「青木野枝展」 ギャラリー21+葉 5/27

ギャラリー21+葉(中央区銀座1-5-2 西勢ビル2F)
「青木野枝展」
5/15-6/3



目黒区美術館での「コレクション展」(2005年6月)を見て以来、とても印象に残っていた作家です。ギャラリーの空間を大きく支える、インスタレーションとしての彫刻作品が展示されています。(作品画像は画廊HPへ。

タイトルは「空の水/2006」。大小15ほどのオブジェの集合体が展示室を埋め尽くしています。小さくて丸いコールテン鋼を無数に重ね合わせ、一本の金属の棒を作り出す。もし、その一つ一つが水滴を示すのであるなら、これらの棒はまさに空から降る雨を表しているのでしょうか。そして反対に、大地から空へと蒸発する水蒸気を示して、総合として水の循環を表している。タイトルの「空の水」を意識すればこんなイメージが湧いてきます。鋼による地球上の水の連関です。

とは言いつつも私には、これらの鋼の重々しい質感が、あまり水や大気とは相容れないように感じました。むしろ鋼の、モノとしての重みだけがズシリと伝わってくる。凍り付いた針葉樹や、森の奥深くにて生い茂るシダ。それが強固に這いつくばって存在感を示している。水というよりも植物のイメージ。私にはそのように見えました。さてどうなのでしょうか。

展示室の裏には、この丸い鋼をくり抜いた鉄板のオブジェがいくつか展示されています。うっかりすると見逃してしまうような分かりにくい場所にありますが、(オフィススペース?)「空の水/2006」と対になる作品なので是非見ておきたいところです。6月3日までの開催です。
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「芸大コレクション展 大正昭和前期の美術」 東京藝術大学大学美術館 5/28

東京藝術大学大学美術館(台東区上野公園12-8)
「芸大コレクション展 大正昭和前期の美術」
4/12-5/28(会期終了)

芸大のコレクション展を見たのは今回が初めてかもしれません。日本画、洋画、工芸、版画など約90点が展示されています。やや地味ではありましたが、見応えのある展覧会でした。



日本画ではまず、パンフレット表紙にある高山辰雄の「砂丘」(1936)を挙げないわけにはいきません。遠目から見るとまるで油彩画のようですが、近づくと確かにまぎれもない絹本着色の日本画でした。縦236センチ、横183センチの巨大な画面に佇んだ一人の女子学生。波紋の残る砂浜にてポーズをとりながら腰をおろしている。風に靡いているのか、ややたわんで広がるセーラー服が良く描けています。また彼女の横に無造作に置かれたノートや、画面の上と下で這う草の描写も優れていました。そして清潔感溢れる白い靴も美しい。その他では、おどろおどろしい、まるで仏画のような味わいすらある荒木十畝の「寂光」(1932)にも惹かれました。暗がりの水面にて静かに進む大きな鶴。それがただならぬ気配を見せています。左下の一輪の蓮もまた美感に溢れていました。



工芸では松田権六の「草花鳥獣文小手箱」(1919)が一推しです。地に金が施された小箱に、どこかメルヘンチックな鹿やうさぎが駆け、さらには鳥たちが空を舞っている。この作品で特に美しいと思ったのは、そんな動物たちを演出するように描かれた草花の紋様です。それが四角形などの抽象模様にて示されている。金を使いながら決して派手ではない。どこか微笑ましくもある意匠です。箱を象る滑らかな曲線もまた魅力的でした。



洋画からは、まとめて7点展示されていた自画像が見応え満点です。ここで展示されていた自画像は、萬鉄五郎、小出楢重、里美勝蔵、佐伯祐三、長田一脩、須山計一、靉光の7名と、次の版画コーナーにあった山本鼎の計8名。とてもカッコいいのは茶髪姿(?)の佐伯祐三ですが、非常に巧く描けていると関心させられたのは靉光の「梢のある自画像」(1944)でした。顔や衣服にのった油彩の重み。服は、まるで燃え上がる炎のように描かれています。また眼鏡の奥に潜むはずの瞳が確認できません。しかしそれでありながら、顔からは深い哀愁が感じられる。軽く塗られた梢と、まるで彫像のような立体感のある人物。油彩の塗り分けによるその対比も優れていました。



版画コーナーには、H16年度に収蔵されたばかりという長谷川潔が数点展示されています。お馴染みのメゾチントも当然ながら味わい深いのですが、今回は精緻なエッチングにも見応えがありました。これらはあまり他で見たことがないので、思わず見入ってしまいます。

バルラハ展と同時開催の展覧会なので、本来ならそちらの鑑賞の際に行くつもりでしたが、その時は少し時間がなく、最終日に改めて見て来ました。今後は、コレクション展もしっかりチェックしていきたいです。(ぐるっとパスを使いました。)
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東京交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」他 5/27

東京交響楽団 第536回定期演奏会

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番
          交響曲第7番「レニングラード」

指揮 ドミトリー・キタエンコ
ヴァイオリン 川久保賜紀
演奏 東京交響楽団

2006/5/27 18:00 サントリーホール

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との全集もリリースしたキタエンコの指揮ということで行ってきました。メモリアルイヤーのショスタコーヴィチを記念した重量級のプログラムです。率直に言って、とても素晴らしいコンサートでした。



