2009年 私が観た美術展 ベスト10

ギャラリー編に引き続きます。私が今年観た展覧会の中で特に印象に残ったものを挙げてみました。

「2009年 私が観た美術展 ベスト10」

1.「根来」 大倉集古館


2.「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」 川村記念美術館


3.「伊庭靖子 - まばゆさの在処 - 」 神奈川県立近代美術館 鎌倉


4.「奇想の王国 だまし絵展」 Bunkamura ザ・ミュージアム


5.「江戸の幟旗」 渋谷区立松濤美術館


6.「若冲ワンダーランド」 MIHO MUSEUM


7.「ヴィデオを待ちながら」 東京国立近代美術館


8.「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」 東京都写真美術館


9.「ゴーギャン展」 東京国立近代美術館


10.「鴻池朋子展」 東京オペラシティアートギャラリー


次点 「謎のデザイナー 小林かいちの世界」 ニューオータニ美術館

「根来とロスコ」
「朱」と「赤」を通した向こうに何かが開ける根来とロスコはどこか共通点があるのかもしれません。私の苦手な大倉の空間を一変させ、完膚なきまでのストイックな展示でその魅力を伝えた根来、一方でこれまでの作家観を半ば一変させる大胆な構成で攻めたロスコはともに忘れ難い展覧会となりました。この二つは別格です。

「伊庭靖子」
はじめて伊庭さんの作品をまとめて見ることが出来ました。神奈川県美鎌倉館の飾らないシンプルなスペースは、かえって彼女の清潔な絵画を引き立てることに成功していたようです。これも絶対にはずせません。

「だまし絵」
だまし絵展は過去、私が文化村で見た展示の中で最も滞在時間が長かったかもしれません。賛否はあろうとも描表装からアルチンボルドまで展開したこのエンターテイメントの企画には素直に大きな拍手を送りたいと思います。遊び心満点の今年一番楽しい展覧会でした。

「幟旗」
作品と美術館が完全に融合した展示としては幟旗の右に出るものはいません。半円形の展示室に足を踏み入れた途端、この美術館が幟旗のために作られたのではないかと錯覚したのは私だけではなかったのではないでしょうか。幟旗が時代を超えて輝きを取り戻した時間を共有することが出来て感動しました。

「若冲ワンダーランド」
改めて若冲の面白さに開眼したのは未見作も多く出ていたMIHOのワンダーランドです。名宝展での動植綵絵を含め、結局今年も若冲が日本美術の展観でかなりの話題をさらいました。静岡、千葉でのアナザーワールドにも期待したいところです。

「ヴィデオ」
あまり意識したことのなかったメディアアート黎明期(60~70年代)のビデオ・アートを、意外感のある演出で体験的に楽しめる展覧会でした。近美の展示で巧いなと感じたのはこれがはじめてかもしれません。

「やなぎみわ」
必ずしも大掛かりな装置がなくとも魅力ある展覧会が可能だという見本のような企画だったかもしれません。一枚の写真、そして簡素なテキストから開けるのは雄弁な物語でした。

「ゴーギャン」
ゴーギャンへの苦手意識を払拭させてくれた展覧会です。点数こそ足りませんでしたが、これぞという名品揃いで、ゴーギャンの特に鮮やかな色彩感に身も心も奪われました。メインの「我々~」以降の作品にも見どころが多かったのもまた付け加えておくべき点かもしれません。

「鴻池朋子」
今年一番作り込まれた展示ではなかったでしょうか。賛否はあったようですが、ただの一人の作家による有無を言わさない壮大なインスタレーションは、美術展の枠を越えて展示の在り方そのものを問う次元にまで達していました。感想を書きそびれてしまいましたが、ラストのベイビーへの流れるような空間はまだ頭に焼き付いているので、ベスト10の最後に挙げてみます。

「かいち」
次点は未知の作家ながらも一目惚れしてしまったかいちです。確か巴水をはじめて知ったのもニューオータニでの回顧展でしたが、今回もまたこうした作家を紹介していただいたことに感謝したいと思います。

如何でしょうか。これ以外にももちろん素晴らしい展覧会はたくさんありましたが、10点ということで一応上記の展示に絞ってみました。

年内の更新は本エントリで終わりです。改めまして最後になりましたが、今年もこの「はろるど・わーど」にお付き合い下さりどうもありがとうございました。それでは皆さま良いお年をお迎え下さい。

*過去の展覧会ベスト10
2008年2007年2006年2005年2004年その2。2003年も含む。)

*関連エントリ
2009年 私が観たギャラリー ベスト10
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2009年 私が観たギャラリー ベスト10

一年間に見たギャラリーから、印象に残った10個の展示を挙げてみました。

「2009年 私が観たギャラリー ベスト10」

1.「村田朋泰:2」 GALLERY MoMo Ryogoku


2.「池田俊彦展 - 静かなる抵抗 - 」 不忍画廊


3.「TWS-Emerging 122 海谷慶」 TWS本郷


4.「内海聖史 - 色彩のこと - 」 スパイラルガーデン


5.「山口英紀 展」 新生堂


6.「エターナルフォース 画像コア 梅沢和木個展」 frantic gallery


7.「西野達 - バレたらどうする」 ARATANIURANO


8.「樫木知子 展」 オオタファインアーツ


9.「青山悟 展」 ミヅマアートギャラリー


10.「小谷元彦 - SP4」 山本現代


次点 「変成態(シリーズ展全体)」 ギャラリーαM

あくまでも私が観た範囲の中での、しかも好きかどうかの話でもあるので、順に深い意味はありませんが、改めて振り返ってもMoMoの「村田朋泰:2」は群を抜いていたと思います。実は結局、この展示の感想をまとめることが出来ませんでしたが、作り込まれた個々の作品はおろか、さながらMoMoのオーナー氏までをあの森の番人の如くに仕立てるまでに至ったインスタレーション全体には心底感動させられました。あのような展示を見ると、自分が平塚市美の個展へ行かなかったことに今更ながら悔やまれるというものです。

