「CHIKAKU/四次元の対話」 川崎市岡本太郎美術館 6/25

川崎市岡本太郎美術館(川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内)
「CHIKAKU/四次元の対話 - 岡本太郎からはじまる日本の現代美術」
4/8-6/25(会期終了)



森山大道、杉本博司、やなぎみわ、須田悦弘と聞けば足を伸ばさないわけにはまいりません。前々からかなり気になっていた展覧会だったのですが、会期最終日にようやく見ることが出来ました。昨年、オーストリアとスペインで開催されていたという、「日本の知覚」展(EU市民交流年事業)の帰国展です。



岡本太郎を出発として、1970年代以降の日本の現代美術を紹介していきます。残念ながら、杉本の「劇場」シリーズや、やなぎみわの「砂女」などは、以前に別の展覧会で拝見したことのあるものでしたが、それでもインスタレーションや写真、それにオブジェなどを組み合わせて、ビックネーム揃いのコンテンポラリーの面白さを伝えてくれました。楽しめます。



まずは、いつも何気ない場所に展示されている須田の花のオブジェです。今回は二点ありました。一つは目立つ場所に堂々と飾られていましたが、もう一つがこれまた分かりにくい場所に展示されています。しばらくこの花探しをしていると、昨年度の資生堂ギャラリーでの「life/art'05」展を思い出しました。結局、あの展覧会も、須田の花が何個飾られているのかと言うことばかりに目がいっていたと思います。やはりどうしても探してしまうものです。



大掛かりな装置で、まるで風に靡く葦を表現した渡辺誠の「Fiber Wave2」も存在感がありました。無数に林立するプラスチック製の葦。巨大なファンによって絶え間なく風が送られている。中に入ることが出来ました。ちょっとした通路のようになっています。美術館入口すぐに展示されていた森脇裕之の「Lake Awareness」(こちらは青色のLEDが半円立体状にて美しく映える作品です。)と合わせて、とても居心地の良いインスタレーションでした。



荒れ狂う奄美の海をカメラに収めた、中平卓馬の「奄美大島」も見応え十分です。青い海と空。打ち砕かれた白波に注ぐ陽の眩しい光。ともかく海の重み、その質感が非常に良く伝わってくる美しい作品です。まるで波が粘り気を帯びているかのように一個の塊となっている。粘土のように延びては縮んでいく。その姿を自在に変えていく海の圧倒的なダイナミズム。決して大きな作品ではありませんが、そのボリューム感は強烈です。海にのまれてしまう錯覚さえ起こします。



日高理恵子の「空との距離」もなかなか魅力ある絵画です。麻紙に岩絵具という素材で、モノトーン的な味わいを最大限に生かしながら、空に舞った木の枝を表現しています。ちょうど春を間近に控えた頃の寒空にて、木を下から真上にして見上げた感覚でしょうか。まだ葉が一枚もなく、蕾みが大きく膨らんでいる。絵の中にある独特の遠近感が、空、木、そして見る者の距離感を巧みに表現しています。一見、地味な印象ではありますが、私は好きな作品です。



草間のオブジェ「死の海を行く」や、中村哲也や小谷元彦のオブジェ(パンフレットの表紙です。鍾乳洞のようです。)も見応えがありました。岡本太郎との繋がりがあまり見えてこないのと、タイトルの意味が今ひとつ伝わってこない部分もありましたが、まずは見て良かったと思う内容でした。出来れば、これからもこの美術館の企画展はチェックしていきたいです。
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「アップルパイのセット」 カフェテリアTARO 6/25

「カフェテリアTARO」
川崎市岡本太郎美術館
アップルパイのセット

先日のエントリでも少しご紹介しました。岡本太郎美術館の中にあるカフェです。その名もズバリ「カフェテリアTARO」。全面ガラス張りの明るいお店でした。少し混雑していましたが、待つことなく席に座ります。(座席数はそれほど多くありません。少し混雑するとすぐに満席となるようです。)



カフェ外観。美術館の内部からも直結しています。

晴れた日には外のテラス席も気持ちいいのではないでしょうか。(この日はあいにくの天候でした…。)注文したのは、甘いものには目がない私としては見逃せないケーキセットです。アップルパイとアイスコーヒー。お値段は630円でした。


「TARO」の文字が踊るメニュー。


ケーキセット。


ケーキはとても古風なお味です。(昔懐かしき昭和の味?)また、このカフェは、以前にこのブログでもご紹介した横浜美術館の「カフェ小倉山」と同系列のようです。と言うことで、おそらく出されたケーキも小倉山と同じものかと思われます。そう言えば小倉山で食べたケーキもどこか懐かしいお味でした。


店内からそばの滝を望む。


カフェそばにはこんなオブジェも。怪獣?!水面には鴨が…。(それにしてもこのセンスは!!)


