都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
2018年2月に見たい展覧会
1月に見た展覧会では、現代版画センターの活動を丹念に追った「版画の景色」(埼玉県立近代美術館)、チラシ表紙のアルチンボルドだけでなく、ルドルフ2世の好奇心を詳らかにするような「ルドルフ2世の驚異の世界」(Bunkamuraザ・ミュージアム)、さらにともに常設展示内の企画とは思えないほど充実していた「南方熊楠」(国立科学博物館)と「シュルレアリスムの美術と写真」(横浜美術館)が、特に印象に残りました。
まだ感想をまとめられていませんが、貴重な仏像の揃った「仁和寺と御室派のみほとけ」(東京国立博物館)も、壮観ではなかったでしょうか。また「小沢剛展」(千葉市美術館)も、思い切ったレイアウトで、美術家の創作なり世界観をうまく伝えていたのではないかと思います。
2月中に見たい展覧会をリストアップしてみました。
展覧会
・「絵画の現在」 府中市美術館(~2/25)
・「金川晋吾 長い間」 横浜市民ギャラリーあざみ野(~2/25)
・「第10回恵比寿映像祭 インヴィジブル」 東京都写真美術館(2/9~2/25)
・「運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説」 神奈川県立金沢文庫(~3/11)
・「生誕130年 小村雪岱『雪岱調』のできるまで」 川越市立美術館(~3/11)
・「ヘレンド展ー皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯」 パナソニック汐留ミュージアム(~3/21)
・「谷川俊太郎展」 東京オペラシティ アートギャラリー(~3/25)
・「現代刀職展ー今に伝わる『いにしえの技』 刀剣博物館(~3/25)
・「歌川国貞展」 静嘉堂文庫美術館(~3/25)
・「FACE展2018 損保ジャパン日本興亜美術賞展」 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(2/24~3/30)
・「香合百花繚乱」 根津美術館(2/22~3/31)
・「ボストン美術館 パリジェンヌ展 時代を映す女性たち」 世田谷美術館(~4/1)
・「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」 東京都美術館(1/23~4/1)
・「三井家のおひなさま」 三井記念美術館(2/10~4/8)
・「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」 サントリー美術館(2/14~4/8)
・「第21回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」 川崎市岡本太郎美術館(2/16~4/15)
・「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法」 練馬区立美術館(2/22~4/15)
・「東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」 板橋区立美術館(2/24〜4/15)
・「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 国立新美術館(2/14~5/7)
・「ルドンー秘密の花園」 三菱一号館美術館(2/8~5/20)
・「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 国立西洋美術館(2/24〜5/27)
・「写真都市展ーウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」 21_21 DESIGN SIGHT(2/23〜6/10)
ギャラリー
・「鏡と穴ー彫刻と写真の界面 vol.7 野村在」 ギャラリーαM(2/17〜3/24)
・「グラフィズム断章:もうひとつのデザイン史」 クリエイションギャラリーG8(~2/22)
・「ヴァジコ・チャッキアーニ展」 SCAI THE BATHHOUSE(~2/24)
・「会田誠 GROUND NO PLAN」 青山クリスタルビル(2/10~2/24)
・「レアンドロ・エルリッヒ個展」 アートフロントギャラリー(~2/25)
・「アニマル・ワールド」 加島美術(2/3〜2/25)
・「マリメッコ・スプリットーマリメッコの暮らしぶり」 ギャラリーA4(~2/28)
・「グリーンランド 中谷芙二子+宇吉郎展」 メゾンエルメス(~3/4)
・「奈良美智 Drawings: 1988-2018 Last 30 Years」 カイカイキキギャラリー(2/9~3/8)
・「ヤン・フードン The Coloured Sky: New Women 2」 エスパス・ルイ・ヴィトン東京(~3/11)
・「束芋 | flow-wer arrangement」 ギャラリー小柳(2/10〜3/15)
・「平野甲賀と晶文社展」 ギンザ・グラフィック・ギャラリー(~3/17)
・「クサナギシンペイ どこへでもこの世の外なら」 タカ・イシイギャラリー東京(2/17〜3/17)
・「en[縁]:アート・オブ・ネクサス 第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館帰国展」 TOTOギャラリー・間(~3/18)
・「ポーラ ミュージアム アネックス展2018」 ポーラ・ミュージアム・アネックス(2/23〜3/18)
この2月は、今年、何かと注目の西洋美術展のスタートラッシュと言っても良いかもしれません。まずは三菱一号館美術館にて、「ルドンー秘密の花園」展が開催されます。
「ルドンー秘密の花園」@三菱一号館美術館(2/8~5/20)
一号館のルドンとして思い起こすのは、コレクションとして人気の高い「グラン・ブーケ」です。ルドンが、ドムシー男爵の城館の食堂を飾るために描いた作品で、縦2メートル50センチにも及ぶ大画面に、青い花瓶に生けられた花束を、淡いパステルの色彩にて表現しました。
ただしルドンは、食堂の装飾画の制作に際し、「グラン・ブーケ」だけを描いたわけではありませんでした。彼は1年以上の歳月をかけ、16点の装飾画を制作し、城館へと運びました。いつしか壁画は城館に秘蔵され、一度、日本でも公開される機会があったものの、のちにフランス政府が取得し、オルセー美術館の所蔵品と化しました。そして「グラン・ブーケ」のみが、城館の食堂に取り残されました。取り外されたのは、2010年のことでした。
【ルドン−秘密の花園】2月8日から開幕するルドン展の作品リストが完成しました!当館サイトよりダウンロード頂けますので、出品作品が気になる方はどうぞご利用ください。―――――――◆作品リスト:https://t.co/YcVZWVlf36◆展覧会情報:https://t.co/0TS01Qw6Nv pic.twitter.com/P7T1sHIGSn
— 三菱一号館美術館 (@ichigokan_PR) 2018年1月26日
そのオルセー美術館所蔵の15点の装飾壁画が、全て一括して三菱一号館美術館へとやって来ます。さらに、花や植物をモチーフとした70点超の作品を交え、ルドンの画業を紹介していきます。なお植物に焦点を当てたルドン展は、史上初めてのことだそうです。さぞかし華やかな展覧会になるのではないでしょうか。
ドイツに生まれ、スイスに移住した実業家、エミール=ゲオルグ・ビュールレの絵画コレクションが、国立新美術館にて公開されます。
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」@国立新美術館(2/14~5/7)
実業家として身を立てたビュールレは、1937年、一家とともに移り住んだチューリッヒの邸宅を飾るために、美術品の蒐集をはじめました。中でも良く知られるのは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」や、セザンヌの「赤いチョッキの少年」で、印象派、ないしポスト印象派の充実したコレクションとして評価を得ました。
来年2月14日に国立新美術館で開幕する『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』。生涯を通じて絵画収集に情熱を注いだスイスの大実業家ビュールレ。そのコレクションの質の高さは世界中のファンを魅了しています。本展では日本初公開作品を含む約60点を展示。絵画史上、最強の美少女も来日! pic.twitter.com/LFpoEDwIL8
— ミュージアムカフェ【公式】 (@museumcafe) 2017年10月25日
2008年、セザンヌの「赤いチョッキの少年」を含む4点の絵画が、盗難の被害にあってしまいました。その影響もあるのか、現在は一般の公開が規制され、2020年にはチューリッヒ美術館へコレクションが移設されることが決まりました。つまりプライベートとしてのビュールレのコレクションが、日本で公開される最後の機会と言えるかもしれません。なお日本でビュールレのコレクション展が行われるのは、おおよそ27年ぶりのことでもあるそうです。
春の上野の行列の展覧会になるかもしれません。国立西洋美術館で「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」がはじまります。
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」@国立西洋美術館(2/24〜5/27)
国内でプラド美術館のコレクションを見る機会は必ずしも少なくなく、過去、「プラド美術館展ースペイン宮廷 美への情熱」(三菱一号館美術館、2015年)、「プラド美術館所蔵 ゴヤー光と影展」(国立西洋美術館、2011年)、さらには「プラド美術館展ースペインの誇り 巨匠たちの殿堂」(東京都美術館、2006年)などが開催されてきました。とりわけ、あえて「小さなサイズの作品に焦点を当てた」(美術館サイトより)、三菱一号館美術館のプラド展などはまだ記憶に新しいかもしれません。
夕暮れの余も素敵であろう? #国立西洋美術館 #プラド美術館展 pic.twitter.com/br4yCo81GN
— カルロスくん@プラド美術館展【公式】 (@prado_2018) 2018年1月30日
実に5回目のプラド展です。今回はベラスケス7点を中核に、主にスペイン、イタリア、フランドル絵画を展観します。ベラスケスの作品がまとめて7点出展されるのは、過去最多でもあるそうです。その意味では貴重な展覧会となりそうです。
また同じく上野では1月末より、東京都美術館で「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」もはじまりました。
「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」@東京都美術館(1/23~4/1)
私はまだ見られていませんが、公式Twitterアカウントなどによれば、現時点ではさほど混雑していないそうです。なお会期当初、2月18日までは、一部の作品の撮影も可能です。ひょっとすると中盤以降は混み合うかもしれません。なるべく早く行きたいと思います。
\ #ブリューゲル展 開催中/繊細な描写の小なサイズの作品も多数展示してます。単眼鏡お持ちでしたら、是非ご持参を。2階展示室は2/18まで撮影可能です。オフィシャルサポーターの渡辺裕太さんも📷✨ナビゲーターを #石田彰 さんが担当する音声ガイドもお薦め‼️ 待ち時間情報@bru_konzatsu pic.twitter.com/p9ZLq9K1b3
— ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜 (@brueghel2018) 2018年1月26日
ルドン、ビュールレ、プラド、ブリューゲルと、この4展を追うのだけでも大変かもしれませんが、2月も無理のないスペースで、色々な展覧会を見て回りたいと思います。
それではどうぞ宜しくお願いします。
「現代版画センターの軌跡」 埼玉県立近代美術館
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」
1/16~3/25
埼玉県立近代美術館で開催中の「版画の景色 現代版画センターの軌跡」を見てきました。
1974年、版画の普及、ないしコレクターの育成を目指して誕生した現代版画センターは、約10年間あまりの間に、80名の美術家と協力して、計700点余の作品を世に送り出しました。
