「インゲヤード・ローマン展」 東京国立近代美術館工芸館

東京国立近代美術館工芸館
「インゲヤード・ローマン展」 
9/14〜12/9



東京国立近代美術館工芸館で開催中の「インゲヤード・ローマン展」を見てきました。

1943年にストックホルムに生まれたインゲヤード・ローマンは、北欧を代表するデザイナーでありながら、陶芸家としても知られ、シンプルを基本としたガラス食器や陶磁器を生み出しています。



日本で初めての本格的な個展です。ローマン自身の選んだ代表作を中心に、ガラスメーカーのスクルフや、イケアのためのデザインのほか、日本の木村硝子店とコミッションワークした作品などが展示されていました。

スウェーデン家具の父とされるカール・マルムステンの創立した手工芸学校に学んだローマンは、のちにイタリアで陶芸に触れ、20代にして陶業をはじめました。



そしてガラスメーカーのヨハンスフォース社に在籍し、同じくメーカーのスクルフ社のデザイナーとして活動しました。1998年には、スウェーデン王室より芸術の優れた業績を顕彰した、プリンス・オイゲン・メダルを授与されました。



デザインに際しては、「自分が使いたいもの、使い勝手が良いもの」をコンセプトとしているそうです。さらに「使われてはじめてデザインの価値は生まれる」と考えていて、中には発表後もデザインの修正を行うこともあるとしています。

イケアとの仕事では、ローマンの代表作であるガラス食器のほかに、竹素材を含む天然素材を使った家具も制作しました。またいわゆる大量生産ではなく、職人の手仕事を重視していて、ローマン自身も工場に赴いては、共同で作業することもありました。

はじめてローマンが来日したのは、1982年のことでした。以来、複数回訪ねては、古い寺院や現代の建築を歩きました。さらに学生の頃、本や美術館で見た日本の食器に触発されたこともあったそうです。



近年では日本でも協働プロジェクトを手がけるようになりました。その1つが2016年、有田焼の老舗、香蘭社とのコラボで、「ティー・サービス・セット」を発表しました。白と黒のシンプルなデザインで、釉薬もプロジェクトのために新たに開発されました。

2017年には、木村硝子店より11種類のガラス製品を生み出しました。ワイングラスやカップは緩やかな曲線を描いていて、「THE SET」においては、重ねて収納すると蓮の花に見えるようにデザインされています。



薄はりのガラスは、実に繊細な表情をたたえているのではないでしょうか。また一部では、自然光を取り込んでいて、ガラスの影が、展示台へ美しい文様を描いていました。独特の浮遊感があるのも特徴で、しばらく眺めていると、不思議とシャボン玉が浮いているイメージが思い浮かびました。

「シンプルであること、機能的であること、そして美しさ、それをつなぐのが私の仕事。 」インゲヤード・ローマン *解説より



展示デザインは、ストックホルムの建築設計事務所、「CKR」が担当しています。同事務所はローマンの工房も設計していて、今回の個展に際しては、工芸館を視察し、会場のプランニングが行われたそうです。一連の空間デザインも見どころと言えそうです。


順路中盤の1つの展示室のみ撮影が出来ました。(写真は全て撮影可作品。)



12月9日まで開催されています。

「インゲヤード・ローマン展」 東京国立近代美術館工芸館@MOMAT60th
会期:9月14日(金)〜12月9日(日)
休館:月曜日。但し9月17日、24日、10月8日は開館。9月18日(火)、9月25日(火)、10月9日(火)は休館。
時間:10:00~17:00 
 *入館は閉館30分前まで
料金:一般600(400)円、大学生400(200)円、高校生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *11月3日(土・祝)は文化の日のため無料。
場所:千代田区北の丸公園1-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩8分。東京メトロ半蔵門線・東西線・都営新宿線九段下駅2番出口より徒歩12分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 後編:六角堂・五浦岬公園

「前編:茨城県天心記念五浦美術館」に続きます。日本美術院のゆかりの地、北茨城の五浦へ行ってきました。

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 前編:茨城県天心記念五浦美術館(はろるど)



天心記念五浦美術館から記念公園を経由して、天心遺跡、つまり茨城大学五浦美術文化研究所へは、ゆっくり歩いて15分ほどでした。途中、ホテルや民宿が立ち並んでいましたが、人影はほぼ皆無で、車のみが往来していました。実際、五浦へのアクセスは、車がメインのようでした。


「茨城大学五浦美術文化研究所」入口の「長屋門」。杉皮を竹で押さえた屋根が特徴的です。

1913年に天心が没すると、旧天心邸、六角堂、長屋門からなる天心遺跡は、しばらく遺族の住まいとして使われました。そして1942年に天心偉績顕彰会が管理を引き受けると、1955年に茨城大学へ寄贈され、茨城大学五浦美術文化研究所として整備されました。現在は広く一般に公開されています。


「茨城大学五浦美術文化研究所」敷地内。

風情のある長屋門が待ち構えていました。天心の時代から建ち、管理室や受付として利用されている施設で、2003年には旧天心邸や当時の六角堂と並び、国の登録有形文化財に指定されました。


「天心記念館」建物入口。

敷地内は高い松林で覆われていて、門のすぐ左手には、天心に関した資料を公開する天心記念館がありました。1963年に建てられた施設で、中には平櫛田中の「五浦釣人」や「岡倉天心先生像」、それに天心の釣舟の「龍王丸」などの資料が展示されていました。


「旧天心邸」。天心の没後、改築が繰り返され、当初の半分ほどの建坪しか残っていません。

そして左手に海岸を望みながら坂を下ると、まさに天心の住まいであった旧天心邸が姿を見せました。元来、天心は、五浦で古い料亭を住まいとしていたものの、その建材を用いて自邸を建てました。また当初は62坪あり、後に拡張されたものの、天心が没すると、書斎や浴室の一部が撤去されました。



旧天心邸の前には小さな芝生の庭がありました。そこからも海を望め、岩を砕く波音も絶えず聞こえてきました。なお天心は、ここにボストンから取り寄せた芝を植え、洋風の庭を築いたとも言われています。


「六角堂」。戦後の解体修理で「観瀾亭」の棟札が発見され、正式な名が判明しました。

さらに海岸へ降りると、天心自身が築き、観瀾亭と呼んだ六角堂が姿を見せました。海の際の岩の上に建つ朱塗りの小さな楼閣で、ここで天心は瞑想に耽り、また釣り糸を垂らしました。


「六角堂」を上から見る。

建物は、中国の草堂を参照したとされるものの、屋根の宝珠は仏堂のようで、内部は茶室の役割も兼ねられていました。中国、インド、日本の伝統思想が、一つの建物で表現されていると考えられています。(諸説あります。)



しかし六角堂は創建当時のものではありません。かの東日本大震災です。五浦を襲った大津波は六角堂を飲み込み、台座部分のみを残して、無残にも建物の全てを破壊してしまいました。さらに津波は六角堂を超え、旧天心邸のある庭園まで到達し、邸宅の廊下の直下にまで水が達しました。結果的に津波の遡上高は、10メートルにも及びました。



現在の六角堂は震災から一年後に再建されたものです。「観瀾亭」とは、大波を見るための東屋を意味するそうですが、まさか自らの堂が津波で消失するとは、天心も思いもつかなかったのではないでしょうか。崖の入り組んだ地形もあり、五浦は茨城県内でも特に津波が高かったそうですが、災害の恐ろしさを改めて感じました。


五浦岬公園から「六角堂」を眺める。

さて茨城大学五浦美術文化研究所を見学したのちは、五浦海岸や六角堂を一望出来る五浦岬公園へと向かいました。ちょうど六角堂のある大五浦の南側の小五浦にある岬の公園で、六角堂からはアップダウンのある小道を歩いて、約10分強かかりました。


映画「天心」のオープンセット

五浦岬公園では、2013年の映画「天心」のオープンセットが公開されていました。「日本美術院研究所」を復元していて、内部では大観や春草などの人形で、映画のワンシーンを再現していました。制作の様子もよく伝わるのではないでしょうか。


オープンセットの内部。観光案内のパンフレットなどもありました。

さらにパネルなども多数並んでいて、係の方もおられ、映画や日本美術院について説明して下さいました。またセットの見学には料金はかかりませんが、火・水・木曜日が定休日の上、荒天時には公開しない場合もあるそうです。お出かけの際は、あらかじめ市の観光協会へ問い合わせておくのも良さそうです。


五浦岬公園。五浦海岸のほぼ南端に位置します。

朝10時頃に大津港へ着き、茨城県立天心記念五浦美術館、そして旧天心邸や六角堂からなる茨城大学五浦美術文化研究所、さらに五浦岬公園を歩いて回ると、ゆうに昼時を過ぎていました。

