「時代を切り開くまなざし」 川崎市市民ミュージアム 5/29

川崎市市民ミュージアム(川崎市中原区等々力)
「時代を切り開くまなざし -木村伊兵衛写真賞の30年 1975-2005- 」
4/23~6/19

こんにちは。

川崎市市民ミュージアムで、木村伊兵衛写真賞を回顧する写真展を見てきました。

木村伊兵衛写真賞の過去30年間の受賞者は、該当者がなかった年(第9回)や、複数の受賞者が選出された年などを合わせると全部で36名なのだそうです。会場では、その受賞者の作品を約400点程展示しています。ボリュームは満点です。

受賞作は実に多種多様でした。報道写真的な要素の作品から、被写体にアート性を込めたような作品、それにネイチャーフォトと、この賞の守備範囲が相当に広いことを思わせるものが目立ちます。写真賞初期の70年代後半から80年代までは、当時の社会状況に斬り込んだような「主張」を感じさせるものが多く見られましたが、第10回には、光を高い質感で捉えた田原桂一がいきなり登場して異彩を放ちます。その後は、大自然や世界各地の風景や生き物を、美しく、時には奇妙に写した作品や、社会全体の風俗や文化、或はその残骸を見せるものが出てきます。90年代に入ると、被写体が急激に身近なものとなっていき、特に最近の受賞作では、社会との関係性をあえて断ち切るような、極めて個人的な世界をストレートに捉えているものが目につきました。それぞれがそれぞれに時代の空気や流れを汲み取ったものかもしれません。方向性はバラバラではありますが、一つの写真賞が積み重ねた年月の重みを見て取ることができました。

木村伊兵衛コーナーでは、昨年、30年ぶりに発表されたという氏のカラー作品「Paris 1954-1955」が目に留まりました。パリの賑わいをあまり構えないで捉えたような作品でしたが、人々の温かい表情と、作品そのものの味わい深さに惹かれました。これは必見だと思います。以前、近代美術館で拝見した個展(感想はこちら。)と合わせて、木村の高い魅力を改めて感じました。

川崎市市民ミュージアムへは初めて行きました。武蔵小杉駅からはバス便の立地ですが、ミュージアム近くまで行くバスを合わせると、本数はそれなりに多く確保されています。ミュージアムは、いわゆる「美術館」というよりも、行政の多目的な総合施設といった様相です。川崎の歴史を紹介した郷土資料館や、大きな屋内ステージが併設されていました。私が出向いた時は、ちょうど「中原街道時代祭り」というイベントが開催されていました。地元の方の着付けショーやカラオケ大会(?)などを横目に見ながら作品を鑑賞する。スピーカからの大音量にはさすがに集中力を削がされましたが、展覧会そのものは秀逸でした。おすすめできます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

ショルティとウィーンフィル 思い出の名演奏

N響アワー 「思い出の名演奏」 NHK教育(5/29 21:00~)

曲 R.シュトラウス/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
  ベートーヴェン/交響曲第7番

指揮 ゲオルグ・ショルティ
演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1994年にサントリーホールで行われたショルティとウィーンフィルの演奏会です。ショルティは生涯に七度の来日をしているそうですが、このコンサートが結果的に最後となりました。彼はこの三年後には天に召されたわけですが、それにしても82歳とは思えないようなエネルギッシュな指揮ぶりです。驚かされました。

乱暴な括り方をお許しいただければ、ショルティやセルなどの「ハンガリー系指揮者」は、オーケストラを厳格に統制し、そこから、筋肉質で引き締まった響きを最大限に引き出す巧さを持っているように思います。特にショルティは、その中でも最も音楽に「甘さ」や「揺らぎ」を付け加えない指揮者かもしれません。一曲目の「ティル」では、まさにそのような印象を受けます。目まぐるしく表情が変化するこの曲を、金管の硬質な響きにのせてテキパキと処理します。ウィーンフィルの甘美な弦の美しさも、彼の前ではギシギシと動く歯車の機械的な音のようです。

ベートーヴェンの第七交響曲では、「ティル」ほどの厳格さはありませんでした。ショルティの指揮姿は、体を小刻みにカクカクと動かしたり、目を突如ギョロッと見開いたりして何やら異様な雰囲気ですが、意外とゆったりとしたテンポで各主題を歌わせて、時折、アンサンブルをビシッと揃えていきます。感情的で有り過ぎない第2楽章の腰の据わった表現、それに、一音一音をパズルのように組み合わせて音の全体像を作り上げていった第4楽章の「構成美」が印象に残りました。

