2006年 私が観た美術展 ベスト10

先のコンサート編に引き続き、美術展のベスト10を挙げてみました。

「2006年 私が観た美術展 ベスト10」

1 「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」(1期2期3期4期5期
   宮内庁三の丸尚蔵館 3/25-9/10
2 「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」 7/4-8/27
   東京国立博物館
3 「ゲルハルト・リヒター展」 2005/11/3-2006/1/22
   川村記念美術館
4 「ヨロヨロン 束芋」 6/3-8/27
   原美術館
5 「須田国太郎展」 1/12-3/5
   東京国立近代美術館
6 「赤と黒の芸術 楽茶碗」 9/16-11/12
   三井記念美術館
7 「カルティエ現代美術財団コレクション展」 4/22-7/2
   東京都現代美術館
8 「宇治山哲平展」 2/4-4/9
   東京都庭園美術館
9 「藤田嗣治展」 3/28-5/21
   東京国立近代美術館
10 「HASHI『橋村泰臣』展」 9/16-10/19
   東京都写真美術館



ともかく今年は若冲に尽きます。プライス展を差し置いてでも一番上に花鳥展を挙げたのは、やはりあの「動植綵絵」の印象が非常に強く残っているからです。もちろんプライス展で拝見した江戸絵画の名品も見事でしたが、それを束にしても「動植綵絵」全30幅にて受けた感銘には及びません。それに花鳥展では、全4バージョンの中で最も完成度の高い、酒井抱一の「十二か月花鳥図」を初めて拝見することが出来ました。これも東博の常設に展示されていた「夏秋草図屏風」と同様、私が抱一の魅力にどっぷりと浸かる発端となったような作品かと思います。

3位以下では、期待通りのリヒターはもとより、見る度にその面白さにハマる束芋、または全く未知でありながらも想像以上に惹かれた須田や宇治山、それにHASHIや藤田など、いわゆる作家の回顧展で印象深い展覧会が多かったようです。また7位に挙げたカルティエ展は、主に外野(?)で喧々諤々と賛否両論があったようですが、私はとても面白く感じました。少なくとも今年のMOTの中では一番です。

以下は、ベスト10の他に心に残った展覧会です。

「揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに」 東京国立近代美術館 11/7-12/24
「MOTアニュアル2006 No Border」 東京都現代美術館 1/21-3/26
「プリズム:オーストラリアの現代美術展」 ブリヂストン美術館 10/7-12/3
「ロダンとカリエール」 国立西洋美術館 3/7-6/4
「パウル・クレー 創造の物語」 川村記念美術館 6/14-8/20
「プラド美術館展」 東京都美術館 3/25-6/30
「坂本繁二郎展」 ブリヂストン美術館 6/16-7/8
「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」 東京オペラシティアートギャラリー 10/7-12/24
「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 世田谷美術館 10/7-12/10
「堂本尚郎展」 世田谷美術館 2005/12/17-2006/2/12
「アートとともに 寺田小太郎コレクション」 府中市美術館 4/29-7/17
「ホルスト・ヤンセン展」 埼玉県立近代美術館 4/5-5/21
「神坂雪佳展」 日本橋高島屋8階ホール 5/24-6/5

全体を振り返ってみると、私の趣向が年々、コンテンポラリーから日本美術へと向っているような気もします。新春早々、来月末より森美術館で予定されている「日本美術が笑う」展が今から楽しみです。

このエントリが今年最後となりそうです。本年も「はろるど・わーど」におつきあい下さり、どうもありがとうございました。それでは良いお年をお迎え下さい。

*関連エントリ
2005年 私が観た美術展 ベスト10
2004年 私が観た美術展 ベスト10その2。2003年も含む。
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2006年 私が聴いたコンサート ベスト5

全くの主観と偏見による、私的コンサートベスト5です。今年は、話題となった外国オーケストラなどの来日公演へ全くと言って良いほど出向いていませんが、それでもなかなか優れたコンサートに接することが出来ました。

「2006年 私が聴いたコンサート ベスト5」

1 「新国立劇場2005/2006シーズン」 4/9
   「カヴァレリア・ルスティカーナ」+「道化師」 ファビオ・ルイージ指揮
2 「東京交響楽団 第536回定期演奏会」 5/27
   ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」他 ドミトリー・キタエンコ指揮
3 「読売日本交響楽団 第455回定期演奏会」 12/15
   メシアン「トゥーランガリラ交響曲」 シルヴァン・カンブルラン指揮
4 「東京二期会オペラ劇場」 4/22
   モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」 ユベール・スダーン指揮
5 「ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ」 2/20
   ヴィヴァルディ「和声と創意への試み」他 ファビオ・ビオンディ指揮



ベスト5の中でも1位と2位は別格です。オケを鍛え上げ、いつもの新国とは別次元のカンタービレを聴かせたルイージと、東響から恐ろしいまでのパワーを引き出し、冷酷無比なショスタコーヴィチの響きを実現させたキタエンコはともかく圧巻でした。また、4位に挙げたティートはコンヴィチュニーの演出が全てです。ただ先鋭的なだけでなく、あれほど劇の核心にまで到達した舞台を拝見したのは初めてでした。その他、4位のトゥーランガリラは、カンブルランのセンスの良いバトンテクニック、そして5番目のエウローパ・ガランテは、ビオンディの愉悦感溢れる演奏が心に残りました。