一曲目のヴァイオリン協奏曲から充実した響きがサントリーを覆い尽くします。ソリストの川久保は、確か以前シティフォルの公演でも聴いたことがありますが、(その時も感心させられました。)ともかく前へ前へと力強い音を奏でるヴァイオリニストです。特に中音域の厚みの深さ。大規模なオーケストラにも決して負けることなく音が突き抜けてくる。演奏の確実性と言うよりも、懐の深いキタエンコの強力なサポートを得て、終始高いテンションにてこの音楽を表現していきます。スケルツォでは前のめりになりながら一気呵成に弾き抜き、聴かせどころの長大なカデンツァでは、ゆったりしたテンポによる語り口調から次第にヒートアップしていく。彼女は、大きな緩急の落差をいとも簡単に操ってしまいます。高音域にもう少し美しさがあればとも思いましたが、技巧とパワーの合わせ技によるその高い説得力には思わず屈服されてしまいました。シーンと静まり返ったホールでの豊かなカデンツァの響き。艶と言うよりも粘り気のあるヴァイオリン。それが右へ左へとジェットコースターのように動き廻る。この曲との相性の良さをも思わせます。演奏後、彼女は5回ほどステージに呼び戻されましたが、そんな客席の熱狂にも納得のいく演奏でした。

メインのレニングラードは明らかに名演です。勇壮な第1主題は非常にゆっくりと、しかし堂々と力強く入っていく。まさにこれから開始されるこの壮絶な音楽劇を予感させます。そしてボレロ風の「侵攻の主題」。始めのピアニッシモはこの上ないほど抑えられていました。不気味にホールに響きわたる小太鼓のリズム。もちろん弦もキタエンコに押さえ込まれている。じっくりと、そしてあくまでも端正に、それでいて力強く進む軍楽隊。まるでチェリビダッケのボレロを彷彿とさせます。そして次第に音楽が凶暴化して、いよいよカタストロフィ的な高揚の瞬間を迎えた時、キタエンコの指揮は突きに変わりました。ぐいっぐいっとオーケストラにタクトを突き出して締め上げる。恐ろしい様相です。フォルテッシモでもあまり壊れることのない東響が、ここで臨界点をあっさり超えてしまいました。もう爆発するしかありません。私は積極的なショスタコーヴィチの聞き手ではありませんが、これほど圧倒的なレニングラードには初めて接しました。しかもただうるさいだけではない。オーケストラがしっかりとキタエンコに踏みつけられてまとまっている。これは強烈です。

第3楽章がまた圧巻でした。全く緊張感が途切れません。一フレーズ毎に丁寧に積み上げて音楽を作り出す。もちろん積み上げるといっても、殊更ポリフォニックに各声部を鳴らすのではなく、あくまでも情感豊かに、横の線の流れを大きく意識させながら前へと進めます。木管に導かれたヴァイオリン群。キタエンコは、「今、この音楽ではどこを聴くべきか。」ということを示すサービス精神にも溢れていました。聴き手に如何にしてこの長大な音楽を理解してもらうのか。ただオーケストラを締め付け、威圧的な音楽を作るだけではない。時折、リズミカルにテンポアップして音楽に勢いづけていくのも、硬軟を巧みに使い分ける彼の器用な指揮ぶりを表しています。第4楽章でも慌てず急がず、あくまでも落ち着いてクライマックスを目指しました。最後ではオーケストラもさすがにややバテ気味ではありましたが、終始一貫してブレない、どっしりとしたレニングラードです。音楽を耳ではなく全身で聴いた。そうも思わせる、まるで音楽が体に突き刺さってくるような演奏でした。

オーケストラの頑張りにも触れなくてはいけません。最近の東響の充実ぶりには本当に目を見張るものがありますが、この日ほどそれを実感したこともありませんでした。以前に聴いた、ブルックナーでの迫力不足(スダーンの素朴なアプローチは好印象でしたが。)はもう殆ど感じられない。非常に良く鳴り、また良くかみ合います。しかもそれが空回りしないで、しっかりとキタエンコの元で統率されている。たんなる「爆演」ではありません。良い指揮者の元で、うなぎ上りにパワーアップしたオーケストラを聴くとどうなるのか。その答えがこの日の演奏にあったのではないでしょうか。強いて言えば、ハープ、木琴、もしくはホルンあたりにもう一歩の美感があれば良かったのですが、総じて力を出し切った素晴らしい演奏だったと思います。

キタエンコの客演はこれで一回きりなのでしょうか。是非今後もこのオーケストラとまたショスタコーヴィチを聴かせて欲しいと願うばかりです。手に汗握るコンサートでした。
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「所蔵作品展 花より工芸」 東京国立近代美術館工芸館 5/21

東京国立近代美術館工芸館(千代田区北の丸公園1-1)
「所蔵作品展 花より工芸 -新収蔵作品を中心に- 」
3/14-5/21(会期終了)



いつも工芸館は本館より格段に空いていますが、この日ほど入場者数に差があったこともないでしょう。最終日を迎えた藤田展の大行列を尻目に、工芸館まで足を伸ばします。それにしてもタイトルの「花より工芸」。簡潔でありながら良いネーミングです。疾っくの昔に花は散ってしまいましたが、名前に惹かれて行ってしまいました。



初めに告白すると、私は工芸館の所蔵品とあまり相性が良くありません。(また建物も少し苦手です。)これまでにも何度か足を運びましたが、どうも一目惚れしてしまうような作品になかなか出会えないのです。もちろん、この美術館のコレクションは大変に充実しているので、ただ「合う合わない。」と言うだけの話です。その意味で今回、最も合わなかったと言える作品は、宮川香山の「鳩桜花図高浮彫花瓶」かもしれません。花瓶に配された立体の鳩。それが何やら不気味に器から出っ張っている。当然ながら、絵付け、彫刻とも精緻に表現されているわけですが、これはあまり趣味が宜しくない。香山の陶芸については、先日、泉屋博古館でとても感銘させられたばかりなので、余計に拍子抜けしてしまいました。(ファンの方、失礼しました。)

相性が悪いとばかり言ってもなにも始まりません。入口近くに展示されていた、真っ赤な装束を身につけた少女の人形、吉田良の「すぐり」は非常に優れた作品かと思います。髪の毛の質感から、爛れた装束の赤、そしてその顔の表情。特に目が生きています。今にもぎょろっと睨んできそうなほどに生々しい。隣に置かれていた四谷シモンの「解剖学の少年」もまた私と相性が良くないのですが、この「すぐり」の質感には魅了されました。そしてパンフレット(一番上の画像です。)にある、桜と「すぐり」のコラボレーションも非常に艶やかです。展覧会のネーミングと合わせて、観客の心をつかむような導入かと思いました。