もちろん食事も出来るようです。詳しくはHP掲載のメニューをご参照下さい。
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生田緑地から川崎市岡本太郎美術館へ

「CHIKAKU/四次元との対話」展を見るために、先日、川崎の生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館へ行ってきました。拙いですが、いくつか写真を撮って来ましたので、少しこちらに載せようと思います。

生田緑地の最寄り駅は小田急線の向ヶ丘遊園駅です。雑多な駅前を抜けて、交通量の多い幹線道路をひたすら歩きます。約15分ほどだったでしょうか。大通りを離れて脇道へそれると大きな森が見えてきました。そこが生田緑地の入口です。



生田緑地入口。入場は無料です。

生田緑地は岡本太郎美術館の他に、広場や森、それに日本民家館やプラネタリウムなどの施設が整備されています。あいにくこの日はあまり時間に余裕がありません。とりあえずはまず美術館を目指しました。美術館はちょうど敷地の一番奥。森の中をどんどん進みます。外の排気ガスがシャットダウンされたのでしょうか。空気が入れ替わりました。涼しく心地良い風が頬をなぞります。


鬱蒼とした森の中。


まさかこれほど大きな緑地とは知りませんでした。


こんなお花も!(ピンぼけしてます…。)


しばらく森の中を歩いていると大きな階段が見えてきます。岡本太郎美術館です。傾斜を上手く利用した建物でした。ちょうど施設が地下に埋もれる形になっていると言えば良いのでしょうか。もちろん屋外には岡本太郎の彫刻作品もいくつか展示されています。


美術館入口。


カフェです。(これについてはまた後ほど別のエントリにアップします。)


上から見るとこんな感じでしょうか。奥に見える森が、歩いて来た駅の方向です。


屋上のモニュメント。一目で岡本太郎と分かるところが彼のまたスゴい部分なのかもしれません。


美術館の内部は斬新です。あまり美術館らしくありません。(どちらかと言えば、アミューズメント施設のような構造です。)常設展示はもちろん岡本太郎一色。実はまだ、私は彼の魅力を理解するに至っていないのですが、彫刻、絵画、さらにはその半生を紹介したコーナーなど、どれも分かり易く展示されていました。また岡本がデザインした椅子なども置かれています。(もちろん実際に座ることも可能です。)それにしても、岡本の作品に囲まれると、何やらSFの世界に迷い込んだような錯覚さえ感じます。奇異な世界です。

美術館で開催されていた「CHIKAKU/四次元との対話」展については、また後日に感想を書きたいと思います。
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「現代中国の美術展」 日中友好会館美術館 6/18

日中友好会館美術館(文京区後楽1-5-3)
「中国第10回全国美術展受賞優秀作品による 現代中国の美術展」
5/20-7/2



全国巡回中(新潟市美術館や茨城県近代美術館にて開催済。)の「現代中国の美術展」が、今、文京区の日中友好会館にて行われています。「新世紀を邁進する現代中国の美術の底力を感じ取ることができる」(パンフレット)ということで、先日少しのぞいてきました。

この展覧会は、1949年から4年に1度のペースで開催中されている中国最大の公募展(全国美術展)の入選作品から、さらに選りすぐりの95点が集まったものです。そして今回は、最近に開催された2004年の作品が展示されています。もちろんジャンルも、中国画(日本画の技法と殆ど変わりません。)や油彩画、それに水彩画から漫画までと多種多様です。また総じて大きめの作品が多く、見応えも十分でした。



まず目立つのはリアリスム絵画です。ともかく、画家の技巧を誇示するかのような超写実的な作品が多く目につきます。そしてその中では、パンフレット表紙にも掲載されているロン・ジュンの「モナ・リザ(微笑のデザイン)」があまりにも圧倒的でした。一見しただけでは油彩画とは分からないほどの精巧さ。くっきりとした目鼻に長く端正に伸びた黒髪。口元が少し緩んでいる。眉毛の質感から衣服の綻び、それに爪の先までが極めて丁寧に表現されています。それにしてもこのリアルさは不気味です。美しさを通り越して、居心地の悪さすら感じてしまう作品でした。まるで実体のない、お化けを見ているかのような錯覚さえ与えます。



ヤォ・ジェンホワの「レンズの前の少女」は、水彩表現にてリアリスムを追求した作品です。燦々と降り注ぐ明かりに照らし出されたチベットの光景。民族衣装を身に纏っているのでしょうか。カラフルなスカートが美しく照り出しています。そして手前の石段や段上の門の装飾の質感。写真からなぞって色を付けたのではないかとさえ思ってしまうほどです。この徹底した写実性。ただひたすらに驚かされました。

社会的なテーマを扱う作品よりも、身近な光景を捉えた中国画や版画の方が魅力的です。私がまず惹かれたのは、水墨画と中国画の技法を織り交ぜた趙建成の「西部は歌う」でした。衣服の模様が抽象的に描かれ、墨と顔料が美しく溶け合っています。そして画面から浮き出したリアルな顔の表情。何枚か張り合わされた紙の質感もまた美しい。また版画では張白波の「紅晴日」が一推しです。中国が誇る万里の長城。それを無限に連なる山々と重ねて捉えています。赤茶けた大地に降り積もる雪。作品自体が大きくなく、小さな画面に折重なる山々が描かれているのもまた魅力です。見ていて肩の凝らない、素朴な味わいが好印象でした。



