「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン〈熱狂の日〉音楽祭 2006」、ついに開幕!

メモリアルイヤーのモーツァルトを高らかに掲げた「熱狂の日音楽祭 2006」。昨日から関連イベントがスタートし、とうとうその幕を開けました。と言ってもメインのコンサートは3日から6日までなので、実質的な会期はゴールデンウィーク後半のそちらの休日に当たります。昨日、少し偵察(?)がてらに会場(国際フォーラム)へ出向いてみました。

 
巨大な空間に映える「熱狂の日」のポスター。


ボックスオフィス。会場ではここ一カ所だけのようです。少し列が出来ていました。

 
至る所にモーツァルトが!どこか得意げにニヤリと見つめています。

 
モーツァルトマーケット。要は土産物店です。見慣れたモーツァルトグッズから、まさにこのイベントのために即席でつくられたようなお菓子まで、幅広く色々と揃います。(ベートーヴェンやバッハのキーホルダーなどがあったのはご愛嬌?またCDは昨年と比べるとかなりスケールダウンしています。確か昨年は石丸電気が出店していたかと思うのですが、今回は見当たりませんでした。)


まさに嵐の前の静けさとでも言ったところでしょうか。関連イベントも非常に小規模なものなので、会場はどこも閑散としていました。(それでもチケットブース前には人が常に列を作っていました…。)3日まではこんな状態が続きそうです。

ところで、先日の私のエントリ(「今年の「熱狂の日音楽祭」のチケットは如何に?」)に、「当日券は殆ど全ての公演で発売されるはずだ。」などというとんでもないことを書いてしまいましたが、それは全くの誤りでした。申し訳ありません。公式HPによれば「前売り期間中に完売した公演は、当日券のご用意はございませんので予めご了承ください。」とのことです。つまり当日券が発売されるのは、事実上Aホールか、もしくは僅かばかりの残席があるホールB7及びCの一部だけということになります。当日券をご予定の方は十分にご注意下さい。(ちなみに当日券は会場のチケットブースだけでなく、ぴあや、ファミリーマートなどのコンビニでも購入することが出来るそうです。昨年のことを考えると、会場外にて用意した方が良いと思います。そちらをおすすめします。)

私は5日に出向く予定です。楽しみになってきました。(写真は携帯電話で撮影したものです。拙い写真を失礼しました。)
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「和田画廊グループ展 現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 安藤孝浩」 4/29

和田画廊(中央区八重洲2-9-8 近和ビル302)
和田画廊グループ展 現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 安藤孝浩」
4/25-30

和田画廊の意欲的なグループ展「現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 」。その最後を飾ったのは、安藤孝浩の手がけた、植物の生み出す光を体感出来るという驚くべき作品でした。



今回は会場へ入る前にちょっとした注意書きがあります。「心臓の弱い方、もしくは病気がちの方はご遠慮下さい…。」ギャラリーへ入るのにこのような文章を目にするのもかなり奇異ではありますが、ともかくそれをしっかりと読んで暗室へと入ります。中で待ち受けていたのは…、沙幕越しに光を無数に発していた、何とも不思議な装置でした。中央付近には手のひらサイズの二つのスイッチ。そこに恐る恐る手を伸ばしてみる。光の乱舞を見つめながら少し手に力を入れてスイッチにもたれ掛かるように立っていると、何と腕先がビリビリと震えてくるではありませんか。そして足元にはカイワレ大根の植栽。中央には鏡のような光源。あまりにも謎めいています。

結論から言うと、この装置はかなり複雑な機構をとっています。カイワレが発芽する際に発するという小さな光を捉え、それを映像化してスクリーンに映し、さらには微電流としてスイッチに流す。つまりそのカイワレの発した光を、手で感じられるような仕組みになっているわけです。飛び交う光の粒子の攻撃を手に受けている。ビリビリ、バチバチ…。人によっては肩あたりまでその刺激を感じることがあるそうです。両手を前にして光の刺激を受けること。何やら宗教的な神秘体験をしている気分になりました。

三週連続にて企画された「現象からの新しいかたち展」は今回で終わりです。ちなみに安藤孝浩の作品は今日、日曜日まで公開されています。カイワレによる神秘体験をあなたも是非どうぞ?!

 4/11-16 鈴木太朗(終了)
 4/18-23 小松宏誠(終了)
 4/25-30 安藤孝浩
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「雄川愛」展 TARO NASU GALLERY 4/27

TARO NASU GALLERY(東京都港区六本木6-8-14 コンプレックス北館3階)
「雄川愛」展
4/25-5/20

TARO NASU GALLERY(ヴァイスフェルトの一つ上のフロアにあります。)で開催中の雄川愛の個展です。全く未知の作家でしたが、一点勝負の油彩画はなかなか見応えがありました。



画廊HPによれば、雄川がテーマに選んだのは森とのことですが、そこの紹介文にもあるように、それが実在の森としてハッキリと見えてくることは殆どありません。小さな長方形のキャンバスが10枚以上も並んで作り出された、一枚の大きなキャンバス。(若干の凹凸があります。どこかブロック塀のようです。)そこに塗られていたのは、まるでペンキのような質感にて画面に迸っていた、深い緑と黒の油彩でした。それがどこか森の奥の沼地のように、いくつか水しぶきをあげながらひっそりと佇んでいる。もちろん、初めにも書いた通り、それが森ではないもの、例えば抽象的な、それこそリヒターの抽象絵画を思わせるような深淵の入口か、はたまた巨大な怪獣がぽっかりと口を開けて待ち受ける様子にも見えてきます。見る側の心象風景により、何にでも見えてくるような、そんな感覚的な作品でもありました。

