「文承根+八木正 1973-83の仕事」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
「文承根+八木正 1973-83の仕事」
9/23-11/4



先立って行われた京都国立近代美術館との共催展です。ともに1970~80年代初頭の京都で活動していた芸術家、文承根(ムン・スングン 1947-82)と八木正(やぎただし 1956-83)の制作を概観します。(*1)彼らの表現は非常に独得なものですが、「具体」や「もの派」等に親しみのある方には素直に楽しめる内容かもしれません。私としてはかなり魅入りました。

 

まずはじめに紹介されていた文承根ですが、彼は1960年末に「具体美術協会」へ参加し、69年には国際青年美術家賞を受賞するなどして活躍していたアーティストです。終始、どちらかといえば他の作家との交流を断ちながら、絵画、彫刻、それに版画などを『孤高』(ちらしより。)に制作し続けていたそうですが、この展示ではその中より、主に水彩のグラデーションを抽象的に配した一連の「無題」シリーズと、風景写真と瑞々しく力強い面的なドローイングを組み合わせた作品などが紹介されていました。(「無題」に見る美しさは一般的に受けると思います。上の作品画像左の作品です。)また「活字球」と呼ばれる、無数の漢字やひらがなを刻印したオブジェも興味深い作品です。これは球を転がし、結果、偶然的に生まれる文字の羅列を一種の紋様としても見るものですが、支持体の素材(粘土や紙など。)よってその感触は変化していきます。制作の行為とその痕跡の双方に等価的な意味の持つ作品なのかもしれません。

 

一方の八木正は、京都市立芸術大学在学中よりその存在が注目されていたという作家で、主にいわゆる木彫表現にて純度の高いシンプルなオブジェを制作しています。ここでは、板と板を並べてその間に色を配したという、まるでスノコを思わせるようなミニマリズム的作品や、板を貼り合わせて作った箱のようなオブジェなどが展示されていました。ちなみに、木目も剥き出しになった、半ばその力強さも感じる八木の作品ですが、真に注目すべきは細部に施された処理の方法にあるのかもしれません。例えば、一本の木材をたんに削って作ったような棒状の作品が、実は中が空洞な箱状のものであったり、それぞれの板の端などが薄く削られているかと思いきや、その代わりに全く同サイズの別の板がはめ込められているなど、似たような素材を積み木のように組み合わせながらも各々に絶妙に異なる表情を与えています。もし、八木の作品に繊細さを見るとすれば、これらの丁寧な業の効果によるに相違ありません。

この企画と連動する形で開催されている所蔵品展、「1970年代の美術」もまた秀逸でした。(別エントリにて触れます。)ズバリ、館内には誰もいないに等しいくらいの閑古鳥状態でしたが、この系統の現代美術に強い千葉市美術館ならではの好企画だと思います。

11月4日までの開催です。(9/29)

*1 文と八木の作品を網羅する回顧展ではなく、二者の作品の保管、または調査に務めた京都国立近代美術館と千葉市美術館の活動と研究の成果を中間報告の形で紹介する、一種のコレクション展としての側面を持つ展覧会である。(ちらしより引用。改変。)
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「仙がい・センガイ・SENGAI - 禅画にあそぶ - 」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「仙がい・センガイ・SENGAI - 禅画にあそぶ - 」
9/1-10/28

これほど肩肘張らずに楽しめる展覧会もそうないと思います。グランドオープン後では初めてとなる出光美術館の企画展です。「仙がい(*1)・センガイ・SENGAI - 禅画にあそぶ - 」へ行ってきました。



早速、まずその仙がい(1750-1837)とはなんぞやということですが、彼は江戸時代、日本最古の禅寺である博多・聖福寺の第123世住職をつとめた禅僧で、数多くの禅画を描きながら教えを説き、また民衆に愛されていた人物だそうです。そしてその禅画は「がい画無法」とも呼ばれる、全く定まった形のない自由奔放なもので、いわゆるヘタウマとも言えるような極限のデフォルメの、可愛らしくまた愉し気な世界が展開されています。もちろんそこに、仙がい一流の機知も含まれていると言うわけなのです。



ちらし表紙を飾る「指月布袋画賛」からしてぶっ飛んでいます。これは本来、布袋の示すものを見ようと指を見ても、指したものは月の彼方にあって見えない、つまりは経典(=指)にとらわれているようでは悟り(=月)を見出せないという教えを説く作品だそうですが、一見しただけでは二人の親子が打ち上げ花火でも眺めながら楽しそうにはしゃいでいるようにしか見えません。また「座禅蛙画賛」も、座禅をその形にとらわれることを戒める、ようは『座禅=悟り』ではないことを説く作品ですが、ここではある意味で蛙は常に座禅を組んでいるとして、それこそ一筆で描いたような蛙が何やらにやにやした様子で座っています。

展示の大部分を占めるのは、このような「がい画無法」の作品ですが、「仙がい展の決定版」(ちらしより。)ということで、それ以外の仙がいの画業、または生き様にも焦点が当てられていました。中でも、一般的な水墨画の技を思わせる数点の作品は、当然ながら仙がいが『無法』の絵だけしか描けなかったわけでないことを表してもいます。(仙がいは「絵の素晴らしさを賞賛されるよりも、その面白さを分かってもらえる方が良い。」とも言ったそうです。)また、彼は後半生、主に九州北部を旅し続けたという旅好きでもあったそうですが、行き先の地にて石を収集するという珍しい趣味も持っていました。それも展示の最後、「仙がいと収集熱」のセクションにて、彼の愛用の品々とともに一部紹介されています。