さて、中国の政治体制を考えると当然ではありますが、いわゆるプロパガンダ的な作品も多く見受けられます。民族衣装を身につけた多くの人々が五星紅旗の元で笑顔を見せる「民族団結」や、「中華民族の決起を示した」(キャプションより)という「帰還者」(神舟5号の宇宙船が描かれています。)などはその一例と言えるでしょう。それに、北京で開かれた本展には、旧日本軍が南京で降伏文書に調印した光景を描いた巨大な歴史画が展示されていたそうです。また、いわゆる社会派的な作品も多く展示されていましたが、一言で示せば、その殆どは社会のひずみに深く切り込むことなく終っています。あまり面白いものがありません。いくら公募展だからとはいえ、総じてこれほど体制の臭いがする展覧会もそうない。しかもそれがまたタイムリーに制作されている。これには一種の恐怖感すら覚えてしまいます。

とは言え、絵だけを見れば、非常に優れた作品がいくつも並んでいました。また政治色の強い作品が展示されているということは、ある意味で今の中国の社会の有様を包み隠さずに示していることにも繋がります。その点も含めて見ておきたい内容かと思いました。来月2日までの開催です。
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「レンズを通して語る 地中海の神話」 イタリア文化会館 6/25

イタリア文化会館(千代田区九段南2-1-30)
「レンズを通して語る 地中海の神話 ミンモ・イョーディチェ写真展」
4/27-6/25(会期終了)



いつも山種美術館で展覧会を見終えた後は、神保町へ繰り出して本屋などを幾つか廻ります。この日も「緑雨の景観」展を見て、直ぐさま千鳥が淵の方向へと歩き始めました。ところが、一緒にいた連れの一言、「イタリア文化会館で何かやっていたような…。」で思い出します。そうです、すっかり忘れていました。ちょうどこの日まで開催されていた写真展です。イタリア人のミンモ・イョーディチェによる、地中海の遺跡を撮影した展覧会でした。

 

彼のモノトーン的な写真はとても動的です。ピントを意図的にずらしているのでしょうか。対象が半ばぼやけているように収められていました。そして被写体は、古代ギリシャ、あるいはローマの遺跡です。どれも彫像などを大きくクローズアップするようにして、その存在感を強調します。またどの写真からも、その遺跡に詰め込まれた時の長い経過が感じられました。ただいくつかの作品、特に彫刻作品では、まるでつい先ほどまで生きていたかのような気配さえ漂わせている。生き生きとしたポーズ。見開いた目。どれも力感に溢れていました。



光の陰影をとても大事にして表現しているのでしょうか。海を撮影した作品からは海の透明感が、また遺跡内部を撮影したものからは石の重みがぽっかりと抜け落ちて捉えられています。つまり、そこに当たった光だけが、美しい影を従えて示されているのです。また、パンフレットには「静謐さと緊張感の漂う」とありましたが、私には特に被写体と撮影者(ミンモ)の間との緊張感を強く感じました。ただ、少なくともあまり静謐ではありません。その場のかつての賑わいを想起させるような、ガヤガヤとした写真が目立ちます。



入場は無料でした。イタリア文化会館は、オープニングのエトルリア展以来すっかり音沙汰がありませんでしたが、思わぬ偶然にて、しかも閉館間際の滑り込みで見ることが出来ました。これからも是非、このような写真を含めたイタリアのアートを紹介していただきたいものです。
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「緑雨の景観」 山種美術館 6/25

山種美術館(千代田区三番町2)
「緑雨の景観 - 美しき日本の自然 - 」
5/13-6/25(会期終了)

皮膚にまとわりつくような湿り気にどんよりとした曇り空。今年の梅雨はいかにもこの時期にふさわしいじめじめとした毎日が続きます。そんな季節にぴったりの展覧会かもしれません。山種美術館の「緑雨の景観」展へ行ってきました。



今回の展示で最も惹かれた作品が、この山口蓬春の「梅雨晴」(1966)です。私はあまり紫陽花が好きではなく、実際に見に行くことはまずありませんが、この画の紫陽花は実に控えめで美感に溢れています。全くうるささがなく、静かに咲き誇る紫陽花の花。そして滲み出す青や紫の顔料の瑞々しさ。または湿り気を受けて大きく成長した葉っぱ。梅雨の間の僅かな陽の光を浴びているのでしょうか。花びらが所々白く仄かに照り出しています。曇り空の下で無数に咲き乱れているのではなく、少し乾いた空気の中で爽やかに咲いている。この花にありがちな重々しさが殆ど感じられません。明るい気持ちになるような作品でした。



山種ではお馴染みの菱田春草や川合玉堂なども並んでいます。その中では菱田春草の「釣帰」(1901)が特に美しい作品でした。霧のかかった水辺に浮かぶ一艘の小舟。遠くの木々が微かに浮かび上がっている。私は春草と言うと、いつも精緻に描かれた草木の作品を思い出しますが、このような情緒的な味わいのある作品もまた良いものです。またその他には、宇田荻邨の「五月雨」(1967)や、池田輝方の「夕立」(1916)なども魅力的でした。