その記念すべき第1作が、靉嘔の「I Love You」で、シルクスクリーンを限定11111万部作成し、1枚当たり1000円で販売しました。当時、5桁ものエディションは珍しく、1000円という価格も、オリジナルの版画としては安価でした。
現代版画センターの第1の意義は、版画の版元、すなわちメーカとしての活動でした。多様な版画を生み出すべく、画家、彫刻家、工芸家、さらに映像作家や建築家にも作品を依頼しました。また版画家以外の作家も扱いやすい理由から、シルクスクリーンが多く採用されました。
島州一「ゲバラ」 1974年 現代版画センターエディション42番 ときの忘れもの/有限会社ワタヌキ
島州一の「ジーンズ」と「ゲバラ」は、ともにシルクスクリーンを布に刷った作品で、特にデニムのジャケットをモチーフとした「ジーンズ」は、内容物と刷られた布の皺が浮き上がり、独特な感触を見ることが出来ました。島は、例えばカーテンにカーテンの版画を刷るなど、日常的な素材を用い、時に物質の質感表現を探るような作品を生み出しました。
関根伸夫「おちるリンゴ」 1975年 現代版画センターエディション78番 ときの忘れもの/有限会社ワタヌキ
もの派の重鎮として知られる関根伸夫も、版画を提供した作家の一人で、いわゆるもの派を思わせる作品だけでなく、例えば視覚操作的なイメージを生み出すなど、より自由に版画を作り上げました。また関根は単に作家としてだけでなく、センターの活動にアドバイスを与えるなど、ブレーンとしての役割も果たしました。
現代版画センターは単に版画を作るだけでなく、会員組織を整備し、頒布会や展示会、さらにオークションやシンポジウムなども積極的に開催しました。版画を人々へ届けるためのシステムを構築する、オーガナイザーとしても活動していました。
展示会は、巡回の形式を問わず、映画の封切りさながら、全国各地の10カ所から20カ所の会場で、ほぼ一斉、同時に開催しました。また会場も、画廊だけでなく、喫茶店や床屋を借りることもあり、担当者は、日本中を精力的に飛び回っていたそうです。その様子は、記録写真のスライドから伺い知ることが出来ました。
磯崎新「空洞としての美術館」 1977年 現代版画センターエディション165番 群馬県立近代美術館(寄託)
驚くべき巨大な版画も作られました。それが建築家の磯崎新による「空洞としての美術館」で、シルクスクリーンのみならず、立体も組み合わせ、ミクストメディア的な表現をとっています。モチーフは、磯崎の設計した群馬県立近代美術館で、建物の構造を示す立方体も取り込まれました。横幅は何と5メートル近くにも及ぶ大作で、2点作られ、うち1点はサンパウロビエンナーレへと出品されました。
もう1つ、大きいのが、大沢昌助の「机上の空論」で、幅2メートルを超えるリトグラフが対になった作品でした。そもそも当時、これほど巨大な作品を刷るための機械もなく、プレス機を制作することからはじめられました。またともに単色の作品ながらも、均一の色を出すのは困難で、何度もプレスしては、色調を表現していったそうです。計何十トンにも及ぶ圧力が必要でした。
菅井汲「スクランブルC」 1976年 現代版画センターエディション129番
菅井汲も多くの版画を提供した作家の1人でした。「スクランブル」のシリーズでは、都市空間の写真を取り込み、円や三角といった図形的なモチーフを、ビビットな色彩にて表現しました。横断歩道や信号機、ないし踏切などの線が、幾何学的な図像と組み合わさっていました。
元永定正「白い光が出ているみたい」 1977年 現代版画センターエディション198番 ときの忘れもの/有限会社ワタヌキ
現代版画センターは、一定のテーマに基づく企画展も開催しました。その1つが、1977年の「現代の声」展で、靉嘔、元永定正、磯崎新、一原有徳、オトサト・トシノブ、加山又造らといった9名の作家が参加し、作品を展示しました。このメンバーをとっても、洋画家、日本画家、そして建築家と幅広く、センターが如何にジャンルの異なる作家と協働しようとしていたのかを、知ることが出来るかもしれません。展示と同時に、レクチャーやシンポジウムも開催されました。
また「プリントシンポジウム」も同様で、美学校のシルクスクリーン工房の教師を務めていた岡部徳三が、作家を招待した上で、卒業生のプリンターと協同して作品を制作しました。関根伸夫、堀浩哉、柏原えつとむなどの、計6名の作家が、作品を提供しました。
草間彌生「南瓜」 1982年 現代版画センターエディション523番 たけだ美術
現代版画センターにとって、メーカー、オーガナイザーと同じく、もう1つ重要な活動であったのが、パブリッシャー、つまり出版事業でした。「センターニュース」などの刊行物を編集、発行した上、関係する作家の作品集やカタログも多く刊行しました。そのテキストには、作家だけでなく、小説家やタレントらの著名人が寄稿することもありました。
アンディ・ウォーホル「KIKU2」 1983年 現代版画センターエディション602番
草間彌生、安藤忠雄、そしてアンディ・ウォーホルも、現代版画センターで作品を発表しました。中でもウォーホルに関しては、オリジナルの制作を依頼しただけでなく、版画代表作による「アンディ・ウォーホル全国展」を、渋谷パルコや宇都宮の大谷石地下空間、それに秋田県の大曲などで開催し、カタログも刊行しました。オリジナルの3点の連作は、菊をモチーフとしたもので、ウォーホル自身が日本の花として選定しました。各限定300部ほど制作されたそうです。
現代版画センター企画・ウォーホル全国展「巨大地下空間とウォーホル展」 会場:大谷町屏風岩アートポイント 1983年7月24日〜8月20日
終焉は突然でした。1985年、現代版画センターは倒産し、活動を終えました。設立からおおよそ10年後のことでした。
今回はタイミング良く、展覧会を担当された、学芸員の梅津さんのギャラリートークを聞くことが出来ました。淀みない口調でおおよそ40分超、展覧会の内容について丁寧に説明して下さいました。
その中で最も印象に深かったのは、「メーカー、オーガナイザー、そしてパブリッシャーとして活動した現代版画センターは、1970年から80年代の時代の熱気を帯びた、多面的な運動体である。」いうことでした。
10年余りに過ぎない活動のゆえか、現在、センターの功績が良く知られているとは言えません。チラシには、「活動に対して懐疑的な、批判的な、否定的な見解を持つ人々にも、耳を傾けなければならない。」との一文もありました。
まさに現代版画センターの再評価、ないし再考の切っ掛けとなり得る展覧会ではないでしょうか。出展数も全280点と膨大で、不足はありません。(一部に展示替えあり。)また実際に閲覧可能な出版物の資料や、記録写真も充実していました。
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」堂々オープンしました!そうそうたる作家陣45名による約280点の作品・資料の展示。大展示室、順路はありません。現代版画センターが提唱した作品との自由な出逢いをお楽しみください。【前期展示】1/16-2/18【後期展示】2/20-3/25https://t.co/1nE0wNBFk3 pic.twitter.com/HQH8EJ8E5J
— 埼玉県立近代美術館 (@momas_kouhou) 2018年1月16日
ギャラリートークは会期中にあと1回、3月10日(土)にも行われます。そちらに参加して観覧するのも良いかもしれません。
【担当学芸員によるギャラリー・トーク】
内容:本展覧会の担当学芸員が展覧会の見どころをご紹介します。
日時:1月27日 (土)、3月10日 (土) 各日とも15:00~15:30
場所:2階展示室
費用:企画展観覧料が必要です。
常設の「MOMASコレクション」では、川越市立美術館で回顧展のはじまった小村雪岱の小特集も行われていました。あわせてお見逃しなきようにおすすめします。
3月25日まで開催されています。
「版画の景色 現代版画センターの軌跡」 埼玉県立近代美術館(@momas_kouhou)
会期:1月16日 (火) ~ 3月25日 (日)
休館:月曜日。但し2月12日は開館。
時間:10:00~17:30
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円 、大高生800(640)円、中学生以下は無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
横山大観「無我」 東京国立博物館
横山大観「無我」
1/2~2/12
東京国立博物館・本館18室にて、横山大観の「無我」が公開されています。
「無我」は明治30年、まだ若き大観が29歳の時に描いた作品で、老荘思想に発し、禅における悟りの境地を、無心の童子に表して描きました。背丈の長い草の生えた川辺近くの子どもは、俄かに表情を伺えず、まさに無心そのもので、だらりと肩を落としては、ぼんやりとした様で立っています。当時、禅の世界を童子に託す発想にも注目が集まり、大観の出世作として評価を得ました。
なお「無我」は全部で3点あり、ほかの2点は、足立美術館と水野美術館のコレクションとして知られています。サイズは足立美術館、水野美術館、東京国立博物館の順に大きく、後者の2点が鮮やかな彩色を持つ一方、足立美術館の作品のみが、墨絵の淡彩で描かれました。また足立美術館の作品は、童子の表情がやや険しく、どこか大人びた風情にも見えなくはありません。
ともかく印象に深いのは、童子のあどけない表情をはじめ、自然体とも言えるような全身の姿で、一切の力みが感じられないことです。また背後の水の青色が、思いの外に鮮やかなのも特徴ではないでしょうか。
今年は大観の生誕150周年です。よって大観に関する展覧会がいくつか行われます。
横山大観《楚水の巻》(山種美術館)には、揚子江の沿岸風景が朝、昼、雨、夕の4場面にわたって描かれています。下流の朝の景観に始まり、時間の移り変わりと大気の変化の様子が、水墨を用いたのびやかな筆致で表現されています。(山崎) pic.twitter.com/ONbnJ3N55s
— 山種美術館 (@yamatanemuseum) 2018年1月14日
現在、開催中なのが、山種美術館の「生誕150年記念 横山大観ー東京画壇の精鋭」で、同館創設以来、初めて大観のコレクションが全点公開されています。
「生誕150年記念 横山大観ー東京画壇の精鋭」@山種美術館
会期:1月3日(水)~2月25日(日)
また4月からは、同じく生誕150年を期した「横山大観展」が、東京国立近代美術館にて開催されます。(以降、京都国立近代美術館へと巡回。)
「生誕150年 #横山大観 展」のお得な前売券を2018年4月12日(木)まで販売中です。詳細はこちらから→https://t.co/7i9UT5RBg6展覧会は今春4月13日(金)~5月27日(日) #東京国立近代美術館 で開催。 ご期待ください! pic.twitter.com/fDDx05bKTr
— 日経文化事業部 (@artnikkei) 2018年1月24日
「生誕150年 横山大観展」@東京国立近代美術館
会期:4月13日(金)~ 5月27日(日)
*京都国立近代美術館:6月8日(金)~7月22日(日)
2013年にも、横浜美術館で大規模な大観展(「横山大観展 良き師、良き友」)がありましたが、国立美術館としては、2008年の「没後50年 横山大観ー新たなる伝説へ」(国立新美術館)以来の開催となります。
ひょっとすると「無我」の展示も、今年の大観イヤーを意識してのことなのかもしれません。山種から近代美術館の大観展も、ともに追いかけたいと思います。
2月12日まで公開されています。
*写真は、横山大観「無我」 明治30(1897)年 東京国立博物館
横山大観「無我」 東京国立博物館・本館18室(@TNM_PR)
会期:1月2日(火)~2月12日(月)
時間:9:30~17:00。
*毎週金・土曜は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日。但し10月9日(月・祝)は開館。
料金:一般620(520)円、大学生410(310)円、高校生以下無料。
*( )は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園13-9
交通:JR上野駅公園口より徒歩10分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成電鉄上野駅より徒歩15分。
「フランク・ホーヴァット写真展」 シャネル・ネクサス・ホール
