「メスキータ」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「メスキータ」 
2019/6/29~8/18



東京ステーションギャラリーで開催中の「メスキータ」展の報道内覧会に参加して来ました。

1868年にアムステルダムにユダヤ人として生まれたサミュエル・イェスルン・デ・メスキータは、エッシャーらに影響を与えながら、画家や版画家として旺盛に活動したものの、ナチス・ドイツの迫害を受け、アウシュビッツで無念の死を遂げました。

そのメスキータの作品がヨーロッパから海を越えて日本へとやって来ました。いずれもドイツ人蒐集家ヴォルタース夫妻の個人コレクションで、約240点にも及び、初期から晩年までの作品を網羅していました。

初期のメスキータは、油彩や水彩、ドローイングを制作していましたが、1890年以降になると、エッチングやリトグラフ、木版画など様々な技法で版画を手がけるようになりました。うちモチーフの1つとして取り上げられたのは、自画像や家族などの身近な人物を象った肖像でした。


右:「小さな自画像」 1896年

「小さな自画像」はメスキータが最初に手がけた木版画で、アーチ状の枠の中に、鏡を見やる自身の横顔を表していました。画面の上下には、太さも長さもまちまちな多くの彫り跡が残されていて、いわゆる試し刷りながら、装飾的な効果を生み出していました。


「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」 1922年

チラシ表紙を飾る「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」は、メスキータの息子のポートレートで、眼鏡をかけ、強い視線で前を見据える姿を力強く描いていました。全体としては写実的に表情を捉えているものの、髭などは規則的な線で示されていて、やはり装飾的に見えなくもありません。

1902年、ハールレムの応用美術学校の教師になったメスキータは、当初、ドローイングを教えるも、のちに装飾美術や版画を担当するようになりました。多くの教え子を抱えた中、特に有名だったのがM.C.エッシャーで、実際に初期はメスキータの作風に影響されました。

またメスキータの単純化された平面性は、日本の浮世絵を連想させる一方、明暗のコントラストや細かな装飾的な要素は、アール・デコやモダン・デザインを反映していると言われています。


「ユリ」(全5ステートのうち第1から第4ステート) 1916〜1917年

メスキータは版画の制作に際し、刷る途中の段階で筆を加え、表現を変えることを好みました。例えば「ユリ」では、第1ステートにおいて黒い背景の中、一人の人物とユリを描いているものの、第2ステートではもう一人の人物が加えられ、第3ステートでは右側の人物の肌を白く変化させました。またユリの花の中央にも、同心円状の模様に放射状の線を描くなど、ステートが進むごとに描写を変えていることが見て取れました。


「歌う女」 1931年

装飾性とモチーフを融合させたことも、メスキータの特徴の1つかもしれません。上を見やりながら、歌う女性を描いた「歌う女」では、縦の規則的な垂直線を巧みに用い、背後の上をパイプオルガン、両翼にハープを表していました。まるでステージから音楽が聞こえるかのような臨場感もあるのではないでしょうか。

人と並び、メスキータが多く取り上げたのは、動物や植物など自然のモチーフでした。その多くをアムステルダムのアルティス動物園に取材し、熱帯の植物やエキゾチックな動物などを木版画に表しました。


「二頭のガゼル」(上:習作、下:木版) 1926年

しかし人物画における装飾性と同様、端的に動物をそっくりそのままに写したわけではありませんでした。「二頭のガゼル」では、対象を有り体に捉えた習作スケッチに対し、木版ではそもそも体の色を白くしていて、本来的に馬のような毛並みであるのにも関わらず、まるで羊のようなふさふさした毛を持つ姿に変えていました。もはや別の動物と呼んで良いかもしれません。


「ウェンディンゲン」第1巻10号(特集:建築) 1918年

メスキータは、生涯に3冊の複製画集と2冊の版画集を出すなど、出版活動にも積極的に取り組んでいました。またアムステルダムで刊行された、建築、絵画、彫刻、演劇などの総合芸術雑誌、「ウェンディンゲン」でも数多くの表紙を手がけ、自作の特集も組まれました。


「ウェンディンゲン」第12巻1号(特集:S.イェスルン・デ・メスキータ) 1931年

うち第12巻1号はメスキータの2回目の特集を飾ったもので、円と直線で構成された抽象的なフクロウの表紙も自身が担当しました。中には21点の木版と6点の水彩画が掲載されています。


