「ジョエル・ビトン 『ABSTRACT』」 ギャラリー・エフ

ギャラリー・エフ台東区雷門2-19-18
「ジョエル・ビトン 『ABSTRACT』」
8/3-9/2

暗がりの土蔵の中で楽しめる水と緑のインスタレーションです。デジタルメディアを活用した作品を発表し続けているという(TABより。)フランス人アーティスト、ジョエル・ビトンの日本初個展へ行ってきました。



カフェ奥の土蔵へ潜り込むと見えて来るのは、上部から白い絨毯敷きの床へ投影された庭園の映像です。初めはどこか断片的な、例えばその場所どころか形すら特定出来ない朧げな姿を見せているだけですが、実際に絨毯の上に立ってみるといきなり視界が開けてきます。通常は映像を遮って影になるはずの自分が、何故かここではカーテンをあけて外を眺めるかのように庭の光景を映し出すのです。もちろんそれは見る側の動きと連動しています。ようは見たい場所に床の上を移動すれば、その光景が次々と開けてくるという仕掛けなわけです。まさにインタラクティブです。

映像に登場する水と緑の空間は、ビトンが日本滞在中に見た日本庭園とのことでした。いつもながら、江戸時代末期に作られたこの土蔵と上手くマッチした展示です。見入ります。

日曜、9月2日までの開催です。(8/31)
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「ミロとデルヴォーの版画 - コレクション展 第2期 - 」 横浜美術館

横浜美術館横浜市西区みなとみらい3-4-1
「ミロとデルヴォーの版画 - コレクション展 第2期 - 」
7/11-12/9

デルヴォーの版画を見たのは初めてでした。現在開催中の横浜美術館の常設展示(第2期)に、彼の3つの連作版画シリーズ、全16点が紹介されています。



今回展示されているのは、デルヴォーがベルギーの詩人、クロード・スパークの短編集の挿絵として手がけた(1948年)3つの作品、「最後の美しい日々」、「醜い男」、「嵐」です。結局、これらは二人の間に起きた諍いにより、本の挿絵として出版されることはありませんでしたが、後にデルヴォーが協力者とともに水彩を施し、単独の作品として完成(1978~79年)させました。妖艶な女性から骸骨のモチーフ、そして奇怪な遠近感の持つ空間など、お馴染みのデルヴォーらしい空想世界が淡い水彩にて美しく描かれています。

横浜美術館のデルヴォーと言えば油彩の大作、「階段」(1948)が有名ですが、まさかその版画も所蔵していたとは知りませんでした。何はともあれデルヴォー好きには嬉しい展示です。

今年度、第2期目のコレクション展は、年内の12月9日まで開催されています。(8/24)
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「森村泰昌『美の教室、静聴せよ』展」 横浜美術館

横浜美術館横浜市西区みなとみらい3-4-1
「森村泰昌『美の教室、静聴せよ』展」
7/17-9/17

少なくとも展示の形態において、これまでにない斬新さが見られたことは事実だと思います。順路も固定され、音声ガイドも必須(もちろんともに強制ではありません。)であるという森村泰昌の大個展、その『学校』へと行ってきました。



展示室が教室と化していたことは、初めにガイダンス、つまりはホームルームを受けることからして明らかです。ここにはどこか懐かしくもある小学生用の教室机と椅子が並び、事細かに注意事項の記された黒板を見やりながら、モニター越しの森村のレクチャーを聞く仕掛けとなっています。そしてホームルームを出たすぐ先にある鳥の群れのように連なった本のオブジェ、「本の都市」(2007)を不思議がって見る時、早速、森村の指示通りに感性を働かせている自分に気が付くのです。要するにこの展覧会は、見る側が森村の作品を自由に理解するものというより、彼の頭の中を追体験する、つまりは視覚立体的に再現された半ばそのコピーを再認識するものと言えるのではないでしょうか。そしてその最も効果的な装置として、非双方向的な音声ガイドと卒業試験が用いられています。もちろんこれには、一般的な展覧会に対する一種のアンチテーゼな意図も含まれているようですが、どこか奇妙に居心地の悪い感覚を見るのも、この展示の新しさに由来する自然な拒否反応の表れなのかもしれません。

 

好き嫌いを別として、森村世界を特に追体験しやすいのは、1時間目のフェルメール・ルームと3時間目のレンブラント・ルームです。前者ではフェルメールのお馴染み「絵画芸術」を「黄色の服の少女」へとおきかえ、絵の中の場を何と原寸大の大きさに立体化して展示しています。つまりは、画中において対になっている画家とモデル、そしてそれを再構築する森村とさらにその外側にいる我々が、まるで時代を越えて同一の空間にいるかのような体験が出来るというわけなのです。また後者では、森村の扮するその自画像を、レンブラントの人生を追う形にて紹介されています。また、「まねぶ」より派生したという「まねる」と「まなぶ」をそのまま制作に結びつけた森村の方法論を、こちら側も出来るだけ「まねてまなび」ながら認識することも問われています。モナリザ・ルームにてモナリザに、またミシマ・ルームにて作品を構成する聴衆に「まねた」時、それはほぼ完成したと言えそうです。