ここに挙げた5つのコンサート以外では、「熱狂の日」にて対照的なモーツァルトの宗教曲を作り上げたコルボノイマン、またはゼッダの指揮だけはともかく素晴らしかった藤原のランス、さらにはN響をピュアなサウンドへと変化させたノリントンなどが印象的です。如何でしょうか。

今年は思っていたほどコンサートへ行くことがありませんでした。来年は話題となりそうな公演を含めて、もう少し積極的に音楽に接していきたいです。

*関連エントリ
2005年 私が聴いたコンサート ベスト5
2004年 私が聴いたコンサート ベスト3(2003年の「ベスト10」を含む。)
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1月の予定と12月の記録

いつもより少し早めですが、「予定と振りかえり」のコーナーです。

1月の予定

展覧会
「戸方庵井上コレクション名品展」 板橋区立美術館 ( - 1/14)
「新春企画 博物館に初もうで」 東京国立博物館 ( - 1/28)
「新春の寿ぎ - 国宝 雪松図・卯花墻を中心に - 」 三井記念美術館 (1/4 - 31)
「巴里憧憬 - エコール・ド・パリと日本の画家たち」 埼玉県立近代美術館 (1/6 - 2/12)
「ピカソ、マティス、シャガール - 巨匠が彩る物語」 うらわ美術館 ( - 2/18)
「ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展」 太田記念美術館 (1/3 - 2/25)

コンサート
東京都交響楽団第639回定期」 小倉朗「管弦楽のための舞踊組曲」他 (24日)
新日本フィル第412回定期」 シューマン「交響曲第4番」他 (26日)


12月の記録(リンクは私の感想です。)

展覧会
「プリズム:オーストラリアの現代美術展」 ブリヂストン美術館 (3日)
肉筆浮世絵展『江戸の誘惑』/荒木経惟『東京人生』」 江戸東京博物館 (3日)
「第3回 東山魁夷記念 日経日本画大賞展」 ニューオータニ美術館 (9日)
「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 世田谷美術館 (10日)
「出光美術館名品展2」 出光美術館 (10日)
「大竹伸朗 全景 1955-2006」 東京都現代美術館 (17日)
揺らぐ近代/臨界をめぐる6つの試論」 東京国立近代美術館 (23日)

ギャラリー
「蜷川実花展 永遠の花2」 小山登美夫ギャラリー (9日)
「木村友紀個展」 タカ・イシイギャラリー (9日)
「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」 シュウゴアーツ (9日)

コンサート
「新日本フォル第406回定期演奏会」 ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」他/ロストロポーヴィチ (6日)
「読売日本交響楽団第455回定期演奏会」 メシアン「トゥーランガリラ交響曲」/カンブルラン (15日)
「東京都交響楽団第637回定期演奏会Bシリーズ」 ショスタコーヴィチ「交響曲第8番」他/デプリースト (20日)

今月は期待通りの「江戸の誘惑展」を初めとして、「ルソー」や「プリズム」、それに「揺らぐ近代展」など、非常に充実した展覧会が揃っていました。コンサートも、ショスタコーヴィチの二曲はもう一歩足りなかったものの、読響&カンブルランは大当たりだったと思います。是非、再度共演していただきたいです。

新春はまず、毎年恒例の東博・初もうで展と三井の記念展から拝見したいと思います。また既に注目されているギメの浮世絵展と、抱一も出ているという板橋区立美術館の「戸方庵井上コレクション名品展」は、ともに会場の美術館へ行くこと自体が初めてです。これも楽しみです。

一月のコンサートはまだ殆ど未定ですが、とりあえず気になるものを挙げてみました。中でもブリュッヘンの登場する新日フィルの定期は、聞き逃せない演奏会となりそうです。

年末も差し迫ってきました。そろそろ年末恒例企画(?!)、コンサートと展覧会の「ベスト10」(「ベスト5」)をアップしたいと思います。
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「揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに」
11/7-12/24(会期終了)



見応え満点の展覧会でした。日本近代史における洋画と日本画表現の「間」を辿り歩きながら、そもそも日本画や洋画とは何かと探っていく内容です。また、普段は見逃してしまうような作品にまでスポットを当てた、さながら隠れた名品を提示する企画でもありました。

*展覧会の構成*(展示作品リスト
第一章 狩野芳崖・高橋由一 日本画と洋画の始まり
第二章 明治絵画の深層 日本画と洋画の混成
第三章 日本絵画の探求 日本画と洋画の根底
第四章 日本画の中の西洋
第五章 洋画の中の日本画
第六章 揺らぐ近代画家たち 日本画と洋画のはざまで

各章毎のタイトルを見るだけではあまりピン来ませんが、作品を順に拝見していくと、いつの間にやら洋画と日本画とで揺れ動いた日本近代絵画史を追体験出来る仕掛けになっています。第一章で紹介された狩野芳崖と高橋由一は、それぞれ形を作り上げつつあった日本画と洋画というジャンルを、半ば交差するような格好で受容、もしくは表現していた画家です。狩野派の伝統を汲む狩野芳崖が西洋画を、そして逆に西洋画を志した高橋が日本画的な表現へ取り組んでいく様子は、まさに当初から「間」に揺れ、結局ハッキリと分化することのない両ジャンルのクロスオーバー的な特性を如実に表していました。それが、各々の混成していく第二章の段階へと繋がっていきます。