「イギリスの現代陶芸」と題されたコーナーに、素朴で味わい深い作品がいくつか展示されていました。特にルーシー・リーの「鉢」や「白釉鎬文花瓶」。簡素な造形とそれでいて優し気な感触が、温かい印象を与える作品です。思わず手で触りたくなります。

27日から始まる次回の展覧会(「所蔵作品展 近代工芸の百年」)では、ルーシー・リーとハンス・コパーの作品の特集展示があるそうです。これは是非拝見したいと思います。
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「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第2期」 5/22

宮内庁三の丸尚蔵館(千代田区千代田1-1 皇居東御苑内 大手門側)
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第2期」
4/29-5/28

うっかりしていると会期が終ってしまいます。一つでも見逃せないと思っていたので、慌てて三の丸尚蔵館へ行ってきました。若冲の「動植綵絵」が5回に分けて公開される展覧会です。以下、前回のエントリと同じように、一点ずつ感想を書いていきたいと思います。


「雪中鴛鴦図」(作品番号2-3)

トップバッターは、第1期の「雪中錦鶏図」と同じく、雪の表現が興味深い「雪中鴛鴦図」です。全体的にやや若冲にしては大人しい構図かもしれません。カラフルな鴛鴦(オシドリのつがい)の表情もどこかぶっきらぼう。まるで置物のように、降りしきる雪の中でじっと立っています。そしてこの作品の中で最も生き生きしているのは、水の中に首を突っ込んでいる左下の雌(?)鳥でしょうか。餌をとろうとしているのか、まるで水面と言うよりも砂場のような場所へ胴体を埋め込んでいます。また、右手の雄(?)は片足で立っています。もしかしたら今から飛び立とうとしているのかもしれません。(この鳥の嘴と椿は、同一の顔料を使っているのでしょうか。同じ色に見えます。)


「梅花皓月図」(作品番号2-8)

バーク・コレクションの「月下白梅図」と全く同じ構図です。修復によるものなのか、やや花も枝もベタついているように感じられます。それにしてもこの作品、奥行き感が殆どありません。梅の枝が、まるで蛇が壁でのたうち回っているかのように、縦横無尽に入り組んでいる。そして花は咲いているものより蕾みの方が多い。仄かな月明かりに映えた黄色いおしべが、金粉を振りかけたように光っていました。味わい深い描写です。


「梅花群鶴図」(作品番号2-15)

パッと見ただけでは、鶴が3、4羽いるようにしか見えませんが、足を数えてみると何と11本、つまり6羽もいることが分かります。この狭苦しい空間に6羽もの鶴。それぞれが自分の居場所を確保したがっているのか、ひしめき合い、そしてうごめいています。それにしても一番左にいる鶴の表情。この目は一体何なのでしょう。この窮屈な状態がそんなに嬉しいのか、ニタッと笑うかのように横を向いています。真剣に足元を見つめている手前の鶴とは好対照です。こんなに擬人化された鶴もなかなかありません。


「棕櫚雄鶏図」(作品番号2-16)

白黒の二羽の雄鶏がジロッと睨み合っている、若冲らしい構図の作品です。裏彩色の効果もあるのでしょうか。右側の白い鶏が黄金色に輝いています。そしてそれと正反対の黒鶏。大きく伸びた真っ黒い尾がとてもカッコ良く映えています。まるでロングドレスを着ているかのような鶏たち。これ見よがしと着飾っているようにも見えました。シンプルな構図でありながら、非常に華やかな作品です。


「桃花小禽図」(作品番号2-18)

何やらロココタッチな桃の花。ピンクや白が、画面を雅やかに埋め尽くしています。そして小さなつがいの小鳥たち。中央の幹でひょいっと首を伸ばす小鳥はとても可愛気です。この木でかくれんぼでもやっているのでしょうか。とても嬉しそうな表情を見せています。また、花や鳥以外では、木の幹や枝の表現に注目です。特に画面下側の幹の描写は大変にダイナミック。まるで幹が裂け、中から何かが飛び出してくるかのように描かれています。花に負けない存在感。決して脇役ではない、とても目を引く木の描写。これには驚かされました。


「菊花流水図」(作品番号2-29)

凄まじい構図をとる作品です。それこそロココを通り越すばかりか、一気にシュールレアリスムや現代絵画に通ずるような世界観さえ見せています。おそらく奥から手前に流れる小川と、手前から大きく張り出した岩や菊。それが全く隙のない構成にて見事に合わさっていました。また下の菊は、何故かねじ曲がって反対側を向き、上部のそれはまるで浮いているように見える。ここは四次元空間でしょうか。一応、上から見下ろした構図なのかと思いますが、デフォルメを通り越した驚くべき空間表現がここに実現されています。今回の「動植綵絵」でも特に斬新な作品と言えるのではないでしょうか。これは一推しです。

さて、若冲以外では、円山応挙の「双鶴図」や、狩野探幽の「鷺・藻魚・墨竹・墨梅図」などに見応えがありました。応挙では丁寧に描かれた鶴の表情や、その重ねられた羽の質感が見事です。また探幽の墨絵では、特に右から二点の鷺と魚が良く描けています。巻物の中で小さな魚が群れをなし、気持ち良さそうにスイスイと泳いでいました。引き込まれます。

次回、第3期は来月3日からです。もちろん忘れないように見たいと思います。ちなみにこの第2期は明日28日までです。お見逃しないようオススメします。

*関連エントリ
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第1期」 三の丸尚蔵館 4/9
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「プラド美術館展」 東京都美術館 その2 5/14