ここにアップした作品画像はパンフレットから取り込んだものなので、実物の色彩感とは大きく異なります。(画廊HPのこの画像も違うように思います。)何やら生臭い油彩の味わい。強烈な匂いすら漂いそうな緑の渦。この作品、一点だけの展示ですが、不思議な魅力をたたえた作品かと思いました。来月20日までの開催です。
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ヴァイスフェルト 「カンノサカン新作展『シンクロ』」 4/27

ヴァイスフェルト(港区六本木6-8-14 コンプレックス北館3階)
「カンノサカン新作展『シンクロ』」
4/1-28(会期終了)

カンノサカンの作品は、以前にもこのギャラリーのグループ展(「マックス・ヘッドルーム」)で見たことがありますが、個展としてまとまって見たのは今回が初めてでした。



ともかく今回の個展で一番目を引いたのは、ウレタン樹脂の塗られたキャンバス地の輝く白さです。これまで見た作品はそこが全て真っ赤であり、また深い青であったわけで、この地の色の変化だけでもかなり雰囲気が変わってきます。真っ白なウレタン樹脂に、わずか0.5ミリ以下の筆先で塗られたというアクリル絵具。それが赤、青、または限りなく白に近いピンクの各系統色にて配されている。模様はもちろんお馴染みのものです。どこかメタリックな、またアラベスクを思わせるような図柄。伸びゆく蔦のように、画面を縦横無尽に駆け巡っている。先端はまるで触手のようです。精巧に描かれた細かい模様が、危うく連なって一つの個体を形成している。私としては、絵具が青、ピンク、そして赤の順に惹かれました。

遠目から見ると細い線が伸びているようにも見えますが、実際は四角やドットなどの集合で一つの「線」を作り上げています。この細かさ。ゾクゾクするような快感すら覚えました。
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「ロダン、カリエールと同時代の文化・社会」 国立西洋美術館 4/15

国立西洋美術館講堂
「ロダン、カリエールと同時代の文化、社会」
4/15 15:00~
講師 小倉孝誠(慶応義塾大学教授)

しばらく前のことになりますが、「ロダンとカリエール展」の関連企画として開催された記念講演会を聞いてきました。講師は、慶応義塾大学仏文科の小倉孝誠氏。内容はタイトルの通り、ロダンとカリエールの生きていたフランスを、二人の生き様に絡めながら、社会、制度、思想、文学などの観点から幅広く概観するものです。以下、いつもの通り、会場にて配布されたレジュメに則ってまとめていきたいと思います。


ロダンとカリエールの経歴について

・ロダン(1840-1917)
 パリ・パンテオン地区にて下級役人の子として生まれる。
 14歳から「小校」にてデッサンと彫刻を学ぶ。
  国立美術学校を受験→三度失敗。進学を断念。(彫刻の成績が足りなかった。)
 1871年 ベルギーへ移住。(7年間)貧しい下積み生活。(=彫刻の基礎を学ぶ)
 1880年代から「地獄の門」・「カレーの市民」などの公共記念像の仕事を受注する。
 ↓
 90年代以降、名声が確立。=「近代彫刻の祖」

・カリエール(1849-1906)
 パリ生まれ。少年・青年期をストラスブール(ドイツ国境付近)にて過ごす。
 リトグラフ作家の元でポスター制作の仕事に携わる。
 1869年 国立美術学校へ入学。アカデミー絵画の大家カバネルの元で学ぶ。
 1870年 普仏戦争勃発。従軍し敗北。捕虜生活も。
 その後パリへ戻り、サロン(官展)へ出品。入選経験有り。
 1889年 ロダンらとともに「国民美術協会」を設立。サロンとはやや距離を置く。
 1998年「アカデミー・カリエール」(画塾)の創設。
  教え子の一人にはマティスの名も。

→ともに19世紀半ばから20世紀初頭のフランス(主に第三共和制期)にて活躍。


19世紀フランスの社会、文化について

・期間 1789年フランス革命~1914年第一次大戦終結
 =革命時代、ナポレオン帝政、王政復古、七月王政、第二共和制、第二帝政、第三共和制。
・目まぐるしく政治体制が変化した。(=次第に民主化へ)
・暴動の頻発。不安定な社会。
・産業革命による科学技術の発展=いわゆる近代化。
→ロダン、カリエールの二人に関わりが深いのは、第二帝政と第三共和制期。

(1)政治、経済、社会、制度、教育などについて

 ・第二帝政期(1852-70):ナポレオン三世の統治。ロダン、カリエールの少年・青年時代。(=普仏戦争で崩壊。)
  パリの大改造(セーヌ県知事オスマンによる改革)
   鉄道、都市開発、上下水道の整備、公園、緑地の整備など。
   中世的都市から近代的な大都市へ。
   街の浄化(暴動、犯罪を防ぐ。道路大拡張によるバリケード増築の阻止。)
  ↓
  「光の都」、「文明の都」へ。
   ベンヤミン:「パリは19世紀の首都である。」
   ゾラはこの時期のパリを題材とした都市小説(居酒屋、ナナ。)を書く。
   ボードレールは改造後のパリを否定。
   「都市の形は人の心よりも早く変わってしまう。」と嘆く。

