「群馬県三館~太田・前橋・高崎の各美術館への日帰りツアー」 後編:高崎市美術館・旧井上房一郎邸

「前編:太田市美術館・アーツ前橋」に続きます。群馬県内の三美術館、太田市美術館・図書館、アーツ前橋、高崎市美術館へ行ってきました。

高崎から前橋の移動はさほど時間もかかりません。16時ちょうどの電車に乗って約15分、群馬県一のターミナルである高崎駅に到着しました。



高崎市美術館はアクセスの良い美術館です。西口を出てデッキを直進し、1本目の道路を越えて地上に降り、南側へ少し歩くと見えてきます。コンクリート打ち放しの外装が特徴で、駅から5分とかかりません。



その美術館の敷地内にあるのが、高崎市の実業家で、地元の文化活動のパトロンとしても活動した井上房一郎の旧邸でした。チェコ出身の建築家のアントニン・レーモンドの自宅兼事務所を写していて、レーモンドより図面の提供を受け、1952年に建てられました。なおレーモンドの自邸は、没後に取り壊されたため、レーモンド・スタイルを色濃く反映した建物として知られています。2009年より高崎市の管理となり、翌年に市景観重要建造物第1号に指定されました。



南側に庭園を配し、パティオを挟んで、向かって右手に居間、そして左側に寝室、和室、化粧室、食堂、台所などからなる邸宅で、現在は北側の玄関ではなく、美術館から歩道の続く南側のパティオより中に入ることが出来ます。



居間には中央にレーモンドスタイルの特徴である暖炉があり、北側の襖の上には明かり取り用の障子が取り付けられていました。また南側の窓から庭園を一望することも出来ました。



レーモンドの妻のノエミのデザインしたテーブルが寝室に置かれていて、かつてのレーモンド邸で使われた食卓と同じものとされています。



和室は井上邸において新たに作られた部屋で、主に夫人のために用いられました。



食堂など一部の部屋こそ入場が叶いませんが、基本的には自由に見学することが出来ます。また廊下の天井に連なる剥き出しの送電線も特徴的かもしれません。



このほか、敷地内には仏間と物置の別棟もあり、それぞれ建物の外から見て回ることも可能です。外周ももぐるりと歩くことが出来ました。



私自身、旧井上房一郎邸へは、高崎哲学堂と呼ばれていた、2008年に一度、見学したことがあります。以来、10年ぶり以上の再訪となりましたが、おおよそ駅前にあるとは思えないような、言わば隠れ家的な趣きに、改めて魅了されました。



一通り、旧井上邸を見たのちは、美術館にて「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」を鑑賞しました。モダンデザインの定着を試みたブルーノ・タウトと井上房一郎を起点に、アントニン・レーモンドや剣持勇、ジョージ・ナカシマ、それにイサム・ノグチらの活動を俯瞰する展覧会で、それぞれの作品を紹介していました。このあと、東北歴史博物館、そしてパナソニック汐留ミュージアムへと巡回しますが、井上にゆかりの高崎で見ておくのも良いのではないでしょうか。



このほかにも群馬県内には、高崎の群馬県立近代美術館と高崎市タワー美術館、渋川のハラミュージアムアーク、そして館林の群馬県立館林美術館など、数多くの美術館が存在します。

今回は日帰りで、太田市美術館・博物館、アーツ前橋、そして高崎市美術館を巡りましたが、複数を組み合わせて周遊するのも面白いかもしれません。

「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢 生活デザインの原点をめぐる5つの可能性」 高崎市美術館・旧井上房一郎邸
会期:2019年2月2日(土)~3月31日(日)
休館:2月4日(月)、12日(火)、18日(月)、25日(月)、3月4日(月)、11日(月)、18日(月)、22日(金)、25日(月)
時間:11:00~18:00
 *金曜は20時まで開館。
 *旧井上房一郎邸 12~2月:10:00~17:00、3~11月:10:00~18:00
 *入館はそれぞれ閉館の30分前まで。
料金:一般600(500)円、大学・高校生300(250)円、65歳以上・中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *旧井上房一郎邸の観覧料を含む。
住所:群馬県高崎市八島町110-27
交通:JR高崎駅西口から徒歩3分
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「群馬県三館~太田・前橋・高崎の各美術館への日帰りツアー」 前編:太田市美術館・アーツ前橋

群馬県内の三美術館、太田市美術館・図書館、アーツ前橋、高崎市美術館へ行ってきました。

太田市美術館・図書館は、群馬県太田市の玄関口である、東武伊勢崎線の太田駅の目の前に位置します。



北千住を9時23分に発車する特急りょうもう号に乗り、車内で揺られること約80分、太田駅に到着して北口を出ると、すぐにロータリーに面した太田市美術館・図書館が見えてきました。



この日はあいにくの雨でしたが、まだ新しい白い外観は、とても良く映えていました。建物を設計したのは、建築家の平田晃久で、太田の「街の結び目」を目指すべく、2017年の4月1日にオープンしました。



5つの鉄筋コンクリートの箱を、鉄骨のスロープが囲む形が特徴的で、内部も展示室こそ区切られているものの、美術館と図書館のスペースが入り混じるように作られています。



ちょうど開催中の「生誕100年 飯塚小玕齋展―絵画から竹工芸の道へ―」を見終えたのちは、一通り、館内を見学することにしました。なお館内の撮影は、事前に受付へ申し出る必要がありました。



私自身、太田市美術館・図書館に行ったのは、開館記念展以来、2度目でした。ともかく1階から3階、また3階から1階へと連続するらせん状の構造と、高低差のある内部空間が魅惑的で、気がつけば何度も回遊していました。



カーブミラー型のサインシステムも、曲線の多い建物の構造を生かしていたのではないでしょうか。一連のサインデザインは全てオリジナルで、グラフィックデザイナーの平野篤史が手がけました。



しばらく見学しているとお昼前になったので、1階のカフェ、「キタノスミス」でホットサンドをいただくことにしました。



地元で知られた「BLACKSMITH COFFEE」が運営していて、地産地消をモットーに太田産の食材にこだわったメニューを展開していました。



外のテラスから屋上へ出られるのも、建物の特徴の1つでしたが、荒天のためにクローズしていました。どうやら安全のためか、雨天時は屋上へ上がることは出来ないようです。



再度、展示を観覧しつつ、館内を何度か見たのちは、次の目的地であるアーツ前橋を目指すことにしました。

太田と前橋は直線距離で約30キロほどあり、鉄道では東武伊勢崎線で伊勢崎へ向かい、そこでJRの両毛線に乗り継ぐ必要があります。一応、事前のプランでは40分強で前橋に到着する予定でしたが、東武線が遅れていて、乗り換えがうまくいかず、結局、前橋まで1時間以上かかりました。

アーツ前橋は、太田市美術館・図書館とは異なり、駅前の立地ではありません。駅北口より道なりで900メートル弱ほど進んだ、市中心部にありました。雨がかなり強くなっていたこともあり、タクシーを利用しました。約5分ほどでした。



かつての商業施設をリノベーションした、白いパンチングメタルの外装が目を引く建物で、2013年の10月に開館しました。オープンしてから既に6年ほど経過していましたが、私が行ったのは初めてでした。



建物自体は「前橋プラザ元気21」と呼ばれる複合施設で、アーツ前橋は、別館の地下1階から1階と2階に入居していました。なお3階は前橋シネマハウスで、上層部は全て駐車場でした。また本館には、前橋市の中央公民館やこども図書館、それにスーパーマーケットなどがありました。



1階に受付とショップにカフェがあり、展示室は1階と地下に広がっていました。2階は事務室として使用されているようです。



この地下のスペースが思いの外に広いのに驚きました。また地下と1階の一部で吹き抜けになっているのも特徴で、その部分には、かつて入居していた西友のエスカレーターが設置されていたそうです。



基本的にホワイトキューブながらも、地下空間に特有の潜り込むような感覚もあり、独特の趣きをたたえていました。また内部は大小に様々なボリュームの展示室が連続していて、中央の大きなスペースを挟み、ぐるりと巡って歩くように出来ていました。私はあまりこうした構造の美術館を目にしたことはなく、それがむしろアーツ前橋の個性となっていました。



そしてアーツ前橋では、アジアの木版画の展開を、社会や労働運動の関わりから検証する「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」が開催中でしたが、質量ともに圧倒的で、予想以上に見応えがありました。



ラストの吹き抜けのスペースでは現代美術の展開もありました。もし可能であれば、別エントリで感想をまとめたいと思います。(館内は原則撮影禁止ですが、8章以降は撮影出来ました。)



立体式のサインシステムも面白いかもしれません。なおアーツ前橋では、次回、4月19日よりやなぎみわの個展が予定されています。現在、高松市美術館で開催中の展覧会で、関東では神奈川県民ホールギャラリーへ巡回しますが、このスペースで見るのも面白いのではないでしょうか。



結局、アーツ前橋を出たのは15時40分過ぎでした。帰りは前橋駅まで10分ほど歩き、両毛線で最終目的地の高崎へと向かいました。

「後編:高崎市美術館・旧井上房一郎邸」へと続きます。

「太田の美術vol.2 生誕100年 飯塚小玕齋展―絵画から竹工芸の道へ―」 太田市美術館・図書館@obt_pr
会期:2019年2月2日(土)~4月7日(日)
休館:月曜日。但し祝日の2月11日は開館し、翌日火曜日は休館。
時間:10:00~18:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般300円。65歳以上、高校生以下無料。
住所:群馬県太田市東本町16-30
交通:東武伊勢崎線太田駅から徒歩1分。専用無料駐車場(40台)あり。

「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」 アーツ前橋@ArtsMaebashi
会期:2019年2月2日(土)~3月24日(日)
休館:水曜日。
時間:11:00~19:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般500円。65歳以上・10名以上の団体300円。高校生以下無料。
住所:群馬県前橋市千代田町5-1-16
交通:JR線前橋駅北口より徒歩10分。上毛電気鉄道中央前橋駅より徒歩5分。
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コスチューム・ジュエリーが一堂に。アクセサリーミュージアムへ行ってきました

貴金属や宝石などで作るジュエリーとは異なり、ファッション性を重視し、素材を問わずに作られた装身具であるコスチューム・ジュエリー。ファッションに関心のある方であれば、身近に触れる機会も少なくないかもしれません。


アクセサリーミュージアム
http://acce-museum.main.jp

コスチューム・ジュエリーを国内最大級のスケールで展示するミュージアムが、東京の目黒区上目黒にあります。


「アクセサリー・ミュージアム」入口。祐天寺の閑静な住宅地の中に位置します。

その名はアクセサリーミュージアムで、田中美晴、元子夫妻のコレクションを公開するため、個人の邸宅を改装し、2010年に開館しました。最寄りは東急東横線の祐天寺駅で、住宅街を経由し、細い路地を抜けた先に位置していました。駅からは歩いて10分もかかりませんでした。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM1 アール・デコ)