森村の作品はこうした形で大々的に見るよりも、例えば他の作家との兼ね合いにおいて、独特なスパイスの効いた作品を個々に見た方が私は楽しめます。もちろん、森村のレンズを通して見る美術史は興味深いのですが、終始、種明かしされた手品でも見ているような印象が付きまとってなりませんでした。

横浜美術館ならではの意欲的な展覧会ではあることは間違いありません。9月17日まで開催されています。(8/24)

*関連エントリ
「森村泰昌 烈火の季節/なにものかへのレクエイム・その壱」 シュウゴアーツ
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「ルドンの黒」 Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム渋谷区道玄坂2-24-1
「ルドンの黒」
7/28-8/26(会期終了)



ルドンがこのような「黒の世界」を手がけていたとは全く知りませんでした。先日まで、Bunkamuraにて開催されていた「ルドンの黒」です。ごく一部の油彩をのぞき、展示作品の殆どが「黒」、つまりは版画と素描にて構成されています。



既に会期も終えているので手短かに触れますが、この展覧会は、ルドン(1840~1916)が画業の前半で手がけた「黒の世界」(=版画、素描。)を、彼の生涯を追いながら比較的時系列に紹介していくものです。1860年、20代のルドンは版画家ルドルフ・ブレスダンに師事し、中世の叙事詩などのロマン主義的な版画の制作をはじめます。そして1870年代には、植物学者アルマン・クラヴォーに出会って生物学への関心を強め、例えば肉眼では見えない生命体などをモチーフにとる作品を描いていきました。また、それと並行する形でフロベールの小説「聖アントワーヌの誘惑」の連作版画を手がけたり、一方でバルビゾン派的な風景版画も生み出すなど、様々な表現にも取り組んでいます。結果、1890年代に入ると、ルドンのならではの神秘主義的な作風も確立し、お馴染みの「色の世界」へと移っていきました。ルドンの画業史に占める版画の割合は相当な量に達するのかもしれません。



ルドンと言えば、パステルなどの色鮮やかな絵画しか思い浮かばない私にとって、この黒一色の世界は全く新鮮なものでしたが、一点一点の作品自体は、その描写にやや類型化された嫌いもある、どこか習作的な印象を受けるのも事実でした。また展示で、例えばクラヴォーとの関連において『科学にも関心の深いルドン』とでも言うようなルドン像も打ち出していましたが、それも結局は、科学を通り越した空想世界、つまりルドンならではの幻想性を追っていたように思えてなりません。詳細なキャプションなど、展覧会自体は実に丁寧に構成されていましたが、やや唐突に登場する感もある「色の世界」の展示も含め、何か全体を貫く一つの軸を見ることが出来なかったようにも思います。

いつもは賑やかな感もあるザ・ミュージアムが、今回ばかりは静まりかえっていたのも印象に残りました。これもルドンの述べる、「あらゆる色の中で一番本質的」な黒の持つ不思議な力によるものかもしれません。

展示品の全てが岐阜県立美術館のコレクションでした。これほど多くのルドンの版画・素描作品を蒐集した経緯も気になるところです。(8/18)
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「La Chaine 日仏現代美術交流展」 BankART

BankART 1929 Yokohama(横浜市中区本町6-50-1
BankART Studio NYK(横浜市中区海岸通3-9
「La Chaine 日仏現代美術交流展」
7/26-8/26(会期終了)



昨日、会期を終えています。フランスの現代アーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの発案で企画されたという現代美術展です。以下、2つの歴史的建造物を使った会場にて、日仏各5名、計10名のアーティストが紹介されていました。


BankART 1929 Yokohama(旧第一銀行)


BankART Studio NYK(旧日本郵船倉庫)



それこそMOTの「死んだスイス人の資料」(1990)くらいしかボルタンスキーを知らない私にとって、この展覧会へ行った目的はただ一つ、さわひらきがクレジットにあがっていたことです。そして、今回のさわの映像作品「Unseen Park」は、それこそ過去最大級とも言えるような、超特大サイズ(横10メートルはあったでしょうか。)のスクリーンで映し出されていました。時間は全部で約8分ほどと短いものでしたが、お馴染みのオルゴールのBGMとともに、廃墟化した遊園地と人気のない海辺のイメージが錯綜しながら進んできます。得意のメルヘンを思わせる夢心地の世界と、それでいてどこか儚さすら感じる超現実との間が、不気味ながらも実に心地良く思えてなりません。また、展示会場の倉庫跡(BankART Studio NYK)の荒れた雰囲気とも奇妙にマッチしていました。ペーパークラフトの乗り物にさも自分が乗っているような感覚を味わい、惑星の浮く夜の海辺でポンポンとあがる花火を楽しむというわけなのです。

 



さて、さわ以外で印象に残ったのは、いつの間にか常設コーナーと化していた倉庫3階の牛島達治でした。以前、ここで彼のインスタレーションを初めて見た時も、場の異様な雰囲気と、時を刻み、また永遠も思わせるミニマル的な牛島の世界に強く感銘した記憶がありますが、それは今回も変わることはありません。大掛かりな装置を用いながらも、ただひたすらに「の」の字を書き続けるだけの「イトナミ」(2001)や、空間を縦横無尽に駆けるロープがバケツを小刻みに動かす「記憶-言動-場」(2005)には、暑さも忘れてしばらく見入ってしまうような魅力を感じます。また、作品のタイトルは忘れてしまいましたが、この荒涼としたスペースを一面の花畑に変えた造花のオブジェも美感に優れていました。そしてこれらの白い花々は、この場(コーヒー豆の倉庫でもあったそうです。)のかつての記憶を呼び覚ますためのコーヒーの花という仕掛けなのです。



