「コロー 光と追憶の変奏曲」 国立西洋美術館

国立西洋美術館台東区上野公園7-7
「コロー 光と追憶の変奏曲」
6/14-8/31



既にこちらのレクチャーの時などでも展示を拝見していますが、会期末の見納めということで再度、上野まで行ってきました。明日で会期を終えるコローの一大回顧展です。



全体の印象を書いていくと、またいつものような長文になってしまうので省きますが、結局、計三度の展観で一番見入ったのは、元々惹かれていた『光と風のコロー』でもなく、また比較的アカデミックな風でもあるイタリア式の風景画でもなく、ちらし表紙にも掲載された『モナリザ』をはじめとする人物肖像画でした。コローは一般的に、例えば風と靄が光を纏う一連の高名な作品群でも、どこか舞台装置を見るかのような様式美が感じられますが、それは人物表現においても同等であるのかもしれません。とりわけ女性像における類型化されたポーズ、つまりは体を斜めに構え、少しうつむき加減に下を向き、さらには憂いをたたえた瞳を煌めかせる様子は、親しい人物にモデルをとったという、コロー自身の女性趣味が表されている面があったのではないでしょうか。私が特に惹かれた「青い服の婦人」の、どことない詩情をたたえたその美しさは、風景画から感じられる儚さがそのまま人物をとって示されています。くすみながらも、宝石のような輝きを秘めた青の美しさはもちろん、斜め45度に構え、腕をたくし上げる様子には、何かエロチックな魅力さえ感じられました。

「真珠の女」は照明が強く、左方向から見ると髪の毛の部分が光り過ぎてしまうのが残念でしたが、一見、実に貞淑な様を見せながらも、開けた胸元など、やはりどこか「青い服」に通ずるエロスも感じさせる作品です。シワのよった衣服のマチエールは、コローのクラシカルな風景画における白壁の表現に近く、後ろへ流れるような髪の毛も、少し土色を帯びた褐色がかった様にて描かれています。また前で軽く組まれた両手は何とも甘美です。長い指の先まで力を抜き、あくまでも自然にそっと置いたような様で腕を垂らしています。これは艶やかでした。



拙ブログの名付け親でもあるバイロンに主題をとった作品が展示されていたのも嬉しいところです。「エデ」では、海辺を望む岩場にて、マンドリンをかかえた女性が、どこか寂し気に斜めを向いて黄昏れる様が描かれています。前回の高橋氏のレクチャーによると、コローのこの手の作品は、文学主題の内面にまでそう深入りしているわけではないそうですが、バイロン作「ドンジュアン」において、海賊の頭領の娘エデが、主人公ジュアンとの一生の別れに哀しみ、また諦める様は、この作品でも良く表れていると言えるのではないでしょうか。左後方に見える船は、それこそエデの父に連れられてこの地を去るジュアンの乗った帆船なのかもしれません。とすると、このマンドリンから紡がれていた調べは、きっとジュアンへの告別の歌でしょう。

さすがに会期最終日の前日ということで、入場待ちこそなかったものの、会場内は大変に混雑していました。これほどの質量を誇るコロー展はもうしばらく望めそうもありません。上に触れた人物画など、知られざるコローに日本で初めてスポットをあてた、まさに歴史の一ページを飾るような展覧会でした。

なお本展は上野での会期終了後、9月より神戸市立博物館(9/13-12/7)へと巡回します。

「コロー名画に隠れた謎を解く/高橋明也/中央公論新社」

*関連エントリ
「コロー展レクチャー(高橋明也氏)」 国立西洋美術館
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「三遊亭円朝の幽霊画コレクション」 全生庵

全生庵台東区谷中5-4-7
「三遊亭円朝の幽霊画コレクション」
8/1-31

毎年、この時期になると所蔵の幽霊画を公開しているそうですが、今年は内容を補って余りある関連の著作まで復刊しています。山岡鉄舟ゆかりのお寺、全生庵の幽霊画コレクションを見てきました。



今回展観されている全50点の幽霊画は、『幕末から明治にかけての落語界の大看板』であったという三遊亭円朝(1839-1900)の『遺愛』(ともに公式HPより引用。)の品々です。上でも触れたように同寺では毎年、円朝忌の行われる八月の一ヶ月間、これらを一般に公開していますが、その中にはかの応挙をはじめ、広重、谷文一、そして月岡芳年や菊池容斎、さらには河鍋暁斎などの名だたる絵師の作品までが登場しています。これほどの質量を誇る幽霊画をいっぺんに見られることなど、都内ではまず滅多にありません。もちろんお寺の一角ということで、館内は相当に手狭ですが、期待以上に見応えのある展示で楽しめました。

惹かれた作品をいくつか挙げていきましょう。谷文一の「燭台と幽霊図」は、煙のまだ靡く消えた燭台のそばから、ふと今現れたかのような幽霊が流れるようなタッチで表された作品です。その消え入りそうな髪の毛や少し飛び出た目などは、いかにも幽霊と言ったおどろおどろしい様子を見せていますが、燭台の下部に添えられた手だけは、骨や肉付きまで分かる程、か細いながらも随分とリアルに描かれています。その辺の表現もまた、不気味さを醸し出す要因の一つかもしれません。



なごみの琳派、中村芳中の「枕元の幽霊」は、どこかコミカルな様相を見せている面白い一枚です。実のところこの作品は、芳中らしからぬ表現も見られるとのことですが、あばた模様に歪んだ顎、そしてゴツゴツと岩のように飛び出たおでこなどがどことなく丸みを帯びている点に、彼らしさを垣間みることが出来るような気もします。またビックネームではもう一点、月岡芳年の「宿場女郎図」も見事な作品でした。この風を切るかのように斜めを向いた様は、幽霊と言うよりも、カッコ良い一役者の颯爽とした登場シーンのようです。さすがは芳年でした。



聞き慣れぬ絵師も数多く紹介されています。その中では、伊藤晴雨の「怪談乳房榎図」の印象が強烈です。彼は昭和期まで活躍した人物とのことで、その近代的、もしくは洋画的な表現は時代性を反映した面もありそうですが、この解剖学的な迫真の肉体描写は他の幽霊画とは完全に一線を画しています。今回のマイベストはズバリ、この一枚です。またもう一人、歌川芳誕の「海坊主」にもたまげてしまいました。これはマグリットでしょうか。シルエット状の海坊主があまりにもシュールでした。