東京都美術館(台東区上野公園8-36)
「プラド美術館展 -スペインの誇り 巨匠たちの殿堂- 」
3/25-6/30

前回初めて見たときから、ほぼ一ヶ月後の鑑賞となりました。その1のエントリでは、第1章(スペイン絵画の黄金時代)と第2章(16、17世紀のイタリア絵画)について触れたので、今回は第3章以降、最後のゴヤまでについて、その2という形で書きたいと思います。





第3章の「フランドル・フランス・オランダ絵画」では、偉大なルーベンスの作品よりも、あまりサイズの大きくない風俗、もしくは風景画に惹かれました。その中ではまず、ブリューゲル(1世)の「大公夫妻の主催する結構披露宴」(1612-13、画像上)とテニールス(2世)の「村の祭り」(1647、画像下)を挙げたいと思います。ともに群衆が村の広場を賑やかに囲み、その題材からも祝賀的なムードが感じられる作品ですが、ややテニールスの方に人や動物たちの伸びやかな表情が見られるかもしれません。中央で輪になって踊る楽しそうな村人や、右下の食卓のまわりで和やかに談笑する人々、さらには足元で伏せている犬や、にんじんを美味しそうに加えた豚。(その表情の可愛らしいこと!)その全てが精緻なタッチによって描き分けられています。テニールスについては以前、このブログでも国立西洋美術館の「聖アントニウスの誘惑」を紹介したことがありますが、その奇怪な幻想世界に引けを取らない、素朴で牧歌的な村の一コマが器用に表現されていました。これは魅せられます。



またややプラドのコレクションからは異質な雰囲気も漂う二点の風景画、プッサンの「廃墟のある風景」(1633)とロランの「浅瀬」(1644)も美しい作品です。ちなみにこの二点なら私は断然ロランをとりたいと思います。夕陽の差しこんだ川辺に佇む一人の牧人。プッサンの描写力にも劣らない精緻なギリシャ、もしくはローマ風の建物が画面を支えて、美しく陽の光を浴びている。光による明暗の対比から、木の葉の間から滲み出す木漏れ日まで、その全てが暖かく優しい光に包まれています。牧人と羊がつかの間の休息をとっている。一日で最も美しい黄昏の瞬間を捉えた風景画。濃厚なプラドコレクションの中で、しばし息抜き出来るような心落ち着く作品でもありました。

ロココはやや苦手です。画面が一気に眩しくなって、鮮やかなピンクや白が溢れている。第4章の「18世紀の宮廷絵画」では、プラドのコレクションもいよいよ時代が下って来たことを示してくれます。ここでは、メレンデスの静物画がおすすめでしょうか。汁の滴るスイカに、やや硬そうなパン。三点のボデゴンは、対象の質感を些か誇張して伝えてもくれる、まさに油彩ならではの魅力に溢れた作品です。写真ではこうはいかない。絵具の質感が、そのままスイカの種やパンに化けています。まさに舌で味わうことの出来る静物画です。

 

この充実した展覧会のハイライトをあえて示すなら、やはり最後のゴヤのコーナーではないでしょうか。ここでは様々な画風を見せた7点のゴヤが、会場を所狭しと飾り立てています。とても絵を描いているようには見えないふんぞり返った公爵夫人の「ビリャフランカ侯爵夫人マリア・トマサ・デ・パラフォクス」(1804)から、一目見てゴヤだと分かるような個性ある顔立ちの子どもたちが集う「果実を採るこどもたち」(1777)、そして暗闇に魔女が羽ばたく「魔女の飛翔」(1797)。どれもゴヤのエッセンスがそれぞれにつまったような見事な作品です。ここだけでも一つの独立した展覧会が成立してしまうかもしれない。これほど充実したゴヤの油彩を初めて見ました。圧倒的です。

名画に魅入る喜び。以前、森美術館で開催されたフィリップス・コレクション展に匹敵するほどの満足感を与えてくれました。混雑していますが、確かにこれは見逃せない展覧会です。来月30日までの開催です。おすすめします。

*関連エントリ
「プラド美術館展」 東京都美術館 その1 4/8
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「エルンスト・バルラハ展」 東京藝術大学大学美術館 5/14

東京藝術大学大学美術館(台東区上野公園12-8)
「エルンスト・バルラハ展 -ドイツ表現主義の彫刻家- 」
4/12-5/28

非常に評判の良い展覧会なので、ネガティブな感想を書くのは大変申し訳ないのですが、ここは感じたことを素直に書きたいと思います。私はバルラハの芸術性を理解すること出来ませんでした。ともかく何ら共感出来るイマジネーションがわいてきません。従って、この感想もとても冷めています。まずはどうかご容赦下さい。



余計な先入観ではありますが、バルラハの彫刻には、非常に重厚感のある、深い精神性(祈りや哀しみなど。)をたたえたイメージを持っていました。しかし、実際にその作品に接してみると、私の前にあったのは、既に精神を失ってしまった死人の彫像なのです。死後硬直を迎えた人間の肉体。それ以前に意思や感情がこめられていたとしても、もはやそこには乾涸びた一つの木彫やブロンズの塊しか残っていません。時に大きく誇張された感情表現の残骸のみが、その感情を支えきれない小さな彫刻にてかすかに示されている。そこには、哀しみの裏側にある喜びや、信仰の反面にある懐疑なども表現されていない。生きていた頃にあったであろう、哀しみや祈りの気持ちだけが、半ば劇画調に彫られている。人とはこれほど一面的だったのか。バルラハの彫刻は一見、仏像のようですが、そこに見る者を包容するような力を感じません。私にはただひたすらに突き放しているように見えました。

 

劇画的な表現の中に例えば諧謔性などがこめられていたりすると、見ていて興味深くもなっていくのですが、バルラハはいたって真面目に感情の一面を表現しています。鋭角的なフォルムにて象られた人々。しかもその質感は異常なほどに軽々しい。小さな顔や身体の中には、一瞬間にて凍り付いた感情が不気味に記憶されていました。「歌う男」には叫びが、「復讐者」にはまさにその憎しみがこめられている。しかしその先の諦めや赦しなどはない。あまりにも冷たい、見るのも辛い彫刻ばかりです。

