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ぽかぽか春庭アーカイブ(と)徳富蘆花「自然と人生」

2018-11-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181125
ぽかぽか春庭アーカイブ(と)徳富蘆花「自然と人生」

 2003年のアーカイブ再録です。

at 2003 10/16 11:08 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.22(と)徳富蘆花『自然と人生』

 詩歌を志す文人にとって、自然は「ネタモト」の大事な存在だったが、一般の生活者が「自然の美」や「自然との交歓」の効用に気づいたのは、明治以後だと言われている。
 自然と闘って生活しているほとんどの人にとって、「自然」とは、眺めて楽しむ以前に「食べ物の調達先」を意味した。風にゆれる穂波の美しさを眺めている暇があったら、今年の稲の作柄を心配しなければならなかったのである。

 物食うよりほかに楽しみがなかった我が父祖に、自然観賞の楽しみを教えてくれたのは、志賀重昂『日本風景論』であり、国木田独歩『武蔵野』であった。
 徳富蘆花『自然と人生』も、その一冊。

 蘆花の前書きにいわく。

 『昔賢猶自ら謙して吾は眞理の海の渚に貝を拾ふに過ぎずと云ひき。今予凡手凡眼、遽に見て急に寫せる寫生帖の幾葉を引ちぎりて即ち「自然と人生」と云ふは、僭越の罪固に(@)かれ難かるべし。讀者幸に恕せよ。』 (@)の文字、官にしんにょう。

 これを読ませても、日本人学生「イミ、ワカンネー」と言って放り出すだろう。熱心に辞書を引くのは、ジャパノロジー研究生、近代日本精神史専攻で論文を書こうとする留学生くらいだ。
 蘆花は『不如帰』の作家として有名。「明治文学史」が試験範囲になっている高校生には暗記マーカー赤丸の本だが、蘆花で卒論を書く人や近代文学を専攻する院生以外で、『不如帰』を原文で読んだ人がいたら、よほどの年寄りかマニア。
 「書名は有名だけど、だれも読む人がいない本」の中の一冊だ。
 私も、大山捨松に興味を持つまでは、「読む気もしない、古くさい本」と思っていた。

 継母(大山捨松がモデル)にいじめられた継娘波子が、結核に冒された胸を押さえながら「なんで人は死ぬのでしょう、千年も万年も生きたいわ」と涙で語ることばだけは、さまざまなパロディになって流布していたが。
 千年も万年も生きられない、限りある命をせいいっぱい謳歌するためにも、自然の中で楽しくすごしましょう!
 (大山捨松については、孫が『鹿鳴館の貴婦人』という伝記を書いています)

at 2003 10/16 11:08 編集  自然と人生
 結婚後東京に住んで20年になるが、生まれ育ちは田舎だから、緑が目に入らないと息苦しくなってくる。新鮮な空気と光と水。私も光合成していたい。
 自然とのふれあい交歓を生き甲斐とする人のサイトを発見するのも、ネットサーフィンの楽しみのひとつ。さまざまな自然、様々なふれあいがある。

 新潟市、78歳になる吉川百合子さん執筆の新聞投書(2003/09/30)より。
 百合子さんは、30キロの装具を背負い、台風の余波でうねる9月初めの佐渡の海でダイビングした。水深5メートルの海底を20分散歩したそうだ。
 「アジ、イカ、アメフラシなどの海中生物を見られて楽しかった」と書く百合子さん。すごいですね。78歳で挑戦するスキューバダイビング。

 海中散歩といえば、2003年9月初旬に101歳で亡くなったレニ・リーフェンシュタールも、70歳すぎてスキューバダイビングをはじめた人。
 戦前は、ベルリンオリンピック記録映画『意志の勝利』の監督として知られ、戦後は西アフリカのヌバ族を記録した『NUBA』の写真家として復活したレニ。
 70歳すぎて始めたダイビングで、海中の美を追求し、たくさんの美しい海中写真を撮影した。