左:「ファンタジー:少女と死との会話」 制作年不詳
右:「ファンタジー:男と小さな頭部」 制作年不詳

さてともかく版画の印象の強いメスキータですが、もう1つ、版画と並んで描き続けた作品がありました。それはドローイングで、モチーフは版画とは一転し、エジプトなどの異国風や、ユダヤ人社会、さらには何物とも捉えがたい幻想的なヴィジョンや歪んだ人体などを表しました。一連のドローイングをメスキータ本人は、「全く意図していない無意識の表れ」とも語り、自由にイメージを展開させ、結果的に1000〜2000点ほどの作品を残しました。


左:「ファンタジー:さまざまな人々(黒い背景)」 1921年
右:「ファンタジー:三人の人物」 1922年

一連の「ファンタジー」と題した作品の人物表現などは、どこかカリカチュアを見るかのようでもあり、アンソールやルドンの作品を思わせるような幻視的な雰囲気も感じられました。実のところ、どこまで「無意識」に描いたかどうかは明らかではありませんが、その手法はシュルレアリスムのオートマティスムの先駆けとして位置付ける考えもあるそうです。


メスキータ展会場風景

メスキータの人生の結末はあまりにも惨たらしいものでした。1940年5月、ナチス・ドイツはオランダを占領すると、ユダヤ人を迫害し、メスキータも自由に活動出来なくなりました。そして1944年1月末から2月にかけての深夜、メスキータは一家とともに連行され、強制収容所に送られました。そしてメスキータ本人と妻のエリザベトとはアウシュビッツで殺害され、子のヤープも後日、エンシュタットで没しました。実にメスキータ75歳のことでした。


メスキータ展会場風景

しかしメスキータの作品は損なわれることはありませんでした。のちにメスキータのアトリエを訪問した教え子のエッシャーなどの友人は、いわば命懸けで作品を回収し、秘密裏に保管することに成功します。そして戦後、エッシャーらの尽力により、アムステルダムの市立博物館で回顧展が開催され、再び世に作品が公開されました。

メスキータはエッシャー関連の展示などで紹介されたことはあったものの、今回のように単独でかつ大規模に画業が振り返られたことは国内で一度もありません。近年、ヨーロッパでも再評価が進む画家の全貌を、日本で知る貴重な機会と言えそうです。



一目見て頭に焼きつくような強いビジュアルの版画だけでなく、幻想的なドローイングなど、思いのほかに作品の振り幅が広い画家であるのかもしれません。また版画を細かに刻む線を見ていると、どこか職人魂とでも呼べるような、創作への飽くなき探究心も感じられました。


8月18日まで開催されています。おすすめします。

「メスキータ」 東京ステーションギャラリー
会期:2019年6月29日(土)~8月18日(日)
休館:月曜日。但し7月15日、8月12日は開館。7月16日(火)。
料金:一般1100(800)円、高校・大学生900(600)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *7月20日(土)〜7月31日(水)は「学生無料ウィーク」のため学生は無料。(要証明書)
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「没後50年 坂本繁二郎展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館
「没後50年 坂本繁二郎展」
2019/7/14~9/16



練馬区立美術館で開催中の「没後50年 坂本繁二郎展」の特別鑑賞会に参加してきました。

1882年に福岡県の久留米で生まれた画家、坂本繁二郎は、牛や馬、静物、さらに月とモチーフを変化させながら、1969年に没するまで旺盛に絵画を制作しました。

坂本の没後50年を期して開催されたのが、今回の回顧展で、先行して開かれた生地、久留米市美術館での展示(会期:2019/4/6~6/9)の巡回展でもあります。


右:坂本繁二郎「夏野」 1898年

少年期から絵が好きだった坂本は、10歳の頃に森三美の画塾に入ると、遅れて入ってきた同郷の青木繁らとともに洋画を学びました。「夏野」は画塾時代、16歳の時の作品で、夕立が明けて虹のかかる空の下、川の流れる田園地帯を細かに表しました。空と近景の対比的な構図などから、おそらくは西洋画の手本を模したと考えられていて、坂本は画塾において模写を中心に絵画を修得しました。


左:坂本繁二郎「町裏」 1904年

1902年、青木に一足遅れて上京した坂本は、青木の紹介で画塾不同舎に入門すると、太平洋洋画研究所に学びました。「町裏」は、1904年の第3回太平洋画会に出展したデビュー作で、薪を運ぶ人を厚塗りの油彩で表現しました。