「BankART 1929」でのボルタンスキーの二点は、それぞれにやや別の方向を見た『時』をテーマとする作品だと思います。暗がりの地下神殿のような一階ホールで映されていた「Entre temps」は、その鳴り響く時報が人間の介在出来ない無常な時の流れを伝え、一方での地下の「6 Septembre」では、時を記憶として離すまいとする人間の虚しい努力を見るような気がしました。

港を望む「BankART Studio NYK」では、夕方以降営業する屋台のパブも用意されています。展示を楽しんだ後、海風に吹かれて飲むビールもまた格別かもしれません。この辺の企画のうまさは、開かれた港を持つヨコハマならではと言えるのではないでしょうか。歴史に裏打ちされた展示スペースをはじめとする、その『装置』自体に魅力があるようです。

「BankART 1929」では定期的に現代アートが紹介されています。ここ最近、なかなか足が向きませんでしたが、もう少し定点観測出来ればとも思いました。(8/24)
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東博で見たもの、写したもの。(2007年8月)

ご存知のように、東京国立博物館の平常展では、写真撮影の可能な作品が数多く展示されています。いつもはカメラも持たずにぐるっと一周するだけで終ってしまうのですが、今回は惹かれた作品を写真におさめてみることにしました。


「十二神将立像 戌神」(13世紀)
まるでどこかを見通しているかのようなポーズです。面白い仕草です。


「色絵波に三日月図茶碗」(17世紀) 仁清
流麗な波模様が涼し気です。茶碗はこのくらい控えめな紋様が一番。


「黒楽茶碗」(17世紀) 道入
黒楽。この重みと渋み。たまりません。


「随観写真」(1757年) 後藤光生
江戸時代に使われた「本草学」の講義本です。一体、何をモチーフとしたのでしょうか。まさしく怪物です。


「悲母観音図綴織額」(1895年) 川島甚兵衛
狩野芳崖の「悲母観音」を織物に仕立てた作品です。気付くまでに時間がかかりましたが、確かに絵ではありませんでした。


「東京十二題/駒形河岸」(1919年) 川瀬巴水
巴水デザインとも言える斬新な構図です。巴水を見ると不思議とほっとします。


「火焔土器」(縄文時代)
から恐ろしいほどの造形力。炎が怒っています。


「和歌体十種」(11世紀)
国宝室の作品です。内容は不明ですが、これほど美しい「かな」を見たのは初めてかもしれません。


「四季花鳥図屏風」(15世紀) 伝雪舟
雪舟の花鳥画とは珍しいのではないでしょうか。中央の鶴の力強さが印象に残ります。


「関屋図屏風」(17世紀) 伝俵屋宗達
源氏の空蝉と会うシーンがとられています。余白も効果的です。


「美南見十二候・客と芸者」(18世紀) 鳥居清長
お馴染み八頭身美人の清長です。


「名所江戸百景・月の岬」(1857) 歌川広重
宴の後。左右に画面からはみ出て描かれた遊女の姿に、広重の才覚を見るような気がします。この構図感は絶妙です。


「石人」(6世紀)
今にも襲いかかってきそうです。ギョッとする石像です。

仏画、仏像にも印象深い作品がたくさんありましたが、それらの多くは撮影不可でした。それでも全体の7~8割程度は写真が撮れるようです。

拙い写真で失礼しました。また機会があれば時間をあけてやってみたいと思います。
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お月見は「秋草図屏風」で。

先日、道一のエントリでも少しご紹介しましたが、来週28日より10月8日まで、東京国立博物館・平常展(本館8室 書画の展開 - 安土桃山・江戸)にて酒井抱一の「秋草図屏風」が展示されます。満月のもとで秋草のそよぐこの屏風は、お月見の時期に楽しむのにピッタリの作品です。



東博のサイトに「秋草図屏風」と紹介されているのでそれに倣いますが、今回展示されるのは、ペンタックス株式会社の所蔵する重要文化財「月に秋草図屏風」です。抱一得意の銀地ではなく、金地に桔梗やすすきなどの秋の草がのびやかに配され、そこへ満月が覆い被さるかのようにして照っています。六曲一隻の屏風とのことで、ひょっとするともう一隻の存在も可能性として残っているそうですが、まずはその風流な美感に酔いたいところです。



ところでこの作品とは全く関係がありませんが、抱一関連の情報として付け加えておきたいのは、来月に千葉市美術館で予定されている講演会のことです。9月29日(土)、同美術館の主催する「コレクション理解のための市民美術講座」の一環として、「酒井抱一 - 200年前の展覧会 - 」と題した学芸員による講演会が企画されています。以前、詳細を問い合わせたところうまくお返事をいただけなかったので後日もう一度確認しますが、200年前の展覧会とは、おそらく1815年に抱一の行った「光琳百回忌」での光琳遺作展のことではないでしょうか。ともかく一般向けの抱一の講演会は非常に珍しいので、これは聞きに行くつもりです。