応挙の「幽霊図」は、例えば「湯上がり婦人図」としても何ら遜色がないような作品と言えるかもしれません。切れ長の目にやや笑みを浮かべた口元に気品を感じるのは私だけでしょうか。絵師の風格が見事に出ています。

「幽霊名画集 - 全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション/辻惟雄/ちくま学芸文庫」

今回出品の幽霊画の画像は全生庵HPの他、上の「幽霊名画集」にも全て掲載されています。なお名画集はおすすめの一冊です。今回の幽霊画の解説が書かれているだけでなく、幽霊像の変遷史、またはその背景にある日本人の幽霊観を追う論文なども記載されていました。

明後日、31日までの開催です。なお観覧料は500円です。
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「アートスコープ2007/2008 - 存在を見つめて」 原美術館

原美術館品川区北品川4-7-25
「アートスコープ2007/2008 - 存在を見つめて」
6/28-8/31



かの趣きある原美術館の一室で、加藤泉の木彫の人形がくつろいでいるとあれば楽しめないはずはありません。2003年より始まった同美術館の恒例企画、アートスコープへ行ってきました。



交換プログラムと展示内容が今ひとつ結びつかないのは毎度のことですが、まずはこちらでも印象深かった照屋勇賢のインスタレーションからして、邸宅の一室をうまく用いたもので満足出来ます。入口正面、一階のギャラリー1では、浮き輪とロープに演出されたお馴染みのペーパークラフトが、いつもながらの繊細な様相をとって展示されていました。トイレットペーパーの芯をくり抜き、そこから枝葉を出して壁に森を築く「Forest」シリーズ、そしてそれに対応するような松の小枝の「Touch a Port」、さらには普通のハイヒールのように見せかけ、実は蝶の蛹を用いた「Dawn」など、何気ない素材を用いながらも、自然の営みを意識させるその制作はなかなか魅力的です。彼の世界観からして、窓から望む庭木の緑と調和していたように感じられたのは私だけでしょうか。気取らなくて飾らない、それでいてちょっとした美しさで見る者をハッとさせるインスタレーションです。



今回のハイライトは、何と言っても同館最大の展示室(一階ギャラリー2)での、加藤泉の一連の木彫でしょう。奇怪な木彫の人物を右に三点並べ、中央の壁面には、彼らのポートレートの如き大作ペインティングが紹介されています。そして、特に見逃せないのは、左奥テラスの三体の木彫です。顔こそ、かの奇妙な人の表情をとりながらも、まるで馬のような形をした木彫が背中に二体、今度は子どものような人物像をちょこんと乗って立っています。子どもたちの様子は何とも無邪気です。色とりどりの石を嵌め込んだ目をキラキラと輝かせ、手には植物のつぼみを宝物のようにして大事そうに抱えていました。この原美の一室に、例えば展示期間中だけ泊まりに来た一家の団らんの姿のような、どこか微笑ましい光景が広がっています。



二階での外国人二名の作品では、紙に黒鉛などで繊細な建築物を描くピンカーネルのドローイングが心にとまりました。そう言えば原美術館では建築展が殆ど開催されませんが、このような作品を見る限りにおいても、相性は意外と良いのではないかと思います。是非望みたいところです。

品川駅からの徒歩アクセスにやや難のある原美術館ですが、いつの間にかシャトルバスの運行が開始されました。(日曜のみ。2009年6月末までを予定。)このバスはブルームバーグ提供のアートバスということで、作家田尾創樹の手がけたデザインでラッピングされているのだそうです。次回は是非利用してみたいです。(時刻表



8月末日までの開催です。
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「小袖 江戸のオートクチュール」 サントリー美術館

サントリー美術館港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン・ガーデンサイド)
「初公開 松坂屋京都染織参考館の名品 小袖 江戸のオートクチュール」
7/28-9/21



1931年、京都で開設され、現在は染物資料を全1万点ほど所蔵するという、松坂屋京都染織参考館の小袖、約300点を展覧します。サントリー美術館での「小袖 江戸のオートクチュール」へ行ってきました。

染物などに関心の薄い私にとって、実は日頃、お世話になっているこの方にお誘いいただくまでは見るのをパスするつもりでしたが、率直なところこの展覧会は、私のような小袖のこの字も知らない人間でも十分に楽しめるものです。その理由は言うまでもなく、小袖の意匠の持つ深い絵画性にあります。艶やかな梅などの草花はもちろんのこと、朱に染まる紅葉から流水紋に宝船、鷹狩りから宇治風景に到るまでのモチーフは、小袖を単なる衣服というの枠から開放し、多様な詩情と斬新な意匠を持ちうる、一つの絵画世界へと昇華させていました。ひょっとすると、かの鳥獣戯画展よりも長居して、しげしげと作品を見入っていたかもしれません。

 

展示ではいくつかの様式をとった江戸期の小袖全般と、その変遷を知る上で『重要な資料』(公式HPより)である雛形本などが紹介されていましたが、不思議とパッと見た際の第一印象で好き嫌いが分かれてしまうのは、やはりそれが人を飾る衣装と言う道具の一つであるからなのでしょう。印象深い作品を挙げていくとキリがありませんが、小豆色の地に草花と応挙犬の如く可愛らしい犬たちが戯れる「雪持ち蘭に仔犬模様振袖」(江戸後期)や、まさに宗達の扇面流しの屏風を思わせるダイナミックな図柄の「扇面模様小袖」(江戸中期)などは、上の図版を見ても改めて見事だと思える作品の一例です。また伊勢の八橋に構図をとった「杜若に八橋模様小袖」(江戸中期)など、江戸絵画としては定番中の定番と言えるモチーフの作品も魅力的でした。シチェーションに合わせ、色とりどりの小袖を選ぶことの出来る女性たちが素直に羨ましく思えるほどの多様なラインナップです。



明治の洋画家、岡田三郎助の小袖コレクションを紹介した一角も見応えがありました。小袖に惚れ込み、小袖を纏う女性を描いた岡田の油絵、「支那絹の前」はなかなかの力作です。また、その際に用いた小袖も合わせて展示されていました。イメージも膨らむ、巧みな展示構成です。

9月21日までの開催です。(三度の展示替えあり。リスト
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「雨宮庸介 ムチウチニューロン」 TWS渋谷

トーキョーワンダーサイト渋谷渋谷区神南1-19-8
「TEAM 雨宮庸介 ムチウチニューロン」
6/28-8/31



雨宮庸介と言えば、あのひしゃげたリンゴを思い出しますが、今回はそれを使った奇妙なパフォーマンスを楽しむことが出来ます。渋谷のワンダーサイトで開催中の個展へ行ってきました。