青木繁「海景(布良の海)」 1904年 石橋財団アーティゾン美術館

この年、青木が制作したのが「海景」で、坂本や森田恒友らと出かけた千葉県館山の布良海岸を描きました。エメラルドグリーンに染まる海が、白い飛沫を立てながら岩を洗う光景が広がっていて、揺れ動く波を力強いタッチで表現しました。小品ながらも迫力があるのではないでしょうか。


右:坂本繁二郎「張り物」 1910年

坂本の妻の薫をモデルにした「張り物」は、1910年の第4回文展にて褒状を受けた作品でした。初期の坂本としてはかなり明るく、光に満ちていて、赤い布が妻の腕や顔に反射する様子を細かに描きました。


坂本繁二郎「うすれ日」 1912年 三菱一号館美術館寄託

坂本の絵を象徴付ける牛を描いたのが「うすれ日」で、一頭の牛が横を向いて立つ光景を、揺らぎの伴うような筆触で表しました。千葉県の御宿海岸を舞台としていて、第6回文展にて夏目漱石が注目したことから、坂本の出世作としても知られています。そして坂本は「うすれ日」で自信を得ると、同じく房総の海を背にした「海岸の牛」など、牛をモチーフとした作品を多く制作しました。


右:坂本繁二郎「帽子を持てる女」 1923年 石橋財団アーティゾン美術館

1914年、二科会に発表の場を移した坂本は、1921年にパリへ渡ると、日本人留学生と交流しながら、画家のシャルル・ゲランに師事しました。しかしながら半年でやめると、パリの郊外やブルターニュに出かけては写生するなどして活動しました。ブルターニュではゴーギャンに惹かれたとされ、「帽子を持てる女」などのポーズには、コローの影響も受けたと言われています。

3年後に故郷の久留米に戻った坂本は、1931年に八女へと居を移し、近隣にアトリエを構えて絵画を制作するようになりました。この時の坂本の関心はやはり馬にあり、雲仙や阿蘇の放牧場などへ出かけては、馬を描きました。友人らは東京での制作を薦めたものの、坂本は画壇に縛られず、自然豊かな九州の地をあえて選びました。


坂本繁二郎「馬」 1925年

帰国後最初に描いた馬の絵の「馬」は、第12回二科展へ出品した一枚で、ただ一頭、立つ馬を表しました。ここでは馬も地面も、言わば境界の曖昧な色面のみで示されていて、空は淡い水色で満たされていました。


左:坂本繁二郎「放牧三馬」 1932年 石橋財団アーティゾン美術館

この水色の空の下、3頭の馬をモチーフにしたのが「放牧三馬」で、中央の堂々とした馬などを、やはり色の面を重ねては広げるように描いていました。坂本は馬を時に複数組み合わせ、草原であったり、松や林の中にいる姿などを、様々なバリエーションにて表しました。当時、あまりにも馬の絵ばかりが出展されたため、批判的に捉えられることもありましたが、よほど信念を持っていたのか、坂本は馬を描くことをやめませんでした。


左:坂本繁二郎「能面」 1949年 メナード美術館

坂本が馬と並んで頻繁に描いたのが、野菜や果物、さらに水指や能面、煉瓦などの静物でした。特に能面は、1944年から1963年の間に30点あまり制作していて、モデルとなる能面を探すべく、夫人とともに骨董屋を巡り歩いたエピソードも残されています。


左:坂本繁二郎「壁」 1954年 三菱一号館美術館寄託

「能面」を表した一枚の「壁」に目を引かれました。手前には布の入った箱が置かれていて、奥の壁の上の方に、能面が1つ掛けられていました。手前の箱との遠近感ゆえか、能面は壁にあるというよりも、もはや宙に浮いているかのようで、まるで人格を得たかのようににこやかに微笑んでいました。どこかシュールにも映るかもしれません。


坂本繁二郎「暁明の根子岳」 1953年 小杉放庵記念日光美術館

驚くほどに美しい水色に染まった風景画を目にすることが出来ました。それが「暁明の根子岳」で、ギザギザした山容が特徴的な阿蘇山の山の1つを、色のシルエットで表していました。白い雲を浮かべた水色の空は、もはや山を包み込むかのように広がっていて、うっすらとピンク色を帯びた夜明けの光を、実に瑞々しく描いていました。ともかくキャンバスへ染み込むような色味が素晴らしく、しばらく絵の前から離れられませんでした。