第二章では、常設展示でもその威容を誇っていた原田直次郎の「騎龍観音」(1890)が、同時代の画家と展示されることで改めて価値を持っていました。またここでは、双方の表現技法と、またそこに有りがちな主題を転倒させた彭城貞徳の二作品が目立っています。屏風画に油彩が眩しい「油絵屏風」(19世紀)や、ヴァイオリンを弾く着物姿の女性が和室で佇む「和洋合奏之図」(1906)は、両ジャンルの絵画表現の混在を示す最も象徴的な作品です。

1907年の文展(文部省美術展覧会。いわゆる官展。)にて、日本画と洋画があくまでも制度的に区分されました。第三章では、お馴染みの大観や春草らの日本画画家と、黒田清輝などの油彩画家が、ともに明快な「日本絵画」の確立を目指して活動していたことが紹介されています。ただし、その中でも竹内栖鳳だけはやや異質です。何とモナリザの顔を観音に引用してしまったという「魚籃観音」(1928)と、ターナーの風景画すら思わせる情緒的な光景を描いた「ヴェニスの月」(1904)は心に残りました。特に絹に墨だけを用いて描いた「ヴェニス」はなかなか魅力的です。水墨画の印象派とでも言えるような作品でした。

 

双方の写実表現を取り挙げた第四章では、岸田劉生の「壺の上に林檎が載って在る」(1916)と、速水御舟の「茶碗と果実」(1921)が光っています。共に花瓶や茶碗と果実の組み合わせの静物画ですが、質感に長けた双方の魅力に接すると、もはや日本画も洋画もなく良いものはただ良いと言う、一般論でありながらもぬぐい去ることの出来ない結論に達してしまいます。陶器の冷ややかな艶と重み、そして照りのある果実の瑞々しさは甲乙を付けられません。ちなみに御舟の「茶碗」は発表当初、日本画にしては写実的過ぎるという批判があったのだそうです。(ちなみに速水御舟ではもう一点、「デッドシティー」という、彼らしからぬタッチの作品も出ています。これは色々な意味で驚かされる作品です。)

藤田らが紹介されていた第五章(「洋画の中の日本画」)を過ぎると、日本画と洋画の双方を残した9名の画家が取り上げられています。ここではやはり今年の回顧展にて印象深かった須田国太郎が圧倒的です。書きなぐったような黒の線にサーモンピンクが不気味に灯る「校倉」(1943)の魅力はともかく、屏風に墨で描かれた「老松」(1951)には大いに感銘しました。まるで怒り狂った龍がのたうち回っているかのような黒が、斬新な書の味わいとも取れるような奇抜な構図にて配されています。どちらかと言うと内省的な画風を見せる須田に、このような開放的で激しい作品があるのは何やら意外です。見ていると吹き飛ばされそうになってしまうほど、墨線が目まぐるしく、また轟々と暴れ回っていました。



「モダン・パラダイス」展では、名品をややもてあそんでいた感も受けましたが、今回は実に良く練られた構成で満足出来ました。抽象性すら感じさせる構図がデザインとしても面白い熊谷守一の「雨滴」(1961)を最後に挙げて、今年の展覧会のエントリを終わりにしたいと思います。一瞬クレーが頭をよぎる、微笑ましい作品でした。(12/23鑑賞)
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「大竹伸朗 全景 1955-2006」

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「大竹伸朗 全景 1955-2006」
10/14-12/24(会期終了)

MOTが大竹伸朗に乗っ取られました。約2000点にも及ぶという膨大な作品群が、あの広大な企画展示室に所狭しと打ちまけられています。数年前に開催された横尾忠則展をも彷彿させる、圧倒的なスケールで迫る展覧会です。



作品の展示は基本的に時系列に構成されていますが、ともかく全ての原点は一番初めに紹介されていたスクラップブックにあります。これは1977年、大竹が21歳の時以来現在まで続けられているという、本や雑誌などの膨大なスクラップですが、それ自体が大竹ワールドの象徴となって価値を持っています。ようは大竹がこれまでに制作してきた作品群は、スクラップブックにおさまらないスクラップを、彼の感性の趣くままに生み出したものであるとも言えるわけです。コラージュでも絵画でも、また立体とも言い切れない多様な作品は、それぞれのジャンルの垣根を越えて大竹の感性へと取り込まれ、また作り出されています。美術館全体が大竹のスクラップブックです。



スクラップ蒐集に傾ける大竹の情熱は、そのまま作品にも乗り移っています。まるで彼のプライベートな一室を覗いているかのような会場を歩くと、さながら小人となって、冒頭のスクラップブックの中へ迷いこんだような印象さえ受けました。まさにこれこそが、大竹の活動を追体験する一種の旅です。まるでブラックホールのようにあらゆる素材を無尽蔵に取り込んでしまう大竹は、作品を完成させ、また意味を付与させ、また何かを訴えるために制作し続けているわけでなく、それこそスクラップブックを永遠に作り続けるだけのために、ただひたすらモノと格闘しているようにも見えました。ここにそれぞれの作品の完成度や意義などを見出すのは、殆ど無意味とすら思ってしまうほどです。活動全体をアートと捉え、あたかもパフォーマンスアートを体験するかのように味わうのが一番良いとも感じました。



