熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

会社は誰のために・・・御手洗・丹羽対話(3)

2006年08月29日 | 経営・ビジネス
   第二章の「組織はどうあるべきか」では、御手洗会長は、和魂洋才・ハイブリッド型キヤノン経営の日本型経営の部分、即ち、和魂の重視・継承について語っていて、一連の商法改正や会社法成立で打ち立てられたアメリカ型のコーポレート・ガバナンスに対して疑問を呈している。
   今回は、終身雇用制重視経営の側面等は後回しにして、委員会設置会社、社外取締役制度等に対する疑問や監査役制度の維持、コーポレート・ガバナンス強化のためのキヤノンの対応など経営の組織面について考えたいと思っている。
   90年代後半から、加速的にアメリカ型の会社制度に倣うべく、商法改正が立て続けに実施されて、エンロンやワールドコムの不祥事等で疑問視されながらもこの傾向が継続され、結局今日の会社法に到ったのであるが、この一連のアメリカ追随型の法制度についての反対私見は後述したい。

   御手洗会長は、「委員会設置会社制度」は社外の人間が執行部の動向をチェックする仕組みで、理論として分かるし悪いとも思わないが、キヤノンとしては社外取締役の必要性を感じたことは一度もないと言う。
   第一、社外取締役がチェックすると言っても、キヤノンの歴史、伝統、社風、詳しい業務内容、そして将来のあるべき姿等の理解が困難であるから、有益な意見を求めることも難しいし、執行をチェックするなど形式だけに終始する可能性が大きいと、自身の米国での社外取締役として当該会社の理解に四苦八苦した経験を語りながら、その無用性を論証している。

   わざわざ知らない人を社外から招聘して、四半期に一度しか会社に来ないのに、それだけでキヤノンが今以上に発展するかと言うと、とてもそうは思えないと言っており、別なところで、そんな無用な役員枠なら頑張っているキヤノン社員に回してやりたいとも言っていた。
   昨日今日来たばかりの社外取締役など無用だ、と日本経済界のトップが言うのだから実に重みがある。

   会社経営については、毎日出勤している常勤監査役の独立性を確立することで、チェック機能を強化すればいいだけの話だし、常勤監査役の他に社外監査役もいる。
   経営会議の下に「内部統制委員会」を設けて、財務報告の信頼性やコンプライアンスの確立に努めており、「経営監査室」と言う社長直轄部門でも内部監査を行っている。
   このように、アメリカ型を取り入れなくても、従来の仕組みを強化することで十分にチェック機能を果たし得ると言うのである。

   ところで、キヤノンの場合、他にも、「経営戦略委員会」と言う事業部を横断的に貫く「横の組織」があって、横断的かつ全社的なテーマを掲げて、夫々の専門委員会で改革して行く。
   また、毎日朝8時から1時間ほど、社長室のそばの応接室に役員が三々五々集まって来て「朝会」が開かれていて、雑談が始まるのだと言う、毎日役員会を開いているようなもので、スピード経営の実を挙げていて、キヤノンには稟議書などないのだと言う。

   これだけでは、キヤノンの詳細は分からないが、しかし、グローバルな経営テクニックや手法を活用しながら日本の会社経営システムの良さを継承したハイブリッド経営の素晴らしさを垣間見るようであり、新しい日本企業のコーポレートガバナンスの一つの在り方を示唆しており、アベグレンの新・日本の経営での問題提起に対しても十分な回答になろう。

   ところで、私自身は、めまぐるしい商法改正の渦の中で、職務上、一所懸命に日本のコーポレートガバナンスのあり方を勉強していたので、この問題については非常に興味深いのだが、アメリカで経営学を学び、その後、ヨーロッパで事業に関わって来た関係もあって、欧米のシステムを多少知っており、アメリカ型の会社法制度への急速な移行については基本的には反対であった。
   これについては後刻論じることとして、ここでは詳細を避けるが、アメリカ型よりはヨーロッパ型を変形した日本独自の展開をすべきだと思っている。

   さて、何故、日本の会社法制がアメリカ型に走りすぎてしまったのか、
   英国の日本学の権威とも言うべきロナルド・ドーアの岩波新書新刊「誰のための会社にするか」での見解をそのまま、記して置くこととする。
   「失われた10年」による国民的自信の喪失、そうしてその半面にあった元気なアメリカをモデルと仰ぐ傾向が、日本におけるコーポレートガバナンス改変の動きの根本的な原動力であった。
   1970年代、1980年代に官庁や大企業の若手従業員が、アメリカに派遣留学して、MBAやPh.Dを取ってアメリカ流の社会科学を丸呑みにして帰ってきた。こういった人たちは、生粋の新古典派経済学者、アメリカ流所有権絶対主義の法学者になった。コーポレートガバナンスに関する1990年代、2000年代の法改正は、そう言う人達によって推進されたのである。」

   ドーア教授は、「改革熱」に燃える官僚および「審議会学者」にしてやられたと言うのだが、本当の経営と経済が分からない人達によって構築される会社法体系や会社法制が如何に危機的な要素を内包するのかを言いたかったのであろうと思う。 
 
   もう一つドーアが指摘しているのは、日本買いに狂奔した外資系投資家の圧力である。在日アメリカ商工会議所や米国大使館商務部等が自民党に接触して強力に折衝したり、外資系機関投資家の襲来が圧力となって、日本人のグローバルスタンダードにキャッチアップし遅れまいとする恐怖心理に火を点けたのだと言う。

   しかし、ふたを開ければ、委員会設置会社のアメリカ型を導入したのは、日立などの系列固めを図ったグループ会社やソニー、東芝等米国市場に上場の東京系の大会社、HOYAやオリックス等特殊な会社だけで総計100社以下であり、少し前の日経だが、導入会社の方が業績が悪かったと報じていた。
   大山鳴動して鼠一匹、である。
   その後、成立した会社法は、ドーア氏の見解によると、経営者の選択肢を広げる措置に比べると、会社に負担をかけ、会社を規制するような措置はずっと少なくなった。土壇場となると、経営者の利益を代表する経団連の方が、より影響力が大きかったところに原因があると言うのであるがどうであろうか。

   それに、後追いにしても、傍目八目、日本人より外人のドーア博士の方が目が見えているのが一寸切ない。
   
コメント
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