「変成態」はシリーズ全部を含めて次点として挙げてみました。ほぼ個展の形式ながらも、統一感のあるコンセプトで毎度見事な展示が続いています。

最後にいつものことではありますが、本年も素晴らしい作品を見せて下さった作家の方々、また素人にも関わらず色々教えて下さった画廊の方々に深く感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

展覧会編へと続きます。

*関連エントリ・過去のベスト10
2008年/2007年
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2009年12月の記録

今月に見た展示を手短かにリストアップしました。恒例の「予定と振り返り」です。

展覧会

◎「内藤礼」 神奈川県立近代美術館鎌倉館
・「NO MAN’S LAND」 旧フランス大使館
◎「国宝 土偶展」 東京国立博物館
◯「躍動する魂のきらめき - 日本の表現主義」 松戸市立博物館
◯「菅原健彦展」 練馬区立美術館
◯「白髪一雄 - 格闘から生まれた絵画」 横須賀美術館
◯「DOMANI・明日展2009」 国立新美術館
◎「文化資源としての炭鉱展」 目黒区美術館
◎「ガランスの悦楽 村山槐多」 渋谷区立松濤美術館
◯「清方ノスタルジア」 サントリー美術館
◯「浮世絵百華 平木コレクションのすべて」(前期) たばこと塩の博物館

ギャラリー

◯「荒木経惟 - 遺作 空2」 タカ・イシイ・ギャラリー
・「三宅砂織 - CONSTELLATION 2」 Yuka Sasahara Gallery
・「パラモデル個展 - ぼくらはモータープール」 MORI YU GALLERY
・「小西紀行 - 個として全」 アラタニウラノ
・「カンノサカン - hunch - 」 ラディウム-レントゲンヴェルケ
◯「天明屋尚 - 風流(ふりゅう)」 ミヅマアートギャラリー(市谷田町)
◎「指江昌克 - デファクトスタンダード」 ミヅマアートギャラリー(中目黒)
・「neoneo展 Part2[女子] 」 高橋コレクション日比谷

ともかく今月は展覧会で印象に深いものが目立ちました。内藤さんの展示はまだ感想がまとまっていませんが、見る側の想像力を自由に解き放つ内藤流の仕掛けが建物と見事に融合していて感心しました。畠山直哉による図録を即購入したのは言うまでもありません。

それでは次のエントリ以降、本年全体の振り返りとして、ギャラリー編、展覧会編に分けて「ベスト10」を挙げるつもりです。お付き合い下されば幸いです。
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「国宝 土偶展」 東京国立博物館

東京国立博物館・本館特別5室(台東区上野公園13-9
「文化庁海外展 大英博物館帰国記念 国宝 土偶展」
2009/12/15-2010/2/21



東京国立博物館で開催中の「国宝 土偶展」のプレスプレビューに参加してきました。


(会場入口。DOGUの文字が目立っています。)

ずばり土偶展示の決定版となりうる展覧会です。その類い稀な魅力を前にすると、今更私の能書きを云々しても仕方ありませんが、以下に会場の風景を交じえて見どころを挙げてみました。ご参考いただければ幸いです。

・土偶インスタレーション
会場は本館の特別5室です。室内の様相はちょうど法隆寺宝物館の1階に似ています。照明の落とされた暗がりの中、360度の方向から見渡せるガラスケースにおさめられた土偶は、スポットライトの効果的な明かりを浴びて美しく輝いていました。その光景はまさに一つのインスタレーションと言えるのではないでしょうか。


(全景。ややゴージャスなムードが展示への期待感を高めます。特5ならではの演出です。)


(踊る土偶たち。ステップも軽やかでした。)

・国宝3点そろい踏み
土偶で国宝に指定されている作品は全部で3点ありますが、その全てが史上初めて一堂に会しました。実際のところ、鑑賞の観点から言ってしまえば、国宝指定云々というのは殆ど無関係(つまり他の作品も同じように魅力的です。)ですが、こうした一期一会の機会を逃さない手はありません。


(国宝「縄文のビーナス」。正式のタイトルです。豊満な肉体美はむしろミロのそれよりも艶やかでした。)


(国宝「中空土偶」。内部が空洞のものとしては最大級の大きさを誇ります。なお北海道随一の国宝指定作だそうです。)


(国宝「合掌土偶」。まさに祈りの土偶ではないでしょうか。その真摯な姿には心打たれました。)

・縄文の造形とその魔力
今回の展示では土偶に合わせて、縄文期の土器類が十数点紹介されています。その大胆な意匠に、縄文ならではの荒々しい表現の方向性を感じ取れるのではないでしょうか。


(重文「深鉢形土器」と「土偶把手付深鉢形土器」。渦巻き状の紋様の中に人が登場しています。祭りの景色を表したのではないかとされているのだそうです。)


(「釣手土器」など。前面は顔なのでしょうか。三方向に空いた穴が特徴的でした。)

・土偶の変遷を辿る
単に著名な土偶が並んでいるだけではなりません。長い縄文時代を通して作られた土偶は、年代によって特徴を変化させていきました。展示ではその経過をキャプションを交えて比較的丹念に追っています。


(初期の土偶各種。発生期には主に女性のトルソーを表現したものが作られました。左の重文「十字形土偶」が身もだえて叫んでいる人に見えるのは私だけでしょうか。)


(一転して土偶の終焉期に見られる作品も展示されています。土偶はそれ自体の機能を失い、主に容器として用いられるようになりました。)