次回展覧会は「旅と画家」(7/1から)が予定されています。私の大好きな速水御舟から、佐伯祐三の洋画までが展示されるとのことです。こちらも忘れないようにチェックしていきたいと思います。

ぐるっとパスを使いました。
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「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第3期」 6/18

宮内庁三の丸尚蔵館(千代田区千代田1-1 皇居東御苑内 大手門側)
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第3期」
6/3-7/2

尚蔵館で開催されている若冲展もいよいよ第3期目を迎えました。今回は若冲以外にも、「渡来の中国絵画」と題された、中国の元・明の時代の絵画が大変に優れています。いつも若冲についてばかり書いてしまっているので、今度だけはこちらから感想を進めていきたいと思います。



まずは伝趙昌の「牡丹図」(元 14C)からいきましょう。美しく映えたピンクと紅色の牡丹。花びらはひらひらと風に舞っているように大きく開いています。若冲の描く牡丹よりも少し大振りでしょうか。そして画面左下で咲く一輪のたんぽぽ。とても可愛気です。また右下のたんぽぽは花が既に落ちてしまっているのでしょうか。葉っぱだけがむなしく残っていました。



続いては伝李安忠の「竹粟に鶉雀図」(元 14C)です。竹に飛来した何羽もの雀と、その下で群れる鶉たち。それぞれ、雀は17羽、鶉は9羽ほどいるようです。それにしてもこの雀の表情、実に生き生きとしています。この空間にしてはやや多過ぎるようにも思えますが、羽を広げて舞っていたり、また栗を嬉しそうに啄んでいたりと、とても忙しなく動き廻っていました。(栗を啄む雀と言えば、今回展示されている若冲の「秋塘群雀図」も同じです。)一方の鶉は、鳥と言うよりもどこかモグラのようにずんぐりとしています。飛んでいる一羽を除けば、皆、羽を休めてしばらく休憩ということなのでしょうか。竹笹のくびれた表現など、植物も丁寧に良く描かれていました。



そして伝銭選の「百鳥図」(明 16C)。私が今回の展覧会で一番惹かれた作品です。何と言っても中央に立つ二羽の鳳凰が目立ちます。百獣の王ならぬ、無数の鳥を従えて、威風堂々と陽を仰いでいる。また表情はまるで仏様のお顔ようです。さすがに霊鳥ということで、他から隔絶した非リアルの顔を持っています。何とも有難いお顔です。また首筋から尾にかけての描写も見事です。まるで艶やかな着物を纏っているかのように、精緻に美しく描かれています。青や赤の色とりどりに配された鳥たちと、勇壮でいて、またどこか可愛らしくもある鳳凰のコラボレーション。若冲の鳳凰図の展示も待ち遠しいところではありますが、ここで思わぬ魅力的な作品に出会うことが出来ました。これは一推しです。

中国絵画では、他にも「墨梅図」や「餐香宿艶図巻」などが見応え満点です。ただ、それらの感想を書いていくとさらにエントリが長くなってしまいます。と言うわけでやはり若冲です。いつものように一点ずつ挙げていきます。


「梅花小禽図」(作品番号2-2)

梅の木だけをとれば、「梅花皓月図」と構図が似ているかもしれません。特に中央部分の幹の描写でしょうか、大きく右へ反り、その上で縦方向に伸びていく様子がかなり似ています。(全体的に右下の部分に多く余白がとられているのも同様でしょうか。)また、画面下部の地面の描写はとても大胆です。サッサッと墨を引いたかのようにして瞬く間に地面を作り出してしまう。そして草がまるでひげのように生えていました。興味深い描写です。


「秋塘群雀図」(作品番号2-4)

実際にも雀が群がって飛ぶ光景はよく目にしますが、ここまで一直線になって飛来していたら、おそらく恐怖感すら覚えてしまうでしょう。栗を啄んだ雀たちは、それこそ餌にありついて大忙しとでもいうように生き生きと動き回っていますが、ともかく飛んでいる雀たちは、まるで編隊を組んだ飛行部隊のように整然と並んでいます。そして中央の白い雀。何故かこれだけが真っ白です。ただだからと言って特別大きく描かれていたりするわけでもなく、不思議と群れに溶け込んでいます。一見、目立つようでも、全体には殆ど違和感を与えていない。彼は一体何者なのでしょうか。


「紫陽花双鶏図」(作品番号2-6)

今の季節にぴったりな作品です。角張った紫陽花の花びらが一枚一枚丁寧に重ねられていました。もちろん色は皆それぞれ微妙に異なっています。しその葉を大きくさせたような葉っぱと、複雑に絡み合った枝の様子。紫陽花の全体の特徴を見事に捉えています。そしてその下で構える二羽の鶏です。左の鶏は黒い尾をこれ見よがしと伸ばして、いかにもこのためにポーズをとったような印象を与えますが、右側の鶏がかなり滑稽な仕草をしています。ひょいっと足を頭に載せている。頭がかゆくなってしまったのでしょうか。実に奇妙です。またその鶏の羽の部分にも注目したいところです。まるで水玉模様が浮き出ているかのように描かれています。草間のドットも真っ青(?)なほどに精緻で立体的な描写。これには驚かされました。