始めに「ハンガリー系指揮者」などという、適当なカテゴリーを作ってしまいましたが、もしそれが許されるなら、その中ではジョージ・セルが私の最も好きな指揮者です。ショルティの演奏は殆ど聴かないので、何とも言いようがありませんが、リングやマーラーのCD以外に、何か面白いものがあるでしょうか。今日の録画を拝見して少し興味を持ちました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「都市の模型展」 森都市未来研究所 5/21

森都市未来研究所(港区六本木)
「都市の模型展 -東京を視る- 」
2/5~7/10

森美術館と展望台を廻った後は、森都市未来研究所で「都市の模型展」を見てきました。東京とニューヨークの大きな都市模型が必見の展覧会です。

都市模型は、前にヒルズ開館記念の「世界都市展」でも拝見したので、二度目の対面になります。模型で再現されているニューヨークと東京は、いわゆる都心部だけに限定されています。前者がマンハッタンの南部とすれば、後者は中央線と山手線に挟まれた南側の地域でしょうか。同じ1000分の1の縮尺なので、一目瞭然の比較も可能です。建物の色や形まで細かく作られていて見応え十分です。何度見ても飽きません。

マンハッタンは極めて整然としています。道路で囲まれた一つ一つの正方形の区画は大きくとられて、そこに無数の超高層ビルが連なっています。ミッドタウンとダウンタウンの二つの超高層エリアが、直線上に連なって続いている姿も印象に残ります。高層ビルは、エンパイヤやクライスラーを始めとした尖塔を持つものが多く、まさにバベルの塔のような「上へ上へ」という意思を感じさせます。摩天楼は模型でも圧倒的でした。

それに対して東京は非常にゴチャゴチャとしています。無秩序な空間がひたすら連続しているとも言えるでしょうか。大手町から汐留・赤坂方面や新宿には超高層ビルが立ち並んでいるものの、他の大部分は低層の建物がびっしり詰まっていて、どことなくのっぺりとした印象を与えます。基本的にこの街は「横へ横へ」と拡大したようです。ただ、所々に池のようにぽっかりと佇む森は、意外にも東京には緑が多いことを気づかせます。立ち入りの制限された緑地が多いとはいえ、街の良いアクセントとなっているようです。私は、都心部の重厚なビル群よりも、低層の中から突然ニョキニョキと生え出したかのような新宿副都心のビル群のフォルムが美しいと感じました。

押井守監修による「東京スキャナー」は、前回、見逃してしまったのでじっくりと拝見しました。ノリの良い音楽にのせられながら、スピード感のある映像で構成される東京の姿。海ほたるから都心部への映像が特にカッコ良く、建物や、時には人物までスキャンする様が何やらゲーム感覚です。都心の水辺を捉えた「東京静脈」と合わせて楽しみました。

ヒルズの展望台から見た夕暮れの東京は靄がかかっていました。前から思うのですが、ここから見た東京は実に冴えません。世界最大の都市圏人口を抱えるという、未曾有の大都市の「広がり」は感じとれますが、展望台の視点が高すぎるのか、景色に締まりがないのです。重厚な都心部も、ここからはダラダラと高層ビルが連なっているだけに見えます。「東京は広すぎる。」ここへ来るといつもそう思います。(台場のフジテレビの展望台から望む東京港越しの都心、新宿の高層ビルから遠目に見る都心部、それに浜松町の貿易センタービルから見た東京の姿はなかなか圧倒的です。)

美術館と共通のチケットで入場が出来ます。難しいこと抜きに楽しめる展覧会でした。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「ストーリーテラーズ」 森美術館 5/21

森美術館(港区六本木)
「ストーリーテラーズ -アートが紡ぐ物語- 」
3/29~6/19

「秘すれば花 東アジアの現代美術」と同時開催中の展覧会です。会場がそちらと連続した形になっているので「続き」かと思ってしまいそうですが、こちらは全く別の独立した展覧会です。「アートを、小説のように読み、映画や演劇のように観る」(パンフレットから。)とのことから、物語性を喚起させるような作品、特にビデオアートが目立ちました。

デリーザ・ハバードとアレクサンダー・ビルヒラーの共作によるビデオアート、「シングルワイド」は、始めと終わりのない「物語」が延々と繰り返される作品です。一人の女性が車をトレーラーハウスへ突っ込ませます。彼女は何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に何度も車を急発進させてはトレーラーハウスを破壊するのです。夜の暗い雰囲気を背景とした鬼気迫る表情には惹かれるものがあります。彼女は何故にあのような破壊を繰り返していたのでしょう。不気味な破壊願望が見て取れました。

