1980年6月に出版された 高峰 秀子と 松山 善三共著の『旅は道連れツタンカーメン』、もう、半世紀近く前のエジプト旅行の紀行記録であるから、古色蒼然とした昔の海外旅行の雰囲気がムンムン漂っていて、実に懐かしい。
当時、私は、ブラジルで仕事をしていて、帰国したころで、直後に、文革が終わって門戸を開いた中国を訪れた激動の時代であったので、時代離れをしたエジプトの雰囲気が面白かった。
アジアや欧州や南北アメリカなどには旅行経験があり、結構旅をしているのだが、残念ながら、アフリカ大陸には機会がなくて、エジプトには行ったことがない。
ギリシャ・ローマの歴史に興味を持ち、世界史、特に、東西交渉史を意欲的に勉強してきたのだが、肝心の4大文明の発祥地のうち、訪れたのは黄河だけで、エジプト、メソポタミア、インドには行っていない。
さて、この本のエジプト漫遊だが、歴史行脚にのめり込んで期待に胸を膨らませて感嘆頻りの夫君と、不本意ながら旅に出た妻との往復書簡風の旅行記。ちぐはぐ珍道中の雰囲気が、二人の夫婦生活での人間関係が増幅していて、非常に面白い。エジプト古王朝の歴史を追求して死生観を展開する善三と、バカでかいピラミッドを何のために作って人民を苦しめたのかという何事にも動じない秀子。スフィンクスは実在したが雌が居なかったので絶えてしまったという脚本家の善三を秀子は笑い飛ばす。冒頭から面白い。
善三は、目的があってエジプトに行ったので、事前に知識情報を蓄えて理論武装しており、結構、旅日記に託して、エジプトの歴史や文化芸術、地理、国民性など詳細に書いていて、それなりにエジプト旅行記になっている。
ギザのピラミッドからスタートして、アスワンハイダム、アブ・シンベル、王家の谷、ツタンカーメン、カイロ博物館、アレクサンドリアなど、中身の濃いエジプト旅行記である。
一方、秀子は、行き当たりばったりの旅日記で、食べ物や出会った人々との交流や印象などじかの描写が多くて、エジプトのムンムンとした雰囲気を醸し出している。この旅日記を縦線にして、夫・ドッコイとの結婚話や子供をつくれなかった思いなど、人間秀子の生きざまを横線にして、随所に生身の心情を吐露していて味わい深い。
善三の普通の旅行記に、秀子の温かい旅日記が、多彩な彩を添えていて面白い、そんな本である。
善三の趣味というか意向で二人はアフガニスタンにも行っていて、旅行記を著しているのだが、なぜ、欧米ではなく中東なのか、
秀子は、一人でパリに行って生活していた。
高峰秀子の映画は、随分見た。
高峰 秀子の「わたしの渡世日記 上下」も読んでレビューしているが、秀子の本は他にも結構読んでいて、稀有な体験をした偉大な名優なので、非常に含蓄がある中身の濃い本なので印象深かった。
久しぶりに、高峰秀子文化を楽しんだ。