仙がい画の究極として挙げられるのは、円、三角、四角だけを描いた英語名「The Universe」でしょう。(ただしこの主題は禅画では珍しいものではないそうです。)万物の根源としてこの三つの形を捉え、そしてそれらが重なり合って連なる様子を見ると、この作品はやはり英訳名の通り、宇宙の全体、もしくは森羅万象を示しているものだと思います。またその上で、例えば各図形が個々の人として存在し、それぞれが手を取り合いながら一つの調和された全体を形成する、一種のユートピア的世界観も見るような気もしました。

リニューアル後も、居心地の良い出光美術館の空間は変わることがありません。お茶のセルフサービスや、ソファーの並ぶ休憩スペースも健在でした。ゆったりと腰掛けて、お城の緑や立ち並ぶビルを眺めることからして贅沢です。

10月28日まで開催されています。(9/9)

*1 涯からさんずいを取った字。機種依存文字のため全て平仮名で表記しました。
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「山口晃展」 練馬区立美術館

練馬区立美術館練馬区貫井1-36-16
「山口晃展 今度は武者絵だ!」
8/17-9/17(会期終了)



すっかり感想を書きそびれていましたが、展覧会はもちろん見終えています。練馬区立美術館で開催されていた山口晃の大個展へ行ってきました。



以前、上野の森美術館での二人展では、会田誠の『毒』にやや侵されていたような印象も受けた山口でしたが、ここでは本領発揮と言わんばかりに、勇ましく、またシャープな「武者絵」でじっくりと楽しませてくれました。もちろん一番に見るべきなのは二階展示室での超大作「続・無残ノ介」(2007)かと思いますが、一般的に知られる山口の画業を知るには、一階展示室の「江戸しぐさ」の広告の映像や、成田空港でその威容を誇る「成田国際空港 飛行機百珍画」(2005)の原画がぴったりでしょう。(順路としては一階から二階の方が良かったような気もします。トリは「無残ノ介」がベストです。)細部にまで神経の通った精緻極まりない描写はもちろんのこと、ジャグジー付きの大浴場や純和風の日本庭園をのせた飛行機、それにゴンドラの駆ける三越本店など、どこか空想世界的な面白さを見る山口作品の魅力を存分に味わえました。思わず、絵の中へと入って遊んでみたいような作品ばかりです。



メカと人間、それに動物を組み合わせたモチーフも健在です。「厩図2004」(2004)では、バイクと馬が一体化した『バイク馬』が、昭和、江戸、もしくはそれ以前の時代の交錯したような日本家屋の厩に繋がれて出番を待っています。雲霞の漂う厩の光景はまさに大和絵風ですが、例えばクーラーの室外機の上に置かれた植木の細やかでリアルな描写など、そのデッサンだけ見ても唸らせるものがありました。ちなみにこの何でも描けてしまうという高い表現力は、「日清日露戦争戦役捷畫」(2005)の原画を見るだけでもひしひしと伝わってきます。「ずずしろ日記」風の軽妙洒脱なタッチと、殆ど細密画ともいえる領域にまで細部へ踏み込んだ軍艦などが同居しているのです。思わず虫眼鏡でもかざして見たくなるほどでした。

入口すぐ横の大きな階段に、かのトップランナーで描かれた大作が掲げられていました。美術館の箱自体がやや無機質過ぎる嫌いもありますが、(一度、『借景』にもこだわった場で山口作品を見てみたいと思います。)まずは期待通りの内容で十分に楽しむことが出来ました。あとは、10月中旬に完成予定という図録の完成を気長に待つだけです。ちなみに図録の予約は今も行われています。一冊、破格の1000円です。お問い合わせは美術館までどうぞ。(9/1)
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読響定期 「シューマン:交響曲第4番」他 スクロヴァチェフスキ

読売日本交響楽団第494回名曲シリーズ

シューマン 交響曲第4番 作品120
ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 作品93

指揮 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
演奏 読売日本交響楽団

2007/9/25 19:00 サントリーホール2階



芸劇より場所を戻しての読響名曲シリーズから、ミスターSによるシューマンとショスタコーヴィチのプログラムです。全券種、当日券も出ていました。会場の入りは8割弱ほどだったかもしれません。

ともにスクロヴァチェフスキの十八番とする音楽ではないかもしれませんが、彼は二曲とも暗譜にて、まさに早くもオーケストラを手中に収めたかのようにして音楽を手堅くまとめていたと思います。中でも特にシューマンは、非常にエネルギッシュな、明暗の対比に長けた切れ味鋭い演奏です。序奏こそ腰の据えた、弦セクションが緩やかにまとまっていくような重みのある表現でしたが、主部に入ると一転し、終始インテンポのキビキビとしたリズム感にて音楽を上下へ揺らして進めていきます。また総じてティンパニと金管セクションを鳴らし過ぎることのない、幾分、低弦も強調したバランス感のあるシューマンでした。それにしてもスケルツォでの快活さと愉悦感は実に若々しいものです。フィナーレのコーダでも、オケの合奏力を超えたようなスピードで一気呵成に力強く締めていました。そのアクセルの踏み方は、殆ど音楽的快感を誘うほど劇的です。

