今日は前回、分かりにくかった?かもしれないコミュニケーションの話の続きです。
コミュニケーションという概念は、多くの人が「伝えること」と理解されていますが、相手の話を「聞く」という立場から、次なる内容を組み立て、その絡みの中から、相手が望む情報に近づけるという双方向のコミュニケーションという理解があります。
そこで起きてくるのは、伝える側と聞く側の話の捉え方についてのギャップが着いて回るという問題です。伝え手はこのことに最大の配慮をしながら伝えるのですが、これが何かとしんどい作業と言えます。
どんな事柄が理解されて、何が理解されていないのかを伝えながら検証して行く、それが誰もが経験的に知っているコミュニケーションの現場ですね。コミュニケーションといえば、伝え方のスキルとか、伝わる仕組みという理解が一般的で、病院でそれを担う広報はコミュニケーションを行う職種という理解で止まっていて、実際はうまく行かなかった苦い経験をお持ち方も多いのではないかと思います。
人は、組織を組んでも組まなくても、何かを達成しようとして対象を意識した時、その場にふさわしい話題や言葉を、身体的にも繰り出して、汗を掻くことが必要になると思います。
言いたいことは、「コミュニケーションには、満点はない」ということであり、さらに言えば100%「コミュニケーションでは通じない」とも言えるのです。だからこそ、その場に「花束としてのコミュニケーション(非言語)」が必要になると思うのですが、いかがでしょうか。いわゆる情報のやり取りを言葉の論理だけに頼らないコミュニケーションです。現代社会は高度な情報テクノロジーでできています。しかし、その最初の出会いのほとんどは、人が単純に「見る」ということから始まっていることに気づくことです。
まずそこから「見える」ものが何か、その立ち位置から見ての認識から始まると思うのです。そしてそれらは、ただ「見た」だけなのか、「観よう」としていたのか、あるいは「診る」や「視る」という必要に迫られてのことなのか、また「覧る」や「魅る」が含まれてのことなのか。こちらの「見え方」に大きな問題はなかったか、あるいはその対象に影響する「見せ方」「観せ方」「魅せ方」に特別な意図は、あったのか、なかったのか、それらの要素は、どの程度、どうだったのか。一つの「みる」においても、これほどの「視点」の差が考えられるのです。
「見る」は感覚としての意識を集め、その刺激を経験庫にまとめそのうえで知識としてまとめコミュニケーションに活用します。また同じ「見える」といっても人により多様な違いがあります。また、その経験や知識を言葉という情報にして、さまざまな機会にアレンジして活用することもあります。
以上は、視覚情報の受け手としての反応ですが、考えてみれば人は実に多様な情報処理をしていることになります。がしかしこのことは当然のこととして、もう一面についてのことを述べる必要があるようです。
これらの原則を踏まえてコミュニケーションに臨むことにより、多面的で多様な成果が得られます。病院広報を極めるには、「まずはコミュニケーションとは何か」という理解をしっかりと抑えることが必要です。
先日、京都で開いた第194回の広報プランナー認定講座において、この視覚原理について触れました。どう考えても基本情報だけではありません。情報の発信には、既成の言語の羅列による情報の発信がいくら論理的でわかりやすいというだけでは、人の思いに響く伝達になりません。要約していえば対象の欲求はもちろん、「聴いている側(受け手)の理解や姿勢が伝えてくる情報」に真摯に応える臨場的コミュニケーションと認識されるような「構えと体制」の実践が必要だということから、この講座を「実践講座」としました。
それには、多面・多様に応える意識と視覚言語の活用が欠かせないということになります。以下は、その講座の1コマに掲出した情報です。
●見る 見える 見せる
●観る 視る 診る 看る 覧る (魅る?)
●見え方 観せ方 魅せ方
●見るは意識を集め、経験し、知識にする
●見ることは、学びの場、見学(教育になる)
情報や環境を集約し意識の対象となり、それぞれ人間の成長と意識改革
に欠かせない視点であるといえます。
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