「内海聖史 『色彩に入る』」 資生堂ギャラリー

資生堂ギャラリー中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階)
「第1回 shiseido art egg 内海聖史『色彩に入る』」
3/9-4/1

「第1回 shiseido art egg」のトリを飾る展覧会です。色彩のドットを、絵画を越えたインスタレーションとして操る内海聖史が登場しました。



地下へと降りる階段のアプローチより、早くも色彩のドットの群がった欠片が出迎えてくれます。以前、ヴァイスフェルトにて展示のあった「三千世界」の再現です。青や緑など、色とりどりのドットが、僅か5センチ四方の白いキャンバスの上にひしめき合うように描かれています。それが壁面一面に規則正しく、また適度な間隔を空けて揃っているのです。鮮やかな色のシャワーを浴びるような感覚さえ与えてくれます。さながら色の森林浴です。



そんな軽やかな色彩のモザイクに対して、地下の展示室正面に飾られた大絵画は実に重々しく圧倒的でした。幅9メートル、高さ5メートルにも及ぶその壁面全体に、細かな色彩のドットの連鎖によって構成された、巨大な一つの塊が描かれています。赤や紫のドットが背景に見え隠れしながら、さながら泡が拡散したような青いドットの洪水が、それこそ回転運動をしているかのようにうごめいているのです。またそれは単に小さな色彩の集積というよりも、もっと生々しくて不気味な、例えば大きな軟体動物のような気配すら漂わせています。内海の作品からそのような感触を味わったことがなかったので、とても新鮮に感じました。

地下展示室よりテラス越しに見上げる色のモザイクは、美感にも非常に優れています。両サイドの二つの壁面を効果的に使った色のインスタレーションは、もう見事と言う他ありません。明日までの開催です。(3/24鑑賞)

「第1回 shiseido art egg」
平野薫(1/12-2/4)
水越香重子(2/9-3/4)
内海聖史(3/9-4/1)
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「アントン・ヘニング個展」 TARO NASU GALLERY

TARO NASU GALLERY港区六本木6-8-14 コンプレックス北館2階)
「アントン・ヘニング個展」
3/24-4/28

ドイツ生まれのアーティスト、アントン・ヘニングの日本初個展です。画肌の力感にも優れた油彩画が充実していました。



ギョロリとした目を光らせる奇妙な生物が、一人椅子に座ってこちらを見つめています。その殆ど曲線だけによるデフォルメされた造形は、何やらダリの絵画より飛び出してきたモチーフのようです。画面を埋め尽くす油彩絵具の分厚いマチエールが、あちこちに微妙な陰影を象って、強い立体感をも見せています。どこかシュルレアリスムの気配も漂わす作品です。

このうねるような曲線のモチーフは、横2、3メートルは越える大作の油彩抽象画にも登場しています。こちらは何本かの線が、それこそあちこちで弧を描くように縦横無尽にのびていき、幾重もの円を構成しながら、大きな一つの幾何学的抽象模様を描いているのです。そしてその円と円の間に、手前と奥へと広がるような二つの空間を挟み込んでいます。まるで錯綜するいくつかの次元が、一つのチェーンにて繋がれているかのようです。

いつもは真っ白なギャラリーの展示室が、今回は緑がかった濃いグレーに覆われていました。それがこの展示に合わせて塗り替えたものであるならば、間違いなく効果的であったと言えるでしょう。鮮やかでありながらも、深みのある作品の色と上手く呼応しています。絵画を飾る巨大な木のフレームを含め、謎めいたその世界観を感じ取ることが出来ました。

4月28日までの開催です。(3/24鑑賞)
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新国立劇場の愛称が「オペラパレス」に決定

以前より募集されていた新国立劇場オペラ劇場の愛称が決まりました。その名は「オペラパレス」(OPERA PALACE Tokyo)です。

愛称は「オペラパレス」 新国立劇場のオペラ劇場(asahi.com)
新国立劇場 オペラ劇場の愛称決定(クラシック・チケット掲示板 Blog)
新国立劇場オペラ劇場 愛称は「オペラパレス」に決定!(新国立劇場公式HP)

報道によると、応募総数約3100件のうち「オペラパレス」は僅か4件に過ぎません。上位にどのような愛称が入っていたのかは分かりませんが、事実上、審査員の方々によって決められた名前とみて良いかと思います。



さすがに決まったばかりなのでその違和感は拭えませんが、愛称は定着してこそ意味のあるものです。それこそ例えば「E電」ではなく、「メトロ」のように広まることを願いたいです。