率直に申し上げて、私には大竹の個々の作品に共感することが殆ど出来ません。しかし彼は、むしろ私のように作品の完成度を求めたり、またいわゆる美的な要素を見出そうとする、言ってしまえば全くありきたりな鑑賞態度を必要としていないのではないでしょうか。全力で真剣に、そして嘘を付くことなく素材と向き合って出来たスクラップに、単なる鑑賞行為を通り越した次元でまさに体で触れ合うように共感してくれればいい。そんなメッセージすら感じます。強いて言えば「アメリカシリーズ」と題された、いわゆる抽象絵画にやや惹かれましたが、その先に多量に待ち受けている膨大な作品を前にすると、そんなちっぽけな感受性などかき消されてしまいました。一点一点をじっくりと鑑賞するのが無理なほど大量の作品が並んでいるのも、それが大竹の世界観を一番ストレートな形で楽しむことが出来るからなのでしょう。スクラップブックのごく一部分を取り出して、その細部にだけに言及しても殆ど意味を持たないのと同じです。その蒐集された道程と、コレクションされた全体、そしてそれが今も休むことなく続いていることに魅力があるのです。



重厚なMOTの建物に控えめに灯っていた「宇和島駅」のネオンサインが印象に残りました。大竹のエネルギッシュな多量の作品を前にしても、不思議とアクの強さをあまり感じないのは、まさに子供心さながらにモノを捏ねる彼の素朴な心情がそのまま無邪気に表れているからなのかもしれません。その点、代表作でもある「ジャリおじさん」が一番素直に心へと届いてきました。今度改めてまたじっくりと拝見したいです。(12/17鑑賞)

「ジャリおじさん/大竹伸朗/福音館書店」
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「写真の現在3 臨界をめぐる6つの試論」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「写真の現在3 臨界をめぐる6つの試論」
10/31-12/24(会期終了)



いつも魅力的な小企画を見せる「ギャラリー4」(常設展示室内)にて、先日まで開催されていた展覧会です。「臨界をめぐる6つの試論」という何やら小難し気なタイトルが付いていましたが、単に現代写真家6名によるグループ展と考えても楽しめました。企画によって多様に提示された「境界面」(=臨界)を意識することなく、その魅力に浸ることが十分に可能です。



一番初めに紹介されていた向後兼一(1979-)の「line」シリーズでは、ごくありふれた日常の光景が、画像の加工により幾つかの場面に分割されています。ソフトタッチなグリーンやイエローの幕によって分断された光景は、あたかもそれぞれの場面が別の次元へテレポートしたか、それとも逆に異なった事象が空間を超えて移動しながら隣り合わせになっているように見えました。その操作された位相を楽しみます。

伊奈英次(1657-)の「COVER」では、建設現場の建物を覆う囲いが、まさにその場の内と外の境界面の役割を果たしています。(最上段のチラシ表紙。)囲いに包まれた場所は、そこにかつて残っていたはずの建物や土地の記憶を一旦遮断した上で、またそれが取り払われるまでの新たな物語を作り出していました。実際にも例えば見慣れた場所が囲いに覆われると、奇妙に落ち着かない気分にさせられることがありますが、伊奈の作品もそんな囲いによって生まれる空間の変化をストレートに見せています。



海面上から波打つ海を捉えた浅田暢夫(1967-)の「海のある場所」は、海の重みとその逞しい力感を感じ取ることが出来る作品でした。波の飛沫と潮の匂いすら漂ってきそうなその生々しい光景は、浅田自身が故郷、福井の海を泳ぎながら撮影したものなのだそうです。海面から望む上空の雲が殊更遠く感じたのは、波にのまれながらも必至に海を写そうとする作者の視線を見ているからでしょうか。冷ややかな海の感触と、まるで渦に足が取られてしまうような一種の恐怖感さえ覚えます。

「写真の現在」展の開催は今回で3度目です。初回の98年の後は02、06年と、かなりスローペースではありますが、是非今後も続けて欲しいと思いました。(12/23鑑賞)
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年末恒例「バイロイト音楽祭」2006 NHK-FM

今年もこの季節がやって来ました。明日から年末恒例、バイロイト音楽祭の録音放送が大晦日まで予定されています。いつもは「年越しワーグナー」さながら、大晦日の深夜から午前0時を超えた元日まで放送されていたかと思いますが、今年は午前0時ピッタリに全て終了するようです。



バイロイト音楽祭2006 NHK-FM

12/25 19:30-23:00 「ラインの黄金」
12/26 19:30-23:30 「ワルキューレ」
12/27 19:30-0:30 「ジークフリート」
12/28 19:30-0:30 「神々の黄昏」
12/29 19:30-22:00 「さまよえるオランダ人」
12/30 19:30-0:00 「トリスタンとイゾルデ」
12/31 19:30-0:00 「パルジファル」