白いカーテンに遮られた入口を抜けた瞬間からして、思わず体が仰け反ってしまうかのような見事な『掴み』が用意されていました。カーテンをくぐった後、直ぐさま展示室への『出口』と変化するのは、何ら変哲のないごく普通の縦長ロッカーです。そしてその先には、同じようなもう一つのロッカーと、おそらくはりんごの木をイメージした植木、または床に脱ぎ捨ててある白いシャツ、さらにはゴロゴロと転がるリンゴと、まるで統一感のない摩訶不思議な空間が待ち構えています。そして唯一、それこそアート的な様相を呈しているのは、スペース右正面にある、あたかもこの部屋を写す鏡のような一枚の巨大スクリーンです。そこではこの空間の言わば鏡面世界として、時に観客風の人物まで登場させながら、限りなく時間の緩やかな物語を映し出しています。しばらく見ていると、スクリーン中の人物がこちらを向いて正座し始めました。何やらこの部屋のどこかに隠しカメラがあって、その様子を時間差で放映しているかのようです。まずは見ているようで見られているとでも言える演出にて、その場に居合わせる者の身体的感覚をゆさゆさと揺さぶってきました。

さて、この先へ進むには、半ば『運』と『出会い』が必要でしょう。これまでの内容であれば、装置としてもそれなりに面白いインスタレーションという印象で終ってしまう面も否めませんが、さらにぼんやりとこの部屋で例のスクリーンを眺めていると突如、奥のロッカーの扉がそろりと開き、頭にはゴーグルをかけた、上半身の裸の妖し気な男性がゆっくりと現れました。そしてその手にはシンボル、リンゴを持っています。ようは、雨宮本人のパフォーマンスが始まったと言うわけでした。

内容についてはネタバレ感があるので触れませんが、パフォーマンス自体は、スクリーン内で展開されている内容とあえて相当に重複しています。雨宮がうろうろと動きながら立ち位置をかえ、さらにはロッカーを出たり入ったりしながら、リンゴと戯れ、またそのリンゴを通して観客とコンタクトをとっていくわけです。その意味について詮索する必要は殆ど不要でしょう。パフォーマンスとこの空間、そして観客とスクリーンの鏡面世界とが、微妙にズレながら、何とも噛み合ない全体を作り出していました。時間のずれ、空間の歪みを、一つのパフォーマンスを通して疑似体験するかのような面白さがあるのです。

もう一つ、奥の小部屋も見逃さないようにご注意下さい。そちらはこのパフォーマンスとは直接関係はありませんが、雨宮の一つの完成された耽美的な世界が広がっています。



今月末日までの開催です。ちなみに雨宮は土日の如何を問わず、ほぼ毎日在廊しているとのことですが、その『出現』時間は全くをもってランダム、ようは気の向くままであるのだそうです。これからご観覧の方の強運をお祈ります。
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「青山裕企 - ソラリーマン/undercover - 」 TWS本郷/和田画廊

トーキョーワンダーサイト本郷文京区本郷2-4-16
「青山裕企 ソラリーマン・オリンピック東京 2008」
8/2-24(会期終了)

和田画廊中央区八重洲2-9-8 近和ビル3階)
「undercover」
8/12-24(会期終了)

先日の日曜日まで、都内二カ所で開催されていた写真家、青山裕企(1978-)の個展です。半ば記号化された感のあるサラリーマンと女子高生を素材にしながらも、その先には対照的な世界観が広がっていました。



TWSの「ソラリーマン」はさながらアクション性の高い、パフォーマンスアート的な様相も感じられる展示と言えるでしょう。空飛ぶサラリーマン、言い換えて「ソラリーマン」と呼ばれるスーツ姿の男性が、どこでもありそうな道ばたにて、大げさにジャンプしたり、また壁を斜めに走って行くかような姿をとって写し出されています。スーツ、ビジネスバック、そして革靴と、ようはサラリーマンとしてのあるべきアイテムを完全なまでに身につけた彼らは、その飛び跳ねるという動き一つによって見事に別種の生き物、「ソラリーマン」へと変身してしまうわけです。ネクタイを締めた身なりと、真剣な表情そのものが、どう見てもジャンプという動きと似合いません。もちろんそのギャップに面白さがあるわけですが、上司にジャンプをせよと命ぜられれば、おそらくは力尽き果てるまで跳ね続けるのではないかと思えるほど、一心不乱になって宙を駆けていました。そしてその度合いが真に迫るほど、どこか悲哀を感じてしまうのは、まさに彼らが立ち止まることを許されない企業戦士の化身であるからなのかもしれません。



一方の和田画廊では、サラリーマンと同じく記号化された女子高生という素材を用いながら、「ソラリーマン」とは全く異なった、一つのシュールな絵画を見るような世界が展開されています。サラリーマンのスーツに対応する女子高生の完全必須アイテム、つまりは制服というものに身を包んだ彼女らは、スカートの裾をたくし上げたり、また足をさらけ出したりするなどして、どこか卑猥ともとれるポーズをとっていました。ただし今度はその動きがジャンプのように単純ではありません。突如、教室のロッカーの中へと頭から突っ込んだかと思うと、今度はいきなり足だけがミニスカートとともに出現するかのような様子が写し出されています。またもう一つ重要な点はその高い匿名性です。彼女らは「ソラリーマン」と異なり、顔を伺うことが出来ません。その切り取られた静謐な構図感、ようは素足やミニスカートなどが静物画のように組み合わされた様相は、相応にアーティステックと言えるのではないでしょうか。「ソラリーマン」にあった動きの面白さよりも、一つの図像としての独特な美学さえ感じられます。

「ソラリーマン」を募集した公開制作(TWSにて。)はなかなか盛況だったそうです。両展示とも既に会期を終えています。
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「山本努 展」 INAXギャラリー2

INAXギャラリー2中央区京橋3-6-18 INAX:GINZA2階)
「10daysセレクション - 予兆のかたち10 山本努」
8/20-30



光学現象を抒情的に表現(画廊HPより)するという、山本努の個展です。アクリル板を透過した光の三原色が、陽の差し込む森の木立や風の揺らめきなどを軽やかに表現しています。



