「セーヌの流れに沿って - 印象派と日本人画家たちの旅」 ブリヂストン美術館

ブリヂストン美術館中央区京橋1-10-1
「セーヌの流れに沿って - 印象派と日本人画家たちの旅」
10/30-12/23



セーヌ川の景色を主に印象派と同時代の日本人画家の作品で辿ります。ブリヂストン美術館で開催中の「セーヌの流れに沿って 印象派と日本人画家たちへの旅」へ行ってきました。

先だって府中市美術館で開催された「バルビゾン派」展と同様、ほぼ同じ時代の日本人と西洋人画家をあわせて見る展覧会です。ずばりテーマは印象派、セーヌ川ということで、19世紀末より20世紀中盤まで、彼の地を描いた印象派画家やエコール・ド・パリ、さらには日本人画家などの作品、約120点ほどが展示されていました。

展覧会の構成は以下の通りです。

第1章 セーヌ上流とロワン河畔
第2章 セーヌと都市風景
第3章 印象派揺籃の地を巡って
第4章 ジヴェルニーと芸術家村
第5章 セーヌ河口とノルマンディー海岸

上流からパリを挟んで下流、河口へと、セーヌ川の5つの地域別に作品が並んでいます。順に沿って見て行くと、絵画を通しての「セーヌ川下り」を楽しむことができました。


アルフレッド・シスレー「サン=マメス」 1885年 ひろしま美術館

全てはシスレーに始まります。冒頭には彼が上流のサンマメスを描いた3点の作品が豪華揃い踏みです。うっすらとサーモンピンクがかった空の下に寒木とセーヌがあわせ描かれた「サン・マメスの平原、2月」(1881年)や、同じく長閑な田園地帯を鳥瞰的に見据えた「サン=マメス」(1885年)など、いつものシスレーならではの温和な風景画(それでいて細部のタッチが神経質なほど丁寧に塗り込まれているのも興味いところですが。)が見る人をセーヌの川岸へと誘っていました。


石井柏亭「サン・ミシェル橋」 1923年 東京国立近代美術館

パリへ入ると風景も俄然華やぎます。ポン=ヌフの夜景と昼景を描いたマルケの2点をはじめ、端正なタッチでパリの都市を安定感のある構図で描いた石井柏亭の「サン・ミシェル橋」(1923年)などは印象に深い作品ではないでしょうか。ともかくマルケは川の水面の色合いがいつも絶品だけに、この展覧会でも強い魅力を放っていました。

ところでこの石井柏亭はじめ、お馴染み佐伯祐三や荻須高徳、さらには少し遡って浅井忠など、展示の主役の半分は日本人画家にありますが、その中でも私が特に気になった画家がいました。それが蕗谷虹児(ふきやこうじ)です。

「蕗谷虹児/河出書房新社」

彼は主に挿絵画家として活躍していたそうですが、「セエヌの別れ」(1934年)や「巴里哀唱」(1928年)などの雑誌挿絵には、どこか同時代の小林かいちの甘美な画風に通じるような良さが感じられます。今回の私の最大の収穫は他ならぬ彼の作品でした。


クロード・モネ「セーヌ河の朝 (ジヴェルニーのセーヌ河支流)」 1897年 ひろしま美術館

さてパリを離れ、下流のヴェトゥイユやジヴェルニーへ進むと半ばモネの独擅場です。展示では計12点なモネが紹介されていましたが、ともかく感心したのはその多様な画風における繊細なタッチと光や陰の移ろいでした。

睡蓮の2点の他、「セーヌ河の朝」(1897年)、そして海岸の崖の上を風に煽られながら歩く人を描く「サン=タドレス」(1867年)など惹かれた作品を挙げるとキリがありません。また西美でお馴染みの「雪のアルジャントゥイユ」(1875年)もここ八重洲に出張中です。湿り気を帯びた雪のどっしりとした質感を改めて味わいました。

最後の香月泰男の「エトルタ」(1974年)が一際異彩を放っています。べったりとした白い絵具で岸壁を洗う波が描かれ、どこか近寄り難い自然の荒々しさを感じさせていました。

ドンゲンの「シャンゼリゼ大通り」(1924-25年)の犬の可愛らしさといったら他にありません。この一枚にはぞっこんでした。

なお言うまでもなく今回はブリヂストン美術館の館蔵品展ではありません。共催のひろしま美術館(2011/1/3~2/27に巡回)の他、大阪のサントリーミュージアム、また大原美術館や村内美術館などより優品が集まっています。館内スペースの8割方を使っての大規模な展観となっていました。

12月23日まで開催されています。
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「古代メキシコ・オルメカ文明展 - マヤへの道」 古代オリエント博物館

古代オリエント博物館豊島区東池袋3-1-4 池袋サンシャインシティ文化会館7階)
「古代メキシコ・オルメカ文明展 - マヤへの道」
10/9-12/19



紀元前1500年、メキシコ湾岸地域に栄えた古代オルメカ文明の遺産を紹介します。古代オリエント博物館で開催中の「古代メキシコ・オルメカ文明展 - マヤへの道」へ行って来ました。



中米の古代文明というと一番にマヤを思い出すが、このオルメカはそれより1000年も前に栄えた文明で、巨石彫刻や土製ピラミッドの技術、さらには宗教の様式などは、マヤをはじめとする様々な文明に影響を与えています。ようは中米の「母なる文明」(ちらしより引用)です。会場にはオルメカ地域より出土した石彫、土偶、またヒスイの加工品などが一同に展示されていました。



展覧会の構成は以下の通りです。

プロローグ マヤから遡る
第1章 人々と自然
第2章 神と王権
第3章 聖なる地
第4章 交流と拡散
エピローグ マヤへの道


「大型の土偶」 トラティルコ遺跡 紀元前1000-400年 国立人類学博物館

古代ファンにはたまらない品々がいくつも並んでいますが、まず興味深いのは日本人にとっても馴染みのある土偶です。サイズは比較的小さく、高さ10センチにも満たないものばかりでしたが、頭が二つに割れた「双頭の土偶」など、その不思議な造形には目も釘付けになりました。


「仮面」 ウエヤパン・デ・オカンポ遺跡 紀元前1500-1000年 ハラパ人類学博物館 ハラパ人類学博物館

オルメカで重要なのはヒスイの加工技術です。とりわけ表面に線刻も施され、真に迫る造形が印象深い「ヒスイの仮面」2点は必見の作品と言えるのではないでしょうか。その神秘的な面持ちは日本の能面を思わせるものがありました。

またこのヒスイは命や水を表すものと考えられていたそうです。彼らはヒスイ製の斧をたくさん作りましたが、それを実用的に用いず、祭祀品として扱われていたのも興味深いところでした。


