東京国立近代美術館  「痕跡-戦後美術における身体と思考」 1/30

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
「痕跡-戦後美術における身体と思考」
1/12~2/27

日曜日は竹橋の近代美術館で「痕跡」展を観てきました。企画力に優れた展覧会でした。

さて、いきなりですが「痕跡」とは何でしょう。会場にあったパンフレットによると、それは、「何かに似ているのではなく、何ごとかの結果として意味を与えられたイメージ。」(一部改変。)だそうです。私のような素人に言わせれば、「美術とは何か。」という問題はさて置き、美術的行為や美術品そのものが、何かの「痕跡」となり得るのではないかと思ってしまいます。しかしそれは、この展覧会で定義する「痕跡」と異なるようです。なぜなら、「痕跡」には必ず「結果としての意味」が付加されていなくはならない。つまり、ただの何かの跡では、たとえそれが美術的行為の結果であっても、決して「痕跡」とはなり得ないからです。う~ん、分かったような分からないような…。これ以上突っ込むのは止めておきます。

この展覧会は、その「痕跡」の意味を、八方向の視点から考える構成となっています。「視点」・「身体」・「物質」などのカテゴリーに入れられた「痕跡」は、そこに観る者が何らかの意味を見いだせるように、それぞれの関係性を浮き出させながら意図的に配置してあります。もちろん、そんなカテゴリーなど無視して、作品だけと向き合っても良いのでしょう。ただ、ここは大人しく美術館のカテゴリーを利用させていただきながら、順序良く「痕跡」を鑑賞しました。気に入らない作品でも、一定の「痕跡」の範疇へ放り込まれると、新たな価値を持つ。思わぬ発見があるやもしれません。

一番目は「表面」です。まず、入り口すぐにあったルーチョ・フォンタナの「空間概念」に目が奪われました。膨らみを持つ赤い生地に、鋭く美しい曲線を描いた切れ込みが三つ。緊張感と、切り口から覗く深淵さが素晴らしい…。いきなり強烈な「痕跡」と出会います。また、イブ・クラインがガスバーナーでキャンバスを焦がしたという作品も、偶然と恣意の狭間で揺れるような表情に惹き込まれました。そして目を転じると李禹煥。二つある作品のうち、特に「突き」に魅力を感じます。丁寧に一つずつ突いて開けたような小さな穴。それが縦と横、カンヴァスいっぱいにずらりと並ぶ。じっと見つめていると、一つ一つの穴から、何かの音が、一定の法則を持って発せられているような気分になります。彼の作品は、やはりどこかリズム的感覚と切り離せない部分があるようです。「痕跡」が音となるなんて、何とも素敵ではありませんか。(ちょっとオーバーに…。)

三つ目の「身体」はこの展覧会の核心部分です。ボディ・プリントとして取り上げられていたイブ・クラインの「人体測定」と、アナ・メディエッタの「無題」。もちろん、圧倒的に前者が美しいですが、メディエッタの作品から、身体を酷使した者だけが生み出すような苦しみを感じます。そして、そんな苦しみも「痕跡」の意味となるのでしょう。思わず目を背けたくなりましたが、その価値は感じました。また、価値と言えば、既に古典となったウォーホルもあります。「ピス・ペインティング(小便絵画)」。その名の通り、尿をかけて描いた作品で、まさにそこには最も身体的な「痕跡」がくっきりと残されています。二度と見たくありませんが、これ以上の「痕跡」はないでしょう。この展覧会では絶対に欠かすことができない作品だと思いました。しかし、「痕跡」の対象が体となると、表現が実に生々しくなってきます…。生理的な反応(嫌悪感など。)ばかりが表に立ってしまいましたが、それもまたこのカテゴリーの面白さなのかもしれません。

五番目の「破壊」はどれも動的です。村上三郎の「入口」は、その破壊行為が行われてしまえば、「痕跡」だけに意義を持つような作品でした。また、実際にそれを行ったシーンを記録したビデオも放映されていましたが、それはそれで面白いものの、やはり「破壊」の瞬間を共有していれば、もっとこの「痕跡」から大きな意味を感じたような気がしました。どうなのでしょうか。

六番目の「転写」には、作曲家のジョン・ゲージの作品がありました。こんな所で出会えるとは意外です。「自動車タイヤプリント」という作品で、ロバート・ラウシェンバーグとの共作ですが、ただ自動車のタイヤの軌跡をプリントしただけです。しかも、その自動車にどのようなドラマがあったのかも告知されずに、ただ単に軌跡のみが提示されます。この作品へは「痕跡」の意味も付加できないのでしょうか。ただの「痕跡」と、この展覧会が意味付けている「美術としての痕跡」。その二つの境界線は、もしかしたら曖昧なのか…。そんなことも思いました。

最後は「思考」です。ここでは、メル・ボックナーの「メジャメント:影」が一押しです。脚立にライトを当てて、その影を写し出す。展示の仕方も良かったのでしょうか、脚立と影のコントラストが大変に美しい作品です。ライトを消してしまえば、脚立の「痕跡」は一瞬で消えてしまいますが、それを予感させるあたりもまた魅力となるのでしょう。面白いと思います。

全般的に初めの方の作品が楽しめました。ただ、展示のスタイルとして、「美術としての痕跡」に焦点をあてながらそれを探っていく方法は見事です。尿をぶっかけた作品や、体を切り刻んで血を垂れ流す様を見せるビデオアート(あの世界観は共有したくないです。)があろうと、「痕跡」の枠に意義を見いだせば、それも芸術となる?!素晴らしい作品から、直ちにゴミ箱へ入れて欲しいと思ってしまう作品(失礼。)まで、バリエーションに富んだ「痕跡」が楽しめました。おすすめできます。
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新国立劇場、二題

