障があったのか、やけに軽装でいるので「もしかして、走らないなんてことは・・・?」「うん、もしかして走りません!」と胸を張っていた。彼女らは私のはるか後方からスタートしたはずなのだが、いつの間にか一応ちゃんと走っている妻が前を走っていた。多少アップダウンはあるが、景色のよい敷地内のコースで徐々にスピードアップして、妻に手を振り再び前に出た。その後3km組のコースは分離し、たかだか15分程度でゴールしてしまったそうだ。
ちょっと肌寒かったが、満開の桜の道を楽しみながら軽快に走っていた私だが、後半に差し掛かってとんでもない試練がやってきた。頂上が見えないくらい、ものすごい上り坂に出くわしたのである。「な、な、なんだ?この坂は!?」箱根駅伝の復路、我が家の近くを通り過ぎると「遊行寺の坂」という有名な上り坂が現れるが、そんな気分になる絶望的な坂だった。レースの案内に「急勾配あり」というのはこれのことだったのか・・・・!仲間同士でおしゃべりしながら走っていたグループもすっかり黙り込んでひたすら前に身体を倒して上り続けた。中には歩きだしてしまったランナーもあった。私も走っているつもりが歩きと変わらないくらいの速度になり、恨めしそうに上を睨み付けるだけだった。てっぺん付近で二人のアイスクリーム好きのアメリカ人と思える体型の女性二人が拍手をしながら「Good Job!」と手を振ってくれていたが、「虫の息」とはあういうことを言うのだろう。

その後はだらだら下り坂になって(当たり前か)最初におじさんたちが並んでいたゲート前を通り過ぎると、長い一般花見客の列ができていて、身分証明と荷物確認を行っていた。そしていつの間にか来たコースを逆に進み、ゴール前まで辿りついていた。時間にすると約40分・・・いつも海岸沿いの平坦なコースばかり走っていたが、長い上り坂がこんなにキツイとは初めて経験し、何とも重たい身体を引きずってやっとの思いでゴールした。とっくにゴールした妻やたまさんが花見の場所取りをしてくれており、2リットルの巨大なペットボトルのミラービールをごっくりのでようやく人心地ついた。アメリカらしい(ちょっと不自然なほど)巨大なホットドックに、ぼそぼそのボリューム満点のハンバーガー?を頬張った。会場はすっかり「桜まつり」としてたくさんの露店と一般客で賑わっていた。

(もうたぶん現役を引退してしまったようだが)軍用ヘリの姿を見ると、ついつい吸い寄せられてしまう・・・同じ会社の知人や息子甘辛が幼稚園の頃仲良しだった子のママにも声をかけられた。マイナーそうなイベントだが結構色んな人が来ているのだな。しかし冷たいビールを飲んでいるととにかく寒い・・・・風が強くなって指先がかじかんでくるほどになってしまった。満開のさくらランでの「花見の部」は別の機会にレポートすることにして退散したのである。