 ・第三共和制期(1870-1940):共和派が権力掌握。ロダン、カリエール、活躍の時代。
  共和制の宣言。初めは政権が安定せず、カトリック勢力や王党派の揺り戻しも。
  政府は共和制の「良さ」を積極的に宣伝していく。
   1879年 ラ・マルセイエーズの制定
   1880年7月14日 パリ祭の設定(革命記念日)
  自由・平等・博愛の精神(=共和主義)を目に見える形で国民に示す。
  ↓
  初等教育の義務化。公教育制度による共和主義思想の教示。
  街のモニュメントとしての共和主義(大彫刻で象徴化する。)
   共和国:女性のイメージ
   神話的なイメージ。フリギア帽と月桂樹。
   =共和国の理想の銅像
   ↓
   街の目立つ場所にいくつも設置されていく。
   =公の発注による銅像制作の活発化。彫刻家たちの生活の糧に。(ロダンも)

(2)19世紀の芸術、文学の流れ

 ・19世紀前半:ロマン主義の時代。
   ドラクロワ、ベルリオーズ、ユゴーらが活躍。

 ・1850-1880:写実主義、自然主義の時代
   ミレー、クールベ、フロベール、ゾラ。
   クールベ「私は羽の付いた天使を描かない。」=目に見えたものだけを描く。

 ・1880-1900:象徴主義の時代
   まさにロダンとカリエールの時代。
   モロー、ルドン、ドビュッシー、ランボー、ヴェルレーヌ、マラルメ。
   思索的、観念的な作品を生む。


ロダン、カリエールと同時代の文学・思想

(1)ロダン、カリエールの共通点

 ・キーワード「精神性」
  生前から作品テーマや雰囲気が似ているという指摘がなされて来た。
  目に見える世界ではなく、目に見えない世界を捉える=「主観的世界」
  →文学における象徴主義との共通性
 
 ・「手仕事」の重要性
  下積み時代の経験(工房で働くロダン、カリエール)
  労働の重要性
 
 ・ジャンヌ・ダルクの主題
  ジャンヌ・ダルクは中世フランスの救国の英雄
  共和制下の当時のフランスにおいて流行した主題
   アナトール・フランス、ルドン、ブールデルらもダルクを主題とした作品を制作
  ↓
  1870年 普仏戦争で敗北したフランス
   独へ対する復讐心=「愛国心」(=共和制の核心)
   その象徴としてのジャンヌ・ダルク(次の戦争に備えてのシンボルに。)
  ↓
  それをロダン、カリエールも取り入れた。
   ロダン:恍惚とした表情のジャンヌ・ダルク
   カリエール:手を組んだ忘我の境地にいるジャンヌ・ダルク
  →ともに神のお告げを聞いた時のダルクの姿を制作したと思われる。
   

 ・肖像、および肖像画の制作(同一モデル)
  「肖像はモデルの単なる似姿ではなく、魂や内なる生命を表現するものでなければならない。」
  1.ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ
   二人にとって親しみのある象徴派絵画の巨匠。
   後に三名でグループ展を開催した。
  2.ギュスターヴ・ジェフロワ、ロジェ・マルクス
   ジェフロワはロダン、カリエールをいち早く評価していた。
  3.アンリ・ロシュフォール
   左翼ジャーナリスト。
  4.ジョルジュ・クレマンソー
   左派政治家。後に首相を二度務めた大物。特にカリエールと関係が深い。
   新聞「夜明け」(左派系新聞。ポスターをカリエールが制作。)
    1898年 ドレフュス事件
     ユダヤ人フランス将校がドイツへ機密情報を売り渡していたとされる事件。
     結果的に冤罪とされたが、フランス国内で有罪か無罪かの議論が巻き起こる。
     「無罪=ドレフュス派 対 有罪=反ドレフュス派(=反ユダヤ主義へ)」
    ↓
   ゾラがドレフュスが無罪だとする抗議文を作成。それを掲載した新聞が「夜明け」
   カリエールもドレフュス派。(ロダンを比べると政治活動に熱心だった。)
  5.ヴェルレーヌ
   同時代の作家。
   代表的な肖像画をカリエールが制作。またヴェルレーヌもカリエールへ詩を献呈。
  6.エドモン・ド・ゴンクール
   美術批評家。日本の浮世絵についても造詣が深い。歌麿や北斎に関する著作。
   カリエールを絶賛(=知性、内面を表現した画家として。)
    ゴンクールの日記にカリエールの記述がいくつか存在。
     例)「黄昏時のベラスケスのようだ。」、「心理的傾向の強い画家だ。」
    カリエールの手がけたゴンクールの肖像画を大切に所有。   
  7.ヴィクトル・ユゴー
   共和主義を象徴する作家。
    第三共和制のシンボル(=帝政批判、亡命。共和制にて帰国。葬儀は国葬。)
   →ユゴーを描くことはまさに共和制を描くことでもある。  
   ロダン、カリエールともに深い敬意を払っていた。
    1902年 「生誕100周年」
     ロダン:胸像の制作(生前のスケッチを元に)
     カリエール:生誕年にちなんだ冊子に挿絵を描く。

(2)ロダンと世紀末の文化

 ・文学からのインスピレーション
  「地獄の門」=ダンテ「神曲」の地獄編からイメージ
   ボードレールを通してダンテを発見(ロダンが最も愛した作家がボードレール)
  ロダンの作品における大胆な女性の官能性(悪魔主義的傾向)
  →ボードレール、世紀末デカダン派作家たちの世界と共通

 ・ロダンの「バルザック像」
  1891年 文芸家協会がロダンへ発注
  ↓
  最初に完成した作品は受け取りを拒否される。
  =ドレフュス事件との関係
   「受け取り承認:ドレフュス派 対 拒否:反ドレフュス派」

(3)カリエールと女性の表象

 ・ロダン、カリエールの描く女性像
  ロダン:官能的で大胆
  カリエール:母子像、穏やか、静か。
   ↓
  カリエールは、母性または家族愛に大きな価値をおいていた。