「老松鸚鵡図」(作品番号2-12)

二羽の鸚鵡の透き通るような羽も美しいのですが、それよりも目が引かれたのはその鸚鵡の止まった木の描写でした。徹底して緻密に描かれた鸚鵡とは対照的です。あまりにも大胆でダイナミックに伸びた木。今にも下から突き上がってきそうなほど、グイッと力強く曲がっています。またその木肌はまるでヘビの模様のようです。とても生々しく感じました。


「芦鵞図」(作品番号2-13)

とても大きな鵞鳥が描かれた作品です。それにしても何とも間抜けなその表情。ガーガーと鳴き声をたてているのか、口元が大きく開いています。そして、この作品も上の鸚鵡図と同様に、背景の描写に目が引かれました。墨を、半ば粗雑とも言えるように大きく引き伸ばして、草の茂る様子を巧みに表現している。まるで鵞鳥に大きく被さって、今にも襲いかかろうとしているようです。静的でどっしりとした鵞鳥と、非常にザワザワとしている動的な草の表現。その対比も見事かと思いました。


「蓮池遊魚図」(作品番号2-17)

魚を描いた作品がようやく登場しました。相変わらずどこから捉えているのか分からないような謎めいた構図です。ただし、四方を囲む蓮を額と見立てて、スイスイと泳ぐ魚をその中に置いたと考えれば、何ともバランスの良い一枚の絵画が完成します。またもちろん、絵具が溶け出しているように瑞々しい蓮の花や、枯れた部分まで細かく表現された葉の描写も見事でした。

第3期は来月2日までの開催です。(第4期は来月8日から始まります。)またいよいよ東博の「若冲と江戸絵画展」のオープニング(7/4から)も迫ってきました。今年の夏は若冲の魅力にどっぷりと浸ることが出来そうです。

*関連エントリ
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」 三の丸尚蔵館 第1期(4/9)第2期(5/22)
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「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」 横浜美術館 6/18

横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)
「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」
4/15-6/25

会期末になってしまいましたが、横浜美術館の「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」へようやく行くことが出来ました。前々からとても期待していた展覧会です。



ところでイサム・ノグチの展覧会と言うと、私が彼の彫刻の良さを見出す切っ掛けともなった昨年のMOTでの展覧会を思い出します。巨大な吹き抜け空間に展示されていた「エナジー・ヴォイド」の圧倒的な存在感。そこで受けた感動は今も忘れることがありません。また、暗がりの空間にて床に這いつくばるように置かれていた、半ば「もの派」のような彫刻群。そして陽の光を浴びていた屋外の「オクテトラ」。それまで殆ど分からなかったイサム・ノグチの魅力を初めて体感出来た展覧会でした。

 

さて、今回の横浜の展覧会ですが、そのMOTの展覧会と比べると全体的にややこぢんまりとしています。それは例えば「エネジー・ヴォイド」のような、空間を大胆に変えていく作品よりも、(また暗室に展示されていた、半ばインスタレーション的な展示ではなく。)もっと、一つの確固とした、まさにオブジェとしての彫刻作品が多く並んでいるとも言えるでしょう。また作品は、「顔」や「神話・民族」、それに「コミュニティーのために」や「太陽」などというテーマに括られて展示されています。戦前の「死」(1934、画像上右)から、いつも横浜美術館に置かれていた晩年の「真夜中の太陽」(1989、画像上左)までが、時系列ではなく、あくまでもそれぞれのテーマの元にまとまって置かれている。またそのテーマ設定も、決して鑑賞者に解釈を無理強いするような強引さがありません。とても良心的に、適度にまとめられていました。



展示自体も良く出来ています。モダンダンスのマーサ・グラハムのために作られた舞台セットを再現し、初演の映像をスクリーンへ流すコーナー。とても見応えがありました。そして李禹煥展の時のように、全部ではないものの、所々カーペットを剥がしてコンクリートに作品を直に置いている。またスポットライトに当てられた作品のシルエットも美しい。いつも窮屈な建物のせいなのか、期待ほど感銘することがない横浜美術館も、今回はそれなりに満足出来ました。少なくとも李禹煥展の際よりは器用に会場を使っています。



ノグチの彫刻を見ていると、どれも原初的なアニミズムのイメージが湧き上がってきました。大地や空へ呼びかけて精霊を呼び集める。魂の宿った石。「広島の原爆死没者慰霊碑(1/5模型)」(1952)はまさにそんなイメージの典型例かもしれません。また会場にて作品が並ぶ様を見ていても、それぞれが相互に関連し合っていると言うより、一つ一つが全く干渉しないで、ジ一と鈍い音を立てて敢然と立っているようにも見えます。もちろんノグチの彫刻をいくつか組み合わせて展示するのも魅力的かもしれませんが、私には一点だけ、殆ど偶然にノグチの作品と出会った方がより衝撃的な印象が強いのです。(もしかしたら彼の作品は、美術館に集めて展示するのがそぐわないのかもしれません。)ややこしい言い回しになってしまいましたが、要は、いくつも見ていると次第に面白さがなくなる嫌いもあると言うことです。これはMOTの展示でも少しだけ感じていたのですが、今回の展覧会ではもう一歩その思いが強まってしまいました。まだノグチを完全に好きになりきれない。どこか構えた見方で作品を捉えているのかもしれません。