なお今回の北茨城への旅に際しては、gooいまトピのyamasanさんの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

日本美術の聖地・五浦へ
https://ima.goo.ne.jp/column/article/5715.html

最後に余談ですが、山種美術館で見た、横山大観の「蓬莱山」(「日本画の挑戦者たち」に展示中。会期:9月15日〜11月11日。)が五浦の景観と重なりました。


横山大観「蓬莱山」 昭和14年頃 山種美術館 *特別内覧会時に許可を得て撮影。

晩年の作品ではありますが、切り立つ崖や高い松林など、若き大観が見た景色が僅かにでも反映しているのでしょうか。どうしても五浦の光景を思い出してなりませんでした。



半日で巡る五浦への旅。ここに日本美術院の画家の創作の原点があるのかもしれません。

「茨城大学五浦美術文化研究所」(長屋門・旧天心邸・六角堂)
休館:月曜日。
 *月曜日が祝日の場合は翌日休館。年末年始(12月29日〜1月3日)。
時間:8:30〜17:30(4月~9月)、8:30〜17:00(10月、2月、3月)、8:30~16:30(11月~1月)
 *入場は閉館の30分前まで。
料金:一般300円。中学生以下無料。
 *20名以上の団体、及び70歳以上は200円。
住所:茨城県北茨城市大津町五浦727-2
交通:JR線大津港駅よりタクシー約10〜12分。火・木・金曜のみ市巡回バスあり。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 前編:茨城県天心記念五浦美術館

日本美術院のゆかり地である、北茨城の五浦へ行ってきました。


五浦海岸。「関東の松島」とも呼ばれています。

1906年、日本美術院を北茨城の五浦へ移した岡倉天心は、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らともに住みながら、日本画の研鑽を積ませました。その五浦には、今も当時の活動を伝える施設が残されています。


大津港駅。駅舎が六角堂を模していました。

その1つが、茨城県立天心記念五浦美術館で、最寄り駅はJR常磐線の大津港駅でした。上野駅から特急「ひたち」に乗車し、一路、大津港駅を目指しましたが、「ひたち」は同駅に停車しません。よって、少し手前の磯原駅で降り、普通列車に乗り換えて、大津港駅に着きました。上野駅からの所要時間は、おおよそ2時間20分程度でした。


茨城県立天心記念五浦美術館。正面より。

五浦美術館へは、駅から道なりで約2キロほどあります。歩くと40分程度かかるため、まずは駅ロータリーからタクシーに乗車し、美術館へと向かいました。駅正面から直進し、ややアップダウンのある道を右手へ曲がってさらに進むと、五浦美術館の入口が見えてきました。ちょうど運賃は1000円でした。



五浦海岸の崖の上に建つ美術館は、想像以上に立派な建物でした。手前にロータリーと駐車場があり、美術館の左右には遊歩道がのびていて、展望台も整備されていました。そこから太平洋を一望することが出来ました。


「茨城県立天心記念五浦美術館」全景。敷地も広大でした。

1997年に開館した美術館は、広いエントランスロビーとAからCの3つの展示室、それに天心の業績を顕彰する岡倉天心記念室などからなっていて、カフェテリアやショップもありました。全体に人出こそ疎らでしたが、観光コースでもあるのか、団体の来場者の姿も見受けられました。


「企画展 金 -KIN-」パネル。金箔や金泥などの技法についても説明がありました。

ちょうど私が出向いた際に開催されていたのが、金に関した日本画を紹介する「企画展 金 -KIN-」でした。そこでは日本美術院の画家である下村観山の「老松」をはじめ、白い猫と黒い烏を対比的に表した菱田春草の「猫に鳥」のほか、秋の野を美しい色彩で表現した木村武山の「小春」などが展示されていました。

またそうした明治や大正期の作品だけでなく、片岡球子の「春の富士」(昭和63年)や、畠中光享の「帰去来」(平成18年)など、現代の作家の作品も網羅されていました。全部で14点と、作品数自体は少ないものの、大作の屏風絵も目立っていて、かなり見応えがありました。


新海竹蔵「岡倉天心肖像レリーフ」 昭和17(1942)年 *撮影可

岡倉天心記念室では、書簡や遺品、それにレプリカや書斎の再現などで、天心の生涯と、五浦における日本美術院の活動を紹介していました。また館内の撮影は出来ませんが、入口の天心のレリーフのみ可能でした。



一通り、展示を見終えると、外へ出て、遊歩道を散策することにしました。松林越しに太平洋が開けていて、眼下には海を望むことが出来ました。起伏のある入江と高い松林を特徴とした五浦海岸は、「日本の渚100選」にも選定された景勝地で、その北の際に美術館が位置していました。



そして美術館を後にして、旧天心邸や六角堂などからなる天心遺跡、現在の茨城大学五浦美術文化研究所へと歩いて向かいました。


「日本美術院跡」石碑。奥村土牛の筆だそうです。

天心遺跡公園近くへ至る小道を進むと、日本美術院の跡地を示す石碑や筆塚が姿を現しました。一帯は、長らく荒地になっていたものの、1980年に岡倉家より管理委託を受け、記念公園として一般に公開されました。しかし現在は、東日本大震災の影響によって、立ち入りの多くが規制されています。


岡倉天心の墓。土饅頭型と呼びます。

さらに五浦観光ホテルを過ぎ、美術研究所に近づくと、天心の墓がありました。天心は、東京の駒込の墓地に埋葬されましたが、遺言によって、五浦にも分骨されたそうです。



「後編:六角堂・五浦岬公園」へと続きます。

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅 後編:六角堂・五浦岬公園」(はろるど)

「企画展 金 -KIN-」 茨城県天心記念五浦美術館
会期:8月31日(金)~10月8日(月・祝)
休館:月曜日。
 *但しただし9月17日(月・祝)、9月24日(月・振)、10月8日(月・祝)は開館。9月25日(火)は休館。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
 *10月からは9:30~17:00
料金:一般310(260)円、70歳以上150(130)円、大学・高校生210(150)円、中学・小学生150(100)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *土曜日は高校生以下無料。
住所:茨城県北茨城市大津町椿2083
交通:JR線大津港駅よりタクシー約7〜8分。火・木・金曜のみ市巡回バスあり。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~」 加島美術

加島美術
「SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~」
9/15~9/29



加島美術で開催中の「SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~」を見てきました。

昨年、同じく加島美術にて回顧展が開かれた日本画家、渡辺省亭(1851~1918)。松岡美術館や山種美術館でも同時に一部の作品が公開され、美術ファンの間で注目が集まりました。

ここに「リターンズ」、省亭の作品を見る機会が再びやって来ました。ただし「リターンズ」とはいえ、重要なポイントがあります。それが前回出展された作品と重複がないことです。つまり同じ作品は一つとしてありません。



四季の花鳥を12幅の掛軸に描いた「十二ヶ月」に魅せられました。左から1月、2月と続き、一番右に12月が並ぶ作品で、省亭ならではの鮮やかな色彩と、硬軟を交えた筆致にて、季節の移ろいを巧みに表していました。



ともかく鳥の表情が実に生き生きとしていて、目の中に光が放たれ、「眼力」(解説より)があり、まるで生命を宿しているかのようでした。さらに草花の描写も実に瑞々しく、湿り気を帯びた花弁や葉の感触も伝わってきました。



地面でにょろりとのびるつくしや、可憐に咲くタンポポなど、野山の小さな植物にまで、実に繊細に表されていました。単に写実的に描いただけではない、省亭の草花や生き物に対しての温かい眼差しも感じられるかもしれません。



その花をモチーフとした美しい作品に心惹かれました。それが「牡丹之図」で、大きな紅色の牡丹の花を中心に、一羽の雀を描いていました。牡丹は薄いワイン色に染まり、大きな花弁を開いている一方、一部の蕊と花びらは落ちていて、雀が何やら怪訝な様子で見遣っていました。



ひょっとすると雀がやってきて、牡丹に触れたゆえに、花びらが落ちてしまったのかもしれません。こうした小動物に動きを伴うのも、省亭画の1つの魅力と言えそうです。



「葡萄に鼠図」は細部に要注目です。葡萄の入れられた籠の前には一匹の鼠がいて、何やら糸にいたずらするように手足を伸ばしています。その様子自体も可愛らしく見えましたが、よく見るとこの絵にはもう一匹の鼠が描かれていました。



まるで隠れるように潜んでいるので、すぐには気がつかないかもしれません。是非、探してみて下さい。



そのほかにも省亭が絵をつけ、濤川惣助が制作した七宝もいくつか展示されていました。なお一連の省亭の作品は、日仏政府の合同主催の「ジャポニスム2018」の公式企画として、10月からパリのギメ東洋美術館で開催される展覧会に出展も決まりました。いわば海外でのお披露目の前の最後の国内での展覧会となります。