最近の新国立劇場の話題から二つほど…。

「歌手の水準低くオペラ短縮…新国立劇場『ルル』2幕に」(yomiuri on-line)
新国立劇場(東京・初台)は19日、来月8日から公演予定のオペラ「ルル」を、一部の歌手が芸術的に満足できる水準に達していないことを理由に、当初予定していた全3幕完成版から全2幕版に急きょ変更して上演すると発表した。これにより出演者が一部変更となるほか、公演時間も1時間半近く短縮される。

先週のニュースですので、もうご存知の方も多いと思います。また既にネット上や週刊誌などでは、きな臭い様々な憶測が流れたり、取り上げられたりしています。一体誰が水準に達していなかったのか、そして三幕版が前提となっていた演出はどうなってしまうのか、さらには降板された方は一体?…。色々な疑問点が挙ってきますが、それをあれこれここで詮索しても始まりません。全ては公演日に明らかになるのでしょう。私はまだ「ルル」を聴きに行くかどうか分からないのですが、かなり気になるところではあります。

「2005/2006シーズン オペララインアップの発表」(新国立劇場)
2005/9-10月 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(新制作) 指揮:シュテファン・アントン・レック
10月 「セビリアの理髪師」(新制作) 指揮:ニール・カバレッティ
11-12月 「アンドレア・シェニエ」(新制作) 指揮:ミゲル・ゴメス=マルティネス
11-12月 「ホフマン物語」 指揮:阪 哲朗
2006/1月 「魔笛」 指揮:服部譲二
2月 「コジ・ファン・トゥッテ」 指揮:オラフ・ヘンツォルト
2月 「愛怨」(創作委嘱作品・世界初演)台本:瀬戸内寂聴/作曲:三木稔
3月 「運命の力」(新制作) 指揮:井上道義
4月 「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」 指揮:ファビオ・ルイージ
6月 「こうもり」(新制作) 指揮:ヨハネス・ヴァルトナー


かねてから噂されていたマイスタージンガーですが、ついに正式発表となりました。しかしこの中では、何と言ってもルイージの「カヴァレリア&道化師」でしょうか。とても楽しみです。
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ユーロスペース 「オランダの光」 1/23

ユーロスペース(渋谷区桜丘町)
「オランダの光」
(2003年/オランダ/ピーター-リム・デ・クローン監督)
1/22~1/28
*レイトショウ(21:00から)は1/29~2/11

こんにちは。

数年ぶりに映画館へ…。lysanderさんのブログで紹介されていた渋谷のユーロスペースです。ビルの中の小さな小さな映画館でした。観たのはもちろん「オランダの光」。前もってTakさんのレビューも拝見させていただいて、じっくりと鑑賞してきました。

17世紀のオランダ絵画-フェルメールやレンブラント-の源とは、オランダだけが独自に持ちうる光の陰影、つまり「オランダの光」にある。しかし、現代にはもはやその「光」は存在しない。なぜなら、20世紀前半に行われたエイセル湖の干拓が、光の反射を抑制したからだ…。そんな感じで映画は始まります。

光はどこでも同じように降り注いでいるはず…。でも、もしかしたら「オランダの光」のような、それぞれの地域独自の光があるかもしれない…。映画では、南フランスの、全てを暖かい色で染めるような明るい光や、アメリカのアリゾナ州の砂漠地帯を煌煌と照らす、無機質で直線的な光が紹介されます。確かにその映像を見ると、それぞれの場所には、それぞれに異なった光があるように感じます。私も、日本には、万物がくっきりと、そして繊細に輝いてくる光があるような気もしますが、どうでしょうか。(これぞまさに「日本の光」?!)

映画は、現代アーティストや美術史家、それに気象学者などの主張を軸に進みます。「オランダの光は確かにある。」と訴えるアーティスト、「いや、湖の干拓が光を変化させることなどない。」とする気象学者。それぞれのコメントは、なかなか含蓄があって、それなりの説得力を持っていました。また、光の定点観測として、オランダのとある場所に置いたカメラは、一年、四季折々のオランダの光景、そして光を映し出します。さらに、水槽を使った簡単な実験では、光の反射の強弱(つまり湖の存在の有無。)が、空気とその光にどんな影響を及ぼすかを調べていきます。(ちなみに、この実験そのものはかなり陳腐です…。)そして、もちろん、フェルメールやレンブラントの作品も登場します。

光の存在を科学的に論証するドキュメンタリーではありません。光そのものが異なっているのか、それとも地形や天候が光を変化させるのか…。論証の前提となるような明確な条件付けもありません。ほとんどの話が印象論で終始しています。ですから、当然、確実な結論は出ませんでした。「光とは?」という疑問のボールを、観る者それぞれがどうキャッチするのか、そこが問われそうです。

広大な地平線と、柔らかな雲を浮かべる大きな空。「オランダの景色は単調だ。」などという意見も登場していましたが、私にはとても魅力的にうつります。映画そのものの完成度は、展開が少々散漫なのと、無理に論証をしようとする点が拙く、お世辞でも高いとは言えません。(と、数年ぶりに映画を観たくせに、偉そうに語ってます…。)ですが、光を求めようとする、そのロマン溢れる切り口や、オランダの美しい映像には、ぐっと惹き付けられました。そして何よりも、この映画を観ると、実際にオランダへ行きたくなります…。現地の光のシャワーを浴びた者だけが、より一層オランダ絵画の美しい光を感じとれるかもしれない…。そんな期待を胸に抱きながら、いつかはオランダの地に立ってみたいものです。
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東京ステーションギャラリー 「国芳 暁斎 なんでもこいッ展だィ!」 1/23