「チケット掲示板 Blog」によれば、その他に「トペラート」や「トップ」、それに「トペラ」などの愛称(それぞれ審査員特別賞を受賞。)も挙がっていたようです。今更ではありますが、あえてその中で言えば、「トペラ」が意外と良さそう(ただし完全な造語なので、意味は全く不明ですが…。)な気もしました。どうなのでしょうか。

私などはまだこれからも「新国」(シンコク)と呼び続けてしまいそうですが、「オペラパレス」は今後、チラシやポスターでも使用されていくのだそうです。その周知には力が入りそうです。
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フローレスの「理髪師」を聴く

メトロポリタン歌劇場インターネットライブ(BartokRadio)

曲 ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

指揮 マウリツィオ・ベニーニ
演奏 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
キャスト 
 アルマヴィーヴァ伯爵 ホアン・ディエゴ・フローレス
 バルトロ ジョン・デル・カルロ
 ロジーナ ジョイス・ディドナート
 フィガロ ピーター・マッティ

BartokRadioのオンデマンドで聴きました。生中継で放送されたメトロポリタン歌劇場の「セビリアの理髪師」です。絶好調とまではいかないようでしたが、フローレスの美声には酔うことが出来ました。

BartokRadioオンデマンド
*Szombat(土曜日)の18時から21時の間に収録されています。放送日より一週間ほど保存されているので、今週末まで聴くことが可能です。



伯爵と言えばやはり第二幕の「Cessa di piu resistere」ですが、さすがのフローレスはここでも全く危なげなく歌い切ってしまいました。私としてはもう少し、アクの強い伯爵が好みではありますが、持ち前の甘くまた艶やかな声で、このヒートアップしたドタバタ劇をまさに諭すように静めていきます。見事です。(ところでここを聴く度に、2002年、新国立劇場の公演で伯爵役を務めたシラグーザを思い出します。ホールいっぱいに響き渡ったその瑞々しい歌声は忘れられません。)

フローレス以外のキャストも十分に務めを果たしていましたが、指揮のベニーニにもう一歩、落ち着いた表現があればより良かったとも感じました。軽やかで溌剌と始まる序曲や、その一方でのテンポをじっくり落とした各アリアでは手堅さを感じさせましたが、一部の重唱になるとややあおり気味になって先を急ぎます。緩急にも激しく、ロッシーニに特有な疾走感を楽しめる演奏ではありましたが、第一幕のフィナーレは少々乱れているようにも思いました。全体の構成を見通すような統率力にやや欠けていたかもしれません。

ちなみにこの公演も、かのMETライブビューイングで上映されていたようです。今回は、会場が映画館ではなくホールだったようですが、どのような反響があったのでしょう。また、以前に上映された「清教徒」や「魔笛」なども、この4月に首都圏郊外のMOVIXにてアンコール上映があるのだそうです。

*関連リンク
オペラキャスト(ネットラジオ全般)
METライブビューイング公式サイト(松竹)
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「館蔵 花鳥画展」 大倉集古館

大倉集古館港区虎ノ門2-10-3 ホテルオークラ東京本館正門前)
「館蔵 花鳥画展」
1/2-3/18(会期終了)

会期末日に行ってきました。大倉集古館での「花鳥画展」です。江戸期の日本の花鳥画だけではなく、中国の清や明のそれもいくつか紹介されていました。



いわゆる花鳥画が確立したのは唐の末期で、その後日本へ移入したとのことですが、むしろ逆に、室町期の日本より中国へと渡って流行したという扇面図も興味深く感じます。特に、簡素なタッチで、梅と燕を取り合わせた顧雲臣の「梅花双燕図」(17-18C)は魅力的でした。また、漆塗りの枠にはめられた団扇に葡萄を描いた、光緒帝の「葡萄図団扇」(1897)も佳作です。ちなみに光緒帝とは、清の末期の皇帝です。その流麗なタッチには魅入らされます。

狩野常信の「梅に鶯図」(17世紀)は機知に富んでいます。これは、三枚の掛軸に一つの梅のモチーフを分けて描いた作品ですが、霞を利用して空間を上手く連続させていました。ちなみに狩野氏では、安信の「蓮に燕・枯木に翡翠図」(17世紀)が好みです。目をつむったようなかわせみの表情の可愛らしさには、強く惹かれます。また彼による、全長8メートルにも及ぶという大作図巻、「風景人物花鳥図画巻」(17世紀)も見事でした。今回はどのごく一部分、動物たちの登場する場面だけが公開されていましたが、是非人物の箇所も見てみたいと思います。花や鳥、それに動物や人間と、それこそ殆ど図鑑のような作品なのかもしれません。