表現形態こそ、10daysセレクションの一回目を担った松田直樹と全く異なりますが、作品の醸し出す繊細さ自体はそう違っているわけでもありません。松田の持ち手が米であったとしたら、山本のそれはまさに光そのものです。スペースの奥では、赤、青、緑の三原色のライトに照らされた4枚の回転透明アクリル板が、やや抽象的でありながら、心地良い波とも風の流れとも言えるような紋様を描いています。またもう一点、同じく三原色のライトを用いた作品では、樹木図が無数の穴によって表現された「Inter being」が秀逸です。透明アクリル板の穴に光があたり、透かし彫りされたかのような木々の光景が、仄かな色味をもって浮かび上がってきます。キャプションには夕景ともありましたが、朝靄、もしくは雨の後の湿り気に満ちた森などの姿も連想しました。イメージは比較的自由です。

決して派手さはありませんが、しばらく見ていると、いつの間にかその心地良さに浸る自分に気が付きます。また夏の暑いこの季節、どことない涼を感じるインスタレーションです。

今月30日まで開催されています。

*関連エントリ
「松田直樹 展」 INAXギャラリー2
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「青春のロシア・アヴァンギャルド」 Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム渋谷区道玄坂2-24-1
「青春のロシア・アヴァンギャルド - シャガールからマレーヴィッチまで - 」
6/21-8/17(会期終了)



既に文化村での会期を終えている展覧会ですが、ファンとしてはマレーヴィッチを10点見られただけでも満足出来ました。20世紀初頭のロシア芸術を、モスクワ市近代美術館のコレクションにて概観します。「青春のロシア・アヴァンギャルド」へ行ってきました。



川村記念美術館で「シュプレマティズム」を見て以来、マレーヴィッチに惹かれていた私ですが、今展観の10点は、彼の画風の変遷を追うのにも適切なラインナップと言えるでしょう。まず象徴的なのは、マレーヴィッチを抽象の雄として知らしめた一連のシュプレマティズム絵画です。特に、純白の十字架が、ややグレーを帯びた白いキャンバスへと打ち込まれた「白い十字架のあるスプレマティズムのコンポジション」(1917)には心打たれました。この確固たるまでの純粋さの生む気高き気配とは、一体何に由来するのでしょうか。まさに彼の信じた芸術の方向性を、平面上に激しく刻印するかのような力強さをたたえています。この崇高な抽象こそマレーヴィッチの醍醐味です。



スターリンが台頭すると前衛は否定され、マレーヴィッチも一連のシュプレマティズムとはまた違った解答を出すことが迫られます。その一つが、例えばちらし表紙を飾る「農婦、スーパーナチュラリズム」(1920)です。原色の鮮やかなマチエールに象られた色面がせめぎあう大地の上を、まるでそこを支配せんとばかりに立つ農婦の姿が堂々と描かれています。また「刈り入れ人、1909年のモチーフ」(1920年代)も、どこかグラフィカルな様相を感じながら、農村への賛美、もしくはそこでの生産運動への尊敬の念を見るような作品でした。もちろんここでもマレーヴィッチは、以前のシュプレマティズムの持っていた唯一性をまだ残しています。色に形に彼らしい、建築を思わせる逞しい造形美をたたえていました。

ここで終ってしまえば彼の画業を追うのにはやや不十分ですが、今回はさらにその後に描いた作品が二点ほど展示されています。それがまさに具象、言わば正統的な肖像画を思わせる「自画像」(1933)と「芸術家の妻の肖像」(1933)です。ここにはもはやかつてのマレーヴィッチの作風は伺えませんが、自画像における、やや前を恨めしそうに眺める様が、シュプレマティズムを放棄せざるを得なくなった彼の一種の無念がこめられているようにも感じられます。もちろんマレーヴィッチの具象への回帰は、スターリン云々の外的な要因だけでは語れない部分もありますが、かの白い十字架より、己のやや卑屈にも思える像への展開は、この時代のロシアの画家を象徴しているに相違ありません。



マレーヴィッチの感想だけで長くなってしまったので切り上げますが、この他にもあたかもルソーを思わせる、奇妙な幻想世界を構築したグルジアの画家、ピロスマニ、またはゴーギャンをさらに土着的に仕立てたようなゴンチャローヴァなど、数多くの見所のある展覧会でした。ちなみに今出品作70点は、全て日本初公開なのだそうです。道理で新鮮味があったわけでした。



なおこの展覧会は以下、大阪のサントリーミュージアム天保山(9/25-11/3)、岐阜県美術館(11/11-12/25)、そして北浦和の埼玉県立近代美術館(2009/2/7-3/22)へと巡回します。見逃された方にはそちらでのご観覧がおすすめです。
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「常設展 水墨画特集」 鎌倉国宝館

鎌倉国宝館神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-1 鶴岡八幡宮境内)
「常設展 水墨画特集」
8/7-31



探幽、廬雪、若冲とあれば素通りは出来ません。先述の鏑木清方記念美術館へ行った際に寄ってきました。鎌倉国宝館の常設展、「水墨画特集」です。



清方美術館から国宝館へは意外と至近です。清方美術館より神奈川県立美術館の本館前を抜け、八幡宮正面の三の鳥居から源氏池を右手に一歩裏へ入ると、すぐに唐橋を従えた和様の鉄筋コンクリートの建物が見えてきます。そこが鎌倉国宝館です。ものの10分とかかりません。



館内のスペースは、例えば興福寺の国宝館などと同じくらいでしょう。順路に向かって右側には、鎌倉界隈の寺院より集められた仏像がズラリと揃い(彫刻常設展)、その奥、左側には今展観の水墨画が並んでいます。その数、絵画26点(重文9点)、彫刻、工芸約30点を合わせ、計60点ほどです。(出品リスト)恥ずかしながら初訪問でしたが、まさかこれほど見応えがあるとは思いませんでした。

図版がないのでお伝えしにくいのですが、まず惹かれたのは建長寺由来の何とも風雅な「観音図」(室町時代)です。切り立った断崖絶壁の小滝にて、両足を水へ差し出しながら涼をとる観音様が描かれています。一般的に観音図はこのようなモチーフをとる作品が多いとは言え、ここまで気持ち良さそうにする様子もなかなかないのではないでしょうか。またもう一枚、建長寺の「猿猴図」(南北朝時代)も印象に残りました。この手長猿のふさふさの感触は、前に相国寺で見た等伯の同名の屏風にも良く似ています。南北朝期より等伯の時代へと受け継がれた画題なのでしょう。興味深い作品でした。