・マイベスト土偶
プレビュー時に東博研究員の方が「お気に入りの一点を挙げて見て欲しい。」と述べておられました。あなたの一点、そして私の一点を挙げながら、土偶について思いを馳せるのも良いかもしれません。ちなみに私の一番好きなのは「遮光器土偶」です。東博の常設でもほぼ常に出ているので新鮮味はありませんが、物心ついたころから土偶と言えばこの不気味な出立ちのイメージが頭の中に出来上がっていました。


(月並みですがまさに宇宙人のイメージそのものです。)


(背面。当初は狩猟民族の遮光器姿を模したとされていましたが、他に類例はなく、現在ではのその定説は否定されているそうです。)

なお本展はタイトルにもあるように、大英博物館で2009年9月から約2ヶ月間行われた「THE POWER OF DOGU」の帰国記念展です。当地では延べ78000名余の入場者がありましたが、その際の感想として、先史時代の多様な日本文化への関心と、言わば一つの現代アート的な造形の面白さを挙げる方が多かったそうです。土偶の神秘性は見る側の想像力を強く喚起します。老若男女楽しめる、言わば非常に間口の広い展覧会と言えるかもしれません。


(「有孔鍔付土器」。恍惚した女性を捉えたとのことですが、どことなくコミカルな部分もまた魅力的でした。)

主に近代以降、日本で発掘された土偶は約17000から18000体に及びます。その多くが粉々に砕かれて原型をとどめない中、補修したものを含め、厳選の60数点が満を持して東博に集合しました。


「重文「ハート形土偶」。土偶の熱い視線を受けると後ろ髪をひかれます。彼女らの眼力は強烈です。)

既に評判も上々なのか、会場はなかなか盛況と聞きました。


(ご来場をお待ちしております。)

2月21日まで開催されています。(年末年始休館:12/28-1/1)

注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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「躍動する魂のきらめき - 日本の表現主義」 松戸市立博物館

松戸市立博物館千葉県松戸市千駄堀671
「躍動する魂のきらめき - 日本の表現主義」(前期展示)
2009/12/8-2010/1/24



松戸市立博物館で開催中の「躍動する魂のきらめき - 日本の表現主義」へ行ってきました。



まずは本展の概要です。

・明治末から大正期にかけて登場した表現主義の動向を、洋画、日本画、工芸、写真、建築の観点から総覧する。
・会期は前期(12/8-20)、中期(12/22-1/11)、後期(1/13-24)の3期制。出品リスト参照。
・今春より日本各地の公立美術館(栃木兵庫、岩手の各県立美術館、及び名古屋市美術館。)を巡回。この松戸会場が巡回の最後。

西洋の影響も受けて興った国内の表現主義の全貌を、日本中の美術館(個人を含む)の多様な所蔵品から詳らかにするという非常に意欲的な展覧会です。先日、高階秀爾氏が新聞紙上で本年のベスト3に挙げられるなど、巡回先でも高い評価を与えられたと聞きましたが、残念ながら今回の松戸展では一つだけ重要な問題点があります。それは会場が驚くほど狭いということです。例えば旧山種美術館の一室と同程度のスペースに、あの広々とした兵庫県美の企画展の巡回があることを想像してみて下さい。人が二人と通れば塞がってしまうほど通路を狭くして、ともかく作品を詰め込んではいましたが、それでもこれまでの巡回先の作品のおそらくは何割かが「不出品」となっていました。この点は注意が必要です。

とは言え、元々は充実した企画でもあり、見るべき作品が何点もあるのは事実でした。以下、その中でも印象に深かった作品を挙げてみます。



森谷延雄「朱の食堂 茶卓子(復原)」(1925年/松戸市教育委員会)
近年復原されたという森谷のテーブルセット。ともかくその斬新な意匠、またドギツイ色彩に驚かされる。なお展示ではこの他、同じく復原された肘掛けなどと一緒に紹介されていた。



関根正二「少年」(1917年/個人蔵)
神奈川県美に寄託されている関根正二の一枚。うっすらと青みを帯びた染み込むような色彩感はセザンヌのようだ。



岡本神草「挙の舞妓」(1922年頃/星野画廊)
骨張った両手を前に朱色の和服で身を固めた舞妓が微笑む。この不気味な笑いの前では身体が凍り付いてしまいそうだ。



甲斐庄楠音「裸婦」(1921年頃/京都国立近代美術館)
激しいエロスを醸し出す一枚。裸婦が崩れるようなポーズで座っている。はち切れんばかりの乳房とそこに添えられた手にどうしても目がいった。



佐藤朝山「婆羅門僧像」(1914年/京都国立博物館)
まさにカッコいいという言葉がぴったりの木彫像。前を見据えた立ち姿が決まっている。シャープな造形美に惹かれた。



堀進二「壺を抱く女」(1925年/神奈川県立近代美術館)
これほど力強く、また打ち壊すように壺を抱く女がいるのだろうか。長い巨人のような手を組んで壺を囲んでいる。



加藤土師萌「辰砂釉華文飾壺」(1920年代/愛知県陶磁資料館)
赤い釉薬が独特な美意識を見せている。まるで爛れた血がこびり付いているかのようだ。

版画や写真などの小品も多く、私の力ではとても全体像を紹介しきれないのが残念ですが、その他にいくつか数出ていた萬鉄五郎の絵画なども心に留まりました。

さてこの松戸会場で抜け落ちている部分(作品)を補完するのが、全250ページを超える豪華な図録に他なりません。一般書としては4500円と高価ではありますが、図版、そして解説、また表現主義の文献目録、さらには作家略歴などが詳細に掲載されています。これは永久保存版に決定です。(なお図録としては会場で2500円で発売されています。)