キャレン・ヤシンスキーの「怖れ」は、何に対して恐怖心を抱いてるのかが分からない男女の人形が登場するアニメーションです。飛行機上でオロオロしながら涙を流し続ける愛くるしい人形たち…。不自然に動く人形を見ていると仕舞いにバカらしくなってしまいますが、何故か二人に対しては同情心と共感を抱いてしまいます。単純に飛行機が怖いのか、それともまた別のものへの恐怖なのか…。フライトアテンダントの人形の優しい表情には、こちらが癒されました。

マーク・ウォリンジャーの「王国への入口」は、空港の到着ゲートから出てくる乗客の姿をスローで映しただけの作品です。様々な性差、人種、年齢の人間が、全く空港の雰囲気と調和しない重厚な聖歌のBGMをバックに登場してきます。解説によれば「何気ない風景が強制的にドラマ化される。」とのことですが、アートとは常にそういった要素をはらむものかもしれません。私は面白く見ることができました。

イケムラレイコさんによる質感の高い絵画作品も印象に残りました。また、エイヤ=リーサ・アハティラは、数年前にオペラシティでの個展を見てから気になっていましたが、上映された作品は前に一度見たことのあるものでした。出来れば新作を拝見したかったです。残念でした。

会場では足早に立ち去る方が多く見かけられましたが、ビデオアートを最後まで見ることとは、なかなか根気のいる作業かもしれません。構成はシンプルで分かりやすいものでしたが、その辺への配慮がもう少しあっても良かったように思いました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「秘すれば花 東アジアの現代美術」 森美術館 5/21

森美術館(港区六本木)
「秘すれば花 東アジアの現代美術」
3/29~6/19

こんにちは。

日中韓と台湾の現代アートを紹介した「秘すれば花 東アジアの現代美術」へ行ってきました。かなりゴチャゴチャとした雰囲気の展覧会でしたが、惹かれたものがいくつかありました。

森の影を捉えた小林俊哉の写真は、水墨画のような淡さと、写真のひんやりとした質感を合わせ持った美しい作品です。冷たい感触のするブレーメンの森の姿が美しく写されています。展示は、会場スペースの角に沿うようになされていますが、出来れば一直線に眺めて、その広がりを感じたい作品でもありました。霧に覆われるように全体がぼかされているのも好印象です。

分厚く塗り固められたワックスの層から、仄かに光が照される向山喜章の作品は、シンプルでありながらも剛胆な存在感が感じられます。中から朧げに輝いてくる光。電球などの光源があるわけでもないのに、その不思議な「明かり」に魅せられました。

須田悦弘の木彫の草花は、目立たない場所に佇む様が微笑ましい作品でした。また、山口晃による、独特のタッチで細かく描かれた和風(?)の鳥瞰図も面白いと思います。彼の作品は、最近、あちこちの展覧会で見かけますが、人気のある方なのでしょうか。どの会場でも一際異彩を放つかのような存在感です。

地味ながらも心に留まったのは、ソン・ヒョンスクの作品です。大きなカンヴァスに抽象的な線などが描かれているものですが、彼はその描いた線の回数を記録しながら画面へ挑む試みをしているのだそうです。作品そのものにも深みがありましたが、作家自身の「意欲」も感じられるものだったと思います。

ところで、この展覧会でとても残念に思ったのは作品の配置です。美術館によれば、東アジアにふさわしい風水の要素を取り入れた展示方法とのことですが、ハッキリ言いまして非常に見にくいです。作品同士の間隔もあまりないばかりか、それぞれの存在感を削ぐような見せ方さえしていると思いました。シュ・ビンの「鳥が飛ぶ」、それにスゥ・ドーホーの大きな屋根はもっとシンプルな空間で拝見してみたいものです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

フィラデルフィア管弦楽団 「マーラー:交響曲第9番」 5/23

フィラデルフィア管弦楽団 2005来日公演/東京

マーラー 交響曲第9番

指揮 クリストフ・エッシェンバッハ

2005/5/23 19:00 サントリーホール2階Pブロック

フィラデルフィア管弦楽団とエッシェンバッハによるマーラーの第9交響曲を聴いてきました。色々な意味で「凄まじい」演奏でした。

ところで、私は一昨年前に、北ドイツ放送響の来日公演で、エッシェンバッハの指揮を一回だけ拝見したことがあります。その演目は、確か「未完成」と「新世界」でした。当時、彼の指揮については賛否両論、色々と言われていることを耳にしていたので、余計な先入観ではありますが、相当に覚悟して聴いたことを憶えています。ただ、実際に接してみると意外と端正な音作りで、拍子抜けすらしました。深く印象に残っていません。ところが今回の演奏には心底驚かされました。一体何が異なっていたのでしょう。