メインの「10番」は、その曲の持つ半ば『謂れ』、つまりは主観的な解釈に触れない、純粋な音楽的面白さを追求した演奏であったと思います。まさしく軍楽隊をイメージさせるような行進曲ではそのまま勇ましく、また諧謔的とも聴こえるフレーズでは、あえてその感触をそのままさらけ出すかのような表現でストレートに鳴らしていました。率直に申し上げると、私はこの曲をどのように聴いて良いのか分かりませんが、そのような『問い』に対する答えをむしろ出さないアプローチだったと言えるのかもしれません。その点では、例えば彼のブルックナーに聴くような一つの確固としたスタイルが見えてこない、曲への踏み込みの弱い演奏であったとも思いました。小気味良い打楽器群、うねる低弦、抑制的ながらも手堅い金管など、読響自体はとても充実していましたが、どこか物足りなさを感じたのも事実です。

「シューマン:交響曲第1番&第4番/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、ザールブリュッケン放送交響楽団」

ところで、改装後のサントリーホールへ行ったのは今回が初めてですが、ホールはある意味で全く変わっていませんでした。全て取り替えたというホールの座席は以前と同じ布地のものが付けられている上、例えばロビー部分にあるお馴染みのシャンデリアや宇治山のオブジェなどもそのままになっています。またむしろその変わらないことを目指したという音響も、いつもながらの重心の低い響きが踏襲されていました。ただもちろん変化した点がないわけでもありません。各所にはスロープが用いられてバリアフリーが計られている他、飲食コーナーやショップのデザインも変更されていました。そして一番、その変化を身近に感じたのは、男性用トイレのスペースです。おそらくは女性用を広げたためであると思いますが、改装前に比べて面積がほぼ半減しています。よって休憩中には行列も出来ていました。月並みですが、トイレはなるべく早めに済ませた方がよさそうです。

最後のフライング気味のブラボーがまた興ざめでした。せめて指揮者がタクトを降ろすまでは待っていたいものです。
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「酒井抱一」講演会情報@千葉市美術館

先日、こちらのエントリでも少しご紹介しましたが、今週の土曜日に千葉市美術館で「酒井抱一 - 200年前の展覧会 - 」と題した市民講座(講演会)が開催されます。いわゆる一般向けの講演会で抱一が題材になるのは極めて珍しいので、私も千葉まで行って聞いてくるつもりです。

*「市民美術講座2007」第4回*
日時:9/29 14時から1時間半。(開場は30分前)
場所:千葉市美術館11階講堂
タイトル:「酒井抱一 - 200年前の展覧会 - 」
講師:松尾和子(美術館学芸員)
定員:150名。入場無料。


担当の松尾氏によれば、講座は、1815年に抱一が行った「光琳百年忌」(これが200年前の展覧会にあたります。)を軸に、館蔵の抱一コレクションの紹介(スライド)、そして江戸時代にいわゆる「展覧会」がどのような形をとっていたかなどを、その受容史等を踏まえながら探って話すというものだそうです。残念ながら現在、千葉市美術館では抱一の作品は展示されていないので、当然ながらその実物を見ることは叶いませんが、光琳と抱一との関係など、琳派の系譜を見るのにも相応しい内容になるものと予想されます。琳派、光琳、そして抱一にご関心のある方は是非おすすめしたい講演です。


酒井抱一の「老子図」。千葉市美術館ご自慢の作品です。

ところで今、同美術館では企画展に文承根と八木正の遺作展を、また常設として李禹煥などの「もの派」をはじめとする1970年の美術を概観する展覧会が開催されています。ちなみに前者は、先日まで京都国立近代美術館で行われていたミニ企画展と同じものです。(千葉市美が唯一の巡回先です。)あまり目立っていませんが、そちらと合わせて見るのもまた楽しめるのではないでしょうか。

市民美術講座については美術館HPにも概要が掲載されています。そちらもご参照下さい。

*関連エントリ
千葉市美術館の入場者が100万人を突破
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「金沢健一 『音のかけら』とパフォーマンス」 上野の森美術館ギャラリー

上野の森美術館ギャラリー(台東区上野公園1-2
「金沢健一 『音のかけら』とパフォーマンス」
9/20-10/8



昨年、資生堂ギャラリーでの「life/art'05」をご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。さながら「音響彫刻」とも言えるインスタレーションを手がける、金沢健一のパフォーマンス付き個展です。早速、初回15時より行われたパフォーマンスを聞いて(見て)来ました。


(開始前。「音のかけら」に来場者が集まっています。)

会場は上野の森美術館内、入口すぐ横にあるギャラリーです。始まる10分ほど前に到着しましたが、既に待っている方がちらほらと見受けられました。ちなみに「音のかけら」をはじめとするこれらの作品は、パフォーマンス時間以外でも期間中常時展示されている上、その辺に転がっているバチなどを利用して自由に音を出すことが出来ます。かけらに近づいて色々と試してみるのも悪くありません。


(「音のかけら」と格闘する金沢。ここはかけらを擦って音を出していました。時に耳をつんざくような轟音を出すこともあります。)