上に挙げた江戸絵画の三巨匠では、特に廬雪の「牧牛図」(江戸時代)が秀逸です。月の出た夜の闇の元にて、牧童に囲まれた一頭の牛が素早いタッチで描かれています。また背景の夜を薄墨で表し、前景に佇む牛を今度は濃墨で示していました。それに牧童たちの表情がどこか滑稽です。あたかも牛の体の中へとめりこんでいったかのような表現がとられています。これはシュールです。

伝雪舟の軸、円覚寺所蔵の「山路図」(室町時代)も挙げておきたい一点です。鋭角的な線で示された岩場が、堅牢な山水の空間を巧みに生み出しています。印章は比較的ハッキリと確認出来ながらも、あくまもで伝雪舟の作とのことですが、その幽玄な趣には惹かれるものがありました。

もちろん展示の半数を占める仏様も見逃せません。「薬師三尊像」(平安時代)を囲んで火花を散らす「十二神将立像」(鎌倉時代)の勇ましさは勿論のこと、鎌倉ならではの「北条時頼坐像」(鎌倉時代)なども見事な作品でした。



国宝館では今年度、今回のような常設を兼ねた特集展示を4回、また企画展を5回ほど予定しています。(10月には、開館80周年記念の全館規模の特別展、「鎌倉の昇華」を開催。)ほぼ月に一回程度の展示替えです。近場なら毎月通っていたかもしれません。



今月末、31日までの開催です。
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「鏡花作 清方描く」 鎌倉市鏑木清方記念美術館

鎌倉市鏑木清方記念美術館神奈川県鎌倉市雪ノ下1-5-25
「鏡花作 清方描く」
7/10-9/3



率直なところ、鏑木清方にはこれまで少し苦手意識がありましたが、この展示で大分と良い印象に変わりました。同時代に活躍した二人の芸術家、絵師清方(1878-1972)と、小説家の泉鏡花(1873-1939)の関係を辿ります。「鏡花作 清方描く」展を見てきました。



清方はもちろん、泉鏡花についても殆ど知識がありませんが、この展観は私のような素人にも二者の交流関係が理解出来るよう、かなり丁寧に構成されています。出品されているのは、清方が泉鏡花の小説を元に描いた挿絵、もしくはその下絵など、全62点です。そもそも清方は、駆け出しの頃から鏡花の大ファンで、二人の関係も、既に名を馳せていた鏡花へ会いに行ったことから始まりますが、確かに作品を見ても、良いものを描こうとする清方の心意気が感じられるような魅力あるものに仕上がっています。一方、鏡花も、当初より清方を非常に買っていました。初対面の際、挿絵に対する考え方(ちらしより引用)などから意気投合した二人はその後、原稿を持って互いの自宅を訪問し合うなど、交流も更なる深い部分へと進展します。そしてそのような仲を示す一枚として挙げられるのが、「小説家と挿絵画家」です。おそらくは清方宅にて、鏡花と清方が真剣に話し込む様子が描かれています。次に発表する画の詳細でも詰めているのでしょうか。話の尽きることはなさそうです。

 

清方ファンにとっては自明のことかもしれませんが、今回、私が今更ながらに発見したのは、彼の画の持つ深い叙情性です。清方と並び、美人画の三巨匠に挙げられる松園と深水の女性像を好む私にとって、清方のそれは相当に異質でしたが、むしろ彼の持ち味は凛とした清潔感のある美人画を描くということよりも、例えば物憂い気味に沈み込み、どこか儚く刹那的な様相をとる、半ば劇画のように感情の発露された女性にあるのではないでしょうか。鏡花原作の「深沙大王」や、「金色夜叉」にモチーフにとる作品を見て下さい。(上の2枚)男に寄り添う女の侘しさや、その一瞬の様が見せる美しさを見事に示しています。動きのある構図、また趣き深い情感などは、例えば竹久夢二の世界に近い部分があると言えるのかもしれません。この二枚を見て、清方へのイメージはかなり変化しました。彼はまさに大正ロマンを体現する画家だったようです。



鏑木清方記念美術館へは初めて行きました。鎌倉駅より観光客で賑わう小町通りを八幡宮の方へ抜け、一本横へそれた住宅地の中にひっそりと建っています。全体としては相当に手狭ですが、画室の再現展示をはじめ、白石の敷きつめられた中庭、またはそれを望む清潔感のある休憩コーナー、さらには随所に生けられた花など、ついつい長居したくなるような居心地の良い施設でした。また年間を通して見ると展示替えも頻繁です。今後、鎌倉へ行った際には是非立ち寄りたいと思います。



清方へのイメージを改める良い機会となりました。9月3日までの開催です。
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「第14回 秘蔵の名品 アートコレクション展」 ホテルオークラ東京

ホテルオークラ東京港区虎ノ門2-10-4 アスコットホール 別館地下2階)
「第14回 秘蔵の名品 アートコレクション展 - パリのエスプリ・京の雅・江戸の粋 - 」
8/8-30



毎年、お盆になると、ホテルオークラまでいそいそと足を運んでいるような気がします。今年で14回を数える夏の東京のアートな風物詩、「秘蔵の名品 アートコレクション展」へ行ってきました。



出品数からすれば、今年のアートコレクションはやや小ぶりと言えるかもしれません。リストを見比べれば一目瞭然、去年は全103点の絵画が展示されていたのに対し、今年は例えば計60点ほどにとどまっています。(ただし、広重の名所図絵全55枚を出品リストに倣って一点として数えた場合。)そのせいか、お馴染みの会場アスコットホールも、心なしか余裕があるように感じられました。とは言え、ちらし表紙も飾る、大山崎山荘よりのモネの大作「睡蓮」をはじめ、大成建設と村内のドービニーの見事な三点の風景画、または柏の摘水軒よりの二点の若冲、さらには襖四面に曲水宴などの光景が壮麗に描かれた冷泉為恭の「鷹狩・曲水宴図襖」など、他で展観されにくいような名品が出ているのも事実です。お気に入りの一点を探すのにさほど時間はかかりません。



今回、私の一推しに挙げたいのは、六曲一双の屏風に虎が対峙する、竹内栖鳳の「虎」です。これはまさにいつもお宝を秘めて蔵している三の丸尚蔵館の作品ですが、睨みをきかす虎の表情が栖鳳ならではのリアルな表現にて巧みに示されています。それに澱みない線描によるヒゲの様子や、たらし込みを利用したそのふっくらとした体つきなども見所の一つです。また例えば応挙の作のように、江戸絵画におけるどこか猫のような虎と比べると、相応に真へ迫っているように見えるのは、やはり栖鳳自身が生きている虎を見て描いたからなのでしょうか。かの代表作、「班猫」にも劣らない名作と言えそうです。