 自然大好きな私も、海に関しては、泳いだり眺めたりするだけ。潜るのはまったくできない。
 海の生物を楽しみたいときは、もっぱら水族館散歩。品川水族館、葛西臨海公園水族館、サンシャイン水族館へよく行く。鱗を銀色に輝かせて泳ぐ魚たちを見て、感激の第一声は、「うまそう!」
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2010/01/30
 自然とふれあう時間がないまま毎日殺伐とすごしています。ほととぎすの波子のように「千年も万年も生きたい」と思っているのに、どうにも干からびてしぼみそう。自然の中で生気をとりもどしたいです。

 せめてものうるおいとして、カフェIDmorinoseiさんの本を読み返しましょう。林業担い手がいないまま放置されていた森を買い集め、森林再生を「道楽」にして毎日をすごしているという記録です。
 藤澤和人『森の道楽・自分の森を探検する』
 こんなふうに自然の中で暮らせたらいいのだけれど。

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20181125
 11月25日で新聞が報道するとしたら、三島由紀夫の命日、つまり市谷で切腹自殺した日。私はこの「三島事件」を、森田必勝を道連れにした「楯の会心中」と呼んでいます。三島ファンにとっては聖なる日であるこの日を、わざわざ「心中」という名にしているのはなぜか、というと、1970年当時、この日が三島の日になったことが嫌だったからです。

 11月25日は、亡き母の誕生日。ひとり静かに母の年なんぞ数えていたいのに、世間ではミシマミシマと姦しい日になって、嫌な気分でした。
 でも最近の三島事件分析では、三島の思想的な行動というより、文学上の行き詰まりや、三島の自己耽美傾向、男性との愛情関係の問題もからめて論じられることも増えて、かって右の人たちが「聖なる日」にして街角の街宣車から「三島先生の思想を受け継ぎ天皇をいただき、維新の実行を!」なんぞとがなりたてることもなくなってきました。

 三島は、榊山保という別名義でゲイ雑誌に発表した『愛の処刑』という小説に、切腹に対する官能的な嗜好を表明しています。至上の死とあこがれ続けた切腹を果たして、楯の会の中でもっとも目をかけた森田必勝が、ともに切腹することを承諾した喜びの中で命終わった三島の生涯は、幸福な一生だったろうと思います。唯一彼の生涯で不幸と思うのは、死の最後まで自分自身の性的傾向を表立って肯定することなく死んだこと。
 時代が違った、といえばそれまでですが、自分を肯定できないという自我は寂しいものです。

 2017年生まれの母が100歳を超えた今でも、11月25日になると母の年齢を数えずにはいられない精神の持ち主である私。そんなやわな自分自身を肯定しています。
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 春庭アーカイブの再録は、「あ~と」のあと、「な~ん」まで続きますが、いったんお休みします。
 京都旅行報告その他のあと、再録を続けます。2「003年春庭おい老い笈の小文」再開は、2019年1月後半になります。

<つづく>
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2 コメント

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Unknown (すみとも)
2018-11-26 09:02:51
おはようございます^^
アーカイブ再録・・・覗いては楽しませていただきました。 お母様のお誕生日11月25日 もう百歳を超えられましたか 私は親の歳数えずの親不孝娘 
でも 春先生のお母様のお誕生日は忘れないかも~お母様と一日違いの誕生日! もうそれだけで 嬉しい朝になりました^^
京都旅行・・・楽しみにしています。
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すみともさん (春庭)
2018-11-26 11:46:43
11月26日、喜寿をお迎えのすみともさん、おめでとうございます。これまでのあれもこれも「喜び」に変える喜寿と思っております。

すみともさんのことばのセンスをみならい、五七五の機智を楽しませていただきながら、あとを追ってまいりますゆえ、この先も、すてきなことばを傘寿米寿卒寿白寿百寿と積み重ねていらっしゃいますように。
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