音楽は各所で分裂し、そして破綻していました。一音一音がズタズタに切り刻まれているかのようで、全体としての統一感や均整なバランス感覚は殆どありません。第一楽章からして異様な雰囲気です。突如耳をつんざかんばかりの荒々しい強奏が現れたかと思いきや、そのまま死に絶えてしまうかのような静寂…。間合いの間隔やリズムも「うねり」を通り越した「荒波」のようで、こちらの感情を全て撥ね付けてしまう程、極めて主観的で没入的な演奏でした。ともかくもエッシェンバッハの感性が曲へ恐ろしい程入り込んでいます。これほどまでに指揮者が自らの演奏に陶酔する様を見聞きしたのは初めてです。

第3楽章が強烈でした。明と暗の対比が、音の強弱とリズムによって極限に強調されます。機能的なフィラデルフィア管弦楽団も、指揮台で荒れ狂うエッシェンバッハのタクトに必死に喰らいついていきます。狂気と歓喜、そして平安。彼はその全てをいっぺんに表現しようとしたのでしょうか。聴いていて背筋が寒くなりました。耳も頭も混乱させられます。情念が全く整理されずにそのまま音楽へ乗り移ったかのようでした。

細部への抉りとるような眼差しは、第4楽章に顕著に表れていたと思います。エッシェンバッハが一つ一つのフレーズに意味を持たせるように、輪郭を殊更恣意的になぞります。クライマックスへの高まりとその後の諦念的な静寂は、第3楽章の「嵐」がなければ全く意味を持たないのでしょうか。この楽章についての彼の表現には共感できませんでしたが、その解釈にも一理ありそうです。

フィラデルフィア管弦楽団は素晴らしいオーケストラでした。エッシェンバッハの指揮によるものなのか、アンサンブルはかなり乱れているように聴こえましたが、トロンボーンやハープによる一体感のある音色、強奏しても崩れることのないクラリネットの艶やかな響き、それに地鳴りのように轟くティンパニなどには唸らされます。私が今まで聴いたオーケストラの中では、最も華やかで力強い音だったと思います。

一体この日の演奏が、私にとって良かったのか、そうでなかったのかは、今をもっても分かりません。煮え切らなく拙い感想で恐縮ですが、音楽を聴いてここまで不可解な気持ちにさせられたのも初めてです。全てにおいて謎めいたマーラーでした。

*マイクが入っていました。後に放送されるかもしれません。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「小倉遊亀展」 三越日本橋本店ギャラリー 5/21

三越日本橋本店新館7階ギャラリー(中央区日本橋室町)
「小倉遊亀展 -生誕110年記念- 」
5/17~29

日本橋の三越で開催中の「小倉遊亀展」へ行ってきました。

以前、小倉遊亀の「浴女その一」の魅力について拙い記事を書きました。今回の展覧会では残念ながらその出品はありませんが、人物画から静物画までの幅広い小倉の画業を体験できます。見所の多い展覧会でした。

彼女の作品の中で特に惹かれたのは、可愛らしい梅が描かれた作品でした。「紅梅白壷」(1971年)は、首の長い端正な形の白壷に、淡いピンク色をした梅が差された味わい深い作品です。背景の灰色と青色の対比、また、壷の白色と梅の赤やピンク色の対比がメリハリを生みます。柔らかな優しげなタッチで仄かに色が滲みだす作品であるのに、確固とした存在感を得られるのは、その辺の色遣いによるものかもしれません。どの梅にもハッキリと雄しべと雌しべが描かれていて、今にも花開かんとするつぼみの膨らみにも魅せられました。

瑞々しさいっぱいの美味しそうな葡萄が描かれているのは、「古九谷鉢葡萄」(1975年)です。二房のぶどうはマスカットと巨峰でしょうか。一つ一つの実の色が全て微妙に異なっていて、リアリティーを感じさせます。また、ぶどうの受け皿となっている鉢(「古九谷焼」というのでしょうか。)も、ぶどうに勝るとも劣らない美しい質感を持っています。彼女は、この作品以外にも多くの壷を描いていますが、描かれた年代によって雰囲気が異なり、それぞれに別々の魅力が感じられました。チケットの表紙にもなっている「花三題(脇)」(1985年)も、艶の押さえられた素朴な味わいの壷が、差されている花の美しさを引き出します。「梅」と「壷」。彼女の筆がこの二つにかかると、断然魅力的な作品を生み出すようです。

キャプションには、描かれた年と彼女の年齢が描かれています。年齢と作品の関係を安易に結びつける見方もどうかとは思いますが、100歳を超えてから描かれた作品を前にした時には言葉を失いました。私には想像を絶する創作の世界です。驚異的でした。