「秋草図屏風」が一般に公開されるのは、2004年の「RIMPA」展(東京国立近代美術館)以来のことかもしれません。一足早い秋を東博で楽しみたいと思います。

*関連リンク
東博・むこう2ヶ月の平常展の主な展示作品
千葉市美術館・講演会、講座
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「芳年『月百姿』を主に - 月の浮世絵展」(後期展示) 礫川浮世絵美術館

礫川浮世絵美術館文京区小石川1-2-3 小石川春日ビル5F)
「芳年『月百姿』を主に - 月の浮世絵展」
8/1-25

雑居ビル5階にある、まるで画廊のように小さい美術館の浮世絵展です。月岡芳年の晩年の代表作「月百姿」シリーズ(全100点のうち30点)と、月をモチーフにとる広重や英泉、それに国芳などの浮世絵が数点紹介されています。

「月百姿」全点(作品画像が掲載されています。)

「月百姿」(1885-1891)は月をテーマにした作品ですが、その素材は歴史や能、それに説話などと多種多様です。よって、それぞれの絵の『ストーリー』を前提知識として把握していると、より理解が深まるのかと思います。とは言え、展示でも一部の作品の背景等について、その説明がキャプションでなされていました。やや敷居の高い部分があることは事実ですが、その空想的な雰囲気を見るだけでも十分に楽しむことは出来ます。どれも発色が鮮やか(*1)で、カラフルな配色を見ているだけでも飽きません。



惹かれたものをいくつか挙げていきます。まずは「月のものくるい」(1889)です。これは『ものくるい』の女性が、箱に入れた一巻の文を読んで泣いている作品だそうですが、背景の影絵のような橋と艶やかな着物を纏う女性の対比、それに巧みな遠近感にて空高く舞う文の描写などが見事だと感じました。ちなみにこの橋は五条大橋だそうです。雲のようになびく文には一体、どのようなことが書かれていたのでしょうか。文が、今にも消えていく煙のように立ち上っています。



後ろ姿のカッコ良い「深見自休」(1887)も印象的です。ひらひらと散る桜吹雪の下、肩をならして歩くのは一人の武士でしょうか。この衣装は向日葵の紋様をあしらっているのかもしれません。まるで夜空で開く花火のような花を咲かせています。勇ましい姿です。



どこか風流な「赤壁月」(1889)も美しさの光る佳品です。芳年らしからぬ落ち着いた構図をとっていますが、水墨画のような濃淡の映える崖と山、それにのんびりと進む小舟の様子が素朴な味わいを醸し出していました。グロテスクな芳年のイメージも吹き飛ぶ、詩心すら感じさせる作品です。

ところで礫川浮世絵美術館では、次回、9月1日から、川瀬巴水の展覧会(土井コレクション「川瀬巴水」展 9/1-25)が予定されています。そちらも是非見に行きたいと思います。

今週の土曜日、25日までの開催です。(8/17)

*1 元来、浮世絵が伝統的に用いていた植物染料ではなく、「洋紅」と呼ばれる合成絵具が使われている。
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「AYAKASHI 江戸の怪し」 太田記念美術館

太田記念美術館渋谷区神宮前1-10-10
「AYAKASHI 江戸の怪し - 浮世絵の妖怪・幽霊・妖術師たち - 」
8/1-26



これなら浮世絵に親しみのない私でも楽しめます。「ちょっとブキミでオモシロイの妖怪世界」(公式HPより一部改変。)を紹介する浮世展です。妖怪、幽霊、それに鬼に悪魔と、夏を涼しくするお馴染みの強者が競い合っていました。

畳敷きの空間にある肉筆5点からして、早くも「怪し」(あやかし。怪し気で不思議なことを指す言葉。)の世界を存分に楽しむことが出来ます。ここでは豊原国周の「閻魔大王と浄玻璃鏡」(19世紀後半)のお茶目な閻魔にも見入るところですが、蜃気楼を怪現象と捉えた鳥文斎栄之の「蛤美人 花魁図・吉原堤図・禿図」(1801-18年)が印象に残りました。これは蜃を蛤と読み解き、その蜃気楼(*1)を表現したもので、大きな蛤から吹き出る蜃気楼に包まれた花魁などが描かれています。風流な怪しです。



この展覧会で非常に惹かれた絵師が一人いました。幕末より明治にかけて活躍した月岡芳年(1839-1892)です。今回、彼のいわゆる「無惨絵」と言われるグロテスクな作品は紹介されていませんが、それでも日中の怪奇物語に題をとった「和漢百物語」(*2)や「月百姿」の揃いものには見応えがあります。前者では、蒲生貞秀の家臣が戦帰りに化け仁王と相撲をとったという「登喜大四郎」(黒の背景に浮かぶ骸骨の合戦が不気味です。)、そして後者ではまるで夕顔の生首だけが浮かび上がるように描かれた「源氏夕顔巻」などが心にとまりました。彼女を切り裂くかのようにして空間をかける、夕顔の花もどこか幻想的です。