坂本繁二郎「達磨」 1964年

口をへの字に結んだ達磨をモチーフとした「達磨」も可愛らしいかもしれません。飲食店の主人を励ますために描かれた一枚で、背景の雲のようなものは、七転び八起きの「起」の文字を表していました。ここでも印象深いのは色彩で、達磨の朱や手前の紫、そして水色や緑を伴う「起」の部分など面が、互いにせめぎ合うように広がっていました。


左:坂本繁二郎「月」 1964年

1964年、82歳になった坂本が最後に選んだモチーフは月雲でした。既に視力が衰え、アトリエに出かけることもなかった坂本は、主に自宅から眺めた月雲を絵に表していきました。坂本は月を描くことになった経緯について、「池面に映った満月の姿、深夜、小窓からふとながめた月の静けさのなかに秘めたあふれるような充実感に打たれてのことですが、老いの心境が月にモチーフを求めたのかもしれません。」と語っています。月に自らの心の有り様を投影していたようです。


坂本繁二郎「月」 1966年 無量寿院(福岡県立美術館寄託)
 
坂本の菩提寺である無量寿院に献納された「月」は、一連の月の中でも最大の作品で、中央で天高く黄色の光を照らす満月を描いていました。その明かりはいささかの曇りもなく、まるで見る者を祝福するかのように輝いていました。神々しさすら感じられないでしょうか。

生前の制作を捉えた映像で、坂本が「悪気を感じたことない、呑気なんだよね。」と楽しそうにインタビューに答える様子が印象に残りました。一概に結び付けられませんが、大らかで温かみのある作風には、坂本の人となりも反映されていたのかもしれません。


坂本繁二郎「雲仙の春」 1934〜57年 株式会社福岡銀行

展示は基本的に坂本の画業を時系列で紹介していて、渡欧前後などで変化する作風を追うことも出来ました。また墨画や水彩、それに大画面に有明海を望む雄大な景色を表した「雲仙の春」などの大作も出展されていて、点数も資料などを含め約140点と不足もありません。見応えは十分でした。

展示替えの情報です。前後期で約20点の作品が入れ替わります。

前期:7月14日(日)~8月18日(日)
後期:8月20日(火)~9月16日(月・祝)

気がつけば坂本繁二郎の作品にまとめて接したのは、2006年に当時のブリヂストン美術館で行われた回顧展以来のことでした。そして今回と同様に、坂本の命への温かい眼差しも感じられる動物の絵画から、やや神秘的な雰囲気さえ漂う静物画、さらに滑りを伴うような画肌に強く魅せられたことを覚えています。


「没後50年 坂本繁二郎展」会場入口

それから約13年、再び坂本繁二郎の画業に触れられる絶好の機会がやって来ました。お見逃しなきようにおすすめします。

9月16日まで開催されています。

「没後50年 坂本繁二郎展」 練馬区立美術館@nerima_museum
会期:2019年7月14日(日)~9月16日(月)
休館:月曜日。但し7月15 日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)は開館。7月16日(火)、8月13日(火)は休館。
時間:10:00~18:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1000(800)円、大・高校生・65~74歳800(700)円、中学生以下・75歳以上無料
 *( )は20名以上の団体料金。
 *ぐるっとパス利用で500円。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。

注)写真は特別鑑賞会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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「第13回 shiseido art egg 今村文展」 資生堂ギャラリー

資生堂ギャラリー
「第13回 shiseido art egg 今村文展」
2019/7/5~7/28



資生堂ギャラリーで開催中の「第13回 shiseido art egg 今村文展」を見てきました。

新進アーティストを公募によって紹介する資生堂アートエッグも、第13回を数えるに至りました。

今年度の応募総数は269件あり、選考を経て、今村文、小林清乃、遠藤薫の3名の作家が入選を果たしました。そして入選者の個展が、7月から9月にかけて順に行われます。

その第1弾が、1982年生まれの今村文で、「見えない庭」と題し、「ドローイングによる花や虫に囲まれた世界」(公式サイトより)構成するとしています。それでは一体、どのような展示なのでしょうか。