小倉の作品からは、自然や人間に対しての温かい眼差しが感じられます。29日までの開催です。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )

新日本フィル 第385回定期演奏会 「ブルックナー:交響曲第7番他」

新日本フィルハーモニー交響楽団 第385回定期演奏会/トリフォニーシリーズ第1夜

ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」
ブルックナー 交響曲第7番

指揮 ヴォルフ=ディーター・ハウシルト
ヴァイオリン 戸田弥生

2005/5/20 19:15 すみだトリフォニーホール3階

こんにちは。

昨日は新日本フィルの定期演奏会へ行ってきました。知る人ぞ知る(?)というハウシルトのブルックナーを聴いてきました。

一曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲です。ヴァイオリンの戸田さんはこれまでも何回か聴いたことがありますが、いつもながらのマイルドな味付けで、ベルクの情緒的なフレーズをたっぷり聴かせてくれました。ハウシルトの丸みのある音像とも上手くマッチしています。抑制的なオーケストラと、ホールを包み込むように響く豊かなヴァイオリンの響き。この曲がこれほどまで調和的な一体感を持って演奏されるのを初めて聴きました。

ゆったりとした足取りで開始されたブルックナーの第7番は、最後まで息の長い堂々とした演奏でした。第3楽章のスケルツォこそ彫りの浅さが気になりましたが、雄大な第1楽章から長大なアダージョ、それにコンパクトでありながらも壮大なフィナーレは弛緩する瞬間が殆どありません。仕掛けもほぼ皆無で、音の大伽藍にひたすら浸ることができます。ハウシルトは、音を緻密に積み重ねて全体を作るよりも、曲の大きなアウトラインを示すことに徹して、後はオーケストラに伸び伸びと演奏させていたのではないでしょうか。時間と空間の広がりを無限なまでに感じさせます。時折、非日常を体感できるブルックナーの音楽ですが、それがさらに彼岸を思わせる音楽となっていました。滅多にはなかなか聴けないブルックナーだったと思います。

オーケストラは健闘していました。低弦と金管のパワー不足が否めない点はありますが、十分に立派だったと思います。私はインテンポで陰影の深い、ある意味で「厳格な構成美」を感じさせるブルックナーを好みますが、ハウシルトの一貫したアプローチには文句の付けようもありません。今後彼が新日本フィルでブルックナーを振る機会があれば、是非また聴きに行きたいです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

菊池芳文 「小雨ふる吉野」 東京国立近代美術館から

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
常設展示 「明治・大正期の芸術」(4階)
「菊池芳文 -小雨ふる吉野- 」(1914年)

これほどまでに圧倒的でかつ美しく描かれた桜があるでしょうか。吉野の山に延々と連なる満開の桜が繊細に、そして大胆に描かれています。竹橋の近代美術館で展示されている菊池芳文(1862~1918)の「小雨ふる吉野」です。

この作品で最も惹かれるのは、穏やかで気品すら感じられる桜の花びらの色です。ピンクでも白でもありません。これをまさに桜色と言うのでしょうか。それらは、淡い感触で一つずつ丁寧に描かれています。画面左半分に大きく描かれた満開の桜は、馨しい香りが辺り一面に漂っていそうな質感です。実物を超えるほどの美しさがここに表現されています。

吉野の山並みの奥深さを感じさせるのは画面右半分です。こちらは靄がかかっているような表現で、左半分の圧倒的な桜とはかなり異なった印象を与えられます。小雨の湿り気が示されているのか、どことなく幻想的な雰囲気も感じられました。

1862年に大阪で生まれた菊池芳文は、花鳥画を多く表し、「桜の名手」とも呼ばれていたこともあったそうです。作品のある展示室はやや薄暗く、月夜に映える夜桜を見物している気分にもなりました。日本画の醍醐味を味わえる作品です。

(アップした写真は作品の一部です。)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

ウィーンフィルとベルリンフィルの合同演奏会を聴く

速報 ウィーン芸術週間2005 NHKFM(5/18 19:20~)

曲 マーラー/交響曲第6番「悲劇的」

指揮 サイモン・ラトル
演奏 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

こんにちは。

ウィーンフィルとベルリンフィルの合同演奏会を聴いてみました。5月4日にウィーン楽友協会大ホールで録音された演奏です。

ところで、この演奏会は、言うまでもなく両オーケストラにとって初めての記念碑的なイベントです。実現までには多くの紆余曲折があったのではないかと想像できますが、解説の山口真一氏によれば、きっかけはラトルの誕生パーティの席上で出た何気ない話題からとのことです。ベルリンとウィーンの双方を股にかけた指揮者も結構多いと思いますが、この企画を実現にこぎ着けたのはやはりラトルの人望によるものなのでしょう。