芳年の浮世絵には、映像をそのまま絵画化したような激しい動きを見ることが出来ますが、その最たるものが「羅生門渡辺綱鬼腕斬之図」(1888年)ではないでしょうか。輝く稲妻と赤と黒の鮮やかなコントラスト、そして目もピッタリ合って対峙する二者の緊張感が、縦長の構図の中へ見事におさまって表現されています。線や事物の配置に一瞬の迷いもないような、から恐ろしいほどに完成度の高い作品です。この激しさは並大抵ではありません。

「怪し」の世界から芳年にハマった私は、この後、とらさんおすすめの礫川浮世絵美術館へと足を運び、開催中の「芳年『月百姿』を主に - 月の浮世絵展」をじっくりと楽しみました。そちらはまた別エントリにてご紹介します。

好評の図録は完売してしまったようです。今月26日までの開催です。(8/17)

*1 蜃楼を訓読みすると「かいやぐら」(貝櫓)と読む。
*2 百物語とは江戸時代に流行した怪談会のことで、一話怪談をする度にロウソクを消し、最後に真っ暗になった時、怪奇が起るとされていた。
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「花鳥礼讃 - 日本・中国のかたちと心 - 」 泉屋博古館・分館

泉屋博古館・分館港区六本木1-5-1
「花鳥礼讃 - 日本・中国のかたちと心 - 」
8/4-9/24



若冲ファンならずとも、花鳥画好きにはたまらない内容かと思います。沈南蘋、狙仙、呉春、若冲、乾山、探幽、応挙などの花鳥画(全37点)を紹介する、日中花鳥画の響宴とも言える展覧会です。

会場はもちろん博古館の小さな展示室です。さすがに量を求めるのは無理がありますが、その分、展示作品の質には目を見張るものがありました。以下、展覧会の構成に沿って印象深かった作品を挙げていきたいと思います。

1、花鳥画の季節(江戸期を中心に、明、清の花鳥画を見る。)



  

お目当ての若冲は早速ここで紹介されていました。『目白押し』の「海棠目白図」(江戸中期)です。上下よりそれぞれ海棠とシデコブシを配し、中央の枝にズラリとメジロを並べたこの作品は、かの「動植綵絵」の一幅であると言われても違和感のないほどに洗練されています。(実際、動植綵絵の制作された頃の作品だそうです。)おしあいへしあいに群れるメジロたちはもちろんのこと、少し離れた位置で佇むそれも可愛らしいものです。また、コブシと海棠はともに白の花をたくさん付けていますが、前者は絵具を控えめに絹本の質感をそのまま露にしている(その透明感が優れています。)のに対し、後者は白を力強く置いて、まるで雪の舞うかのような輝かしい白を生み出していました。この辺の技も見逃せません。



絵の迫力という点に関してその『目白押し図』を凌ぐのは、江戸時代の花鳥画に多大なる影響を与えた沈南蘋の「雪中遊兎図」(1737年)です。この作品の主人公はタイトルにもある「遊兎」、つまりウサギではなく、力強く迫出した土坡の上で絡み合う二本の紅白梅にあるのではないでしょうか。大きく広げた両手のような枝には紅白の花がいくつもぶら下がり、幹も際限なく伸びゆくかのように空へ駆けています。(一匹のウサギはその様子を目で追っています。)また梅の白と対照的な雪の描写も興味深く感じられました。さも凍り付いたかのように木にまとわりついているのです。



椿椿山(つばきちんざん)の三幅の大作、「玉堂富貴・海蝶・藻魚図」(1840年)も見応えがあります。左幅よりそれぞれ長寿を示す蝶、富貴を表す牡丹・白木蓮・海棠、そして豊饒の魚が描かれていますが、特に中央の花卉はまるで写実に優れた西洋の静物画のようでした。また右幅では藻の表現が巧みです。花卉を描く際に見せた写実をあえて退け、絵具の滲みを利用して水墨画のような美しさを見せています。

2、四季の花園(四季の光景を屏風に示した「四季絵」を展示。)



水墨画と言えば、小品ながらも尾形乾山の「椿図」(江戸前期)も忘れられません。乾山らしい軽妙なタッチで表した椿の佳品ですが、白く咲く花がまるで笑顔のように見えてくるのがどうも不思議です。また俵屋派を示す伊年印の「四季草花図屏風」(江戸前期)も見事でした。右隻31種、左隻26種、計57種もの草花が図像的に描かれています。大輪の花々より、小さく健気に咲くナズナやリンドウなどに惹かれました。

3、中国画の愛好(中国画とその模倣。)

最後には、中国画を模写した探幽や応挙、それに土佐光起の作品が紹介されています。ここでは応挙の「双鯉図」(1782年)が一番でしょうか。二匹の鯉が吊るされている様子が描かれていますが、メタリックとも言える鱗の質感などに面白さを感じました。出世や円満を示す、まさにおめでたい作品です。

会場ロビーにて、花鳥画のモチーフにおける寓意が紹介されていました。ただこれは、中国語の発音や和歌のイメージに由来するなど起源も多様で、確定は出来ないのだそうです。

