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茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

そこそこ

2010-11-08 22:57:42 | Weblog
民放のテレビ番組は、ほとんど見ることのない私が、
今、唯一見てるのが、
「フリーター家を買う」というドラマだ。

なぜ、観ているかというと、
私の大好きな二ノ宮くんが出てるから、
という単純な理由だ。

このドラマの中でニノ扮するフリーターの呟く言葉で、
私の心にひっかかった言葉がある。

「学生時代、じぶんは、そこそこの大学を出て、
 そこそこの成績、
 そこそこの人生を送ってきた。」

だが、社会に出て就職でつまづいて、
ニノ扮する主人公のそこそこの人生は終結した。

『そこそこ』
確かに、そこそこの生き方出来ているように、
見える人って、たくさんいる。

そう、なぜ、この言葉がひっかかったのか。
このワタシは、、、
『そこそこ』って、生き方って
全く出来なかった。
だから、私の頭の中で、この言葉が
いつまでもいつまでも反響してしまったのだ。

何をやっても、不器用だった。

例えば、自転車。
世の中の自転車に乗ってる全ての人が
私ほど、毎日、血だらけになって必死で乗れる練習をしたとは
到底思えない。

スキーをやれば、
転びまくり、リフトは乗る度に転びまくり、
幾度となく、リフトを止めた。

仕事でも、まず失敗から入る。
そして、あちこち叩かれ、痛い目にあって、
ようやく、歩んでいくべき場所がわかってくる。

いつも、やる事なす事、
全くできない為、
他の人の何倍ものエネルギーを費やして、
出来るようになるまで必死で努力をする。

スキーで言えば、
そこそこ、最初から滑れるようになれば、
何度も何度もスキーに行って、ボロボロになるまで
練習することはない。

最初から、そこそこ、70点ぐらいの出来映え、
というものが出来れば、
私もそれでいいのだ。
だが、
とにかく出来ないのだ。
なので、出来るようになるため、血の滲む努力をせざるをえない。

なにも、そこまで、頑張る意欲と、
エネルギーがあって、
人の何十倍もの努力を毎回してるわけではない。

『そこそこ』が出来る人間であれば、
じたばた、見苦しく、生きていかなくて済むのにな、、、

と、いつもの私のぼやきでした。
コメント (4)
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