「フランク・ホーヴァット写真展」
1/17~2/18
シャネル・ネクサス・ホールで開催中の「フランク・ホーヴァット写真展」を見てきました。
1928年にオパティヤ(イタリア、現クロアチア領)に生まれ、50年代以降、ファッション写真で高い評価を得たフランク・ホーヴァットは、90歳を迎えた今もなお、精力的に写真を撮り続けています。
日本における本格的な個展です。ファッション写真はもちろん、初期のジャーナリスティックな作品、さらには近年のデジタルの写真などを交え、約70年にも及ぶホーヴァットの制作の全貌を紹介していました。
1940年代半ばにカメラを手にしたホーヴァットは、当初、ジャーナリスティックな写真を撮影しました。また元々、作家を志望していたからか、取るだけではなく、書くことにも熱心で、取材に基づくルポルタージュをイタリアの雑誌に寄稿するなどして活動しました。
1952年から約2年間は、イタリアからパキスタン、インド、イギリスを渡り歩き、現地の人々や生活をカメラにおさめました。また作品が、1955年にニューヨーク近代美術館で開催された「ザ・ファミリー・オブ・マン」の展覧会に選ばれたこともありました。
その後、パリに拠点を構えると、ファッション関連の仕事に注力しました。しかしホーヴァットは、あくまでも「真実の女性、もしくは少なくとも彼女たちの気配を暴く」べく、あくまでも「無防備でさりげない色気のある女性像」(ともに解説より)を撮ろうとしました。持ち前のジャーナリスティック、ないしルポルタージュ的感覚も、ファッション写真の撮影に反映されていったようです。
ホーヴァットはファッション写真に新風を吹き込みました。当時、一般的であったスタジオ写真ではなく、モデルを屋外へ連れ出し、自然光の下で撮影し、ルポルタージュと同様のざらついた画面のプリントに仕上げました。またモデルたちの一風変わった配置も好み、たまたま居合わせた人物も被写体として取り込むなど、今までのファッション写真では見られない表現を作り上げました。時にはモデルたちに「カメラを見るな、作り笑いをするな。」と注文をつけていたそうです。それは、当時のファッションエディターらにとって、肯定せざるものでもありました。
しかしホーヴァットの新たな取り組みは、結果的に評価を受け、時代を代表するファッション写真家として知られるようになりました。まさにモデルの内面を引き出すべく、装飾を取り払い、日常へと身を置いた素の女性を表現しようとし続けたようです。
「靴とエッフェル塔」も実に面白い作品ではないでしょうか。靴を大きくクローズアップし、両足の合間にエッフェル塔を配した構図の中に、偶然なのか、ヒールと爪先の中に映り込む男の姿を写し出していました。この一瞬を捉えなければ、もう2度と現れない光景と言えるかもしれません。
結果的にホーヴァットは、当初の報道から、代名詞のファッション、そしてポートレート、紀行、さらにアートの分野にまで踏み込んで、多様な写真作品を生み出していきました。また自らを「飽きっぽい」と語るホーヴァットは、1990年代に入ると、いち早くデジタル写真に目をつけ、撮影にも用いました。Photoshopで写真を加工することにも、新鮮さを感じていたようです。
まさしくモデルをありのままに、決定的瞬間ならぬ、一瞬の動きを捉え、また時には静かに見据え、美を切り出すホーヴァットの作風は、一様に括ることが出きません。また随所で、被写体の人物の強い視線を浴びていることに気がつきました。見ているよりも、見られている感覚に近いかもしれません。
現在、ホーヴァットは、2枚組み写真を、一年の日数に相当する365点を制作するプロジェクトに傾倒していて、美術館やギャラリーでの展示のほかに、フェイスブックへアップしていくことを考えているそうです。しかし、自身で納得する写真は、なかなか出来ないとも語っています。妥協を許さない姿勢の現れなのかもしれません。
必ずしも広いとは言えないシャネル銀座4階のスペースですが、会場の造りも効果的なのか、作品数も思いがけないほど多く、かなり見応えがありました。また会場内の撮影も可能でした。
[明日開催]シャネル「フランク ホーヴァット写真展」ファッションと女性を斬新に切り取った世界的写真家 - https://t.co/hkSJSF1rEl pic.twitter.com/bOaCC1HRK9
— Fashion Press (@fashionpressnet) 2018年1月16日
2月18日まで開催されています。これはおすすめします。
「フランク・ホーヴァット写真展」 シャネル・ネクサス・ホール
会期:1月17日(水)~2月18日(日)
休廊:会期中無休。
料金:無料。
時間:12:00~20:00。
住所:中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4F
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅A13出口より徒歩1分。東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅5番出口より徒歩1分。
「北斎とジャポニスム」 国立西洋美術館
「北斎とジャポニスムーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」
2017/10/21~2018/1/28
国立西洋美術館で開催中の「北斎とジャポニスムーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」を見てきました。
江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎は、19世紀後半のジャポニスムの潮流の中で、西洋の芸術家たちに大きな影響を与えました。
その一例が、「北斎漫画」の一場面である「草筆之部」でした。手前に雪の積もる斜めの木を配し、後景に水辺に浮かぶ小舟を描いていますが、そのモチーフをそっくりそのまま、フランスの装飾画家、アンリ・ランベールが、「雪中柴舟文皿」に落としこみました。
また同じく傾斜した樹木を画面中央に置き、後景を俯瞰する構図は、西洋の画家にも取り入れられ、ピサロは「モンフーコーの冬の池、雪の効果」において、樹木越しに、馬が水を飲む小川の雪景色を描きました。
葛飾北斎「北斎漫画」三編(部分) 文化12(1815)年刊 浦上蒼穹堂
マネは昆虫のスケッチ、「2匹のトカゲと大きなハエ」において、北斎漫画の生き物をほぼそのまま写し取りました。そしてオランダ商館長でもあったオーフェルメール・フィッスヘルは、日本研究の著作、「日本国の知識に対する寄与」で、同じく北斎漫画に登場した古代中国の伝承の皇帝、神農の姿を、図像として引用しました。
エドゥアール・マネ「2匹のトカゲと大きなハエ」 制作年不詳 オルセー美術館
さらに北斎の「冨嶽百景」における平面的な竹林のモチーフも、ジュール・ヴィエイヤール工房の皿に援用されたほか、その視線を遮る構図を、モネは「木の間越しの春」に用いました。実際にモネは「冨嶽百景」を所持していて、竹林のページを見た可能性が十分に考えられるそうです。このように北斎のモチーフは、西洋の芸術家に挿絵として使われ、また模写として写し取られ、時に転用され、さらには個別の図像ではなく、構図として変容しながら、多様なインスピレーションを与えていきました。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷」 天保元〜4(1830-33)年頃 ミネアポリス美術館
こうした北斎が西洋にもたらした影響を追いかけるのが、「北斎とジャポニスム」展で、北斎の錦絵と版本を約90点を参照しながら、西洋の絵画や工芸、約200点を合わせて見ています。展示では基本的に、先に北斎の画(パネル含む)を引用した上で、次いで西洋美術作品を並べ、相互に比較する流れでした。ひらすらに、北斎と西洋美術を見比べる内容と言っても良いかもしれません。
クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」 1891年 国立西洋美術館
どれほど西洋の美術家が北斎を参考にしたのか、必ずしも明らかとは言えないかもしれませんが、構図やモチーフとして、単純に似ている作品があるのも興味深いところでした。
エドガー・ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」 1894年 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)
それがドガの「踊り子たち、ピンクと緑」で、画家の得意とした踊り子の姿を後ろから捉えています。淡いピンクや緑の滲むパステルの色彩も美しく、右の踊り子はフレームの外に切れていて、まさしく踊り子たちの一瞬の動きを表現したかのような作品でした。こうしたバレリーナの何気ないポーズにこそ、ドガの関心が向いていたのかもしれません。
葛飾北斎「北斎漫画」十一編(部分) 刊年不詳 浦上蒼穹堂
そのドガ作に参照されたのが、「北斎漫画」から力士を描いた場面でした。同様の後ろ姿ながらも、特に両手を腰に当てて立つ姿は、確かに似ていると言わざるを得ません。
【作品紹介】#カサット ≪青い肘掛け椅子に座る少女≫×北斎北斎が知られる以前、幼い女の子はお行儀良く描かれるのが常識でした。退屈そうな自然体のこのようなポーズは、『北斎漫画』から着想を得たようです。#北斎とジャポニスム #会場で比べて見てみて pic.twitter.com/BEYETcDvPk
— 「北斎とジャポニスム」展 (@hoku_japonisme) 2017年9月5日
さらに驚かされたのが、カサットの「青い肘掛け椅子に座る少女」でした。青く大きなソファに座る少女を描いた一枚で、両足をだらんと垂らし、左手を頭の後ろにやった姿は幾分と気怠そうで、必ずしも行儀が良くありません。そしてここでも「北斎漫画」の布袋らしき姿をした人物が引用されていて、袋を背中に、だらりと仰向けで寝る姿は、似ていると言えなくもありません。直接の影響関係を検証するのは難しいかもしれませんが、少なくともカサットも、ほかの多くの印象派と同様、浮世絵展で感銘を受けたり、日本の美術品をコレクションしていた画家の1人でした。
ギュスターブ・モロー「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」 1876年頃 キュスターヴ・モロー美術館
同じく北斎漫画を所有していたモローにも、見るべき1枚がありました。それが「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」で、ギリシャ神話を主題とし、ヘラクレスが敢然とヒュドラに立ち向かおうとする場面を描いています。9つの鎌首を持ったヒュドラの姿は、実に奇怪で恐ろしく、手前に散乱した死体などから、ヒュドラがいかに獰猛であるかを感じることも出来ました。モローならではの、神秘的な雰囲気をたたえた作品と言えるかもしれません。
葛飾北斎「北斎漫画」十三編(部分) 嘉永2(1849)年刊 浦上蒼穹堂
では、一体、どこに北斎の要素を見ることが出来るのでしょうか。キャプションによれば、答えは背後の岩でした。「北斎漫画」において、北斎は縦へと迫り上がる奇岩を描きましたが、その参照があったのではないかと指摘しているわけです。さらにスーラの「とがった岬、グランカン」の大きく突き出た岬も、北斎の大きく盛り上がった波を置き換えたのではないかと推測していました。
ポール・ゴーガン「三匹の子犬のいる静物」 1888年 ニューヨーク近代美術館
ジャポニスム云々の文脈を離れ、端的に西洋絵画に思いがけない優品があるのも、見どころの1つかもしれません。ドガの「競馬場にて」やゴーガンの「三匹の子犬のいる静物」といった有名な画家だけでなく、アルベルト・エーデルフェルトの「夕暮れのカウコラの尾根」、ジョルジュ・ラコンブの「青い海、波の印象」、ジャン=ルイ・フィランの「釣り人」など、ともすると地名度の低い画家にも、惹かれる作品は少なくありませんでした。またガレやドーム兄弟による工芸もかなり出揃っていました。海外からも多くの作品がやって来ています。
ラストがセザンヌの「サント=ヴィクトワール山」で、フィリップス・コレクションとデトロイト美術館、そして現在休館中のブリヂストン美術館のコレクションの3点が並んでいました。
ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」 1886〜87年 フィリップス・コレクション、ワシントンD.C.