西洋画では8点ほど出品されていたモネにも見応えがありましたが、とりわけ惹かれたのは、上でも触れたドービニーの3点でした。中でも1867年、パリ万博の美術展にて展観され、1等賞を得たという彼の自信作、「ボニエール近郊の村」は必見の一枚です。夕日に照らされた川沿いの村が、川面に反射する家々の光景も鮮やかに、うっすらと朱色を帯びた瑞々しい色彩感にて美しく描かれています。また土手で馬に水を飲ます様子が、一日の勤めを終えた日常の一コマを控えめに表していました。黄昏時の僅かな時間だけに見られる一瞬の美しさを見事に切り取った作品です。

その他では、ついこの間まで東博の表慶館で開催されていた、フランスのジャポニスム陶器展に出ていたブラックモンの銅版画なども印象に残りました。また大倉集古館ご自慢の名品、酒井抱一の「五節句図」も久々に出品されています。



展示のトリを飾るのは、北斎と広重による二大巨匠の浮世絵群です。広重の「五十三次名所図絵」にて東海道の疑似ツアーを楽しんで会場を後にしました。

また今年もアートコレクションのチケット1枚にて、大倉集古館(紙で語る)、及び泉屋分館(明治の七宝)の展示を見ることが出来ます。毎度のことながらお得感のある展覧会です。

今月30日までの開催です。
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「対決 - 巨匠たちの日本美術」 東京国立博物館

東京国立博物館・平成館(台東区上野公園13-9
「対決 - 巨匠たちの日本美術」
7/8-8/17(会期終了)



夏の上野を珠玉の日本美術で席巻した「対決 - 巨匠たちの日本美術」が、つい昨日、37日間の会期を終えて閉幕しました。最終週には風神雷神図もお目見えしてヒートアップした同展覧会でしたが、報道によれば、入場者の総計は32万6784人に達したそうです。これを一日あたりに換算すると8832名です。昨年のトップ3(関東地区の一日あたり。レオナルド10076名、モネ9457名、徳川9053名。)には若干届きませんでしたが、暑いこの時期の開催、さらには後半にメディアの露出の多い五輪と重なったことを鑑みても、ビックイベントに恥じない数字をたたき出したと言えるのではないでしょうか。大雑把ながらも明快な切り口、そしてそれを支える名品の数々と、ともかくインパクトにおいてはこの上ない展観であったのは相違ありません。図版でしか知らない有名作にこれほど多く出会えたのも初めてでした。それだけでも満足です。

今更感がありますが、実はまだ私はこの展示についての感想を書けておりません。というわけで短文にて、前回の内覧会記事と重なるものの、いくつか印象深かった点を、ようは「どちらが好きか。」という主観による勝敗とともに挙げていきたいと思います。宜しければおつきあい下さい。

「運慶 vs 快慶」 - 人に象る仏の性
勝ち:快慶
 線の細い快慶作の菩薩像に見る、どことないあどけなさ。一点勝負だったが、平常展の六波羅密寺で補完出来る内容がまた嬉しかった。

「雪舟 vs 雪村」 - 画趣に秘める禅境
勝ち:雪村
 画そのものの完成度としては雪舟に軍配を挙げたいところだが、「蝦蟇鉄拐図」や「呂洞賓図」のアニメーション的な躍動感はともかく強烈。ただし雪舟の「四季花鳥図屏風」の左隻における、雪にも埋もれた木や水辺の迫真の描写は実に印象深い。今にもガラスが砕け散って割れてしまうかのような緊張感をもって凍り付いている。

「永徳 vs 等伯」 - 墨と彩の気韻生動
勝ち:永徳
 永徳好きには「檜図屏風」が、久々に東博で出たことだけでも嬉しいもの。また「花鳥図襖」の、簡潔で流れるような墨線ながらも、見事に輪郭と事物の重量感を生み出す描写に改めて感嘆。等伯の「松林図」は、いつもの国宝室のようなやや過剰気味の演出がないことがむしろ作品の良さを素直に引き出していた。別に暗い部屋で霧と靄を演出する必要はない。

「長次郎 vs 光悦」- 楽碗に競う わび数寄の美
勝ち:長次郎
 形の遊びよりも器に瞑想の小宇宙を見る長次郎に軍配。ただしこの二者ばかりは完全に好みの問題が優先されそう。光悦の三十六歌仙和歌巻では、希代の二者のアーティストが美しいコンチェルトで華麗に響宴していた。跳ね上がるような書のリズムはまさに音楽的。

「宗達 vs 光琳」 - 画想無碍・画才無尽
勝ち:宗達
 まずは見たかった宗達の「蔦の細道図屏風」に感動。ループする大地に無限の広がりを思う。一方の光琳は会期前半こそやや分が悪かったものの、後半の「孔雀・立葵図屏風」にて激しく追い込んだ。図像的な立葵に太い梅の木の下に立つ孔雀という組み合わせが異色。最後に可愛らしい「狗子図」を持って来る妙もあり、総合力で宗達の勝ちか。(オリジナルの優位があるとは言え、先人への追慕の念もこめられた「風神雷神」は基本的に優劣を競う作品ではない。)

「仁清 vs 乾山」 - 彩雅陶から書画陶へ
勝ち:仁清
 琳派好きとしては乾山に挙げたいものの、今回は仁清にぐっと惹かれた。仁清は派手ではなくむしろ繊細。「色絵吉野山図茶壺」のグラデーションの美しさ。

「円空 vs 木喰」 - 仏縁世に満ちみつ
勝ち:円空
 円空仏の微笑みは永遠。荒削りな造形に仏像というよりも、もっと古代の普遍的なアニミズムの様相を感じる。

「大雅 vs 蕪村」 - 詩は画の心・画は句の姿
勝ち:蕪村
 前回も触れたように今展観一の見所はここ。とくに会期後半、大雅の「楼閣山水図屏風」と蕪村の「山水図屏風」の金銀屏風対決は圧巻の一言。その他、点描状のタッチにてモネかシニャックを思わせるような、美しい暖色の景色の広がる大雅の「瀟湘勝概図屏風」、または塗り残しを巧みに用い、雪中の鴉を刹那的に示した蕪村の「鳶鴉図」なども見応え十分。そして何と言っても傑作なのは、蕪村の「夜色楼台図」。古今東西の絵画でこれ以上に情景的な雪景色を見たことはない。