「半人半獣神像」 ロス・サルダードス遺跡 紀元前1200年

石彫のモチーフとして頻出するのは信仰の対象でもあったジャガーです。巨大な「半人半獣神像(ジャガー神)」はジャガーと人が混じりあった形をしています。腰にはふんどしがまかれ、どっしりと胡座をかく姿は威厳にも満ちていました。


「ジャガー神」 ラ・メルセ遺跡 紀元前1000-400年 INAHベラクルス州センター

なおジャガー神の頭部にトウモロコシを表現したものも登場します。オルメカではそのトウモロコシも神として崇められていました。


「笑顔の土製仮面」 トラティルコ遺跡 紀元前1000-400年 国立人類学博物館

「笑顔の土製仮面」には思わず笑みがこぼれてしまいます。呪術に用いられていた仮面とのことでしたが、舌をつき出し、目をグニャリと曲げて笑う様子は何とも滑稽でした。

紀元前400年頃に衰退したオルメカですが、最後にはマヤへの橋渡しが行われます。エピローグには「マヤ古典期の石碑」の出品もありました。



ちらし表紙にも掲載された「巨石人頭像」は会場の都合により複製が展示されています。ただそのせいかここは撮影が可能でした。記念写真スポットということかもしれません。

出品は全130点(出品リスト)とありますが、小品が多いせいか、あまり量が多いという気はしません。ただ石碑の拓本や3000年以上までの木彫などの品もあり、私自身としても期待以上に面白い展覧会だという印象を受けました。



いつもは閑散とした感のある同博物館ですが、この日の館内はなかなか賑わっていました。親子連れも目立ちます。なおリストは受付にありませんでしたが、申し出るといただけました。

オルメカ展公式WEBサイト @Olmeca_ten(ツイッターアカウント)



12月19日まで開催されています。 (*ぐるっとパスでフリー入場可能です。通常料金1400円を考えるとかなりお得だと思います。)
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「素晴らしき哉人生。」 YUKARI ART CONTEMPORARY

YUKARI ART CONTEMPORARY目黒区鷹番2-5-2 市川ヴィラ1階)
「素晴らしき哉人生。It’s a wonderful life! by 大畑伸太郎、片山大輔、高あみ」
11/18-12/11



YUKARI ART CONTEMPORARYで開催中のグループ展、「素晴らしき哉人生。It’s a wonderful life!」へ行ってきました。

出品作家(3名)のプロフィールについては同ギャラリーWEBサイトをご参照下さい。

大畑伸太郎片山大輔高あみ

オープニング展の印象が未だ鮮烈な大畑をはじめ、新人の片山、高の各作家が、平面、また立体、インスタレーションで思い思いの表現を繰り広げていました。


高あみ

まず入口で来場者を迎えるのが高あみの陶や石膏による人物像です。顔にもう一つ仮面のような顔が付いていたり、また顔そのものが二つに割れていたりとシュールですが、その淡い色彩やコミカルな表情にもよるのか、全体としては親しみやすい印象を与えていました。


片山大輔

続いて登場するのは片山大輔です。立体、またアクリル画とも魚のイメージが全面に押し出されていますが、特にまるで半魚人のような男女が傘を持って立つ彫刻、「交差点でさかなに会った魚」(2010)には目を奪われました。

これは例えば雨の降る交差点の中、ぼんやりと信号待ちをする人の姿を魚のイメージに置き換えて制作されています。どこか可愛らしい姿も印象的ですが、樹脂で固められた衣服の細部の質感なども見事でした。


大畑伸太郎

最後の部屋にはDMにも掲載された大畑伸太郎の「loop」(2010)が待ち構えています。メリーゴーランドの立体の左右に壁面には、同一人物だという少女が絵画上に描かれていました。華やかなイルミネーションに彩られながらも寂し気なムードが漂っています。その独特な臨場感に酔いしれました。

ところで同ギャラリーは本展で開廊3周年を迎えたそうですが、それにあわせてツイッターでの情報発信も始まっています。こちらも要チェックです。

@YUKARIART(公式ツイッターアカウント)

12月11日まで開催されています。
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「ラヴズ・ボディ - 生と性を巡る表現」 東京都写真美術館

東京都写真美術館目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「ラヴズ・ボディ - 生と性を巡る表現」
10/2-12/5



エイズをめぐる社会的諸相を主に写真表現で問いただします。東京都写真美術館で開催中の「ラヴズ・ボディ - 生と性を巡る表現」へ行ってきました。

出品アーティストは以下の8名です。

AAブロンソン (1946- )/ハスラー・アキラ(張由紀夫 1969- )/フェリックス・ゴンザレス=トレス(1957-1996)/エルヴェ・ギベール(1955-1991)/スニル・グプタ (1953- )/ピーター・フジャー (1934-1987)/デヴィッド・ヴォイナロヴィッチ (1954-1992)/ウィリアム・ヤン (1943- )


ウィリアム・ヤン「独白劇(悲しみ)よりアラン」(1988-1990)

「エイズに向き合い、それを自身の問題として捉えていく」(ちらしより一部引用)ことはなかなか簡単ではありませんが、この展示に接してエイズに対する認識や思いがどこか変化したのは私だけではないかもしれません。そうした意味でダイレクトに心を揺さぶってきたのはオーストラリアの作家、ウィリアム・ヤンによる「独白劇(悲しみ)よりアラン」(1988-1990)でした。

これはエイズの病に冒されていく彼のゲイのパートナーを追った写真の連作ですが、そこには作家自身のテキストとともに、次第に症状を悪化させていくアランの姿がモノクロームで写し出されています。アランに対して作家が記した、「まるで老人のように見える。」という言葉が胸に突き刺さりました。

結局、エイズはアランに死をもたらし、ヤンもそれに眼を背けることなく向き合っていましたが、痩せ細りまた口を開けて永遠に眠るアランを見ていると思わずぐっとこみ上げるものがありました。


AAブロンソン「アンナとマーク、2001年2月3日」(2001-2002)

AAブロンソンの「アンナとマーク、2001年2月3日」(2001-2002)も、ゲイやレズビアンのカップルをテーマにした作品です。一見するところ、単なる赤ん坊を写したものにも思えますが、これはゲイカップルとレズビアンカップルの間に生まれた子どもです。

AA自身、エイズに関する様々な問題提起を行うグループに属していたそうですが、その仲間がエイズによって亡くなっていくという悲しい事態にも見舞われています。親子で受け継がれていく生の軌跡をフレームに収めた彼は、死を見つめたヤンとは言わば表裏一体との形で人の生きざまを表していました。

作品は必ずしもエイズを直接的に捉えたものだけにとどまりません。ちらし表紙を飾るデヴィッド・ヴォイナロヴィッチの「転げ落ちるバッファロー」(1988-1989)について述べた、出品作家のハスラー・アキラのインタビューはとても印象深いものがありました。これは必読です。