既にネットラジオ等で放送されているので新鮮味こそありませんが、高音質を誇るFMの音源は依然として魅力的です。また今年も年越しをワーグナーで迎えたいと思います。

詳しくはNHK番組表(東京)、または公式HPをご参照下さい。
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「出光美術館名品展2」 出光美術館

出光美術館千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階)
「開館40周年記念 出光美術館名品展2 競い合う個性 - 等伯・琳派・浮世絵・文人画と日本陶磁 - 」
11/11-12/24



出光美術館の名品展(第二期)です。後期展示のみを拝見してきました。相変わらずの充実した品々が展示室を彩ります。見応え十分です。

 

琳派では、伝宗達の「龍虎図」(江戸時代)がユーモラスでした。画面からはみ出そうなほど大きな虎が一匹、左足を前にして一歩踏み出す光景が描かれています。もちろんこの迫力満点な風情も興味深いのですが、その大きさに反して実に愛らしい表情をしているのにもポイントです。真ん丸の顔と、ピンとのびるヒゲは、まるで某アニメのネコ型ロボット(?!)のようでした。いつも隙なく構図を纏め上げる宗達が、このような遊び心溢れる作品を描いているとは知りません。しばらく見ていると、思わず吹き出してしまいそうになるほど茶目っ気たっぷりです。



前期展示で名品「十二ヵ月花鳥図貼付屏風」が出ていた抱一は、後期で「糸桜・萩図」が登場しました。艶やかな色紙と短冊を貼付けた糸桜と萩が何とも風流な作品ですが、糸桜の上部へ迫出す一本の枝が抱一らしからぬ不自然な曲線を描いています。赤の色紙がやや重たくてもやはり流麗な萩の枝振りと比べると、その奇妙な造形が目立っているのではないでしょうか。大の抱一ファンを自認する私が見ても、この作品は僭越ながら今ひとつ物足りなさを感じてしまいます。これなら、抱一の弟子と言ってしまうにはあまりにも偉大な絵師、鈴木其一の「四季花木図屏風」の方がはるかに美しく優れた作品です。



以前、六本木の泉屋博古館分館にて惹かれた板谷波山も4点ほど展示されています。透き通るように美しいミルク色の表面から、一筋の葉と仄かに照る花の浮き出す「葆光彩磁草花文花瓶」は絶品です。また、器の底から立ち上がるように桔梗が配された「彩磁桔梗文水差」も、端正でシャープなフォルムが印象に残りました。

その他では、源氏をモチーフにした狩野探幽の「源氏物語 賢木・澪標図屏風」や、鮮やかな仁清の「色絵芥子文茶壺」、または鍋島や道入の楽焼などの魅力溢れる名品に出会うことが出来ました。明日まで開催されています。(12/10鑑賞)

*関連エントリ
「出光美術館名品展1」 出光美術館 5/5
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東京都交響楽団 「ショスタコーヴィチ:交響曲第8番」他

東京都交響楽団 第637回定期演奏会Bシリーズ

シュニトケ ハイドン風モーツァルト
ショスタコーヴィチ 交響曲第8番

指揮 ジェイムズ・デプリースト
ヴァイオリン 矢部達哉、双紙正哉
演奏 東京都交響楽団

2006/12/20 19:00 サントリーホールPブロック

今年最後のコンサートです。デプリースト&都響のサントリー定期を聴いてきました。曲は、一風変わったシュニトケの小品と、ショスタコーヴィチの第8交響曲です。



この日はちょうど開演10分ほど前にホールへ入りましたが、すぐさまステージを見て驚きました。何時もならおられるはずもないデプリーストが、既に指揮台の中へおさまって何やら瞑想のように目をつむっているのではありませんか。これは、一曲目のシュニトケの演奏のための一種の演出とのことですが、その静かに座る姿にしばし目が釘付けとなりました。一体、何分前からいらっしゃったのでしょうか。

さて、開演を知らせるベルが鳴りホールの扉が閉まった後でも、ステージの上にはチェロやコントラバスなどの3名ほどのメンバーが陣取るだけです。そしてライトが穏やかに消されて、客席だけでなくステージも含めてホール全体が闇へと閉ざされます。ここでようやく演奏開始です。暗闇の中をヴァイオリンの矢部さんらが歩きながら入場し、すすり泣くような美しいピアニッシモを奏でながら音楽を築き上げます。その後突如ライトがパッと灯されて、ようやくデプリーストは目が覚めたようにして指揮を振り始めるという仕掛けでした。何やらインスタレーション的です。

純度の高い弦の調べは、時折モーツァルトのト短調交響曲のフレーズを奏でながら、デプリーストのまわりをまるで幽霊のようにふらふらとまとわりつきます。開演前に配布された「本日の『ハイドン風モーツァルト』の演奏に寄せて」というペーパーによると、この曲に出現するハイドンなどの古典派音楽のフレーズは、「すでに失われたもの、あるいは浮遊するもの」と解釈して演奏されたのだそうです。とすると、この音の断片はまさにデプリーストに憑く「亡霊」です。彼はそれを振り払うかのようにして、闇雲に指揮を振り続けました。ラストはハイドンの「告別」風です。再びライトが消され、団員らが音の欠片を振りまきながら退場すると、残ったデプリーストが一人虚しく指揮をし続けている光景が浮かび上がってきます。この「無音の演奏」が重くホールへのしかかって、いつの間にやら音楽が静かに終っているのでした。(ただしこの静寂を突き破るかのような、それこそ「演奏する私たちと会場の皆様が演奏後に共有出来る空気」[パンフレットより]を無惨にも掻き乱す強烈なフライング拍手には参りましたが…。)