「躍動する魂のきらめき―日本の表現主義/森仁史」

ところで同館のある松戸は私の地元ということで半分宣伝にもなりますが、もしお出かけになるようでしたら、本展にプラス200円で入場可能な常設展も是非ご覧下さい。基本は松戸の歴史を模型やパネルで追うものですが、奥には博物館の目玉でもある、日本の郊外団地のモデルともなった常盤平団地実寸大再現コーナーが待ち構えています。その他、市内で出土した土器の展示などもありました。


(展示室全景。手狭ですが妙に豪華です。)


(虚無僧模型。市内の一月寺は日本で現存する唯一の虚無僧寺だそうです。)


(常盤平団地実寸大再現展示。繰り返しますがこれは博物館の中の光景です。)


(中にも入れます。もちろん設置してある家具や備品は当時のものです。)


(側のバイク。臨場感たっぷりです。)

最後にアクセスについてもご紹介します。博物館の最寄駅の新京成線八柱駅(JR武蔵野線新八柱駅)へは、常磐線を経由すると松戸で新京成に乗り換えて上野から30~40分、またメトロ千代田線の直通電車を利用(同じく松戸で新京成に乗り換え)すると大手町から約50分程度かかります。また駅からは徒歩15分ほどですが、道のりにやや不案内な部分があるので、毎時3~4本程度のバスの方が便利かもしれません。駅前ロータリーより約5分で、博物館の目の前の公園中央口バス停(時刻表。のりば3のバスです。)に到着します。なお公園には駐車場もあります。1日500円でした。

隣接するのはほぼ私のような地元住民のための広大な公園です。以下は今年の夏に撮影したものですが、遊具などは一切なく、ただ散歩道と広場があるだけなので、ぼんやりと散歩して歩くのも良いかもしれません。(一周1時間以上はかかります。)


(元は谷津と呼ばれる谷間の湿地帯でした。今でも公園内でその原風景が一部保存されています。)


(千駄堀池。実は湧水です。奥は自然保護区ということで立ち入りが出来ません。)


(公園内広場。ご覧の通りいつも閑散としています。)

折角なので会期末にもう一度拝見出来ればと考えています。来年1月24日までの開催です。(12/28-1/4は休館)
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「菅原健彦展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館練馬区貫井1-36-16
「菅原健彦展」
11/15-12/27(会期終了)



会期最終日の駆け込みです。本日まで練馬区立美術館で開催されていた、現代日本画家・菅原健彦の個展を見てきました。

作家のプロフィールは展覧会のWEBサイトをご覧下さい。

菅原健彦展公式サイト
作家ブログ



展示は菅原の初期より最新作までの40点を紹介するものでしたが、ともかく印象に残ったのは、例えば画面の横幅4m、5mは当たり前の壮大なスケール感に他なりません。中でも本展にあわせて制作されたという二枚の超大作、それこそ一辺は5mから10m近くにも及ぶ「雲龍図」と「雷龍図」(ともに2009年)には驚かされました。ちょうど同館の吹き抜けスペースで見上げるような形で設置された分厚い杉板の上には、琳派に由来するという荒々しい波を従えた龍が堂々たる姿で舞っています。(実際にフリーア美術館の宗達作に由来した作品だそうです。)またうっすらと輝く金箔、それに塗りこめられた白の顔料の重々しい質感など、モチーフ云々を超えた素材への独特の質感表現にも見入るものがありました。



90年代の作品は主に都市などの風景を大きな画面に表したものが目立っていましたが、特に惹かれたのは、ちょうど目黒の炭鉱展でも記憶に新しい軍艦島を描いた「黒い船 - 端島」(1993年)でした。起立する岩山のような建物群の影は、妖しい銀の明かりを浴びて不穏に並び立ち、そこへ白く飛沫をあげた波が猛烈な勢いでぶつかっています。波や風の轟が今にも伝わってくるかのような臨場感でした。

総武線の荒川の橋をモチーフとしたという「首都圏境」(1991年)の破滅的スケールは一体どこに由来するのでしょうか。雨の降る夜の闇のもと、橋のトラスには黄色くまた青い閃光が交差して、何とも言えない場末的な物悲しさを演出しています。またネオンサインが蛍の如く飛び交う「新宿風景」(1989年)なども印象に残りました。

そうした作品の一方、2000年以降は、一転して等伯の水墨に通じるようなモノクロームの作品が目立っていました。モチーフは溶けるように解体し、ゆらめく光と靡く風だけが絵具の上でざわめいています。

つい先日、この展示をご覧になった方の高い評価をお聞きしたばかり(それが切っ掛けで行きました。)でしたが、確かに中村橋まで出向いて良かったと思えるような内容でした。

展示は本日で終了しました。
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「小西紀行 - 個として全」 アラタニウラノ

アラタニウラノ中央区新富2-2-5 新富二丁目ビル3階)
「小西紀行 - 個として全」
2009/12/1-2010/1/30



アラタニウラノとしては2年ぶりの個展となります。開催中の「小西紀行 - 個として全」へ行ってきました。

2年前はともかくアクの強いストロークが印象的でしたが、今回の新作では好き嫌いはともかくも、その点が若干薄まったような気がしてなりません。出品されているのは、作家自身のプレイベートな家族写真に由来するという子どもたちを描いたポートレート、約10点です。赤い点の目を二つ光らせ、時に筆を持って立つポーズを構えた少年少女たちは、皆はにかむような表情をして前を見据えていました。かつてはそれこそ縄でもうちつけてくねらせたかのようにさえ見えた迫力あるストロークも、同じくかつてより優し気となった子どもたちの姿とも関連してか、より穏やかに、あたかも落ち着きを取り戻したかのようにして走っていました。暴れるような線の動きはおそらくはやや影を潜めています。

