「ウルビーノのヴィーナス」 国立西洋美術館

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「ウルビーノのヴィーナス 古代ルネサンス、美の女神の系譜」
3/4-5/18



テッツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を中核に、古代ギリシアの彫像よりルネサンス、バロック絵画に至るまでのヴィーナス像の変遷を辿ります。国立西洋美術館で開催中の「ウルビーノのヴィーナス」展へ行ってきました。



構成は以下の通りです。アフロディケ(ヴィーナス)を象るエトルリア製の鏡、または16-17世紀バロックにおけるヴィーナスの飾り物など、工芸品を含む多様な文物にてヴィーナス像を追っています。

1.ヴィーナス像の誕生 - 古代ギリシアとローマ
2.ヴィーナス像の再興 - 15世紀イタリア
3.「ウルビーノのヴィーナス」と横たわる裸婦の図像
4.『ヴィーナスとアドニス』と『パリスの審判』
5.ヴィーナス像の展開 - マニエリスムから初期バロックまで

「ウルビーノのヴィーナス」を挟んだ第1、2章を前半部分とすると、ここではまずポンペイ出土の「角柱にもたれるヴィーナス」(前1世紀)、または「メディチ家のアフロディケ」(前1世紀の大理石像からの石膏複製)など、ギリシャ、ローマの彫像に相当の見応えがあります。前者では、男性美を見るような堂々たる造形と、その着衣姿が特徴的ですが、後者のアフロディケは全裸で、どこか恥じらいの感覚を思わせるような女性的なポーズをとっていました。そしてヴィーナスはこの古代以降、キリスト教の異端(ヴィーナスは元はローマの女神であり、ギリシャ神話のアフロディケが前身であった。)とされ、一端は排除されますが、古代復興をとるルネサンス期に再び日の目を見ることになります。第2章では同時代、最初期のヴィーナスとされるパオロ・スキアーヴォの「ヴィーナスとキューピット」などが紹介されていました。また復興後の図像は、新婦の懐妊を願って官能的な肉体として表されたものも少なくありません。そしてこの半ば世俗的なヴィーナス像の系譜が、かの「ウルビーノのヴィーナス」にも繋がっていくわけです。あの魅惑的な視線は、アフロディケの司る愛と美と性のうち、最後の要素を強く見る作品なのではないでしょうか。

展覧会のハイライトはもちろん、地下展示室一室にて燦然と輝くティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538)、ポントルモの「ヴィーナスのキューピッド」(1533)、テッツィアーノと工房による「キューピッド、犬、ウズラを伴うヴィーナス」の3点のヴィーナス絵画の響宴です。奇怪な仮面と、もがくような様をとる彫像(悪徳や肉欲の苦しみの結末を示唆しているそうです。)を従え、ミケランジェロの下絵に基づいているというのにも納得出来るような、隆々たる体格のヴィーナスが横たわるポントルモ、また犬が山うずらに吼えかかり、(多産を意味します。)まるで自身の子をいたわるかのようにしてキューピッドを抱く母性的な工房作、そしてあまりにも艶やかで、あたかも観る者をそのベットへと誘うようなティツィアーノと、それぞれを見比べていくと少しの時間では足りません。もちろん断然、素晴らしいのは「ウルビーノのヴィーナス」です。

 



「ウルビーノのヴィーナス」でまず惹かれたのは、それこそきめ細かなとも言えるような、その肌の透き通るような描写です。うっすらとぼかされるかのような輪郭が肉体の柔らかな感触を、またほのかに赤らんだ指先や膝が生気を、さらには同じように点る頬や胸元の紅が彼女の性的な熱情を巧みに伝えています。そして体が沈み込むベットの深い紅色の細かな紋様と、それとは対照的な白く、やや乱れたシーツの質感も実に見事に描かれていました。また、永久の愛を意味するという常緑樹から衣装箱を覗き込む女性、そして手前に迫出すようにして置かれたベットへ進む巧みな遠近感も、このヴィーナスをまさに舞台上の一役者として華々しく演出することに成功しています。横たわるというよりも、むしろ足を前で出して、今にもこちらへ出てきそうな気配がするのは、そのような構図の為す結果なのかもしれません。もちろん彼女はそのまま横たわって眠るのではなく、むしろギラギラとした目を見開いて待ち続けているわけです。

後半部、第4、5章は、二つの有名な主題を絵画で辿る、第4章「『ヴィーナスとアドニス』と『パリスの審判』」が充実しています。ここで圧巻なのは、まるで象徴派絵画を思わせるヤコボ・ズッキの「アドニスの死」です。アドニスの死を嘆くヴィーナスの様子はどこか劇画的で、全体のタッチこそやや荒めではあるものの、体のあちこちに散りばめられた装飾は、まるでモローを思わせるような精緻な線で描かれていました。そしてユピテルを意味するという、背景の眩しいばかりに光輝く太陽の表現がまた見事です。木立に覆われ、薄暗がりの悲嘆の場面を、神々しく照らし出しています。ちなみにアドニスを殺害した猪に化けたアレスは、後方の道を駆ける小さな珍獣で示されていました。少し分かりにくいかもしれません。

ミケランジェロより続くローマ・フィレンツェ派、及びテッツィアーノより続くヴェネツィア派絵画を概観する第5章「ヴィーナス像の展開」は、カラッチに惹かれる部分を感じたものの、総じてそれ以前に比べると見劣りする印象が否めませんでした。心なしか、他の来場者の方々もやや足早に過ぎているような気もします。

4月6日には新日曜美術館にて特集番組が放送されるそうです。花見とも重なって、会場も大賑わいとなるのではないでしょうか。(但し私が出向いた16日は空いていました。)

5月18日までの開催です。
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