受付の先にはアール・デコを模した展示室が広がり、1920年から30年代にかけ流行した、アール・デコのアクセサリーが展示されていました。この時代は、女性の社会進出や交通手段の発達により、シンプルな服装が求められ、幾何学的なデザインや、オリエンタルなモチーフをアレンジしたアクセサリーが好まれました。直線のモチーフや、色の対比などが、特徴としてあげられるそうです。


ペーストによるアクセサリー

宝石の代用品であった、ペーストのアクセサリーも目を引くかもしれません。ガラスをカットして作られていて、安価なジュアリーとして、アール・デコ以前から人気を博していました。


「ペークライトブレスレット」 1920年〜1930年 フランス

合成樹脂の初期の形であるペークライトが登場したのもアール・デコの時代で、色々な形に成形しやすいこともあり、モダンなデザインのアクセサリーが生み出されました。


「スコティッシュジュエリー」 ほか

最も古いコレクションは、1837年から1901年のヴィクトリア朝のアクセサリーでした。イギリスの貴族文化の価値観を重視し、荘厳でかつ華麗な装飾を特徴としていて、前期にはロマンテックなものや自然、後期には過去の文物やデザインを取り込んだモチーフが流行しました。


「モーニング(喪)・ブレスレット」

またヴィクトリア女王が、長く夫のアルバート公の喪に服したことから、黒が広く着用されました。さらに象牙も流行し、カメオも作られました。ケルトのデザインのアクセサリーも魅惑的かもしれません。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM4 アール・ヌーボー)

19世紀末から20世紀初頭のアール・ヌーヴォーに関したアクセサリーも充実していました。イスラムや中国、日本の文化の影響を顕著に受けていて、動物や植物などの流動的な曲線を特徴としていました。さらに当時としては新しい素材であった、ガラスや鋼鉄も積極的に取り入れられました。


「虫ブローチ」 1850年〜1900年 フランス

中には、本物のタマムシをブローチに仕立てた「虫ブローチ」もありました。またベルトを身につける習慣があり、バックルが多いのも特徴の1つでした。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM4 オートクチュール)

ヴィクトリアン、アール・ヌーボー、アール・デコに続くのは、1940年から60年の間のオートクチュールの時代でした。1940年代は第二次世界大戦の影響でミリタリー風のファッションが流行しました。そして戦後にパリでオートクチュールが再開すると、1947年にディオールが最初のコレクションを発表して、世の中に衝撃を与えました。


「ブローチ」 1950年代 アメリカ ほか

1950年代には、正統派のクチュールと若者のファッションが対峙していていて、1960年代に入ると、オートクチュールメゾンにプレタポルテの波が押し寄せました。またヤングファッションも革命期を迎え、ジーンズやミリタリー、アイビー・ルックなど、新たなカルチャーを反映したファッションが生み出されました。一方のアクセサリーでは、自然の素材として、象牙などが好まれました。


「ハートブローチ」 1970年代 フランス

1970年代に入ると、プレタポルテでは若いデザイナーが台頭し、豪華なクチュールのモードは一部の人のものとなりました。また同時にアンチモードへの時代でもあり、ヒッピーなどの文化もファッションに影響を与えました。ヤングアクセサリーのポップなモチーフも目を引くかもしれません。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM6 プレタポルテ)

時代の最先端をいくような前衛的なモチーフが好まれたのが、アヴァンギャルドの時代とされる1980年代でした。トレンドは目まぐるしく変化していく中、人々は自分の好きなスタイルでファッションを表現し、ファッションを楽しみました。日本ではバブル景気を反映し、派手で華美なコスチューム・ジュエリーが人気を博しました。いわゆる「デコ盛り」の先駆けとも言えるようなジュエリーも目立っていました。


シャネル・オートクチュール アクセサリー

あくまでも個人の邸宅であるため、スペースとしては必ずしも広くありませんが、地下1階、地上1階、2階の3層の建物には、合計9の展示室があり、いずれも所狭しとアクセサリーで埋め尽くされていて、総数は2000以上にも及び、想像以上に見応えがありました。サンローラン、ディオール、シャネルと、よく知られたブランドのアクセサリーも少なくありません。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM6 プレタポルテ)

一部では絵画の参照があったり、衣装のコレクションも目に付くなど、アクササリーを通じて、1850年から2000年へと至った、各時代の文化や風俗がよく伝わるような展示でした。アクササリーファンだけでなく、美術ファンにも見ておきたい内容と言えるかもしれません。


「アクセサリーミュージアム」展示風景(ROOM6 プレタポルテ)

入館料は一般1000円ですが、ぐるっとパスを利用すると、フリーで入場出来ます。お得なパスの利用をおすすめします。


ミュージアムショップ

ミュージアムショップも充実していました。ヴィンテージから現代のコスチューム・ジュエリーやアクセサリーパーツだけでなく、アクセサリーに関したカタログやグッズなどが数多く販売されていました。また横のスペースでは、少人数制のアクセサリー教室が開催されるほか、アクセサリークリニックとして、アクセサリーのアフターケアについての相談も受け付けていました。


館内では、「アメリカンドリーマー ミリアム・ハスケル」と題し、コスチューム・ジュエリーの創始者とも呼ばれる、ミリアム・ハスケルの企画展も開催されていました。そちらも次のエントリでご紹介したいと思います。

「アクセサリーミュージアム」@acce_museum
休館:月曜・第4、5日曜日。
 *冬季休館(12月23日〜1月16日)、及び8月休館(8/1~8/31)
時間:10:00~17:00
 *入館は16時半まで。
料金:一般1000円、学生(小学生以上)600円。ぐるっとパスでフリー。
住所:目黒区上目黒4-33-12
交通:東急東横線祐天寺駅中央改札口側西口1より徒歩7分。

注)写真は美術館の許可を得て撮影しました。
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「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 後編:六角堂・五浦岬公園

「前編:茨城県天心記念五浦美術館」に続きます。日本美術院のゆかりの地、北茨城の五浦へ行ってきました。

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 前編:茨城県天心記念五浦美術館(はろるど)



天心記念五浦美術館から記念公園を経由して、天心遺跡、つまり茨城大学五浦美術文化研究所へは、ゆっくり歩いて15分ほどでした。途中、ホテルや民宿が立ち並んでいましたが、人影はほぼ皆無で、車のみが往来していました。実際、五浦へのアクセスは、車がメインのようでした。


「茨城大学五浦美術文化研究所」入口の「長屋門」。杉皮を竹で押さえた屋根が特徴的です。

1913年に天心が没すると、旧天心邸、六角堂、長屋門からなる天心遺跡は、しばらく遺族の住まいとして使われました。そして1942年に天心偉績顕彰会が管理を引き受けると、1955年に茨城大学へ寄贈され、茨城大学五浦美術文化研究所として整備されました。現在は広く一般に公開されています。


「茨城大学五浦美術文化研究所」敷地内。

風情のある長屋門が待ち構えていました。天心の時代から建ち、管理室や受付として利用されている施設で、2003年には旧天心邸や当時の六角堂と並び、国の登録有形文化財に指定されました。


「天心記念館」建物入口。

敷地内は高い松林で覆われていて、門のすぐ左手には、天心に関した資料を公開する天心記念館がありました。1963年に建てられた施設で、中には平櫛田中の「五浦釣人」や「岡倉天心先生像」、それに天心の釣舟の「龍王丸」などの資料が展示されていました。


「旧天心邸」。天心の没後、改築が繰り返され、当初の半分ほどの建坪しか残っていません。

そして左手に海岸を望みながら坂を下ると、まさに天心の住まいであった旧天心邸が姿を見せました。元来、天心は、五浦で古い料亭を住まいとしていたものの、その建材を用いて自邸を建てました。また当初は62坪あり、後に拡張されたものの、天心が没すると、書斎や浴室の一部が撤去されました。



旧天心邸の前には小さな芝生の庭がありました。そこからも海を望め、岩を砕く波音も絶えず聞こえてきました。なお天心は、ここにボストンから取り寄せた芝を植え、洋風の庭を築いたとも言われています。


「六角堂」。戦後の解体修理で「観瀾亭」の棟札が発見され、正式な名が判明しました。

さらに海岸へ降りると、天心自身が築き、観瀾亭と呼んだ六角堂が姿を見せました。海の際の岩の上に建つ朱塗りの小さな楼閣で、ここで天心は瞑想に耽り、また釣り糸を垂らしました。


「六角堂」を上から見る。

建物は、中国の草堂を参照したとされるものの、屋根の宝珠は仏堂のようで、内部は茶室の役割も兼ねられていました。中国、インド、日本の伝統思想が、一つの建物で表現されていると考えられています。(諸説あります。)



しかし六角堂は創建当時のものではありません。かの東日本大震災です。五浦を襲った大津波は六角堂を飲み込み、台座部分のみを残して、無残にも建物の全てを破壊してしまいました。さらに津波は六角堂を超え、旧天心邸のある庭園まで到達し、邸宅の廊下の直下にまで水が達しました。結果的に津波の遡上高は、10メートルにも及びました。



現在の六角堂は震災から一年後に再建されたものです。「観瀾亭」とは、大波を見るための東屋を意味するそうですが、まさか自らの堂が津波で消失するとは、天心も思いもつかなかったのではないでしょうか。崖の入り組んだ地形もあり、五浦は茨城県内でも特に津波が高かったそうですが、災害の恐ろしさを改めて感じました。


五浦岬公園から「六角堂」を眺める。

さて茨城大学五浦美術文化研究所を見学したのちは、五浦海岸や六角堂を一望出来る五浦岬公園へと向かいました。ちょうど六角堂のある大五浦の南側の小五浦にある岬の公園で、六角堂からはアップダウンのある小道を歩いて、約10分強かかりました。


映画「天心」のオープンセット

五浦岬公園では、2013年の映画「天心」のオープンセットが公開されていました。「日本美術院研究所」を復元していて、内部では大観や春草などの人形で、映画のワンシーンを再現していました。制作の様子もよく伝わるのではないでしょうか。


オープンセットの内部。観光案内のパンフレットなどもありました。

さらにパネルなども多数並んでいて、係の方もおられ、映画や日本美術院について説明して下さいました。またセットの見学には料金はかかりませんが、火・水・木曜日が定休日の上、荒天時には公開しない場合もあるそうです。お出かけの際は、あらかじめ市の観光協会へ問い合わせておくのも良さそうです。