とは言え、少なくとも彫刻作家としてのノグチの魅力を巧みに伝えた良い展覧会かと思います。次の日曜日までの開催です。
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NHK-FMは存続へ

一連のNHK「改革」にて、先日当然打ち出されたNHK-FMの廃止話ですが、どうやら見送られる方向が強まったようです。NHKのFM放送は、最近、縮小傾向にあったにしろ、唯一、クラシック音楽を身近に楽しめる媒体でした。もちろんNHKを全面的に応援するつもりはありませんが、こればかりはまず一安心とでも言ったところかもしれません。

NHKのFMラジオ削減盛り込まず 政府・与党合意(asahi.com)

WEBの時代を迎えたとは言え、依然として既存のメディアが大きな力を持っています。それと同様に、インターネットラジオが普及しつつあるにしろ、まだFM放送で聴くクラシック音楽の味わいは失われていません。大上段に構えて申し上げれば、政府の狙いはただ一つ、受信料不払いへの罰則導入にあるのでしょう。FMやBSの削減を打ち出した例の懇談会の答申も、そのごく一部が実現されてひとまず終りと言うことになるのではないでしょうか。ともかくNHKは貴重な音源をいくつも抱えています。この合意に安心しきることなく、ネット放送を使った試みなど、さらなるクラシック音楽の財産を生かした取り組みをしていただきたいものです。
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国立新美術館が完成

少し前のニュースですが、六本木に建設されていた国立新美術館が完成しました。設計は建築家の黒川紀章氏。ガラス張りのウエーブが印象的な巨大な建物です。開館予定は2006年度中。(1月?)もう間もなくでしょうか。



国立新美術館が完成・六本木でお披露目(NIKKEI NET)

何一つ所蔵品を持たない、全くの貸し館にて運営されます。第二の東京都美術館と言っても差し支えないでしょう。(実際に、都美から多くの公募展がこちらへ移るそうです。)また学芸員を数名おいての、近現代アートなどをテーマとした大型企画展なども予定されています。ただし今後、全体のいわゆる美術人口が増えるとも思えません。展開次第では都美はもとより、横浜美術館や東京都現代美術館の活動にも大きな影響を与えそうです。



総工費は350億円。展示室は全12室、約1万4000平方メートルと国内最大級です。もう少し具体的な方向性が煮詰まらないと何とも見えてきません。これからの動きにも注目です。

*最近建設された主な「文化施設」の総工費

水戸芸術館(1990) 103億円
愛知芸術文化センター(1992) 628億円
東京都現代美術館(1995) 415億円
新国立劇場(1997) 750億円
兵庫県立美術館(2002) 300億円
金沢21世紀美術館(2004) 200億円
九州国立博物館(2005) 230億円
国立新美術館(2007予定) 350億円
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東京フィルが公式ブログを開設!

ありそうでなかったプロオーケストラの公式ブログですが、先日、東京フィルハーモニー交響楽団が「オーケストラをゆく」というブログをスタートさせました。おそらく在京プロオーケストラでは初めての試みではないでしょうか。(間違っていたら申し訳ありません。)「普段は見れないオーケストラの裏側、たっぷりとお見せします。」とのことで、ライターには楽団員の方々も予定されているそうです。既に数多くある奏者の方のブログとはまたひと味違った方向性。これはなかなか楽しみです。

「オーケストラをゆく」(東京フィルハーモニー交響楽団公式ブログ)

最近は音楽だけに限らず、一企業や公的機関がブログで情報発信することが増えています。美術館でも、あまり更新されていないとは言え横浜美術館が展覧会情報をブログで公開(「イサムズ・ウィークリー 担当学芸員とボランティアのブログ」)していました。また、東博の若冲展に先駆けたブログ(「若冲と江戸絵画展コレクションブログ」)なども有名なところです。東フィルのブログにも注意書きがあるように、TBや、特にコメントの取り扱いが難しいところではありますが、初めから一定のルールを決めておけばそう問題もないでしょう。聴き手それぞれのコンサートの感想が、TBによってダイレクトにオーケストラへ繋がる可能性もあります。(東京シティ・フィルのBBSも一つの手段かもしれません。ここは丁寧に運営されています。)

この東フィルの試み、他のオーケストラへも広がると嬉しいところです。しばらくチェックしていきたいと思います。
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「町田久美展」 西村画廊 6/17

西村画廊(中央区日本橋2-10-8 日本橋日光ビル3階)
「町田久美展」
6/6-7/1

今年のMOTアニュアルでも展示があった、町田久美の個展です。確固とした存在感を見せながら、それでいてどこか柔らかく、また瑞々しい線が魅力的な展覧会でした。



いきなり失礼なことを書いてしまうと、町田さんのモチーフはあまり好きではありません。しかしそれでも、一つ一つの作品をじっと見入ってしまうような魅力が確かに存在します。それは、雲肌麻紙という独特な質感を見せる紙に、一見スッと引かれたようにも思える青墨の線でした。そしてこの線、どこから眺めてもまるで一筆書きにて引かれたように見えますが、実は何と配置や太さを計算しながら何度も何度も塗り重ねて出来たものなのだそうです。(これには驚きました。)また色は、所々に配された岩絵具だけしかありません。しかし線が全ての面をしっかりと支えています。白い部分が多いのに不思議と余白感がない。どの面も重々しいような、とてもどっしりとした味わいが感じられます。