金沢健一は開始時間になると静々と登場し、そして前触れもなく徐に作品へと向って音を出し始めました。バチ、ボールのようなもの、そして手などと、いわゆる『楽器』は何か個々に特定されたものがあるわけではありません。また金沢の音のインスタレーションは、『音楽』を奏でるものでもないと思います。確かに時にミニマル音楽らしきものが聞こえてくる時もありましたが、基本はこれらの素材を用いてどれほど様々な音が出せるのかという、その幅広さと奥深さを楽しむ作品です。バチで叩くと澄んだ良い音がしますが、金沢が絶妙な力加減で直接「かけら」を叩くと、不思議と軽やかで柔らかな音が展示室いっぱいに広がります。インスタレーションの時間は計30分ほどです。楽譜もなく、もちろん何か厳格に定められた音の出し方があるわけでもないので、まさに偶然的な、おそらくはもう二度と出ないであろう一期一会の音が連なっていきます。また、黙々と作品に対峙して音を出す金沢の姿は、演奏家というよりも、どこか求道者のような険しい気配が漂っていました。しんと静まり返った庭でししおどしの音に耳を傾けるように、静謐かつ時に鳴り響く音の妙味に感じ入るという仕掛けなのです。


(「振動態」で音の波紋を見せる金沢。)

最後は「振動態」と呼ばれるテーブル状の作品にて、音の波紋を視覚的に見ることが出来ます。ここは金沢の解説付きでした。

パフォーマンスの時間は、基本的に会期中の土日祝日、午後3時より30分ほどですが、その他のアーティストを巻き込んだイベントも予定されています。スケジュールは公式HPもご参照下さい。

展示は10月8日までです。(9/22)
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「ICHIKENTEN」 東京藝術大学大学美術館・陳列館、正木記念館

東京藝術大学大学美術館・陳列館、正木記念館(台東区上野公園12-8
「ICHIKENTEN - 東京藝術大学日本画第一研究室発表展 - 」
9/20-27



SCAIから科博へ向う途中で少し寄ってみました。芸大大学院日本画第一研究室の成果発表の展覧会です。教員、研究助手、それに院生の方々(計13名)の作品が展示されています。



どの作品も想像以上に見応えのあるものばかりでしたが、私が一番惹かれたのは、まるで古代の壁画の断片を見るかのような青木健嗣(修士一年)の「untitled」でした。画面の下方に足だけが二本、ちょうど前へと踏み出すように描かれていますが、その『失われた』足や体の全体が頭の中で補完されていくような不思議な作品です。また全体のマチエールにも非常な魅力があります。上で壁画と記したのも、目を近づければ近づけるほどそのような味わいが感じられたからです。



正木記念館の展示室は純和風です。照明も落とされた暗がりの畳と障子の空間に、スポットライトで映えた作品がインスタレーション風に並んでいます。窓枠にスッポリはめてあるのか、外の光を作品へ取り込んでさながらステンドグラスの和風版のようにした上田豊(修士二年)の「▲▲▲」、または障子越しに朱色の瀧を配したような斉藤典彦(准教授)の「epidermis - かおのか」などが印象に残りました。

 (左、正木記念館。右、陳列館。)

ところでこの「ICHIKENTEN」ですが、会場が陳列館と正木記念館の二つに分かれています。陳列館は藝大美術館の正面にあるれんが造りの建物なので馴染みも深いのですが、正木記念館には初めて入りました。ちなみに正木記念館とは、前身の東京美術学校の第5代校長、正木直彦氏の功労を記念してつくらてたという1935年造の和風建築です。ちょうどアートプラザの入場口から入ると左手にあたります。道路に沿って陳列館と平行に並んでいる建物です。

会期が短いのが残念ですが、日本画好きにはたまらない展示でした。27日、木曜日までの開催です。もちろん無料です。(9/22)
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「インカ マヤ アステカ展」 国立科学博物館

国立科学博物館台東区上野公園7-20
「インカ マヤ アステカ展」
7/14-9/24



テレビでの露出の機会も多かったかと思います。会期末の、しかも三連休中の初日ということで大変な混雑を予想しましたが、意外にもせいぜい20分程度の待ち時間で入場することが出来ました。国立科学博物館での「インカ マヤ アステカ展」です。



中南米の三文明を一挙に紹介してしまうという、やや大雑把過ぎる嫌いもある展覧会ですが、その内容は思っていたよりも遥かに充実していました。この手の企画展にありがちなレプリカの展示も殆どなく、パネル、映像も必要以上に並ぶことはありません。もちろんどこかのテーマパークのような雰囲気は漂っていましたが、各文明の貴重な文物を見るだけでもかなり楽しめました。特にミイラ、ヒスイの仮面、そして金の装飾具などは人気です。それぞれの展示ブースには人だかりが出来ています。



成立した地域も異なる三文明を客観的に比較するのはそもそも無理な話ですが、各文明には当然ながら固有の文化が存在しています。まずその時代がマヤでは何と紀元前4世紀頃から15世紀頃に渡って長く続いたのに対し、インカ、及びアステカはそれぞれ15世紀から16世紀頃に起り、せいぜい1世紀程度で滅亡しているのです。(だだし全ての文明が、メキシコ人の侵入によって滅亡することは共通しています。)またマヤでは石造りのピラミッド、アステカでは人口20万を越えたという湖上の大都市テノチティトラン、そしてインカでは有名な天空の都マチュピチュなど、その居住形態、建築のあり方も全く異なっていました。それにマヤはいわゆる中世になっても金属器を用いることがなく、またインカにはそもそも文字がないなど、一般的な発展史観より逸脱した文化形態がとても興味深く感じられます。