偉大な芸術家に難癖つけるはもう止めましょう。要は私の感性が鈍かっただけです。駄文、失礼しました。
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「石居麻耶展」 ごらくギャラリー 5/20

ごらくギャラリー(中央区銀座8-6-9)
「石居麻耶展 -彼方より来たるもの」
5/15-27

「ex-chamber museum」を見て行ってきました。「何気ない日常の瞬間を切り取った光景」(ポストカードより)を描くという、石居麻耶の個展です。無駄なキャッチセールスはいりません。一目見れば、そのクオリティーの高さに驚かされるような作品ばかりです。



ふと見上げた空やどこか懐かしい小屋、それに海辺。確かにどれも何気ない場所が描かれていましたが、そこで最も表現されているのは建物や木などの事物ではなく、その場全てを包み込む光や風の気配です。温もりのある陽の光と、心地良い風。もちろん壁や小径などの描写も優れているわけですが、本来なら見えない、しかしながらその場の雰囲気を決定付ける自然の恵みが絵に取り込まれています。春麗らかな公園を散歩している時の穏やかな気分。大空を飛ぶ鳥を見上げながら、優しい風に包まれている自分がいた。絵が場の入口となって、光の中へと誘ってくれます。まさに絵に引き込まれるとはこのことを言うのでしょう。眩いオーラすら漂っていました。

また彼女は、決して雰囲気だけで魅せる画家ではありません。画像では殆ど確認出来ませんが、実際に絵の前に立つと、木製パネルの温もりを最大限に生かしながら、アクリル絵具と色鉛筆にて器用に建物などを描いていることが分かります。そしてその最も優れた点は木製パネルの使い方です。それぞれの対象の質感に合わせて、非常に細かい彫りが施されている。そこに絵の奥行きと、さらなる深みが加わります。そしてその職人的な取り組みが、画肌の豊かな質感と色彩の温もりを合一させ、完成度の高い作品を生み出していくのです。またそれらは全て軽いタッチにてまとめられている。絵に殆ど重厚感がないのも大きな特徴でした。

どれも見ていて心地良くなるような作品ばかりでしたが、建物を描いた作品の、特に屋根などの表現にさらなる立体感が加わってくれば、より素晴らしくなってくるのではないかとも思いました。画廊の3フロア全てを使った大規模な個展。作品が売れているのも頷ける、非常に魅せる展覧会でした。27日までの開催です。
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「目白バ・ロック音楽祭」 いよいよ開幕まであと10日!

「翠松庵no散歩道」のるるさんに教えていただけるまで全く知らなかったので、私がここで偉そうに紹介するのもおこがましいのですが、初夏の目白を飾る音楽の祭典「目白バ・ロック音楽祭」が、いよいよ来月2日から始まります。私も一公演だけ予定していますが、未知の音楽祭なのでとても楽しみです。(17日に目白聖公会で行われる、寺神戸亮のチェロ組曲を聴く予定です。)



東京の音楽祭と言えば、このブログでもしつこく追っかけた「熱狂の日」がすぐに思い当たります。ゴールデンウィークの東京都心にて怒濤のように繰り広げられた巨大な祭典。その抜群の企画力や集客力は、二回目でありながら、既にクラシックコンサートを超えた大イベントとして認められたところです。そしてこの「目白バ・ロック音楽祭」も、昨年に引き続いての二度目の開催。テーマはもちろんバロック音楽です。喧噪と賑わいに包まれた「熱狂の日」とは逆に、目白の静寂に囲まれた控えめな音楽祭のイメージがわいてきます。小さくともキラリと光るような音楽祭かもしれません。

 

会期は6月2日から25日までの約一ヶ月間です。予定されているコンサートは約15。二、三日に一度のペースでバロック音楽が高らかに鳴り渡ります。そしてこの音楽祭の最大の特徴は、おそらくその会場にあるでしょう。単なるコンサートホールで音楽を演奏することにとどまらない、目白界隈の多くの由緒ある施設を取り込んだ企画。その一例として、東京カテドラル聖マリア大聖堂(丹下建築の名作としても有名です。)や目白聖公会、または自由学園明日館などを挙げれば十分です。まさに趣きある目白の風を感じとれるような、街歩きの醍醐味すら味わえる音楽の祭典。バロック音楽の似合う街目白。そんなキャッチセールスすら聞こえてくるような音楽祭です。

チケット価格も3000円から5000円前後と、一般的なコンサートよりは若干抑えられています。無知な私は参加アーティストの方をあまり存じ上げないので、おすすめのコンサートなどを無責任に書くことは出来ませんが、まずは建物見たさに、さらには目白の雰囲気を楽しむために、気軽に参加してみるのも良いと思います。また目白界隈では、商店街による各種イベントもあるとのことです。地元が一つとなった手作り感のある音楽祭。住民の方がこのイベントにかける思いも伝わってきます。初夏の東京の暑さを和らげる涼し気なバロックの調べ。それをまず目白にて楽しむのは如何でしょうか。

集客を第一にしたイベントではないようです。各会場の定員はかなり少なくなっています。まずはチケットの残席を確認されることをおすすめします。

関連リンク
目白バ・ロック音楽祭公式サイト
ブログ「目白バ・ロック音楽祭」
ぴあによるチケット残席情報(主催のアルケミスタへ問い合わせるのも確実です。)
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ラ・プティット・バンド 「バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番」他 5/19

ラ・プティット・バンド&シギスヴァルト・クイケン東京公演

J.S.バッハプログラム
2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043
ブランデンブルク協奏曲第5番 BWV1050
6声のリチェルカーレ(音楽の捧げ物より) BWV1079
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 BWV1060a
ブランデンブルク協奏曲第4番 BWV1049