時代は大きく下りますが、結局一番惹かれたのは小林古径の「木菟図」(1919)でした。凛とした表情の見せる木菟が、闇に浮かぶ紅梅の枝の上にとまっています。ふさふさした羽の質感から梅の花の瑞々しさまで、どれも味わい深く描かれていました。またゆとりある余白の妙も冴えています。



お目当てだった大観の「夜桜」(1929)は、私の勝手な期待が高過ぎたのでしょうか。思っていたほど美しく感じられませんでした。赤々と燃える篝火とその煙の構成、または松と桜の色の対比などは巧みだと思いますが、総じてどうもこの作品は私には騒がしく見えてなりません。それに、後方より迫る山々もやや窮屈に思えました。あまり楽しめません。

来週からは次回展覧会、「狩野派誕生 - 栃木県立博物館コレクション - 」の開催が予定されています。(4/1 - 5/27)こちらも是非、見に行きたいです。(3/18鑑賞)
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「VOCA展 2007」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「VOCA展 2007 - 現代美術の展望 - 」
3/15-30

今年で14回目を迎えるという「VOCA展」です。昨年に引き続いて見てきました。



まずはどうしても既知の作家に目が向いてしまいますが、やはり町田久美のドローイング「成分」は魅力的かと思います。それこそ「書」の味わいすら思わせるしなやかな黒線が白の支持体を緩やかに進み、手にスプーンが突き刺さるという不気味な光景を肉感的に表現しています。もちろん例の如く、線に沿って描かれた仄かな影によって生まれる立体感も絶妙です。スプーンの上にのっているのはご飯粒でしょうか。そのこんもりと積まれた白い絵具の質感にも惹かれました。



山口晃の「木のもゆる」には驚かされます。一目見ただけでは、彼の作品だと分からないかもしれません。波打つ大地に梅林がうねるように続き、空には何やらピンクとも紫とも言えるような色が広がっています。梅の花はまるで人魂です。それこそ陽炎のようにゆらゆらと揺らめいて、寒々とした薄気味の悪い光景を生み出しています。そして近づいて見ると、その大地や木々からメタリックなイメージが浮き上がってきました。木の表面の奥などに、機械のようなモチーフが見え隠れしているのです。そう言えば、この梅はまるで武者、枝はそれこそ刀かもしれません。武将が刀を振り回し、合戦しているようなイメージさえわいてきました。もう少し精緻な描写があればとも思いましたが、二つのイメージを巧妙に潜ませたような構図感には脱帽です。



いくつかの受賞作品の中では、田口和奈の「その悲しい知らせ」が印象に残りました。これは、様々な写真より作った顔のモンタージュを絵画に起こして、それをさらに写真で提示するという凝った手法をとった作品ですが、その結果生まれた重々しくまた鮮やかな質感が優れています。タイトルの「悲しい知らせ」とはやや似つかない表情をしていますが、くっきりと浮き上がるその顔には吸い込まれそうになりました。



その他では、寂寥感の漂うモチーフと冴えたマチエールが興味深い池田光弘の「untitled」や、老人たちが何やら作業する様子を、まるで版画のように描いた油彩「SLOANE RANGER」が心にとまりました。また今年は全体的に、ある意味で「真っ当」な具象絵画が目立っていたと思います。全体としてのレベル云々を言う立場にはありませんが、奇を衒ったような作品はあまり見られません。

気軽に現代美術の「今」を楽しむことが出来る展覧会です。今週の金曜日まで開催されています。(3/17鑑賞)
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「長塚秀人 『sq.』」 ヴァイスフェルト

ヴァイスフェルト港区六本木6-8-14 コンプレックス北館3階)
「長塚秀人 『sq.』」
3/2-31

主に大自然の景色を、時にジオラマ風にも仕立た写真で楽しませてくれます。ヴァイスフェルトにて開催中の長塚秀人の写真展です。



風や波に洗われて、荒々しい地表の剥き出しになった海岸線や、森と水辺の深い緑にも眩しい渓谷、それに地滑りの発生して寸断された山深い道路などがモチーフです。決して場所の明かされることのない匿名の光景が、モノの存在感よりも色彩感を強く押し出して、ただ淡々と無機質に提示されています。端正な正方形におさまる写真はどれも極めて静謐です。その場の空気感を殆ど遮断しながら、切り取られた自然の一コマだけを見せてきます。ここに物語はありません。

