茨城で、どどんぱっ!

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

とんぼ ちゃん!

2023-06-23 09:29:07 | Weblog
ほとんど使っていないMDウォークマンが私の手元に残ってる。
これはフォークデュオ、とんぼの歌を聴く為だけに入手したのだ、確か。

昭和の女である私が音楽を聴き始めた頃、ハマったフォークソング。
かぐや姫の神田川、オフコース、色々聞いた中で、
今はほとんどその名を語られない「とんぼ」も大好きだったが、大物フォークシンガーと異なり、
とんぼの歌は数十年後には全く聴けなくなった。
でも、ずっと私の頭の中には哀愁を帯びたメロディ、歌のフレーズが離れない。

聴きたい!
多分、これも数十年前、SNSで訴えたんだと思う。
私の元に確か見知らぬ人から届いたとんぼ のMDが10枚近く。
これを聴く為にMDウォークマンを購入。
ひと通りとんぼの歌を聴いて満足して、その後、MDウォークマンはほとんど使うことなく、
このMDウォークマン自体が世の中から廃れた。

でも、又、数十年ぶりにやっぱり、とんぼの歌が聴きたい!
再燃したのだ。
聴く方法はこのMDウォークマンしかないので動くのか!?
恐る恐る電源入れてみた。
充電しても全くランプが点かない、、、
やっぱりダメか、、
と諦めかけたのだが、何気にリモコン部をいじってみると動くのだ!
本体ランプは壊れて何もランプは点かなかったが、
ちゃんと作動する!
そして数十年ぶりにとんぼの歌を聴きいる。

いいなぁ。
ヨンボのキレイな伸びのある美しい声。
う〜ん、この声!好きっ!大好きっ!!
世界中、どんな声より、ヨンボのこの声が一番イイ
私にはピタッとハマるのだ。
切ない「小さな右手」
「こどもとダスティホフマン、僕は泣きながら席を立った♪」
いいっ!!!やっぱりいい!
自分との相性がいいんだろうなぁ。
今まで色んな歌を好き、と聴いていたが、
どこかムリして聴いてたんだと、
とんぼの歌を聴くと感じる。
だって、とんぼ の歌はジャストフィットするのだ、
何もかも自分に。

でも、この声は今は現存しない、過去のモノ、
そう思うと複雑な心境。

昨日、真夜中、聞き入ってしまった。
このMDウォークマンは外で聴ける媒体なのだが、
壊れていて?バッテリーに蓄電されず電源コードに繋いでいないと聴けない、、

その後、真夜中にモゾモゾと何か他に聴く方法ないのかなぁ、
と調べていたら、数十年前にはとんぼの歌は全く入手不可だったが、
今は何とCDも発売されており、アップルミュージックでダウンロード出来た!

なんだ、
あっけない。
あんな必死に見ず知らずの方からMDを苦労して入手したのに。

そして今、アップルミュージックでダウンロードした曲を
アレクサに飛ばして聴いているが、、、

いや、ヨンボのあの美しい声はMDウォークマンのイヤホンで
耳元で聴かないと響かない。
やっぱりMDウォークマンで聴きたい!

そして自分の悪い癖である事は充分承知してるのだが、、
入手困難な時は燃え上がるが、簡単に入手出来ると熱が冷める、、、
いや、まだ、とんぼ 熱は冷めてはないが、
MDウォークマンを必死で動かそうとした時ほどではなくなっている。。

しかし、このMDウォークマン、デザインは秀逸だし、
MDはコンパクトでいいではないか?
廃れたのは何故か?と調べてみたらiPodの登場らしい。
MDというメディアが必要無くなったので廃れたらしい。

でもSONYはいい製品作るよね。
世界のSONYからは凋落したけど、こんないい製品造る会社なんだもの、
復活を信じる。
日本の企業は又、復活出来る、そう信じる。


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四面楚歌、、、なんだかなぁ

2023-06-12 20:30:00 | Weblog
親が帯状疱疹、ブレインフォグ、明らかに某劇薬の後遺症の症状が出てるので、
解毒の為の薬とファスティングで治るはず!
と、両親にこの通り実施すれば解毒出来て治るはず!
と説明して、その時はウンウンと聞いていた親が数時間後に一転、
それはやらない、と言ってきた。

あれほど死ぬ人が今異常に増えている、
原因は、と説明したのに危機感を持ってもらえなかったのか、、
と先程、電話して、もう待ったなしの危機である事を説明したが、、、