ところで会場は第1と第2に分かれていましたが、後者はほぼ完全なる物販スペースです。もちろんそれも会場であるのは事実ですが、さも展示品があるような雰囲気でそちらへ誘導するのはどうなのでしょうか。「この先、映像、物販コーナー。」など、端的で分かり易い表記が欲しいものです。

明日までの企画をおすすめするのも今更感がありますが、今後、以下の会場へも巡回します。「科博の企画展はちょっと…。」と敬遠する方にも楽しめるような展覧会です。また中学生以下は無料です。こういう姿勢はとても評価出来ます。(9/22)

*巡回会場
2007/10/3~12/24 神戸市立博物館
2008/1/11~3/16 岡山市デジタルミュージアム
2008/3/25~6/8 福岡市博物館
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「李禹煥 展」 SCAI

SCAI THE BATHHOUSE台東区谷中6-1-23
「李禹煥」
9/14-10/27

日本での個展は、あの思い出深い横浜美術館(2005年)以来のことだそうです。お馴染みの『余白の絵画』、または石と鉄板のオブジェにて構成された李の新作展へ行ってきました。



展示されているのは、ほぼ「照応」シリーズに近い大作の「dialogue」(2007)4点と、石と鉄板の「関係項(Relatum)」(2007)3点、そして小品のドローイング1点の計8点です。やや「関係項」に床の面積が足りない、言い換えればいささか窮屈な印象も受けましたが、各々の作品が相互に影響し合って一つの完成された、また洗練された空間つくる様子はいつものことながら見事でした。見るというよりも、その場の空気、気配を感じるようにして楽しみたいインスタレーションです。李の作品はもちろん静謐ではありますが、例えば多様な表情をとる石に代表されるように、その空間のムードを一変させてしまうような力強さも併せ持っています。

今回興味深く感じたのはまず、ギャラリーの灰色の床との関連もあるのか、鉄板が総じてまるでゴムのように柔らかく見えるということでした。また「dialogue」においても、その点がかなり明確に白からグレーへのグラデーションを描いています。(かつての作品では、一つの点にこれほど色の変化を見せるものはなかったと思います。)刷毛の痕跡、そして顔料の粒が、今にも波に洗われて消えてしまいそうな砂浜のような質感を見せて輝いているのです。言ってしまえば、李の渾身の点一つ自体が、かつての「線より」シリーズで多様に変化していた線、または点の一つでもあるのではないでしょうか。その極限に最小化された点が、今回の「dialogue」の点の、さらにはその粒一つを象っているというわけなのです。

ゆるやかな曲線を描いた鉄板がその前の石と対話し、また「dialogue」の点が天井からの光を浴びて美しく煌めいています。銭湯跡のSCAIの空間とも相性の良い展覧会です。今月27日まで開催されています。当然ながらおすすめします。(9/22)

*関連エントリ(全て2005年の横浜美術館での「李禹煥展」より。)
・展覧会レクチャー、対談関連
 李禹煥と菅木志雄の対談「もの派とその時代」
 李禹煥本人によるレクチャー「現代美術をどう見るか」
 横浜美術館学芸員柏木氏によるレクチャー「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」(その1その2
・美術館前庭の「関係項」(写真
・展覧会の感想(一回目二回目

(上に挙げた画像は、SCAIでの前回の個展の様子です。TABより。)
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「都市のフランス 自然のイギリス/若冲とその時代」 千葉市美術館

千葉市美術館千葉市中央区中央3-10-8
都市のフランス 自然のイギリス/若冲とその時代
8/7-9/17(会期終了)

 

既に会期も終えているので、二つまとめて手短か(ようは手抜きですが…。)に触れます。先日まで千葉市美術館で行われていた、「都市のフランス 自然のイギリス」と「若冲とその時代」です。メインは前者が、そして若冲の方は半ば常設展扱いとして開催されていました。

 

話題性こそ若冲に劣りますが、見応えは川越の美術館からの巡回だという「都市のフランス 自然のイギリス」の方にあったと思います。ただ、ちらしだけは、今回の展示内容を明確に指し示していなかったかもしれません。と言うのも展示の中心は、例えば表紙にもあるコンスタブルや裏面のロセッティの油彩画群ではなく、あくまでも18世紀末より19世紀にかけての英仏の挿絵や版画なのです。当時の風俗を捉えたカヴァルニやドーミエの作品から、ファンタン=ラトゥールの石版画挿絵やブレイクの黙示録的世界観に基づく版画、それにターナーのエッチングなどがズラリと揃っていました。もちろん後期展示の売り物でもあったロセッティの「レディ・リリス」(1867)の美しさは格別でしたが、(以前、府中で見たロセッティにはあまり良い印象を持ちませんでしたが、今回は素晴らしかったと思います。)見るべきはやはりこれらの小品にあったのでしょう。詳細なキャプション等、展示の理解を深めるための配慮も為されていました。英仏のロマン主義、または自然主義の流れを追うのにも最適な展示だったと感じます。