ピントの操作により、景色は、時にジオラマのような「非リアル」な場へと転化していました。ただ長塚は、単に自然の「ジオラマ写真」を撮るだけでなく、その視点の所在に独特なスパイスを混ぜているようです。水面に逆さに映る山の光景や、一つ一つの水玉が浮き上がってくるような波打ち際を捉えた作品からは、ある現実の自然の光景が非自然の世界に変化したような気配を感じました。地層も露出する荒涼とした崖を上から俯瞰した写真が、あたかもパテで白い絵具を塗り立てた抽象画にも見えてくるのです。

今月末まで開催されています。おすすめしたいと思います。(3/24鑑賞)
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「山口藍 『山、はるる』」 ミヅマアートギャラリー

ミヅマアートギャラリー目黒区上目黒1-3-9 藤屋ビル2階)
「山口藍 『山、はるる』」
3/14-4/14

ミヅマアートギャラリーで開催中の山口藍の個展です。中性的で幼い遊女をモチーフとした、ドローイングやインスタレーションが展開されています。



山型の支持体を用いた独特の絵画が印象に残りました。まさに富士山のような形をした山のオブジェに、何名もの幼女が寄り添うようにして描かれています。ヒスイをはめ込んだような鮮やかな緑色の瞳と、白く透き通るような柔らかい肌、さらには真っ黒な日本髪とかんざしが特徴的です。そして彼女らを、何やら琳派風の水模様が包み込んでいます。ちなみに、この一見、川にも見える黒い水紋は、さらにその背景に大きく描かれた幼女の振り乱す髪の毛です。また所々、精緻に描かれた和服の柄や草花の紋様にも力が入っています。アニメーション的な動きも感じられる作品です。

ここに登場する女性たちは、江戸時代後期、とある峠にあった岡場所(いわゆる私娼。当時において違法な遊女屋の集まった場所。)へ身売りされてしまった幼い少女をモデルとしているのだそうです。どこか可愛気な雰囲気を纏いながらも、その表情に一抹の寂しさを感じるのは、そんな由来があるからやもしれません。

奥の小部屋に展示されているドローイングも見逃せないと思います。特に、壁へ直接描かれたほぼ等身大の幼女は圧巻です。その大きく見開いた瞳より放たれる強い眼差しからは、しばらくの間逃れることが出来ませんでした。

どちらかというとモチーフとしてはやや苦手な印象もあるのですが、その画力には強く魅せられました。来月14日までの開催です。(3/24鑑賞)
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「平成17-18年度 文化庁買上優秀作品披露展」 日本芸術院会館

日本芸術院会館台東区上野公園1-30
「平成17-18年度 文化庁買上優秀作品披露展」
3/13-25

上野の日本芸術院の中へ入ったのは初めてです。最近、文化庁が購入した作品が紹介されています。入口の看板に出ていた三瀬夏之介の名にも引かれて見てきました。



全13名の作家による一点ずつの展示です。日本画、洋画、版画、立体の4ジャンルの作品が、比較的ゆとりのある空間にて紹介されています。重厚な佇まいの芸術院会館で見る現代美術もまた一興です。



三瀬夏之介の「日本の絵」(2005)はさすがに目立っていました。お馴染みの巨大な山々より裾野へと広がる奇怪な光景が、日本画の技法を用いてパノラマ的に描かれています。展示の環境によるのか、他で見るよりも幾分「白」が浮き上がり、線描もハッキリと見えるような印象を受けました。またいつもは混沌とした、何やらそのSF的カオスに呑まれてしまうのですが、今回はその精緻な描写がとても印象に残ります。遠くから眺めるよりも出来る限り近づき、まさに絵の中に入るようにしてモチーフを追っていきました。立ち並ぶビルよりエメラルドグリーンに煌めく星を望んで、山頂より吹き出す水蒸気(?)を眺めてみます。どこか祝祭的な華やかさも感じる作品です。



