都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「コレクションの新地平 20世紀美術の息吹」 ブリヂストン美術館
ブリヂストン美術館(中央区京橋1-10-1)
「コレクションの新地平 20世紀美術の息吹」
2/9-4/13
新収蔵品(20点)を含む、石橋財団の20世紀絵画コレクションを総覧します。ブリヂストン美術館で開催中の「コレクションの新地平」へ行ってきました。
いくつか設定された大まかなテーマの元、所蔵20世紀絵画が展示室の順に沿って並べられている展覧会です。カンディンスキー、クレー、ミロ、デュビュッフェ、ポロックなど、好みの抽象画家も挙がっているのが嬉しいところですが、同美術館のコレクションでも特に名高いザオが、殆ど別格扱いにて全17点も展示されているのには驚かされました。またその他、リルケの詩集に基づくベン・シャーンの版画集が、一度の展示替えを挟んで約10点ほど紹介されています。ザオ共々、関心のある方にはたまらない内容かもしれません。
惹かれた作品を挙げていきます。まずは平面的な線と面のモチーフが、さながらオルゴール音楽を奏でるかのようにして共鳴し合う、カンディンスキーの「二本の線」(1940)です。無理に空間を広げ過ぎない、どこかこじんまりしたモチーフ同士の胎動が何やら可愛らしく、仄かなクリーム色をした背景へ静かに溶け込んでいました。そして、そのすぐ隣にあるモンドリアンの「砂丘」(1909)、それにクレーの「島」(1932)など、ブリヂストンでは馴染みの深い作品もいつもながらに見応え十分です。お気に入りの一枚を探して歩くのも良いのではないでしょうか。
隣り合わせで並んでいた二枚、ちらし表紙を飾るレジェの「抽象的コンポジション」(1919)と村井正誠の「人々」(1983)に、組み込まれた色面が黒を配して強固にせめぎあう、構成のどことない共通性を感じます。全体の展示自体は前述の通り大まかなものですが、このように洋の東西に囚われない作品の大胆な配列に注視していくと、それぞれに意外な関係性を見出すことが出来るかもしれません。
ザオをこれだけまとめて見たのは、もちろん4年前に開催されたザオ展以来のことです。かの大回顧展は、私が美術巡りをしてから初めて同じ展覧会に二度出かけたという、とても衝撃的なものでしたが、今、こうして改めると、その時とはまた違った印象が浮かんできます。かつてはあの抜けるように鮮やかでかつ深い青みと、大きく流れ、また消えゆく白や黒の色面、そしてそれらの広がり合う全体の構成に、まさに深淵で宇宙的なスケールを見る思いがしましたが、今回は各面や動き同士に激しい衝突の繰り返される、別の表現をとれば、あたかも決して打ち解け合わない人同士の意識が激しく対立し合っているかのような、どこか攻撃的な厳しさが強く打ち出されているように思えました。この絵を人跡未踏の地にある砂漠の砂嵐に例えるとすれば、私はそこで瞬時に吹き飛ばされて消されてしまう一つの砂粒に過ぎません。立ちふさがれます。
そんな私の心にすっと入り込んできたのが、今回の展示の一推しでもあるポロックの「Number2, 1951」(1951)でした。迸る墨のような、どこか乱れた様による線は、例えば水に絵具がそよぐかのように自由に動き廻り、その向こうには一人の男が頭を抱え、ただ呆然と立ちすくんでいるよう様子がほのかに浮かび上がってきます。上のザオが、それこそ観る者を蹴散らすような巨大なエネルギーを内包しているとすれば、このポロックは、一見激しいようでも実は人の弱さや絶望感を素直に表しているのではないでしょうか。今惹かれるのはこちらです。
ブリヂストン美術館は最近、どちらかというと常設の印象派の展示に力を入れているようですが、久々に現代の方を向いた好企画だったと思います。この調子で現代アートの企画展も望みたいところです。
4月13日までの開催です。おすすめします。
「コレクションの新地平 20世紀美術の息吹」
2/9-4/13
新収蔵品(20点)を含む、石橋財団の20世紀絵画コレクションを総覧します。ブリヂストン美術館で開催中の「コレクションの新地平」へ行ってきました。
いくつか設定された大まかなテーマの元、所蔵20世紀絵画が展示室の順に沿って並べられている展覧会です。カンディンスキー、クレー、ミロ、デュビュッフェ、ポロックなど、好みの抽象画家も挙がっているのが嬉しいところですが、同美術館のコレクションでも特に名高いザオが、殆ど別格扱いにて全17点も展示されているのには驚かされました。またその他、リルケの詩集に基づくベン・シャーンの版画集が、一度の展示替えを挟んで約10点ほど紹介されています。ザオ共々、関心のある方にはたまらない内容かもしれません。
惹かれた作品を挙げていきます。まずは平面的な線と面のモチーフが、さながらオルゴール音楽を奏でるかのようにして共鳴し合う、カンディンスキーの「二本の線」(1940)です。無理に空間を広げ過ぎない、どこかこじんまりしたモチーフ同士の胎動が何やら可愛らしく、仄かなクリーム色をした背景へ静かに溶け込んでいました。そして、そのすぐ隣にあるモンドリアンの「砂丘」(1909)、それにクレーの「島」(1932)など、ブリヂストンでは馴染みの深い作品もいつもながらに見応え十分です。お気に入りの一枚を探して歩くのも良いのではないでしょうか。
隣り合わせで並んでいた二枚、ちらし表紙を飾るレジェの「抽象的コンポジション」(1919)と村井正誠の「人々」(1983)に、組み込まれた色面が黒を配して強固にせめぎあう、構成のどことない共通性を感じます。全体の展示自体は前述の通り大まかなものですが、このように洋の東西に囚われない作品の大胆な配列に注視していくと、それぞれに意外な関係性を見出すことが出来るかもしれません。
ザオをこれだけまとめて見たのは、もちろん4年前に開催されたザオ展以来のことです。かの大回顧展は、私が美術巡りをしてから初めて同じ展覧会に二度出かけたという、とても衝撃的なものでしたが、今、こうして改めると、その時とはまた違った印象が浮かんできます。かつてはあの抜けるように鮮やかでかつ深い青みと、大きく流れ、また消えゆく白や黒の色面、そしてそれらの広がり合う全体の構成に、まさに深淵で宇宙的なスケールを見る思いがしましたが、今回は各面や動き同士に激しい衝突の繰り返される、別の表現をとれば、あたかも決して打ち解け合わない人同士の意識が激しく対立し合っているかのような、どこか攻撃的な厳しさが強く打ち出されているように思えました。この絵を人跡未踏の地にある砂漠の砂嵐に例えるとすれば、私はそこで瞬時に吹き飛ばされて消されてしまう一つの砂粒に過ぎません。立ちふさがれます。
そんな私の心にすっと入り込んできたのが、今回の展示の一推しでもあるポロックの「Number2, 1951」(1951)でした。迸る墨のような、どこか乱れた様による線は、例えば水に絵具がそよぐかのように自由に動き廻り、その向こうには一人の男が頭を抱え、ただ呆然と立ちすくんでいるよう様子がほのかに浮かび上がってきます。上のザオが、それこそ観る者を蹴散らすような巨大なエネルギーを内包しているとすれば、このポロックは、一見激しいようでも実は人の弱さや絶望感を素直に表しているのではないでしょうか。今惹かれるのはこちらです。
ブリヂストン美術館は最近、どちらかというと常設の印象派の展示に力を入れているようですが、久々に現代の方を向いた好企画だったと思います。この調子で現代アートの企画展も望みたいところです。
4月13日までの開催です。おすすめします。
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