地下に広がる薄暗がりの展示室に置かれていたのは、開け放たれたクローゼットと、ランプの灯すチェスト、それに木の板で作られた部屋でした。中に立ち入ることこそ叶わないものの、明かりを頼りに部屋をドアから覗き込むと、白いシーツに包まれた一台のベット、それに小さな椅子が並んでいました。そして何よりも目を引くのが、ベットや椅子はおろか、天井から床面へと侵食するかのように広がる植物で、赤や黄色の花を咲かせていました。



また先のクローゼットも同様に、草花が広がっていて、チェストの引き出しにも花や葉の断片が無数に入れられていました。いずれも実際の草花ではなく、作家が水彩で描いて切り抜いた紙片でした。草花は時に絡み合い、半ば過剰なまでに茂っていて、本来的に室内である寝室が、まるで屋外、まさに庭のようでした。



「自我のない彼らはとても純粋な心だけの状態なのではないでしょうか。私にとって、花や虫は心を感受して光る白熱灯のようなものです。その光だけで満たしたいと思うのです。」 今村文(解説シートより)



草花とともに重要なモチーフがもう1つありました。それが写真では良く分からないかもしれませんが、無数の毛虫や蛾などの虫でした。いずれも草花と同様に紙で作られていて、例えば寝室では、ベットの上はおろか、壁から床に至るまでたくさんの毛虫が群れをなしていました。かなり精緻に作られていてリアリティもあるため、虫が苦手な方は思わず仰け反ってしまうかもしれません。



今村は、庭を作る際に寝室を築いたのは、「眠っている間の不在」について考えたからと述べています。そして目を覚ますと、「私を忘れていたと気づき」(解説シートより)、そこに本当に存在していたのかと自問するのだそうです。



ともすると寝室に広がる庭は、人が眠っている間にだけ現れる光景なのかもしれません。無数の草花や虫に囲まれた寝室の庭を見やりながら、どこか非現実の空間へと誘われていくような錯覚に陥りました。


今村文「ぼたん羽虫華鬘」 2018年

「花ふたち、茂み」や「ぼたん羽虫華鬘」などと題した、紙に水彩の平面のコラージュにも惹かれました。草花や虫の繊細で澄んだ生命感が滲み出ているように見えないでしょうか。



資生堂アートエッグの本年度のスケジュールは以下の通りです。

【第13回 shiseido art egg 展示スケジュール】
今村文展: 2019年7月5日(金)~7月28日(日)
小林清乃展:2019年8月2日(金)~8月25日(日)
遠藤薫展: 2019年8月30日(金)~9月22日(日)

全ての展示の終了後、有山達也(グラフィックデザイナー)、住吉智恵(アートプロデューサー)、小野耕石(美術家)の専門家3氏の審査を得て、大賞の「shiseido art egg賞」が選ばれます。


7月28日まで開催されています。おすすめします。*写真は全て「見えない庭」会場風景。撮影も可能です。

「第13回 shiseido art egg 今村文展」 資生堂ギャラリー@ShiseidoGallery
会期:2019年7月5日(金)~7月28日(日)
休廊:月曜日。*祝日が月曜にあたる場合も休館
料金:無料。
時間:11:00~19:00(平日)、11:00~18:00(日・祝)
住所:中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅A2出口から徒歩4分。東京メトロ銀座線新橋駅3番出口から徒歩4分。
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「Ascending Art Annual Vol.3 うたう命、うねる心」 スパイラルガーデン

スパイラルガーデン
「Ascending Art Annual Vol.3 うたう命、うねる心」
2019/7/4~7/23



スパイラルガーデンで開催中の「Ascending Art Annual Vol.3 うたう命、うねる心」を見てきました。

1987年に富山に生まれた川越ゆりえは、これまでに嫉妬や寂しさ、弱さといった人間のネガティブな感情を、虫の標本を象った姿に置き換えて表現してきました。


川越ゆりえ「弱虫標本」 2013年

「弱虫標本」と題した作品も、遠目では本物と見間違うかのような虫のオブジェが並んでいて、大きな木製のフレームの中に収められていました。それらは、一見、虫を精巧に再現したように思えるかもしれませんが、実は全てはフィクションであり、創造の産物でした。


川越ゆりえ「羽化」 2014年

一連の幻想的な虫は、何やらヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルらの奇怪な生き物を連想させる面もあるのではないでしょうか。またペンダントのようなファッションとしても捉えても魅力的かもしれません。

1988年の大阪生まれの笹岡由梨子は、「Kyoto Art for Tomorrow2019-京都府新鋭選抜展」にて最優秀賞を受賞した「Gyro」を出展しました。