 ・世紀末における女性像とカリエール
  世紀末の女性像:デカダン、悪女のイメージ(小説でもそのような女性像が頻繁)
   例)モローの「サロメ」=男を惑わし、滅ぼす女性。
   ↓
  カリエールの女性像はむしろ例外的。


さいごに

・ロダンもカリエールも、自然や人間に芸術の対象を求めながら、その内なる生、精神性を捉え、想像力によってそれに形を付与することが、芸術家の使命であるという認識を持っていた。
・「本当に大事なものは目に見えない」→それを視覚化

以上です。長くなりました。

元々この講演会の仮題は「ロダン、カリエールと同時代の文学」であったので、てっきりロダンとカリエールが交流した同時代の作家や、ともに影響された文学などについて突っ込んだ話が聞けるかと期待していたのですが、会場に着いてみるとなんとタイトルが「文学」から「文化・社会」へと変わっていました。もちろんその分、当時の社会システムなどに関する興味深い話もあったわけですが、全体としてやや総花的な話になった感は否めません。もう少し文学、特にロダンとボードレールや、ヴェルレーヌとの関係の話が聞ければとも思いました。

とは言え、やはりこの話で興味深かったのは、ボードレールやユゴーらとロダン、カリエールの関係です。特にボードレールの悪魔的な女性イメージとロダンの官能的な女性像に共通性を見出す指摘はなかなか気がつきません。またカリエールの女性像が、当時のそれと異なっていたという視点も面白いと思いました。(母性愛、家族愛の重視。)そして普仏戦争敗北における抑圧された共和意識の高まりが、例えばジャンヌ・ダルクを生んだことなども、二人の作品に社会性を見い出す観点として重要かと思います。当然ながら、たんに偶然、同一のモデルを制作したわけではないのです。

展覧会では、どちらかと言うと二人の実際の交友関係から、作品に共通点なり相違点を見出す方向をとっていますが、この講演会ではむしろ逆に、二人を取り巻くもっと大きな波(それこそまさにこの激動のフランスの時代ですが。)から二人の作品を見て行くアプローチをとっていました。その点で、この講演会は鑑賞会には幾分欠けた視点を補うとも言えるような、鑑賞者側にとっては大変有難い話題だったのかもしれません。貴重な90分でした。

*関連エントリ
 「ロダンとカリエール 特別鑑賞会 講演会」 4/4
 「ロダンとカリエール」展感想 3/19
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「私のいる場所 -新進作家展Vol.4 ゼロの年代の写真論- 」 東京都写真美術館 4/23

東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「私のいる場所 -新進作家展Vol.4 ゼロの年代の写真論- 」
3/11-4/23(会期終了)

既に会期を終えてしまった展覧会ですが、最終日の駆け込みで見てきました。7ヶ国15名(もしくはグループ。)の若手写真家によるグループ展です。(ゼロの年代=2000年以降に頭角を現してきた写真家。)



展覧会は各テーマ別に三つのセクションに分かれていましたが、(入場料も別個に設定されています。)殆ど一つの展覧会と捉えて差し支えないでしょう。全体に大きな「プライベート」というキーワードが置かれて、それらが自分自身や社会などとどう関わるのかについて問う内容ではありますが、テーマを無視して素直に写真と向かい合った方が楽しめます。ここは難しいことを抜きにして写真に見入ることにしました。



展示のインパクトという点においては、地下一階フロア(part.3 日常への冒険)に展開されていたセカンドプラネット(グループ)とみうらじゅんが際立っています。みうらじゅんの「特選30点」と「アイノカテゴリー」。ありふれた日常風景の中に見出された皮肉まじりの笑い。「下らない。」という言葉がここではポジティブな意味として光っています。対象の固定観念を覆すイメージを生み出すような写真。それが、本来そこにはないはずの笑いとともにやってくる。この絶妙なセンス。好き嫌いが分かれそうではありますが、私は楽しませていただきました。



セカンドプラネットは、特定のテクストのイメージを東京とプラハの二都市に被せて、さらにはその差異を写真によって表現するアプローチをとります。同じ言葉がそれぞれ風土の異なった二都市にどう見えていくのか。テクストは500名の一般参加者が作り上げました。見慣れた東京の街と未知のプラハ。同じテクストから切り取られた光景は当然ながら大きく異なります。ここでもみうらと同じように、写真を、先入観に縛られた言葉の意味を解きほぐすかのように提示していました。



特に美しい作品を見せてくれたのは、「part.2 社会の中の私」のセクションで展示されていたニコール・トラン・バ・ヴァンのファッション的ヌード写真です。「ヌードとはけっして裸ではない。わたしたちは常に身体という衣装をまとっている。」という言葉の通り、単なるヌード写真にとどまらない、まさにファッションとしての裸体を見せた作品です。美しいアラベスク模様の中で一人座り込む若い裸女。彼女はそのアラベスクの装飾の中の一部となって、まるで人形のように存在しています。裸体がアラベスク模様の衣服のように見えてくるのは、模様が裸体と背景の両方を飲み込んでいるからでしょうか。身体がファッションの一部となっていること。これをヌードと定義するのを阻むような美しいファッション写真です。



その他では絵画のように日常の一面を切り取ったジャン=ポール・プロペスや、性をまるで殺伐とした暴力行為のように見せてくるアントワーン・ダガタ、さらにはメディアアート的な手法を用いて本と写真の関係を問う姜愛蘭の作品などが印象に残りました。ちなみにこの新進作家展は、2002年からテーマを変えながら毎年開催されています。(昨年は「新花論」。)来年も楽しみです。
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「山本挙志 『いってかえる』他」 トーキョーワンダーサイト 4/23