「若冲 vs 蕭白」 - 画人・画狂・画仙・画魔
勝ち:若冲
 今展覧会で最もド派手な「群仙図屏風」が登場。そのシュールで薄気味悪いタッチやモチーフに見入りながらも、濃厚な鶏と、地味ながらも視覚効果に長けた石灯籠の硬軟を使い分ける若冲に軍配を挙げたい。次に「仙人掌群鶏図屏風襖」を見られるのはいつのことか。

「応挙 vs 芦雪」 - 写生の静・奇想の動
勝ち:廬雪
 左の二面の展観がなかったのが残念だが、やはり飛び出す絵本、廬雪の「虎図襖」の面白さは群を抜いている。それに対する応挙は「猛虎図屏風」ではなく、やはり水流の表現に彼の真骨頂を見る「保津川図屏風」だろう。

「歌麿 vs 写楽」 - 憂き世を浮き世に化粧して
勝ち:写楽
 美女と美男対決。ここは素直に歌麿といきたいところだが、写楽の大見得をきる様にはどうしても圧倒されてしまう。その威圧感で写楽。

「鉄斎 vs 大観」 - 温故創新の双巨峰
勝ち:鉄斎
 富士山対妙義山の前期はやや締まらない感があったものの、鉄斎が入れ替わり富士山対決となったところでぐっと興味深い対決となった。鉄斎の濃厚さと大観の割り切った造形描写は実に対照的。

如何でしょうか。私としてはこれまでそれほど魅力を感じなかった与謝蕪村や仁清、または雪舟、雪村の面白さを感じ取れたのもこの展覧会での大きな収穫でした。全展示のマイベスト作品は上述の通り、蕪村の「夜色楼台図」です。思わず作品の前で無意識に足が止まり、その画中世界へすっと引き込まれたのは久しぶりのことでした。

これだけの大型展が一応、一区切りを迎えながら、まだ終ったという気がしないのは、やはり秋に大琳派を控えているからなのかもしれません。風神雷神の展観はそれに向けての期待感を高めるよい導入となりました。次は10月です。

*関連エントリ
「対決展@東京国立博物館」がはじまる
大琳派展(東博)、公式サイトオープン
大琳派展@東博、続報(関連講演会、書籍など。)
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「明治の七宝」 泉屋博古館分館

泉屋博古館分館港区六本木1-5-1
「近代工芸の華 明治の七宝 - 清水三年坂美術館コレクションを中心に」
7/19-9/15



このような工芸品があったとは知りませんでした。明治時代に花開いた、ガラス粉を焼き付けて模様を描いていく工芸、七宝の品々を展観します。泉屋博古館分館での展示を見てきました。

 

その艶やかでかつ繊細な絵付けの様子を見ていくと、さながら流麗な蒔絵の世界をガラス工芸で再現した世界を楽しんでいるような気分になっています。出品されているのは主に明治期に活躍し、近代七宝を完成させた尾張の作家、梶常吉や林小伝治らによる、全150点弱にも及ぶ七宝の数々です。実際、その意匠は時に肉眼で確認するのが困難なほど細かく、一部の作品には虫眼鏡が用意されているほどでもありますが、花鳥の美しい世界を蒔絵の如く雅やかに、それでいて西欧への眼差しを思わせるどこかエキゾチックな様は、確かに目を奪われるものがありました。私はどちらかというと花瓶の全面を紋様で埋め尽くす、例えば林小伝治の「花鳩図花瓶」などよりも、もっと余白を用い、モチーフにも軽やかさを感じさせる「菖蒲図花瓶」の方が好みですが、色彩感に溢れた絵が花瓶いっぱいにひろがっても、あまり重厚感を見ないのは、やはりガラスという素材のなせる業なのかもしれません。透明感が感じられます。

色絵貼付屏風の七宝仕立てにした「七宝貼込屏風」には驚かされました。まさに珍品とも言えるような代物ですが、壮麗な屏風に、例えば鳥獣戯画などをモチーフを借りたような七宝の板が何枚も文字通り貼り込まれています。また七宝との名を初めて聞く私のような素人にも理解出来る解説パネル、もしくはVTRなど、簡潔な装置を用いながらも丁寧に展示を組み立てる泉屋博古館の企画のセンスにも感心させられました。知られざる良品の魅力を紹介する、同美術館ならではの好企画です。



出品の大半は、世界屈指の七宝コレクションを誇るという、京都の清水三年坂美術館の所蔵品です。これ以上の七宝展は世界のどこを見ても存在し得ないとも言えるのかもしれません。



9月15日まで開催されています。
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「觀海庵落成記念コレクション展 - まなざしはときをこえて - 」 ハラミュージアムアーク

ハラミュージアムアーク群馬県渋川市金井2844 伊香保グリーン牧場内)
「觀海庵落成記念コレクション展 - まなざしはときをこえて - 」
7/27-9/23

 

新築された「觀海庵」(注)の展示の完成度は、おそらくは北品川の原美の空間をもってしても達することがないのではないでしょうか。「觀海庵」のオープンを記念する全館規模のコレクション展示です。ハラミュージアムアークでの「まなざしはときをこえて」へ行ってきました。



既設の独立した3つの展示室、つまりはギャラリーA、B、Cの展示は、まさに原美術館のコレクション展のスケールアップバージョンと言えるのかもしれません。ほぼ正方形をしたギャラリーAには、直径360センチにも及ぶ遠藤利克のサークル状になった巨大オブジェ、「Lotus」があたかもご神体のように鎮座し、それを三十三堂の仏像に取材した杉本博司の「千体仏」が見守るかのようにしてぐるっと取り囲んでいます。そのボリュームにおいて見る者を圧倒する無数の仏と、重厚な物質感に由来する静謐さが空間を引き締める遠藤のオブジェは、心地良い緊張感を保ちながらも見事に調和していました。この二点だけでも、同美術館の展示のセンスが伺えるというものです。モノクロの空間がまた身を引き締めてもくれました。

ギャラリーB、及びCには、インスタレーション好きにとってはたまらない展示が待ち構えています。ギャラリーCの最奥部、観音開きの白い扉の向こうで眩くのは、草間彌生のかぼちゃの夢幻回廊、「ミラールーム(かぼちゃ)」です。草間ではもはやお馴染みとなった黄色の水玉かぼちゃが部屋一面に描かれ、中央には同じくかぼちゃの内部空間を持つ、ちょうど2メートル四方のガラスキューブが置かれています。キューブのガラス面に反射する目もくらむようなイエローに黒のドット、そしてそこに写り込む自分や他の観賞者、さらにはキューブ内部へ繋がる鏡面世界と、まさに全てがかぼちゃに浸食されてしまったかのような空間が出来上がっていました。ここに居るのはものの10分、いや5分が限界でしょう。いつの間にか幻視を見ているかのように感覚が麻痺してしまいます。