省亭は1878年、パリへと出かけ、万博で「群鳩浴水盤ノ図」で銅牌を受賞するとともに、同地の日本美術愛好家を「熱狂」(解説より)させ、マネやドガらの印象派の画家と交流し、日本画の技法を紹介しました。



さらに帰国後もパリで開かれた日本美術の展覧会で「雨中狗兒」などが出品され、批評家の激賞を得ました。フランスでも早い段階から認められた、明治の日本人の画家の1人として知られています。



今でこそパリでは省亭の絵はほとんど残されていませんが、今度の「ジャポニスム2018」の展覧会は、再び同地で画家の名を知らしめる格好の機会となるかもしれません。



会期は僅か半月間です。観覧に料金はかかりません。撮影も可能です。また9月23日に展示替えが行われ、一部の作品が入れ替わりました。


9月29日まで開催されています。

「SEITEIリターンズ!!~渡邊省亭展~」 加島美術@Kashima_Arts
会期:9月15日(土)~9月29日(土)
休館:会期中無休。
時間:10:00~18:00
料金:無料。
住所:中央区京橋3-3-2
交通:東京メトロ銀座線京橋駅出口3より徒歩1分。地下鉄有楽町線銀座一丁目駅出口7より徒歩2分。JR線東京駅八重洲南口より徒歩6分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「北川宏人展ーWOMENー」 日本橋高島屋美術画廊X

日本橋高島屋美術画廊X
「北川宏人展ーWOMENー」 
9/19〜10/8



日本橋高島屋美術画廊Xで開催中の「北川宏人展ーWOMENー」を見てきました。

1967年に滋賀県で生まれた北川宏人は、金沢美術工芸大学で彫刻を学んだのち、8年間イタリアへ渡っては、テラコッタによる立体技法を学びました。

実に高島屋としては10年以上ぶりの個展です。(前回は2007年。新宿高島屋にて開催。)現代の若い世代の女性をモチーフとした、大小に様々な人物彫刻が展示されていました。



ともかくまず印象的なのは、いずれの女性も直立不動で、なおかつ大変に細身であることでした。そして短い髪を垂らしながら、ワンピースや水着をつけていて、身体のラインが浮き上がっていました。



さらに皆、前を見据えていて、大きな瞳を見開いては、穏やかに口を閉じていました。中には虚ろな表情をしている女性もいましたが、逆に上から見下ろすように強い視線を向ける女性もいて、一様に捉えることは出来ませんでした。そうした各人に微妙に異なった表情を見比べるのも、興味深いかもしれません。



北川は元来、テラコッタに彩色を施す技法で作品を制作していましたが、2013年頃から釉薬をかけて焼成するスタイルに移行しました。また以前は低温で焼成を行っていたものの、近年はより高温を利用するようになったそうです。

テラコッタ特有のざらりとした感触と、釉薬による光沢感が巧みに混じり合った、独特の質感表現も魅力的ではないでしょうか。確かに彫刻でありつつも、陶芸的な味わいが感じられました。



撮影が可能です。10月8日まで開催されています。

*写真はいずれも「北川宏人展ーWOMENー」(日本橋高島屋美術画廊X)より。東京展終了後、高島屋横浜店美術画廊(10月24日〜30日)へと巡回。

「北川宏人展ーWOMENー」 日本橋高島屋美術画廊X
会期:9月19日(水)〜10月8日(月)
休館:会期中無休。
時間:10:30~19:30 
料金:無料。
住所:中央区日本橋2-4-1 日本橋高島屋本館6階
交通:東京メトロ銀座線・東西線日本橋駅B1出口直結。都営浅草線日本橋駅から徒歩5分。JR東京駅八重洲北口から徒歩5分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「世界を変えた書物展」 上野の森美術館

上野の森美術館
「世界を変えた書物展」 
9/8〜9/24



金沢工業大学の「工学の曙文庫」の稀覯本コレクションが、上野の森美術館へとやって来ました。

それが「世界を変えた書物展」で、「工学」の名が示すように、主に科学技術に関した稀覯本が多く展示されていました。



冒頭の「知の壁」からして圧倒的な迫力でした。というのも、ご覧のように、独特な曲線を帯びた書庫が天井付近まで連なり、多くの古書が収蔵されていて、まるで古い時代の図書館へにでも迷い込んだかのようでした。



いずれも同大学の建築学部の学生による手作りの棚で、主に建築関連の書物が展示されていました。一部は通路状となり、頭上にも多数の書物が連なっていて、どこか圧迫感を覚えるほどでした。もちろん1つとしてレプリカはなく、手にすることこそ叶わないものの、全て古い書物でした。



「知の壁」を抜けると一転し、科学に関した稀覯本を閲覧出来る「知の森」が開けていました。ここでは書庫でなく、各本の一ページがケースで見開きに展示されていて、中を見ることも出来ました。


ガリレオ・ガリレイ「世界二大体系についての対話」 フィレンツェ 1632年 初版

ケースにも工夫があり、中に鏡が設置されているため、背表紙を覗き込むことも可能でした。さらに「古代の知」、「ニュートン宇宙」、「解析幾何」、「力・重さ」、「光」など、それぞれの「知」が体系立って紹介されているのも特徴で、個々の資料に関するキャプションも細かく、書物について知識がなくとも、おおまかな内容を把握することが出来ました。


ロバート・フック「微細物誌」 ロンドン 1665年 初版

当然ながら書物とはいえ、挿絵も多く描かれていて、それらが時に驚くほど美しいことに感心しました。17世紀の実験科学者であるロバート・フックは、多様な科学器具を考案し、制作しましたが、その図案を「微細物誌」に著しました。自らのエッチングにより器具が描かれていますが、実に精密ではないでしょうか。


ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「色彩論」 チュービンゲン 1810年 初版

文豪ゲーテは、「色彩論」において、当時、一般的だったニュートンの光学理論を反駁しましたが、ここでも色彩や光を表したと思われる図版が目を引きました。なおゲーテは、色彩を物理現象ではなく、人間の生理的な機制に依存している考えていたそうです。


ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン「新種の輻射線について」 ヴュルツブルク 1895〜1896年 初版

レントゲンは、「新種の輻射線について」において、放射線の発見を著しましたが、最初のレントゲン写真の図版も掲載されていました。長く伸びる5本の指の骨格が印象に残りました。


ジョルジョ・ヴァザーリ「最も優れた画家、彫刻家、建築家の生涯」 フィレンツェ 1568年 増補改訂版

画家で建築家として活動した、ジョルジョ・ヴァザーリの「最も優れた画家、彫刻家、建築家の生涯」も興味深いかもしれません。ここでヴァザーリは、16世紀前半のルネサンス末期における優れた画家、彫刻家、建築家の作品と批評を掲載しました。ちょうどラファエロについて記述した部分が開いていました。


ヒロエニムス・ブルンシュヴィヒ「真正蒸留法」 ストラスブール 1500年 初版

一際、鮮やかであるのが、1500年に刊行された、ヒロエニムス・ブルンシュヴィヒの「真正蒸留法」でした。これは、16世紀まで重用された薬剤製造のハンドブックで、薬草からの蒸留抽出法が色彩豊かな挿絵で記述していました。


合衆国戦略原爆調査団「広島、長崎に対する原子爆弾の効果」 ワシントン D.C 1946年 初版

広島の市街地図にも目が留まりました。それが、合衆国戦略原爆調査団の「広島、長崎に対する原子爆弾の効果」で、アメリカが日本を占領した後、広島で調査した被害状況などを記していました。赤い部分は、原爆により焼失した地域であったようです。


アメリカ合衆国航空宇宙局(NASA)「アポロ11号任務記録、月面への第一歩」 ヒューストン 1969年 初版

最も新しい資料では、NASAの「アポロ11号任務記録」も興味深いかもしれません。アポロ計画による月着陸線と管制センターの交信記録で、アームストロング船長の言葉も、このタイプによって公開されました。



ラストは「知の繋がり」と題し、知を分野別に分け、科学の発展を系統立てた「シンボルモニュメント」や、科学的知見の集積をイメージしたインスタレーションなどが展示されていました。単に稀覯本を見せるだけでなく、書物を通して、人類が得てきた知識の連環を体感的に味わえる展覧会と言えるかもしれません。



そのほかに稀覯本のレプリカを触って閲覧出来るコーナーもありました。この内容で入場は無料です。会場内の撮影も出来ました。



初日に出かけましたが、会場内は思いがけないほど賑わっていました。特に最初の書庫をイメージした「知の壁」は、写真映えすることもあり、記念撮影を楽しむ方も見受けられました。SNSでもかなり拡散しています。