五浦岬公園。五浦海岸のほぼ南端に位置します。

朝10時頃に大津港へ着き、茨城県立天心記念五浦美術館、そして旧天心邸や六角堂からなる茨城大学五浦美術文化研究所、さらに五浦岬公園を歩いて回ると、ゆうに昼時を過ぎていました。

なお今回の北茨城への旅に際しては、gooいまトピのyamasanさんの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

日本美術の聖地・五浦へ
https://ima.goo.ne.jp/column/article/5715.html

最後に余談ですが、山種美術館で見た、横山大観の「蓬莱山」(「日本画の挑戦者たち」に展示中。会期:9月15日〜11月11日。)が五浦の景観と重なりました。


横山大観「蓬莱山」 昭和14年頃 山種美術館 *特別内覧会時に許可を得て撮影。

晩年の作品ではありますが、切り立つ崖や高い松林など、若き大観が見た景色が僅かにでも反映しているのでしょうか。どうしても五浦の光景を思い出してなりませんでした。



半日で巡る五浦への旅。ここに日本美術院の画家の創作の原点があるのかもしれません。

「茨城大学五浦美術文化研究所」(長屋門・旧天心邸・六角堂)
休館:月曜日。
 *月曜日が祝日の場合は翌日休館。年末年始(12月29日〜1月3日)。
時間:8:30〜17:30(4月~9月)、8:30〜17:00(10月、2月、3月)、8:30~16:30(11月~1月)
 *入場は閉館の30分前まで。
料金:一般300円。中学生以下無料。
 *20名以上の団体、及び70歳以上は200円。
住所:茨城県北茨城市大津町五浦727-2
交通:JR線大津港駅よりタクシー約10〜12分。火・木・金曜のみ市巡回バスあり。
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「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅」 前編:茨城県天心記念五浦美術館

日本美術院のゆかり地である、北茨城の五浦へ行ってきました。


五浦海岸。「関東の松島」とも呼ばれています。

1906年、日本美術院を北茨城の五浦へ移した岡倉天心は、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らともに住みながら、日本画の研鑽を積ませました。その五浦には、今も当時の活動を伝える施設が残されています。


大津港駅。駅舎が六角堂を模していました。

その1つが、茨城県立天心記念五浦美術館で、最寄り駅はJR常磐線の大津港駅でした。上野駅から特急「ひたち」に乗車し、一路、大津港駅を目指しましたが、「ひたち」は同駅に停車しません。よって、少し手前の磯原駅で降り、普通列車に乗り換えて、大津港駅に着きました。上野駅からの所要時間は、おおよそ2時間20分程度でした。


茨城県立天心記念五浦美術館。正面より。

五浦美術館へは、駅から道なりで約2キロほどあります。歩くと40分程度かかるため、まずは駅ロータリーからタクシーに乗車し、美術館へと向かいました。駅正面から直進し、ややアップダウンのある道を右手へ曲がってさらに進むと、五浦美術館の入口が見えてきました。ちょうど運賃は1000円でした。



五浦海岸の崖の上に建つ美術館は、想像以上に立派な建物でした。手前にロータリーと駐車場があり、美術館の左右には遊歩道がのびていて、展望台も整備されていました。そこから太平洋を一望することが出来ました。


「茨城県立天心記念五浦美術館」全景。敷地も広大でした。

1997年に開館した美術館は、広いエントランスロビーとAからCの3つの展示室、それに天心の業績を顕彰する岡倉天心記念室などからなっていて、カフェテリアやショップもありました。全体に人出こそ疎らでしたが、観光コースでもあるのか、団体の来場者の姿も見受けられました。


「企画展 金 -KIN-」パネル。金箔や金泥などの技法についても説明がありました。

ちょうど私が出向いた際に開催されていたのが、金に関した日本画を紹介する「企画展 金 -KIN-」でした。そこでは日本美術院の画家である下村観山の「老松」をはじめ、白い猫と黒い烏を対比的に表した菱田春草の「猫に鳥」のほか、秋の野を美しい色彩で表現した木村武山の「小春」などが展示されていました。

またそうした明治や大正期の作品だけでなく、片岡球子の「春の富士」(昭和63年)や、畠中光享の「帰去来」(平成18年)など、現代の作家の作品も網羅されていました。全部で14点と、作品数自体は少ないものの、大作の屏風絵も目立っていて、かなり見応えがありました。


新海竹蔵「岡倉天心肖像レリーフ」 昭和17(1942)年 *撮影可

岡倉天心記念室では、書簡や遺品、それにレプリカや書斎の再現などで、天心の生涯と、五浦における日本美術院の活動を紹介していました。また館内の撮影は出来ませんが、入口の天心のレリーフのみ可能でした。



一通り、展示を見終えると、外へ出て、遊歩道を散策することにしました。松林越しに太平洋が開けていて、眼下には海を望むことが出来ました。起伏のある入江と高い松林を特徴とした五浦海岸は、「日本の渚100選」にも選定された景勝地で、その北の際に美術館が位置していました。



そして美術館を後にして、旧天心邸や六角堂などからなる天心遺跡、現在の茨城大学五浦美術文化研究所へと歩いて向かいました。


「日本美術院跡」石碑。奥村土牛の筆だそうです。

天心遺跡公園近くへ至る小道を進むと、日本美術院の跡地を示す石碑や筆塚が姿を現しました。一帯は、長らく荒地になっていたものの、1980年に岡倉家より管理委託を受け、記念公園として一般に公開されました。しかし現在は、東日本大震災の影響によって、立ち入りの多くが規制されています。


岡倉天心の墓。土饅頭型と呼びます。

さらに五浦観光ホテルを過ぎ、美術研究所に近づくと、天心の墓がありました。天心は、東京の駒込の墓地に埋葬されましたが、遺言によって、五浦にも分骨されたそうです。



「後編:六角堂・五浦岬公園」へと続きます。

「日本美術院の足跡を訪ねて〜五浦への旅 後編:六角堂・五浦岬公園」(はろるど)

「企画展 金 -KIN-」 茨城県天心記念五浦美術館
会期:8月31日(金)~10月8日(月・祝)
休館:月曜日。
 *但しただし9月17日(月・祝)、9月24日(月・振)、10月8日(月・祝)は開館。9月25日(火)は休館。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
 *10月からは9:30~17:00
料金:一般310(260)円、70歳以上150(130)円、大学・高校生210(150)円、中学・小学生150(100)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *土曜日は高校生以下無料。
住所:茨城県北茨城市大津町椿2083
交通:JR線大津港駅よりタクシー約7〜8分。火・木・金曜のみ市巡回バスあり。
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2018年春のお花見あれこれ

今年の桜は開花も早く、あっという間に満開を迎えました。風も強く、暖かい日が多かったからか、心なしか見頃も短かったかもしれません。

拙い写真で恐縮ですが、今年の春、私が見た桜を順にあげていきたいと思います。



まずは地元の千葉県の市川市にある真間山弘法寺の「伏姫桜」です。推定樹齢400年を数える枝垂桜で、桜の花は地面につくほど垂れていました。



同じく真間山にはソメイヨシノも多く植えられていますが、やはり枝垂れの方が早いため、同時に楽しむことは出来ませんでした。



続くのが、成田空港にほど近い成田市さくらの山公園で、滑走路に離着陸する飛行機とともに、桜を見られるスポットとして知られています。一帯にはソメイヨシノやヤマザクラ、ヒガンザクラが約300本植えられていました。



一応、開花宣言も出された後の休日のため、駐車場もほぼ満車で、多くの人で賑わっていましたが、実際のところソメイヨシノは殆ど咲いていませんでした。(3月25日段階。)ほぼ一週間早かったようです。



東京で開花も進んだ3月最終週には、芝の増上寺でお花見をしてきました。境内には200本の桜があり、ソメイヨシノは満開で、枝垂れは早くも散り始めていました。



場所柄か、外国のお客さまの姿を多く見かけました。やはり春は日本観光のベストシーズンなのかもしれません。



3月末の週末には、再び地元の市川市の中山法華経寺へ出かけてきました。この日は快晴で、やや散り始めていたものの、桜も青空により映えて見えました。



鎌倉時代の創建の法華経寺の境内は広く、祖師堂や五重塔、それに法華堂などは重要文化財に指定されています。



また境内奥の聖教殿は、伊東忠太の建築で、日蓮聖人による国宝の立正安国論などが納められています。その聖教殿前の桜も花開いていました。



法華経寺のあとは、市内の桜の名所である真間川を歩きました。桜並木は川の両側のおおよそ2キロに渡って連なっています。



川はほぼ住宅地の中を流れるため、大きな観光スポットもなく、人出も多くはありません。市外でも特に知られていないため、毎年、静かにお花見をすることが出来ます。



今年、初めて「真間川堤桜まつり」も開催され、川床が設置されました。川面近くから見上げる桜もまた一興ではないでしょうか。



ラストは新宿御苑へ繰り出しました。言わずと知れた、都内有数の桜の名所で、園内には65種類、約1000本もの桜が植えられています。



桜の種類が豊富なため、3月からヤマザクラ、ソメイヨシノ、そして八重桜と、長くお花見が出来るのも特徴です。4月第1週の段階では、ちょうどが八重桜が見頃を迎えていました。



さすがに人気の花見スポットだけにギャラリーも多く、スマホを片手にしながら、思い思いに写真を撮っている方が見られました。



僅かに雨も混じる曇天ながら、量感のある八重桜も見応えがありました。またつつじも一部で花開いていました。


皆さんの今年のお花見は如何でしたでしょうか。また来年も楽しみたいと思います。
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「早春の川越を歩く」 後編:山崎美術館・旧山崎家別邸

「早春の川越を歩く 前編:川越城本丸御殿・一番街」に続きます。川越の街を散策してきました。

「早春の川越を歩く」 前編:川越城本丸御殿・一番街(はろるど)

蔵の街の大変な賑わいの中、右へ左へと店を渡り歩いていると、殆ど偶然に「美術館」と記された古びた看板を見つけました。間口は、蔵造りの建物を囲む塀の間にぽっかり開いていて、まるで人気がありません。あまりにもひっそりとしていたため、思わず通り過ぎてしまいそうになるほどでした。



それが山崎美術館で、川越の老舗和菓子店の亀屋の4代目であり、明治以降は第八十五国立銀行を設立するなど、経済界でも幅広く活動した、山崎豊の日本画コレクションを公開する施設でした。美術館自体は、山崎豊の生誕150年を記念し、昭和57年に開館しました。