監督 シギスヴァルト・クイケン
演奏 ラ・プティット・バンド

2006/5/19 19:00~ 東京オペラシティーコンサートホール2階

「古楽界のパイオニア」(パンフレットより)であるラ・プティット・バンドとクイケン。そんな彼らが真っ向勝負にてバッハを演奏します。時流に乗らないで、あくまでも独自のスタイルを貫く演奏団体のコンサートです。



これが正統的、もしくは伝統的な古楽演奏とでも言うのでしょうか。ともかくラ・プティット・バンドは、明らかに広過ぎたこのホールにおいて、あまり響かない古楽器を控えめに鳴らしながら、まるで楽譜上の音符をなだらかになぞるように端正に演奏していきます。ひたすら淡々と鳴り続けるバッハの調べ。ブランデンブルクがまるでミニマルミュージックのように聴こえてきました。今をときめくイタリアンバロックとは全く隔絶した別の世界。遠いバロックの響きを、聴衆に媚びることなくそのまま提示する。組み立てられた音楽の遺跡。禁欲的で、異端を許さないような、厳格なバロックがここに残っていました。コンサートホールの時間の流れが止まってしまった。この場だけすっぽりと数世紀前にワープしてしまったような気配さえ漂います。まさにかつて誰もが見たであろう、あの音楽室に飾られていた厳めしい肖像画のバッハです。あの物々しいバッハがここに甦りました。



肩からひもで吊るしたヴァイオリンを奏でるシギスヴァルト。失礼ながら彼は、お世辞にも指の良く動くヴァイオリニストとは言えません。むしろ所々ギコギコと響き渡るような美しくない音すら奏でてくれます。クイケン一派では、明らかにサラの方が技巧に長けているでしょう。またオーボエのボージロー。彼のふくよかなオーボエはシギスヴァルトとは一線を画していました。その点、シギスヴァルトと上手く絡み合っていたのは、これでもかというほど抑制的に演奏されたチェンバロです。この二者が合わさって、奇妙に説得力を持った音楽を生み出してくる。シギスヴァルトは朴訥に音楽を語ります。音楽に誠実さを感じること。先日このホールで聴いたビオンディのスーパーエンターテイメント・バロックの対極にある、全く飾らないバロック音楽が表現されていました。最後のブランデンブルクの4番やアンコール曲(4番の第3楽章をもう一度。)にこそ、ライブ特有の熱気が感じられましたが、初めの5番などは非常に冷めた眼差しで音楽を象ります。また、6声のリチェルカーレがこのコンサートの白眉であったのも、それがラ・プティット・バンドの怜悧なアプローチに合致する曲だったからではないでしょうか。リチェルカーレとは、イタリア語で吟味する、または探し求めるという意味だそうですが、まさにラ・プティット・バンドは楽譜を吟味して、バッハのエッセンスを手探りで呼び覚まします。聞き手にもそんな姿勢が求められていたのかもしれません。

率直に申し上げて、彼らの演奏にはある種の古さを感じたのですが、古楽器演奏への自負と、それに裏打ちされた明確なアプローチには唸らされるものを感じました。古楽への求道者。ラ・プティット・バンドはそんな稀有な存在なのかもしれません。興味深いコンサートでした。
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「ホルスト・ヤンセン展」 埼玉県立近代美術館 5/7

埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
「ホルスト・ヤンセン展 -北斎へのまなざし- 」
4/5-5/21(会期終了)

もっと早く感想をアップすれば良かったのですが、無精にも今日まで延び延びになってしまいました。本日終了した埼玉県立近代美術館の企画展、ホルスト・ヤンセン(1929-95)の回顧展です。クセのある素描から、意外と美しい木版画や水彩まで、多くの作品で画業を振り返ります。なかなか優れた展覧会でした。



1929年、ドイツ・ハンブルクに生まれたホルスト・ヤンセン。母を10代の頃に亡くし、才能を見出されて入学した美術学校も素行不良にて退学処分。その後は酒に溺れ、数々の警察沙汰を引き起こしていく…。のっけからいかにもアウトロー的な経歴が紹介されていきますが、そのイメージは初めに展示された素描や銅版画と重ね合わすことが出来ます。紙と鉛筆、そして色鉛筆を駆使して、無数の線を半ば病的に歪んで束ね、さらに集合させて対象を生み出す。内部の筋肉を抉り出したような人間や、性器を露出した人間。その画風はともかくグロテスクでまたエロチックです。「解剖学教室」における不気味な人体への眼差し。ヤンセンが一体、人のどの部分に嗜好があったのか。それを勘ぐりたくもなるような作品です。これらの素描は好き嫌いが大きく分かれるかと思います。



ところが、その後に展示されている色彩木版画は、グロテスクな表現からやや離れた場所にて展開されていました。素朴な木版の温もりを生かし、暗い色彩を基調にしながらも風景などを丁寧に彫り込んでいく。閉塞的な空間の中で淡々と進む葬列を描いた「埋葬」や、どこか滑稽な二名の修道女を描いた「修道女」、またまるで積み木細工のように構築された建物に消防士たちが群がる「消防隊」などは、どれもなかなか味わい深い作品でしょう。そしてここでは特に「大きな汽船」が優れています。狭い港湾に停泊する一隻の汽船。今から出航しようとしているのか、それとも着いたばかりなのか。人の臭いのしない、それ自身が意思を持っているような船。寡黙で寂しい光景が、息も詰まる狭苦しい空間にて描かれていました。

 

この展覧会で特に美しい作品が並ぶのは、ヤンセンが手がけた静物水彩画のコーナーです。彼のアトリエにあったという花や置物を、水彩の淡いタッチにて瑞々しく描いていく。「アマリリス」や「赤い瓶の中」では、つい最近まで生気に満ちていた花が、しおれて落ちていたりする姿を捉えています。まさにヴァニタスを思わせる主題の設定。そこには生き物に対するヤンセンの視点を鑑みることも出来そうですが、その素朴な色や形には他にかえ難い魅力が感じられます。静かに見入ることの出来る作品ばかりでした。