トーキョーワンダーサイト(文京区本郷2-4-16)
「Emerging Artist Support Program 2006 vol.1」
4/1-23(会期終了)

昨年度も何回か足を運んだワンダーサイトの「Emerging Artist Support Program」シリーズ。(ワンダーウォールの入選者から選ばれたアーティストによるグループ展です。)この4月から、また年度を改めた形となってスタートしました。今回の出品者は、中矢篤志、山本挙志、下出和美の計三名です。



一番印象に残ったのは、山本挙志による素朴な味わいの絵画作品でした。セピア色に統一された絵画。決して大きくはありません。描かれているのは、どこかの洞窟や飛行場、さらには鉄道などでしょうか。どれも人気がなく、まさに廃墟のようにひっそりと佇んでいます。そしてそれらはどれも点描画のような味わいを見せています。ボツボツとした点と線。所々破断していました。そこに薄く、また柔らかく塗られた絵具。それがじわりと広がっていき、画面に奥行き感を与えています。どこかノスタルジア的な印象も受ける作品でした。(いつか探検した洞窟のような…。)



山本とは対照的ではありますが、中矢篤志のややアニメーション的な絵画も記憶に残りました。うさぎや少女らのモチーフが、一見可愛らしく描かれながらも、実はそれらはどこか性器や肉片を連想させたりして、ややグロテスクな画面にも見えてくる。大小様々で、さらには形も異なったキャンバスに描かれた奇妙な物語。展示室の全てをその世界観で統一するかのような、コンセプトのハッキリした展示は見事です。

次回のこのグループ展は7月に行われるとのことです。今年度は欠かさずチェックしていこうかと思います。
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「現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 小松宏誠」 和田画廊 4/23

和田画廊(中央区八重洲2-9-8 近和ビル302)
和田画廊グループ展 現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 小松宏誠」
4/18-23(会期終了)

「現象からの新しいかたち展」第二弾では、小松宏誠の美しいインスタレーションが空間を飾ります。タイトルは「浮く冬」。(2006)5×5の25本にも及ぶ透明なアクリルパイプの中で、真っ白な羽が気持ち良さそうに浮遊する作品です。

暗室にて整然と並んだ25本の細い透明パイプ。パイプの下からは白い明かりが照射されて、光の筋がピンと上へ伸びています。そしてそのパイプの中にいるものは…、まるで小さな妖精ような人型の白い羽でした。それがエアーにより、時には一斉に、またある時には一つか二つだけ下から飛び上がってくる。途中まで上がって静止したり、またすぐに落ちてしまったりとその表情も実に多様です。



羽は常に一定の向きで飛び上がります。(空気で上下が逆転したりすることはありません。)また羽は全て殆ど同じ形をしていますが、中央のパイプに生息するそれだけは、まるで両足が開いているかのような形をしていました。彼はこの「浮く冬」を支配する王様でしょうか。何か威張って、他の妖精たちに運動を指図しているようにも見えます。冬ということで、羽はおそらく雪などをモチーフにしたものとは思いますが、私にはそれがとても可愛らしく見えました。器用に上下運動を繰り返しながら、まさに風に包まれて心地良く遊んでいるかのような表情を見せています。

次回、今週行われる第三弾(最終回)には安藤孝浩が登場します。そちらも是非拝見したいです。

 4/11-16 鈴木太朗(終了)
 4/18-23 小松宏誠(終了)
 4/25-30 安藤孝浩
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東京二期会オペラ劇場 「皇帝ティトの慈悲」 4/22

東京二期会オペラ劇場
モーツァルト「皇帝ティトの慈悲」

指揮 ユベール・スダーン
演出 ペーター・コンヴィチュニー
合唱 二期会合唱団
管弦楽 東京交響楽団
キャスト
 ティト 望月哲也
 ヴィテッリア 林正子
 セルヴィーリア 幸田浩子
 セスト 林美智子
 アンニオ 長谷川忍
 プブリオ 谷茂樹

2006/4/22 15:00~ 新国立劇場オペラ劇場 4階

ペーター・コンヴィチュニー演出による「皇帝ティトの慈悲」を新国立劇場で観てきました。二期会とハンブルク州立歌劇場の共同制作による話題の公演です。

コンヴィチュニーの演出を実際の舞台で観たのは今回が初めてですが、劇の本質を抉りとり、さらには剥き出しにしていく演出とはまさにこのことなのでしょうか。ティートという作品が、あれほど人間のドロドロとした愛憎が内包されたドラマだったとは思いもよりません。時代遅れとも言われるオペラセリアが、まるでバロック音楽を古楽器演奏にて鮮烈に甦らしたように生き生きとしている。寛大で啓蒙君主の鏡だったはずのティトの激しい苦しみ。それがクローズアップされることで見えてくるセストやヴィテッリアの心の闇。セストは本当にヴィテッリアを愛していたのだろうか。そしてヴィテッリアは単なる憎しみに燃えた女性なのか。コンヴィチュニーの手にかかると、この劇の暗部が、凄惨なまでに直裁的な表現で示されていきます。ミーハーな私は、面白い演出が観られるのかと期待して行ったのですが、むしろそれは良い意味で完全に裏切られました。表面的な笑いの底に潜んだ鋭く尖った牙。苦しみのあまりに何度も手首を切ろうとするセストや、皇帝であるためにまさに心をスッポリと入れ替えざるを得なかったティト。あのシーンで一体何を笑えというのでしょう。しかもそれがモーツァルトの美しい音楽の調べと共にやってくる。彼らの苦しみを鑑みるとあまりにも残酷です。そして破綻した大円団の後に連なる軽快な序曲。この憎悪劇がエンドレスに繰り返されていることへの告発でしょうか。その時「この有様では、古代ローマと変わらない。」(ZUSTAENDE WIE IM ALTEN ROM)という幕の言葉が重みを持って響いてきます。これほど後味の悪い幕切れもありません。