東京ステーションギャラリー(千代田区丸の内)
「国芳 暁斎 なんでもこいッ展だィ!」
2004/12/11~2005/1/23(会期終了)

全く予定していなかった展覧会でしたが、vagabondさんの絶賛のエントリーを読んでどうしても観たくなりました。と言うわけで、急遽、東京ステーションギャラリーへ。会期終了日の駆け込みです。

私はこの時代の芸術的背景どころか、日本画そのものの知識がありません。しかし、この展覧会はそんなものが一切なくても十分に楽しめます。ともかく、どの作品も抜群に見応えがあるのです。展覧会のテーマでもある国芳と暁斎の違いや関係性にも全く考慮しないで、ただひたすらに作品だけを味わってきました。

惹かれた作品はたくさんありました。例えば、国芳の「鬼若丸と大緋鯉」ですが、その鯉の造形からして異様な雰囲気です。鯉が水の流れを切るようにして進む姿からして凄い迫力がありますが、鯉と水が一体化するようにして、ぐ~っと鬼若丸を囲んでいく様は、恐ろしいまでにダイナミックです。鯉は、全てのものを見通しているのだと言わんばかりに目を力強く見開いて、何とか踏ん張る鬼若丸と対峙します。こんなに意思と生命力が感じられる鯉はどこにいるのでしょう。あまりにも大胆でした。

そんな力強い作品と対照的な面白さがあったのは、暁斎の「横たわる美人と猫」です。一人の女性が青い着物を着て、肘をつきながら横たわっています。そしてちょっと顔を傾けてじっと見つめる先には、きょとんとすました猫が一匹…。ただそれだけで、本当に何気ない構図です。しかし、その女性の所作と猫の表情が実に魅力的なのです。それに作品を支配する涼しげな空気も本当に素晴らしい。こんな作品が和室にあったら、きっとその部屋の雰囲気を一変させることでしょう。また、このような涼しげな美しさは、同じく暁斎の「枯木寒鴉図」からも感じました。眺めれば眺めるだけ味わいが増す鴉…。これまた魅力たっぷりの作品でした。

「何でこんなに良いものを、今まで観て来なかったのだろう…。」と自問してしまうぐらい良い展覧会でした。会期終了日でなければ、もう一度観に行ったかもしれません。国芳と暁斎。ともかく楽しませていただきました!
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国際交流基金フォーラム 「Have We Met?」 1/22

国際交流基金フォーラム(港区赤坂)
「Have We Met?-見知らぬ君へ」
2004/12/11~2005/1/30

こんにちは。

久しぶりに国際交流基金フォーラムへ行ってきました。開催していた展覧会は、2003年にやっていた「アウト・ザ・ウィンドウ」の後継企画である「Have We Met?-見知らぬ君へ」です。内容を一言で表せば、アジアの若いアーティストによる創造の饗宴、となるでしょうか。興味深いものから「何だこれ!」的なものまで、肩の力を抜いて楽しんできました。

まず、会場入り口では、小さな小さなやかんたちがお出迎えしてくれます。ここで「やかん?何でそんなものが美術館に…。」と思ってはいけません。よ~くそのやかんを見てみると…、何とまあ、可愛い格好をしているではありませんか。この作品、つまりポーンタウィーサック・リムサクンの「The Dinosaurs」は、馬の脚と尾を持った小さなやかんが、たくさん床に置かれたものです。そしてそれらは全て電池で動く仕掛けとなっていて、尾のスイッチをONにすると、あるものは猛々しく、そしてあるものは弱々しくちょろちょろと動きます。これを試さない手はありません。やかんのスイッチを入れているうちに、いつの間にか童心へと帰ります。芸術性云々を問題視するまでもない、遊び心に溢れた愉しい作品だと思いました。

そのすぐ横には、静止画像とも動画とれる摩訶不思議な映像の作品(ウィット・ピムカンチャナポンの「Still Animations」)があります。何かを一生懸命にしようとしている三人の人間。が、何故か全然先へ進みません…。行為が時間に遮られている、とも言えるでしょうか。目新しさこそありませんが、時間を止められたようにして動けなくなっている人間を見ると、滑稽で思わずニヤッと笑ってしまいます。

私が一番面白いと思った作品は、キラン・スッピアの「While the Mouth is Still Full」というビデオアートです。これは、西洋人と思われる男性とインド人が食事をするシーンが数分間映っている作品ですが、その二人の会話に耳を傾けて下さい。(もちろん字幕もあります。)確かにくだらない会話が展開しているように思うかもしれません。しかしそこには、とても含蓄のあるメッセージが込められているのです。とても短い作品で、終わり方が少々呆気無さ過ぎるきらいもありましたが、足を止めてしばし画面に見入る価値があります。

他には、小さな飛行機がダイニングを舞う、さわひらきのビデオアートや、空気とともに降り積もる紙が時の経過を告げてくれる小林洋子の「時積層」が印象に残りました。また、透明な手がガラスからにゅっと突き出しているルディ・マントファニの「The Angel of Sky」や、実物と虚像の境界を美しく提示していた名和晃平の「PixCell」は、とてもセンスの良い作品だと思います。