展示作品の中で一番強く印象に残ったのは、池田俊彦の「老腐人 - R」(2006)でした。まるで枯れ木のような腕とその根のような手先、それに闇に包まれ不気味な歯も覗かせた頭部が、一人の老人を象っています。手の表面に見る鱗を纏ったかのような不気味な表現と、爛れた白い衣服、そして巨大な蜘蛛が張り付いているような頭の装飾品もおどろおどろしい雰囲気でした。またぽっかりと開いた目よりこちらを見つめたその眼差しは、あたかも見る者を挑発するかのようです。ちなみにこの作品は、細やかな線描も目立つ版画の技法によってつくられています。そのインパクトは強烈です。



その他では、風間サチコの「風雲13号地」(2005)も印象に残りました。レインボーブリッジを望む海の上(まさに東京湾13号埋め立て地です。)を、ビックサイトやフジテレビなどを載せた軍艦が勇ましく進んでいます。細部にもう少しひねりがあっても良いとも感じましたが、その質感にも長けていました。横4メートルを越えるその大きさも圧倒的です。

VOCA展と合わせて楽しむのにも最適だと思います。(日本芸術院会館は、上野の森美術館のすぐ隣です。)また、やや味気ない装丁ではありますが、約30ページ弱にも及ぶ目録も配布されていました。入場は無料です。次の日曜日まで開催されています。(3/17鑑賞)
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「シュルレアリスム展」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館さいたま市浦和区常盤9-30-1
「シュルレアリスム展 - 謎をめぐる不思議な旅 - 」
2/21-3/25



主に以下、巡回先の美術館のコレクション(約110点。)によって構成されています。シュルレアリスムをその前史より辿る展覧会です。特にデルヴォーやマグリットが充実していました。

埼玉県立近代美術館 2/21 - 3/25 
岡崎市美術博物館 4/7 - 5/27 
山梨県立美術館 6/2 - 7/8 
宮崎県立美術館 7/21 - 9/2
姫路市立美術館 9/15 - 10/28 



展示の「導入」部分では、記念碑的なブルトンの「シュルレアリスム宣言」(初版本、1924)や、シュルの「兄」として位置付けられたダダイズム、さらにはキリコの形而上絵画などがいくつか紹介されています。ここではお馴染みの大ガラスのモチーフのとられたデュシャンの「トランクの箱」(1963)や、アルプのやや珍しい木彫「コンフィギュレーション」(1966)などが目立っていました。また同じモチーフによる時間を越えたキリコの二作品も興味深いと思います。「イタリア広場」による二バージョンです。



エルンストもかなり多く展示されています。ブルトンの「自動記述の方法」(内容を考えず、ただ筆の趣くままに次々と文を連ねる。)をそのまま美術に応用し、心に浮かぶ図像をそのまま版画に表した「博物誌」(1926)からしてなかなか魅力的です。また、荒れた心象風景を示した「風景」(1939)は、小品でありながらも非常に迫力のある名品です。赤茶けた大地とその奥に浮かぶ幻影が、同じ地平線上に交錯して描かれていました。その他ではオブジェ、「偉大なる無知の人」(1974)も印象に残ります。エルンストの大きな立体を見たのは今回が初めてかもしれません。





この展覧会のハイライトは、さながら「デルヴォー・ルーム」とも化した第2章「心の闇」と、マグリットの揃う第3章「夢の遠近法」のコーナーではないでしょうか。まずデルヴォーでは、埼玉県美御自慢の所蔵品「森」(1948)をはじめとして、姫路市立美術館より出品された6点の大作が見応えがありました。「海は近い」(1965)や水彩の「アレジア」(1966)など、デルヴォー独自の冷め切った美の妖艶な世界を楽しむことが出来ます。またマグリットでは、パンフレット表紙を飾った「現実の感覚」(1963)や「ジョルジェット」(1935)などが心に残りました。ちなみに、マグリットは全部で6点(油彩は3点。)ほど展示されていますが、その内の4点が、デルヴォーと同じく姫路市立美術館の所蔵品です。優れたコレクションです。



いわゆる大家だけでなく、あまり知られていない作家にもスポットが当てられているのがこの展覧会の良いところです。その中ではヴィクトル・ブローネルの「誕生の球体」(1939)に強く惹かれました。それこそガラス玉のような球の内側には、まるで外側から写り込んだようにも見える半獣神と一人の男が描かれています。両者ともにその表情はとても穏やかですが、その隙間より覗き込む巨大な瞳の存在は極めて異様です。ちなみにブローネルは、片目を失った画家としても知られているそうですが、ここに眼球への再生願望も見られるのではないかともキャプションにありました。他の作品も気になります。