心に焼き付いたシーンはいくつもありました。まずはクラリネットとバセットホルンを舞台に上げた二つの箇所でしょう。クラリネットがまるで呪文のようにセストにまとわりついてティトへの憎しみを植え付けていく。まさに死神が誘った悪への道。それがヴィテッリアの復讐心と同時に表現されながら演じられていくのです。またバセットホルンも同じようにヴィテッリアをそそのかします。ティトへの憎悪が、次第に権力への願望へと転換されていったのでしょうか。その力をバセットホルンが強く与えること。ここは本来ならティトの許しに対応するヴィテッリアの諦めが示されるかと思うのですが、まさかヴィテッリアが心の動揺を超えて、もはや別人となったティトに成り代わっていく様子が表現されるとは思いませんでした。楽器を舞台にのせる演出にはこれまでにも接したことがありますが、音楽が登場人物の性格を明確に象っていることを示す演出に出会ったのは初めてです。モーツァルトの音楽へ対するコンヴィチュニーの敬慕の念が強く感じられる。彼は確かに音楽を止めたりするなどして舞台を作り上げますが、それが決して独りよがりの自己満足に陥っていない点が実に素晴らしいと思います。

スダーンと東響、さらには二期会の充実したキャストも、皆、このプロダクションに対する熱意が感じられるような力演でした。全体的にはややぎこちない部分もありましたが、セストの林美智子やティトの望月哲也は特に印象に残ります。凹凸なくしっかりと歌手を揃えるのはさすが二期会と言ったところでしょうか。望月の甘く柔らかい美声はまだ心地良く耳に響いています。

コンヴィチュニーは、二期会のインタビューによると「この作品の音楽に、非常にメランコリックな部分が聴こえてくるようになってきました。」と述べていますが、モーツァルトの歌劇から、まさにこれほどメランコリックな感情を与えられたのは初めてです。涙とともに出てくるような物悲しい笑い。演出を観て背筋が凍る経験。あまりにも恐ろしいティトの慈悲。他の演出が全て凡庸に見えてしまうかのような、トラウマにでもなりそうな公演でした。
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フローレスの美声に酔う ドン・パスクワーレ

メトロポリタン歌劇場インターネットライブ 4/16

曲 ドニゼッティ 歌劇「ドン・パスクワーレ」

指揮 マウリツィオ・ベニーニ
演奏 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
キャスト
 ノリーナ アンナ・ネトレプコ
 エルネスト ホアン・ディエゴ・フローレス
 マラテスタ マリウス・キーチェン
 ドン・パスクワーレ シモーネ・アライモ

つい先日行われたメトロポリタン歌劇場の公演を、インターネットラジオの「BartokRadio」で聴くことが出来ます。曲は、ドニゼッティのブッファの中でもこの上なく愉快な「ドン・パスクワーレ」。私の好きなドニゼッティの中でも、通称「女王三部作」や「連隊の娘」、それに「ファヴォリータ」に並んでオススメしたいほどの素晴らしい作品です。

まずは何と言っても、エルネストのフローレスが一番の聴き所でしょう。絶好調とまではいかないのか、やや弱い部分もあるように感じましたが、やはり他とは隔絶した貫禄の歌唱です。口の中で極上のチョコレートが溶け出していくような、思わず頬が落ちてしまうのではないかと思うほど、甘く切なく、そして美しい歌声。大凡尋常ではない艶やかさも持ち合わせています。まるで綿飴をふくらませるかのように声をまとめあげ、柔らかに歌へのせていく。もちろんリズムも軽快です。このオペラで唯一のエルネストのアリア(第二幕冒頭)では、身を嘆く物悲しい様子からノリーナへの愛が示されるその変化をいとも簡単に表現しています。(アリアの途中で録音が切れてしまうのが残念です…。)凄まじい「ブラヴォ!」にも頷ける歌唱です。



大混乱の第二幕フィナーレも実に楽しい音楽が付いていますが、この作品で最も強烈な印象を残す個所は、想像を絶するほどに猛烈なスピードで歌われる第三幕のマラテスタとパスクワーレの二重唱です。ここで指揮のベニーニは、音楽を殊更煽り立てることなく、やや腰を落として丁寧に進めていきます。そこへ挑戦するかのように逞しく歌うキーチェンとアライモ。次第にオーケストラの響きを打つ破るかのようにして突っ走ります。まさに息を付くひまもありません。最後にはファルスタッフばりに陽気となる二人。劇も最高潮に達します。

長丁場を楽々乗り切るノリーナのネトレプコや、愉悦感を損なうことなく作品をまとめあげた指揮のベニーニも見事でした。特にベニーニは、レヴァインの降板による穴を埋めるどころか、この曲に関してはそれを上回る出来かと思うほどです。旋律を丁寧になぞりながら、絶妙な間を置き、笑いどころをしっかりと示すのはまさに職人芸。この辺りのオペラでは欠かせない指揮者です。

さて、このエントリをアップするのが遅くなってしまいましたが、この録音は放送日から一週間オンデマンドにてダウンロード出来ます。(今日、明日までは可能でしょうか。)場所は「BartokRadio」オンデマンドのszombat(土曜日)の19時から22時まで。その間にドン・パスクワーレのライブ放送が挟まっているわけです。興味のある方は、ワインでも片手に、ドニゼッティに愉快な音楽に浸かりながらフローレスの美声に酔ってみてはいかがでしょう。