作家インタビュー ハスラー・アキラ/張由紀夫@東京都写真美術館


フェリックス・ゴンザレス=トレス「無題(自然史)」(1990)

12月5日まで開催されています。
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「シェル美術賞展 2010」 代官山ヒルサイドフォーラム

代官山ヒルサイドフォーラム渋谷区猿楽町18-8 ヒルサイドテラスF棟1階)
「シェル美術賞展 2010」
11/20-11/28



代官山ヒルサイドフォーラムで開催中の「シェル美術賞展 2010」へ行ってきました。

展示の概要は公式WEBサイトをご参照下さい。

シェル美術賞の概要

シェル美術賞展は、1956年にスタートし、当時の美術界に大きな影響を与えたシェル美術賞、また平成に新しく開催された昭和シェル現代美術賞の実績を踏まえ、 新しい現代絵画の表現を担う優秀な若手作家(40歳以下が対象)を発掘することを目的とした公募展です。(ヒルサイドフォーラムのHPより引用)

本年の応募者数はここ数年よりやや減って950名だったそうです。また受賞作品は以下の通りでした。

受賞・入選作家一覧/受賞作品(作品画像あり。)

それでは以下、私の印象に残った作品を簡単に挙げてみます。

村上乃理「流転」
山水水墨画に現れるような奇岩の向こうにビル群とスカイツリーを望む。岩絵具の仄かな質感も好印象。岩の表面には装飾的な模様が施されていた。

小堀由弥子「FESTIVAL」
薄暗いグレーを背景に何名かの子どもたちが描かれている。赤や白の衣服の色調との対比がどこか不気味。笑っているようでも何故か楽しそうに見えない。相笠昌義の絵画を思い出した。

井上ゆかり「母なる大地」
どこでもありそうな農村の小道が歪んでいる。デジャブながらもシュールな光景。道に立つ白い刺繍の子どもの姿は一体何の幻なのだろうか。とても気になった。

角谷沙奈美「光のまえにたつ」
鮮やかな緑色のカーペットが一面に敷かれたマンションの一室。大きな窓から力強い明かりが入り、立つ人はシルエット状になって表されていた。テレビなども置かれているが、奇妙なほどに生活感がない。どこか寂し気だった。

村尾成律「静寂の叫び」
下着姿の二人の男女。リビングで体操でもやるように身体をくねらせているが、両者の交わる部分の描写を見て驚愕。空間そのものが歪んだのか人間がそうなったのか。

黒宮由美「眼窩の記憶」(島敦彦審査員奨励賞)
薬のようなものが入ったガラスビンが無数に散乱した廊下の上に、黒い犬と何やら虚ろな表情をした女性が一人立っている。左のガラス窓は割れ、また右手の奥の部屋には首つりの人間が、さらには一番手前には亡霊のように立つ女性の半身が描かれていた。そして壁の上には充血した目が連なる。裏寂れた病院の廃墟を思わせるような世界。幻なのかそうでないのか。見ていて背筋が寒くなった。

熊野海「SEASON REVOLUTION」(家村珠代審査員賞)
宇宙とビーチと山々と氷河などのモチーフが渾然一体となって描かれている。ビーチの向こうに広がるカオス空間。面白い。

大坂秩加「6月6日、明日は遠足」(島敦彦審査員賞)
古びた家屋の合間に連なる無数の洗濯物。後ろには雨の降る藍色の夜空が広がっていた。緻密な線描や繊細な色遣いには感服。家屋の古びた質感にはゾクゾクした。そして洗濯物の合間にはてるてる坊主ならぬ人が吊られている。日常的な世界に潜む恐怖。

ちなみに今年は3年ぶりにグランプリが出たそうです。受賞者の皆さんおめでとうございます。

なおいつものことながら良く分からないシステムですが、公式WEBサイトよりの引き換え券をダウンロードすると無料で入場出来ます。

シェル美術賞2010 無料入場引換券

短期決戦の展覧会です。9日間限定、次の日曜の28日まで開催されています。*会期中無休
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中山ダイスケ個展「Ornaments」 児玉画廊 東京

児玉画廊 東京港区白金3-1-15 白金アートコンプレックス1階)
中山ダイスケ個展「Ornaments」
11/6~12/18

児玉画廊東京で開催中の中山ダイスケ個展、「Ornaments」へ行って来ました。

作家、中山ダイスケのプロフィールなどについては、同画廊WEBサイトをご参照ください。

中山ダイスケ個展「Ornaments」プレスリリース

なお今回は2005年のヴァンジ彫刻庭園美術館での個展以来、5年ぶりの新作展となるそうです。

会場に足を踏み入れた途端、デパートの絵画市などを連想したのは私だけでしょうか。ホワイトキューブの壁面にずらりと揃うのは、一見するところ何の変鉄もない具象の油彩画です。その多くは有りがちな里山の他、渓谷や棚田などのいわゆる美しい景色が描かれていました。実に長閑です。それらをぼんやりと見つめていると一瞬、会場を間違えたのかとさえ思いました。

実はこれらは全て中山がディスカウントストアなどから購入した「出自不明」(*)の風景画で、その絵画上に彼がとある作為、ようは「装飾」(*)を加えています。それこそが今回の見るべきポイントですが、この簡単な装飾によって出来た世界は驚くほどに新鮮です。新しい景観は絵画上でそれこそランドアートと化していました。この仕掛け、是非会場で楽しんでみてください。

12月18日までの開催です。

*はプレスリリースより引用。
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「狩野一信 五百羅漢」展 記者発表会 (後編)

「前編」のエントリに続きます。増上寺で行われた「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展の記者発表会に参加してきました。



「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」公式WEBサイト

監修を担当する明治学院大の山下裕二氏の「この展覧会で日本美術史に一つの楔を打ちこみたい。」との力強い宣言も飛び出した発表会でしたが、前半の展示概要の説明に続き、法要にも合わせて特別に増上寺へ集められた狩野一信の「五百羅漢図」百幅のうちの12幅の内覧が行われました。


作品を前に解説する明治学院大の山下裕二教授。

ともかくまずは画像です。山下先生のコメントとともに各作品の写真を載せてみます。

一信の「五百羅漢図」の各作品の完成度には実はかなりムラがあるが、比較的早い頃の20幅代のものは全てハイテンションと言って良い。地獄の凄惨な様子を見事な画力で表している。


狩野一信 五百羅漢図「第21幅 六道 地獄」
釜茹でになった罪人たち羅漢がそれを救おうとしている場面、ともかく彼らの着衣の表現の繊細な様は病的なほど。地獄の鬼の身体に描かれた無数の目にも要注目。


狩野一信 五百羅漢図「第22幅 六道 地獄」
風を起こして火を消そうとしている羅漢たち。最後に上から刷毛で描いたようなその風の描写が素晴らしい。緊張感のある構図だ。