演奏は、良い意味でも悪い意味でも中庸だったと思います。当然ながらピッチからして違いますから、ラトルも安全運転になってしまったのかもしれません。第2楽章の情感的な旋律美や、徐々に盛り上がっていきながらハンマーも勇ましかった第4楽章は聴き応えがありましたが、曲をあまり深く掘り下げるような印象がなく終わりました。ラトルとバーミンガムの演奏と比べると、随分と大味な感じがします。もちろん、比べることそのものが野暮なことではありますが…。

第一、第二ヴァイオリンの主席はベルリンフィルから、ヴィオラ、チェロのそれはウィーンから、そしてメンバーもほぼ半分ずつ、さらには公演もベルリンとウィーンの両都市で一回ずつと、全てが半々に分けられた企画だったそうです。伝統と革新を持ち続けた両オーケストラのことですから、どちらかに肩入れをするようなことがあれば全てが駄目になったかもしれません。次回はあるのでしょうか。手慣れていくと、もしかしたら今までにない表現が聴ける演奏になるようにも思いました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「クールベ美術館展」 三鷹市美術ギャラリー 5/14

三鷹市美術ギャラリー(三鷹市下連雀)
「クールベ美術館展 -故郷オルナンのクールベ- 」
4/16~6/5

こんにちは。

三鷹市美術ギャラリーで開催中の「クールベ美術館展」を見てきました。フランス北東部オルナンにあるクールベ美術館所蔵のクールベの作品と、その周辺や関連の画家の作品が展示されています。彼の生き様や、絵画史的な位置づけをも鑑みることができる展覧会でした。

先日、新宿の東郷青児美術館の「フランス絵画展」で「出会い、こんにちはクールベさん」を含めた彼の作品をいくつか拝見してきたばかりですが、そちらと比べると小粒な印象を受けるものが多かったかもしれません。彼の作品は一般的に「写実主義」と呼ばれるそうですが、どことなく印象派を思わせるような温かみも感じさせます。また、綿飴のようなふんわりした雲や、刺々しく半ば荒っぽく描かれた木と葉は、半ば抽象的ともいえる表現で描かれている部分がありました。興味深いものです。

展示の中心は初期から晩年にかけての風景画でした。仕上げの完成度にややムラがあるのか、同じ作品の中にも、とりわけ良く描かれている部分と、そうではない部分が同居しているように思いました。例えば有名な「シヨン城」です。小さな屋根が可愛らしい城の描写や、画面左下の岩肌と湖面がせめぎあう質感は素晴らしいと思いましたが、画面中程の水色の湖面の表情はやや平板な印象です。少し勿体ないようにも思いましたが、どうでしょうか。

クールべ以外の作品で気になったのは、ケルビノ・パタの作品です。パタのタッチは実に繊細です。雪山で女性が薪を集めている姿を描いた「薪を集める女」は、粉雪が地面で舞っているような表現と、荒々しい質感の木肌に積もる細かい雪の質感が良いと感じました。枝や葉の表現こそクールベに及ばないかとは思いますが、光の陰影の深さや軽やかな空気感は「師匠」にない味わいがあります。魅せられました。

この展覧会で最も印象的だった作品は、強烈な色彩感と黒い輪郭線の荒々しい様が面白いビュッフェの風景画です。ただ、これは「反則技」かもしれません。時代があまりにも違いすぎます…。

三鷹市美術ギャラリーは初めて行きました。やや手狭ではありますが、駅前という利便性の良さと、どことなくのんびりとした雰囲気は好印象です。過去の図録がいくつか並んでいましたが、結構面白そうな展覧会も開催していたようです。日常的にチェックしてみたい美術館がまた一つ増えました。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

「梅原龍三郎 晩年の造形と所蔵品」 渋谷区立松濤美術館 5/15

渋谷区立松濤美術館(渋谷区松濤)
「梅原龍三郎 晩年の造形と所蔵品」
4/5~5/15(会期終了)

こんにちは。

「日経おとなのOFF」を読んで気になっていた渋谷の松濤美術館へ行ってきました。洋画家の梅原龍三郎の晩年を中心とした作品と、彼の愛蔵した美術品を紹介する展覧会です。会期最終日の駆け込みでした。