世界屈指のダリ・コレクションを誇るという諸橋近代美術館のダリや、ミロの油彩やブロンズなども展示されていました。また、私としてはやや苦手な印象もあるマン・レイの写真作品などもいくつか紹介されています。

次の日曜日までの開催です。(3/10鑑賞)
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「20世紀の美術探検」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「20世紀の美術探検 - アーティストたちの三つの冒険物語 - 」
1/21-3/19(会期終了)



規模の大きい企画展をさらにまとめて三つ見たような印象です。とても最後まで集中力が持ちません。全600点弱の作品にて、文字通り20世紀美術を探検するという壮大な展覧会です。会期末の駆け込みで拝見してきました。



少なくとも量の面において、この展覧会を越える企画はそう滅多にないと思います。導入ではややお決まり感もあるセザンヌが展示され、そこから絵画や立体のジャンルを超えた様々な「作品」が怒濤のように並んでいました。キーワードは「物」です。「20世紀=物質文明」と捉え、そこに溢れていた「物」を芸術家たちがどう表現していったのかに主眼がおかれています。もの派、レディ・メイド、民芸、そしてポップアートなど、まさしく「物」を軸として一つの大きな流れがつくられています。これほどの点数を扱っていながらも、少なくとも構成に破綻はありません。その点は評価されるべきだと思います。



既に会期を終えている展覧会です。個々について細かく触れるのはやめておきますが、さすがにいくつかの作品には魅力を感じました。MOMAより出品されたキリコの静物画風の形而上絵画や、沈んだ闇の美しい浜口陽三の銅版画、そしてポップ・アートでは一番好きなリキテンシュタインの数点、またセゾン現代美術館所蔵のイブ・クラインなどは、どれも強く印象に残る作品です。またマレーヴィッチのティーセットも興味深く拝見しました。彼がこのような作品を手がけていたとは意外です。



ダダの流れを組んだ、さながらアートの領域を逸脱したような作品が目立っています。ただ、構成こそそれなりだったとは言え、残念ながらその作品の陳列、選定にはあまり「冴え」が感じられませんでした。もの派のコーナーは殆ど窮屈に思えるほど雑然と並べられ、パーカーの「ロールシャッハ」も今ひとつその美しさが浮き上がってこないのです。それに国内外より作品を集めたと宣伝する割には、その殆どは国内美術館の所蔵品でした。(別に国内の品が悪いと言うわけではありませんが、少なくとも開館記念展であるならば、もっと「派手」であっても良かったと思います。)そして出品目録もありません。過度にキャプションを付けるのも好きではありませんが、まるで図録の購入を促すかのような無味乾燥過ぎる展示も馴染めませんでした。(ただしその分、図録はかなり充実しています。)



図録を手に持ち、二度三度見ることで、初めてその面白さが分かるような展覧会だったのかもしれません。また見応えのある田中功起などは、また別個の展覧会にて紹介していただきたいとも思います。7名のアーティストの紹介されている最後のコーナーは、殆どの方が素通りしているような状況でした。これはとても悲しいことです。

やはりそれこそ「物」には限度があるということなのでしょうか。期待が大き過ぎたせいもあってか、思ったほどは楽しめませんでした。もっと早めに出向き、何度か出直して拝見すれば良かったとも思います。(3/18鑑賞)
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「黒川紀章展」 国立新美術館

国立新美術館港区六本木7-22-2
「黒川紀章展 - 機械の時代から生命の時代へ - 」
1/21-3/19(会期終了)

国立新美術館の設計者でもあり、また都知事選出馬でも注目されている黒川紀章の回顧展です。入場は無料でした。



どちらかと言えば、詳細な模型や図形の並ぶ一般的な建築展と言うよりも、建築物を通して主張されたその思想を見る展覧会だったと思います。模型や建物写真よりもはるかに目立つのは、何や奇妙なほど熱気に溢れた、それこそ煽るような口調のキャプションです。非常に大きな文字で、壁という壁に、これ見よがしに展開されています。もちろん映像等も利用されていますが、全体的に建築展らしからぬ泥臭い雰囲気でした。またイベントスペースも設置されています。さながら一種のお祭りのようです。



さて展示では、スケールの大きい都市設計が一番印象に残りました。特に、中国鄭州市の鄭東地区のマスタープランは凄まじいスケールを誇ります。これは何と150万人規模の新市を一からつくるという壮大な話ですが、中国最大の人造湖の建設から住宅や公園の配置、さらには自転車も取り入れた交通体系の選定など、都市のデザインだけでなく、その中の人の流動までをさながら神の視点にて設定しているのです。既に成熟した都市である東京で、この手法がとれないのは当然ですが、彼が今回の出馬にてどのような都市デザインを描くのかにも興味がわきました。ただし残念ながら私は都民ではありません。