狩野一信 五百羅漢図「第23幅 六道 地獄」
通称「羅漢ビーム」の一幅。羅漢から発せられたビームが途中で枝分かれして罪人たちに降り注ぐ。


狩野一信 五百羅漢図「第24幅 六道 地獄」
針山の上で血まみれになった罪人たちの群れ。この凄惨な表現は凄まじい。羅漢の投げた縄にすがる罪人たちは必死にもがき苦しんでいる。

40幅から50幅は羅漢らが衣食住に関する欲を取り除く修行の場面が描かれている。


狩野一信 五百羅漢図 右「第49幅 十二頭陀 蒙間樹下」/左「第50幅 十二頭陀 露地常坐」
両者に描かれた三日月と満月に注目。そこから照る光の陰影が強いコントラストで表されている。光の黄色の部分は裏から彩色した。手のこんだ描写である。

51幅から60幅は羅漢らが様々な神通、ようは超能力を発揮している場面が登場する。


狩野一信 五百羅漢図 右「第51幅 神通」/左「第52幅 神通」
右の51幅での頭のてっぺんから水を出す羅漢が面白い。また左の52幅では水差しから水を出している。ここは上部の不動明王に注目。何と自分の顔を裂いて中から正体を明らかにしている。グロテスクだ。


狩野一信 五百羅漢図 「第59幅 神通」
羅漢が病気を治す場面。一見、穏やかな作品に見えるが、上には何と大蛇の口の中で修行する羅漢が描かれている。仰天。


狩野一信 五百羅漢図 「第60幅 神通」
鬼たちも羅漢の奇跡で仏教に帰依している。羅漢ビームの前に平伏した鬼たちは滑稽。

61幅から70幅は羅漢が獣を手なずける場面。


狩野一信 五百羅漢図 「第61幅 禽獣」
鹿を手なずけているが何故か耳掃除をしているのが面白い。


狩野一信 五百羅漢図 「第62幅 禽獣」
亀の甲羅に描かれた星を眺める羅漢たち。にやにやと笑っている様は奇怪ですらある。

この61と62幅は細部こそ緻密だが背景はやや淡白。弟子が関与している可能性も大きい。また80幅以降の作品は初めの頃に比べて見劣りする。一信が体調を崩し始めたせいもあるかもしれないが、必ずしも全てが完璧に描かれているわけではない。むしろ百幅揃えることで、そうした表現の変化も見ることが出来るのではないか。


狩野一信 五百羅漢図「第23幅 六道 地獄」(部分)

以上です。ともかく例のビームや顔の表皮を剥ぐ羅漢などの度肝を抜かれる表現、そして細部の繊細極まりない丁寧な描写、そしてケバケバしいまでの極彩色の世界と、多数の見どころがあることをおわかりいただけるのではないでしょうか。


狩野一信 五百羅漢図「第22幅 六道 地獄」(部分)

記者発表会に参加して頭を殴られたような衝撃を受けたのは今回が初めてでした。作品を目の前にすると思わず仰け反ってしまいます。それにしてもこれが百幅揃う姿は一体どのようなものになるのでしょうか。想像するだけでもぞっとしてしまいます。凄まじい内容となりそうです。


大殿本堂内での「五百羅漢図」展観

さてこの日は法要と記者発表のための公開ということで、上の写真のように作品がやや高い位置に掲げられていました。しかし実際の展観は「画期的」(プレスリリースより引用)なスタイルになるそうです。


展示イメージ(実際の展示とは異なる場合があります。)

こちらがそのイメージ図です。主に初期の頃の作品の一幅一幅は自立したケースに入れられ、それこそ目線の高さでかつ限りなく近い位置で楽しめるように工夫されます。また展示デザインを担当される方の話によれば、「五百羅漢の森の中を彷徨う感じの展示。」とのことでした。ちなみに縦横5メートルほどの成田山所蔵の「十六羅漢」は露出展示が予定されています。これはもう期待しないわけにはいきません。

最後に改めて開催概要を記載しておきます。

「法然上人八百年御忌奉賛 五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」
会期:平成23年4月29日(金・祝)~ 7月3日(日)*変更されました。
会場:江戸東京博物館 1階展示室 (東京都墨田区横網1丁目4番1号)
主催:東京都江戸東京博物館/大本山増上寺/日本経済新聞社
監修:山下裕二(明治学院大学教授)
企画協力:浅野研究所


会場は両国の江戸東京博物館です。増上寺ではありませんのでご注意下さい。

「日本の美術 狩野一信/松嶋雅人/至文堂」

なお本展にあわせた五百羅漢の作品集も出版されるそうですが、今簡単に手に入る資料としては至文堂の「日本の美術 2010年11月号 狩野一信」をご紹介したいと思います。同シリーズならではの詳細な解説は読み応え十分でした。



それではこの本を何度となく眺めながら、来たる次の春の壮絶な展示に備えたいと思います。全江戸絵画ファンは来年4月に江戸博に集合です。

*関連エントリ
「狩野一信 五百羅漢」展 記者発表会 (前編)

注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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「狩野一信 五百羅漢」展 記者発表会 (前編)

来春、江戸東京博物館に狩野一信の「五百羅漢図」が空前絶後のスケールで登場します。増上寺で行われた「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展の記者発表会に参加してきました。



「五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」公式WEBサイト


増上寺 大殿本堂

芝の増上寺といえば、東京タワー側のすぐ側に位置し、かの三門でも知られる江戸東京のランドマークではありますが、今から遡ること約150年余、江戸末期の絵師狩野一信(1815~63)はこの増上寺の依頼を受け、畢竟の大作である「五百羅漢図」、全100点幅を描きました。


狩野一信 五百羅漢図「第59幅 神通」

厳密に定義すると一信は96幅の時点で没したため、残りの4幅は妻・妙安や弟子の手によって完成されました。そして1863年、一信の没した年に増上寺へ一括して奉納されます。以降、妙安の努力のもとに境内には羅漢堂が建立され、しばらくは一般にも公開されてきましたが、妻の死後は次第に一信の存在自体も忘れられ、この「五百羅漢図」も言わば幻の作品として歴史の彼方に消えてしまいました。


大殿本堂内部

それが近年、改めて細かな研究と調査修復が行われ、いよいよ来年春、浄土宗の開祖、法然上人の八百年御忌という記念すべき年に、江戸東京博物館でその全て、つまりは100幅が同時に展示されるということに相成ったわけです。


狩野一信 五百羅漢図「第22幅 六道 地獄」

実のところこの「五百羅漢図」は最近、例えば栃木県立博物館での「狩野派」展など、数幅ずつ公開されてはきていましたが、少なくとも今回のような全幅での一括展示はありませんでした。それがとうとう実現します。まさに空前絶後の展覧会と言えそうです。