牡丹:富貴、百花の王
海棠、白木蓮:玉堂(美しい殿堂)、美女(海棠)
魚:有余(余裕ある。)
葵:忠義、立君子
鶴:最高の官位、長寿
蟷螂:出世
菊:延年益寿、高潔の士
梅:高潔の士
寿石:長寿

いくつご存知でしょうか。蟷螂=出世というのがどうも結びつきません。

9月24日までの開催です。もちろんおすすめします。
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「TWS-EMERGING - 恵木亮太/後藤靖香 - 」 トーキョーワンダーサイト本郷

トーキョーワンダーサイト本郷文京区本郷2-4-16
「TWS-EMERGING 77/78 - 恵木亮太/後藤靖香 - 」
8/4-26



「Oコレクション」と共催の展覧会です。トーキョーワンダーウォールの入選者(100名)よりさらに絞られた23名の若手アーティストが、順にこのワンダーサイトで個展を開催しています。今回登場していたのは、ともにドローイングを手がける恵木亮太と後藤靖香でした。



特に印象深いのは、さながら「線描画」とも言えるスタイルで制作を続ける恵木亮太です。羊や馬などの動物のモチーフを、鉛筆や色鉛筆、時にマジックなどを交えてどこか不気味に描き出しています。彼のモチーフには一切の輪郭線がありません。面と言う面の全てが、例えば鉛筆などの線によって生み出されているのです。そして動物だけではなく、生い茂る草木や花までもが、微妙な間隔をあけて引かれた線だけで表現されていました。刺繍のような味わいです。

展示室入口上に飾られていた円形の一枚の絵画に惹かれました。星の煌めく夜空の下で、立派な角をした鹿がこちらを見つめています。またもう一点、鹿を素材にした「動物園をぶっとばせ」(2007)も心にとまります。木の枝のように広がった角の中で、まるでそこに住んでいるかのような小動物がいくつも行き交っていました。

今年度の「TWS-EMERGING」は既に第3回を数えています。この後、来年の3月まで、全16名のアーティストが紹介されるそうです。

8月26日までの開催です。(8/18)

*共催展
「Oコレクションによる空想美術館 - 第2室:東恩納裕一・大庭大介・三嶋章義の部屋 - デザインと魂 - 」
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「Oコレクションによる空想美術館 - 第2室『デザインと魂』」 トーキョーワンダーサイト本郷

トーキョーワンダーサイト本郷文京区本郷2-4-16
「Oコレクションによる空想美術館 - 第2室:東恩納裕一・大庭大介・三嶋章義の部屋 - デザインと魂 - 」
7/7-9/23



「第1室」より展示が入れ替わっています。現代アートのコレクターとして知られる、岡田聡氏のコレクションを紹介する展覧会です。今回は、上記3名の作品がセレクトされていました。



ミラーボールの明かりもケバケバしい展示室ですが、中に入ると不思議と鬱蒼とした森にいるような気分になってきます。ここで特に強い存在感を見せているのが大庭大介のオブジェ、「Ultimate weapon」(2006)です。直訳で「究極の兵器」とする割には質感に生々しく、まるでこの空間を見下ろす一本の木のようにして立っています。そしてその表面にも注目です。さながらコールタールでもかけたように黒々と、またドロドロと溶けて爛れるような感触を示しています。また枝を思わせる触手には、宝石のような透明のガラスがいくつもぶら下がっていました。何やら妖艶です。

この「weapon」の前で、天井からぶら下がっている多くのフクロウも大庭の作品でした。タイトルは「guardian」(2007)とあるので、ようは「weapon」を守る守護者の役割をしているのかもしれませんが、これはどこからどう見てもフクロウのオモチャにしか見えません。ちなみにこの作品は、既製品にウサギの毛を付けたりするなどして制作されたそうですが、思わず和んでしまうほどに可愛らしい姿を見せています。そしてこのフクロウにはちょっとした仕掛けが施されていました。これは会場でのお楽しみです。

次回「第3室」のアナウンスがまだないようですが、そちらも楽しみにしたいと思います。

9月23日までの開催です。入場は無料です。(8/18)

*関連エントリ
「Oコレクションによる空想美術館 - 第1室『桑原加藤の部屋』」 トーキョーワンダーサイト本郷
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酒井道一 「夏草雨図屏風」 東京国立博物館

東京国立博物館
平常展・本館1階(ジャンル別展示)18室「近代美術」
「酒井道一 - 夏草雨図屏風 - 」

近代美術を展示する第18室(本館1階)に何故、抱一の「夏秋草」があるのかと訝しく思った方も多いのではないでしょうか。これは酒井抱一(1761~1829)の代表作として名高い「夏秋草図屏風」(1821)の右隻ではなく、それより約70年ほど時代の下った明治期、抱一門下の酒井道一(1845~1913)の描いた「夏草雨図屏風」(1893)です。基本的に模写された作品なので、当然ながら登場するモチーフ、構図ともほぼ同じ内容によっています。