「芸術とは何か?」と大上段に構えて見ると、少々苦々しく感じてしまうような作品もあると思います。しかし、もっと肩の力を抜いて作品と接すれば、何かが少しずつ見えてきそうです。「感性を少しだけくすぐられた。」そんな風に言っても良い展覧会でした。作品数も、以前の企画と比べてかなり絞ったらしく、私にはちょうど良く感じました。会期末が近づいていますが、なかなかおすすめです。
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千葉県の美術館・博物館に年間パスポート

こんにちは。

地元の千葉県の話で恐縮ですが、こんな話題を見つけました。

県立美術館・博物館に年間パス 導入条例案(asahi.com千葉)
県立の美術館、博物館など10施設に来年度から年間パスポートを導入する条例改正案が、2月県議会に提案される。大型館は1回の入場料が一般300円のところ、各館ごとの「年間パス」は1500円と、5回訪ねれば元が取れる。有料化した04年度、前年に比べて4割ほど入場者が減る見込みとなったための対応策という。
大型館は県立美術館(千葉市)、中央博物館(同)、現代産業科学館(市川市)、房総のむら(栄町)の4施設。小型館は中央博物館分館海の博物館(勝浦市)、関宿城博物館(野田市)、大利根博物館(佐原市)、総南博物館(大多喜町)、安房博物館(館山市)、上総博物館(木更津市)の6施設。


県立の施設限定なので、美術館は、千葉市にある県立美術館の一つだけとなります。年五回で元が取れるとのことですが、さてどうなるでしょうか。面白い企画展が入れ替わる博物館や美術館であれば、その程度はクリア出来そうですが、そうでないと、パスポートまではなかなか購入しないかもしれません。(ちなみに、この中で行ったことがあるのは、県立美術館と中央博物館、それに現代産業館です。県民のくせに、名前すら初めて聞くところもあります。)しかし、今まで千葉県は、この手の企画が殆どありませんでした。何はともあれ、まずは「初めの一歩」です。今後のさらなる展開に期待したいと思います。

話は変わりますが、私としては、千葉にも、県や市それに官民の垣根を越えた「東京ミュージアムぐるっとパス」のようなものが出来るとうれしいです。千葉市美術館や川村記念美術館、それに佐倉の国立歴史民俗博物館などが利用可能な「ぐるっとパス」があれば、とても便利になると思います。また、JRの割引企画乗車券でも良いかもしれません。例えば、割引周遊券+割引美術館入場券のセットなどでしょうか。虫のいい話ではありますが、現状がまだまだお寒い状況なので、何とかお願いしたいものです。(東京ミュージアムパスが首都圏拡大版のような形になって有効期限が延長されれば、なおさら素晴らしいです。関西ではやろうという試みがあるのですから、首都圏でも是非!)
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新国立劇場 2004/2005シーズン  「マクベス」

新国立劇場 2004/2005シーズン
ヴェルディ「マクベス」

指揮 リッカルド・フリッツァ
演出 野田秀樹
キャスト
 マクベス カルロス・アルヴァレス
 マクベス夫人 ゲオルギーナ・ルカーチ
 バンクォー 大澤 建
 マクダフ 水口 聡
 マルコム 内山信吾
 侍女 渡辺敦子
 医師 片山将司
 マクベスの従者 大森一英
 刺客 篠木純一
 伝令 塩入功司
 第一の亡霊 友清 崇
 第二の亡霊 高原由樹
 第三の亡霊 直野容子
合唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京交響楽団

2005/1/20 18:30 新国立劇場オペラ劇場 4階3列

昨日は新国立劇場で「マクベス」を聴いてきました。昨年の四月に行われたプロダクションの再演です。(その時は縁あって二回ほど聴きました。)

この日の主役は、間違いなく指揮のリッカルド・フリッツァです。失礼ながら、全く存じ上げない方だったのですが、「これぞヴェルディ!」と言えるような、エネルギッシュで切れ味の良い音楽を聴かせてくれました。しかもただ熱いだけでなく、第4幕の戦いのシーンなど、やや音楽が複層的になってくる部分まで、しっかりと神経が行き届いていたのも見事です。また体にイタリアオペラ特有のリズムが染み込んでいるのでしょうか、リズム感がとても自然で心地よいのにも驚かされました。そして何と言っても一番素晴らしいのは合唱の扱いでしょう。「マクベス」には多くの合唱が登場しますが、彼の指揮にかかるとそれが実に生き生きとしてくるのです。前回公演のマルティネスの指揮では全く味わえなかった合唱の妙味が、今回はしっかりと堪能出来ました。魔女や難民の合唱があれほど情感に溢れたものだったとは…。リッカルド・フリッツア、是非また新国立劇場に登場して欲しいです。

東響も好調でした。フリッツアの棒に良く反応していたと思います。弦こそ、やや力強さと艶やかさに欠ける気がしましたが、管セクションを中心に大健闘。立派につとめを果たしていたと思います。もしかしたら、私が新国立劇場で聴いた東響の演奏の中では、最も素晴らしい出来だったかもしれません。もちろん、前回、東フィルが演奏した時より、ずっと楽しんで聴くことが出来ました。

歌手の一番はアルヴァレスでしょうか。初日は体調不良で出演をキャンセルしています。決して本調子ではなかったでしょう。ですがやはり貫禄の歌唱です。特に休憩を挟んだ後半は良く、第4幕のアリアもバッチリ決まっていました。一方、夫人役のルカーチは、前回聴いた時も思いましたが、かなり「絶叫型」です。声量こそ抜群で、ホールいっぱいに声が響き渡りますが、細かい部分は少々荒っぽく聴こえます。尻上がりに調子を上げていたものの、もしかしたらやや一本調子だったかもしれません。ただ、夫人役としての役割は果たせていたと思います。「ブラボー」も飛んでいました。その他は、侍女の渡辺敦子さんが良かったと思います。夫人の様子に心を悩ませる人物像を上手く表現していました。また聴いてみたいです。