門を潜ると、薄暗く、ひんやりとして、右手には蔵の扉が開いていました。受付は無人でしたが、ベルを鳴らすと、係の方が出て来て下さいました。中は静まり返っていて、実際にほかの観覧客は一人もいませんでした。

展示は基本的に二本立てで、1つは菓子を作る際の型であり、もう1つは近代日本画でした。一部は、土蔵自体が展示室と化していて、内部を見学することも出来ました。一方で日本画は、ガラスケース越しでの鑑賞でした。スペースは一室で、正面に橋本雅邦の大作屏風が広がり、ほかは10点ほどの掛け軸の作品が並んでいました。さほど量の多い展示ではありません。



この橋本雅邦と関わりがあるのが山崎豊でした。というのも、そもそも雅邦は川越藩のお抱え絵師として生まれた郷里の画家で、実際に若い頃は川越に住み、多くの作品を描いていました。その後、雅邦は東京美術学校の日本画の主任教授となり、日本美術院の創立に参加しては、後進の指導に当たるなど、日本画の発展に尽力しました。

こうした雅邦の活動に対し、川越では、川越画宝会なる組織が結成され、愛好家らが参集しては、雅邦作品の頒布を請けました。のちに会は東京へと場を移し、さらに拡大していきますが、山口豊も同会の幹事として積極的に参加しました。結果的に山口豊は、雅邦から譲り受けた作品を大切に保管し、子孫へと伝承させました。そののち、コレクションは美術館へと移管され、一般に公開されるに至りました。

一通り、作品を鑑賞すると、係の方が和菓子を勧めて下さいました。実は山崎美術館では入館者に和菓子のサービスがあり、お茶とともにいただくことが出来ます。追加の料金は一切ありません。半屋外のスペースのため、一番街の喧騒が、時折、耳に飛び込んで来ましたが、一転して静まり返った館内で味わう和菓子は、また格別のものがありました。川越の隠れた休憩スポットと言えるかもしれません。



美術館を出たのちは、同じく山崎家の5代目に当たる、山崎嘉七が隠居所として建てた旧山崎家別邸へと向かいました。美術館からも歩いて数分と、さほど距離はありません。



旧山崎家別邸は、和洋折衷の住宅で、大正14年、建築家の保岡勝也によって建てられました。管理棟を抜けると、車待ち、母屋、庭園、茶室があり、うち母屋の一階を見学することが出来ました。また庭園も中に入ることは叶いませんが、外周路から望むことが可能でした。敷地面積は2270平方メートルと広大です。洋館と和館で構成された母屋の木造は2階建てで、川越を訪れた皇族も宿泊するなど、同地の迎賓館的施設としても利用されてきました。



玄関は洋館に位置していましたが、通常は閉ざされているため、和館の内玄関より中へと入りました。



純和風の数寄屋造りで、廊下の正面に客間と居間が並び、その向こうに広縁があり、庭を望めました。客間の柱は吉野杉で、床の間の床柱に北山杉を用いるなど、建材にもこだわりが感じられました。壁紙は、当時のものがそのまま残されていました。



客間へは障子越しに、明るい日差しが降り注いでいました。窓の外が主庭で、左手に茶室を望めました。



和館で特に印象に深いのは、建物東南にあるサンルームでした。格子のガラス張りのため、戸外の景色が際立って見えました。この日はかなり冷えていましたが、日差しの効果なのか、心なしか暖かく感じました。



洋館には玄関と客室、食堂、それに蔵があり、蔵以外は見学出来ました。また2階には寝室や書斎があるそうですが、非公開のため、見ることは叶いません。



玄関横には2階へ続く階段があり、踊り場付近に、大きなステンドグラスがはめ込まれていました。これは小川三知の「泰山木とブルージェ」なる作品で、鳥や草花を、アール・ヌーヴォー風にデザインしていました。



ソファの並ぶ洋館の客室は、建物内部で最も重厚感があり、窓には階段と同じく、ステンドグラスの装飾が施されていました。窓は上下窓で、天井は格子を組んだ形となっていて、和風的なデザインも盛り込まれていました。実際にも洋館の中で特に重要な部屋で、当時は応接室として使われていたと考えられています。



客室に続くのが食堂で、6人がけのダイニングテーブルが置かれていました。テーブルの大きさからすると、やや手狭なスペースにも思えますが、ここで食事を楽しんだのかもしれません。



庭園は枯山水の方式で、築山もあり、灯篭や手水鉢、そして茶室も備えていました。建物と庭を設計した保岡勝也は、自ら「茶室と茶庭」を出版するほど、茶の湯に深い造詣がありました。また当初の庭は、芝生や温室、また児童遊戯場もあり、家族本位の実用性も兼ね備えていました。現在は、国の登録記念物名勝地に指定されています。



旧山崎家別邸を見終えたのちは、再び一番街から、大正浪漫通りを歩き、川越熊野神社へとお詣りしました。石畳の通りの脇に小石を敷き詰めた「足踏み健康ロード」でも知られていて、開運や縁結びの神さまとして信仰を集めています。そして本川越駅より西武線に乗り、自宅へと帰りました。



話は前後しますが、散策の途中、急な雨に見舞われたため、たまたま居合わせた札の辻の近くの「Banon」で、雨宿りをしました。古い民家を改装したカフェで、アンティーク家具や雑貨、玩具類が所狭しと並ぶ空間は、妙に居心地も良く、一番街付近の賑わいとも無縁で、静かな時間を過ごせました。写真を取り損ねましたが、コーヒーや手作りのケーキも美味でした。



半日弱の行程のため、廻りきれない部分はありましたが、小村雪岱を切っ掛けにした、早春の川越を楽しむことが出来ました。

「山崎美術館」 
休館:木曜日(但し祝祭日の場合は開館)。年末年始(12月27日~1月2日)。展示替期間。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般500(400)円、大学・高校生350(250)円、中学・小学生200(150)円。
 *( )内は10名以上の団体料金。
住所:埼玉県川越市仲町4-13
交通:JR線・東武東上線川越駅下車徒歩20分。または市内バス仲町下車。

「旧山崎家別邸」
休館:第1、3水曜日(但し休日の場合、翌日が休館。)。年末年始(12月29日から1月1日)。臨時休館日。
時間:9:30~18:30(4月~9月)、9:30~17:30(10月~3月
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般100(80)円、大学・高校生50(40)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:埼玉県川越市仲町4-13
交通:西武新宿線本川越駅より徒歩15分。JR線・東武東上線川越駅より徒歩25分。本川越駅、川越駅から東武バス「蔵のまち経由」に乗車し「仲町」下車。徒歩5分。
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「早春の川越を歩く」 前編:川越城本丸御殿・一番街

日本画家、小村雪岱の生まれた川越は、蔵造りの町並みの残る、小江戸として人気の観光地でもあります。



「小村雪岱ー「雪岱調」のできるまで」 川越市立美術館(はろるど)

先日、市立美術館で小村雪岱展を鑑賞したのち、川越の街を散策してきました。

ちょうど美術館のある一帯が、かつての川越城にあたり、今もなお、本丸御殿の遺構建築が残されています。

川越城は1457年、この地に勢力を築いた上杉氏が、太田道灌らの家臣に命じて築城された城で、北条氏が攻め落としたのちは、同氏の北武蔵の支配を固める拠点となりました。

1590年、豊臣秀吉が攻めると、同年に江戸城へ徳川家康が入り、川越城には重臣の酒井重忠が置かれました。そして江戸時代には城下町が形成され、武蔵の中心地として発展しました。1639年には時の城主、松平信綱により、城の拡張工事が行われ、約32万平方メートルにも及ぶ広大な城郭が形成されました。

現在の本丸御殿は、1848年、松平斉典により造られた建物で、東日本唯一の本丸の遺構として、埼玉県の指定有形文化財に指定されています。



御殿の正面に回ると、堂々たる玄関が姿を現しました。神社建築や城廓建築でよく見られる唐破風の屋根で、太い柱が重々しい屋根を支えていました。中に入り、受付を過ぎると、長い廊下の向こうに三十六畳もの広間が広がっていました。来城者が、城主との面会の間までに待機した部屋だと言われています。



一部はかなり退色していましたが、この広間にのみ、扉には松が描かれていました。ひょっとすると江戸時代の人々も眺めていたかもしれません。



続くのは、白い壁に襖、そして木の柱で仕切られた、使者之間や物頭詰所などの座敷でした。装飾は一切見られず、まさに質実剛健といった様相で、極めて実用的な建物であったことが見て取れました。



明治時代に入ると、多くの建物が、移築、解体されていきました。そして本丸御殿も城の機能を失い、玄関と広間は、一時、県庁の庁舎として利用されました。のちに県庁が移転すると、煙草工場や武道場になるなど、用途も変わり、戦後は中学校の仮設校舎として用いられました。



結局、残ったのは、玄関・広間部分と、家老詰所でした。本来は御殿の南に大書院があり、西側に、城主の私的空間である中奥などが連なっていたそうです。



その家老詰所が御殿と繋がっていました。とはいえ、本来の位置ではありません。元々の詰所は明治初期に解体され、現在のふじみ野の商家へと移設されました。それが昭和62年になって川越市に寄贈され、現在の場所へと移築されました。



詰所は御殿と比べると狭く、八畳から十二畳ほどの広間が、襖や障子で区切られていました。やはり簡素な造りで、江戸時代は家老たちが常駐し、政治において重要な役割を果たしていたと考えられているそうです。



一通り、本丸御殿を見学したのちは、札の辻へと向かい、蔵の街から菓子屋横丁へ歩きました。



休日ということもあったのか、ともかく想像以上の人出に驚きました。メインストリートの一番街は人で溢れ、車の往来も大変に多く、のんびり建物を見学出来るような雰囲気ではありませんでした。菓子屋横丁も、車こそ入ってこないものの、一番街同様、人と人とが肩で触れ合うほどに賑わっていました。



黒漆喰の重厚な蔵造りの商家の立ち並ぶ中、洋風建築にも見るべき建物があるのも、川越の面白いところかもしれません。特に有名なのが、埼玉りそな銀行川越支店で、大正7年、埼玉県初の銀行だった第八十五国立銀行として建てられました。白いタイルの外壁の上に、緑のドーム屋根がついていて、ルネサンスの様式を基調としています。川越でもほかに建築を手がけた保岡勝也の設計で、埼玉県内の指定第1号として、国の登録有形文化財に指定されました。



また川越商工会議所も国の有形登録文化財で、昭和3年、当時の武州銀行川越支店として建てられました。ともかくギリシャの神殿を思わせるような太い柱が特徴的で、玄関の上にはバロック風の飾りも施されていました。もちろん未だ現役で利用されています。