梅原の作品は、何回か竹橋の近代美術館で拝見したことがあります。この展覧会でも竹橋から持ってきた作品が多く並んでいました。失礼ながら、普段はあまり注意して拝見したことのない方だったのですが、こうしてまとまって見るとやはり印象に残ってきます。タッチは、太い線を基調としながらも、決して塗りたくったような強引さはありません。どちらかと言えば、そっと撫でるかのようにカンヴァスへ油絵具を置いているようです。一見、剛胆な作風に見えますが、実際はなかなか繊細で、幽玄な雰囲気すら感じられると思いました。西洋画の移入に努めた梅原ですが、彼の関心は中国や日本の伝統的な芸術品にも多大に払われています。ルノワールの影響云々だけでは語れない芸術世界があったようです。

この展覧会で最も良かった点は、梅原の作品と、そのモデルとなった美術品が同じスペースに展示されていることです。二点を見比べることで、彼が対象物をどのような視点で置き換えたのかが理解しやすくなっていたと思います。ギリシャの古美術品から日本の屏風画、それにイタリアの古い壷…。古今東西の遺物を、先ほども書いた彼独特のタッチで表します。これは面白く見ることができました。

興味深いのは、自画像の作品に多く見られた、金板の上に絵の具を載せて描いている作品です。金の持つ眩しい光沢感と、絵の具のしっとりとした味わいはあまり相容れないように思いましたが、日本の屏風画で使用されている金箔の美しさを見ると、両者のつながりを朧げに感じました。不思議な感覚です。

松濤美術館へは初めて行きました。道路から奥まった場所にある目立たないエントランスは、花崗岩で覆われた質感もあってか、何やら洞窟へ宝探しにでも行くような気分になります。非常に個性的です。内部も、塔のような筒型の構造で、中央部分は噴水が印象的な大きな吹き抜けとなっています。階段の曲線と照明も美しく、エレベーターを使って移動するのが勿体ないくらいです。また、喫茶室が展示室と一体になっているのには驚かされました。作品保護の観点から見れば問題がありそうですが、作品に囲まれながらコーヒーを楽しむのは贅沢な一時です。備え付けのソファもふかふかでした。

渋谷の喧噪とは別世界の静寂を得られる美術館です。また面白そうな展覧会があれば是非行きたいと思いました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

「神田祭 神輿宮入」 神田明神にて

こんにちは。

家人が職場の関係で神田祭に参加するというので、見物に行ってきました。もの凄い熱気でした。

神田祭は一週間程度開催されているそうですが、この日行われたのは祭のハイライトでもある「神輿宮入」です。神田地区の各町会の神輿が、神田明神へ押し寄せます。約100基もの神輿が集まるのだそうです。


各町会から神田明神へ神輿が集まります。


なかなかの迫力でした。

狭い参道をもみくちゃになりながら威勢良く神輿が進みます。


前へ前へとゆっくりすすみます。

無知な私は、神輿の掛け声は「ワッショイ!ワッショイ!」かと思っていましたが、実際は「セイヤ!セイヤ!」でした。勇ましい掛け声です。


境内へ入るために門をくぐります。ここは慎重に進めていました。


境内へ入った神輿です。再び盛り上がります。この後お祓いです。そして再び街を練り歩きます。

相変わらず「下手な技術+低画素のデジカメ」でどうしようもない写真ですが、少しは熱気が伝わるでしょうか。

実際に神田明神へ入るのも初めてでしたが、予想以上の盛り上がりです。伝統のあるお祭りなので見応えも十分でした。(神輿を担いだ当人は、クタクタになって帰ってきました…。でもとても楽しかったそうです。次は二年後に!)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

「音のパレット」 N響アワー(NHK教育) 5/15

こんにちは。

先ほどまで「N響アワー」を見ていました。何気なくTVの前に寝そべっていただけですが、丸々一時間視聴したのは久しぶりです。

今日の放送は、「池辺晋一郎の音楽百科」とのことで、「24色の音のパレット」というお題でした。音楽の長調と短調を合わせた24の調性を「色」にたとえて、曲を「絵画」を見るように分析(?)する内容です。ハ長調の壮大で勇壮な響きには「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」を、また、ハ短調ではマーラーの「復活」の冒頭などが挙がっていました。音楽理論の素人である私にとっての「調性」とは、どうも中学・高校時代の「音楽」での悪戦苦闘(作曲や理論は大の苦手でした…。)につながってしまうのですが、今思うと「調性」を意識しながら聴くのも、クラシック音楽を味わう楽しみの一つかもしれません。

変ホ長調として取り上げられたのは、モーツァルトの交響曲第39番でした。指揮はツァグロゼクです。(一昨年11月のB定期でしょうか。)全体が引き締まった見通しの良い感触で、私の好きなタイプの演奏でした。確かこの時は、私もA定期のマーラーの第四交響曲をホールで聴いたと思います。精緻な指揮ぶりが印象的な音楽でした。ツァグロゼクはシュトゥットガルト州立歌劇場の音楽監督としてご活躍されていて、DVDも多くリリースされていますが、この演奏を聴くと改めてまた生で聴いてみたいと思います。