ギャラリーBの暗室にある束芋の「真夜中の海」は、ひょっとすると彼女のビデオインスタレーションでも最上位に位置する作品かもしれません。ガラス面を利用した広大な海面の波が、何やら奇怪な生物の魂として彷徨い、それがまた海へ帰っていく様子が表現されています。またその他、名和晃平の二点の光瞬くオブジェ、あたかもこの建物の元来の住人であるかのように何食わぬ顔で座る加藤泉の木彫人形、さらには重厚な白のマチエールにくすんだ紫が暗鬱に横たわるフォートリエの「干渉」なども印象に残りました。そしてこの見応えあるラインナップに続いて、かの極まった「觀海庵」が続くというわけなのです。実に贅沢です。







「觀海庵」は上記のギャラリーとは入口を挟んで反対側、つまりは正面を向かって右奥へ通じる長い回廊の先に建っています。格子戸を開け、カプーアのオブジェや杉本の「海景」に迎えられたと思うと開けてくるのは、応挙とロスコ、それに須田とクラインと永徳とが書院造風の和の空間にて完膚無きにまでに調和、またはそれこそ対決して火花を散らす、古今東西の垣根を超越した独特な美の世界です。率直なところ、この展示の素晴らしさを文字で細々と触れるのは野暮だとさえ思いますが、ようは儚さを醸す須田の花が江戸時代の華やかな蒔絵刀筒に命をそっと吹き込み、永遠の炎を揺らめかせるロスコの孤高の赤が、繊細極まりないミクロの風景が広がる応挙の「淀川両岸絵巻」を敢然と見下ろし、さらにはおどけた様子ながらも、肩をあげて威嚇する永徳の虎が、ガラスケースの中にてサファイアのように輝くクラインのオブジェをまさに虎視眈々と狙っている様を想像していただければ、その凄みというのが少しでも伝わるのではないでしょうか。もちろん庵ということで、作品数こそ20点ほどに過ぎませんが、この空間を体感するだけでも伊香保へ行く価値は十分にあると言えます。これは必見です。



9月23日まで開催されています。もちろんおすすめします。(今月末に「觀海庵」の展示替えあり。)

注)觀海庵(かいかいあん)とは館長、原俊夫の曾祖父、原六郎(觀海と号した)の収集した近世日本絵画コレクションを展示するため、既設の現代美術ギャラリーより回廊で結ばれる位置に作られた、磯崎新設計の書院造り風の建物。(ちらしより引用。一部改変。)
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「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」
7/2-9/15



華やかなはずの花や果物が描かれた静物画が、どことなく暗鬱な雰囲気をたたえているように見えるのは、その内実に隠されたメッセージこそが本質であるからなのかもしれません。ウィーン美術史美術館より選りすぐりの静物画、全75点を展観します。新美術館での「静物画の秘密展」へ行ってきました。



どちらかと言えば静物画は好きな方ではありますが、さすがにこれほどまとめて見ると、やや食傷気味に思えてしまうのは致し方がないのでしょうか。とは言えこの展覧会では、そのような地味な印象も拭えない静物画を、「秘密」という観点において謎解きしながら楽しめるような仕掛けがとられています。しかしながら、絵に添えられたキャプション、及び解説パネルでは、秘密を暴くまでは到底至りません。よって、ここでおすすめなのが音声ガイドです。もちろんこのガイドも簡潔なものなので盤石ではありませんが、企画の意図を楽しむにはその力を借りた方がより効果的と言えるのではないでしょうか。単に地球儀の精巧さ感心するのか、それともそこにこめられた意味を鑑みるのかでは、いわゆる静物画の秘密の観賞という点では大きく異なってきます。ただ、この謎解きの一種の『解答』にも注意が必要です。こちらのエントリでも触れられているように、公式HP上でも述べられている例のマルガリータの暗喩は、何ら意味も持ち得ていないという見方も存在しています。(そもそもマルガリータ王女の作品は静物画ではありませんが。)秘密は全て暴くのではなく、少しだけその扉を開いてあとは自由に見るというのが、結局、一番楽しめる鑑賞法なのかもしれません。





何と58種類の貝殻を表した「巻貝と二枚貝のある静物」(フランドルの画家に帰属)を見て、かの若冲の動植綵絵の「貝甲図」を思い出したのは私だけでしょうか。遠景に見える帆船が示す通り、大航海時代、世界を駆け巡って収集されたという貝殻の類いが写実的に描かれていますが、同じく博物学的な様相をとりながらも、その力の誇示を見せない若冲のそれとは当然ながら実に対照的です。またこの力という点においては、差し示された地球儀にその支配欲を見るサルカドの「虚栄」も印象に残りました。こちらは髑髏や火の消えた蝋燭など、お馴染みのヴァニタスのモチーフが、カール5世後の帝国の没落を暗示しています。静物画において、壊れた時計や枯れて落ちる花など、力や生命の永続性を否定するモチーフが頻出するのは、そうした支配や力への欲望への一種の裏返しが表れているからなのでしょうか。極めて教訓的です。



真に迫る描写の多い中で、やや一風変わった面白味を感じるのは、フレーゲルの工房による「果物、ワイングラス、花瓶のある静物」でした。木のテーブルの上に並べられた食べ物や花などが、見下ろすような鳥瞰的な構図によって捉えられています。実物への限りない接近を旨とする静物画の文脈に沿えば、この作品の表現は劣る面もありそうですが、どこか素朴派を思わせるタッチなどは逆に新鮮に感じられました。また、静物画画家として名高いダウが二点も出ているのも嬉しいところです。尿の瓶を振りかざした医者への風刺を見る「医者」にはにやりとさせられましたが、もう一点の「花に水をやる窓辺の老婦人」における、人物の肌、または白いずきんの見事な質感には言葉を失ってしまいました。この迫真の描写、さすがの貫禄です。

ベラスケスの「マルガリータ王女」は最後にお出ましです。視覚効果にも長けた作品だけあって、その前方と後方と、立ち位置を変えながら楽しまれることをおすすめします。

9月15日までの開催です。
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