さらに商店街にも洋風建築が幾つか見られました。例えば「カフェエレバート」も外装は洋館風で、大正4年に建築され、川越市の文化財に指定されました。ただし実際は洋館ではなく、内部の構造は土蔵とのことでした。



老舗の「シマノコーヒー」も趣きがあるのではないでしょうか。大正8年の建築で、元は呉服屋であったそうです。有名店だけに、中を覗くとさすがに満席のようで、待っている方の姿も見られました。



しばらく歩いたのちは、蔵の街の中にある山崎美術館と、先の埼玉りそな銀行川越支店を設計した、保岡勝也による旧山崎家別邸を見学しました。

「早春の川越を歩く」 後編:山崎美術館・旧山崎家別邸へと続きます。

「早春の川越を歩く」 後編:山崎美術館・旧山崎家別邸(はろるど)

「埼玉県指定文化財 川越城本丸御殿」 
休館:月曜日。但し休日の場合は翌日。年末年始(12月29日~1月3日)、館内整理日(毎月第4金曜日、ただし休日は除く)。
時間:9:00~17:00(入館は16時半まで)
料金:一般100(80)円、大学・高校生50(40)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *「川越きものの日」にちなみ、8日、18日、28日に着物で来館すると団体料金を適用。
 *博物館・美術館との共通券あり。
住所:埼玉県川越市郭町2-13-1
交通:西武武新宿線本川越駅またはJR線・東武東上線川越駅より東武バス「蔵の町経由」乗車、「札の辻」バス停下車、徒歩10分。または東武バス「小江戸名所めぐり」乗車博物館前バス停下車。
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雨の中のお伊勢参り 後編「おはらい町/おかげ横丁」・「猿田彦神社」・「月読宮」・「神宮徴古館」

前編「外宮」・「内宮」に続きます。伊勢神宮へ参拝してきました。

雨の中のお伊勢参り 前編「外宮」・「内宮」

内宮を出て、おはらい町へと繰り出すと、荒天にも関わらず、かなりの人出で賑わっていました。伊勢特有の建築による街並みが約800メートルほど続き、石畳の通りの左右には、土産物店や飲食店、また酒屋などが連なっていました。



その内宮門前町の一画にあるのが、伊勢の古い建築を移設、もしく再現したおかげ横丁で、約4000坪の敷地内に、おはらい町同様、たくさんの飲食店がひしめき合っています。ちょっとしたテーマパークと言えるかもしれません。

おかげ横丁は、横丁とあるように、通路も狭いため、他の方と傘がぶつかりあうほどでした。ちょうど太鼓の演舞が行われていましたが、なかなかじっくりと楽しむような状況ではありませんでした。



気がつけば、朝からほぼ歩き通しでした。何軒かの土産店で土産を買い、酒屋をひやかしたのちは、少し休もうと、喫茶店を探しました。ちょうど目の前にあったのが、カップジュピーで、混んではいたものの、タイミング良く座ることが出来ました。

空間分煙(カウンターのみ喫煙)ながら、店内の居心地は良く、写真を撮り損ねましたが、ケーキもコーヒーも本格的で、いわゆる観光地にありがちな店ではありません。随所にこだわりを感じました。おすすめ出来ると思います。



カップジュピーで休憩した後は、神宮を背にして、おはらい町を北に歩きました。ものの10分弱で、伊勢街道に面した宇治浦田町の交差点に辿り着きました。そのすぐ近くにあるのが猿田彦神社です。神話では、高千穂に天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を案内し、伊勢に戻って全国を開拓した言われることから、全ての始まりの道標となる「みちひらきの神様」として信仰されています。

神宮に比べると静かな境内でしたが、それでも七五三で記念撮影をしているファミリーも見受けられました。また中には、天岩窟(あめのいわや)にこもった天照大御神の前で神楽をしたという、天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祀った佐留女神社もあり、そちらも合わせてお参りしました。舞を演じたことから、芸能にご利益があるとされているそうです。



猿田彦神社から北へ1キロ弱の丘に位置するのが、月読宮(つきよみのみや)でした。内宮の別宮に当たり、月読宮をはじめ、月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、そして伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の四宮が鎮座しています。晴れていれば猿田彦神社からも歩けますが、この頃から雨が強くなり、ほぼ土砂降りになってしまいました。よって循環バスに乗り、月読宮近くのバス停、中村で下車しました。そこからは鳥居までは5分とかかりませんでした。



境内へ入ると鬱蒼とした森で、参道は薄暗く、内宮とも離れているからか、まるで人気がありませんでした。木々に激しく当たっては落ちる雨音だけが聞こえてきました。



月読宮では四つの別宮が横一列に並んでいます。右から月読荒御魂宮(2)、月読宮(1)、伊佐奈岐宮(3)、伊佐奈弥宮(4)で、番号の順、つまり右から2つ目の月読宮から参拝する慣わしになっています。ほぼ誰もいなかったので、ここは後ろも気にせずに、じっくり拝むことが出来ました。



なお月読宮の祭神である月読尊は、天照大御神の弟神に当たり、創始は不明ながらも、おそらく奈良時代には月讀社として称されていたと考えられています。かつては五十鈴川の近くにあったものの、五十鈴川の洪水で流されたため、855年に現在地に編座したと言われています。



月読宮を出て時計を見ると、既に15時半を回っていました。最後の目的地は、さらに北にある倭姫宮に隣接した神宮徴古館です。神宮農業館、神宮美術館とともに、神宮の博物館の1つで、神宮のお祭りや社殿建築、式年遷宮に関する神宝などを紹介しています。



大変に立派な建物でした。神宮徴古館が建てられたのは、明治42年で、当時は日本初の私立博物館でした。本館1階と2階、そして別館の1階に展示室があり、各神宝類だけでなく国史絵画のほか、太刀なども並んでいました。思いの外にボリュームがあり、総じて式年遷宮の展示が充実していました。また荒天のせいか、館内は貸切状態でした。



予定では、神宮農業館、神宮美術館も鑑賞するつもりでしたが、いずれも入館時間が16時半までだったため、時間切れになってしまいました。よって閉館まで神宮徴古館を見学した後、再びバスに乗り、伊勢市駅へと戻りました。そして17時過ぎの近鉄特急に乗り、名古屋へと向かいました。



朝に伊勢に入った時は、二見浦まで足を伸ばそうかとも考えていましたが、とても時間が足りません。伊勢界隈だけで1日がかりでした。



雨のお伊勢参りも趣深いものがあります。雨が降りしきり、靄のかかった伊勢神宮は、どこか幻想的な雰囲気に包まれていました。

「猿田彦神社」
住所:三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
交通:JR線・近鉄線伊勢市駅よりバスで約15分。

「月読宮」
住所:三重県伊勢市中村町742-1
交通:近鉄線五十鈴川駅より徒歩10分。

「神宮徴古館」
休館:木曜日。但し祝日の場合は翌平日。年末年始(12月29日~31日)
時間:9:00~16:00(観覧は16時半まで)
料金:大人500(300)円、小中学生100(無料)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *美術館との共通券(大人700円、小中学生200円。)あり。
住所:三重県伊勢市神田久志本町1754-1
交通:近鉄線五十鈴川駅より徒歩15分。JR線・近鉄線伊勢市駅よりバスで約15分。
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雨の中のお伊勢参り 前編「外宮」・「内宮」

伊勢神宮を参拝してきました。

皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)にはじまり、別宮や摂社、末社や所管社を含めて、計125宮社からなる伊勢神宮には、1年間に約800万名もの参拝者が訪れるそうです。

私自身は、ほぼ20年ぶりのお参りでした。早朝に自宅を出発し、東京駅から6時台の「のぞみ」に乗車。名古屋で近鉄特急に乗り換えて、伊勢路を南下し、伊勢市駅を目指しました。伊勢市駅に着いたのは、10時頃でした。



この日は台風が接近していたため、雨の予報が出ていましたが、朝の段階では曇天で、まだ降っていませんでした。小腹が空いたので、駅近くの山口屋にて伊勢うどんをすすった後、歩いて外宮へと向かいました。有名なのは内宮ですが、「お伊勢参りは、外宮から」と言われるように、外宮から参拝するのが、一般的でもあります。



外宮は伊勢市駅から近く、表参道まで歩いて5分程度に過ぎません。火除橋を渡り、玉砂利の敷かれた境内へ進むと、湿り気を帯びたひんやりとした空気が身体に伝わってきました。鳥居をくぐると、祈祷を受け付ける神楽殿が見えてきました。



その先にあるのが、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る正宮でした。天照大御神の食事を司る神で、内宮の鎮座より約500年後に迎えられたと伝えられています。



社殿は唯一神明造と呼ばれ、内宮とほぼ同じ様式ですが、配置が異なっています。ちょうど社殿の手前に広がる空間が、遷宮の前に社殿が建っていた古殿地でした。



その空間があるからか、側面から正宮の奥を見通すことも出来ました。古代の高床式倉庫が発展したともされる造りですが、確かに弥生時代にタイムスリップしたかのような錯覚にも陥りました。



外宮には、風宮(かぜのみや)、多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、月夜見宮(つきよみのみや)の4つの別宮があります。うち月夜見宮を除く3つの宮が、外宮の境内の中にありました。



その中で最も賑わっていたのが風宮ですした。風雨を司る級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)が祀られていて、内宮の別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)と同じ祭神です。風雨は農作物に影響を与えるため、神宮では古来より正宮に準じて、丁寧にお祀りしているそうです。当初は小さな社に過ぎなかったものの、元寇時に猛風、いわゆる神風を吹かせたとして、1293年に別宮に昇格しました。その霊験にあやかろうとお参りする方が多いのかもしれません。



境内の随所で巨木が目に飛び込んできます。古来よりの豊かな自然も、伊勢神宮の大きな魅力ではないでしょうか。



外宮横の勾玉池に面するのが、式年遷宮の資料館である「せんぐう館」です。外宮正宮の模型や、神宝の調整工程や、遷宮祭に関する展示を行う施設で、平成25年の第62回神宮式年遷宮を記念して建てられました。

私も見学するつもりでしたが、この日のちょうど一週間前の台風の風雨で浸水したため、臨時休館中でした。勾玉池が溢れて、地下展示室が水没してしまったそうです。やむをえません。内宮へ向かうべく、外宮前のバス停に行きました。



外宮と内宮を歩くと1時間弱かかります。よってバスのアクセスが便利です。伊勢市駅から、外宮を経由し、内宮へと向かうバスが発着しています。土日の多客時は10分に1本ほど運行しているため、さほど待つことなく乗車出来ました。なお前もって駅前の三重交通の切符売り場で、伊勢市内や鳥羽へのルートがフリーとなる「みちくさきっぷ」を購入しておきました。大人は1000円です。エリア内の乗り降りが自由な上、幾つかの施設での割引特典もあります。そしてバスに揺られること約10分。渋滞にも巻き込まれることなく、内宮の前に到着しました。