演出は野田秀樹です。当然ながら、前回公演と同内容ですが、もしかしたら若干の手直しがあったかもしれません。魔女を骸骨の亡霊に見立てて、彼女らが「マクベス」のストーリーを掘り下げていきます。私は前回同様に楽しんで見ることが出来ましたが、やはり好き嫌いが分かれてきそうです。と言うのも、演出がとても「説明的」なのです。骸骨たちがまるでストーリーの解説をするように、常に舞台を動き回ります。劇進行とは別にもう一つの寸劇をやっている、とも言えるでしょうか。これには少々気が障る方もおられると思います。どうでしょうか。

再演が早すぎたのか、あまり人気のプロダクションではないのか、平日公演と言うことを考えても、会場は空席が目立ちました。私は当日券狙いで行きましたが、お昼の段階で確認してみたら、ランク8も含めて、ほぼ全券種が売れ残っています。しかし指揮のフリッツアを聴くだけでも、この公演を聴く価値は十分にあります。これはおすすめしたいです。
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東京都写真美術館 1/15 その3 「クレア・ランガン フィルム・トリロジー」

東京都写真美術館(目黒区三田)
「クレア・ランガン フィルム・トリロジー」
2004/12/18~2005/1/30

こんにちは。

15日に観た写真美術館の「その3」です。クレア・ランガンのビデオアートを観ました。

「フィルム・トリロジー」(三部作。各十分ほど。)
 「Forty below」(1999)-水・青 
 「Too dark for night」(2001)-砂・黄金
 「Glass hour」(2002)-火・赤

*「水」や「赤」というのは、それぞれの作品のテーマです。

これだけの情報ですと、「水や砂がテーマのビデオアート??」などと言われてしまいそうですが、実際に観ると、テーマから随分と離れた印象を受けると思います。もしかしたら、あまりテーマを頭に入れないで鑑賞した方が、作品の自由な世界に入り込めるかもしれません。美しい映像と幻想的な音楽に浸りながら、ぼーっと観るのも良いですし、色々と自分なりの解釈を施してみるのも良いと思います。

私が一番感銘したのは、二番目の「Too dark for night」です。作品は、一人の女性が、砂漠の中をこちらへ向かって歩いてくるところから始まります。彼女は、その後、現実か非現実かわからないのような曖昧な世界の中を遍歴しながら、何かを求めるようにひたすら歩き続けます。やがて、どこかの人気のない寂しい家へたどり着くのですが、そこは砂に埋もれた廃墟となっています。最後には、一番初めに歩いていた砂漠を、こちらに背を向けて、まるで帰る場所があるかのようにして歩いて行きます…。

女性が、何かを求めるかのようにして歩く様子は、三部作全てに共通して登場します。また、その背景には、大自然の驚異を目の当たりにするような、砂漠や灼熱の火山などが現れます。パンフレットには、「自然の無限な力と人間のはかない存在」とも説明されていましたが、むしろ私には、自然は彼女の思う何かのシンボルとして描かれているのであって、決してそれを「自然=無限、人間=はかない存在」などいう図式に当てはめてはならないような気がしました。何かを探しているのかもしれないし、そうでないかもしれない…。観る人によって、その「何か」も変わってきそうですが、私にはそう思えました。

いわゆる癒し系のビデオアートではありません。三番目の作品からは、切羽詰まったような、険しくて激しい感情も感じられました。ところで、一昔前に、「自分探しの旅」などという言葉が流行りました。少々オーバーな言い方ではありますが、自己のルーツや原点を探すこととは、人が人として生きている証でもあると思います。ランガンの作品からは、そんな「旅」を感じました。今を少し立ち止まってみたい方、そんな方にはおすすめの展覧会だと思います。(もちろん、私も楽しめました。)

*これで15日に行った写真美術館の感想は終わりです。初めて行った美術館でしたが、こじんまりとしてなかなか雰囲気の良い所でした。(ガーデンプレイスも何年ぶりでしょうか…。)今まではあまり写真に興味がなかったものでノーチェックでしたが、今後は通いそうです。
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東京都写真美術館 1/15 その2 「明日を夢見て」

東京都写真美術館(目黒区三田)
「明日を夢見て」-アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー
2004/11/27~2005/1/16(会期終了)

こんにちは。

早速、昨日のブログの続きです…。

写真美術館の二階展示室では、「明日を夢見て」という展覧会をやっていました。これは、サブタイトルにもある通り、19世紀末から20世紀前半にかけてのアメリカのドキュメンタリー写真に焦点を当てた展覧会です。この時代に生きた写真家たちが、「写真で社会を変えられる。」(パンフレットより。)として撮った作品-ニューヨークの移民の貧しい生活や悲惨な児童労働、または荒れた農地を耕す貧しい農民など-が、約200点ほど並んでいました。どの作品からも、当時の人間の生活や社会状況がしっかりと伝わってくるわけですが、映像メディアも未発達であった当時は、さらに今よりもこれらの写真が大きな力を持って、それこそ、社会を変化させていく原動力になっていったのだと思います。