次の三連休が会期末です。現在のところ、入場の規制は行われていませんが、最終盤に向けて、さらに混雑することも予想されます。時間に余裕を持ってお出かけ下さい。



なお展覧会は、2012年の金沢21世紀美術館にはじまり、翌年の名古屋市科学館、そして2015年にグランフロント大阪北館を巡り、ここ東京・上野へとやって来ました。(一部、内容に変更あり。)実に関東では初めての開催でもあります。


ご紹介が遅れました。9月24日まで開催されています。

「世界を変えた書物展」@shomotu_News) 上野の森美術館@UenoMoriMuseum
会期:9月8日 (土) 〜 9月24日 (月)
休館:会期中無休。
時間:10:00~17:00
 *入場は閉館30分前まで。
料金:無料。
住所:台東区上野公園1-2
交通:JR線上野駅公園口より徒歩3分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅徒歩5分。京成線京成上野駅徒歩5分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「good design company 1998-2018」 クリエイションギャラリーG8

クリエイションギャラリーG8
「good design company 1998-2018」 
9/12~10/18



クリエイションギャラリーG8で開催中「good design company 1998-2018」を見て来ました。



クリエイティブディレクターの水野学が設立したgood design companyは、これまでにも「くまモン」や中川政七商店、相鉄グループなどのデザインやブランディング、それにトータルディレクションを手がけて来ました。



ネイビーブルーに染める鉄道車両が目を引きました。それが相鉄のデザインブランドアッププロジェクトで、同社が沿線のイメージを一新すべく、車両や駅舎、さらには制服のリニューアルを進めていて、水野学がデザインの総合監修を担いました。



ベイスターズカラーならぬ、横浜を代表するブルーは車両を艶やかに包み込んでいて、確かに以前の相鉄線の車両とは一線を画していました。最も新しい20000系は本年の2月より運用を開始していて、前面のデザインは水野が親しんでいた寝台特急の機関車のグリルをモチーフにしていました。かなり個性的なマスクと言えるかもしれません。



私の愛飲のお酒も水野がブランディングを行っていました。それが宮崎の老舗焼酎メーカーの黒木本店で、百年の孤独やきろく、それに山ねこなどの焼酎を製造しています。私も、きろくや山ねこが大好きで、ロック、水割り、お湯割と飲み方をかえながら、常日頃いただいています。



水野と黒木本店の出会いは2013年に遡ります。黒木本店は既に多くのリピーターを抱えていたものの、これからは商品だけではなく、企業全体の価値向上も重要と考え、水野にブランディングを依頼しました。



一升瓶ボトルが並ぶ姿は壮観でもありますが、確かに統一したデザインなどは、ともするとやや前時代的な焼酎のパッケージとは異なっているかもしれません。化粧箱入りで、バカラ製のボトルで話題を集めた、「百年の孤独」のプレミアム版こと「百年のボトル」は、まさに宝石のごとくに輝いて見えました。



ほかには森美術館の「ル・コルビュジエ展」、NTTドコモの「iD」、宇多田ヒカルの「SINGLE COLLECTION Vol.2」、東京ミッドタウンの「MIDTOWN SUMMER」などのディレクションも目を引きました。それにしてもgood design companyの活動は実に幅広く、多岐に渡っていて、目をしたことは1度や2度ではなく、もはや日常の生活に根ざしていると言えるかもしれません。



小さな附箋にも要注目です。ここには、good design companyで活動するデザイナーらが、各ディレクションに際して留意したことや、制作プロセスなどをメモ書きで記されていました。デザイナーの生の声を知ることが出来るのではないでしょうか。


good design companyの20年の軌跡が濃縮されています。撮影も可能でした。



10月18日まで開催されています。

「good design company 1998-2018」 クリエイションギャラリーG8@g8gallery
会期:9月12日(水)~10月18日(木)
休館:日・祝日。
時間:11:00~19:00。
料金:無料。
住所:中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F
交通:JR線新橋駅銀座口、東京メトロ銀座線新橋駅5番出口より徒歩3分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「週刊ニッポンの国宝100」が完結しました

小学館ウィークリーブック、「週間ニッポンの国宝100」が、第50号に達し、全ての刊行が終了しました。



「週刊 ニッポンの国宝100」
http://www.shogakukan.co.jp/pr/kokuhou100/
国宝応援団twitter:https://twitter.com/kokuhou_project
国宝応援プロジェクトFBページ:https://www.facebook.com/kokuhouproject/



第50巻の特集は、「深大寺 釈迦如来/大浦天主堂」で、白鳳時代の仏像の優品として知られた、東京・深大寺の釈迦如来が表紙を飾っていました。丸みを帯びたお顔立ちも特徴的で、口元には僅かな笑みも浮かべていました。



さらに「名作ギャラリー」では全身像をピックアップし、「原寸美術館」では顔の正面と横の姿を紹介していました。いつもながらの高精細な図版で、顔の平彫りの鑿の痕までも確認することが出来ました。



もう一方の大浦天主堂は、ちょうど今年の7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財として、世界遺産に登録された長崎の教会で、八角錐の尖塔の建つ外観も目を引きました。内部のアーチ天井も美しく、荘厳な空間を臨場感のある写真で味わえました。



「くらべる大図鑑」では、長崎に点在する教会をいくつか掲載していて、各々に個性的な建物を一覧することも出来ました。さらに「行こう!国宝への旅へ!」でも、大浦天主堂をはじめとした長崎の教会を紹介していて、旅情気分も楽しめました。このように「週刊ニッポンの国宝100」は、単に国宝文化財を紹介するだけでなく、現地への旅を誘うようなガイド本としても有用でした。



山下先生の連載、「未来の国宝・MY国宝」の最終回では、現代美術家の池田学による「誕生」取り上げられていました。同コーナーは、山下先生が、未来を見据え、将来の国宝となるべき作品を紹介するもので、今回のように現代美術を網羅するなど、従来にはない観点が際立っていました。

さて、初めにも触れましたが、今号で「週間ニッポンの国宝100」の刊行が全て終わりました。昨年の9月の発刊以来、実に一年をかけての完結でした。


刊行時に「国宝応援プロジェクト」が誕生し、JR東海が「国宝新幹線」を走らせたほか、日清食品が国宝の土器をモチーフとした「縄文DOKI★DOKIクッカー」を発売するなど、各社を巻き込んでの派手なプロモーションも行われました。もちろん京都国立博物館の「国宝展」との記事の連動もありました。



「国宝検定公式サイト」(2018年10月28日開催)
https://www.kentei-uketsuke.com/kokuhou/

さらに今年に入っても、10月28日に第1回の「国宝検定」の開催が決まっていて、9月20日の申込の締め切りが迫っています。


私も「週刊ニッポンの国宝100」を毎号を追いかけていましたが、漠然と捉えていた文化財が、いかに貴重であり、また何故に国宝となり、そして魅力的であるのかを、誌面を通してよく学べました。ともかく毎号、高いクオリティーを維持していて、読み応えがあり、毎週の刊行を楽しみにしていました。



全号が終了したことにより、以後、新たな「週間ニッポンの国宝100」を読むことは叶いませんが、9月末より「ザ・極み」と題した別冊が、「刀剣」、「仏像」、「絵画」と3冊続けて発売されます。



また「週刊ニッポンの国宝100」の全50号の完結を記念し、日本橋三越本店の「はじまりのカフェ」では、国宝の魅力を伝えるイベント、「国宝応援団2018」が開催されます。ここでは「週刊ニッポンの国宝100」のバックナンバーをはじめ、国宝に関したグッズの販売のほか、「洛中洛外図屏風 舟木本」の高精細な複製品の展示も行われます。

特別イベント『国宝応援団2018』を日本橋三越本店で開催します~(サライ.jp)
会期:9月19日(水)~10月8日(月)
会場:日本橋三越本店本館7階「はじまりのカフェ」



「週間ニッポンの国宝100」を通して、実際に見たい、また訪ね歩きたい国宝をたくさん見つけました。これからも国宝を鑑賞する際、折に触れては「週間ニッポンの国宝100」を見返したいと思います。

「週刊ニッポンの国宝100」@kokuhou_project) 小学館
内容:国宝の至高の世界を旅する、全50巻。国宝とは「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(文化財保護法)国宝を知ることは、日本美術を知ること。そして、まさに日本のこころを知る旅だともいえます。「週刊 ニッポンの国宝100」では、現在指定されている1108件の中からとくに意義深い100点を選び、毎号2点にスポットを当てその魅力を徹底的に分析します。
価格:創刊記念特別価格500円。2巻以降680円(ともに税込)。電子版は別価格。
仕様:A4変形型・オールカラー42ページ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(第4室)
小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」
6/5〜9/24