*道一の「夏草雨図屏風」。「夏秋草」と同じ銀屏風です。

酒井道一は、抱一と直接の血縁関係にはありませんが、東京・根岸にあった抱一の隠宅「雨華庵」(うげあん。抱一の画塾、工房です。)の四世当主を継いだ画人です。もちろん彼自身も江戸琳派の伝統に連なる者として様々な制作活動(日本美術協会、帝国絵画協会会員。)を行っていましたが、例えば1893年、抱一の50回忌にかねて「抱一展」(「抱一書画追善展覧会」。上野・桜ケ岡の日本美術協会列品館にて。)を開催するなど、明治期における抱一画の受容にも努めていました。




*部分拡大。

「夏草雨図屏風」は抱一50回忌展と同じ年、シカゴで行われた「コロンブス博覧会」に出品するために作られました。これはコロンブスの新大陸発見400年を記念して行われた万国博覧会で、日本の様々な「造形物」が西欧にて史上初めて「美術品」(*1)として扱われたという、歴史的な意義も大きいイベントでもあります。そしてその際、日本の障壁画や調度品などを並べる陳列館として「鳳凰殿」(平等院鳳凰堂を模した建物です。)がつくられ、中にそれぞれ徳川と藤原・足利時代の文物を飾る部屋が設けられましたが、そのうちの徳川時代の部屋(「徳川氏書斎用」)に、道一の屏風が置かれることになりました。ちなみにこの展覧会で、抱一オリジナルの「夏秋草」は展示されませんでしたが、「夏草雨」がそれにかわる作品として来場者を楽しませていたことは容易に想像がつきます。

また当時、抱一の「夏秋草図屏風」は徳川家(徳川達道)の所有でした。よって道一は模写をする際、雨華庵にあったいくつかの下絵を参考にして描いたと考えられています。それに彼が初めてオリジナルを見たのも、このコロンブス博の準備の時の可能性が高いそうです。


*こちらは抱一の「夏秋草図屏風」の右隻です。図版より。

ところで、オリジナル「夏秋草図屏風」の東博での展示についてですが、去年の平常展の際に一度、既に出品されています。と言うことで、今年出ることはまずなさそうです。ただし今月28日より、本館8室(書画の展開-安土桃山・江戸)にて、重文指定も受けている抱一の「月に秋草図屏風」が展示されます。これについてはまた近い内に別エントリでご紹介したいと思いますが、抱一ファン(?)必見の作品です。お見逃しないようおすすめします。

ちなみに道一の「夏草雨図屏風」は、2004年に竹橋の近代美術館で行われた「RIMPA」展でも出品されています。(抱一の「月に秋草図屏風」も同様です。)図録をお持ちの方は、そちらの解説もご参照下さい。

9月2日までの展示です。

*1 それまでの万博(パリ万博など。)では、日本の造形物が西欧のそれと同じように「美術品」として陳列されることはなかったが、この展覧会では初めて「美術区」に配され、同列に扱わるようになった。ただし道一の「夏草雨図」は、あくまでも装飾品等を扱う陳列館(鳳凰殿。「美術区」ではない。)の展示だったため、その文脈に沿った「美術品」とは言えない。

*関連エントリ
酒井抱一 「秋草図屏風」 東京国立博物館(月に秋草図屏風)
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「第13回 アートコレクション展」 ホテルオークラ東京

ホテルオークラ東京港区虎ノ門2-10-4
「第13回 秘蔵の名品 アートコレクション展」
8/1-24

ホテルオークラの真夏の風物詩とも言える絵画展です。今年で13回目を数える「秘蔵の名品 アートコレクション展」へ行ってきました。



今年は、何故か去年まであった内容を示すサブタイトル(「『花鳥風月』日本とヨーロッパ」でした。)がなくなっていましたが、展示の大まかな内容は例年とそう変わることはなかったと思います。シスレーやルノワールの印象派から安井曾太郎や佐伯などの洋画、それに宗達派に応挙や清方、土牛などの日本画と、いつもながらの充実したラインナップです。また普段、あまりお目にかかれないような、企業や個人所有の絵画が多いのもこの展覧会の特徴です。まだ見ぬお宝を探し当てるような気持ちで楽しむことも出来ます。(出品点数全103点。うち西洋絵画43点、日本画24点、近代日本洋画36点。)



早速、惹かれた作品をいくつか挙げていきます。まず西洋絵画ではヴラマンクの「花」が見事です。茶褐色の花瓶に生けられた紅白の花が、ヴラマンクらしい剛胆なタッチで力強く配されています。背景に見る石壁のような質感と、沈み込むように重々しい深緑の葉、またはまるで画中より飛び出してくるかのような花がいずれも対比的に描かれていました。また彼の作品ではもう一点、帆船の浮かぶ港を捉えた「ル・アーブルの港の舟」も印象に残ります。青系統に統一された色遣いとその厳格な構図感に、ヴラマンクの他の作品にはない目新しさを見る思いがしました。



大好きなシスレーが一点出ていました。それがこの「サン=マメスのロワン運河」(1885年)です。奥の一点より手前と左へ広がるのような河の表現は遠近感に優れ、空にはまるでうろこ雲を描くような太いタッチが美しく靡いています。また、おそらくは船上で作業をしている人物が、あたかも風景の一事物になって溶け込んでいるのもシスレーならではの味わいです。空の青と水の青の両方に眩しい日差しを感じました。