来年1月末までの開催です。(冬期休廊:12/27-1/8)
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「白髪一雄 - 格闘から生まれた絵画」 横須賀美術館

横須賀美術館神奈川県横須賀市鴨居4-1
「白髪一雄 - 格闘から生まれた絵画」
10/31-12/27



2008年に亡くなられたアクション・ペインターの泰斗、白髪一雄の画業を回顧します。横須賀美術館で開催中の「白髪一雄 - 格闘から生まれた絵画」へ行ってきました。



まずは本展の構成です。白髪が生前構想していたテーマをもとにした5章形式でした。

・初期作品:画業当初、1949年から54年までの作品。全11点。
・血のイメージ:アンフォルメル影響下の作品など。水滸伝シリーズ。
・密教シリーズ:延暦寺で得度を受けた白髪。円環モチーフ。
・歴史への憧憬:中国の題材。三国志シリーズ。
・アプローチの多様性 - 題材・技法・画材:様々な絵具素材への関心。2000年以降の近作など。



単に作家の時系列を追うのではなく、上記のような各テーマによって白髪の全体像を効果的に提示する良い回顧展でしたが、如何せん自分にとって苦手な画風ということもあり、残念ながら「惹かれる」という地点にまでは殆ど至りませんでした。というわけで、あまり個々の作品の感想を書いても致し方ないので、ここは私が今回はじめて白髪について知ったポイントをいくつか挙げてみます。

・初期作品の意外性

白髪というとともかくあのドギツイ、何やら色も面も線も荒れ狂う大作絵画のイメージが強くありますが、(そしてそれが苦手ですが。)今回出ていた初期作の比較的シンプルな画風には魅力を感じる部分もありました。特に動物園にでもあるような鳥の檻を描いたその名も「鳥檻」(1949年)、またいわゆる抽象絵画でも、曲線の渦に吸い込まれていくような、一定の秩序だった構成のある「作品」(1957年頃)などは印象に残りました。

・タイトルの由来

作品の中には「天暴星両頭蛇」や「天敗星活閻羅」など、今ひとつ入り込みにくいタイトルも散見されましたが、そもそも白髪がそうした名前を付けたのは、自身の絵画をはじめて海外に出品した際、例えば「無題」では便宜上、作品の識別が難しかったことに由来するのだそうです。

・三国志と水滸伝への関心。

アクションペインティングというと、その偶然性の高い表現行為に関係するのか、結果生まれたモチーフ云々にイメージを掴みにくい部分もありますが、白髪の絵画には彼自身の一定の興味の在処が反映されている面も少なくありません。上にも触れたはじめにタイトルを付ける際に用いられた水滸伝、また80年代の「巴蜀」(1983年)や「關雲長」(1984年)などの三国志など、中国の古典に関心があったとは知りませんでした。

・晩年における絵画上のイメージの構築

私の誤った見方かもしれませんが、アンフォルメル時代よりも晩年の方が、絵画平面上に何らかの意味、また視覚的効果を追求しているように思われます。「群青」(1985)はそれこそクラインならぬ青の美しさを、またタイトルを失念してしまいましたが、白や黄色までを用いて、まるで雲からもれる光を描いたような一枚は、絵画からいくつかの風景を引き寄せることが出来ました。



会場には彼が制作に使っていたというロープが一本、天井から吊るされていました。その使い古された、まるで拷問の道具のようになった姿を見ると、確かに彼の絵画が「格闘」の痕跡であるというのも頷ける気がします。

(美術館建物から前庭方向。)

(館内。一部撮影が可能です。)

(エレベーターから。)

久々に横須賀美術館へ行きました。ガラスを多用した軽やかでシンプルな箱は、白髪の鬱陶しい絵画群と奇妙にマッチしています。

(屋上から目の前の海を眺める。)

27日までの開催です。なお本展終了後は、愛知県の碧南市藤井達吉現代美術館(2010/1/23-3/14)へと巡回します。
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「カンノサカン - hunch - 」 ラディウム-レントゲンヴェルケ

ラディウム-レントゲンヴェルケ中央区日本橋馬喰町2-5-17
「カンノサカン - hunch - 」
12/4-26

レントゲンで開催中のカンノサカンの新作個展へ行ってきました。



これまでのカンノサカンの展示というと、ブラック、そしてゴールドと、その都度にキャンバスの色などを変化させて見る者をあっと言わせてきましたが、今回は何と支持体そのものから入れ替わっていました。その素材はずばり曲面、つまりはレンズ面的な立体の樹脂に他なりません。一見するところ黒、しかしながら実は見る角度によって変化するという特殊な塗料の上には、曲面をなぞってうごめく、お馴染みの有機的なドローイングがツタの如く四方八方へと広がっています。その姿は三次元の球体という新たな面を手に入れて喜んだ、何らかの生物の触手の動きのようでした。



その一方、以前感じたミクロ的な視点というのは若干薄まっているような気もします。今回はひたすら面を志向した広がり、より大きな形へなっていこうとする意思のようなものを感じました。

26日の土曜日までの開催です。
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「天明屋尚 - 風流(ふりゅう)」 ミヅマアートギャラリー(市谷田町)

ミヅマアートギャラリー新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2階)
「天明屋尚 - 風流(ふりゅう)」
2009/12/16-2010/01/30



市谷のミヅマアートギャラリーで開催中の「天明屋尚 - 風流(ふりゅう)」へ行ってきました。

まずは作家、天明屋のプロフィールを画廊HPより引用します。

1966年東京生まれの天明屋はレコード会社でアートディレクターとして勤務した後、現代美術家としての活動をスタートさせました。自らの作品を“ネオ日本画”と命名し、絵筆で闘う“武闘派”を立ち上げ、国内外の展覧会への参加や日本経済新聞連載小説の挿画の制作、FIFA2006ワールドカップ公式アートポスター、映画の美術を手がけるなど幅広い活動が注目されています。(全文引用)