東京国立近代美術館のMOMATコレクションで公開中の、小泉癸巳男の「昭和大東京百図絵」を見てきました。

1909年に上京し、自画自刻自摺を基本とした創作版画家であった小泉癸巳男(こいずみきしお)は、関東大震災後の東京を、色彩豊かな版画に表現しました。

それが1929年に頒布が開始され、1937年に完成した「昭和大東京百図絵」シリーズで、完成後に改刻された作品をあわせると、全105点ほど制作しました。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「芝浦臨海埠頭ハネ上ゲ橋」 1930年

一例が「芝浦臨海埠頭ハネ上ゲ橋」で、貨物線である汐留貨物駅から日の出埠頭内にあり、古川河口に建設された可動橋、つまり「ハネ上げ橋」を描きました。ちょうど図では、船舶が航行出来るように、橋桁が跳ね上がっていますが、線路を利用する際には降ろされ、貨物列車が通行しました。おおよそ1分20秒ほどで開閉したそうで、完成当初は「東洋一の可動橋」と称されました。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「改版 戸越銀座・荏原区」 1940年

「戸越銀座・荏原区」では、当時の池上電鉄(現在の東急池上線)の戸越銀座駅に発着した電車を描いていました。ちょうど鉄道が到着した場面なのか、大勢の人たちがホームへ降りていて、手前の踏切も閉まっていました。戸越銀座では、1927年に商店街が発足し、翌年には中央区の銀座よりも早く、銀座の名を冠した戸越銀座駅が開業しました。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「春の銀座夜景」 1931年

その本家の銀座を舞台としたのが、「春の銀座夜景」で、ネオンサインの放つ銀座の市街を表現しました。暗がりの中、ネオンやビルの灯りの光が際立っていて、街の喧騒が伝わってくるかようでした。

いずれの「昭和大東京百図絵」も発色が鮮やかであり、なおかつ単純化した構図が特徴的で、中にはビルの幾何学的な形態を強調していることもありました。僅かに抽象を思わせる面があるかもしれません。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「東京深川塵芥處理工場」 1933年

小泉は、上京後、「水彩画のパイオニア」とも呼ばれた大下藤次郎の水彩研究所に学んでから、創作版画の道を歩みました。小泉の作品における色彩感は、師の大下に倣うところが多かったのかもしれません。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「淀橋区新宿街景」 1935年

「淀橋区新宿街景」も魅惑的ではないでしょうか。青空の下、光を受けては、クリーム色や白く輝く建物の色も美しく、まさに「ドライな感覚」(解説より)が見られました。なお、版画家で洋画家でもあった石井柏亭は、小泉を「昭和の広重」とも呼んでいたそうです。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「東京市役所」 1936年

小泉の描いた東京は、この後、第二次世界大戦の空襲により、灰燼に帰してしまいましたが、戦前の一時、同地に花開いたモダンな文化を垣間見ることが出来ました。


小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」より「兜町・取引所街」 1937年

東京国立近代美術館では、一連の「昭和大東京百図絵」を57点所蔵していますが、今回は10数点のみが公開されているに過ぎません。いつか全作を揃いで見る機会があればと思いました。

9月24日まで公開されています。

小泉癸巳男「昭和大東京百図絵」 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー「MOMAT コレクション」(@MOMAT60th) 
会期:6月5日(火)〜9月24日(月・祝)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00
 *毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館30分前まで
料金:一般500(400)円、大学生250(200)円、高校生以下、65歳以上無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *5時から割引:一般300円、大学生150円。
 *無料観覧日(所蔵作品展のみ):8月6日(日)、9月3日(日)。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー(第5室)
猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」
6/5〜9/24

猫好きでも知られた画家、猪熊弦一郎は、太平洋戦争が開戦すると、従軍画家として戦地へ派遣され、戦争画こと、作戦記録画を残しました。

そのうちの一枚である「○○方面鉄道建設」が、現在、東京国立近代美術館のMOMATコレクション(常設展)にて公開されています。



まずは作品の大きさに驚かされました。幅4.5メートルにも及ぶ大画面の中には、霞に包まれた山を背景に、鉄道建設のために切り開かれたジャングルの中、線路を築こうとする人々が描かれていました。



一見すると、自然ばかりが目に付くからか、のどかな田舎の光景にも思えましたが、軍人の姿も随所に見えていて、戦争時の光景であることが分かりました。

「○○方面鉄道」とは、すなわち、旧日本軍が、タイとミャンマーを結ぶべく建設した泰緬鉄道でした。同鉄道の建設現場においては、捕虜や現地の人が多く徴用され、過酷な労働の結果、多くの死者を出し、「死の鉄道」とも呼ばれました。「○○」とあるのは、そもそも鉄道の建設自体が、軍事機密であったからかもしれません。



切り出した土は赤く、やせ細った人々が、土を運んだり、休憩をとる光景も表されていて、隊列を組んで歩く軍人には、どことない徒労感も滲み出ていました。また森や木立を象る筆触は大胆な一方、人物などの細部は思いの外に緻密に描かれていました。

猪熊は戦中、1941年に中国、そして従軍画家として1942年にフィリピン、1943年にビルマへ3度派遣されました。結果的に全部で3枚の作戦記録画を制作したと考えられているものの、2点が行方不明になり、今では「○○方面鉄道建設」のみ所在が確認されています。

実のところ、この作品を初めて目にしましたが、猪熊と記されなければ、彼の作品とは気がつかなかったかもしれません。猪熊自身も、戦争画について、特に多くを語らなかったと言われています。なお同作は、2017年に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催された「猪熊弦一郎展 戦時下の画業」でも出展されました。それが何と戦後、初めての公開でした。

まだ見知らぬ戦争画が多く眠っているのかもしれません。9月24日まで展示されています。

*写真は全て、猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」1944年(無期限貸与)

猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」 東京国立近代美術館本館所蔵品ギャラリー「MOMAT コレクション」(@MOMAT60th) 
会期:6月5日(火)〜9月24日(月・祝)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00
 *毎週金曜・土曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館30分前まで
料金:一般500(400)円、大学生250(200)円、高校生以下、65歳以上無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *5時から割引:一般300円、大学生150円。
 *無料観覧日(所蔵作品展のみ):8月6日(日)、9月3日(日)。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「没後50年 河井寬次郎展」 パナソニック汐留ミュージアム

パナソニック汐留ミュージアム
「没後50年 河井寬次郎展―過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今―」
7/7~9/16



パナソニック汐留ミュージアムで開催中の「没後50年 河井寬次郎展―過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今―」を見て来ました。

明治23年に島根県安来市に生まれた河井寛次郎は、東京高等工業学校を卒業後、京都で清水六兵衛の窯を譲り受けてはアトリエを構え、時に作風を変化させながら、生涯に渡って多様な陶芸作品を作りました。


「青瓷ぜん血文桃注」 大正11年頃 河井寛次郎記念館

その寛次郎が初期に倣ったのは、中国や朝鮮の古陶磁でした。「青瓷ぜん血文桃注」は、中国で長寿の象徴である桃を象った水差しで、青に紅色の色彩が現れた文様を表現していました。発色に関しては、高度な技法が用いられていて、寛次郎は京都市立陶磁器試験場で学ぶなど、早い頃から作陶の化学的知見を得ていました。


右:「黄釉泥刷毛目碗」 昭和30年頃 河井寛次郎記念館

一方で、大正13年、柳宗悦と親交を結ぶと、友人の濱田庄司らと民藝運動を推進し、いわゆる用の美を重んじた作品を制作しました。また戦後は、色鮮やかな釉薬を用いて、実用性を超えた、独創的な造形を志向しました。実際にも、初期や中期、後期の作品は、同じ芸術家の手によるとは思えないほど変化に富んでいて、終始、同じ時点に留まることのない、旺盛な創作力に驚かされるものがありました。


「鉄釉抜蝋扁壺」 昭和18年頃 河井寛次郎記念館

「鉄釉抜蝋扁壺」に魅せられました。蝋によって釉がはじかれた地の部分を文様としていて、伸びやかな花の意匠が描かれていました。また茶を嗜んだ寛次郎は、抹茶碗も多く制作し、日常的に愛用していました。いわゆる茶道とは異なった、郷里の安来に根付く家庭茶を味わっていたそうです。


「灰釉筒描扁壺」 昭和28年頃 河井寛次郎記念館

「灰釉筒描扁壺」は、左右非対称の造形を特徴としていて、高く線を盛り上げる筒描と呼ばれる技法で装飾を施しました。一見、不安定に見えながらも、堂々たる風格を見せていて、何やら古代の祭器のようでした。