「五百羅漢」展のみどころ
・増上寺秘蔵の大作「五百羅漢図」(各172×85センチ)全100幅を一挙初公開。
・東京国立博物館所蔵「五百羅漢図」(縮小版模写)を増上寺本と並べ、比較展示。
・港区内の寺院(大信寺、大松寺)に所蔵される下絵類を展示し、製作過程を検証。
・成田山新勝寺が所蔵する超大作「釈迦普賢文殊四天王十大弟子図」(427×543センチ)、「十六羅漢図」を特別出品。



一信の追善供養

如何せん私自身もこの展示は猛烈に期待しているのでいささか前振りが長くなってしまいましたが、記者発表会の当日、一部作品の内覧等に先立ち、ご遺族も参列されての一信の追善法要、また展示の成功祈願が行われました。


主催者一同

続いて増上寺の執事長蓮池光洋氏をはじめ、江戸東京博物館副館長の小林淳一氏らの挨拶が行われました。


右、明治学院大学教授山下裕二氏、左、 増上寺執事長蓮池光洋氏

さらには展覧会の監修を担当した明治学院大の山下裕二氏による概要の説明がありました。その内容を以下にまとめてみます。

~展示に際して~
・3年ほど前にこの展示の企画の依頼があった。それ以前、自分が五百羅漢図を取材したこともある。
・開催に際して一番に思ったのは「一信が渾身の力をこめて描いたこの五百羅漢を全て同時に展示しよう」ということ。

~五百羅漢図と狩野一信~
・一信は1863年、48歳の若さで亡くなった。(おそらくはうつ病。)この作品はおおよそ30歳末から約10年かけて描いたことがわかっている。
・一信の画業はこの五百羅漢図の他に殆ど知られていないが、今回の展示では成田山所蔵の壁画大作の他、東博にある羅漢図の下絵も合わせて紹介する。

~幻の作品~
・一信は96幅までを描いた時点で没し、残りを妻と弟子が完成させたが、特に妻のよるこの作品を残そうとしてきた献身的努力は特筆すべきものである。
・妻・妙安は一信亡き後、境内に建てられた羅漢堂のお守をしていて、作品の公開も行っていた。かの黒田清輝が妙安に会ったという記録もある。
・妻の死後、五百羅漢の存在は次第に忘れられた。また第二次大戦の空襲で堂が消失。幸いにも作品自体は戦火を逃れたものの、収蔵庫の奥底に眠ることになってしまった。

~五百羅漢の復権へ向けて~
・昭和58年、港区の文化財の調査で五百羅漢図の存在が美術史家に知られることになった。
・それ以来、作品の一部がいくつかの展覧会で紹介されるようになる。
・いまだかつて五百羅漢図を全てカラーで写した文献すらない。(今回の展示に合わせて小学館から画集が刊行される予定。)
・病に倒れた一信の無念と妙安に思いを馳せ、忘れられた絵師の復活を願う展覧会にしたい。

以上です。山下氏の説明にもあるように、現在でも一信の存在はとても一般に知られているとは言えません。しかしながら、ここで全て世に問うことで、その魅力を衝撃的な形で伝えることになるのは間違いなさそうです。

説明の最後に山下氏より力強い一言が放たれました。知られざる一信を公開することで、日本美術史に一つの楔を打ちこみたいということです。

かつて相国寺で若冲の動植綵絵が一同に会した際、非常に大きな話題となりました。作品こそ異なりますが、私自身もこの展覧会はその熱狂の再現となるのではないかと確信しています。


大殿本堂内での「五百羅漢図」展観

全体の説明の後、この日特別に公開された12幅の簡単な説明が行われました。そちらの様子は「後編」ということで、次のエントリにまとめます。ともかく12幅だけでも頭がくらくらするほどのインパクトがありました。

「法然上人八百年御忌奉賛 五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」
会期:平成23年4月29日(金・祝)~ 7月3日(日)*変更されました。
会場:江戸東京博物館 1階展示室 (東京都墨田区横網1丁目4番1号)
主催:東京都江戸東京博物館/大本山増上寺/日本経済新聞社
監修:山下裕二(明治学院大学教授)
企画協力:浅野研究所


*関連エントリ
「狩野一信 五百羅漢」展 記者発表会 (後編)

注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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「村上友重 - それらすべてを光の粒子と仮定してみる」 CASHI

CASHI - Contemporary Art Shima中央区日本橋馬喰町2-5-18
「村上友重 - それらすべてを光の粒子と仮定してみる」
10/29-11/25



CASHIで開催中の村上友重個展、「それらすべてを光の粒子と仮定してみる」へ行って来ました。

作家、村上友重のプロフィールなどについては本展のリリースをご参照下さい。

「それらすべてを光の粒子と仮定してみる」@CASHI(PDF)

2004年に早稲田大学を卒業後、アメリカでのアーティストインレジデンスに参加、その後は主に東京や大阪の画廊で作品を発表しているそうです。

作品は山や海などを捉えた風景の写真ですが、その混じりけのないピュアな美しさには心惹かれるものがあります。村上は主に空や海の遠景といった、どこか漠然とした場面を写していますが、その中の「清澄」でかつ「湿り気を帯びた空気」(ともに画廊リリースより引用)は、それこそ決めの細かい光の粒子までを引き出したかのような独特の美感をたたえていました。

見ていると山水水墨画の湿潤とした世界を思い出しました。よく水墨で空気を巧みに描いた作品がありますが、それと同じようにして空気が写真に包みこまれているわけです。

水色が光に溶けて輝く昼の景色とは一転、夜空に延びる飛行機の航跡のか細い光を捉えた一枚にも目がとまりました。また展示の方法にも一工夫あります。夜空はぽっかりと大地に穴をあけるように広がっていました。

11月25日まで開催されています。
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「岩田俊彦展」 ラディウム-レントゲンヴェルケ

ラディウム-レントゲンヴェルケ中央区日本橋馬喰町2-5-17
「岩田俊彦展」
10/29-11/20



ラディウム-レントゲンヴェルケで開催中の「岩田俊彦展」へ行ってきました。

本展の概要については同画廊のブログをご参照ください。

岩田俊彦 個展のおしらせ@NEWS: Roentgenwerke AG

東京藝術大学で漆芸を学んだ後、最近では会津の漆芸術祭や、今喜多方市美術館で開催中の「漆 その新しい表現を巡って展」などに出品を続けています。



さて展示ではそうした漆絵が数点紹介されていますが、いわゆる伝統的な漆を想像すると大いに意表を突かれるかもしれません。和風の柄などを取り入れつつも、そこに取り込まれた感覚は実に現代的です。菱形や四角など、シンプルながらも力強い意匠に隠された、時にポップなまでのアイコンは、どこか可愛らしくもありました。



艶やかな漆平面の中に一匹の虫のようなドクロが潜んでいました。こういうセンスには惚れます。

11月20日まで開催されています。
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「複合回路 第5回 青山悟」(オープニングトーク:青山悟X高橋瑞木) ギャラリーαM