少し見にくいかもしれませんが、上にアップしたパンフレットに載っている写真は、ルイス・W・ハインの「ナッシュビルの新聞少年たちの一群」という作品です。何人かの少年が、照れ笑いをしながら写っていますので、一見、何やら楽しそうな光景に見えます。が、よく見ると、皆手に新聞の束をたくさん抱えているわけです…。少年たちにはこれが日常だったのでしょうし、彼らの顔にはどこか大人びた、何かの責任感を感じているようなしっかりとした表情さえ漂っています。この写真からすぐに悲哀さを感ずることは出来ませんが、少年たちの笑顔と実際の生活の落差を考えた時、状況の悲惨さが伝わってくるのではないかと思いました。

ところで、年代順に並ぶ写真を見て思ったことを一つ。それは、19世紀末と1940年代の写真では、その中から得られる情報量が全く異なっていることです。これは作品の経年劣化の問題もあるかもしれませんが、五、六十年の間に、写真機そのものが大きく進化したということなのでしょうか。1940年代の作品からは、顔の細かい表情や、その周囲の光の加減や雰囲気が良く伝わってきましたが、19世紀の作品ですと、それがどうしても分かりません。

「明日を夢見て」なんて、何とも希望に満ちたタイトルではありますが、現実を考えれば、貧困の問題だけとってみても、決して前時代的なことではありません。夢は永遠に叶わぬものなのか…。変わったようで何も変わっていないじゃないか…。写真家たちの情熱に触れていながら、こんなセンチメンタル的なこと言うのも失礼かとは思いますが、色々と考えさせられた展覧会でありました。
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東京都写真美術館 1/15 その1 「日本の新進作家vol.3 新花論」

東京都写真美術館(目黒区三田)
「日本の新進作家vol.3 新花論」
2004/12/25~2005/2/6

今日は、東京都写真美術館で開催中の展覧会をまとめて三つほど観てきました。ちなみに三つとは、「新花論」、「明日を夢見て」、「クレア・ランガン展」です。では早速、観た順番と言うことで、まず「新花論」から拙い感想を書いていきたいと思います。

「新花論」は、花をテーマとした四名のアーティストによる展覧会です。しかし当然ながら、いくら写真美術館と言えども、決して単なる「花の写真展」にはなりません。光のあてられた鏡を回転させ、暗い部屋にたくさんの植物の形を写し出す作品や、大きな箱の中に機械仕掛けの花を並べ、それが中の光とともにじわーっと浮き出てくるような、実験的とも言えるような作品も展示されています。もちろん、いわゆる「写真」のカテゴリーに収まるような作品もあり、非常に幅広い表現を見せてくれた展覧会だったかと思います。

私が一番面白いと思った作品は、赤崎みまのシリーズ写真です。枯れた花や葉、またはほおずきなどを、ほのかに発光させてフレームに写し出します。その独特の光を見ていると、死んでしまった枯れ葉などが、再び息を吹き返して、新たな生命として生まれてきたような印象を受けます。また、作品の色や被写体そのものも美しく、部屋に一つ置いて毎日眺めていたいような写真でした。

鬼頭健吾の写真のシリーズにも一つ気になる作品があります。それは、とても暗い空間にたくさんのマーガレットが浮かんでいる作品です。何気ない構図かもしれませんが、花をあのようにして無数に切り取った時の不気味さは何とも言えません。あの花は死んでしまったのだろうか。普段、漠然と花は美しいものとして見てしまいがちですが、この写真からは、花の死んだ姿を強く意識させられました。「花にも死がある。」当たり前のことですが、それを否応無しに考えさせる作品です。

作品数が少ないので落ち着いて見ることが出来ます。全体のまとまりはあまり感じられませんでしたが、テーマの「花」を少し意識しながら見ると、それぞれに発見がありそうな展覧会でした。(個人的には、実験的な作品は、あまりその良さが感じられませんでした…。)

*赤崎みまの作品がいくつか載っているサイトを見つけました。
JDN/ギャラリー/ウェブスカイドア現代篇/赤崎みま
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SCAI THE BATHHOUSE 「長島有里枝展 -Candy Horror-」

SCAI THE BATHHOUSE(台東区谷中)
「長島有里枝展 -Candy Horror-」
2004/12/17~2005/2/5

こんにちは。

先日芸大美術館へ行ってきた際に、SCAIの展覧会も観てきました。写真家の長島有里枝さんの個展です。ところで、前にSCAIへ行った時も思いましたが、このギャラリーは本当に良い雰囲気を持っています。趣きがあるとでも言えるでしょうか。銭湯跡がこんなに素敵なアート空間となるとは、思いもよりませんでした。こういう建物は、今後も大切に使わなくてはいけませんね。

会場には、彼女がここ四年間の間に撮ったという、約30点ばかりの写真が並んでいました。私は長島さんのこと殆ど存じ上げないので、偉そうなことは言えませんが、この方、被写体に人間を持ってくると、断然に作品が面白くなるようです。

特に素晴らしいと思ったのは、確か会場で最も大きな作品であった、妊婦(ご本人?)の姿を写した作品です。世の中を斜めに見ているのではないかと思ってしまうような、やや挑戦的な眼差しを光らせる女性が、少々淫らな印象を受けるような姿で、どーんと大きくと写っています。あまりにもすごい存在感なので、思わず後ずさりをしてしまうか、目を背けてしまいそうになりますが、そこを我慢してしばらく見ていると、あら不思議!この女性の中に飛び込んで、抱きついてしまいたくなるような、何やら奇妙な感覚がこみ上げてくるのです。(ちょっと危ない感想かもしれません…。)