ここに北斎が「冨嶽三十六景」において、様々な地点から富士山を捉えたのと同様、セザンヌもサント=ヴィクトワール山を繰り返し描いたことについて触れ、その造形的実験の源泉に、北斎の制作があったことを指摘しています。また俯瞰した視点にも、類似点が見られるとのことでした。もちろんあくまでも仮説に過ぎないのかもしれませんが、まさか「冨嶽三十六景」の文脈で、セザンヌが語られるとは思いませんでした。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 天保元〜4(1830〜33)年頃 ミネアポリス美術館
ほかには北斎を象徴する「神奈川沖浪裏」こと、グレート・ ウェーブの影響についても見ていました。ここに紹介した内容はごく一部に過ぎず、そもそも引用は多数で、内容からして膨大です。思いがけないような参照も多く、より踏み込むには、カタログに当たる必要があるかもしれません。
私はすっかり行きそびてしまい、気がつけば会期末が迫っていました。
1月25日の平日の午後に出向いたためか、せいぜい10分程度の待ち時間で入場出来ました。ただし館内は混雑していて、特に最初の展示室は、鑑賞のための列も遅々として進みませんでした。会場の後半こそ、多少流れが早かったものの、既にゆっくり見られる環境ではありません。さすがに大型展の終盤ということもあり、かなりの盛況でした。
次の土日で最終です。おそらく昼間の時間帯を中心に、入館待ちの長い列が出来るかと思われます。これからご観覧の方は、時間と体力に余裕を持ってお出かけ下さい。
1月28日まで開催されています。
「北斎とジャポニスムーHOKUSAIが西洋に与えた衝撃」(@hoku_japonisme) 国立西洋美術館
会期:2017年10月21日(土)~2018年1月28日(日)
休館:月曜日。但し1月8日(月)は開館。年末年始(12月28日~1月1日)。1月9日(火)。
時間:9:30~17:30
*毎週金・土曜日は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1400)円、大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園7-7
交通:JR線上野駅公園口より徒歩1分。京成線京成上野駅下車徒歩7分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅より徒歩8分。
「ルドルフ2世の驚異の世界」 Bunkamura ザ・ミュージアム
「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」
1/6〜3/11
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」を見てきました。
アルチンボルドの庇護者でもあり、神聖ローマ帝国皇帝として君臨したルドルフ2世(1552〜1612)は、芸術作品のみならず、最先端の科学機器や世界各地の自然物を蒐集した、稀代のコレクターでもありました。
そのルドルフ2世の好奇心の在処を探る展覧会です。皇帝の集めたコレクションはもちろん、天文学や占星術なども参照し、同時代の多様な自然科学、芸術世界を紹介していました。
1552年、父のマクシミリアン2世の子としてウィーンに生まれたルドルフ2世は、10代の大半をスペインの宮廷で過ごし、カトリックの教徒となりました。のちに皇帝に即位すると、1583年、ハプスブルク家の首都をウィーンからプラハへと移しました。その一因に、自身の弾圧したプロテスタントの荒波から避けるためとも、またトルコを牽制するためであったとも言われています。
ルーカス・ファン・ファルケンボルフの「皇帝ルドルフ2世」は、最近になって発見された肖像画で、皇帝の30歳頃の姿を描いています。儀礼用の甲冑に身を包んだ様子は堂々としていて、装身具の金属の質感なども細かに表現されていました。
作者不詳 「デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの肖像」 1596年 スコークロステル城、スウェーデン
大航海時代以降、ヨーロッパでは領土の拡大が盛んで、それに伴って新たな動植物や鉱物が次々と発見されました。ルドルフ2世の生きた16世紀末から17世紀にかけては、天体観測もはじまり、かのガリレイが地動説を唱えるなど、宇宙への関心も広がった時代でした。そしてルドルフ2世も天文学や占星術への興味が強く、デンマークの天文学者のティコ・ブラーエや、ヨハネス・ケプラーを、お抱えの天文学者として雇用しました。ケプラーの著した「コペルニクス天文学要約」や、ガリレイの「天文対話」などの書籍資料も、見どころの一つと言えるかもしれません。
ファルケンボルフの「ノイゲボイデ城の近くの散歩道に立つ皇帝」は、ルドルフ2世が城の近くのテラス中央に立つ姿を描いた作品で、大勢の人が集い、中には皇帝一向に向けてグラスを差し出す人物も見られました。さらに「バベルの塔の建設」や「峡谷の眺望」など、ファケンボルフの絵画が思いがけないほど充実していたのも特徴かもしれません。
ファルケンボルフと同様、絵画で目立っていたのは、ルドルフ2世のお抱え画家であった、ルーラント・サーフェリーでした。皇帝は標本を蒐集するだけでなく、動物園を築き、とりわけ馬を愛好していました。オランダ生まれのサーフェリーは、ルドルフ2世に呼ばれ、プラハへ移り、鳥獣画を得意としながら、風景画も多く制作しました。アルプス山脈東部のチロル地方に派遣され、山岳風景を皇帝のために描いたこともあったそうです。
ルーラント・サーフェリー「2頭の馬と馬丁たち」 1628年頃 コルトレイク市美術館、ベルギー
そのサーフェリーの「2頭の馬と馬丁たち」は、おそらく皇帝の厩舎で見た馬をモデルとした作品で、馬丁に引かれ、互いに向き合う2頭の馬を真横から描いています。皇帝はヨーロッパ中から良馬を集めては飼育させていたそうです。
ルーラント・サーフェリー 「動物に音楽を奏でるオルフェウス」 1625年 プラハ国立美術館、チェコ共和国
同じくサーフェリーの「動物に音楽を奏でるオルフェウス」も魅惑的な作品ではないでしょうか。主題こそギリシャ神話に基づきながらも、画面を多く支配するのは、数多くの動物たちで、そもそも一見しただけでは、オルフェウスがどこにいるのかもよく分かりません。
ヤン・ブリューゲル(父)「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」 1607年頃 ウィーン美術史美術館
ヤン・ブリューゲル(父)もプラハを訪ねていました。うち「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」は実に艶やかな作品で、大きな花瓶へ生けられた溢れんばかりの花を描いていました。なおここで秀逸なのが、解説のパネルで、画中に登場する46種の花と、約15種の昆虫を図解で紹介しています。見比べるのも面白いのではないでしょうか。
ヨーリス・フーフナーヘル「人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)」 1591年 リール美術館
自然の博物を細密画で表現したヨーリス・フーフナーヘルの「人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)」も目を引きました。毛虫やカタツムリ、それに蛾などを、淡い水彩やグアッシュで描き切っています。フーフナーヘルは皇帝の要請に応じ、こうした細密画や装飾を写本に施しました。隠れた名作と言っても良いかもしれません。フーフナーヘルの水彩が公開されたのは、日本で初めてでもあります。
ジュゼッペ・アルチンボルドは「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」において、皇帝の姿を植物などに置き換えながら、四季を掌握する力を持つ神として表現しました。ここでも嬉しいのが解説のパネルで、洋ナシ、リンゴ、モモからナッツの殻、さらにはバラやカーネーションに至る63種もの構成植物を、図解で紹介していました。かなりの労作と言えそうです。
なおキャプションにも一工夫がありました。パネルに黒字で「R」と記されているのは、ルドルフ2世の旧蔵品で、一方、グレーで「R」とあるのが、皇帝の旧蔵品と考えられる作品でした。鑑賞の参考になるのではないでしょうか。
ディルク・ド・クワード・ファン・ラーフェステイン「ルドルフ2世の治世の寓意」 1603年 プレモントレ修道会ストラホフ修道院、プラハ、チェコ共和国
ほかにはドイツ出身のハンス・フォン・アーヘン、イタリアに学んだバルトロメウス・スプランガー、フランドルのディルク・ド・クワード・ファン・ラーフェステインも、ルドルフ2世に仕えた宮廷画家でした。
またペーテル・ステーフェンス2世の「聖アントニウスの誘惑」も見逃せません。まさに魑魅魍魎、奇怪な魔物たちが無数に登場しますが、ボスやブリューゲルよりも素朴で、何とも可愛らしくも見えなくもありません。ジョルジョ・ギージの版画を着想にして描かれました。こうした必ずしも有名とは言い難い画家にも、見入る作品が少なくありませんでした。
ラストは「驚異の部屋」でした。ルドルフ2世がプラハ城に構えたプライベートミュージアムの一部を再現すべく、舟形杯や人魚のついた杯などの珍しい工芸品から、からくり時計、天文時計に天球儀、さらにはイッカクの牙などを展示していました。自らのミクロコスモスを築いた、ルドルフ2世の趣味の一端を伺い知ることが出来そうです。
チラシの表紙からしてアルチンボルドで、アルチンボルドを中心とした絵画展のように受け止められるかもしれませんが、実際には書物や工芸品など、かなり幅広いジャンルの文物が細々と並んでいました。また所蔵先もプラハ国立美術館、ウィーン美術史美術館のほか、フランスやスイス、それにスウェーデンなどと多岐に渡っていました。これほどのスケールでルドルフ2世関連の文物を見られる機会など、国内ではもうしばらくないかもしれません。
現代美術家、フィリップ・ハースが手がけた3Dアルチンボルドのみ撮影が可能でした。
会期早々に出かけたからか、館内には余裕がありました。ただし1点とはいえ、昨年、人気を博したアルチンボルドの作品がやって来ています。ひょっとすると終盤にかけて混み合うかもしれません。
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『ルドルフ2世の驚異の世界展』。究極の趣味人であるルドルフ2世のプライベートミュージアムの全貌に迫る本展。絵画から、動物や植物に化石や鉱石、天文学に錬金術まで、ありとあらゆるジャンルに好奇心を抱いたルドルフ2世の世界を追体験!※内覧会で撮影 pic.twitter.com/ITDhKOaLoX
— ミュージアムカフェ【公式】 (@museumcafe) 2018年1月10日
3月11日まで開催されています。
「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界」 Bunkamura ザ・ミュージアム(@Bunkamura_info)
会期:1月6日(土)〜3月11日(日)
休館:1月16日(火)、2月13日(火)。
時間:10:00~18:00。
*毎週金・土は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1400)円、大学・高校生1000(800)円、中学・小学生700(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。要事前予約。
住所:渋谷区道玄坂2-24-1
交通:JR線渋谷駅ハチ公口より徒歩7分。東急東横線・東京メトロ銀座線・京王井の頭線渋谷駅より徒歩7分。東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ副都心線渋谷駅3a出口より徒歩5分。
「グレース・タン Materials & Methods」 ポーラミュージアムアネックス
「グレース・タン Materials & Methods」
1/19〜2/18
ポーラミュージアムアネックスで開催中の「グレース・タン Materials & Methods」を見て来ました。
1979年にマレーシアで生まれ、シンガポールに在住するグレース・タンは、ファッションの素材やフォルム、それに構造に着目し、布の作品の制作にとどまらず、いわゆるアートの領域でも幅広く活動してきました。