私自身、展覧会に接する際、そのサブタイトル云々を頭に入れないで見てしまうことも多いのですが、今回の個展ほどその意味合いを強く感じさせられたこともありませんでした。「風流」、読みで「ふりゅう」、つまり「人目を驚かすために華美な趣向を凝らした意匠」とは、確かに天明屋の作品に登場する傾奇者的男性のそれに見事に当てはまっています。お馴染みの褌の出立ちで入墨を露出しながら刀を振り、時に型を取るかのようにして構える彼らは、きれいさっぱりとしたミヅマの新空間でも熱気を帯びて見る側を挑発していました。また良い意味でギラギラとした表具にも要注目です。無表情だからこそむしろ迫力を得たモデルたちは、その艶やかな飾りの効果も呼び込んで、より異様な侠気の世界を展開していました。

素材にインクジェットを使ったという一点、「刹那の流転」に目が向きました。いつものフラットな画面の質感とは明らかに異なっています。

ところで新設の和室に展示がないのは意図されてのことなのでしょうか。勝手な先入観ながらも、てっきりあの和の空間が使われているだろうと考えていました。

来年1月末までの開催です。(冬期休廊:12/27~1/7)
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「DOMANI・明日展2009」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「DOMANI・明日展2009」
2009/12/12-2010/1/24



国立新美術館で開催中の「DOMANI・明日展2009」へ行ってきました。

新美術館で2度、それ以前の損保ジャパン時代を含めると、今年で12回を数えるに至った展示ですが、一応、DOMANIとは何ぞやということで、その概要を公式HPから転載しておきます。

「DOMANI・明日展」は、文化庁の在外研修制度(新進芸術家海外研修制度)により、海外派遣された若手芸術家の成果発表の場として1998年より毎年開催され、今年で12回を数えることになりました。(全文引用)

ようは文化庁の海外研修制度に参加した現代作家によるグループ展です。少し前に話題となった仕分け作業によって「予算要求の縮減」と判定(参考リンク art-it:文化行政の「事業仕分け」について)され、今後の動向に予断を許さない面もありますが、本年は以下の12名の作家が登場しました。

磯崎真理子(彫刻)、呉亜沙(洋画)、浅見貴子(絵画)、高野浩子(彫刻)、久保田繁雄(繊維造形)、栗本夏樹(漆造形)、伊庭靖子(絵画)、吉田暁子(現代美術)、吉仲正直(絵画)、三田村光土里(ビデオ&インスタレーション)、藤原彩人(彫刻)、安田佐智種(写真)

作家の年齢(1942年生まれの方から90年生まれの方まで。)もジャンルも入り乱れています。(各ブースにそれぞれ一作家ずつ紹介。)いつもの通り、全体としてどうかを云々する展示ではありませんので、以下に早速、私の印象に残った5名の作家を挙げてみました。

藤原彩人(彫刻)





失礼ながら名前を存じ上げなかったものの、今回一番興味深かったのが藤原彩人の壁画的彫刻群です。実際の人と作品の大きさと見比べて下さい。イギリスの陶を学んで制作されたという巨大な陶人形は、滑稽な表情をしながら壁に沿って舞っています。虚ろな目、半開きの緩んだ口元など、どことなく漂う虚無感もまた楽しめました。それにしてもこのスケール、新美ならではと言えないでしょうか。まさに圧巻です。

伊庭靖子(絵画)





視覚から触覚を呼び起こす伊庭の絵画群は、その共通する清潔感にも由来するのか、意外と新美のホワイトキューブに似合っていました。実物よりもはるかに触りたくなるリネン、そして鏡を通して見るかのような陶器の独特な歪んだ質感表現は、単にリアルな絵画を描くだけではない、伊庭ならではの繊細な美意識が伺い知れます。鎌倉の個展を思い出しました。

高野浩子(彫刻)





テラコッタの「女神」たちが静かに立ち並びます。瞑想するかのように目をとじ、何者にも遮られないオーラを発するその姿には、誰しもが心ひかれるのではないでしょうか。ただし率直なところ、この空間には今ひとつ合いません。次は原美や庭園美などの借景のある場所で見てみたいものです。

呉亜沙(洋画)





可愛らしいウサギなどでもお馴染みの呉の絵画も、今回は立体を含めての出品です。作家自身のプライベートな経験もこめられたウサギの物語は、それこそ飛び出す絵本をひもといていくかのように展開していました。一推しは、東京の景色を一望に、頭からカラフルな枝葉を生やした女の子の立つ「樹海」です。高層ビルの林立するリアルな光景とのギャップが印象に残りました。

吉田暁子(現代美術)





ともすると殺風景なこの展示室にあえて簡素なインスタレーションで切り込みます。赤い絨毯の上の割れた椅子(座ることは出来ません。)から広がる絵画のかけらは、天井の上にまで吹き上げられて、空間全体を包み込んでいました。見立ての妙にイメージも広がります。



今年は新美の大きなホワイトキューブをより効果的に用いた展示も目立っています。大掛かりなインスタレーションなど、天井高に制約もあった損保会場時代とはほぼ別物の展覧会と言っても良いかもしれません。



ミュージアムショップでは出品作家に関連するグッズも僅かながら販売されていました。ひいきのひた押しではありますが、伊庭さんのめがね拭き兼用のハンカチ(500円)はずばり「買い」です。

なお新美の展示WEBサイトはあまりにも素っ気なく、作家のプロフィールすらありません。情報は広報事務局による展覧会HPか、あまりつぶやかれませんがtwitterアカウントを参照した方が良さそうです。