ギャラリーαM千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F)
「複合回路 - 接触領域 - 第5回 青山悟」
11/13-12/18



ギャラリーαMで開催中の「複合回路 - 接触領域 - 第5回 青山悟」へ行ってきました。

作家、青山悟のプロフィールなどについては同画廊WEBサイトをご参照下さい。

第5回 青山悟 Satoru AOYAMA@ギャラリーαM

言うまでもなく最近では2009年のミヅマアートギャラリーでの個展の他、本年の六本木クロッシングなどに出品がありました。

さて今回の個展では祖父で洋画家の青山龍水を参照し、そこから自身の旧新作を交えて様々な問題提起が行われています。これまでの制作を振り返りつつも、祖父の作品との関係から、また新たな展開を指し示す内容だと言えるかもしれません。確かに以前の展開とはまた違った印象を受けました。

(左、青山氏、右、高橋氏。)

展覧会初日、オープニングパーティーに先立ち、作家青山とキュレーターの高橋瑞木のトークショーが行われました。 その様子を以下に再現してみたいと思います。

オープニングトーク 青山悟X高橋瑞木

高橋瑞木 今度の展示は珍しい祖父との合作。これまでにないアプローチだが、何故こうした展示にしようと思ったのか。

青山悟 祖父は仁科展の画家で98年に93歳で没した。ようは典型的な画壇の画家だ。死後、家に絵の大量の在庫があり、それを売ろうとしてヤフオクなどを調べたら、「青山先生の最高傑作」とまで書かれた作品が一万円スタートで売られていた。今回はこの時の思いがきっかけ。アートの価値って何なんだろうかと。

高橋 展示に入る前は祖父のことをどういう風に捉えてた?

青山 小学生低学年まではヒーロー。家でいつも絵を描いていて格好いいなと。ただ毎年、仁科展に連れて行かれるようになってからはそれが段々苦痛になってしまった。失礼かもしれないが、同じような作品ばかりがひたすら繰り返される展示。そのうちに行かなくなった。 それに美大に入って「現代アート」を始めた時は油彩はダサいという空気もあった。

高橋 入口に青山さんが小さい時に描いた油絵がある。刺繍の技法と絵画のジャンルの間の問題についてはどうだろうか。それに初めは画家になりたかったのでは?

青山 小学校の文集に画家になりたいと書いたが、自分に絵の才能がないことがすぐにわかった。中学校時代の美術の成績も悪くて断念…。(笑)

高橋 イギリスで美大に進んでテキスタイルを専攻した。それはペイントの挫折感からなのか。

青山 挫折でも何でもない。初めは彫刻をやってメタルを作ったりしていたが、その後定員オーバーで進めず、先生にテキスタイルはどうかと薦められた。それで入った。

高橋 そこでは何を学んだのか。

青山 刺繍学科ということで学生全員がほぼ女性。イギリスでテキスタイルを学ぶことはフェミニズムを学ぶことにもつながる。女性の社会的地位を問題にするフェミニスト運動など。またいかにアートヒステリーが男性優位で、逆に女性の手仕事がどれほど現代アートで重要かを教えられた。

高橋 二科展の土人というパーティーをモチーフにした作品がある。これは二科展メンバーがそうした姿に扮装して集うものだが、その中には青山の祖父はいるものの女性はいない。今回の展示のコンセプトはどうしたものか。

青山 表に祖父の絵を、そして裏に自作の女性政治家の刺繍をあわせてある。祖父の頃の女性像はあくまでも可愛らしさが重要だったようで、実際にもそのような作品ばかりが残っている。しかし女性の立場は今日に至るまで大きく変化した。強い女性とは何かというテキスタイル学科時代のことを思い浮かべながら制作した。

高橋 祖父が女性を描くと可愛らしい女の子、青山が表そうとすると強い女性になるのが面白い。

青山 ミシンを使ったの作業は女性的と言えるかもしれない。フェミニズムブームは終息したが、今の女性の象徴としてあえて女性政治家を選んだ。テキスタイル時代に学んだ経験から、自分の中で何か女性の強さに対する憧れもあるかもしれない。

高橋 表と裏であわせたもの他に一枚で独立した作品もある。それも同じように祖父の作品と対照的なイメージを取り込んだものなのか。


青山悟「東京の朝」

青山 祖父の描いた長崎の風景画(祖父の自宅があった。)には、2005年に制作した自宅マンションより望む東京の朝の風景の刺繍を対比させている。
そうした裏と表の対比で、祖父とやっていることと違うものをやっているという自覚を持つようにしている。しかしこの両方の風景は似たような面があるかもしれない。実は違うようで同じことをやってはいないか、また祖父から何らかの見えない影響があるのではないかなどという問題点も隠さずに出すことにした。実際、似ていることは恥ずかしくもある。

高橋 祖父の城の絵と台の上にある刺繍との関連は何か。

青山 祖父の絵はフランスのピエールフォン城。実はジャンヌ・ダルクが捕まって幽閉された城としても知られている。そして台の刺繍はジャンヌ・ダルクを表したもの。

高橋 これはつまり連作と言っても良いのではなかろうか。

青山 祖父の絵から少し掘り下げてみよう、またジャンヌから女性政治家シリーズへ繋げてみようという意図を持った作品だ。

高橋 展示に際して準備段階から青山の姿勢が変化しているような気がする。二科展も土人の扮装ではないが初めはファンキー。だが後に保守化した。また現代アートも同様な面もある。青山は画壇化した日本の現代アートに物申すというような文集を展示に先立って記した。しかし実際の展示からは必ずしもそうした印象を受けない。

青山 以前、何故に美術館にはあれほどたくさん人がいるのに現代アートは人気ないのだろうと思ったことがある。また美術とは本来、未来を更新していくものなのに、画壇や既存の美術はそれを怠っていないかと批判したこともある。
イギリスは画壇もあるがコンテンポラリーも強い。それに若い作家で日本のようないわゆる画壇系の絵を描く人も少ない。
初めは祖父の絵をつまらないと思ったが、土人のパフォーマンスしかり、当時としては前衛的な精神を持っていたのではないかと思うようになった。それに現代アートも画壇化している。そう考えると単純に画壇を批判出来るものではない。

高橋 どうして現代アートは画壇化していると思うのか。

青山 最近の現代アートが面白くない。漫然と作品をアーティストがつくると売り絵になる。現代アートのフレームに安住して売り絵を描くことはしたくない。しかし油断すると「~画廊の作家だから~円。」のような評価がくだされる。

高橋 画壇を単純に批判出来ないと?