そのタンの初期から近作までの35点の作品がやって来ました。日本で初めての大型の個展でもあります。
意外な質感を引き出す作品が目を引きました。その1つが「生命体、成長」と題された作品で、透明のアクリルケースの中には、何やらサンゴか植物を思わせるようなオブジェが詰められています。背後からライトに照らされる姿は美しく、まるで清流の中を水草がなびくようにも見えなくはありません。
実のところ素材は、ループピンとケーブルタイ、つまり値札などをつけるタグであり、また結束バントでした。しかも色はなくモノクロームです。このようにタンは、ごくありふれたプラスチック製の日用品を、かくも有機的とも呼べる形態へと変化させました。
タンの構造への考察は、色鮮やかな糸の花のオブジェを生み出しました。それが「秩序と無秩序」で、秩序では、折り目やプリーツのサイズを固定し、何度も繰り返された同じ作品になるように作られています。一方での無秩序は、自然発生的な増殖を志向し、縫い合わせの工程などに特別のルールを用いていません。
また同じサイズのパネルを組み合わせたり、布の寸法を小さいものから大きい布へと組み合わせる作品など、「反復」も制作に当たっての1つのテーマでした。
素材に対しての繊細な感覚が伺えるのも、タンの作品の特徴と言えるかもしれません。「層、堆積」では、素材と顔料の構造方法を探るべく、さも地層を形成するかのようにして、多様な素材を積み重ねています。その1つの原料が炭酸カルシウムであり、天然ミネラルでした。また胡粉やにかわといった、伝統的な顔料を取り込んでいるのも、興味深いポイントかもしれません。
タンのインスピレーションの源は実に多様でした。「MM」は、J.Sバッハの名曲、「フーガの技法」を、超多面体のグラフィック線画に表現しました。さらに「POPPY」では、ポピーの花びらの質感を取り込み、金属ディスクに折り込みの模様を施し、さらに手でボウル型に象りました。また「SYMMETRY」は、内側に三角形、外側に五角形と六角形の二層の球面体で構成された作品で、いずれも「円」から作られました。幾何学的モチーフを取り込んでいるのも、1つの特徴と言えるかもしれません。
最も目立っていたのが、無数のプリーツで構成されたドレスでした。「ruffs」と呼ばれる、16〜17世紀のヨーロッパで男女に用いられた襞襟を寄せ集めた作品で、一般的なドレスの概念とは異なったアッサンブラージュの技法により制作されています。
さらにマテリアル・ラボでは、ループピンやケーブルタイによって構成されたユニットも展示していました。その一部には、1月20日に行われたワークショップの参加者による作品も含まれていました。
タンはシンガポールで大規模なパブリックコレクションを制作しているほか、芸術祭などでもインスタレーションを発表しているそうです。今回は比較的小さな作品が目立ちましたが、いつかは大型の作品に接する機会があればとも思いました。
「オール・ハンドメイド」(公式サイトより)だそうです。タンの素材への学究的な関心はもとより、細かな手仕事にも見入るものがありました。
グレース・タン日本初の大型個展、ファッションデザインのメソッドをアートに https://t.co/ol5lJcEHrP pic.twitter.com/54SZgfijLJ
— NeoL Magazine (@NeoL_Magazine) 2018年1月18日
2月18日まで開催されています。
「グレース・タン Materials & Methods」 ポーラミュージアムアネックス(@POLA_ANNEX)
会期:1月19日(金)〜2月18日(日)
休館:会期中無休
料金:無料
時間:11:00~20:00 *入場は閉館の30分前まで
住所:中央区銀座1-7-7 ポーラ銀座ビル3階
交通:東京メトロ有楽町線銀座1丁目駅7番出口よりすぐ。JR有楽町駅京橋口より徒歩5分。
「南方熊楠ー100年早かった智の人」 国立科学博物館
「南方熊楠ー100年早かった智の人」
2017/12/19~2018/3/4
国立科学博物館で開催中の「南方熊楠ー100年早かった智の人」を見て来ました。
菌類の研究をはじめ、自然史や民俗学の資料を数多く収集したことで知られる南方熊楠は、2017年に生誕150年を迎えました。
それを期しての展覧会です。日記、書簡、筆写ノートのほか、各種の菌類図譜を参照し、熊楠の業績を検証していました。
「和漢三才図会抜書」
はじまりは熊楠の生涯でした。1867年、和歌山の商家に生まれた熊楠は、幼い頃から百科事典や本草書の筆写に取り組みました。よほど早熟だったのでしょうか。早くも8歳にして、「和漢三才図会」105巻の筆写に励みました。
「予備門時代のノート」
そして和歌山中学校に進学し、西洋の博物学を学び、17歳にして東京帝国大学予備門(現、教養学部)に進学します。しかし予備門で落第したため、中退し、和歌山へと帰郷しました。学業そっちのけで、菌類の標本採集に明け暮れていたそうです。
ここで熊楠は思い切った行動に出ました。渡米です。博物学的な学問への関心が捨てきれない熊楠は、酒造会社で成功していた父に、「商売の勉強のため」と称して、サンフランシスコへと渡りました。時に熊楠、20歳、1887年のことでした。
「書き込み該当植物標本」(ミシガン州にて)
当初はビジネススクールに入学しますが、興味が持てずに退学し、ミシガンへと移り、同地の州立農学校へと入学します。しかしここでも安定しません。豪気な性格だったのか、ほかの学生との衝突や飲酒事件により、校則に違反して、退学を余儀なくされました。
それ以降は、独学を貫きました。同じくミシガン州のアナーバーへと移り、アマチュアの菌学者のウィリアム・カルキンスと交流しながら、標本の採集に務めました。フロリダからキューバへの採集旅行に出かけたこともありました。
「ロンドン抜書」/「ロンドン戯画」
さらに熊楠は海を渡りました。行き先はロンドンです。ここではアメリカ時代の採集活動とは一転、大英博物館図書室に足繁く出入りし、東洋関係の文物の整理をしながら、読書に励み、民俗学や自然科学の知識を吸収しました。一連の書籍からノートに抜き書きした、通称「ロンドン抜書」は、計52冊、1万ページにも及びました。さらに科学誌「ネイチャー」に「東洋の星座」のほか、多数の論文を投稿するなどして活動しました。
結果的に熊楠は14年間にも及ぶ渡米、渡英生活を終え、1900年に帰国しました。数年前に父が亡くなり、実家から仕送りが途絶えたことも一因だったそうです。和歌山市に戻った熊楠は、その後、那智へ赴き、再び収集活動に没頭します。先の「ロンドン抜書」を用いては論文を執筆し、充実した時間を過ごすも、のちに論文が不採択になるなど、研究活動は次第に追い込まれていきました。
「変形菌類の進献標本」
しかしここで負ける熊楠ではありません。次に拠点としたのは紀伊田辺でした。1906年には神社の宮司の四女、松枝と結婚し、家庭を築きます。この頃から再び生活が安定しはじめたようです。日本の変形菌をリストアップした目録を出版し、時の摂政宮(のちの昭和天皇)に標本を献上するなど、研究者としての一定の評価を得ました。
「キャラメル箱」 *熊楠が標本を入れた箱と同型のもの
1929年、62歳の熊楠は、南紀に行幸した昭和天皇に直接、ご進講する機会を得ました。この時、標本などを献上しましたが、高級な桐箱ではなく、なんとキャラメルの空箱に入れて献じたそうです。そして1941年、74歳で生涯を閉じました。
「菌標本」(長持ち)
フィールドワーク関係の資料が充実していました。熊楠は帰国後、変形菌10、キノコ450、地衣類100などと目標を立てて、採集活動に励んでいましたが、9ヶ月で目標を超えてしまいます。
「絵具・描画道具入り採集箱」
採種のためのピンセットやハンマー、またキノコの形を写すための絵具入りの採種箱も目を引きました。那智の生物多様性は、熊楠の想像を遥かに超えるものだったようです。一時期の日光への採種旅行のほかは、紀伊半島から出ることはありませんでした。
「熊楠が採集した大型藻類標本」ほか
熊楠が特に関心を持っていたのは、シダやコケ、それに菌類などを意味する隠花植物でした。ここで面白いのは、熊楠が採種した標本と、現代の標本資料が比較されていることです。熊楠の研究成果と、現代の科学の知見を相互に見比べることが出来ました。
「熊楠が採集した菌類標本」と「現在の菌類標本」
熊楠の標本は、自然科学で分類上の所属を決定する、いわゆる同定がなされていないものも少なくありません。特に地衣類は700点も収集しましたが、大半が未同定でした。日本の地衣類についてのデータがまとめられていなかったことなどが原因でもあるそうです。
「菌名:記載なし」ほか 1903.4.6採集
ハイライトとも言えるのが、熊楠の残した大量の「菌類図譜」でした。熊楠は那智から田辺時代に採取した菌類を水彩で描写し、実物をスライスするなどして貼り付け、さらに採取地や形態や色、匂いなどの情報を事細かに記した「菌類図譜」を制作しました。全部で4000点にも及びます。
「菌名:Fomes」 1921.8.10採集
現在、「菌類図譜」の大半は、国立科学博物館に所蔵されていますが、一部は欠けていて、全て揃っていませんでした。しかし近年になって、欠けていた部分が発見されました。それらを「菌類図譜・第二集」として、今回初めて公開しています。
これが実際に見るとかなり細かくて驚きました。また会場では、そもそも何故に熊楠が図譜を残したのかや、何を目的にしようとしていたのかについても、パネルで検証していました。理解も深まるのではないでしょうか。
「南方二書」
神社合祀反対運動も熊楠の重要な活動の1つでした。1906年に明治政府は、神社合祀に関する勅令を出します。それは町村合併により、複数の神社を1つに統合するもので、廃止された神社の土地を民間に払い下げることを目的としました。日露戦争での戦費を補う意味もあったそうです。
これに異を唱えたのが熊楠でした。彼は神社の森が消えることで、貴重な生態系が破壊されることや、日本の精神世界に悪しき影響を与えると指摘しました。かの民俗学者、柳田国男も熊楠の支援にまわり、反対意見を記した「南方二書」を印刷し、各界の有識者に配布しました。一種の自然保護運動と呼んでも差し支えないかもしれません。
「熊楠の自筆原稿」 十二支考「鼠」原稿
ラストは、熊楠が、1914年から雑誌「太陽」に連載した「十二支考」でした。各年の干支の動物について、各国語の語源、ないし生物学的特徴、史話、民俗などの分野の知識を紹介するもので、今でも熊楠の世界観を示す著作として知られています。
「虎 腹稿」
その自筆原稿とともに重要なのが、複数の腹稿と呼ばれるメモでした。しかし単にメモといえども、極めて個性的で、素人では文字の解読はもはや出来ません。
「智の構造を探る」 パネル展示
それゆえに現在も副稿を解読すべく研究が進んでいるそうです。熊楠の思考プロセスを垣間見るかのようでした。
「南方熊楠ー100年早かった智の人」会場風景
会場は、常設展内、日本館1階の企画展示室です。必ずしも広いスペースではありませんが、ともかく資料は大変に豊富で、熊楠の業績を丁寧にかつ多面的に追いかけていました。
休日の夕方前に行ってきましたが、場内は思いの外に混雑していました。行列などは皆無ですが、金曜、土曜日の夜間開館も有用となりそうです。
また係の方に申し出ると、内容に準拠した立派なリーフレットも頂戴出来ました。常設展入館料で観覧可能ですが、一特別展としても遜色がありません。想像以上に充実していました。
3月4日まで開催されています。これはおすすめします。
「南方熊楠ー100年早かった智の人」 国立科学博物館
会期:2017年12月19日(火)~2018年3月4日(日)
休館:7月18日(火)、9月4日(月)、11日(月)、19日(火)。
時間:9:00~17:00。
*毎週金・土曜日は20時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般・大学生620円、高校生以下無料。
住所:台東区上野公園7-20
交通:JR線上野駅公園口徒歩5分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、京成線京成上野駅徒歩10分。
「Moving Plants 渡邊耕一展」 資生堂ギャラリー」
「Moving Plants 渡邊耕一展」
1/13~3/25
資生堂ギャラリーで開催中の「Moving Plants 渡邊耕一展」を見てきました。
東アジア原産で、日本でも雑草として生息し、世界各地に広まった多年生植物、「イタドリ」の姿を、10年もかけて撮り続けた一人の写真家がいました。