クレーの「暑い季節の庭」(1938年)にも惹かれます。これは、庭の植物などをモチーフにしているようですが、まるでその花々が踊っているようにも見える愉し気な作品です。また、厚く塗られた絵具はてっきり油彩なのかと思いきや、実際には厚紙にグワッシュを用いたものでした。その凝った質感にも魅力を感じます。



近代日本画では清方の「雨月物語」(1921年)がずば抜けています。この作品は、江戸後期の怪異小説集「雨月物語」より題をとったものだそうですが、その物語の各場面が全8面にもわたり、清方一流の精緻な大和絵になって表現されているのです。中でも印象的なのは、やはり「もののけ」ではないでしょうか。草ものびきって荒れた邸宅の軒先が、黒煙とともに不気味な風情にて描かれています。ちなみに中央の女性は真女児という人物で、これから姿を消そうとしているのだそうです。



まさか見られるとは思わなかった作品に出会うことが出来ました。松本竣介の「Y市の橋」(1946年頃)です。この作品は現在、油彩で4バージョンあることが知られていますが、ここに出ていたのはとりわけ見る機会の少ない個人蔵のものでした。例えば竹橋の近代美術館所蔵の作品と比べるとタッチは荒く、褐色を使った色遣いも大きく異なっていますが、その物憂い気味な心象風景の魅力は健在です。それにしても近美の作品には画中に人物が描かれていたと思うのですが、ここでは誰も確認することが出来ません。近美の作品の3年後に生まれたこの風景画は、終戦を挟んで完全に荒廃した都市の雰囲気を伝えようとしているのでしょうか。

他には、昨年のアートコレクション併催展である「Gold」展(大倉集古館)にも出ていた宗達派の「扇面流図」(17世紀前半)や、同じく集古館所蔵の応挙「波濤図」(1778年)にも見応えがありました。ただこればかりは、昨年に出ていた抱一の「四季花鳥図屏風」の方が断然に魅力的です。この屏風も集古館の作品ではなく、それこそ「秘蔵」の屏風が出てくれるとなお良かったかもしれません。

「秘蔵の名品ベスト1」には、ヴラマンクの「花」と散々迷った結果、シスレーの「ロワン運河」に投票しました。皆さんは如何でしたでしょう。(ちなみに昨年のベストはこちらです。)

8月24日までの開催です。(8/15)
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「アジアへの憧憬」 大倉集古館

大倉集古館(港区虎ノ門2-10-3 ホテルオークラ東京本館正門前)
「大倉コレクション アジアへの憧憬」
8/1-9/30



紀元前3世紀頃の中国の鏡から19世紀のタイの仏像など、中国、朝鮮、東南アジア・インドの各文物が幅広く集まった展覧会です。大倉集古館で開催中の「アジアへの憧憬」へ行ってきました。

展示の中心は中国の美術品、例えば戦国時代の銅剣や唐の「海獣葡萄鏡」、それに清の神像や明の書などですが、私が印象深かったのは最後のコーナーで紹介されていたタイとインドの仏像でした。特に時代は異なりますが、それぞれ「宝冠仏」と言われる全身に装飾のほどこされたものに見応えがあります。もしかしたら、これほどまとめてタイ・インドの仏像を見たのは初めてだったかもしれません。(両方を合わせると約15点ほどです。)



タイ・アユタヤ朝では「宝冠仏立像」(16-17世紀)がおすすめです。端正でスラッとした体つきの仏像が、実に細やかな装飾を見せる台座の上に立っています。この仏像には体の部分に装飾はなく、むしろ流麗な肉体をそのまま露にしているわけですが、それより時代の下った19世紀の同名の仏像は、全身に優れた装飾がほどこされていました。微笑しながら両手を前にする仏像が、まるで炎のような模様の衣を纏っているのです。

インドの「宝冠仏」としては、8世紀頃に確立したパーラ朝の「宝冠仏坐像」(11世紀)が見事です。また同じくパーラ朝のものでは、体をやや斜めに向け、水流のような衣に包まれた「多羅菩薩坐像」(10世紀)にも惹かれます。大岩のような立派な台座を下に、何やらくつろぐような様を見せて座っていました。

ネパールの「ヴィシュヌ神立像」(17~18世紀)も美感に秀でています。ヒンドゥーの神ヴィシュヌがその4本の腕に持つという武器を全て確認することは出来ませんでしたが、右のチャクラと左の法螺貝は手にしっかりと握られていました。



中国の美術品では、明の時代の市井の風俗絵巻とも言える「清明上河図」(15世紀)が印象的です。これは清明節と呼ばれる、陰暦の春分から15日後の節句(4月5日頃。)の蘇州の風景を表現した作品とのことですが、中に小さく描き込まれた人々が実に生き生きとした表情を見せています。店でものを売る人から酒を酌み交わす者、またはカゴに花をたくさんつめて運ぶ人から田畑を耕す者などが、臨場感に溢れた様で描かれているのです。思わず時間を忘れて、絵の中へとしばらく入り込んでしまいました。

全体としてはかなりディープな展覧会です。ただ普段、あまり見慣れないものが多かっただけに、新鮮な気持ちで楽しむことは出来ました。

9月30日までの開催です。(8/15)
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