病院広報(はとはあと)評価支援情報

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病院広報の心理学、阿吽(あうん)を考えよう

2018-10-08 16:22:44 | はとはあと最新情報
病院広報の心理学、阿吽(あうん)を考えよう

阿吽(あうん)がほしい。吸う・吐くの呼吸である。気配の変化の察知である。見ることはできないが、何か感じがする。何か閃く軽い電気を感じて集中する。何かが見える前に起こる一瞬の奇蹟である。一生を生きていくには、兎にかく生きていなくてはならない。生きるには、呼吸その他の無意識の指示に従うことが必要である。考えても何もない。そのうちに、無意識が意識を連れてきて、どこかを消してしまう。それまでの間、人は「空を見る」が、それが絵空の役割であるとわかるまで、一時を要することになる。

見えるものを見るということは、考える以上に集中することである。それだけに留まらず、見えるものの動きが定まると、なんと目の前に自分という他者が現れる。それで全身が安心してしまう。すると、社会という見えるものが、別の舞台に現れて、心の土地に定着しようとする。気を衒うように見える要素が描かれて、それが次第に現実味を帯びた空間に成長し始める。辺りを見渡して現実の世界にいるとわかると、見えるものが実感を持ち始める。ごく当たり前の現実が一気に目の前に広がることになる。

私たちが向き合う現実世界は、それなりの個人差はあるだろうが、体感的に説明すれば、そんなイメージを孕んでいるのだ。認識の基礎をなすものは、そのような絵巻でできていて、掴みようのないものであり、死んだらすべてが消える。内的自己も外的主体も再起動は難しいかも知れない。見る人も消え、見られる人も居なくなるが、そのために数値データがカバーしている。暗黒でもなく、白亜の世界でもない。身体には膨大な言語が入る余地はない。むしろ広々とした描かれる空間の、その自在なつながりである。

記憶にはないものの、あの母親の産道を通過したときの無意識の一部には残っているのではないのか。イメージが語りかけるのは、愉快で楽しく想像を逞しくする世界だろう。我々に見えなかった産道の景色は、記憶にはないとして、産道という空間イメージは無意識の中に残されているかもしれない。見えない世界、見ることのできない光景を、イメージが記憶し、伝え、語ることに大きな意味がある。理論は杖のような機能を担い、人々に正しい知識を伝えているが、人が生きるという意味においては、イメージと分担すべき事柄といえる。mitameya 181008


HISフォーラム2018 全国病院広報研究大会 in KYOTO
ご参加ごあんない


日 時:10月27日(土) 
受 付:午前11時〜  開会:午後1時〜(終了後、懇親会)
会 場:京都市左京区 聖護院御殿荘ホール
発 表:第一審査入選など11事例
基調講演:京都大学医学部大学院・健康情報学分野 中山健夫教授
申込先:日本HIS研究センター事務局075-741-8219 info-his@j-his.jp
参加費:1名8,000円(HIS会員6,000円・申込締切10月24日)

懇親会:1名6,500円
申込は10月20日締切・御殿荘075-771-4151まで



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