さて一方の「若冲とその時代」ですが、この展覧会では館蔵の「鸚鵡図」をはじめとする計8点の若冲より、むしろ第二章で紹介されていた南蘋派の展示を評価するべきではないでしょうか。南蘋派と言えば、先日泉屋博古館・分館で見た沈南蘋の大作を思い出しますが、今回はそれほどの名品こそなけれども、諸葛監、岡本秋暉、宋紫石らの約25点にてしっかりと楽しませてくれました。もちろん率直に申し上げると、どこかエキゾチックな印象もある南蘋派は今ひとつ好きになれませんが、当時画壇に多大な影響を与えたそれらの展示は、たんに若冲の流行にのっただけではないというこの展覧会の存在意義を示すことにも繋がっています。ちなみにその観点を抜きにして素直に惹かれたのは、長沢蘆雪、曽道怡の「花鳥蟲獣図鑑」でした。雀を描かせて蘆雪の右に出る者はいません。雀の鳴き声が今にも聞こえてきそうなほど生き生きとしています。

「若冲とその時代」では、美術館にてメールアドレスを登録すると、作品の解説がWord形式にて送られてくるというサービスが行われていました。図録がないことによる措置なのかもしれませんが、こういう企画は大歓迎です。是非、他の美術館でも取り入れて欲しいと思います。(9/9)
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「ル・コルビュジエ展」 森美術館

森美術館港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)
「ル・コルビュジエ展 - 建築とアート、その創造の軌跡 - 」
5/26-9/24



ロングランの展覧会ですが、確かにこの内容なら長期間にわたって開催するのも無理ありません。絵画、図面、映像、そして中に入ることも可能な原寸大の再現模型など、ありとあらゆる手段でコルビュジエの全貌を明らかにします。



構成は以下の通りです。詳細は公式HPをご参照下さい。

1「アートを生きる」:初期ピュリスム的絵画。原寸大のアトリエ。
2「住むための機械」:近代建築の五原則。「サヴォア邸」。彼のデザインした家具、または車など。
3「共同体の夢」:公的プロジェクトへの参加。「ソヴィエト・パレス」。
4「アートの実験」:後期抽象主義的絵画、及び彫刻。
5「集まって住む」:マルセイユの「ユニテ」の内部を原寸大で再現。
6「輝ける都市」:コルビュジエの都市計画を紹介。「アルジェの都市計画」など。
7「開いた手」:実現した唯一の都市計画、インド、「チャンディガール」。
8「空間の奇蹟」:宗教建築。「ロンシャン礼拝堂」など。
9「多様な世界へ」:東京・上野「国立西洋美術館」など。
10「海への回帰」:毎夏、妻と休暇で訪れていた「カップマルタンの小屋」(カバノン)を原寸大で再現。



この展覧会の展示上の特徴を述べれば、上記の構成を見ても明快なように、原寸大の再現模型と、あまり見慣れないコルビュジエの絵画の紹介にあります。そもそも導入部分は、おおよそ一般的な建築展にはない絵画群の展示です。フォーブ、セザンヌ、それに後にピカソを思わせるその絵画自体に魅力があるかどうかは不明ですが、例えば初期の「暖炉」(1918年)におけるモチーフの白い直方体は、まさに後に彼が手がけた「サヴォア邸」(1928~31年)を予兆させるものすらあります。ちなみにコルビュジエは、パリにある自身の設計したアパートのアトリエ内にて33年間、ほぼ毎日の午前中を絵画制作に費やして過ごしていたのだそうです。さすがにコルビュジエを画家とするには抵抗がありますが、彼を建築家にとどまらない一人のアーティストとして捉えることも可能であると言えるでしょう。この文脈に沿えば、数多くのデザインを手がけた椅子などの家具や、実際にコンペにも出品したSFテイストな車、「最小限自動車」(1928年)も、決して一建築家の片手間な仕事として退けることが出来なくなるわけです。



インスタレーションとしても楽しめる原寸大模型で圧巻なのは、全337戸、おおよそ1600人が生活したという巨大集合住宅、マルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」(1952年)です。ここでは、ユニテの一戸分、2階建ての住居空間をそのまま再現して紹介していましたが、特に中庭を思わせるバルコニーや、まるで洞窟のようなバスルームなどが印象に残りました。また展覧会の最後にある「カバノン」(1951年)も魅力ある再現模型です。コルビュジエの妻イヴォンヌのために建てられたという、僅か約8畳一間という小屋は、小型のベットや椅子が並ぶだけの簡素極まりない作品ですが、最低限必要なものだけで構成された空間とその狭さに、さながら隠れ家にいるような居心地の良さを見出すことが出来ました。一般的にコルビュジエ建築は非常に多様で、どれか一点だけを取り上げて語ることは困難ですが、もし初期から晩年までの建築物のエッセンスが最大限に詰まったものを挙げるとしたらまさしくこれではないでしょうか。ドミノより派生する「箱」と、ロンシャンにおける造形美、またはその包み込まれるような空間を、このカバノンに見ることが出来るのです。