個々の建物では、やはりまず会場自体の国立新美術館を見るべきなのでしょう。今回初めて足を運びましたが、波打つその正面の外観はとても力強く感じます。しかもそれでいて、例えばそのガラスの壁面を下から見上げたりすると、一枚一枚の羽が風に靡いているような繊細さが感じられるのも面白いと思いました。そして内部には、巨大な逆円錐形の構造物が床へと突き刺さっています。(その上部に、カフェやレストランがあたかも浮かぶようにして配されているのです。)また展示室は、もはや単なる巨大な箱という他ありません。これは様々な展覧会へ対応出来るよう、とても機能的に出来ているとのことでしたが、まるでコンベンションセンターのような無機質さを強く感じました。ちなみに元々、同施設は、ミュージアム(所蔵品がありません。)ではなく、アートセンターとして位置付けられている部分もあります。確かに建物自体も、美術館らしからぬ雰囲気を纏っているかもしれません。

無料の「黒川カレンダー」をいただきました。かなり立派でした。(3/18鑑賞)
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「FASCINATION - イメージの冒険・現代写真の5人 - 」 高島屋東京店 美術画廊X

高島屋東京店6階 美術画廊X(中央区日本橋2-4-1
「FASCINATION - イメージの冒険・現代写真の5人 - 」
3/1-20(最終日は14時まで)

日本橋の高島屋に現代アート専門の美術画廊、その名も「美術画廊X(エックス)」が誕生しました。オノデラユキ、楢橋朝子、畠山直哉、松江泰治、米田知子の計5名の写真家が紹介されています。オープニングを飾る展覧会です。



既に第一線で活躍されている写真家がメインです。2005年のMOTアニュアルでも印象的だったオノデラユキのポートレートをはじめとして、昨年、清澄のタカ・イシイギャラリーで廃墟の写真を拝見した畠山直哉など、どれもやや無機質でいながらも静謐な感覚に魅力を感じました。また、海と陸を一つの空間に混ざり合わせるようにして風景を捉えた楢橋朝子も、独自の視点が興味深い作品です。海面から頭だけを出して陸を眺めているような気持ちにさせられます。

何かとその重厚な佇まいに敷居の高さも感じてしまうデパートの美術画廊ですが、コンテンポラリー専門のスペースを設けたというのはとても珍しいことではないでしょうか。(場所は従来の美術画廊の一角です。入口こそ同じですが、中は内装も異なり、完全に別のスペースと化しています。)今回の展覧会はややオーソドックスな印象(作品の売れ行きももう一歩?)も受けましたが、次回以降も意欲的に現代美術作家を取り上げていくそうです。しばらくチェックしたいと思います。(3/18鑑賞)

*次回展 3/21 - 4/10
「華やぎのかたち」 (現代陶芸家5名による「花」をテーマにした展覧会。)

*関連リンク
最先端アート、引っ張りだこ 老舗百貨店など動く(asahi.com)
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ジェームズ・タレル 「テレフォン・ブース」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館
常設展第4期
「ジェームズ・タレル - テレフォン・ブース(コール・ウェイティング) - 」

光を操る芸術家、ジェームズ・タレル(1943 - )の体験型インスタレーション「テレフォン・ブース」(1997)です。まさに電話ボックスのような箱形の装置の中に入り、激しい光のマジックを楽しみます。約7、8分ほど繰り広げられる、光と色だけが生み出す神秘の世界です。



内部の半円状ドームに頭を入れ、ドアを閉じてスイッチを押すと光のショーの始まりです。手元には、光量やライトの点滅を変化させる操作盤も設置されていますが、既に作品には光の色や動きがプログラミングされています。それに従って見入るだけでも問題ありません。青や赤の光がゆっくりと辺り一面に広がったと思うと、すぐさま素早いストロボの点滅がしばらく続き、また元の色に舞い戻ります。その繰り返しです。殆ど脈絡もないように、ただひたすら光だけが変化し続けるのです。