「郵便配達夫」が圧巻でした。大きな雄鶏にのった一人のこども。何故かまるで幼稚園の制服のような郵便配達員の格好をしている。そして線の連なりによって一枚一枚、丁寧に積み重ねられた羽の描写。さらには雄鶏のダイナミックな動き。伸びる黒い尾っぽ。若冲の雄鶏すら彷彿させます。強烈です。

会場では町田の作品が印刷された小冊子が500円で販売されていました。ただやはり、あの線の質感は印刷やWEB画像ではなかなか上手く表現出来ないようです。(もちろん冊子自体はとても良い出来でしたが。)直に見ることで格段に魅力が増すような、とてもナイーブな作品でもあります。来月1日までの開催です。
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目白バ・ロック音楽祭2006 「バッハ:無伴奏チェロ組曲」 6/17

目白バ・ロック音楽祭2006 「こだわり」のリサイタル・シリーズ

バッハ 無伴奏「チェロ」組曲 第1・2・3番

奏者 寺神戸亮(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)

2006/6/17 19:00 目白聖公会

 

以前にも拙ブログで取り上げた「目白バ・ロック音楽祭」へ行ってきました。会場は目白駅から徒歩5、6分、目白通り沿いに建つロマネスク様式の「目白聖公会」。(1929年建立)東京の聖公会教会の中では、唯一、大戦の被害を受けることがなかった建物です。白いどっしりとした構えは大変に趣きがあります。アーチ型の天井と、整然と並んだ木製の長椅子。響きは驚くほど良好でした。コンサート会場としても問題が少ないような場所です。

タイトルに「こだわり」という文言が入っていますが、その「こだわり」とはつまり楽器のことでした。通常、無伴奏「チェロ」組曲は当然ながらチェロで演奏されますが、それをこのコンサートではヴィオロンチェロ・ダ・スパッラという古楽器にて演奏していくわけなのです。しかもそのスパッラはほぼ失われた楽器と言って良いほどにマイナー。当然ながらバロックチェロでもありません。サイズはチェロよりも小さく、首からひもでぶら下げてヴィオラのように演奏します。ヴァイオリン奏者でもある寺神戸がスパッラで弾いた無伴奏「チェロ」組曲。かなり意欲的な試みと言えるでしょう。(スパッラの画像は寺神戸氏のブログをご参照下さい。)

非常に有名な曲なのでたくさんの録音もリリースされていますが、私は積極的な聴き手ではありません。(それこそカザルスの録音くらいしか聴いたことがない。)と言うことで、いつも以上に大まかな感想となってしまうのですが、一言で示せば非常に主観的な演奏だったと思います。長い奏者とチェロとの対話が、時に感情的になってぶつかり合うように激しく進行していく。特に一気呵成に弾き抜いたクーラントやジーグなどでの集中力は見事です。弛緩しません。ただ逆に穏やかな前奏曲では、少し響きの厚みが不足してしまうようにも感じました。つまりオルガン的な広がりある響きが、ややこじんまりと聴こえてしまう。もう少し音の濃縮された密度が欲しかもしれない。ただし思っていたよりもはるかに響く楽器です。チェロの艶こそなけれども、空気を多分に揺らすような、フワッとした丸みを帯びた響きが印象的でした。

演奏の合間には、寺神戸自身によるスパッラについての詳細なレクチャーがありました。その模様については、ぶらあぼの音楽配信サイト「ブラビッシモ」から無料にてダウンロードすることが可能です。ご興味のある方は一度試して見ては如何でしょうか。(ちなみに同サイトでは演奏自体も配信しています。そちらは当然ながら有料です。)

目白界隈をぶらぶらする余裕がなかったので、音楽祭で賑わう街の雰囲気を体感することは出来なかったのですが、こうした歴史ある建物で味わうバロックの調べもまた格別です。是非、来年もまた行ってみたいと思います。
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今週の「ベストオブクラシック」はショスタコーヴィチ・ウィーク!