さてメインの第8交響曲です。こちらは率直に申し上げて、全体的に少々緊張感に欠けた演奏だったかと思います。細部こそ都響のパワフルな弦と管により立派な響きを作り上げていましたが、曲の流れや全体に見通しのきかない演奏になっていました。第一楽章の激しいドラマもピアニッシモ方向にはリズムが重た過ぎ、またフォルテ方向には響きのまとまりがなさ過ぎて、どうしても雑然とした音楽を生み出すにとどまってしまいます。またラルゴ楽章のパッサカリアも響きに研ぎすまされるような美感がなく、奇妙に鈍重な、また地に落ちて固まってしまったように動きの悪い音楽が出来てしまっていました。この部分はもう少しゾクゾクするような、それこそ刀の表面のように薄くまた冷たい響きが欲しいと思います。ともかく総じてやや解釈に迷いがあったとも思えるような、その方向性が見出しにくい演奏です。残念でした。

ちなみに、この交響曲でもやや突出したフライング拍手がホールの静寂を乱します。一曲目のシュニトケと同様、ここも寒々とした静謐な響きをホールの豊かな残響でゆっくり消していきたい箇所だっただけに、何か追い打ちをかけられたかのような気分になりました。後味も今ひとつです。

初めにも触れましたが、これで私が今年予定しているコンサートは終わりです。メモリアルイヤーということで、これまでになくショスタコーヴィチの交響曲を在京のオーケストラで聴いたように思いますが、結局キタエンコと東響の演奏が一番でした。あれで私の中にあったショスタコ・アレルギー(?)がとれたように感じます。来年以降もまた積極的に聴いていきたいです。
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「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」 世田谷美術館

世田谷美術館世田谷区砧公園1-2
「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」
10/7-12/10(会期終了)



会期最終日に見てきました。アンリ・ルソーと素朴派、さらにはそれ以降ルソーにシンパシーを抱いていた日本人画家を紹介する展覧会です。作品展示数全150点のうちルソーが約20点と、ルソーだけを目当てにすると少々物足りない印象も受けましたが、展覧会自体は非常に良く出来ていました。

既に会期も終えているので、内容について細々と書くのは遠慮したいのですが、今回、ルソーや素朴派らの印象を吹き飛ばしてしまうほど衝撃的な画家に出会うことが出来ました。それが第3章、「ルソーに見る夢 日本近代美術家たちとルソー(1)洋画」にて紹介されていた松本竣介(1912-1948)です。主に1941年から44年までに制作された7点の絵画が展示されていましたが、どれも迸る才能を感じる、非の打ち所のない素晴らしい作品でした。天才の息吹すら感じます。



松本の描く都市風景は、その物悲しさが雄弁に語り出す心象風景です。くすんだ色でありながらも丁寧に塗りこめられたマチエールに反して、描かれた光景はとても寂し気で、また荒んでいました。急坂を歩く一人の男が描かれた「並木道」(1943)は絶品です。背の高い並木道が画面を二分割し、幅広い道路と左奥へ延びる坂道が窮屈におさまっています。そして坂道に面する分厚い壁が、まるで男の行く手を阻むかのように狭まっていました。また男の足取りは幾分軽やかですが、全体のズシリとのしかかるような重々しい空気と、まるっきり人気のない場の寂寥感は並大抵のものではありません。戦中の時代の気配を伝えていると一言で片付けてしまうにはあまりにも勿体ない、時代と場を超えた、人の孤独な生き様とその儚さが普遍的に表現された作品かと思います。コンクリートの冷たい感触、凍り付いたような木々の揺らめき。この表現力は驚異的です。

数点のバージョンがあるとされる「Y市の橋」(1944)もまた強い魅力を放っている名品でした。「並木道」の坂の壁に似た重厚なコンクリート壁が橋を支え、その向こうには幾何学的なフォルムの鉄柱が立っています。画面全体を覆うセピア色の侘しさは極めて叙情的です。静かに流れ行く川を見やりながら、その欄干の上にしばし立ち止まってみたい作品でした。画中へ思わず吸い込まれそうになります。

「松本竣介/新潮社」

多くの展覧会へ行っても、心へ突き刺さるような印象深い作品にはなかなか出会えませんが、今回は久々に魂を揺さぶられるような感動を味わいました。ルソーの展覧会にて見た松本竣介の稀な才能。是非まとまった形で拝見したいです。(12/10鑑賞)
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「第3回 日経日本画大賞」展 ニューオータニ美術館

ニューオータニ美術館千代田区紀尾井町4-1
「第3回 東山魁夷記念 日経日本画大賞」
11/2-12/17(会期終了)

町田久美、三瀬夏之介、長沢明ら、今年のMOTアニュアルでも活躍した作家が揃っていました。「21世紀の美術界を担う新進気鋭の日本画家を表彰する制度として創立」(パンフレットより。)された、今年で3回目を数える日経日本画大賞の展覧会です。