*ネットラジオ全般については「オペラキャスト」様のブログをご参照下さい。(オペラキャストのsakag510様が、コメント欄に音楽ファイルの結合方法をご教示してくださいました。そちらもご覧下さい。)


(上にアップしたリンク画像は、フローレス出演のロッシーニのオペラ、「オリー伯爵」です。「ランスへの旅」から美味しいところばかりを集めたような作品で、ロペス=コボスの指揮が若干硬めですが、ボローニャのオーケストラの浮き立つリズム感とフローレスが快調です。)
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ジョアン・ミロ 「絵画」 国立西洋美術館

国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)
常設展示 新館1階(20世紀の絵画)
「ジョアン・ミロ -絵画- 」

googleのロゴを見てすぐには気付きませんでしたが、今日、4月20日は、ジョアン・ミロ(1893/4/20-1983/12/25)の誕生日なのだそうです。ミロはまとまった形で拝見したことがないので、自分自身、まだ好きな画家なのかどうかも分からないのですが、西洋美術館の常設展にいつも飾られている「絵画」(1953)には強く惹かれます。かなり目立つ作品なので印象深い方も多いのではないでしょうか。



検索で出てくるミロの作品はどれも華やかで動きがあり、さらにはアニメーション的な味わいすら感じられるのですが、この「絵画」に関してはむしろ静的で、何やら不気味な印象すら与えられます。黒いかさに覆われた真っ赤な太陽。その右下で交差している線の集合体は星でしょうか。そしてまるで人が寝そべっているかのように描かれた黒い線。足が触手のように陽の方向へ伸びています。また背景の、まるで雲のように塗られた白と灰色の油彩。ともに美しく交じり合って画面を支えてはいるものの、どこか暗雲が漂っているような不安定さをも感じさせます。また不安定と言えば、人のようだと書いた線も所々がかすんで、またちぎれそうになっています。奇妙です。

ミロはシュールレアリスムの仲間として紹介され、マグリットやダリなどと一緒にされることも多いと聞きますが、この作品に限って言えば、色彩こそ地味ではありますが、アンフォルメル絵画のような激しいエネルギーを秘めているようにも感じられます。(赤い太陽のような円が、まるでブラックホールのように画面の全てを吸い取ってしまっているようにも見えます。)如何でしょうか。

私の記憶の限りでは、この作品は、展示替えの有無に関わらず常に展示されています。西洋美術館の中でも特に大きな展示室の中で、時にギョッとするほどに強く輝いている太陽。無骨でまた穏やかでありながら、一度見れば目に焼き付くような強烈な魔力を秘めた作品です。
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2014/6/28更新
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「建築家 グンナール・アスプルンド展」 松下電工汐留ミュージアム 4/15

松下電工汐留ミュージアム(港区東新橋1-5-1 松下電工ビル4階)
「建築家 グンナール・アスプルンド -癒しのランドスケープ- 」
2/11-4/16(会期終了)

先日まで汐留の松下電工ミュージアムにて開催されていた、近代スウェーデンを代表する建築家、グンナール・アスプルンド(1885-1940)の展覧会へ行ってきました。







飽きのこないデザインと、時代を感じさせないフォルム。ともかくアスプルンドの設計した建築物は、今から約70年前に造られたものだとは到底思えないほど古びていません。針葉樹林と緩やかな丘の映えるスウェーデンの美しい景色を取り込んだ「森の墓地」(1915-40)や「夏の家」(1937)。いずれも大地へ敬意を払うかのように、緑に包まれながらひっそりと建物が佇んでいます。また大きな写真で紹介された「森の墓地」の一棟の十字架。あくまでも自然と調和して、重要なランドマークとなりながら静かに景色へ溶け込んでいます。さらにはリステール州裁判所(1917-21)のまるでチャペルのような穏やかな空間と、カール・ヨーハン学校(1933-37)の職員サロンにおける居心地の良さ。副題の「癒し」というキーワードも、アスプルンドの場合は陳腐に聞こえてきません。建物と、その周囲の自然に包まれる感覚を感じます。





モダニズムの原初としても紹介されるアスプルンドですが、彼は機能性だけを努めて追求した建築家というわけではありません。例えばストックホルム市立図書館(1920-28)での巨大な円柱型の吹き抜けによる大閲覧室。大きな空間の中で、本が緩やかな曲線をなぞって並ぶ様子は美しくまた壮快ですが、実際に閲覧室へ本をどれだけ置けるかとなると、やや分が悪いかもしれない。しかし本を手に取って、その匂いと重さを感じながら、一枚ずつページをめくるのに相応しい空間とはまさにあのような場のことを言うのでしょう。本が建物の一部となって、あたかもインテリアとなるかのように機能している。また上部の壁面の装飾も見逃せません。シンプルな構成をとりながら、決して無味乾燥にならないアスプルンドの建築は、細部への丁寧な処理からも由来しているように感じられました。森の火葬場の扉に配されていたアラベスクも同様です。

さて、このような素晴らしい建築家を紹介してくれた汐留ミュージアムには大いに感謝したいところですが、ともかく今回に限っては、展示場があまりにも狭かったと言わざるを得ません。大画面のスクリーンにアスプルンドの建物を映し出したりするなど、なるべく狭さを感じさせない構成をとってはいましたが、会場へ作品を詰め込み過ぎた印象は否めませんでした。次回はもっと大きなスペースにてアスプルンドの作品を紹介していただきたい。その点ではやや消化不良気味な展覧会でもありました。