内宮に着くと雨が降り出しました。本降りで傘は手放せません。ただそれでも人出は外宮の数倍あり、五十鈴川に架かる宇治橋の手前で、記念撮影をする方も多くおられました。



宇治橋を渡ると山の深い緑が目に飛び込んで来ました。橋の外と内には7メートル超の大鳥居が立っています。なおこの宇治橋自体も、20年毎に建て替えられるそうです。現在の宇治橋は平成21年に架けられました。



しばらく神苑と呼ばれる広い空間を進むと、手水舎があり、その右手後方の石畳の下に、五十鈴川御手洗場がありました。普段は清らかな流れだそうですが、この日は増水し、やや濁った水が滔々と流れていました。



御手洗場を過ぎ、森の中を歩くと、左手に神楽殿が見えてきます。そのちょうど向かい側にも橋がありました。別宮の風日祈宮へのルートです。雨が強いからか、あまり人気がなく、社殿もひっそりと佇んでいました。



再び橋に戻り、さらに進むと、いよいよ正宮へと至る鳥居が姿を現しました。一度、山道を下り、その後に階段を上がる構造で、階段下からのみ撮影が出来ます。白く淡い光に包まれ、高木に囲まれた鳥居と社殿の姿は、まさに神々しく、また美しく見えました。



二拝二拍手一礼でお参りした後は階段を降り、荒祭宮(あらまつりのみや)にも参拝しました。内宮に属する別宮のうちの第一位で、殿舎も規模も正宮に次ぐスケールを誇ります。祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)で、神の特別な状態、また神威を現した状態を指すそうです。その隣には荒祭宮の古殿地も広がっていました。



再び宇治橋を渡ながら山を眺めると、霞がかかっていました。この光景は、おそらく雨天時でなければ見られません。



後編「おはらい町/おかげ横丁」・「猿田彦神社」・「月読宮」・「神宮徴古館」へと続きます。

雨の中のお伊勢参り 後編「おはらい町/おかげ横丁」・「猿田彦神社」・「月読宮」・「神宮徴古館」

「伊勢神宮」
参拝時間:5:00~17:00(10月・11月・12月)、5:00~18:00(1月・2月・3月・4月・9月)、5:00~19:00(5月・6月・7月・8月)
住所:三重県伊勢市宇治館町1(内宮)、三重県伊勢市豊川町279(外宮)
交通:JR線・近鉄線伊勢市駅より徒歩5分(外宮)、JR線・近鉄線伊勢市駅よりバスで約15分(内宮)。外宮から内宮へはバスで約10分。
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「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

Vol.5「絵本と木の実の美術館」に続きます。「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.5「絵本と木の実の美術館」

越後妻有への1泊2日の旅もそろそろ終わりです。「絵本と木の実の美術館」を見学した後は、車で越後湯沢駅に向かいながら、幾つかの屋外常設作品を観覧することにしました。

十日町南部と越後湯沢を結ぶ国道353号線は、信濃川へと注ぐ清津川の側を通っています。しばらく越後湯沢方面に南下し、川を見下ろす高台の上の公園に着くと、一つの作品がありました。それが内海昭子の「たくさんの失われた窓のために」でした。



ちょうど窓枠のようなフレーム状の作品で、中は空洞になっていて、上に白いカーテンがかかっています。高台ゆえか風が強く、終始、カーテンが揺れていました。

作家は、「妻有の風景をもう一度発見するため」に、窓を作り上げたそうです。まさしく同地に典型的な地形、ないし風景を切り取っているのでしょう。窓の中では、空の青と雲の白、そして里山の緑に川面の水色が美しいコントラストを描いていました。



この窓から、清津川を渡って、支流の釜川の川辺にも、もう1つ別の作品があります。しばらく車で進むと、ちょうど土手の上に、錆び付いた鉄板が見えてきました。フィンランドのカサグランデ&リンターラ建築事務所による、「ポチョムキン」でした。かなり大型で、内部も広く、ランド・アート、ないしは建築物的な作品と呼べるかもしれません。



鉄板の内側には、白い石が敷き詰められています。樹木は元々、この地に生えていたのかもしれません。すぐ右側が川で、岩場をざあざあと流れる水の音も聞こえてきました。それ以外の音は一切なく、そもそも人の気配がまるでありません。何やら結界の中にでも入り込んだようでした。



中央部は川に向かって開け、タイヤを吊り下げた柱が設置されています。座るとブランコのように漕ぐことも出来ました。



さらに進むと景色が変わりました。最奥部での展開です。急に間口が狭くなり、人の背よりも高い鉄板が両側に連なります。その後、通路は右側へと折れました。



すると川に面したステージのような空間が現れました。眼下には釜川が流れ、奥には里山の光景が広がっています。縦に長い空間を、効果的に利用していたのではないでしょうか。実際にも、作品は「禅庭」を意識したそうですが、確かに厳粛な雰囲気も感じられました。自然の中へ鉄を介在させながら、内から外へと連なる空間に変化を与えていました。



しばらく風を感じ、水の音に耳をすませ、緑を目に焼き付けた後は、再び国道353号へ戻り、越後湯沢駅を目指しました。ここで全行程終了です。



越後湯沢に着いたのは15時半前でした。そしてレンタカーを返却し、駅のぽんしゅ館を覗きつつ、土産を買ったのち、上越新幹線「Maxたにがわ」で帰京し、自宅へと帰りました。

結果的に、越後妻有では、初日に松之山、松代を巡った後、「光の館」に宿泊し、2日目に十日町の「キナーレ」や「絵本と木の実の美術館」などを見学しました。

トリエンナーレ、及びイベントの期間中ではなかったため、幾つかの作品の観覧が出来ませんでした。ボルタンスキーの「最後の教室」もクローズしていました。しかしトリエンナーレ開催時でなくとも、広大な領域に、各施設や作品が点在しているため、想像以上に見ごたえがありました。また風景に作品が馴染んでいます。芸術祭も、初回から15年以上も経過していることもあり、地域に根ざしているといえるのかもしれません。


次にトリエンナーレが行われるのは来年です。2018年の7月末から、約50日間の日程にて開催されます。

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」
会期: 2018年7月29日(日)~9月17日(月・祝)
会場: 越後妻有地域 (新潟県十日町市、津南町)

次回は松之山の温泉などを絡めても楽しいかもしれません。アートだけではなく、食事も、そして自然も満喫出来ました。また来夏に越後妻有の地を旅したいと思います。

以上にて「越後妻有 大地の芸術祭の里を旅する」のエントリを終了します。

*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」 「越後妻有 大地の芸術祭の里」@echigo_tsumari
公開期間:4月下旬(雪どけ後順次公開)~11月中旬
料金:無料。
住所:新潟県十日町市桔梗原キ1463-1(たくさんの失われた窓のために)、新潟県十日町市倉俣甲1650(ポチョムキン)
交通:JR線越後田沢駅より車で10分。JR線越後湯沢駅より車で40分。
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「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.5「絵本と木の実の美術館」

Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」に続きます。「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」



「絵本と木の実の美術館」は、十日町市の「鉢」と呼ばれる集落に位置します。土市から姿大橋を渡ると、細い山道に入りました。公式サイトに「山を越え、谷を越え」とありますが、まさしく山の中です。バス便もありますが、ともかく車でなければ、まず辿り着けません。すり鉢状の集落を前にすると、その底に「絵本と木の実の美術館」がありました。



美術館とはいえども、新設の建物ではなく、元は学校でした。2005年、この地にあった真田小学校が廃校になります。その後、2009年、第4回のトリエンナーレ開催時に、美術館として蘇りました。今でこそ「廃校アート」も珍しくありませんが、先駆け的な存在と言えるかもしれません。

かつてNIKKEI STYLEの、「専門家推薦 行って楽しい、再生された廃校12校」のアート部門で、一位になったこともありました。



その廃校へ生命を吹き込んだのが、絵本作家で美術家の田島征三でした。絵本の「学校はカラッポにならない」をモチーフに、自らの描いた物語を空間全体に表現し、「空間絵本」の美術館として再生させました。



廃校全体が絵本です。冒頭の旧体育館からして圧巻でした。至るところに、動物や人を象ったオブジェが展開しています。素材は木材でした。何でも流木で作られているそうです。ほかには紙も用いています。まさしく絵本の中へ彷徨い込んだかのようでした。



作品にはストーリーがあります。主役は3名の最後の在校生で、彼らが好きだった先生と、学校に昔から住みついているお化けが登場します。ただし特にストーリーを知らなくとも、カラフルで、何やら踊るような姿をとるオブジェを見るだけでも、十分に楽しめるのではないでしょうか。



世界観が徹底しています。体育館だけでなく、教室から廊下に至るにまで、行けども行けども、絵本の世界が続いていました。もはや作品は、学校に寄生、ないし住みついています。



ぎこちなく動く、可動型の大きなオブジェもありました。さらに黒板にも絵画が描かれています。中には落書きもありましたが、かつての子供たちが記したものだそうです。学校の記憶も随所に残っていました。



展示は1階から2階、さらに再び降りて1階へと展開します。2階の最も奥の教室では、巨大な蛇、ないし龍の頭のような形をした奇怪な生き物が、口を開けていました。迫力も十分です。



1階では、「ともとも・シズリン&征三の乱れ打ち!」と題し、廃材の楽器を鳴らして遊べる展覧会が行われていました。釜や竹の木琴、また大きなカゴを使った「すだれ雨音装置」などを実際に叩くことも出来ます。ちょうど私がいた時に、外国のお客さんが団体でやって来られましたが、皆さんも実に楽しそうに打ち鳴らしていました。



楽器は、全国各地で「ガラクタ音楽会」を開き、廃材打楽器奏者である山口ともが制作しました。たかが廃材、されど廃材です。確かに見た目はガラクタながらも、音は本格的で、時に思いもよらない音が出たりします。私もしばらく時間を忘れては叩きました。



田島征三の作品集を販売する「本屋くさむら」のほか、鉢の食材などを利用した「Hachi Cafe」もあります。木の温もりを感じられるような、居心地の良いスペースでした。



それにしても廃校跡とは聞いていましたが、まさかこれほど大規模なインスタレーションとは知りませんでした。見ごたえ十分です。



何せ山間部のため、アクセスに難はありますが、「大地の芸術祭の里」ならではの展示だと言えるのではないでしょうか。さながら飛び出す絵本な巨大バージョンです。校内を歩いていると童心へと帰ります。ここでしか味わえない空間が広がっていました。

Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」へと続きます。

*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

「絵本と木の実の美術館」 「越後妻有 大地の芸術祭の里」@echigo_tsumari
開館期間:4月下旬~11月29日(火)
休館:水・木曜日。
 *祝日の場合は翌日休館。
時間:10:00~17:00
 *10月、11月は16時で閉館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人700円、小中学生300円。
 *20名以上の団体で100円引。
住所:新潟県十日町市真田甲2310-1
交通:JR線・北越急行ほくほく線十日町駅より車で20分。JR線越後湯沢駅より車で60分。
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「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」

Vol.3「光の館」に続きます。「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.3「光の館」

「光の館」を出た後は、十日町市街の中心部を目指し、道の駅「クロステン」に隣接する、「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」へと向かいました。


「キナーレ」公式サイトより

「キナーレ」は、2003年のトリエンナーレの開催時に建てられた施設で、設計を京都駅ビルなどで知られる、建築家の原広司が手がけました。当初は、「越後妻有交流館 キナーレ」と呼ばれていたそうです。

「キナーレ」とは、公募によって選ばれた愛称で、「この場所に来て下さい。」を意味する地域の方言と、特産品の着物を来て下さいを意味する、「着なされ」をかけて付けられたそうです。

その後、2012年、同じく原広司の手によりリニューアルされ、現在の「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」として再オープンしました。

建物は、正方形のコンクリート打ちっ放しで、1階に回廊と池(広場)、そして「十日町温泉 明石の湯」があり、2階に「越後妻有里山美術館」と、レストランやカフェがあります。1階部の池は、原が設計したものですが、現在は、イベントなども開催出来るように作られています。



私が出向いた時も、回廊中央に池はなく、広場となり、消防関連のイベントが行われていました。そのためか、駐車場はほぼ満車で、ファミリーも多く、大変な盛況でした。「キナーレ」は、単に美術館施設ではなく、当初の「交流館」の名が示すように、街の人々の集いの場としても機能しているようです。

この日は企画展がなく、常設展のみが開催されていました。出展作は全12点です。建物1階から2階へと至る回廊部に、作品が設置されていました。


ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー「ゴースト・サテライト」

スイスのアーティスト、ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーが、冒頭の回廊を鮮やかに彩ります。タイトルは「ゴースト・サテライト」です。天井からはカゴや建具、椅子にオケ、そしてバトミントンのラケット、さらにはテレビのアンテナやパチンコ台などがたくさん吊られていました。その一つ一つが、いわばオブジェとして作られています。


ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー「ゴースト・サテライト」

「サテライト」の名が示すように、作家は人工衛星をモチーフに表現しました。また素材自体も、十日町市内で収集したもので、日用品や廃材などが利用されています。解説に「力強さ」とありましたが、むしろ祝典的で、華やいだ空間が構築されているように見えました。


山本浩二「フロギストン」

越後妻有の土地を意識した作品が多いのも特徴です。山本浩二は、同地の樹木を素材にしています。場内には、何本かの樹木や切り株が置かれ、上に黒いオブジェがのっていました。このオブジェこそが山本の彫刻です。作家は、樹木に彫刻を施し、さらに炭化させて、作品に仕上げました。台座の樹木と彫刻は、各々に対応しているそうです。


山本浩二「フロギストン」と「火焔型土器」(レプリカ)

また十日町といえば、国宝「火焔型土器」も有する、土器で知られた街でもあります。同地の笹山遺跡からの出土品のレプリカも、あわせて展示されていました。


カルロス・ガライコア「浮遊」

雪のような結晶がガラスケースの中で乱舞するのが、カルロス・ガライコアの「浮遊」でした。写真では分かりにくいかもしれませんが、透明ケースの下から風が送られ、中にたくさん入った小さな銀紙が、終始、宙を舞っています。


カルロス・ガライコア「浮遊」

この銀紙は、いずれも家の形をしていました。作家は、越後妻有の家屋をリサーチし、幾つかのパターンを抽出し、銀紙に切り抜いたそうです。淡く、白いキラキラとした光を放っていました。


栗田宏一「ソイル・ライブラリー/新潟」

越後妻有のみならず、新潟県全域に目を向けたのが、栗田宏一でした。その名は「ソイル・ライブラリー/新潟」です。無数の小瓶が、ケースに収められています。はじめは、何が入っているのか分かりませんでした。


栗田宏一「ソイル・ライブラリー/新潟」

答えは土です。栗田は、県内各地より576種類もの土を採取し、ガラス瓶に入れて並べました。まさに土の図書館です。個々に異なる土の色の描いたグラデーションに見入りました。


カールステン・ヘラー「Rolling Cylinder, 2012」

体験型の作品もあります。その1つが、カールステン・ヘラーの「Rolling Cylinder, 2012」でした。外観はほぼ真っ白な筒で、前後に階段がついています。そこから中へ入ることが出来ました。


カールステン・ヘラー「Rolling Cylinder, 2012」

するとご覧の通り、赤白青の3色の螺旋模様が、ひたすらに回転しています。世界に共通する理容店のサインポールを模した作品でした。3色は、血液の循環に由来する説があるそうです。そこに作家は、越後妻有へ人々を招く、芸術祭の循環のエネルギーを合わせ重ねました。ともかく中に立つと、後ろから回転する螺旋に押されるような錯覚に陥ります。平衡感覚が揺さぶられました。


レアンドロ・エルリッヒ「トンネル」

さらに面白いのが、レアンドロ・エルリッヒ「トンネル」です。エルリッヒも、錯覚や音の効果で、人の知覚や認識に揺さぶりをかけるアーティストの一人です。外観はトンネルに見えません。実際にも、豪雪地に多い、「かまぼこ倉庫」を模しています。ともかくは暗幕を開けて中へと入ってみました。


レアンドロ・エルリッヒ「トンネル」

思いもよらぬ光景が現れました。まさしくトンネルそのものです。しかも車付き、厳密には、車の模型が付いています。トンネルは真っ直ぐにのび、出口の先には、もう1つのトンネルが見えました。一見、山岳地帯の越後妻有で多く見られる、ごく一般的なトンネルに映るかもしれません。しかし、すぐに何かが違うことに気がつきました。


レアンドロ・エルリッヒ「トンネル」

スケール感です。実際に人が立つと、トンネルは、異様に小さいことがわかります。さらに細かいことに、錯覚を誘うため、車までが小さく作られていました。


エルムグリーン&ドラッグセット「POWERLESS STRUCTURES, FIG.429」

ほかには、クワクボリョウタの作品も、楽しいのではないでしょうか。お馴染みの鉄道模型を用いた、影絵のインスタレーションです。十日町界隈で着物を作るための道具を利用し、影絵を生み出していました。(クワクボリョウタ作品のみ撮影不可。)


マッシモ・バルトリーニfeat. ロレンツォ・ビニ「○in□」

美術館を抜けると、「越後しなのがわバル」と、ミュージアムショップがあります。バルのデザインは、イタリアのマッシモ・バルトリーニとロレンツォ・ビニが手がけています。天井の丸い照明は、信濃川に浮かぶ雲を表し、レストランの丸テーブルを繋げると、信濃川が現れるという仕掛けです。



書棚もあり、美術書のほか、越後妻有の歴史や民俗に関する書籍も、自由に閲覧することが出来ます。美術館内はやや寂しい人出ではありましたが、作品はもとより、原広司設計の建物など、見どころは少なくなくありません。


へぎそば由屋

「キナーレ」を観覧した後は、お昼時でもあったので、地元の名店、由屋へ立ち寄り、へぎそばをいただくことにしました。さすがに人気店だけあり、30分超の待ち時間でしたが、喉ごしもよく、コシの強いそばで、大変に美味でした。並ぶ価値は十分にあります。

そして信濃川の対岸、山岳地帯にある、「絵本と木の実の美術館」へ向かいました。

Vol.5「絵本と木の実の美術館」へと続きます。

*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」 「越後妻有 大地の芸術祭の里」@echigo_tsumari
休館:水曜日。
 *祝日の場合は翌日休館。
時間:10:00~17:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人800円、小中学生400円。
 *企画展により変更あり。
住所:新潟県十日町市本町6
交通:JR線・北越急行ほくほく線十日町駅より徒歩10分。JR線越後湯沢駅より車で60分。
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「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.3「光の館」

Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」に続きます。「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」



道の駅「クロステン」のある十日町中心部から、「光の館」へは、車で15分ほどでした。市街地を抜け、信濃川を渡り、小高い丘へと向かいます。さらに国道252号線から一本、細い道へ入り、坂を上がると、姿を現しました。それが、ジェームス・タレルの設計し、世界でただ1つ、泊まることの出来る作品、「光の館」でした。



「光の館」の見学は15時までで、以降は宿泊者のための時間となります。チェックインは16時で、その後、係の方の施設の説明、および誓約書への署名があるために、基本的に遅刻は許されません。無事、16時前に到着すると、間もなく「光の館」を予約して下さった、@zaikabouさんの7名のグループもやって来ました。ここで合流し、総勢12名で「光の館」へと入場しました。



「光の館」が完成したのは、最初に芸術祭がはじまった2000年でした。タレルは、十日町を一望出来る丘の上に、「瞑想のためのゲストハウス」として、近隣の豪農の伝統的な日本家屋をモデルに、「光の館」を建てました。2階建で、玄関も階段を上った2階部分に位置します。よって遠目からでは、高床式の倉庫か、神社建築のようにも見えました。



内部も純然たる日本家屋の佇まいです。2階には12.5畳、6畳の和室、ないしキッチンがあり、1階部に8畳の和室、そして浴室、そして2つのトイレと洗面所があります。また2階にはぐるりと一周、外側を取り囲むテラス(回廊)がありました。



「光の館」で最大の間が「アウトサイド(Outside In)」の部屋でした。天井の屋根が可動式で、スイッチを押すと、電気仕掛けで屋根が横へスライドし、部屋の真上に空が現れます。この日は雲ひとつない快晴でした。早速、開け放つと、青い空が目に飛び込んできました。



キッチンには、冷蔵庫、電気厨房機器、炊飯器、食洗機のほか、基本的な調理器具が揃っていて、自炊することが出来ます。食器も潤沢に用意されています。仕出しを頼むことも可能ですが、実際にこの日もたくさんの方が食材を持ち寄り、朝晩ともに自炊となりました。



有志の方が食事を作って下さり、アウトサイドの部屋に並べられると、自然に宴会が始まりました。ご馳走とともに、お酒をいただいていると、いつの間にか部屋の照明が変化していることに気づきました。タレルによるライトプログラムでした。