人間を写した他の作品(決して全身だけではありません。足だけを取り上げた作品もありました。)も、被写体への切り込み方が上手く、実に鮮やかな切り口を持って写真を見せてくれます。被写体に特に珍しいものがあるわけではないのに、その切り口や語り口だけで写真を面白くする。この方の才能を感じました。面白い方です。

上にも書いた、私が一番素晴らしいと思った作品は、既に売り切れでした。(と言いましても、とても手の出ない金額でしたが。)正直申しまして、風景を撮ったような作品からは面白みを感じなかったのですが、人間を切り取りそこにストーリーをつけ、それを写真にする力は凄いものがあると思います。

長島さんご本人のサイトを発見しました。リンクフリーと言うことなので、ここにはらさせて頂きます。
長島有里枝のデンシコソダテツウシン
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古書ほうろう(千駄木)

先週、芸大美術館へ行った時に、そのまま谷中の方へ繰り出しました。特に目当てもなく、谷中銀座あたりをうろうろして帰るのが好きなのですが、千駄木にいつも立ち寄る古本屋があります。「古書ほうろう」です。

外構えはごく普通ですが、中は温かみのある作りで、古本屋にありがちな敷居の高さを感じさせません。本は専門書が中心ですが、漫画も置いてあり、地元の子供たちが立ち読みをするよく姿を見かけます。最近(?)、この近所にブックオフが出来たようで、なかなか繁盛していましたが、ここがその影響を受けることはないでしょう。

本のジャンルは、海外と国内の文学、それに哲学や音楽、美術、映画などが中心です。また、この界隈の谷根千(谷中・根津・千駄木)関連の本も結構揃います。全体的に、店主の方のセンスが光るような良い本が多く、お値段も、神保町と比べれば安くて手頃です。私の興味あるジャンルが多いこともあってか、いつも長居をしてしまいますが、ちょっとした椅子やテーブルが置かれていたりして、居心地の良い空間が作られているのも良いです。

参加したことはありませんが、古本屋としては珍しく、店内で様々なイベントを開催したりするそうです。ただ本を売るだけでなく、谷根千の街作りの一角も担う。そんなお店の姿勢も感じられて、何か文化の香りさえ漂うような古本屋だと思います。

結構有名な店なので、ご存知の方も多いかとは思いますが、谷根千へ行かれたついでに、一度覗いてみては如何でしょう。

古書ほうろう
文京区千駄木3-25-5(千代田線千駄木駅より徒歩5分ぐらい。)
03-3824-3388
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東フィル 第698回定期演奏会 「マーラー:交響曲第3番」

東京フィルハーモニー交響楽団 第698回定期演奏会

マーラー 交響曲第3番

指揮 チョン・ミュンフン
メゾ・ソプラノ 寺谷千枝子
女声合唱 東京オペラシンガーズ
児童合唱 東京少年少女合唱隊
演奏 東京フィルハーモニー交響楽団

2005/1/9 15:00 オーチャードホール3階4列

こんにちは。

一昨日、オーチャードホールで東フィルの定期を聴いてきました。曲はマーラーの第3交響曲。チョンさんが指揮される演奏を聴くのは初めてです。

全体としては、とても流麗で伸びやかな、温かみのある演奏だったと思います。第一楽章こそ、各主題を聴き手に強く印象づけるためか、楽想を一つ一つくっきりと区切るような形で音楽を進めていましたが、それも決して不自然な感じにはなりません。また、第二楽章の甘美なメヌエットや突然の嵐のようなトリオも、それぞれが驚くほどスムーズに進められ、弛緩する瞬間が殆どありませんでした。さらに、声楽の入る第四、第五楽章も、オーケストラと声楽のバランスが極めて適正にとられ、美しいハーモニーが築かれます。マーラー的な「うねり」を感じる部分はあまりありませんでしたが、それを求める必要がないくらい、主題やリズム、それにデュナーミクの変化に細心の注意が払われた、とてもレベルの高い演奏だったと思います。

私が最も素晴らしく感じたのは第6楽章です。この長大なアダージョ楽章は、ともするとお涙頂戴的な、やや俗っぽい演奏が幅を利かすことになりますが、この日の演奏からそんな要素は感じられません。少々オーバーかもしれませんが、ステージ上でオーケストラの力が一つとなった時だけに聴くことが出来るような、高貴で純度の高いアンサンブルが奏でられていたと思います。第6楽章を、初めて心の底から素晴らしい音楽だと思えたのと同時に、まさかここまでやってくれるとは、という思いを強く感じました。

ただ、ミスを気にする方には、顔をしかめるような部分が多かったかもしれません。特に後半は、オーケストラもバテ気味だったのか、大きなミスがいくつかあったと思います。しかし、私には、そんなミスを忘れさせてしまうぐらい、音楽の大きな力を感じました。これはやはり、解釈を徹底させたチョンさんの力量によるものなのでしょうか。今回初めて聴いただけですから、何とも言い切るのは難しいですが、東フィルはものすごく力のある指揮者を迎えているのかもしれません。失礼な言い方かもしれませんが、予想以上でした。3月の第4交響曲も、是非聴いてみたいと思います。
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芸大美術館 「HANGA 東西交流の波」展