「DOMANI・明日展2009」@Art Venture Office SHOU(グッズ情報展示風景などあり。)
domani2009@twitter

来年1月24日まで開催されています。(割引引換券ダウンロード)

*要注意:2009/12/22より2010/1/5まで設備維持管理の為休館

注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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「文化資源としての炭鉱展」 目黒区美術館

目黒区美術館目黒区目黒2-4-36
「文化資源としての炭鉱展」
11/4-12/27



目黒区美術館で開催中の「文化資源としての炭鉱展」へ行ってきました。

会期末が迫っているので今更ではありますが、まずは本展の概要などを簡潔にまとめてみます。

・炭鉱を「視覚芸術」がどのようにして捉えてきたのかを考える。炭鉱を記録した写真をはじめ、絵画、彫刻などを多数展示。
・アートだけではなく、炭鉱の歴史的意義、さらには産炭地域の再生の問題など、文化・社会的な側面にまで視野を広げている。
・三部構成。炭鉱を美術の観点からまとめたPart.1、及び川俣正がコールマインプロジェクトの総括とした新作インスタレーションのpart.2は目黒区美術館(及び隣接の区立ギャラリー)で開催。炭鉱をテーマとする映像作品を紹介したPart.3は別会場にて既に終了した。

テーマはずばり炭鉱という異色の展覧会です。炭鉱モチーフの絵画を並べたスペースを見るだけでも圧倒されますが、記録写真、またエピソードの類いを丹念に追っていくと、炭鉱という場、そしてそこに携わってきた人々の生活の息遣いがひしひしと感じられました。炭鉱の明と暗、ようは経済発展の歯車となった採炭地の発展と、その反面の劣悪な労働環境、また多大な犠牲を伴った事故の歴史など、一つの美術展の枠をゆうに越えた全体像を垣間見られたのは言うまでもありません。

炭鉱を視覚的に受容するという観点からも、やはり印象深いのは、Part.1、「<ヤマ>の美術・写真・グラフィック」のセクションでした。ここでは60名の作家による、総計400点にも及ぶ炭鉱をテーマとして絵画、写真などが展示されています。中でも秀逸なのは横山操の壁画的絵画、「夕張」でした。白濁して凍り付いた空の下には、茶褐色で鋭角的に空間を切り裂くぼた山と、カビ付いたかのような建物群が連なり、そこを工場の煙があたかも妖気のようにして濛々と立ち上っています。横山は自身のシベリア抑留の際、炭鉱に就労した経験を元に、この大作を完成させました。またこの他、今度は父が炭鉱主であったという野見山の「廃坑」シリーズ、もしくは田川鉱業の洋画サークルに属したという立石大河亞など、炭鉱と縁ある作家らの作品も充実しています。単に炭鉱が登場する作品が集まっているだけではありません。そこには炭鉱の臭いはおろか、繰り広げられたドラマまでが染み付いているかのようでした。



その炭鉱のドラマに肉薄していた人物として挙げるべきなのは、8歳の時に炭鉱に住み、60歳を過ぎるまで就労、そして後に自身の記憶を頼りに炭鉱の風景を1000枚以上の絵に表したという山本作兵衛に他なりません。画家としてはアマチュアであった彼の絵はまさに稚拙そのものではありますが、例えばトンネルの中で採掘する鉱夫の姿から爆発事故、また入墨をした男同士の喧嘩や入浴、さらには子どもたちが遊ぶ様子までを描いた作品などは、炭鉱の一大スペクタクル絵巻として異様な迫力を持ち得てはいなかったでしょうか。この連作を見るだけでも、本展へ行く価値は十分にあります。



そうした炭鉱を多様な表現で、しかもどちらかと言えば毒々しく、また時に血となり肉となっていた経験を元にした絵画群を後にすると、会場の最後に控えていた川俣のインスタレーションの「景」は、ただ大きいだけで無味乾燥に思えてなりませんでした。ここはむしろ「通路展」形式に、このインスタレーションを一種の導入部分として、彼のプロジェクトの様子を詳細に紹介した方が良かったのではないでしょうか。

図録は完売していました。また会場内も混雑はしていませんでしたが、静かな熱気に包まれていたことを付け加えておきます。

展覧会における企画とは何なのかということを考えさせられる内容でもありました。各方面で賞賛されているのにも納得出来ます。

27日までの開催です。
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「ガランスの悦楽 村山槐多」 渋谷区立松濤美術館

渋谷区立松濤美術館渋谷区松濤2-14-14
「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」
2009/12/1-2010/1/24



没後90年に際し、画家・村山槐多(1896-1919)の業績を回顧します。渋谷区立松濤美術館で開催中の「ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多」へ行ってきました。

まずは本展の見どころ、及び概要です。

・22歳の若さで逝った村山槐多の人生を、絵画、文芸の両面から探っていく。
・出品の大半は、晩年の5年間(1914年~1919年)に描かれた絵画やデッサン。槐多の制作はほぼこの時期に集中する。
・作品数は葉書などを含めて全142点。ほぼ通期で展示されるが、うち十数点は展示替えあり。(前期:12/1-27、後期:1/5-24)



繰り返しになりますが、この展覧会は槐多の業績を絵画はもちろん、彼自身の関心の拠り所でもあった文芸、詩の双方から提示したものに他なりません。よって一人の画家の絵画を単純に展観するというよりも、村山槐多という一人の人間の生き様、そして感性の在り方を詳らかにする内容だと言えるのではないでしょうか。数多く登場する手紙、葉書、そしていくつかの詩作は、槐多の心のうちを余すことなく伝えています。見て、そして読み込んでこそ、その魅力に触れられるのではないでしょうか。