率直なところ、想像以上の美しさでした。部屋のLEDの光が変化するに伴い、空の色も大きく変容し、いつしか、通常は体験しえない、光と色の世界に包まれます。



ライトプログラムは日没後の約1時間にも及びますが、ひたすらに空を眺めていても全く飽きません。また屋根の厚みが殆ど感じられないからか、まるで空を薄くスライスして、フレームの中へはめ込んでいるかのようでした。空自体が一枚の絵画のように見えるかもしれません。



これほど長い時間、空を見上げたこと自体が初めての体験でした。空を見上げ、時折、写真を撮りつつ、さらに見上げ、また変化する光に驚きながら、ひたすらに美しい空の色に見惚れました。


ライトプログラムが終了すると再び宴会です。初めて会う方もおられましたが、いつしか打ち解け、酒はどんどん進み、笑い声の絶えない宴が賑やかに続きました。



浴室にもタレルの光の演出がありました。その名も「Light Bath」です。日没後、真っ暗闇となった風呂には、光ファイバーによる照明が施され、水面の光が揺らぎ、水中の体は発光するという、独特の幻想的な世界が生み出されます。(写真は昼間撮影)


光の魔術師・タレルの「光の館」に泊まってみた(gooいまトピ)より拝借しました。

湯舟は一度に5~6名ほど入れますが、洗い場が2つのため、基本的に2人ずつ入浴しました。実際のところ、私も少々、酔っていて、「Light Bath」の記憶がやや曖昧ですが、確かに湯舟に浸かると、体だけが白い光に包まれるように浮かび上がります。ほかではまず体験出来ません。しばし闇と光の風呂を楽しみました。



その後、男女で部屋割りをしたのち、自然と就寝となりました。しかし朝寝坊は出来ません。何せライトプログラムは、日の出の際にも再び行われるからです。



私もほぼ酔いつぶれて寝ていると、いつしか屋根の動く「ゴゴゴ」という音が聞こえて目が覚めました。また部屋の照明が変化します。日の出のライトプログラムの始まりでした。



やや寝ぼけていたため、記憶は曖昧ですが、おそらく午前4時半頃にライトプラグラムが始まったと思います。日の出前にも関わらず、12名が集合し、空を眺める時間がやって来ました。



徐々に空が明るくなっていきます。この日も晴天です。なお雨天時は当然ながら屋根を開けることが出来ません。天気に恵まれて何よりでした。



早朝には十日町に広がる雲海も望めました。ともかく抜群のロケーションです。



朝になると布団を上げ、朝食の準備が始まりました。良いお天気だったため、朝陽の差し込むテラスでいただくことにしました。



夕食と同じく、準備して下さったご馳走が並びます。野菜の甘みが凝縮した味噌汁や、柔らかい豚肉の炒め物など、どれも美味しく、ご飯もお代わりしては、お腹いっぱいに食べました。ごちそうさまでした。



屋根をずっと開け放っておくと、いつしか日の光そのものが室内へ差し込んできました。時折、鳥の飛ぶ姿も見えました。



チェックアウトは10時です。チェックイン時同様、係の方がやって来て、備品や建具に破損がないかを点検します。その後、諸々の清算を終えて、解散となりました。


実のところ、私自身、ほぼ何もせず、ただ空を見上げ、そして飲み食いに興じていたに過ぎませんでしたが、とても楽しく「光の館」に滞在することが出来ました。これも全ては参加された皆さんのおかげです。この場を借りて「光の館」ツアーに参加された方、そして予約して下さった@zaikabouさんに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」へ続きます。

*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

「光の館」 「越後妻有 大地の芸術祭の里」@echigo_tsumari
休館:不定期。
時間:11:30~15:00(見学時間)
 *宿泊時のチェックインは16時から。チェックアウトは10時まで。
料金:中学生以上500円、小学生250円。(見学料)
 *宿泊料金は別途必要。
住所:新潟県十日町市上野甲2891
交通:JR線・北越急行ほくほく線十日町駅より車で15分。JR線越後湯沢駅より車で70分。
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「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」

Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」に続きます。「越後妻有 大地の芸術祭の里」へ行ってきました。

「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」

「夢の家」の松之山から、「農舞台」の松代へは、道なりで約10キロあります。「農舞台」も「キョロロ」同様に、2003年のトリエンナーレ開催時に建てられました。現代美術のコレクションも有する総合文化施設で、ほくほく線のまつだい駅の目の前に位置します。



オランダの建築家グループMVRDVによる設計で、白い外観と、宙に浮いたような構造が特徴的な建物でした。1階に展示空間はなく、全ての施設が2階に存在しています。また建物真下に柱がありません。2階へアクセスするチューブのみで建物を支えていました。

入口のチューブを抜けると階段があり、左に「里山食堂」、右にミュージアムショップと展示スペースがあります。ちょうどお昼時でした。よって先に「里山食堂」で、昼食をとることにしました。



「里山食堂」で供されるのは、地元の野菜を中心としたメニューによる「里山ビュッフェ」です。大人は1500円で、大皿の料理を好きに取りに行くスタイルでした。キャラブキやヤーコンの天ぷら、それにミョウガのピクルスなど、地場の食材が目を引きました。



写真が拙くて恐縮ですが、いずれも想像以上に美味しく、野菜の旨みや滋味を感じられる料理ばかりでした。そして白米と玄米のご飯も抜群に美味しい。営業日とビュッフェ開催日に注意が必要ですが、まつだいへお出かけの際は是非ともおすすめします。


ジャン=リュック・ヴィルムート「カフェ・ルフレ」

なお「里山食堂」のスペース自体も作品です。手がけたのはフランスのジャン=リュック・ヴィルムートで、天井の円形照明に松代界隈の写真をはめ込みました。テーブル上の天板から鏡越しに見ることが出来ます。


ジョゼ・デ・ギマランイス「イエローフラワー」

腹ごしらえをしたあとは、「農舞台」から、背後の里山へ展開する、現代美術作品を鑑賞しました。「農舞台」は、「越後妻有 大地の芸術祭の里」の中核施設だけあり、多くの作品が設置されています。


ジョセップ・マリア・マルティン「まつだい住民博物館」

まつだい駅からのアプローチに、1500本にも及ぶカラーバーが設置されています。スペインのジョセップ・マリア・マルティンによる「まつだい住民博物館」で、旧松代町の各家庭が選んだというバーには、それぞれの屋号が記されていました。住民と協働して制作されたそうです。


草間彌生「花咲ける妻有」

青空の元、陽光を受けて華やぐのが、草間彌生の「花咲ける妻有」でした。2003年に制作された作品ですが、周囲にも花壇が整備され、かなり手入れが行き届いている印象も受けました。


イリヤ&エミリア・カバコフ「棚田」

「農舞台」で最も人気があるのが、イリヤ&エミリア・カバコフの「棚田」かもしれません。川の対岸の棚田設置された人型の彫刻と、「農舞台」にあるテキストで構成された作品で、舞台側の展望台から見ると、詩と彫刻が融合して見えます。カバコフは、春から秋の稲作の情景を、詩に表現しました。


大西治・大西雅子「ゲロンパ大合唱」

カエル型の謎めいたオブジェは、堆肥製造のための機械でもあるそうです。上部には口があり、刈り終えた草を入れると、堆肥を作り出します。移動可能とのことでしたが、確かに脚の部分にタイヤが付いていました。

「農舞台」は、裏手の里山にも、たくさんの作品が点在しています。ただし里山といっても、城址も残る、かなり急な山です。全て歩いて回ると3時間ほどかかります。


パスカル・マルティン・タイユー「リバース・シティー」

幾つかは車でも観覧が可能です。よって山道を車で上がることにしました。まず目立つのが、パスカル・マルティン・タイユーの「リバース・シティー」です。色鉛筆の群れを模した大型のオブジェです。いずれも高さ2メートルの位置に吊るされ、一本一本には、世界の各国の国名が書かれていました。


田中信太郎「○△□の塔と赤とんぼ」

さらに大きな赤トンボの作品がランドマークの如くにそびえ立ちます。全長14メートルもありました。ビルの4〜5階の高さに相当するそうです。


松田重仁「円ー縁」

トーテムポールが結界を築いているかのようでした。松田重仁の「円ー縁」です。5本のトーテムポールが、円を描いて立っています。中央にはパイナップルのような実が置かれていました。まるで捧げ物のようです。一体、何が入っているのでしょうか。


ハーマン・マイヤー・ノイシュタット「WDスパイラル・パート3 マジック・シアター」

ドイツのハーマン・マイヤー・ノイシュタットは、城山の休耕田の中に、劇場空間を作り上げました。筒状の彫刻が3つ連なっている建築物で、実際に中へ入ることが可能です。内部には鏡や半透明の壁があり、外の景色を見やることも出来ました。


ハーマン・マイヤー・ノイシュタット「WDスパイラル・パート3 マジック・シアター」

作家は、住民が集まって欲しいという願いを込め、劇場の意味のタイトルを付けたそうですが、率直なところ、中はややくたびれています。私には、不時着した宇宙船のように見えました。


ペリフェリック「まつだいスモールタワー」

城山で最も高い位置にあるのが、ペリフェリックの「まつだいスモールタワー」でした。松代の街を一望するロケーションです。背後には、急峻な山の上に建つ、松代城の模擬天守も見え隠れしています。



時間の関係で、全てを鑑賞出来ませんでしたが、自然の地形も取り込んだ作品は、越後妻有だからこそ可能な展示と言えるのではないでしょうか。見応え十分でした。



一通り、「農舞台」を見終えた後は、「クロステン」と呼ばれる十日町の道の駅へ立ち寄り、お酒や諸々の食品を購入した上で、初日の最終目的地である「光の館」へと向かいました。

Vol.3「光の館」へと続きます。

*「越後妻有 大地の芸術祭の里」を旅する
Vol.1「森の学校キョロロ」・「夢の家」
Vol.2「まつだい 農舞台」・「里山食堂」
Vol.3「光の館」
Vol.4「越後妻有里山現代美術館 キナーレ」
Vol.5「絵本と木の実の美術館」
Vol.6「たくさんの失われた窓のために」・「ポチョムキン」

まつだい「農舞台」 「越後妻有 大地の芸術祭の里」@echigo_tsumari
休館:水曜日。
 *但し祝日の場合は翌日休館。
時間:10:00~17:00
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:大人600円、小・中学生300円。
住所:新潟県十日町市松代3743-1
交通:北越急行ほくほく線まつだい駅下車すぐ。JR線越後湯沢駅より車で約80分。
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