日本でコルビュジエと言えば、上野の国立西洋美術館ですが、展示ではその模型やスケッチも紹介されています。と言っても、それは現在の美術館の姿とは大きく異なり、当初、彼が想定していた複合的な施設でした。(予算等の都合により、コルビュジエの計画は、現在の美術館本館だけが実現しています。)今、世界遺産にも登録されようというこの建物は、他のコルビュジエ作品と比べるとやや魅力に欠けるような印象も受けますが、日本に彼の建築物があること自体が殆ど奇跡的なことですらあるのかもしれません。(上野にある好きな建物としては、一番に谷口の法隆寺宝物館、二番目にコルビュジエの弟子、前川による文化会館を挙げたいと思います。)



じっくりと時間をかけて味わいたい展覧会です。一人のアーティストとしての道程を追いながら、結果生まれた建築物の面白さを存分に楽しむことが出来ます。

今更ですが、以下の新書がおすすめです。簡潔ですが、内容が展覧会に一部準拠しており、私のような素人にも理解が深まります。

「ル・コルビュジエを見る―20世紀最高の建築家、創造の軌跡/越後島研一/中公新書」

次の三連休、24日までの開催です。(9/9)
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「磯辺行久 SUMMER HAPPENING」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「磯辺行久 SUMMER HAPPENING」
7/28-9/30



美術家、または環境計画家(公式HPより。)としても活動する磯辺行久(1932~)の業績を紹介する展覧会です。共催のジブリ(男鹿和雄展)の影に隠れて全くと言っていいほど目立っていませんが、一人のアーティストの軌跡を見るには十分な内容でした。



まずは失礼ながら磯辺行久とは何ぞやということですが、彼は近年、主に越後妻有のトリエンナーレなどに参加し、地域コミュニティや自然環境を主題したいわゆる「ランド・アート」を展開しているアーティストの一人だそうです。上にも記した「環境計画家」というのが、どうも漠然とした、何かよく分からないような印象も与えますが、彼が越後妻有で手がけている仕事を見ると、その一片を感じ取れるような気がします。2000年のトリエンナーレで行った「川はどこへいった」は、ダム建設等で整備された信濃川のかつての姿を見せるべく、昔蛇行して流れていた川の場所を黄色い旗で繋げたインスタレーションです。また今回も、ここ木場の歴史や水との関連を捉えた新作のインスタレーション、「東京ゼロメートル」(2007)を展示しています。(一番下の写真です。)これは、かつて東京に影響を与えた台風の時の潮位などを、美術館の中庭のガラス窓一面に線で表した作品です。最大では美術館の3階部分にまで達するという大潮時の高波の線などを、台風情報を伝えるラジオをBGMにして見ることが出来ました。これらはいつかあり得る災害への警鐘でもあるようです。



このような近年の磯辺の活動を辿ると、キャリア初期の作品はあまりに奇異で、また唐突にも思えてしまいます。と言っても彼は元々、1950年代に、かの瑛九らが主催したデモクラート美術協会に参加した画家、版画家であった人物です。展覧会の導入より中盤部分にかけては、ユトリロ風の重厚な油彩画や、通称「ワッペン」とも言われるレリーフ状の絵画、または抽象パターンをとるリトグラフなどがいくつも紹介されていました。(ただしこのワッペンだけがその良さがまるっきり分かりませんでした。あえて言えば、靴底の型がたくさん張付けられているような作品と言えるかもしれません。)また、60年代に手がけられた、宗達の風神雷神をモチーフに借りた木箱と襖絵を合体させたようなオブジェなども展示されています。ちなみに彼がこのような表現を抜け、「ランド・アート」の方向へ進みはじめたのは、ニューヨークに滞在した1960年代半ばの頃だそうです。展示室のアトリウムにも、彼が1970年にニューヨークで手がけ、当時ユニオン・スクエアに設置されて一世を風靡したという「エア・ドーム」が再現されています。観客は、その中へと入って、当時の展示の模様を紹介した映像を見るという仕掛けなわけです。

人気の男鹿和雄展は、入場までに何と約110分待ちの掲示が出ていましたが、こちらは会場内に10人いるかどうかとさえ怪しいほど閑散としていました。強いて言えば、男鹿展の行列の波に入口が埋もれてしまい、一体どこで開催しているのか分からないほどです。少なくともこの展覧会については、男鹿展との相乗効果は全くをもってゼロに等しいようです。

 

もう一歩、ランド・アートを紹介する展示にボリュームがあればとも思いました。(初めの「ワッペン」やオブジェがかなり多く紹介されています。)今月30日までの開催です。(9/15)
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「月を愛でる」 UKIYO-E TOKYO

UKIYO-E TOKYO江東区豊洲2-4-9 アーバンドックららぽーと豊洲1階)
「月を愛でる - 描かれた月の風情と物語 - 」
9/1-24

マイブーム中の月岡芳年が多く出品されていると聞き、少し足を伸ばしてみることにしました。今、話題の街(?)豊洲のららぽーと内にある、浮世絵専門の小さな施設です。広重の名所百景や、芳年の「月百姿」など、タイトルの通り月をテーマとする作品約70点ほどが展示されていました。



「月百姿」はつい先日、小石川の美術館で見たものといくつか重なりましたが、やはり芳年に特徴的な『映像』を思わせる作品が魅力的です。中でも特におすすめしたいのは、「大物海上月 弁慶」(1886)でした。まるで炎のように靡く波頭を持った波が、今にも弁慶の乗る小舟を襲わんとばかりに力強く迫出しています。艶やかさえ感じる黒光りした波はもちろんのこと、背後にて神々しくも構える満月の味わいはもはや超現実的であるとも言えるでしょう。また波に全く動ぜず、ただひらすらに泰然と構えて船を操る弁慶の姿も印象に残りました。まさに芳年ならではの冴えた構図、または不気味でさえある奇抜な配色を楽しめる名品だと思います。