東京藝術大学大学美術館(台東区上野公園)
「HANGA 東西交流の波」
2004/11/13~2005/1/16

こんにちは。

会期末の版画展を見てきました。あちこちの美術展で、版画の作品はよく見かけますが、これだけまとまった形のを鑑賞したのは初めてです。

地下の展示室には、日本の伝統的な版画と、それと関係する西洋の作品が並んでいました。かつて教科書か何かで見たような葛飾北斎や歌川広重の作品も多くあって、それだけでも「おおっ!」という感じなのですが、さらに、ゴッホとその元になった浮世絵を同時に見ることが出来たりして、まさに目から鱗と言った状態でした。私自身が、この辺りの事情に疎いこともあったせいか、これだけ見ても、この展覧会へ行って良かったと思えるぐらいです。また、クレーやバーサ・ラムの作品も素晴らしかったです。

三階の展示室の版画は実に多彩でした。展示の仕方が、「どうぞお好きなものを探して下さい!」と言わんばかりの内容だったので、会場をぐるぐる回りながら、波長の合う素晴らしい作品はないかと、あちこちを見ながら鑑賞してきました。

まず、入り口すぐにある棟方志功が良かったです。木版画の「二菩釈迦十大弟子」という作品ですが、屏風からはみ出んばかりの力感豊かな釈迦の弟子(?)が素晴らしい!解説によると、当時の海外の美術展で極めて評判の高かった作品だったそうですが、それも十分に納得できます。堅牢でありながら自由な構成感の極致がありました。
駒井哲郎の「束の間の幻影」は、私の連れが一生懸命に魅入っていました。確かに、エッチングでは少し考えられないような立体感が感じられて、ふんわりと空間上に浮いているような幻影(?)が素敵でした。ぐっと惹き込まれる要素があることにも頷けます。
李禹煥の作品は二つありました。私が特に良いと思ったのは「関係項B」です。木版の削った跡がそのまま残ったような模様で、ふくらみと温かみの感じられる作品でした。もちろん動きも穏やかに主張してきました。やはりいつ見ても飽きないです。また、もう一つの「遺跡地にて」は、「関係項B」よりももっと大胆な構成で、ズバッと切り込んでくるような筆の跡が鮮烈な印象を残しました。
李の作品と並んでいた、アラン・グリーンの「中心から縁へ-黒-緑」もとても気に入りました。暴論を吐かせて頂きますが、何でしょうか、ロバート・ライマンと共通する要素があった気もします。タイトルにあるように、中心から縁へ見ていっても良いのですが、逆に眺めても、また別の印象を与えてくれます。パッと見た目はシンプルですが、色の奥底に何かが眠っているような、そんな感じもしました。
他にもいくつか心に残った作品がありましたが、どんどん長くなりそうなのでこの辺にしておきます…。

ところで、今回初めて芸大美術館へ行きましたが、ちょっと使いにくそうな美術館ですね…。HANGA展の間に、別の展覧会(これはこれで面白かったですが。)を挟む構成も理解できませんが、地下の次の展示室が三階にあるとは…。エレベーターの前で、「次はこちらです。」と係の方がいちいち説明されていましたし、動線というか、見通しのあまり良くない美術館だという印象を受けました。また出口も二階にあって、わざわざミュージアムショップ(ショップは外からすぐに入れるのが一番です!)の前を通らされるのもちょっと…。細かくてどうもすみません…。

ただ、展示の方はなかなかでした。一口に版画と言っても、あんなに多彩な表現があるとは思いもつきませんでした。好きな作品もたくさんありましたし、行って正解な展覧会だったと思います。
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本物?モーツァルトの肖像画

モーツァルトファン(あくまでも自認…。)としては見逃せないニュースが飛び込んできました。

「モーツァルト最後の肖像画?見つかる=27日から一般公開-独」(時事通信/yahoo)
【ベルリン6日時事】ドイツの首都ベルリンにある美術館「ゲメルデギャラリー」は6日、所蔵する肖像画が作曲家モーツァルト(1756~1791年)の最後の肖像とみられることが分かり、生誕249年に当たる今月27日から一般公開すると発表した。
リンデマン館長によると、公開されるのは縦80センチ、横62.5センチの油絵。モーツァルトが死去した前年の1790年ごろ、ミュンヘンの宮廷画家ヨハン・ゲオルク・エトリンガー(1741~1819年)によって描かれた。


そして、その肖像画がこれです。


これは少々、にわかには信じがたい作品です。他の真性とされる肖像画に、似ていると言われればそう思うかもしれませんが、やっぱり違うのではないか思ってしまいます。強いて言えばぎょろっとした感じの目と、よく喋りそうな口元がモーツァルトらしいということなのでしょうか。ちなみにこれは、死去の前年、つまりモーツァルト34歳の時の肖像だそうですが、それにしてはちょっと老け過ぎているような気もします。もちろん、衰えていたのかもしれませんが…。(ちなみに、モーツァルトの肖像画はどれも似ていないとする意見もあります。)

1790年のモーツァルトと言えば、レオポルト2世の戴冠式にかこつけた求職旅行も失敗し、相変わらずの借金生活をしていた頃です。そんな頃に描かせたという肖像画ですから、どうなのでしょう、何か特別な目的でもあったのでしょうか。

記事は、美術館所蔵の肖像画がモーツァルト最後のそれと判明した、とだけ書かれていて、確証についての細かい説明がありません。モーツァルトの肖像画については、既に偽物とされたものが多く存在します。今後、この肖像画も、その真偽を巡って様々な議論を巻き起こしそうです。

ところで私が好きなモーツァルトの肖像は、小林秀雄の「モオツァルト」で有名なランゲ作の未完の作品です。ちょっと下を向いて、何かを想うような表情が好きです。

これを書いていると、久しぶりにモーツァルトが聴きたくなってきました。この肖像画が描かれたと言う、1790年初演の「コジ・ファン・トゥッテ」を楽しみましょう!
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