トモちゃんは三日間も家の二階にカン詰めだったので、
とにかく風呂に入りたい!
と連絡をよこしてきた。
そして昨日、やっと水が引いて家から出れるようになったので、
私に一体何が出来るるんだろう?
と、自分が被災した身だったら?と、置き換えて考えてみた。。
まずは、これから浸水した家の復旧だろ、
と、家で使ってないデッキブラシ、大量のボロたおる、
ゴム手袋、大きなビニール袋、除菌ウェットティッシュ、
そして、ご飯もろくなもの食べてないだろうから、ご飯と、
予備バッテリー充電池などを持参して水海道に向かった。
正直、どこまでいけるかわからなかったが、
やはり水海道に入る手前の橋で通行止め。
手前の田んぼに路駐して、水海道に徒歩で入っていった。
待ち合わせの常総市役所は自衛隊の人や、避難の人でごった返していた。
町の中は1メーターほど冠水した泥水の汚れがくっきり残っており、
ドブ川の匂いが充満してた。
多くの家で家財を外に出して片付け中だった。
皆、家族総出で、でも、意外にそれほど悲愴感を漂せていないように見受けられた。
電気は一部で再開してるもののトモちゃんちや、開通してないところも多い。
水道は市役所ふくめ、まだ断水中。
町の至る所に警官や自衛隊、災害復旧の業者が作業中。
トモちゃんからメールでは、
車が水没したとの事だったが、
屋根まで泥が付着、中は泥だらけ、廃車だそうだ。
今回、足を踏み入れた水海道は今回の被災地、石下とは離れてるが、
何と石下の水が遥か南の水海道まで押し寄せていた事を
トモちゃんと話して初めて知ったのだった。
ただ幸いにも今回、トモちゃんは、二階から身動き出来なくなっていたものの、
丁度、半年前、防災用品・食料を私と一緒に一緒に買い揃えてjたので、
何とか3日も閉じこまったまま生活できたのだ。
でなければ、食べることも、トイレも行けない為、
ヘリコプターに吊り上げられるコトになっていた。
しかし、うかつにも二階のベランダに姿を出すと、
救援ヘリコプターがすぐビュンビュン近づいてきたそうだ、
おぉ、あそこに救援しなくてはならぬ人影が!?
と、思うらしい。
ま、確かに防災用品なければ無理だったからね。
でも、私だったら、ヘリコプターに吊り上げられてもらうとか、
ヘリコプターに乗せてもらう経験なんて、一生に一回あるかないか!
だから喜んで乗せてもらっちゃうがね。
トモちゃんは、ヘリコプターに吊り上げられのはイヤだったらしい。
ただ、このヘリコプター、
このトモちゃんが三日間、自宅に閉じ込められている間、
無数に上空を飛び回り、そのうるささは半端なく、
夕方六時を過ぎると、やっといなくなるから落ち着けると、
トモちゃんは心底、ヘリコプターを嫌がっていた。
これは安倍の陰謀だ!と。
ここまで嫌がるのは、もう一つ理由があって、
ヘリコプターが自分に近づいた時の風圧は半端なく、
窓ガラスが割れそうなぐらい強力で、
実際、トモちゃんの前の家が近づいたヘリコプターの風圧で、
屋根がバラバラに壊れて行った瞬間をトモちゃん目撃し、
それを映像に残していた。
こういうのを二次災害って言うのか?
誰も責められないけど、
なんだかなぁ、、
現地の被災地の写真は必死で復旧作業している被災者に
申し訳ない感じして一枚も撮れなかった。
だが、トモちゃんは、
すれ違った見知らぬ人に
写真をいきなり撮られていた。。。
ま、
泥まみれの靴、
泥が点々とシミになった服、
いかにも被災者!という絵になる被写体だもんね。
「くやし~い!!!」
と、トモちゃんは吠えていた。
夕方、テレビを点けると、さっきトモちゃんと歩いてた、
その場所がテレビに映ってた。
被災地内では撮影できなかったけど、
被災地への橋で撮影した、
浸水した水の排水作業だけカメラに収めました。