大賞に選出された奥村美佳の「かなた」は、出展作品の中でとりわけ王道的とも言える日本画でした。東山魁夷記念というこの賞の名前からすると、この作品が大賞に選ばれたのも納得です。どこか懐かしい風情の街並を覆う白んだ夕焼けと、窓から仄かに滲み出す明かりが美しい。また、まるで積み木細工で出来たような家々のフォルムも独特です。素朴な風情を醸し出しています。



さて、今回の展示で一番印象深かったのは、見れば見るほど惹かれる町田久美の作品でした。この画像では全く伝わりませんが、しっとりとして艶やかな線が、とても流麗にひかれ、シュルレアリスム風な人物を鮮やかに象っています。それにしてもこの簡潔極まりない線だけで、どうして丸みのある頭部の立体感や、背中の肉付きがこれほど巧みに表現出来るのでしょう。そしてその線には、目を凝らして見ないと良く分からないくらい薄い影が、とても控えめに、そして器用に付いていました。また、爪に塗られた鮮やかな緑がぽっかりと浮き出しています。その類い稀な描写力と不思議なモチーフの双方に魅力のある作品です。今後も積極的に見続けていきたい方だと思います。



三瀬夏之介の「日本の絵」も迫力満点でした。大空へ突き出すようにそびえる大観風の富士山の裾野に広がる雪化粧を纏った街が、屏風絵風の大パノラマにて広がっています。富士をより神々しい様子に見せているのは、やはり大胆に貼られた金箔の味わいでしょうか。筍がニョキニョキ生えているようなビル群と、巨大なキノコの群れのような山々がひしめく合うように繋がっていました。まるで浦上玉堂の奇岩奇山を思わせる光景です。また、左手前部分に描かれた白い沼が叙情的でした。小舟も浮いているのか、木々が水辺へ迫出して幽玄な雰囲気すら醸し出しています。まるで空に舞う粉雪が積もって、沼が徐々に凍り始めているかのようです。そしてよく見ると、何やら人影のようなものがポツポツと描かれていました。荒涼とした険しい大自然の中で、それに埋もれながらも逞しく、また健気に生きているようです。



その他では、サム・フランシスを思わせる抽象的な書画を見せた小滝雅道の「一文字波」も印象に残りました。深い青みから湧き上がる霧と、その中で陽炎のようにまたたく線の動きが興味深い作品です。

いわゆる日本画の技法を用いた現代アートは大好きです。次回もまた拝見したいと思います。(12/9鑑賞)
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読売日本交響楽団 「メシアン:トゥーランガリラ交響曲」

読売日本交響楽団 第455回定期演奏会

メシアン トゥーランガリラ交響曲

指揮 シルヴァン・カンブルラン
ピアノ ロジェ・ムラロ
オンド・マルトノ 原田節
演奏 読売日本交響楽団

2006/12/15 19:00 サントリーホールPブロック

メシアンの積極的な聴き手ではありませんが、一度実演に接してみたい曲だったので行ってきました。指揮は、南西ドイツ放送響の音楽監督も務め、現代音楽の演奏にも定評のあるカンブルランです。



カンブルランのアプローチは何やら武闘派的でした。(上にアップしたパンフレットの華やいだイメージとはかけ離れています。)一つ一つの主題を丁寧にかつ重厚にまとめ上げながらも、時折激しいリズム感で曲にエネルギーを与えます。そしてそのリズムは、それこそ時計のように人工的に刻まれるものではなく、まさに鼓動のように生理的で常に変化していく生き物でした。胸が高鳴り大伽藍を迎えた後は、力つきたように燃え尽きて直ぐさま消えていく。トゥーランガリラの音楽が持っている暴力的な部分を、多分に引き出して味付けした演奏だったと思います。もちろん聴かせどころでもあり、またN響アワーのオープニングでも有名(?)な第5楽章も充実していました。読響の力強い低弦と、厚みのある金管、それに情熱的なムラロのピアノにも支えられ、今国内で望み得るベストパフォーマンスのトゥーランガリラが聴けたとさえ思います。緩急の動きや各パートのバランス感、それにスケールの大きさなども見事でした。名演です。

コンサートに接する前、カンブルランには精緻で線の細い音楽を作り上げるのではないかというようなイメージがありましたが、それはむしろ逆だったようです。粗雑にならない程度に曲の輪郭を大きく掴み、それでいてオーケストラへ明快に指示を与えながら、各主題をハッキリと丁寧に印象付け、さらには曲の構造の立体感を詳らかにしていきます。メシアンの音楽にある神秘的な響きこそ伝わってきませんが、それよりもR.シュトラウス的なオーケストレーションの面白さを明示して楽しませてくれました。非常に密度の濃い響きを作り上げるので、その音の大きな渦にただ飲まれてもよく、また響きを一つずつ解すようにして聴いても満足出来る演奏だったと思います。それに縦の線もキレイに揃っていたので、純度の高い響きを聴かせてくれました。ドロドロとしたドラマを過度に見せつけない、爽快でエネルギッシュに駆け抜けていくトゥーランガリラです。