笹岡由梨子「Gyro」 2018年

様々な宗教の悪魔をモチーフとした大型の映像インスタレーションで、常に発せられる「許す」をキーワードに、極彩色の世界が展開していました。笹岡は、日本人が数多くの自然災害に見舞われながらも、常に自然を愛し、また許したとしています。

ハイライトを飾ったのが、吹き抜けの空間に展開した大小島真木の鯨をモチーフとしたインスタレーションでした。


大小島真木 展示風景

1987年に東京に生まれた作家は、2017年にフランスのファッションブランド、アニエス・ベーの支援する海洋生物保護のための「科学探査船タラ号太平洋プロジェクト」に参加しました。そしてその航海を元にして、パリの水族館では「鯨の目」(2019年)と題した展覧会を開催し、水族館の壁に大きな鯨をモチーフとした作品を描きました。


大小島真木「海の血」 2018年

今回の展示に際しては、パリでの4点に1点の新作を加え、いわば鯨がアトリウム空間を海に見立てて回遊する光景を表しています。


大小島真木「核と光-この大地は祖先から譲り受けたものではなく、孫達から借りている場所」(部分) 2018年

鯨は単にアクリルやクレヨンなどの画材で描かれているだけでなく、瀬戸内海の海辺で取得したプラスチックや漁師の網などの人工物も用いられています。また原水爆と思しきキノコ雲が描かれた作品もあり、いわば単に美しい作品ではありません。昨今、問題として大いに提起されたプラスチックゴミ問題しかり、環境への強い意識が現れていると言えるのかもしれません。


大小島真木 展示風景

このスペースだからこそのスケール感のある展示ではないでしょうか。さも海底から鯨を見上げるかのようにして楽しみました。

なお本展はスパイラルの運営母体であるワコールが、若手女性アーティストを中心に紹介するシリーズ展で、今回で第3回目に当たります。


入場は無料です。7月23日まで開催されています。

「Ascending Art Annual Vol.3 うたう命、うねる心」 スパイラルガーデン(@SPIRAL_jp)
会期:2019年7月4日(木)~7月23日(火)
休館:会期中無休
時間:11:00~20:00
料金:無料
住所:港区南青山5-6-23
交通:東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅B1出口すぐ。
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日本民藝館にて「特別展 食の器」が開催中です

民藝運動の推進者で、日本民藝館の創設者でもある柳宗悦は、まさに自身の提唱した「用の美」を体現すべく、生活に最も身近な「食」に関する様々な器を蒐集しました。



その柳の食の器を紹介する展覧会が、現在、駒場の日本民藝館にて開催されています。展示の内容について簡単にpen-onlineのアートニュースにまとめました。

日本民藝館『食の器』展で、柳宗悦の目線から豊かな暮らしのヒントを見つけよう。
https://www.pen-online.jp/news/design/shokunoutsuwa/1


今回の「食の器」で特に興味深いのは、柳が日頃、用いていた食器が多く展示されていることでした。それらは日本の地方窯や朝鮮の焼きものだけでなく、盟友の河井寛次郎や濱田庄司らの作品も含まれていて、「使いこなす」ことを重視した柳は、いわば器を育てるべく、積極的に使っていたそうです。よって使用痕のある器も少なくありませんでした。

この他、柳が敬愛を寄せていた侘び茶の茶器をはじめ、主に江戸時代を中心とした儀礼や饗応のための器なども出展されていて、さながら器を通して柳の審美眼を見るかのようでした。



また併設展として、国内の土瓶や朝鮮半島で使われた膳、さらに江戸時代の菓子箱や菓子型なども公開され、まさに館内は「食の器」で彩られていました。



日常の食生活を見つめ直すような展示と言えるかもしれません。やや蒸し暑い館内にて、備え付けのうちわで扇ぎながら、古いケースの中の食器を見やっていると、どこか柳の生きた時代にタイムスリップしたかのようでした。


9月1日まで開催されています。

「食の器」 日本民藝館
会期:2019年6月25日(火)~9月1日(日)
休館:月曜日。但し祝日の場合は開館し翌日休館。
時間:10:00~17:00。 *入館は16時半まで
料金:一般1100(900)円、大学・高校生600(500)円、中学・小学生200(150)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。(要事前予約)
住所:目黒区駒場4-3-33
交通:京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。駐車場(3台分)あり。
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