最後に放送されていたのは、デュトワ指揮のメシアンの「神の現存の3つの小典礼」です。これは実際にホールで聴きました。(昨年の1月です。メインはフォーレのレクイエムでした。)オンド・マルトノの響きがとても楽しく、大井さんのピアノと合わせて、曲の意味そっちのけで聴き惚れていたのを覚えています。番組では、ワーグナー以降の調性の揺れを実感できる音楽として紹介されていましたが、この音楽に色を付けるとどうなるのでしょうか。暗闇の中に小さく瞬く白銀の光。宇宙の深遠なイメージが頭をよぎります。一つの色で表すのは少々難しいようです。

(若村さんから大河内さんへ交替されてから初めてじっくり見ました。まだ少々ぎこちない印象も受けましたが、そのうちに手慣れていかれるのでしょう。池辺さんのお好きな「ギャグ」も軽く対処なさることと思います…。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

訪ねてみたい美術館 「日経おとなのOFF」6月号を読んで

こんにちは。

Takさんのブログで知りました。「日経おとなのOFF 6月号」です。恥ずかしながら一度も手にしたことのない雑誌でしたが、早速購入してみました。(それにしても「おとなのOFF」なんて、私には勿体ないタイトルです…。)

巻頭特集は、これまた「『おとなの』美術館」です。「全国の美術館『ベスト50館』を全て見せます!」とのことで、「いま旬の~」や「都会のオアシス」などのキャッチコピーの元に、全国津々浦々の様々な美術館が紹介されています。また、「日本の美術館ベスト100」という付録も付いていました。これは、美術館の地図や所蔵品などの基本的なデータがコンパクトにまとめられている冊子です。何かと重宝しそうです。

ということで、雑誌の内容は極めて旅愁を誘うものとなっています。世界ならまだしも、日本の美術館だけでこんなにたくさんあるのかと自問してしまうぐらい、魅力的な美術館がたっぷり載せられていました。

そんな中で、私が特に行ってみたいと思ったのは、

金沢21世紀美術館(石川県金沢市)
国立国際美術館(大阪市北区)
地中美術館(香川県香川郡)
渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区)
大原美術館(岡山県倉敷市)
ハラ ミュージアム アーク(群馬県渋川市)
熊本市現代美術館(熊本県熊本市)
豊田市美術館(愛知県豊田市)

です。多すぎます…。

「金沢21世紀」と「地中美術館」、それに「豊田市美術館」は、かなり前から行きたいと思っている美術館です。この雑誌を読んで背中を押された気分になりました。いい加減に足を運ばなくてはなりません。「金沢21世紀」はまだ賑わっているのでしょうか。リピーターも多いと書かれていました。UFOのような不思議な丸い建物に是非触れてみたいです。

大阪の「国立国際」は、万博公園にあった時に、学校の遠足(?)で何回か行ったことがありますが、中之島へ移転してからは一度もありません。梅田、中之島界隈は最近著しい変貌を遂げているので、その中でどのような存在感を見せているのかも気になります。写真では、エントランスのスチールの構造物もカッコ良く見えます。

身近な場所では「渋谷区立松濤美術館」です。何度も前を通ったことがあるのに、中へ入ったことがありません。15日まで梅原龍三郎の特別展も開催しているそうなので、明日明後日にでも訪ねてみようかと思います。危うくまた行きそびれるところでした。

雑誌でも大きく取り上げられている「川村記念美術館」や「神奈川県立近代美術館葉山館」などは、私もお気に入りの美術館です。もちろん、行きなれた上野の西洋美術館や木場のMOT、それに原美術館なども良いですが、川村や葉山はちょっとした小旅行気分を味わえます。開放的な雰囲気で、東京近郊にありながら「非日常」を味わえます。

(番外編:私は高い場所があまり好きではないので、「森美術館」と「損保ジャパン東郷青児美術館」は苦手な美術館です。何故あんなに高い場所に美術館を設置したのか分かりません。作品の運搬や維持管理にも余計な負担がかかるように思います。ただ、二つの美術館とも企画が面白いので、結局は足を運ぶことになりますが…。)

皆さんおすすめの美術館はどちらでしょうか。ちなみに今月号の「東京人」でも美術館の特集(「建築を見に、美術館へ。」)が組まれていました。こちらは建築としての美術館にターゲットを絞った硬派な企画です。まだ細かく読んでいませんが、なかなか面白そうな内容でした。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