左上:「木彫面」 昭和34年頃 河井寛次郎記念館

さて作陶で名を馳せた寛次郎ですが、何も陶器ばかりを作っていたわけではありません。例えば戦後においては、木彫制作も試み、具象に抽象を問わず、「木彫像」、あるいは「木彫面」と称した作品を生み出しました。


左:「藁製腰掛」(制作:孫斗昌) 昭和9年 河井寛次郎記念館

また47歳にして、自邸、つまり現在の河井寛次郎記念館の設計も手がけ、多くの家具調度品のデザインも行いました。さらに竹の素材にも関心を寄せ、大きな棚から、小さな入れ物までを竹で作りました。一部は販売も視野に入れていて、実際に今も、寛次郎の知人や友人宅に残されているそうです。


「キセル」(制作:金田勝造) 昭和25年頃〜 河井寛次郎記念館

金色に輝く「キセル」も目を引くのではないでしょうか。喫煙家であった寛次郎は、戦後、真鍮を素材としてキセルのデザインを手がけ、自らも愛用しました。モチーフは抽象的なものが目立ち、陶芸とは異なった魅力も感じられました。

寛次郎は「学ぶ」作家でもありました。それを知ることが出来るのが、「学んだもの」と題したコーナーで、陶器の学びのため、寛次郎作品と、彼が写した古陶器の写真パネルが並んで紹介されていました。


右:「流し掛耳付壺」 大正14年頃 個人蔵

「流し掛耳付壺」は、中国北部の元から明時代初頭に作られた瓶を範としていて、やや細長い胴がすくっと切り立つような姿をしていました。また上下へスプライト状に流れる釉薬は、丹波焼の徳利を参照していて、写真パネルと見比べられました。


中央:黒田辰秋「根来鉄金具手箱」 昭和5年頃 河井寛次郎記念館

寛次郎は、制作に勤しむ傍で、民藝運動の関わりから、手箱や茶碗、そして朝鮮の角膳や木喰の仏像など、幅広い品を収集しました。ただし、例えば戦争で疎開させた品を喜捨するなど、必ずしも物に対して強い執着はありませんでした。「何もない世界ほど素晴らしいものはない。」との言葉も残しているそうです。

この言葉も、寛次郎の芸術世界を成す重要な要素と言えるかもしれません。とするのも、そもそも若い頃から書くことを得意とした寛次郎は、「工藝」を発刊したほか、本を認めるなど、多くの言葉を残しました。


「いのちの窓」より(複製) 昭和23年頃 河井寛次郎記念館

その最たる作品が「いのちの窓」で、戦中より詩のように短い言葉を綴っては、詩句集にまとめられました。なお一連の言葉は、何も書斎で作られたものではなく、例えば寝入りばなや明け方に生み出されることが多く、枕元には紙や筆記具が常に置かれていたそうです。

いずれも思考が凝縮されていて、寛次郎の研ぎ澄まされた感性も伺えるのではないでしょうか。まるで寛次郎の人となりが伝わってくるかのようでした。


「没後50年 河井寬次郎展」会場風景

個人蔵、ないし本邦初公開となる山口大学の作品、そして何よりも京都の河井寛次郎記念館のコレクションが数多くやって来ています。必ずしも広い会場ではありませんが、約200点の作品と資料が展示されていて、見ごたえに不足はありませんでした。


「没後50年 河井寬次郎展」会場風景

会場内、一部の作品を除いて、撮影が出来ました。SNS等での拡散も可能です。


まもなく会期末を迎えます。9月16日まで開催されています。

「没後50年 河井寬次郎展―過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今―」 パナソニック汐留ミュージアム
会期:7月7日(土)~9月16日(日)
休館:毎週水曜日。8月13日(月) 〜15日(水)。
時間:10:00~18:00 
 *入場は17時半まで。
 *9月10日(月)は、館内行事のため、17時半で閉館。(入館は17時まで。)
料金:一般1000円、大学生700円、中・高校生500円、小学生以下無料。
 *65歳以上900円、20名以上の団体は各100円引。
 *ホームページ割引あり
住所:港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
交通:JR線新橋駅銀座口より徒歩5分、東京メトロ銀座線新橋駅2番出口より徒歩3分、都営浅草線新橋駅改札より徒歩3分、都営大江戸線汐留駅3・4番出口より徒歩1分
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」 東京オペラシティアートギャラリー

東京オペラシティアートギャラリー
「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」 
7/14~9/24



東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」を見てきました。

1904年にアメリカで生まれたイサム・ノグチは、彫刻をはじめ、舞台美術、陶芸、家具、照明器具や、さらには作庭やランドスケープのデザインなど、幅広い領域で業績を残しました。

そのノグチに関する作品や資料が一堂に集まりました。また彫刻だけでなく、ドローイング、照明、陶芸のほか、図面や写真も交えていて、ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館からもコレクションがやって来ました。

はじまりは「身体」でした。そもそもノグチの制作においては、身体性が1つのテーマとなっていて、初期から身体を意識した作品を作っていました。


「北京ドローイング(横たわる男)」 1930年 イサム・ノグチ庭園美術館

一例が、20代半ばに北京で描いた「北京ドローイング」で、毛筆と墨で身体のボリュームを即興的に捉えていました。いずれも筆の動きは素早く大胆であり、まるで人が手足を振り回し、運動しているかのようでした。一連の作品は、ノグチの芸術の出発点とされていて、8点が公開されるのは、国内で初めてでもあります。

1930年代の半ばに入ると、ノグチは舞台美術に携わるようになりました。中でも、モダンダンスの振付家であるマーサ・グレアムとのコラボレーションは、ノグチに身体と空間の関係を強く意識付けました。「鏡」は、マーサ・グレアムの「ヘロディアド」のために制作した舞台装置で、手を上げては、踊る女性の身体を表現しました。なお同作の舞台の様子は、映像で見ることも出来ました。

第二次世界大戦が終わると、ノグチは日本を訪れ、建築家の丹下健三や谷口吉郎、画家の猪熊弦一郎、また草月流の勅使河原蒼風、デザイナーの剣持勇、さらに北大路魯山人や岡本太郎らの芸術家と親交を深めながら、旺盛に制作を続けました。

ノグチが熱心に取り組んだのは陶の作品で、当時、移り住んだ北鎌倉の北大路魯山人のアトリエで制作しました。ノグチは一連の作陶を「陶器による彫刻」と捉えていて、日本の自然や伝統を踏まえた形を、現代的なフォルムに蘇らせました。中には、明らかに埴輪を思わせるようなモチーフもあり、古代への関心を伺うことも出来ました。

谷口吉郎とは慶應義塾大学の「萬來舎」の仕事で協働し、インテリア、工芸、彫刻、庭から成った総合的な造形空間を築きました。また結果的に不採択になったものの、丹下健三の依頼で、広島の原爆慰霊碑のデザインも手がけました。


「2mのあかり」 1985年 公益財団法人イサム・ノグチ日本財団

また岐阜の伝統的な提灯に着想を得て、「光の彫刻」と位置付けた「あかり」を制作し、生活空間と芸術のつながりを志向しました。実際に「あかり」は、おおよそ35年にわたり、200種類以上も生み出され、照明器具として一般に普及しました。


「スライド・マントラの模型」 1966〜1988年 イサム・ノグチ庭園美術館

日本の禅庭をはじめ、世界各地の石の遺跡にインスピレーションを受けたノグチは、大地を素材とする彫刻、つまり庭や公園、言わばランドスケープの設計を手がけるようになりました。ニューヨークの「チェイス・マンハッタン銀行プラザの沈床園」やパリの「ユネスコ本部の庭園」、それに亡くなる直前まで関わった札幌の「モエレ沼公園」が良く知られていて、ほかにも螺旋の滑り台こと「スライド・マントラ」などの、プレイスカルプチュアと呼ばれる遊戯彫刻も作りました。

ラストは後半生の制作で重要な石の彫刻でした。1964年、石材業の盛んな香川県の牟礼町で、石工の和泉正敏と出会ったノグチは、同地にアトリエを構え、石の彫刻を作りました。石はノグチにとり、単なる素材を超えた、「地球の悠久の歴史や自然の摂理を語る存在」(解説より)でもありました。そして、牟礼の仕事場は彫刻庭園に作りかえられ、「イサム・ノグチ庭園美術館」として広く公開されました。


「アーケイック」 1981年 香川県立ミュージアム

空間を切り裂くように直立するのが、「アーケイック」と題した石彫で、土の中に埋もれた塊を利用して作りました。ほぼ四角柱ながらも、上部へ向けて僅かに剃っていて、鋭い刀のようにも見えました。石の元来の形状の姿をかなり留めていていて、頭頂部と脚部には、泥かぶりと呼ばれる、埋もれたままの状態が残されていました。