この作品は、例えば「光の恵み」を思わせるような、ただそれを美しく見せるだけのものではありません。むしろその激しい光の点滅が知覚を鋭く突き刺して、いつしか光を越えた神秘的な、それこそ奇蹟を見るような感覚を見るまで自我を揺さぶり続けます。狭い空間の中に閉じ込められ、光に脳をシャッフルさせられているような、言わばかなり「危険な」作品でもあるようです。

電話が、遠くの人間(世界)と音声でコミュニケーションをとっているのに対し、この作品は光の世界と交信するようなイメージを持って作られています。最大限に作品を楽しむには、終始、上を見るように頭を持ち上げ、その半円のドームだけを視界に入れるのがポイントです。しばらくすると目を閉じたくなるような、一種の不安感に囚われます。そして天地も消滅したような、単なる光の世界だけを感じられれば、作品を味わうことに成功したと言えるのではないでしょうか。確かに単なる小さなドームが、光の粒子だけしかない、どこか「無」とも言える状態に見えてくる瞬間がありました。

閉所恐怖症や体調不良、またはてんかんの発作を起こす方は体験出来ないそうです。また90年代後半の作品ですが、不思議にもそのレトロな作りにもっと古めかしい時代の気配を感じます。現在開催中の常設展、来月22日までの出品です。
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「中村宏|図画事件 1953-2007」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「中村宏|図画事件 1953-2007」
1/20-4/1



社会的事象に幾分強い関心を寄せながらも、自らの内的な衝動を黙々と芸術に示してきた一人の男の軌跡を辿ります。「戦後美術史において高く評価されている」(パンフレットより。)という、中村宏(1932 - )の回顧展です。油彩や挿画、それにインスタレーションなど、計300点の作品にて構成されています。



作風の変遷がやや目まぐるしく、その特徴を一筋縄で捉えることは出来ませんが、まず初めに彼が手がけたのは、いわゆる「ルポタージュ絵画」といわれる作品群でした。これは、社会運動の渦巻く1950年代の時代の気配も反映した、いわば左派の匂いも漂わせるものですが、中でもスケールの大きい「砂川事件」(1955)は圧倒的かと思います。まるで巨人のように大きく描かれた警官が民衆をせき止め、カラスも舞う荒涼とした景色を、うねるようなタッチで力強くまとめあげていました。また、手足も絡み合ってひしめく民衆と、乱れぬ一個の厚い壁のような警官とが、左右に広がる鳥瞰的な構図で明快に対比されています。それに全体を覆う土色の泥臭い、殺伐とした雰囲気も巧みです。細部も丁寧に描かれていました。



結局、中村の表現の中で最も印象的なのは、セーラー服姿の女学生と列車のモチーフなのかもしれません。「円環列車・A - 望遠鏡列車」(1968)では、一つ目の妖怪のような女学生たちが、これまた左右へ広がる構図の汽車の中にて整然と座りながらも、一部スカートをまくり上げたり、床にへばりついていたりする姿が描かれています。また、網棚置かれた大きな赤いトランクからは髑髏も飛び出し、車窓に広がる海が、双眼鏡を覗き込んだ光景と重なり合っていました。ちなみにこれらのモチーフは油彩に限らず、彼の描いた挿画などにも多数登場しています。全くの個人的嗜好とも受け止められる、殆ど「画中の癖」とも言えるような中村作品の核心かもしれません。女学生を人形のオブジェに仕立て上げ、さらには列車をビニールパイプにてこれまた立体化してしまうのには、もはやそれらへの強い執着心を見る他ないようにも感じられました。「見る」と「見られる」の関係を云々するテーマよりも、モチーフの面白みが断然に優先しています。



外から列車の中を覗き込んだと思えば、今度は「車窓篇TYPE5(ドリル)」(1978)のような内側から外を見た光景が登場しました。ここでも中村まだセーラー服を手放すことはありません。(その姿は、飛行機を思わせる窓の上の部分に確認出来ます。)そしてこれ以降、80年代より現在までは、総じて実験的な作品が増えていきました。言わばシュルレアリスム絵画の残滓を平面より解放して、素材や色彩をまさしくインスタレーションとして空間へと拡げていくのです。ただ一見、とても思弁的な姿を装いながらも、それでもやはりまだ女学生が見え隠れしている部分には、何やら奇妙な親近感すら覚えました。その作風は見違えていながらも、関心の居所はあまり変わらない、痛快なほど表現に真っ正直な作家です。見ていて嫌みを全く感じません。



アニュアル展と共催の展覧会です。(共通券あり。)4月1日までの開催です。(3/4鑑賞)
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