*アスプルンドについてはこちらのサイトがおすすめです。(日本語です。)
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東京都交響楽団 「ブルックナー:交響曲第9番」他 4/17

東京都交響楽団第625回定期演奏会Aシリーズ

ベルク 管弦楽のための3つの小品
ブルックナー 交響曲第9番

指揮 ジェイムズ・デプリースト
演奏 東京都交響楽団

2006/4/17 19:00 東京文化会館4階

デプリースト&都響のコンビにはこれまで2回ほど接し、ともに優れた演奏で非常に良い印象があったのですが、今回のコンサートだけはいただけませんでした。ブルックナーの未完の大曲、交響曲第9番が演奏された都響の定期演奏会です。



デプリーストのアプローチは、弦のカンタービレを主導にしながら旋律を伸びやかになぞって、恰幅の広い、自然な呼吸感による美しいブルックナーを目指します。第1楽章の冒頭の主題は比較的サラッと流して、その直後に入る弦をうねるようにしっかりと響かせていく。コントラバスを中心とした低弦をやや強めに、さらには浮遊感のある木管をオーケストラから飛び上がらせるように吹かせて強く印象付ける。テンポはあくまでも中庸です。第1楽章のコーダこそやや加速して明確な頂点を築かせるものの、第3楽章の終結部ではひたすらゆっくりと、静かに、まさに消え入るように丁寧に音を紡ぎます。マーラーでも聴かせてくれたデプリースト独特のソフトタッチの音響が、何かと険しく、また神々しくもなるブルックナーの音楽においても追求されていく。特に第3楽章における爽やかな歌心には驚かされました。「生からの別れ」(月刊都響より。)と言うよりも、むしろ「生への賛美」でしょうか。これほど神秘的にならない、むしろ愉悦感すら感じさせる第3楽章も珍しいと思います。

さて、初めにも今回のコンサートはいただけないと書きましたが、この日の都響はあまりにも状態が良くありません。ともかく全体として散漫です。弦こそ厚みのある響きにてデプリーストの棒に喰らいついていたのかと思いますが、金管、特にトランペット群の響きが無機質過ぎます。金管のコーラルが全く表情を持たずに、ただとてもつもない大音量にて、非常に硬質な響きで演奏されること。または金管群が弦と調和することなく、ただひたすらに自己主張していく様子。元々文化会館はそんなに豊かな残響を持つホールではありませんが、こんな美しくない、また無表情な都響を聴いたのは、大変失礼ながらここ数年では金聖響さんの指揮されたマーラの第5交響曲以来です。都響は好きなオーケストラである上に、デプリーストにも良い印象を持っていたので、ともかくもこの日の演奏は非常に残念でした。(12日のブル2の方は良い評判を耳にしていたので尚更です。)

一曲目のベルクの方も、もっと整理された、デプリーストならでは見通しの良い演奏になるかと思いきや、どこかモヤモヤとした煮え切らない音楽になっていました。演奏者の方には失礼極まりない感想になってしまいましたが、また次回に期待したいと思います。いつも以上の駄文失礼しました。
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「現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 鈴木太朗」 和田画廊 4/16

和田画廊(中央区八重洲2-9-8 近和ビル302)
和田画廊グループ展 現象からの新しいかたち展 -再構築芸術へのいざない- 鈴木太朗」
4/11-16(会期終了)

「現象からの新しいかたち」。はたまた「再構築芸術」。これらの言葉からは何やら難解で、頭が疲れてしまいそうなイメージすら浮かびますが、見てみるとこれほど楽しめるインスタレーションもそうありません。3週連続で和田画廊にて開催されているグループ展です。

暗室にたくさん吊るされているまるで竹とんぼのような奇妙な物体。それが地上30センチほどの高さにて何十個も佇んでいる。上部からは仄かなライト。パッと見ると、竹とんぼの集団がまるでお花畑のように広がっているようにも感じられます。これは一体…?謎めいています。

と言うことで、謎なものには近づいて見るのが一番でしょう。恐る恐るその竹とんぼに近づいていくと…、突如バタバタ、ガザガサとプロペラを廻しながら一斉に上へと逃げていくではありませんか。しかも自分が近づいたところだけの竹とんぼが動いて、後は全く知らんぷり。ちょっかいを出すように手をかざしてみると、やはりその回りだけ上へ逃げてしまいます。思わず後ずさりしてしまう、全く予想だにしない展開。これがまさに竹とんぼの動きによって、自分の周囲の大気の動きを視覚化した、言い換えれば「普段目にしているはずなのに気付かない自然現象の美しさを芸術作品に再構築」(画廊HPより引用。)した、再構築芸術と言うわけなのです。(作品名は「大気のかたち」)

作家の鈴木太朗さんによれば、この作品にはまだ不満がいくつもあるとのことですが、人から逃げ出す(もちろんその竹とんぼの中へ入って行くことも出来ます!)竹とんぼのようなものの動きは、どこか虫が散っていくようでもあり、(天井にそれがガンガン当るのも、あたかも虫がここから出してくれと言っているかのようです。)また風で舞う枯れ葉をかき分けているかのようです。センサーと基盤によるメカニックな基礎構造と、実際の作品のアナクロな味わい。(竹とんぼはケント紙と真鍮の錘で出来ています。)それが奇妙にマッチしている。楽しめました。

この回は既に終了してしまいましたが、グループ展は30日まで続きます。これはおすすめしたいです。(アップした画像は、今回展示されたものとは別の「風のかたち」という作品です。)

 4/11-16 鈴木太朗(終了)
 4/18-23 小松宏誠
 4/25-30 安藤孝浩

*日曜日もオープンしています。(「展力 Recommend & Review」掲載。)
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