「アーケイック」 1981年 香川県立ミュージアム

私にとってイサム・ノグチを初めて強く意識したのは、2005年に東京都現代美術館で開催された、「イサム・ノグチ展 -彫刻から空間デザインへ~その無限の想像力」でした。

高さ4メートル近くある「エナジー・ヴォイド」の存在感が圧倒的で、イサム・ノグチの彫刻の持つ力感、言い換えればエネルギーに打ちのめされたことを覚えています。それから屋外彫刻などを見る機会があったものの、不思議と回顧展に接することはありませんでした。


実に12年ぶりの回顧展です。スペースの都合上、現代美術館ほどのスケールには至りませんが、久しぶりにイサム・ノグチの作品を堪能することが出来ました。



一部の撮影が可能です。9月24日まで開催されています。

「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」 東京オペラシティアートギャラリー
会期:7月14日(土)~9月24日(月)
休館:月曜日。
 *但し祝日の場合翌火曜日、8月5日(日)は全館休館日。
時間:11:00~19:00 
 *金・土は20時まで開館。
 *入場は閉館30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、大・高生1000(800)円、中学生以下無料。
 *同時開催「収蔵品展063 うつろうかたち─寺田コレクションの抽象」、「project N 72 木村彩子」の入場料を含む。
 *( )内は15名以上の団体料金。
住所:新宿区西新宿3-20-2
交通:京王新線初台駅東口直結徒歩5分。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「宮本佳美 消滅からの形成」 ポーラミュージアムアネックス

ポーラミュージアムアネックス
「宮本佳美 消滅からの形成」
9/7~9/24



ポーラミュージアムアネックスで開催中の「宮本佳美 消滅からの形成」を見てきました。

1981年に福岡県で生まれた宮本佳美は、2008年に京都市立芸術大学大学院の美術研究科絵画専攻を修了後、京都や東京で個展を重ねて、2012年には「VOCA展」にも参加しました。

そして2014年、五島記念文化賞の受賞を切っ掛けに、海外研修でオランダへと渡り、17世紀のオランダ絵画の光に代わる、「現代の光を追求」(解説より)すべく、絵画を制作してきました。


「Dissolved Flower」 2018年

モノクロームの世界の中から白い光が輝いていました。宮本はあらゆる水彩を重ねて出来た「黒ならぬ黒」(解説より)を用い、花や人物を、時に静物画のように、あるいはどこか抽象を思わせる表現で描いていました。ともかく沈み込む黒から放たれた白が際立っていて、時に眩しいまでに空間を満たしていました。


「flash over」 2015年

宮本は研修後、再びオランダを訪ねて、強くて白い光を見出し、同地の花を見据えては、光と影と拾ったと語っています。そもそも最初にオランダへ渡った際、17世紀絵画に見られる光は、もはや消滅したと結論付けていたそうです。


「dropwise」 2018年

花のイメージはどこか変容し、やや動きを伴っているようにも見えました。実のところ宮本は、元々、プリザーブドフラワーを水に沈めた様子を撮影し、作品のモチーフとしています。それゆえか、絵画には、水の揺らぎ、光の屈折なども反映されているのかもしれません。

画像で捉えると、まるでCGのようにも映るかもしれませんが、実際には絵具の感触も瑞々しく、花の生命感が残されているように思えました。


「Everlasting truth」 2017年

オランダ滞在中に感銘を受けた彫刻を下地とした、立体的な陰影を伴う作品も目を引きました。手足の白は至極滑らかでかつ、光は沈み込むかのようで、冷ややかな大理石彫刻の感触を連想するものがありました。


「Surge of shadow」 2018年

「儚く無くなるものをどれだけ力のあるものとして残すか、それは私にとって光と影の探求をし、絵に描き出した先にいつも有ります。」 宮本佳美 *解説より


9月24日まで開催されています。

「宮本佳美 消滅からの形成」 ポーラミュージアムアネックス@POLA_ANNEX
会期:9月7日(金)~9月24日(月・祝)
休館:会期中無休
料金:無料
時間:11:00~20:00 *入場は閉館の30分前まで
住所:中央区銀座1-7-7 ポーラ銀座ビル3階
交通:東京メトロ有楽町線銀座1丁目駅7番出口よりすぐ。JR有楽町駅京橋口より徒歩5分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」 練馬区立美術館

練馬区立美術館
「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」
8/5~9/24



練馬区立美術館で開催中の「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」の特別鑑賞会に参加して来ました。

幕末・明治の浮世絵師、月岡芳年は、武者絵、美人画、さらには歴史画、風俗画などを描く、師の国芳の「唯一無比の継承者」(解説より)として活躍しました。

世界屈指の芳年コレクションが練馬区立美術館へとやって来ました。いずれも日本画家、西井正氣氏の所蔵する作品で、計250点超にも及んでいました。なお、西井氏の芳年コレクションがまとめて公開されるのは、おおよそ15年ぶりのことでもあります。

天保10年、江戸の商家に生まれた芳年は、12歳にして国芳に弟子入りし、師を思わせるスペクタクルな武者絵を描きました。また美人画や役者絵、戯画を手がけ、多様に浮世絵を制作しました。


「那智山之大滝にて荒行図」 安政6〜万延元年(1859〜60)

初期の「文治元年平家の一門亡海中落入図」は、潮が左右へ流れる中、中央にヒーローを配していて、早くも国芳譲りのスピード感を得ることが出来ました。また、平家物語に着想を得た「那智山之大滝にて荒行図」でも、白い飛沫が滝壷の全体に広がり、ダイナミックな表現が見られました。


右上:「美勇水滸伝 藤波由縁之助」 慶応3年(1867)

「美勇水滸伝」は、師の国芳の描いた連作を継ぐべく、全50枚の揃いで描かれました。タイトルに反し、水滸伝の豪傑が登場せず、芝居や物語のヒーロやヒロインを、善悪取り混ぜて表しました。


「江戸の花子供遊の図」 安政5年(1858)

「江戸の花子供遊の図」も臨場感のある作品でした。無数に集まる町火消しの姿を表していて、纏や梯子を手にした男たちは、掛け声をしながら歩いてのか、大きく口を開けていました。この作品の制作された安政5年は、特に江戸で大火が多い年であり、世相を反映した作品と言えるかもしれません。


「魁題百撰相 鳥井彦右衛門元忠」 明治元年頃(c.1868)

いわゆる血みどろ絵、無惨絵も見逃せません。芳年は、慶応4年、彰義隊と新政府軍による上野戦争を取材して、登場人物を過去の武将に見立てた「魁題百撰相」を描きました。そもそも師の国芳も、芝居の殺戮シーンなどを表しましたが、芳年は戦争を目の当たりにしていて、リアルな光景を作品に落とし込みました。実際に弟子とともに、死屍累々の上野へ赴いては、傷ついた兵士や死者の写生を行ったと伝えられています。


「魁題百撰相 駒木根八兵衛」 明治元年(1868)

それゆえの作品と言えるかもしれません。「魁題百撰相 駒木根八兵衛」は、真に迫っているのではないでしょうか。島原の乱に加わった砲術の名人を主題にしていますが、銃を構える若者は、彰義隊の姿そのもので、眼光も鋭く、何とも言い難い緊迫感を覚えてなりませんでした。


右:「英明二十八衆句 遠城喜八郎」 慶応3年(1867)

このように芳年は、一連の無惨絵において、戦場の切迫感や、時に人々の苦しみなども表しました。実のところ、芳年が血生臭い作品を手がけたのは一時期に過ぎず、何も殊更に残酷な場面ばかりを好んでいたわけではありませんでした。


「郵便報知新聞」 明治8年(1875)

明治5年末に神経の病を発した芳年は、約1年を経て回復し、今度は「郵便報知新聞」で錦絵を描くなど、新聞挿絵においても人気絵師の座を確立しました。また西南戦争に主題した時事的な作品ともに、「大日本史略図会」などの歴史画や、「徳川治跡年間紀事」のような懐古的な作品も手がけました。この頃に、人に劇的な動きを与えた、言わば芳年のスタイルも確立したとされています。号も一魁斎に代わり、大蘇を用いるようになりました。


「大日本史略図会 第八十代安徳天皇」 明治13年(1880)

「大日本史略図会」は、大判三枚続きのワイド画面に、神代から中世にかけての天皇に関した逸話などを描きました。壇ノ浦の戦いを舞台にした「安徳天皇」では、燃え上がる炎や荒れた波などを躍動感のある描写で示していて、まるで映像のワンシーンを切り取ったかのような動きがありました。


