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ぽかぽか春庭「日本現代美術私観・高橋龍太郎コレクション in 現代美術館」

2024-08-29 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240829
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩盛夏(8)日本現代美術私観・高橋龍太郎コレクション in 現代美術館 

 この展示のコレクター精神科医高橋龍太郎は、団塊世代の最初のほう、1946年生まれ。私はいまだに「ゲンダイゲージュツ、わからん」なのに、1990年代から収集をはじめ、いまや3500点を超える作品をコレクションになっている。値段で鑑賞するHAL方式でいえば、当初爆安の値段で購入したであろう現代美術、今では莫大な資産になっているはず。だれも買おうとしていなかった草間彌生の初期作品も村上隆も、ごっそり並んでいる。

草間彌生「かぼちゃ」1990

 草間彌生の作品、贋作展が中国で大々的に催され、贋作と知りながら押し掛けた観客に大人気でした。草間の作品を管理する財団の抗議で中止になりましたが、日本にいる私たちは高橋が収集した本物を見ることができます。(草間彌生美術館は入館料高いから入ったことなかった。現代美術館シルバーパスで見ることができてラッキー)
 近代美術館には黒い男根群がときどき展示されるが、喬橋コレクションの男根はグレーだった。アメリカ在住時代の「ハプニング動画」も古いブラウン管上のテレビモニターが映し出している。日本に帰国した当初の草間への評価は「ちょっとおかしな、いかれたアーティスト」だった。

 私、以前、草間かぼちゃがプリントされた公式グッズのランニングシャツを買ったのです。在庫一掃セールでMしか残っていなくて、無理を承知でMを買ったんですが、控えめな胸はすんなり入ったのに、控えていないこの腹は収まってくれず、草間かぼちゃを着て街を闊歩する夢は儚く、、、LL買えよ。 

 高橋龍太郎は学生闘争で挫折し、慶応大学医学部を退学。後に東邦大学医学部卒。ペルーでの国際協力事業団の医師として活動ののち、1990年にクリニック開設。1997年に自社ビル建設。コレクションを拡大していく。

現代美術館の口上
 高橋龍太郎コレクションは、現在まで3500点を超え、質・量ともに日本の現代美術の最も重要な蓄積として知られています。本展は、1946年生まれのひとりのコレクターの目が捉えた現代日本の姿を、時代に対する批評精神あふれる作家115組の代表作とともに辿ります。

 本展が手がかりとするのは、戦後世代のひとつの顔としての高橋龍太郎の視点です。団塊の世代の始まりとして育った彼は、全共闘運動に参加し、文化と政治が交差する東京の60年代の空気を色濃く吸い込んだのち、精神科医としてデイケアをはじめとする地域医療の推進に尽力します。その活動が軌道に乗った1990年代半ばより日本の現代美術のコレクションを開始し、現在に至るまで作品を収集してきた高橋は、現代美術の動向を受け手として内側から観察し、表現者とは異なるかたちでその重要な部分を体現してきた存在といえるでしょう。本展では、高橋龍太郎コレクションの代名詞ともいえる1990年代から2000年代にかけての日本の自画像のような作品群だけでなく、東日本大震災以降に生まれた新たなコレクションの流れを、時代の感覚の変化を映し出したものとしても紹介します。

 高橋龍太郎コレクションの形成は、1995年に開館した東京都現代美術館の活動期と重なっています。東京という都市を拠点に形成されたこの二つのコレクションは、互いに補完関係にあるといえるでしょう。一方それは、バブル崩壊後の日本の、いわゆる「失われた30年」とも重なっています。停滞する日本社会に抗うように生み出されたこれらの作品を、高橋は「若いアーティストたちの叫び、生きた証」と呼びます。本展は、東京都現代美術館がこれまで体現してきた美術史の流れにひとつの「私観」を導入しつつ、批評精神にあふれる日本の現代美術の重要作品を総覧する、貴重な機会となるはずです。 

 「胎内記憶」「戦後の終わりと始まり」「新しい人類たち」「崩壊と再生」「『私』の再定義」「路上に還る」の6章で構成。総勢115組という、膨大な近代から90年代生まれの作家の作品。 
  第1章に並んでいる草間彌生の作品やアラーキーの私写真は撮影禁止ですが、第2章以後は撮影できました。(一部撮影禁止マークのものもあります)。