その人物こそが渡邊耕一です。1967年に大阪で生まれ、1990年に大阪市立大学文学部心理学専攻を卒業。のちにIMI研究所写真コース修了し、主に植物をテーマとした写真作品を作り続けています。
渡邊が初めてイタドリに出会ったのは、今から約15年前、旅先の北海道の平原でした。風景の隅々に巨大な草があることに気づいた渡邊は、植物図鑑を頼りに、植物の名を探しました。それが「オオイタドリ」という名前でした。そしてイタドリの葉を眺めているうち、かつて自宅付近の小川の土手に、たくさんの白い花を咲かせていた姿を思い出したそうです。
イタドリは古くから日本に根付いていた植物でした。例えば江戸時代の「和漢三才図会」でも、日本書紀や枕草子の逸話が引用されている上、植物の薬効や特性についての記述もあります。また薬草だけなく、食材として利用する地域もありました。もはや文化の中に入り込んでいると言って良いかもしれません。
イタドリは19世紀に入って世界へと広まりました。きっかけは、ドイツの医者で、植物学者でもあったシーボルトでした。1823年、オランダ政府の委嘱を受けたシーボルトは、オランダ商館医として長崎の出島へとやって来ました。出島内にて開業し、のちに鳴滝塾を開設しては、西洋医学を教えました。さらに日本の自然誌的研究を行い、収集した植物を大量に本国へ持ち帰りました。その中にイタドリも含まれていたようです。
今でもオランダのライデンの植物園には、シーボルトの植えた個体が生きていて、「シーボルトが導入したイタドリ」とラベルの付されたイタドリも植えられています。また1850年には、イギリスのキュー王立植物園へもイタドリが届けられました。つまりイタドリは、長崎に滞在していたシーボルトにより、園芸用のアイテムとしてヨーロッパに持ち出され、世界へと広まったわけでした。
イタドリの生命力は強く、次第に野生化し、土地の生態系を変えてしまうほど繁殖しました。特に地下茎が強靭で、コンクリートやアスファルトを突き破るほどの力を持っているそうです。現在では国際自然保護連合により、侵略的外来種ワースト100に選定され、駆除の対象と化しました。実際にイギリスでは環境保護法により、イタドリを含む土壌の運搬が禁止されているほか、イタドリの天敵とされる虫を放つ作業も行われているそうです。ただし一筋縄ではいかないのか、今の段階において虫による防除は機能していません。
会場では、渡邊が撮影した各地域のイタドリをはじめ、駆除に関する研究所、さらには花卸売場の写真のほか、シーボルトに関する資料などを展示しています。
いわゆる写真展ではありますが、フィールドワークは大変に綿密で、イタドリに関するドキュメンタリーを見ているような気持ちにさせられました。詳細な解説シートしかり、かなり読ませます。
イタドリの旺盛な生命力は、プリント作品からもひしひしと伝わりました。今後、この緑は、いかなる生態系を生み出すのでしょうか。
「渡邊展Moving Plants」がスタートしました📷こちらは内覧会の様子。和やかな雰囲気の中、展示の見どころなどについて渡邊さんにお話しいただきました。 pic.twitter.com/i8mRMJZsrJ
— 資生堂ギャラリー (@ShiseidoGallery) 2018年1月16日
奥の小展示室のみ撮影が可能です。3月25日まで開催されています。
「Moving Plants 渡邊耕一展」 資生堂ギャラリー(@ShiseidoGallery)
会期:1月13日(土)~3月25日(日)
休廊:月曜日。
料金:無料
時間:11:00~19:00(平日)、11:00~18:00(日・祝)
住所:中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル地下1階
交通:東京メトロ銀座線・日比谷線・丸ノ内線銀座駅A2出口から徒歩4分。東京メトロ銀座線新橋駅3番出口から徒歩4分。
「色絵 Japan CUTE!」 出光美術館
「色絵 Japan CUTE!」
1/12~3/25
古九谷、柿右衛門、鍋島から京焼、さらには欧州の焼き物などが揃います。出光美術館で開催中の「色絵 Japan CUTE!」を見てきました。
出展は怒涛の180点超です。大半が出光美術館のコレクションですが、ごく一部にサントリー美術館の作品が加わっていました。
色絵とは「釉薬をかけて焼いてから、色絵具で絵付けをしたやきもの」(解説より)を意味しますが、より広義に、色彩に彩られた焼き物を紹介しているのも特徴です。
「色絵花鳥文大皿」 古伊万里 江戸時代中期
はじまりは「季節を祝う、慶びを贈る」と題し、春夏秋冬のモチーフのほか、慶事に際し、贈物として人々に行き交った色絵の紹介でした。冒頭の鍋島の「色絵松竹梅文大皿」からして優品で、染付による松と梅の枝に、白い梅の花や竹の笹を色絵具で描き、まさにお正月に相応しい華やかな世界を構築していました。
伊万里の「色絵熨斗破魔弓文皿」も艶やかで、皿の中に、矢筒や弓がぐるりと一周、円を描くように表されています。破魔弓は男児の正月に送られる縁起物から、おそらくは正月用の祝いの器に用いられたと考えられていて、中には将軍の嫡子への献上品だという指摘もあるそうです。何と格式の高い作品ではないでしょうか。
色絵には季節感も重要でした。一例が「色絵梅花鷽文富士形皿」で、富士山の形をした皿に、梅や鷽が描かれています。この鳥の鷽(うそ)は、嘘に通じることから、前年の凶事を嘘とし、今年の吉事に置き換えることを祈念した、いわゆる春の正月の鷽替えの神事として表されました。
波間に牡丹を描いた「色絵波牡丹文皿」も美しいのではないでしょうか。夏を表す作品で、牡丹は日輪のごとく咲き誇り、どこか祝典的な雰囲気も感じられなくもありません。また紫陽花の花のみならず、葉脈までも細かに表した「色絵紫陽花文共蓋壺」も味わい深い作品でした。まさに四季折々の風情を色絵から楽しむことが出来ました。
続くキーワードが「ファッションと文学」でした。そもそも色絵には、流行の先端にあった小袖のデザインを取り入れた作品も少なくありません。
例えば古九谷の「色絵瓜文大皿」です。皿の全体に、瓜の葉を広がる姿を表現していますが、小袖の雛型本から取り込まれたモチーフで、細かい丸文も、染色の絞りの文様に似ていました。
文学主題では尾形乾山の「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」に心惹かれました。定家に詠まれた各月の花鳥を皿に表した作品で、一月は鶯、二月は雉、三月は雀と続いていきます。また、皿の裏面に記された和歌が、パネルで紹介されていたのも嬉しいところでした。さらに同じく乾山の「色絵龍田川文透彫反鉢」も、和歌でも登場する紅葉の名所を、鉢全体の内外で表現した作品で、朱や黄に染まる紅葉は、まるで実際の水に流れているかのようでした。乾山の表現力に改めて感心させられました。
「色絵花鳥流水文蓋物」 柿右衛門 江戸時代前期
日本の柿右衛門や古伊万里は欧州へ輸出され、ドイツのマイセン、オランダのデルフト、イギリスのウースターなどに大きな影響を与えました。
その日欧の焼き物の比較も見どころの1つです。例えば柿右衛門の「色絵梅粟鶉文皿」では、梅と鶉、それに粟の穂を描いていますが、チェルシー窯の「色絵梅粟鶉文十角皿」にも、同様のモチーフを見ることが出来ました。
「色絵梅菊文水注・ティーカップ」 ドイツ・マイセン窯 18世紀
日中欧の色絵三変奏と呼べるかもしれません。それが柿右衛門の「色絵粟鶉文八角鉢」と景徳鎮の「五彩粟鶉文皿」、そしてデルフトの「色絵粟鶉文大皿」で、いずれも鶉の番いなどをモチーフにしているものの、例えば景徳鎮ではバッタが描き加えられ、デフルトではより素朴な描写として表されるなど、微妙な変化も見られました。解説に「伝言ゲーム」とありましたが、必ずしも写しではなく、アレンジが加わるのも興味深いところでした。
それにしてさすがの優品揃いです。心惹かれた作品は1つや2つにとどまりません。うち古伊万里の「色絵縞文各徳利」も魅惑的でした。各徳利の各面に、赤、緑、茶の色の帯を、斜めのストライプにして描いています。そのデザインは今見ても古びることはありません。さぞかし酒もすすみそうです。
「色絵熨斗文茶碗」 野々村仁清 江戸時代中期
茶の湯や、紅茶やコーヒのポットにカップなど、いわゆる茶会の器にも色絵は数多く登場しました。野々村仁清の「色絵熨斗文茶碗」のデザインも斬新で、カラフルな熨斗が、茶碗の胴を棚引くように表現しています。熨斗の縁が、僅かな金彩で象られているのも風雅でした。
これまでにも度々、出光美術館の展示を追いかけてきたつもりでしたが、まさかこれほど色絵のコレクションが充実しているとは思いませんでした。日本の器だけでなく、マイセンもウースターもデルフトも、出光のコレクションでした。
「色絵紅葉文壺」 尾形乾山 江戸時代中期
開催第1週目の土曜日に出かけたからか、館内には余裕がありました。
【サライ.jp最新記事】 江戸時代に花開いたカラフルなやきもの「色絵」の魅力に迫る展覧会《色絵 Japan CUTE!》 https://t.co/gyV49BDg8G #催し物 <<クリックしてチェック! pic.twitter.com/FzYJuwivzj
— 大人の雑誌『サライ』公式 (@seraijp) 2018年1月12日
3月25日まで開催されています。
「色絵 Japan CUTE!」 出光美術館
会期:1月12日(金)~3月25日(日)
休館:月曜日。但し2月12日は開館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜日は19時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1000(800)円、高・大生700(500)円、中学生以下無料(但し保護者の同伴が必要。)
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ有楽町線有楽町駅、都営三田線日比谷駅B3出口より徒歩3分。東京メトロ日比谷線・千代田線日比谷駅から地下連絡通路を経由しB3出口より徒歩3分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
「ポスターで見る映画史Part3 SF・怪獣映画の世界」 東京国立近代美術館フィルムセンター
「ポスターで見る映画史Part3 SF・怪獣映画の世界」
1/4~3/25
国内外のSF・怪獣映画ポスターが一堂に会しました。東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の、「ポスターで見る映画史Part3 SF・怪獣映画の世界」を見てきました。
「金星ロケット発進す」 1960年 クルト・メーツィヒ監督
前半は海外のSF・怪獣映画です。冒頭を飾るのは、1927年に公開された、古典的SF映画の「メトロポリス」のポスターでした。フリッツ・ラング監督によるドイツのサイレントの作品で、制作時から100年後のディストピア的世界を描きました。ポスターは1984年のリバイバル版でしたが、日本初公開時のパンフレットもあわせて展示されていました。幾何学モチーフを駆使したデザインは、今もなお、新鮮に映るかもしれません。
左下:「原始怪獣現わる」 1953年 ユージン・ロリー監督
「原始怪獣現わる」のポスターも迫力満点でした。1953年にアメリカで制作された作品で、映画史上、初めて核実験で誕生した怪獣が登場し、のちに日本の「ゴジラ」にも影響を与えました。牙を向いては街に襲いかかる怪獣の姿と、大混乱の中で逃げ惑う人々の光景には臨場感もありました。当時も、相当のインパクトをもって受け止められたのではないでしょうか。
スタンリー・キューブリック監督の映画ポスターも見どころの1つです。うち目立つのは、宇宙ステーションをデザインした、「2001年宇宙の旅」のポスターでした。言わずとしれたSF映画の金字塔で、私もリアルタイムでこそなかったものの、子どもの頃に何度かTVやメディアで見ては、かのラストへと至る謎めいたシーンに、何とも不思議な気持ちにさせられたことを思い出しました。
さらに続くのが、1960年代から80年代へ至るヨーロッパのSF映画で、タルコフスキーの名を世界に広めた「惑星ソラリス」などのポスターが目を引きました。
昨年12月にエピソード8が公開された、「スター・ウォーズ」シリーズのポスターもありました。1977年に公開の「新たなる希望」にはじまり、1980年の「帝国の逆襲」、さらに「ジェダイの帰還」から、のちにエピソード1として公開された「ファントム・メナス」へと続きます。第1作〜第6作目までの歴代ポスターが揃っていました。