青山 画壇も現代アートもシステムは同じ。しかし本来は作品は個々に見るべきなもの。やはり画壇だからダメで現代アートだから良いというような判断はしたくない。それをこの展示をしている途中に思うようになった。画壇も現代アートもフェアに扱うことを心がけている。だからこそ表と裏で画壇系と現代アートをくっつけたわけだ。

高橋 青山さんのおじいさんは元々お坊さんになるつもりだったと聞いた。しかし絵描きになりたいと美大へ進学する。逆に青山は海外へ行ってテキスタイルを学んだ。青山ははじめ風景画的なランドスケープを刺繍していたが、最近はポートレートから社会批判的な作品へ変化していく。この両者の出会いの展覧会なのかもしれない。

青山 かつては「否定して否定してさらに否定した後に残るものがある。」というアプローチで作品をつくっていたことがあった。しかしそれにも限界がある。削り取っているばかりでは未来へつながっていかない。森美術館での六本木クロッシングではその「否定」の作品を出しきった。今回の展示でははじめから旧作のランドスケープも最新の女性政治家シリーズも一緒に見せられないかと思っていた。ポジティブで未来へ向かった作品もつくりたい。

高橋 最初は祖父を否定していたものの、その後制作していくうちにある種の祖父へのリスペクトが生まれたのでないか。祖父に対する敬意とでも言おうか。

青山 それはあるかもしれない。そもそも作品は全て自分にはねかえってくるものとしてつくっている。

高橋 詳しく言うと?

青山 90年代の終わりは右も左もアイデンティティをどう出すかのようなことを終始言われた。自分もイギリスで日本人のアイデンティティがどうなのかを考えたこともある。確かに今は状況が変わったが、改めてこの時点からそれを考えてみたい。
今回は要するに自分のルーツをさらけ出している。旧作を見せて、家族の話も露にするような展示だ。本来的に作品を見せるのは恥ずかしいことだと思う。ただ最近はそれが麻痺してしまっていた。もう一度、その恥ずかしい感覚を大切にしよう、そうした恥ずかしさで今一度自分を追いこもうと考えた。

高橋 祖父が持っていたであろうフランスに対する憧れも、日本人のアイデンティティ云々に関わる問題だ。ところで女性政治家シリーズでは不思議と西洋人しか登場しないがそれは何故か。

青山 初めは蓮舫も入れようかと思った。ただ日本の女性政治家はむしろ女性的で、強さを求めるとある意味でギャグになってしまうのでやめた。(笑)

高橋 日本と西洋のフェミニズムの問題の違いもそこから見えてくるかもしれない。今後はさらに男と女の関係を問うような作品をつくったりするのか。

青山 自分自身は男女はそう対立する関係ではなく、もっとフラットだと思っている。そういう考えもあるが。

高橋 祖父は女性を可愛らしい存在、ようは自分の好みを反映させるような心象風景の一種として女性像を描いた。しかし青山はもっと具体的な記号、つまり情報量の多い政治家という確固たる存在を像に取り出した。祖父の心象、青山のある意味での具象、そうしたものもこの展示から引き出される対立項かもしれない。

青山 男女を対立させて並べてみせるのはむしろ簡単。ただしそこからどう作品として高めていくのかは難しい。

高橋 最後に今回の展示の意図を。

青山 先ほども触れたがここ10年くらいは全てを「削って削って」作品をつくっていた。要するに作品のロマンテックな面やコンセプトもどんどん削いで、全てを引き算して出来た最後のものだけで作品をつくるような感覚だ。しかしそれはもう限界。あえて祖父の作品を入れることで自分の中で新たにプラスと思えるようなものを見出したい。

以上です、私のメモ書きのみで不完全ではありますが、約1時間強にわたって作品の説明から青山と祖父の関係、そして今度の展開などが議論されました。


青山悟「政治家と黄色いセイターの少女」

なおまだ詳細は未定ですが、12月中にゲストに森村泰昌氏を迎えてのトークショーも企画されているそうです。決定次第、同画廊のサイトでも告知されるのではないでしょうか。これは楽しみです。

12月18日まで開催されています。もちろんおすすめします。
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N響定期 「ガーシュイン:ピアノ協奏曲」 プレヴィン

NHK交響楽団 第1685回定期公演 Aプログラム2日目

武満徹 「グリーン」
ガーシュウィン ピアノ協奏曲 ヘ調
プロコフィエフ 交響曲第5番変ロ長調 作品100

管弦楽 NHK交響楽団
指揮/ピアノ アンドレ・プレヴィン

2010/11/14 15:00~ NHKホール



既に3回の録音があるアンドレ・プレヴィンが、ガーシュインの「ピアノ協奏曲」を弾き振りで披露します。N響第1685回定期公演を聴いてきました。

冒頭の武満からして色彩感に溢れたプレヴィン・サウンドが全開です。武満自身が「ドビュッシーの模写」とも呼んだ同曲の繊細なオーケストレーションも彼の手にかかると一層際立ちます。この日のN響の弦は二人のソロコンマス、堀と篠崎が同時にステージにのるという豪華なものでしたが、透明感のある響きで巧みにプレヴィンをサポートしていました。

弾き振りのガーシュインは実に軽快です。プレヴィンのピアノはさすがに力強さこそ皆無でしたが、実に流麗で全くの躊躇いも淀みもありません。また息のあったアンサンブルを聴かせるオーケストラも好調で、第1楽章の華やかなリズム、そして第2楽章のとろけるように甘美なメロディーには思わず目頭が熱くなってしまうほどでした。

ガーシュインのいう「アメリカの生活から溢れ出る熱く若々しい精神」を望むのは難しかったかもしれませんが、例えばジャズなどを連想させるアメリカの響きを感じたのは私だけではなかったかもしれません。

さて休憩を挟んでのプロコフィエフこそ、よく言われる「完成度の高い演奏」ではなかったでしょうか。実のところ私自身、曲に殆ど馴染みがなく、最後まで集中力を持って聴き通せなかったのは事実でしたが、それでも変幻自在なスケルツォ、また翳りがありながらも甘いアダージョ、そして華々しいフィナーレと、曲の聴き所を十分に堪能することが出来ました。

ちなみにこの曲と一曲目の武満は来年3月、アメリカで行われるN響のツアーの演目だそうですが、この日の出来ならきっと成功をおさめるのではないでしょうか。木管や金管同士の響きのバランス、そして何よりも弦の絶妙なニュアンスにも感心させられました。全てにおいて見通しの良い演奏です。

なお今回のAプロのガーシュイン(1日目)は、12月5日のN響アワーで録画放送があるそうです。そちらでも再度楽しみたいと思います。
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「山口晃 いのち丸」 ミヅマアートギャラリー(市谷田町)

ミヅマアートギャラリー新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2階)
「山口晃 いのち丸」
10/27-11/27