村上隆(+田宮模型)「ポリリズム」1989 村上 隆《ズザザザザザ》1994年
  

 10年前の森美術館の会田誠展で見た「会田誠天才でごめんなさい」でも展示されていた「紐育空爆之図(戦争画RETURNS)」。え、これ高橋コレクションだったの?と思いました。展示は、会田誠展のときのように、ビールケースの上にベニヤ板というのも同じ。今回は、裏側の「廃屋解体の場から拾ってきたぼろぼろの襖」も見られる。
 会田誠が川端龍子記念館の鼎談で語っていた制作秘話によると、加山又造の「千羽鶴」に触発されて構図を決めたそう。

会田誠「紐育空爆之図(戦争画RETURNS)」1996
 「紐育空爆之図の裏側
 
会田誠「大山椒魚」2003


 ぽかぽか春庭「会田誠展 天才でごめんなさい2013」
 ぽかぽか春庭「会田誠 駄作の中にだけ俺がいる」

 もうひとり私のお気に入りの山口晃は「當卋おばか合戦」と「おばか合戦本陣図」が展示されていました。はじめて見たので、近づいて細かく見たかったのですが、山口晃、人気画家ですから次から次から画面の前に来る人がいます。人の視線を邪魔しないように観覧するようしているので、長い時間画面に近づいて見ていることはできない。本陣図の中のひとりだけ兜や陣笠じゃなくて現代の帽子をかぶっている人がいたりするのを、細かく見たかったのだけれど、、、、図録買えよ。

山口晃「當卋おばか合戦 」2001




西尾康之「Crash セイラ・マス」2008年


森村泰昌「野菜涅槃(若冲)」1990


森村泰昌「肖像九つの顔」1989

 死体解剖の博士もじっと見つめる弟子たちも全部森村の顔。ゴッホやモナリザやレンブラントに扮した森村もいいが、このように増殖した森村もいい。「夜警」全員森村とか、もっともっと増殖してみたらいいんじゃないか。 

塩田千春「ZUSTAND DES SEINS(存在の状態)-ウェディングドレス」2008


 ヤノベケンジ


森靖「Jamboree-EP」 2014
  [
    エルビス・プレスリーの巨大な像。晩年ドーナツ食いすぎで太っていたころだと思うのだけれど、胸がおすもうさんみたいに大きい。具象の肖像じゃないのだから、アーティストのいろいろな思いが入っている像なのだけれど、私には「絶大な人気スターの晩年の肉が余っているころの姿」を感じてしまったのだけれど。西尾康之「Crash セイラ・マス」と並び、ド迫力の像。でかい、ということがどれほど衝撃を与えるものか実感すれば、奈良も鎌倉も大仏作りたくなった気持ちわかります。

 鴻池朋子(1960~)「皮緞帳」 2015-2016年

 現代美術の中でも、でかい作品がどしどし展示されているのを見て、いくら自社ビルをもっている高橋龍太郎でも、これらのコレクション納めるにはでかい倉庫が必要だったろうなあ、購入費のほかに倉庫代もかかるなあ、と、年金で暮らせない高貴幸齢者はちまちまと倉庫代を計上する。

 高橋が最初に買った作品は合田佐和子《グレタ・ガルボ》。飯倉の青画廊で、5〜6万円くらいだったそう。バブルはじけて投資目的の金持ちたちの買いあさりが収まり、適正価格で買うことができた。

 展示の作品の中、倉庫に入れないものでなくて小ぶりの作品であっても、まだ売れてない現代美術を「そのうち値がでますから買いませんか」と勧められても決して買おうとは思わなかったと思う。目がない者の悲しいところ。
 ある人気タレントが、テレビ出演の記念品か何かで、草間彌生の小さいリトグラフをもらってしまいこんでいた。なんでも鑑定団出演を機に、この草間リトグラフを鑑定してもらったら数百万円だって。う~ん、私の腹が入らないランニングシャツには値がつかないものかなあ。
 
 高橋コレクションの膨大な作品の中から選びに選び抜いたキュレーターの腕がよかったのでしょうし、むろん高橋龍太郎の収集力がよかったのだと思いますが、苦手だと思っている現代アート、作品集もたくさんあって3時間ぐらい会場にいました。いい時間を過ごすことができました。

<つづく>
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