「スター・ウォーズ 公開一周年記念ポスター」 1978年
また第1作の日本公開時に来日した、スタッフ、出演者が直筆のサインをした「スター・ウォーズ 公開一周年記念ポスター」も見逃せません。写真では分かりにくいかもしれませんが、スター・ウォーズ1周年を祝うためのケーキを模した部分に、監督のルーカスをはじめ、ハン・ソロのハリソン・フォード、さらにレイア姫のキャリー・フィッシャーらのサインが記されていました。なお一周年とあるのは、日本の公開が、アメリカより1年後であったためだそうです。まさにお宝ポスターでした。
さらに1970年代末から80年代にかけて、世界的にヒットした「エイリアン」、「グレムリン」、「ターミネーター」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ロボコップ」などのポスターも展示されています。またファンにとって嬉しいのが、1979年に公開された「スター・トレック」のポスターがあったことでした。七色の光の放つ宇宙空間の中を、カークやスポックの姿とともに、エンタープライズ号が進む姿をデザインしています。スター・トレックの原作者でもある、ジーン・ロッデンベリーが自ら製作した、記念すべき映画版の第1作でした。
後半は日本のSFと怪獣映画のポスターです。うちやはり目立つのが、一連の「ゴジラ」のシリーズで、1954年の1作目より、2004年の「ゴジラ FINAL WARS」までの13点のポスターが紹介されていました。とりわけ熱線を吹き出しながら、暴れるゴジラの立ち姿を描いた1作目のポスターは強烈で、赤く太い「ゴジラ」の題字も、先の「原始怪獣現わる」を彷彿させなくもありません。
そのゴジラのヒットにより生み出された、モスラやガメラなど、ほか怪獣映画のポスターも充実していました。中でもポスター8枚を並べ、幅3メートルにも及ぶ「モスラ」のポスターは圧巻の一言でした。これほどに巨大なポスターをどこに貼ったのでしょうか。
ラストは1970年以降の日本のSF映画のポスターでした。小松左京原作の「日本沈没」や、筒井康隆の小説に基づく「時をかける少女」も興味深いかもしれません。海外SF映画や日本の怪獣映画のポスターとはまた違ったセンスが感じられました。
全117点の展示です。ほかに映像や資料も加わります。何も映画の内容を知らずとも、ポスターを前にするだけでわくわくさせられるような展覧会でした。
【フィルムセンター】本日4日、展覧会「ポスターでみる映画史Part 3 SF・怪獣映画ポスターの世界」が開幕しました! ここでしか見られない幅約3メートル、8枚組の『モスラ』巨大ポスターにぜひご対面ください→ https://t.co/4ETvLHbD24 pic.twitter.com/f3Amv1qkJx
— 【公式】東京国立近代美術館 広報 (@MOMAT60th) 2018年1月4日
数枚のポスターのみ撮影が出来ます。(掲載写真は、撮影可能コーナーで撮影。)
3月25日まで開催されています。
「ポスターで見る映画史Part3 SF・怪獣映画の世界」 東京国立近代美術館フィルムセンター(@MOMAT60th)
会期:1月4日(木)~3月25日(日)
休館:月曜日。
時間:11:00~18:30
*入館は閉館30分前まで
料金:一般250(200)円、大学生130(60)円、高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*常設展示「日本映画の歴史」の入場料を含む。
住所:中央区京橋3-7-6
交通:東京メトロ銀座線京橋駅出口1より徒歩1分。都営浅草線宝町駅出口A4より徒歩1分。
「webイベント あなたが選ぶ展覧会2017」を開催します
2015年には「グエルチーノ展」、2016年には「若冲展」が、それぞれベスト展覧会に選ばれました。エントリーや投票、またイベントに参加して下さった全ての方に、改めて感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
「あなたが選ぶ展覧会2016」最終投票結果発表
「あなたが選ぶ展覧会2015」最終投票結果発表
すっかり年も明けてしまいましたが、2017年の「あなたが選ぶ展覧会」を開催します。
「あなたが選ぶ展覧会2017」
http://arttalk.tokyo/
基本的な流れはいつもと同じです。まず、皆さんにとって良かった2017年の展覧会を、最大で3つまで挙げていただきます。それを集計して、一度発表し、全部で50の展覧会に絞ります。さらにその中から最終投票という形で、「ベスト10」を選定します。エントリーと投票の2段階方式です。最終結果は、2月18日(日)の午前10時半より、web上のライブイベントで発表します。
「あなたが選ぶ展覧会2017 受付フォーム」→http://arttalk.tokyo/form/form.cgi
既に専用フォームからエントリーを受付中です。お名前(ハンドルネーム可)とメールアドレス、それにお気に入りの展覧会や理由を入力して下さい。
「あなたが選ぶ展覧会2017 イベントスケジュール」
1.エントリー受付
2017年に観た展覧会で良かったと思うものを3つあげていただきます。
http://arttalk.tokyo/form/form.cgi
*1月28日(日)締め切り
2.ベスト50展発表
エントリーしていただいた多くの展覧会の中から、上位50の展覧会を2月1日(木)にwebサイト上で発表します。
3.ベスト展覧会投票
50の展覧会の中から、さらにベストの展覧会を選んでいただきます。あなたが選ぶ2017年のベスト展覧会を1つ選んで投票して下さい。
*投票期間:2月1日(木)~2月11日(日)まで
4.ベスト展覧会決定
最終的な投票結果は、2月18日(日)の10時30分から、webのライブイベントで発表致します。
エントリーの受付期限は1月28日(日)までです。発表のライブイベントの参加如何に関わらず、受付フォームから自由に挙げていただくことが出来ます。最大で3つエントリー可能ですが、1つでも構いません。
準備が遅れてしまい申し訳ありませんでした。少しでも多くの展覧会を振り返るためにも、たくさんの方がエントリーして下されば嬉しいです。それではエントリーをお待ちしております。
[あなたが選ぶ展覧会2017 イベント概要]
開催期間:2018年1月15日(月)~2月18日(日)
エントリー受付期限:1月28日(日)
受付フォーム:http://arttalk.tokyo/form/form.cgi
上位50展発表:2月1日(木)
ベスト展覧会投票期間:2月1日(木)~2月11日(日)
「あなたが選ぶ展覧会2017」発表ライブイベント:2018年2月18日(日)午前10時半より。
*青い日記帳のTak(@taktwi)さんと、ジャーナリストのチバヒデトシ(@chibahide)さんとともに、WEB上のライブで発表します。
「シュルレアリスムの美術と写真」 横浜美術館
「コレクション展 全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」
2017/12/9~2018/3/4
自館のコレクションのみで、これほど大規模なシュルレアリスム展を開催出来る美術館は、国内では極めて稀かもしれません。
マックス・エルンスト「子供のミネルヴァ」 1956年
横浜美術館の開館以来、初めての一大シュルレアリスム展です。写真展示室を除く、全ての常設展示室を用い、国内外約50作家による、約350点のシュルレアリスムに関する作品が展示されています。
単に作品を並べるのではなく、11のキーワードに沿って、シュルレアリスムの性質、ないし魅力を探っているのも、重要なポイントと言えるかもしれません。冒頭のキーワードは、何やら謎めいた「上手である必要はない」で、シュルレアリスムの美術家が、上手に描くことよりも、無意識のイメージを、時に自動的な動きで、白日の下に引き出そうとした取り組みを紹介していました。
オスカル・ドミンゲス「無題(デカルコマニー)」 1953年
それが例えばコラージュやフロッタージュ、フォトグラムで、マン・レイの数点の写真のほか、絵具のシミを活かすデカルコマニーを用いた、スペインの画家、オスカル・ドミンゲスの「無題」などが印象に残りました。
ルネ・マグリット「青春の泉」 1957-58年
続くキーワードは、「手さぐりの風景」で、いわゆる風景画に着目しています。しかしながら、シュルレアリストらは、眼前のリアルな風景を表すのではなく、心象風景やデジャヴを呼び起こすような空想の風景を作り上げました。人間の外の世界と内の世界は、ともに連続した現実であると考えていたようです。
左:ロベルト・マッタ「コンポジション」 1957-59年
右:イヴ・タンギー「風のアルファベット」 1944年
ここではマグリットの「青春の泉」や、イヴ・タンギーの「風のアルファベット」が目を引くのではないでしょうか。さらにチリ出身の画家、ロベルト・マッタの「コンポジション」といった、一般的に有名とは言い難い作品にも、見応えのあるものが少なくありません。改めて、横浜美術館のシュルレアリスム・コレクションの充実ぶりに驚かされました。
アンドレ・ケルテス「四ツ辻、1930年、ブロワ」 1930年 ほか
写真が目立つのも特徴です。マン・レイを筆頭に、ボワファール、アンドレ・ケルテス、そしてヴォルスらの作品が続きます。また同じく写真家のアジェは、パリの街路や店舗などの光景をカメラに記録し、画家や舞台美術家に販売しましたが、その都市の記録は、マン・レイやアボットらのシュルレアリスムの美術家に影響を与えました。
中央:パブロ・ピカソ「ひじかけ椅子で眠る女」 1927年
シュルレアリスムの美術家らにとって、古来より美術の主題の担い手であった女性も、重要なインスピレーションの源でした。ピカソは「ひじ掛け椅子で眠る女」にて、縦縞模様の服を着た一人の女性が、椅子に腰掛けてはくつろぐ姿を表現しました。目や鼻、そして口は、各々に記号化、ないし異なる角度から示されていて、とりわけ歯を剥き出しにした口元が特徴的でもありました。いわゆる新古典主義のピカソが、シュルレアリスムに接近した時期に描かれました。
右下:マン・レイ「ガラスの涙」 1930年 *後年のプリント
「あなたは私のどこが…」もキーワードの1つです。シュルレアリスムの芸術家は、身体の一部分、つまり目や耳、口や手、それに足などのパーツに注目し、単独のモチーフや風景と組み合わせて、多様なイメージを生み出しました。ここでは、目を取り上げたマン・レイや、臀部のみを捉えたベルメールの作品が面白いかもしれません。
ポール・デルヴォー「階段」 1948年
シュルレアリスムの作品には、マネキンや玩具などの人形も数多く登場しています。例えばデルヴォーの「階段」では、生身の半裸の女性とマネキンが、ともに同じレースの服を着ていました。さらにキリコ(工房)の「吟遊詩人」では、もはやマネキン自体が、人間に変わって主役を演じていました。またヴォルスやマン・レイの写真にも、人形やマネキンを捉えた作品がありました。
手前:ジョルジオ・デ・キリコ「ヘクトルとアンドロマケ」 1973年
奥:ジョルジオ・デ・キリコ (工房)「吟遊詩人」 制作年不詳
シュルレアリスムとマネキンの関係は、ともすると見逃しがちと言えるかもしれません。
左:桂ゆき「飛ぶ」 1950年
さらにキーワードは、「讃える方法」、「死を克服する方法」、「絵と言葉が出逢った」、「シュルレアリスムはスタイルか?」へと進み、時に疑問符を投げかける形で、シュルレアリスムの様々な側面を明らかにしていきます。また瑛九や鶴岡政男などの、日本のシュルレアリスムの展開も見過ごせませんでした。
ハンス(ジャン)・アルプ「成長」 1938年(1983年鋳造)
それにしても展示数からして膨大です。ここで紹介した作品は、ごく一部に過ぎません。
手前:サルバドール・ダリ「ニュートンを讃えて」 1969年
奥:サルバドール・ダリ「ヘレナ・ルビンシュタインのための装飾壁画 幻想的風景ー暁、英雄的正午、夕べ」 1942年
横浜美術館といえば、昨年、同じくコレクション展にて「全館写真展示」が開催されましたが、それに匹敵するか、あるいは上回るほどに充実していました。
シュールな世界へようこそ。横浜美術館に約300点が集結。https://t.co/ZChZC9OdSG
— VOGUE JAPAN (@voguejp) 2017年12月25日
常設展のため撮影も可能です。3月4日まで開催されています。石内都展とあわせておすすめします。
*関連エントリ(いずれも横浜美術館にて3/4まで開催中)