新生ミヅマに変幻自在の「いのち丸」が降臨します。ミヅマアートギャラリーで開催中の「山口晃展 いのち丸」へ行ってきました。

展示概要については同画廊WEBサイトをご参照下さい。

山口晃展「いのち丸」@ミヅマアートギャラリー

私の中では半ば伝説と化した「ラグランジュポイント」から早4年と思うと感慨深いものもあります。

さてその際は「四天王立像」の大作をはじめ、ワンフロアの殆どを使ったインスタレーションなどでスケールの大きな展示を見せた山口ですが、今回はこじんまりとした、また流れとしては小気味よく、言わば終始「脱線」(画廊WEBサイトより引用)した内容で意表を突いてきました。

さすらいの男児「いのち丸」の旅は当初、白描画、つまりはモノクロームの世界から出発します。黒々とした血が和紙からはみ出てこびり付いた「見せもの」こそ山口ならではの無残画でしたが、そこから謎めいた黒一色の平面、さらには一見するところの単なる軸や枠など、あれよあれよと言う間に「いのち丸」は物語を離れて三次元、あげくの果てには映像へと飛び出していきました。

ラストの「富士山大爆発」はひょっとすると作品自体にたどり着けないかもしれません。いのち丸は見る者に変化球を投げ続け、惑わせていました。

(*感想は後ほど加筆します。)

さてこのいのち丸ですが、作家山口の出演するトークショーが明日、11月16日の午後7時半より「青い日記帳」の主催で開催されます。

参加は既に締め切られていますが、有り難いことにUstream配信の他、Twitterアカウントからテキスト中継もあるそうです。

http://www.ustream.tv/channel/山口晃-切り捨て御免トークショー

@akirainochi(ハッシュタグは #inochimaru

【青い日記帳主催】山口晃:切り捨て御免トークショー(仮)@弐代目・青い日記帳
山口晃「切り捨て御免トークショー」開催のお知らせ@What's up, Luke ?

また当日、リアルタイムで追えない場合は、アーカイブ化も検討されているそうです。これは楽しみです。

残念ながら私は参加出来ませんが、何とかTwitterなどでトークを追った上で、再度展示を見に行きたいと思います。

11月27日まで開催されています。
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「ファンタスマ - ケイト・ロードの標本室」 東京大学総合研究博物館小石川分館

東京大学総合研究博物館小石川分館文京区白山3-7-1
「ファンタスマ - ケイト・ロードの標本室」
11/6-12/5



学術標本と現代アートが新たなる「驚異の部屋」を創造します。東京大学総合研究博物館小石川分館で開催中の「ファンタスマ - ケイト・ロードの標本室」へ行ってきました。

本展の概要については展覧会WEBサイトをご参照下さい。なお展示情報は公式ブログ、ツイッターでも頻繁に更新されています。(ブログには展示風景写真もあり。)そちらも注目です。

ファンタスマ - ケイト・ロードの標本室特設サイト / ケイト・ロードの標本室のブログ / @Fantasma_Kate(ツイッター)



私自身、この東大総合研究博物館へ行ったのは初めてですが、同館は明治期に建設された東大最古となる建物で、現在は様々な学術標本を日常的に公開する施設として用いられているそうです。建物は1970年に重文指定を受けましたが、その疑洋風建築と呼ばれる様式は、どこか洋風というよりも東洋的な雰囲気を醸し出してはいないでしょうか。何やらエキゾチックでした。

今回はそこにオーストラリアの現代アーティスト、ケイト・ロードが、自身の作品を無数に組み込んでいます。言わば歴史を超えた標本と現代アートのコラボレーションです。不気味な鳥の剥製や骨格標本とともに、動物らをモチーフとした比較的小さなサイズのカラフルなロードの彫刻が展示されていました。

ケイト・ロード作家紹介@特設サイト

ロードは人工の素材、つまりはガラスやフェイクファーを使ってオブジェを制作していますが、それらは全て標本と同じように陳列棚のガラス瓶に入れられたり壁にかけられたりしています。一見、標本だと思ったものが実はロードの作品であったり、またその逆であったりするのも興味深いポイントでした。うっかりするとどちらだかわからなくなってしまいます。

オブジェは標本と生き物という形において奇妙なほど融合し、また素材の差異、特に色にあっては反目し合っていると言えるのかもしれません。「歴史と現代の入り交じる重層した世界」(ちらしより引用)はどこか幻想的でした。

それにしても収集された標本各種には目を見張るものがあります。自然史標本から動物標本、それに工学模型と貴重な品々のオンパレードでした。これだけでも一見の価値ありです。



博物館より眺める植物園の木々も色づきはじめていました。 注:植物園の入場は博物館側よりは出来ません。白山駅方面にある正門へ廻る必要があります。

12月5日までの開催です。なお入場は無料でした。(館内は撮影不可。)
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「村瀬恭子 - サファイア」 タカ・イシイギャラリー

タカ・イシイギャラリー江東区清澄1-3-2 5F)
「村瀬恭子 - サファイア」
10/30-11/30


村瀬恭子「Sapphire (Lemon)」2010年

タカ・イシイギャラリーで開催中の村瀬恭子個展、「サファイア」へ行って来ました。

作家、村瀬恭子のプロフィールについては同ギャラリーのWEBサイトをご覧下さい。

ARTISTS 村瀬恭子@タカ・イシイギャラリー

最近では本年4月の豊田市美術館での大個展の他、1月に国立国際美術館で開催された「絵画の庭」展などに出品がありました。

私自身、かつて同ギャラリーでの個展で一目惚れしたものの、残念ながらその二つの大きな展示に接することが出来ませんでしたが、それでも彼女の美しい色面と刹那的なモチーフ、そして流麗でありながらも細やかなタッチには改めて強く惹かれるものがあります。

出品は縦2メートルを超える新作油彩5点とドローイングの小品数点です。通常設置される画廊中央部の間仕切りを取っ払った、広々とした空間に展示されていました。

まず印象深いのは、最奥部で対になって掲げられている新作、「sapphire」の「lime」と「lemon」の二枚です。グレーを基調としながらも、青や緑などが幾何学的に交差する色面の中には、虚ろな表情をした一人の少女が漂っています。もはや地面もなく、何やら上下反転しているかのような不思議な空間には彼女の行先を導くかのような光線が差し込んでいました。

溶け合って滲むような色のせめぎあいはどこかこの世ならざるシュールな場面を作り出しています。見ていると夢の中の物語の断片を追っているような気分にさせられました。

入口付近の3面にキャンバスを分割した「Ruby」にも目がとまります。色彩の風をきって歩く少女の姿は儚く見えました。

「Fluttering far away 遠くの羽音/村瀬恭子/青幻舎」

「睫毛のようなささくれの集積」(画廊リリースより引用)のようなタッチからは木々に生い茂る葉のざわめきを連想しました。洞窟や森などの自然をわけて彷徨う少女の旅はまだ続くのかもしれません。

11月30日までの開催です。おすすめします。
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