会場の入りは芳しくなく、興行的には厳しいようにも感じましたが、機動力に長けた読響の実力を十二分に引き出し、さらには力強く自信に満ちあふれたカンブルランの至芸を楽しむことが出来るコンサートでした。是非また共演していただきたいです。
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「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」 シュウゴアーツ

シュウゴアーツ江東区清澄1-3-2 5F)
「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」
11/11-12/16(会期終了)

シュウゴアーツで開催中されていた森村泰昌の個展です。彼の「20世紀の歴史は『男たち』によって象徴される」という主張のもとに構成された、半ば退廃的ダンディズムを喚起させる作品がいくつか並んでいます。中でも、1970年11月25日、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて起きたクーデター未遂事件、つまり「三島事件」をモチーフとした映像作品が圧巻でした。



「なにものかへのレクイエム(MISHIMA)」(2006)にて、森村はまさに三島由紀夫になりきっています。(むしろ三島が憑依していると言っても良いのかもしれません。)勇ましき制服を身に包み、突如あのバルコニーへ登場する三島由紀夫ならぬ森村泰昌。すぐさま、比較的落ち着いた様子でありながらも、その内に秘めた情熱を発するかのような絶叫口調にて演説がはじまります。もちろんその内容は史実通りではありません。

森村が述べたのは、現在の「堕落した」美術界に対する愁訴でした。「美術が目指すものとは何か。」や「日本的なものとはなにか。」といったような衒学的でもあり、また大上段に構えた曖昧な問いを発し、その解答を現状に鑑みて「みんな間違っている。」として切り捨てます。そしてその後は決起のためへの叱咤激励です。「オレと立ち上がるヤツはいないのか?」と投げかけますが、全くをもって無反応な聴衆(これについては、一番最後の部分にて半ば「オチ」として明らかにされます。)を一瞥すると、何故か自身の虚しさを隠すように大声で「永遠の芸術万歳!」と叫びます。敗北です。

彼の眼前に広がっていたのは、全くその激励に耳を貸さない人々のいる、とても平穏な日常の光景でした。森村の主張は確かにはっきりとした信念に基づいていますが、この「オチ」の存在が、この光景をどこか滑稽な、それこそ一人での万歳へと繋がるような自暴自棄的な妥協へと陥れています。それはまさに、あまりにもとらえどころのない領域にまで広がった現代アートの深みでもがいている、一人のアーティストの姿のそのものでした。その揶揄もここには表現されているのかもしれません。(12/9鑑賞)
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「木村友紀個展」 タカ・イシイギャラリー

タカ・イシイギャラリー江東区清澄1-3-2 5階)
「木村友紀個展 YOU MAY ATTEND A PARTY WHERE STRANGE CUSTOMS PREVAIL」
11/11-12/9(会期終了)

主に写真を使ったインスタレーション作家、木村友紀の個展です。同ギャラリーでは4回目になるというこの展覧会には、新作の写真とコラージュ風の立体作品が数点展示されていました。

*展示風景

写真をコラージュして作られたオブジェや、写真パネルをそのまま切り抜いて作られたような立体作品も興味深かったのですが、魚を捉えた一点の写真がとても印象に残りました。タイトルは「The Secret Goldfish」(2006)です。

暗がりの空間の中を進む一匹の金魚がモチーフです。おそらく、薄暗い水辺にて上から金魚を撮影した作品かと思いますが、金魚が闇に包まれているような感覚が新鮮でした。また金魚は、水の中をスイスイと泳いでいると言うよりも、まるでフワフワの綿の中にてぽっかりと浮いているようにも見えます。そのふんわりとした感触の味わいが、他のシャープで無機質な作品とは一線を画していました。



写真とインスタレーションの曖昧な間が、不思議にも心地良い空間を生み出しています。これからも気になる作家です。(12/9鑑賞)
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「蜷川実花展 永遠の花2」 小山登美夫ギャラリー

小山登美夫ギャラリー江東区清澄1-3-2 7階
「蜷川実花展 永遠の花2」
11/17-12/9(会期終了)

燦々と陽光の降り注ぐ南国(メキシコやグアムなど。)の墓地に手向けられた造花がモチーフです。小山登美夫ギャラリーにて先日まで開催されていた、写真家、蜷川実花の個展を見てきました。



底抜けの晴天の元に咲き誇るのは、半ば俗っぽい印象さえ受ける原色のドギツイ花々です。一見しただけでは、それが造花だということに気がつきませんが、よく目を凝らすと随所に値札のラベルが貼り残され、また造花の目地が無造作に剥き出しとなっていることがわかります。まぎれもなく造花です。

それにしても、これほど瑞々しく、また言葉は悪いかもしれませんがケバケバしい色気を漂わせている花もありません。上にアップした画像は色がくすんでしまっていますが、実際にはそれこそ脂ぎっているような生気が、ギラギラと強く放たれていました。墓地に手向けるにしては、奇妙なほど底抜けに明るい花々です。

十字架など、墓地をイメージさせるモチーフも登場しました。その輝かしき色彩の元に眠る人々を、文字通り華々しく彩っているようにも感じます。

「永遠の花/蜷川実花/小学館」

個展に合わせ、表題の作品集も販売されているようです。率直に申し上げて私にはあまりにも眩し過ぎたのですが、その直裁的な色彩の味わいは個性的でした。(12/9鑑賞)
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