今週のNHK-FMベストオブクラシックは、生誕100年(没後30年)を迎えたメモリアルイヤーのショスタコーヴィチが特集されます。お馴染みのシンフォニーや弦楽四重奏曲だけではなく、あまり聞き慣れない曲までがカバーされたプログラムです。なかなか魅力的です。(私の苦手な指揮者がチラホラといらっしゃるのはさておいて…。)

ベストオブクラシック ショスタコーヴィチ・ウィーク(19:30-21:10)

19日(月)
 交響曲第1番 作品10 マリインスキー劇場管弦楽団/ワレリー・ゲルギエフ
 弦楽四重奏曲第4番 作品83 エマーソン弦楽四重奏団
 アレクサンドル・ブロークの7つの詩 作品127 ランディ・ステネ/トリオ・コン・ブリオ
 
20日(火)
 チェロ協奏曲第1番 作品107 グザヴィエ・フィリップス/ロシア・ナショナル・フィルハーモニック/ウラディーミル・スピヴァコフ
 交響曲第4番 作品43 フランス国立管弦楽団/ウラディーミル・アシュケナージ

21日(水)
 タヒチ・トロット 作品16 アイスランド交響楽団/ラモン・ガンバ
 ピアノ五重奏曲 作品57 ドミニク・モレル/ルノアール四重奏団
 交響曲第5番 作品47 バイエルン放送交響楽団/マリス・ヤンソンス

22日(木)
 「バラエティ・オーケストラのための組曲」から アイスランド交響楽団/ラモン・ガンバ
 交響曲第7番「レニングラード」 作品60 フランス国立管弦楽団/クルト・マズア

23日(金)
 交響詩「十月」 作品131 フランクフルト放送交響楽団/ヒュー・ウルフ
 バイオリン協奏曲第2番 作品129 ジャニーヌ・ヤンセン/スウェーデン放送交響楽団/アンドレス・オロスコ・エストラーダ
 交響曲第12番「1917年」 作品112 スウェーデン放送交響楽団/ダーヴィッド・ビェルクマン

総務省による例の懇親会一件で何やら急に雲行きが怪しくなってきたNHK-FMですが、ここは素直に楽しみたいところです。常にタイムリーにとはいきません。録音などして聴いていきたいと思います。
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「高島野十郎展」 三鷹市美術ギャラリー 6/11

三鷹市美術ギャラリー(三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階)
「没後30年 高島野十郎展」
6/10-7/17



「美術散歩」のとらさんのエントリを拝見して行ってきました。生前、殆ど有名になることがなかった(パンフレットより。)という、画家の高島野十郎(1890-1975)の回顧展です。静謐でまた、時として力強い静物画が特に魅力的でした。



青年時代の自画像からして圧倒的です。終生を写実に徹したという彼の絵画は、早くもこの初期の段階にて独自の境地を見せています。「絡子をかけたる自画像」(1920)におけるその迫力。睨み返すような強靭な視線を前すると、見る側としてはただ立ちすくむしかありません。そして、まるでもう老いを迎えたかのような顔の皺の刻み。そこには人生の悲哀が折り重ねられ、そして埋められていました。それに和服の重々しい質感も見事です。ここでも、衣服があたかも顔の皺の刻みのように重ねられて、非常にどっしりとした厚みを見せている。また、「傷を負った自画像」(1914)で見せる生々しい傷跡は、自らの手によってつけられたものなのでしょうか。彼の自画像からは、どこかナルシスト的な、自己の強烈な発露が感じられます。思わず彼の眼光に後ずさりになってしまうような作品ばかりでした。



またこの時期に描かれた静物画も実に優れています。精巧なタッチにて、徹底したリアリスムを見せたこれらの作品。私には、色調が全体的に明るくなった後期の静物画よりも魅力的でした。「けし」(1925)に見る、熟れ、そして爛れた赤いケシの花。また、まるで鋼鉄の置物のように重々しい「つりさげられた鳥」(1922)もズシリと心に迫ってくる。どこか対象を突き放しているような視点と、まるで凍っているような寒々としたモノの質感。ただ写実を追求しただけではない、魂の宿る静物画でした。



パリへ渡り、また帰国した後は、どこか日本画タッチな風景画を多数仕上げていきます。まるで静物画のような、全く微動だにしない厳格な構図感。そして初期の作品とは一転しての、淡いタッチの色彩。ただ残念ながら私には、これらの風景画の魅力を感じとることがあまり出来ませんでした。それよりもむしろ、初期ほどの圧倒感はないにしろ、静物の「菊の花」(1956)や「柿」(1962)などの方がやはり味わい深い。彼は、事物を、まるでキャンバスへ凝縮させたかのように表現する、半ば閉塞的な空間を捉えるのに優れています。もちろんそれは、ライフワークとして描き続けた蝋燭と月のシリーズにも繋がってくる。月が広い光景の中で浮かんでいるのではなく、まるで静物画のように、目の前の空間の中に事物としてある。そこに重々しい味わいを感じさせるのです。

 

月も蝋燭のシリーズも、ともに闇に包まれた光を追求した作品です。闇夜に包まれた小さな月と、同じく闇に抵抗するかのように燃え続ける蝋燭の炎。不思議とどちらも闇の存在感が圧倒的で、光はあまりにも脆いものとして映ります。非常に求道的。一切の余分を配して月と蝋燭が描かれている。月明かりが夕闇に溶け合う様子や、炎に照らされ透き通るロウもまた美しい。照明の落とされた会場にて、これらの作品に囲まれること。祈るような気持ちにもさせられました。

生前は画壇からも離れて、小さな個展のみで作品を発表していた画家だそうです。その生き様もまた、どこかストイックな画風と重なるのかとも思いました。来月17日までの開催です。(毎晩8時まで開場しています。良心的です。)

ぐるっとパスを使いました。
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