冒頭に登場する中学時代に恋した同級生を描いた「稲生像」はショッキングです。同性の彼に恋い焦がれた槐多は、その横顔を絵に描いたばかりか、ラブレターまで記して胸の内を訴えます。また他にも今度は女性のモデルに失恋して云々といったエピソードなど、展示からその多感な青年期を知ることも出来ました。



衝撃的といえばもう一点、「尿する裸僧」も忘れられません。槐多本人とも言われる少年が一人、あたかも須弥山のような岩山をバックに、手を前に合わせ、さらには後光までをネオンサインのようにケバケバしく放ちながら、尿を滝の如くこれ見よがしとぶちまけています。こうした堂々たる、鮮烈な一種の自画像を見ると、ナーバスでもあった反面、その奥底には何者にも憚れない強烈な自意識があったと感じられてなりませんでした。



主に女性をモチーフとした肖像画が目立つ中、意外にも私がひかれたのは、縁ある信州などを描いた風景画の数々でした。力強い描線ながらも、どこか素朴なタッチは、自然のあるがままの美しさを見事に表しています。人物画などにデカダンス的な面を感じますが、こうした長閑な風景画も、槐多の良さの一つではないでしょうか。

槐多の画中に多く登場するガランス、つまり茜色は、松濤の重々しい空間をさらに濃密なものへと変化させていました。場所との相性は悪くありません。

来年1月24日まで開催されています。これはおすすめします。
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「指江昌克 - デファクトスタンダード」 ミヅマアートギャラリー(中目黒)

ミヅマアートギャラリー目黒区上目黒1-3-9 藤屋ビル2階)
「指江昌克 - デファクトスタンダード」
11/28-12/26



ミヅマギャラリーとしての中目黒での活動は本展で最後になるそうです。(以降はミヅマアクションとして継続。)同ギャラリーで開催中の「指江昌克 - デファクトスタンダード」へ行ってきました。

指江昌克の略歴については以下のページをご覧下さい。

指江昌克個展 -passage of creosote-(2004年)

現在の平成の風景と、その少し前、例えば昭和を連想させる都市を「球体」や「廃墟」をキーワードにまとめあげ、どこか横尾忠則を思わせるような脂ぎったタッチで描く指江の画風は至極明快です。それこそ現在でもトマソンのように残っているであろう古びたパチンコのネオンサインや風俗店系の看板、それにモルタルの汚れきったビルなどは、時に巨大な球体と化して、がれきに帰した現代都市の上にぽっかりと浮かんでいました。昭和という、まだ多くの方が記憶の奥にあるであろう具体的なイメージと、あたかも磁石で引き寄せたかの如く積み上げて浮かべるというシュールな表現の間にあるギャップにこそ魅力があるのかもしれません。奇景という言葉がぴったりとはまりました。

今月26日までの開催です。
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「清方ノスタルジア」 サントリー美術館

サントリー美術館港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3階)
「名品でたどる 鏑木清方の世界 清方ノスタルジア」
2009/11/18-2010/1/11



サントリー美術館で開催中の「清方ノスタルジア」へ行ってきました。

まず本展の概要、及び見どころです。

・浮世絵、また江戸情緒への関心など、清方の「古きよきものへの憧憬」に焦点を当てて回顧する。
・出品は約125点。ほぼ一度の展示替えを挟んで紹介。(前期:11/18-12/14、後期:12/16-2010/1/11)
・出品作のメインは鎌倉にある鏑木清方記念館の館蔵品。スペースの都合上、当地ではあまり多くの作品が展示されないため、それらをまとめて見る絶好の機会でもある。(出品リスト
・サントリー美術館所蔵の浮世絵作他、屏風絵などを数点紹介。清方作とのコラボは成功しているとは言い難いが、展示の流れの良いアクセントにはなっていた。

決して凝った構成ではありませんが、折に触れて見ている清方の画業の全体像を追うのには卒がない企画だと言えるのかもしれません。比較的さらっと見終えてしまいましたが、以下、私の通った前期展示より印象に残った作品をいくつか挙げてみました。

「春雪」(サントリー美術館/通期)
ちらし表紙にも掲げられた、清方にしては比較的物静かな女性像。男性の着物を両手で捉え、憂い気味に見やる姿が描かれている。やや藤色が買った小袖の紫は、富士山の色からとっているのだそう。終戦直後の作品とのことで、帯の意匠の精緻な描き込みなど、戦時中、禁止されていたという美人画の復興にこめた清方の思いが汲み取れる力作ではないだろうか。



「妖魚」(福富太郎コレクション資料室/前期)
お馴染み「弐代目・青い日記帳」でも大推奨だった、清方の一種の「危な絵」とも言える作品。前期会期末の迫ったこの日にサントリーへ来たのも、ほぼこの一点を見たいがため。濡れた髪、不気味な微笑みに強烈なエロスを感じた。この目線の前に立つと身体が凍り付くような感覚さえ受ける。誘い込むようなポーズはむしろ危険だ。



「初夏の化粧」(名都美術館/前期)
胸元に着物をたぐり寄せ、うっとりとした表情で鏡を見やる女性が描かれている。後ろの燕子花は光琳よりも抱一を思わせる優美な表現だった。前期には抱一の画も出ていたそうだが、清方は何か彼へにシンパシーを感じていたのだろうか。(なお後期には抱一の画塾、雨華庵を描いた「雨華庵風流」の本画が出る予定。)

「明治風俗十二ヶ月(一月~六月)」(東京国立近代美術館/後期は七月~十二月)
春章の同名の作品に模した十二点の風俗画連作。ゆらりと水に流れる金魚を描いた六月が何とも涼し気。後期に出る後半部も是非見たい。

時に情緒にも流れ、また一面では人間の心理を冷酷な眼差しで捉える清方の至芸を堪能することが出来ました。

作品の大半の入れ替わった後期展示も始まりました。来年1月11日まで開催されています。
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