 

さて、最後にヤンセンが傾倒していたという北斎との関係についてですが、それは浮世絵の構図を借用した作品にいくつか見ることが出来ます。また、ヤンセンが直裁的なエロスを表現した少女フェリスのシリーズ(サドの性を思わせるイメージが展開しています。)との関連において、そのバリエーションとしての春画が数点展示されていました。またヤンセンは、自らを北斎に倣い「画狂人」と名乗ったそうです。この展覧会の随所に登場するたくさんの自画像群。描くことへの強迫観念すら思わせるそれらの作品は、ヤンセンの狂人ぶりを示す一つの表れかもしれません。そしてこの自画像は、ヤンセンの画業の大きなウエイトを占めています。

ヤンセンの世界観に惹かれるかどうかを問われれば素直に頷けない部分も多くありますが、少なくともその特異な作品には奇妙な説得力が感じられました。そしてただ奇異なだけではない、独特のスタイルによった静物画。その儚い味わいは未だ頭を離れません。絵の魔力に呪われるとでも言えるような、とても不思議な世界の広がる展覧会でした。

*関連エントリ
「2006年常設展第1期」 埼玉県立近代美術館 5/7
「美術館物語 - モネ17歳の作品がやってきた(常設展示)」 埼玉県立近代美術館 5/7
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「彫刻三点(マンズー、舟越、クロチェッティ)」 埼玉県立近代美術館(地下フロア)

埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
地下1階フロア(階段前)
「舟越保武 -ダミアン神父像」(1975)
「ジャコモ・マンズー -枢機卿」(1979)
「ヴェナンツォ・クロチェッティ -マグダラのマリア」(1973-76)

地下1階フロアの一般展示室の横に、宗教的な主題による3点の彫刻が静かに立っています。うっかりすると見逃してしまうような目立たない場所ですが、この美術館へ行った際には是非対面したい作品です。



3点の彫刻は、地下1階の階段(またはエレベーター)を降りた前の吹き抜けに、三面の壁を背にして置かれていました。まずはその正面にあるジャコモ・マンズー(1908-1991)の「枢機卿」です。大きなマントに身を包んで、静かに目を閉じ、また瞑想にふける枢機卿。大きく突き出た三角錐のマントと、その上へと伸びた帽子からは、彼の気位の高さを感じさせます。シンプルな造形の中に潜む祈りへの力。3点の中では最も内省的で、また威厳に満ちた作品です。



その左手にあるのが舟越保武(1912-2002)の「ダミアン神父像」です。やや肩を落として、両手をだらんと伸ばした神父像。その瞳には深い哀愁が漂っています。ちなみにこの神父は、ハワイのハンセン病患者の救済に尽力した実在の人物(1840-89)だそうです。(また、自身もハンセン病にて亡くなったそうです。)そして舟越は、その神父の人間愛を顕彰するためにこの彫刻を手がけた。ブロンズの体からじわじわと伝わる神父の慈しみ。あくまでも静かに対話したい作品でした。



最後は向かって右手にあるヴェナンツォ・クロチェッティ(1913-2003)の「マグダラのマリア」です。まさに慟哭のマリアでしょうか。顔の表情は、風に大きく靡いた衣服や髪によって隠されています。確認出来ません。しかしそこに投げ出されたマリアの悔悛の念は、激しくうねるマントのひだや、後ろを向いた体からも強く伝わってくる。あくまでも嘆き、そして全身で悔いているマリア。そのダイナミックな表現からは、悔いた後の生への意思すら感じさせます。強烈な存在感です。

3点の彫刻に囲まれた、寡黙で神秘的な空間。埼玉県立近代美術館へお出向きの際は、どうぞ地下もお忘れないようご確認下さい。
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「2006年常設展第1期」 埼玉県立近代美術館 5/7

埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
「常設展第1期(常設展示)」
4/27-7/17

モネとドラクロワの二点については昨日のエントリに書きましたが、その他にもいくつか見応えのある作品が展示されていました。埼玉県立近代美術館の、今年度第1期目となる常設展示です。

この美術館の常設展の規模はあまり大きくありません。それだけを拝見しようと思うと拍子抜けすらします。ただしその分、コレクションを器用にやり繰りして面白く見せることには長けているようです。是非、企画展と合わせて拝見されることをおすすめします。

今回の常設展は以下の4つに分かれています。

「西洋の近代絵画 - 印象派からピカソ、デルヴォーまで」
「埼玉の画家たち - 故郷の風を感じて」
「椅子のある風景 - 暮しからアートへ」
「美術館物語 - モネ17歳の作品がやってきた」

まず初めはオーソドックスに「西洋絵画」のコーナーです。ここではピサロ、モネ、ドニ、ルノワールなど計11点が展示されていますが、中でも一推しにしたいのはデルヴォーの「森」(1948)でした。最近私はデルヴォーにとても惹かれているのですが、今回もまた楽しませてくれます。ともかく詩的で、また奇異な空間構成に目が奪われる美しい作品です。



赤い帳の中でなよやかにポーズをとる一人の裸女。闇の奥へと伸びた線路には、黄色い明かりのもれる汽車が走り去っています。また赤いテールランプと森に隠れた青信号。線路と電線が連なっている。この汽車は一体どこへ向かうのでしょう。どうも非現実的に見えるこの森において、汽車だけが妙なリアリティーのある空間として見えてきます。