「石内都 肌理と写真」/「特集展示 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」
「コレクション展 全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」 横浜美術館(@yokobi_tweet)
会期:2017年12月9日(土) ~ 2018年3月4日(日)
休館:木曜日。但し3月1日(木)は開館。年末年始(12月28日~1月4日)。
時間:10:00~18:00
*3月1日(木)は16時、3月3日(土)は20時半まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般500(400)円、大学・高校生300(240)円、中学生100(80)円。小学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体。要事前予約。
*毎週土曜日は高校生以下無料。
*当日に限り、企画展「石内都展」のチケットで観覧可。
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
交通:みなとみらい線みなとみらい駅5番出口から徒歩5分。JR線、横浜市営地下鉄線桜木町駅より徒歩約10分。
「石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」 横浜美術館
「特集展示 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」
2017/12/9~2018/3/4
横浜美術館の写真展示室では、企画展の「石内都 肌理と写真」にあわせ、石内のデビュー作である「絶唱、横須賀ストーリー」を紹介する展示が行われています。
石内都「絶唱、横須賀ストーリー」 1976〜77年
「絶唱、横須賀ストーリー」は、「Apartment」、「連夜(れんや)の街」と並ぶ、石内の初期三部作の1つで、例の黒い粒子を伴った、ざらりとした肌合いの肌理を特徴とするモノクロームの連作です。
石内都「絶唱、横須賀ストーリー」 1976〜77年
そもそも横須賀は、石内が6歳から19歳の間に暮らした街でした。しかし軍港の街に対して必ずしもポジティブではなく、むしろ馴染まなかったと語っています。石内は横須賀を離れてから9年後の1976年に再び戻り、おおよそ1年間かけて撮影しました。
石内都「絶唱、横須賀ストーリー」 1976〜77年
街全体を俯瞰した作品から、古びたアパート、そして小道で子どもが走り、猫がやぶにらみする様子など、何気ない日常の光景が捉えられています。不思議な距離感がありながらも、時に人の生活の気配が強く、街のいわば体温、言い換えれば臭いが感じられるような気がしてなりませんでした。馴染まなかったとはいえ、多感な思春期を過ごした地のことです。複雑な感情が投影されているのかもしれません。
写真集「絶唱、横須賀ストーリー」
「絶唱、横須賀ストーリー」は、いずれも横浜の自宅の暗室で現像したヴィンテージプリントで、全部で55点ありました。さらに撮影時に使用した地図のほか、10年後に横須賀港で撮影した、「同級生」シリーズのうちの2点も展示されていました。
石内都「絶唱、横須賀ストーリー」 1976〜77年
もちろん企画展のチケットで観覧出来ます。写真展示室はコレクション展の一番最後のスペースです。お見逃しなきようご注意下さい。
横浜美術館では、新作含め240点におよぶ「石内都 肌理と写真」展にあわせて、常設展示室でデビュー作「絶唱、横須賀ストーリー」も展示されています。1977年に銀座ニコンサロンで展示されたヴィンテージプリントを見ることができます。3/8まで。(編集部)https://t.co/5D14lrupGO pic.twitter.com/2DbUgHdHa7
— artscapeJP (@artscapeJP) 2017年12月9日
3月4日まで開催されています。
*関連エントリ(いずれも横浜美術館にて3/4まで開催中)
「石内都 肌理と写真」/「コレクション展 全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」
「特集展示 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」 横浜美術館(@yokobi_tweet)
会期:2017年12月9日(土) ~ 2018年3月4日(日)
休館:木曜日。但し3月1日(木)は開館。年末年始(12月28日~1月4日)。
時間:10:00~18:00
*3月1日(木)は16時、3月3日(土)は20時半まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般500(400)円、大学・高校生300(240)円、中学生100(80)円。小学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体。要事前予約。
*毎週土曜日は高校生以下無料。
*当日に限り、企画展「石内都展」のチケットで観覧可。
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
交通:みなとみらい線みなとみらい駅5番出口から徒歩5分。JR線、横浜市営地下鉄線桜木町駅より徒歩約10分。
「石内都 肌理と写真」 横浜美術館
「石内都 肌理と写真」
2017/12/9~2018/3/4
横浜美術館で開催中の「石内都 肌理と写真」を見てきました。
群馬県の桐生に生まれた石内都(1947〜)は、思春期を横須賀で過ごしたのち、横浜へ転居して、写真家としての活動をはじめました。
まさにゆかりの横浜での一大個展です。石内自らが「肌理」(きめ)をキーワードに掲げ、初期から近作までの240点を展示しています。
冒頭から「横浜」でした。デビュー前に撮影された「金沢八景」のシリーズで、1975年に移り住んだ同地の風景を写しています。ここで早くも写真には、黒く細かな粒子、つまり肌理が現れていました。石内は自宅に暗室を構え、最初期の作品のみならず、のちの「Mother’s」へと至るモノクローム写真を制作しました。
同じく横浜のアパートや近代建築を捉えたのが、「Apartment」で、古びた室内や下駄箱、さらに汚れた壁やドアなどを写しています。ここでも同様に肌理が立ち上がり、ざらりとした感触を見ることが出来ました。なおこのシリーズで石内は、写真界の芥川賞とも呼ばれる、第4回木村伊兵衛写真賞を受賞しました。
さらに「yokohama 互楽荘」でも肌理が際立っていました。互楽荘は1932年、当時としては最先端の設備を伴って建設されたアパートで、石内は1986年から1年をかけ、アパートの最後の姿を撮り収めました。ここで目立つのが、やはり壁や天井の剥がれたクロスで、建物の歴史、ないし人の生活の痕跡を伺うことが出来るかもしれません。一部の壁は、何やら波打っていて、まるで人間の皮膚の襞のようでした。アパートは戦後の一時期、占領軍に摂取され、慰安所としても用いられたそうです。
石内都「絹の夢」 2011年
一転して色彩豊かな世界が現れました。「絹の夢」のシリーズです。故郷の桐生の絹織物や銘仙を撮影した作品で、美術館で最も天井高のある展示室内へ、まるで浮遊するかのように上下へ連なっていました。また壁のシルバーも効果的ではないでしょうか。色がまばゆく輝いているようにも見えました。
石内都「絹の夢」 2011年
石内が「絹の夢」を制作する切っ掛けになったのが、広島で被爆者の遺品を撮影したことでした。その遺品の中に絹の衣服があり、思いの外によく残っていることに感銘を受けたそうです。
石内都「絹の夢」 2011年
銘仙は普段着であったものの、当時の前衛芸術を取り入れたデザインでもあったため、一部を切り取れば、まるで抽象画のようにも見えなくはありません。
石内都「Rick Owens’ Kimono」 2017年
さらに「絹の夢」のほかに、アメリカのファッションデザイナーのリック・オウエンスの亡き父の着物や、徳島に戦前から伝わる阿波人形浄瑠璃の衣装を撮影した作品も、同じ空間へと落とし込んでいました。ともに昨年に制作されたばかりの新作でした。
石内都「絹の夢」 2011年
石内の故郷桐生は、絹織物の産地でもありました。そして横浜も、生糸や絹織物の輸出で発展した街でした。そこに石内は縁を感じているのかもしれません。被曝者の遺品からはじまった絹への関心は、今も続いていました。
「無垢」にも心打たれました。「人は無垢であり続けたいと願望しながら、有形、無形の傷を負って生きざるをえない。」(解説シートより)と語る石内は、1990年頃から、女性の身体の傷跡を捉えた「無垢」を制作してきました。その傷跡は生々しく、時に恐ろしくも見えますが、石内の被写体への共感が現れているのか、尊厳に満ちているかのように気高くも映りました。
90歳を迎えた石牟礼道子の手足を接写した「不知火の指」も、長きに渡って言葉を紡いできた、詩人の生きた証が捉えられています。石内は写真の中へ時間を刻み込んでいました。
ラストは「遺されたもの」でした。母の遺品を撮った「Mother’s」をはじめ、画家フリーダ・カーロの同じく遺品を捉えた「フリーダ」のほか、既に制作から10年以上経つという「ひろしま」の連作を展示していました。
中でも圧倒的に迫力があるのが、「ひろしま」で、おそらく原爆の熱線なのか、変色し、爛れ、時によれよれになった、被爆者の衣服や装身具を写しています。中には「戦時石鹸」や「広島学徒隊」と記された服もありました。いずれも質感が克明で、ディティールも際立つゆえか、1つ1つの遺品が、当時の状況を雄弁に語るようでもあります。石内は、衣服の彩色の美しさに気づいた時、「時間のかたまりとなって、同時進行中の現実」(解説より)であることが分かったそうです。
「Mother’s」の母の口紅しかり、「フリーダ」における割れたサングラスなど、使い古しで、時に壊れたものが、石内の手にかかると、何故に美しく、また輝きを放って見えるのでしょうか。もはや遺物に魂を吹き込んでいるかのようでした。
休日に出かけたものの、人出はまばらで、展示室も足音しか響かないほどに静まり返っていました。ゆっくりと写真に向き合うことが出来ました。
写真家、石内 都さんが長年暗室を構え、拠点としてきた横浜。その横浜の美術館で、大規模な個展が2018年3月4日(日)まで開催されています。https://t.co/i7l9UBJ5zM pic.twitter.com/pzq1a3vgQw
— Pen Magazine (@Pen_magazine) 2017年12月22日
いつしか石内の写真に魅せられ、気がつけば、展示室を2巡、3巡していました。ここ最近で見た中では、最も感銘を受けた写真展だったかもしれません。
「絹の夢」の展示室のみ撮影も可能です。またこれに続く、コレクション展での「特集展示 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」も見ごたえがありました。別のエントリで改めてご紹介したいと思います。
3月4日まで開催されています。これはおすすめします。
*関連エントリ(いずれも横浜美術館にて3/4まで開催中)
「特集展示 石内都『絶唱、横須賀ストーリー』」/「コレクション展 全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」
「石内都 肌理と写真」 横浜美術館(@yokobi_tweet)
会期:2017年12月9日(土)~2018年3月4日(日)
休館:木曜日。但し3月1日(木)は開館。年末年始(12月28日~1月4日)。
時間:10:00~18:00
*3月1日(木)は16時、3月3日(土)は20時半まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1500(1400)円、大学・高校生900(800)円、中学生600(500)円。小学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体。要事前予約。
*毎週土曜日は高校生以下無料。
*当日に限り、横浜美術館コレクション展も観覧可。
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
交通:みなとみらい線みなとみらい駅5番出口から徒歩5分。JR線、横浜市営地下鉄線桜木町駅より徒歩約10分。
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