 

弁慶に見る激しさこそありませんが、全く対照的な静けさの魅力を楽しめるものとして挙げたいのは、この「むさしのの月」(1891)です。やせ細って水面を見る狐と、そこに覆い被さるように群れたすすき、そして中央の満月の組み合わせは、とても静謐でかつ幽玄な雰囲気を醸し出しています。また好きな「夕顔棚納涼」(1886)を再び見られたのも嬉しいところでした。亡霊のような夕顔がぼんやりと立ちすくんでいます。全体を覆う水色の発色も鮮やかでした。

最後に、このやや場違いな印象もある「UKIYO-E TOKYO」について触れたいと思います。その前身はミシンメーカーのリッカーの創始者であり、またコレクターでもあった平木信二氏の浮世絵コレクションを公開するため、1972年にオープンした「リッカー美術館」(平木浮世絵財団)です。もちろん現在も同財団が「UKIYO-E」を運営しているわけですが、その後、ここ豊洲に至るまでの経緯がかなり複雑です。(1984年、リッカーが倒産。→1993年、美術館閉鎖→その後、横浜そごうへ「平木浮世絵美術館」としてオープン。→そごう破綻のため新橋へと移転。→2006年、豊洲ららぽーと内に再オープン。)残念ながら今のスペースも、全6000点、うち重要文化財13点という日本でも指折りな浮世絵のコレクションを展示するにはあまりにも狭く、また情報発信をするにも公式HPすらなく、さらには集客においてもららぽーとの賑わいをまるで取り込めていない有様でしたが、まずは地に足を着けて息長く運営されることを望みたいと思いました。(ちなみに展示リストはあります。)


次回展示のちらしです。(クリックで拡大します。)

今月24日までの開催です。(9/15)


美術館全景。ららぽーととして殆どオマケのような施設なのかもしれません。あまり目立たない場所にありました。館内マップは必携です。
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「工藤麻紀子展」 小山登美夫ギャラリー

小山登美夫ギャラリー江東区清澄1-3-2 7階)
「工藤麻紀子展」 
9/1-22



DMやWEB画像を見る限りではそれほど惹かれるものがなかったのですが、(むしろこの感じは苦手ですらあります。)実際に接すると意外と感ずるものがありました。主に「不思議な心象風景」(画廊HPより。)を手がけるという、工藤麻紀子の新作個展です。

奥の広い展示室にある、横3メートル超の大作ドローイング三点が見応え十分です。ポップな感触の、言い換えればややドギツくもある色彩の渦につつまれているのは、どこか寂し気な面持ちで佇む一人の少女でした。彼女は時にどこにでもありそうな都市の公園や、はたまた草木も枯れて折れている山奥の荒れ地に、奇妙なほど希薄な存在感をもってただポツンと立ち、また寝そべっています。それこそ自分が今、どこにいるのかさえ分からない、まさに彷徨っているかのような面持ちです。あたかも夢の中の情景を泳いでいるような雰囲気さえたたえています。

工藤麻紀子は2004年、オペラシティーアートギャラリーで開催された「タイム・オブ・マイ・ライフ 永遠の少年たち」にも展示があったようです。(同館HPでも確認出来ます。)残念ながら私もこの展覧会へ行っていながら、彼女の作品を覚えていないのですが、これからは注視して見ようと思いました。

共催なのでしょうか。タイミング良く、神楽坂の高橋コレクションでも工藤の個展が開催されています。そちらも時間を作って行くつもりです。

今月22日まで開催されています。(9/15)
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「小林正人 Light Painting」 シュウゴアーツ

シュウゴアーツ江東区清澄1-3-2 5階)
「小林正人 Light Painting」
9/1-29

小林の意図(*1)が果たして作品に反映されていたかどうかは分かりませんが、少なくとも新機軸ともなりうる表現が展開されているのは確かです。シュウゴアーツで開催中の小林正人の新作展へ行ってきました。



その木枠より解放されているかのようなキャンバスの味わいは、いつもの小林絵画の雰囲気をとどめていますが、今回は作品という作品の全てがシルバー一色で占められていました。ムラのない、全く澱みのない輝かしい銀の世界は、例えば銀屏風のような艶やかな感触を纏っていますが、それでいながらどこかアルミホイルかレジャーシートを張ったような、言わば一種のメタリックな質感を感じさせている部分も興味深いところです。展示室の照明を写り込ませながら、あたかも他の作品と共鳴するかのように銀の輝きをただ淡々と放っています。それがもしかしたら主観的要素の入り込ませる余地のない、光そのものであるのかもしれません。

これまでにもシュウゴアーツで小林の作品を見てきましたが、まさかこのような形の新作が登場するとは思いもよりませんでした。これらが今後、どのように評価されるのかも気になる、ある意味でかなり過激な作品でもあると思います。

今月29日までの開催です。(9/15)

*1 光を題材として捉えるのではなく、光そのものを抽象的に絵画という物資として出現させた。(公式HPより。)
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