「見立多以尽 手があらひたい」 明治11年(1878)

またこの時期には美人画も手がけていて、「新柳二十四時」では、新橋と柳橋の芸者の生活を表現しました。「見立多以尽 手があらひたい」は、隅田川で屋形船に乗る芸者をモデルとしていて、涼しげに身を乗り出す女性の口元には、赤い縁取りの西洋のハンカチがくわえられていました。江戸時代に由来する伝統的な舟遊びにも、文明開化の気配を見ることが出来ました。

明治15年、芳年は、当時としては破格の月給で「絵入自由新聞社」の挿絵師になり、ヒット作を次々と世に送り出しました。この頃から、40代は半ばで没するまでの10年の間、芳年の画業の絶頂期を迎えました。


「芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範」 明治16年(1883)

自らの名を冠した「芳年武者无類」は、神話の時代から戦国時代までの武者をモチーフとしていて、平将門をはじめ、平安時代の伝説上の盗賊などを、半ば決めポーズとも言うべきドラマティックな構図で表していました。


「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」 明治21年(1888)

芳年は構図の魔術師と呼べるかもしれません。「奥州安達がはらひとつ家の図」や「芳流閣両雄動」では、縦長の構図に、まるで上下で舞台が交互に展開するように物語を表していました。「羅城門渡辺綱鬼腕斬之図」も斬新で、稲光の轟く中、鬼と渡辺綱が上下の対角線で対峙していました。まさに劇的な構図と言えるのではないでしょうか。


「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗」 明治21年(1888)

最晩年に達した美人画の最高峰とも言えるのが、「風俗三十二相」で、寛政から明治時代までの女性たちの様々な姿を表しました。立場に応じた女性の装いと、題名にちなむ言葉の取り合わせも絶妙で、絵画の美しさのみならず、芳年ならではのウィットを同時に楽しめるような連作でした。ジェケットやリボンなどの洋装が現れるのも、時代を反映しているかもしれません。

芳年を代表し得る連作である「月百姿」も一揃いに展示されていました。「月」をテーマに、和漢の物語や謡曲、漢詩などを題材にしていて、明治18年から没年の25年へ至る、約8年の歳月を経て作られました。


「月百姿 玉兎 孫悟空」 明治22年(1889)

私も芳年で最も惹かれるのが、一連の「月百姿」で、「孫悟空」や「弁慶」など、いずれにも甲乙付け難い魅力が存在しています。


「富士山」 明治18年頃(c.1885) ほか

ほかにも肉筆画や画稿、それに下絵や、筆の動きが直に伝わる素描も出展されています。絵師の業績を顕彰するのには、質量ともに不足がありません。まさに芳年の回顧展の決定版と言えそうです。


「看虚百覧怪 累」(画稿) 明治13年(1880)

最後に展示替えの情報です。会期は2期制で、既に一部の作品が入れ替わり、後期へと入りました。以降の展示替えはありません。

前期:8月5日(日)~8月26日(日)
後期:8月28日(火)~9月24日(月・休)

【芳年ー激動の時代を生きた鬼才浮世絵師 巡回スケジュール】
高知県立美術館:2018年10月28日(日)~2019年1月6日(日)


「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」会場風景

なお本展は、一昨年末の島根県立石見美術館にはじまり、美術館「えき」KYOTO、札幌芸術の森美術館、神戸ファッション美術館、山梨県立博物館を経て、練馬区立美術館へと巡回して来ました。最後の巡回先は高知県立美術館です。よって東日本では最後の開催地となります。


9月24日まで開催されています。ご紹介が遅くなりましたが、おすすめします。

「芳年-激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」 練馬区立美術館@nerima_museum)
会期:8月5日(日)~9月24日(月)
休館:月曜日。但し9月17日(月・祝)は開館、18日(火)は休館。
時間:10:00~18:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1000(800)円、大・高校生・65~74歳800(700)円、中学生以下・75歳以上無料
 *( )は20名以上の団体料金。
 *ぐるっとパス利用で500円。
住所:練馬区貫井1-36-16
交通:西武池袋線中村橋駅より徒歩3分。

注)写真は特別鑑賞会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「藤村龍至 ちのかたち―建築的思考のプロトタイプとその応用」 TOTOギャラリー・間

TOTOギャラリー・間
「藤村龍至 ちのかたち―建築的思考のプロトタイプとその応用」 
7/31~9/30



TOTOギャラリー・間で開催中の「藤村龍至 ちのかたち―建築的思考のプロトタイプとその応用」を見てきました。

1976年に東京都で生まれた藤村龍至は、2005年に藤村龍至建築設計事務所(現PFA)を設立し、ニュータウンや中心市街地の再生や、日本の将来像の提言を行うなど、幅広く活動してきました。

その藤村は、建築を「知識と形態の想像的な関係」、すなわち「ちのかたち」にあると捉えています。それでは、一体、どのような「ちのかたち」が展開されていたのでしょうか。

最初のフロアは、「ちのかたち」のタイムラインでした。過去に設計してきた建築を、模型や動画で紹介するもので、各プロジェクト毎に番号が付けられていて、アーカイブとして整理されていました。


「BUILDING K」 2008年

「BUILDING K」は、東京都杉並区の商店街に計画された、共同住宅と店舗からなるビルで、設備と構造を内包したメガ・ストラクチャーが採用されました。


「倉庫の家」/「小屋の家」 2011年

「倉庫の家」は、2011年に神奈川県の住宅地で設計された、文字通りに倉庫のような住宅で、2階の地上部と、地下の3層で建てられました。続く「小屋の家」も、同年に神奈川県で建てられた住宅で、海に面したテラスの面と、山側の山小屋風の外観を特徴としていました。


「つるがしま中央交流センター」 2018年

「つるがしま中央交流センター」は、今年の3月、埼玉県鶴ヶ島市に完成したばかりの自治会館で、地域包括支援センターが入居し、コミュニティレストラン機能を併設するなど、地域の経営拠点として整備されました。


「鶴ヶ島太陽光発電所環境教育施設」 2014年

大きな三角の屋根が特徴的であるのが、「鶴ヶ島太陽光発電所環境教育施設」で、工場跡地に建てられた太陽光発電施設内の教育施設でした。デザインは「駅」や「教会」のモチーフで生成されていて、確かに内部の天井の組み方などは、教会を連想させるものがありました。


「G Chair」 2014年

無数の椅子の模型が目を引きました。これは「G Chair」と呼ばれた、グーグルの画像検索で得られた椅子のデザインを、立体化して設計した試みでした。世界9か国の言語で検索し、ヒットした椅子の要素を再構成していて、一番大きな椅子は、全世界の要素を合わせたものでした。

藤村は、建築においても、一つの解に近づくには、「三人寄れば文殊の知恵」、より多くの知識を集めることであると語っています。つまり椅子は、人の知だけでなく、ネットの集合知を利用して出来たと言えるのかもしれません。

1つ上のフロアでは、「離散空間」として、空間をテーマに、未来の社会のモデルを提案されていました。厚紙を利用した構造体のインスタレーションが展開し、モニターにて藤村の建築を捉えた映像も映されていました。


「ROOM_DS 離散空間」

迷路のような構造体は、動線の役割も果たしていて、縫うように歩いて行くと、映像に突き当たるように構築されていました。空間における「連続と切断」も1つのキーワードと呼べそうです。


「ROOM_MA マルシェ」

中庭では「マルシェ」と題し、ニュータウンの再生などで活用するための家具を展示していました。


「離散空間家具H」 2018年

「離散空間家具H」は、埼玉県の鳩山ニュータウンの施設にて、衣類や小物の販売スタンドとして使用されるそうですが、スチールパイプを曲げて加工されていて、かなり独創的な形でもありました。



一つ一つ、あまり変化しているように見えない模型は、多くの要望や課題を反映し、設計段階で調整した上、出来上がったものだそうです。それも藤村の語る「三人寄れば文殊の知恵」、ひいては「人の知」の現れなのかもしれません。



「平凡に映る意見の集合も、十分に大きな集合であれば、一人の天才を超える可能性が開かれます。」 藤村龍至 *キャプションより



9月30日まで開催されています。

「藤村龍至 ちのかたち―建築的思考のプロトタイプとその応用」 TOTOギャラリー・間
会期:7月31日(火)~9月30日(日)
休館:月曜日。夏期休暇(8月11日~8月15日)
時間:11:00~18:00
料金:無料。
住所:港区南青山1-24-3 TOTO乃木坂ビル3F
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅3番出口徒歩1分。都営大江戸線・東京メトロ日比谷線六本木駅7番出口徒歩6分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