右上には裸女を煌煌と照らす大きな満月です。不気味に伸びる草木は彼女のベットとして体を支えている。それにしてもこの艶やかな表情。デルヴォーの描く女性はどこか無味乾燥なところがありますが、この女性には強烈なエロスが発散されています。走り去ってしまった汽車を尻目にして、この森の主として自己に陶酔している姿。ルソーの「夢」という作品との関連も指摘されるそうですが、私は夢と言うよりも、人間社会(=汽車)がまだ知らない異世界の森(彼女は妖精?)を描いた作品のようにも見えました。見てはならぬ禁断の女性を見てしまった。彼女を見ているとそんな気持ちにもさせられます。不思議な作品です。

さて、このデルヴォーを初めとする西洋絵画以外では、「椅子のある風景 - 暮しからアートへ」に見応えがありました。元々この美術館には、多様な作家によるデザインチェアがあちこちに置かれていますが、その一部がここに集められ、そして展示されているわけです。ちなみにこれらの椅子は、何点かを除けば実際に座ることも出来ます。壁に飾られた靉嘔の鮮やかな油彩画を横目に、ソファーにどっぷりと腰をおろしてみる。ふんぞり返りながら作品に見入るのも、(作家には大変失礼ですが…。)他ではなかなか味わえない楽しみ方かもしれません。ちなみに企画展示室にある休憩用の椅子も、一つ一つが趣向を凝らした作りとなっています。こちらも必見です。

出品リストは、公式HPからPDFファイルにてダウンロードすることが出来ます。ご興味のある方はそちらをご覧下さい。

仰々しくない、とても気軽に楽しめる内容です。7月17日までの開催です。

*関連エントリ
「美術館物語 - モネ17歳の作品がやってきた(常設展示)」 埼玉県立近代美術館 5/7
「ホルスト・ヤンセン展」 埼玉県立近代美術館 5/7



常設展のチケットです。小茂田青樹の「春の夜」の部分から。ちょっと可愛い…。
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宮島達男 「Number of Time in Coin-Locker」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
コイン・ロッカー(1階)
「宮島達男 -Number of Time in Coin-Locker」(1996)

埼玉県立近代美術館は、常設や企画展以外にも、屋内外の彫刻や館内のデザインチェアなどに見所の多い美術館ですが、その中でも特に印象深いのがこの宮島のデジタル・カウンターです。ここだけは、原美術館も真っ青な現代アートの匂いが漂っています。見逃せません。

ともかく設置場所に意表を突かれます。エントランスを抜け、観覧券を購入し、その後は荷物を預けにいく。この一連の鑑賞への道筋の最後に、思わぬ所にてアートが待ち構えているわけです。この美術館に来て荷物をロッカーへ入れなくては意味がない。(?)必ず立ち寄るべきロッカーです。



ロッカー室入口から。ハッキリ言って遠目からだと殆ど気がつきません。


少し近づいて見ると…、何やらロッカーの上段に光る物体を確認することが出来ます。


さらにもっと寄って見る。そう37番のロッカーです。別に故障中の配線が収納されているわけではありません。これがれっきとした宮島の作品、「Number of Time in Coin-Locker」なのです。


もっと寄りました。ぐちゃぐちゃの配線に赤いカウンターがたくさん。無数の数字が刻まれています。


この作品のカウンターは、公募によって選ばれた150名の埼玉県民が、それぞれ自分の好きな速度に設定したものだそうです。そして各カウンターの裏には、設定者のサインまで記されている。まさに地元密着のカウンター。埼玉の150名の生命がここに集い、時を刻んでいます。

初めて行った時はこれが作品だということすら分かりませんでしたが、今ではこのカウンターに会えるということがこの美術館へ行く動機の一つともなっています。(ちょっとオーバーかもしれませんが…。)北浦和へお出かけの際は、是非たくさん荷物を持って、(?)このロッカーに預けてみては如何でしょう。思いもよらないカウンターとの出会いが待っています!

*関連エントリ
宮島達男のデジタル・カウンター 東京都現代美術館から(2005/4/8)
「宮島達男展 『FRAGILE』」 SCAI 3/25(2006/3/30)

昨日のエントリと合わせて拙い写真を失礼しました…。
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「イチゴのタルト(デザートセット)」 レストランペペロネ 5/7

「レストランペペロネ」
埼玉県立近代美術館
イチゴのタルト(デザートセット)

埼玉県立近代美術館のカフェ「レストランペペロネ」です。公立美術館にあるレストランに有りがちな、どこか懐かしい雰囲気が漂っています。この日はあいにくの雨でしたが、北浦和公園の新緑を望みながら、ゆっくりと過ごすことが出来ました。



美術館側入口。エントランスから見て一番奥にあります。目立ちません。


外には北浦和公園が広がります。公園側からも入ることが出来るようです。


既に昼食は終えていたので、4点のケーキから選べるケーキセットを注文しました。パンナコッタやチョコレートケーキなどにも手が伸びそうになりましたが、イチゴ好きの私としてはここはやはりイチゴタルトをお願いします。シンプルなお皿に盛られたタルト。コーヒーも一緒。これで700円です。


お味はいたって普通でしょうか。濃厚なコーヒーは好みの味でした。

このレストランでは各種ランチも提供されています。本格的なシェフオススメコース(2600円)から、ヤンセン展特別セットメニュー(1500円)、さらには日替わりランチプレート(1300円)やパスタ(1000円)まで、なかなかバラエティーにとんでいました。また私が椅子に座った時には、ちょうどワインのフルボトルを開けている方もいらっしゃいました。次回は食事も試してみたいです。(全てサラダ・パン・コーヒー付き。)

自家製のパンがおすすめとのことで、レジではレストランにて提供されるパンのお土産まで販売されています。またこのレストランでは今、「プチ・リニューアル」記念として、美術館チケットを提示すると食事代が10%引きになります。もちろんケーキやコーヒー代にも利用可能です。ちなみにこのセールは、お店の方によれば「気が向くまで。」行われるとのことなので、もし試したい方はお早めに出向かれることをおすすめします。(HPにセール情報が告知されているので、まずはそちらをご確認下さい。)
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