要はお前は素人だ、専門家である医者じゃない。
自分達は何年もかかっている医者をこれからも信じていく。
糖尿病なんて食べなきゃ治る、
そういう本も持っていき無駄な薬をやめよ、
そう諭してきたが、そういった事も受け入れなれなかったんだろう。

私に言うこと聞かないで解毒しないと死ぬよ!
そこまで言っても全く耳を貸さず。
そうなっても自己責任だからいいと。

確かに私は素人だし、ある意味正しい理論だとは思うが、
以前、真っ当な医者の書いた本でこの劇薬の恐ろしさを書いた本も
も読めと渡していたのだが、、、

この戦後最大に死者が増えている、この事実に何故、
「おかしい」というビットが立たないのであろうか?

両親だけではない。
家族、親族、友人、大切な人たちに、
この劇薬からの解毒方法をやっと見つけたから、
実行してほしい、そう伝えたら、
その後、ほとんどの人から音信不通になった、、、

アブナイ奴、
そう私が認識されているのはほぼ間違いない。

ほとんどの人がこの世からいなくなってしまう、
そうなる運命を知ってしまってから、
私はずっと暗いトンネルの中、絶望の中にこの数年いた。
いや、その運命はきっと間違いだ、そうであってほしい、
そう願ってきたけど、死亡者のデータは確実に
運命に突き進んでいる事を物語っている。

でもやっと助かる方法を見つけた!
そう喜んだのもつかの間。

根が深い。深すぎるんだね、
自分たちが信じてた世界から目を覚ませない。

私の覚醒してる仲間からは、
気づけない人はそういう運命だから仕方ない、
そう割り切っているけど、、、

私は相変わらず暗闇から抜け出せないまま、
というか、
むしろ何をしても無駄なのか、
という、
どうしようもない無力感に苛まれてます。

覚醒してていいことあるのか?
哀しい事の方が多いんじゃないか?
胸が痛い。
辛い。

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どこで私たちは間違えてしまったんだろう?

2023-06-02 19:03:35 | Weblog
千曲川のほとりの姨捨の棚田で田植えをした。
生温い田んぼの泥水に足を浸からせて、身を低くして苗をギュッと押し込んで蟹の横這いの様に進む。
苗を押し込む手のひらにも生温い泥水の感触がつきまとう。

その感触に浸っていると地球の一部に触れている、
そう感じさせてくれるのだ。

私のまちがいだった。
私のまちがいだった。
こうして草の上に座ればそれがわかる

そう詩ったのは八木重吉。
その詩は更に草がないから、いつまでも間違いを修正出来ない、
そう嘆き哀しむ詩へと展開する。

人間がどんどん地球からかけ離れた遠い存在になっていくことを
八木重吉さんはわかっていたんだなぁ。
そして、それを何となく感じとった、自分。
大昔の中学生頃にこの詩を読んで
ずっと忘れられずにいたのはね。

タワーマンションに住んで仕事にあけくれる、
そんなの全然普通じゃないから、
まともな人間の生き方じゃない、
ズバッと切り捨てた養老猛司さんの発言を聞いて、
自分がずっとモヤモヤとわからずに感じていたモノを
具現化してくれた言葉だった。

あのあめんぼが泳ぎまわる生温い泥水を
足で、手で、
感じたことで生身の人間に少し戻れたような感覚を味わえた。

ゆらぎのリズムって言葉があるけど、
自然界に触れてないと、自分が生物である事からどんどん乖離してゆく。
樹々の風でたわむ枝葉、
海の波のうねり、
川の水の流れ、
一瞬とて同じ瞬間はない。
この不規則なゆらぎに身を預ける事で生き返る。

コンクリートのビルの中、
テレビの映像、
音楽を聴いてる時でさえ、
全部作られたもの、計算された生産物。
予想外の動きは存在しない。
その中でうごめいていると息苦しくなるのは、
まだ生身の人間の本能が残っているから。

世の中で起きてる様々な出来事、
お金や利権、何がそんなに大事なんですか?
こんなに同じ生命体同士で意味なく殺しあう動物はいない。

ただただ地球の生命体の一つとして地球の鼓動と共に
与えられた命を全うしたい。

他の生命体よりちょっとだけ道具や知恵が使えたからといって
人間だけが偉いんじゃない。

どこで私たち人間は生き方を間違えてしまったんだろう。








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