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ぽかぽか春庭「平田郷陽の人形 in 東京国立博物館」

2024-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240820
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩盛夏(3)平田郷陽の人形 in 東京国立博物館

 人形好きの春庭、最初に平田郷陽(1903-1981)の作品に出合ったのは、国立近代工芸館が旧近衛師団のレンガ建物内にあったころの「桜梅の少将」を見たときです。以来工芸館で郷陽人形を見てきましたが、今回東博でまとまった作品展示がありました。

 桜梅の少将1936(国立工芸館)


 東京国立博物館の口上
 二代平田郷陽は、1955年、重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定された創作人形作家です。その父・初代平田郷陽は、日本の伝統的な製作技法を用いて極めて写実的に造形する「生人形」作りを職業とし、二代目郷陽自身もまた、生人形作家として作家人生を スタートしました。しかし、人形もまた絵画や彫刻と同様に芸術としての価値があるという思いから、「創作人形」を志すようになります。1936年、改組第1回帝展に入選し、その後、帝展、文展、日展などで活躍するようになりました。郷陽の創作人形は、伝統的な「衣裳人形」の形態を採用し、生人形制作で培われた確かな写実性に基づきながら、人々の生活や心情を情趣ゆたかに表現しています。
 戦後は日本工芸会を中心に、創作人形の第一人者として活躍を続けました。伝統的な衣裳人形からの脱却を試み、抽象的なフォルムを持つ木目込人形へと向かう姿勢には、時代とともに変化する芸術の動向に向き合う、郷陽の姿勢が垣間見えます。
 本展では、作風の変遷に合わせ4つのテーマで郷陽の創作人形の世界を紹介し、郷陽がリードしてきた創作人形における伝統と革新の一時代を紹介します。

 父であり師匠である初代平田郷陽は、生け人形作者の安本亀八の弟子でしたから、二代平田郷陽も写実の技をしっかり身に着けました。21歳で父を失って二代目を継いだのち、節句人形などの制作で生計を維持しつつ、芸術としての人形制作に心血をそそぎました。

 第1章 創造の原点・生人形
 薬玉1933        
 
 手足の指の爪の先まで写実に徹しています。

婦女1932            朝鮮の佳日1937
   
 平田は、朝鮮服を購入して研究したと伝わります。
 
第2章 芸術としての人形を目指して
十三夜1947

 
第3章 写実からの解放
 秋韻1953         朝霜1955         
  
流れ1962              おんな1964
   

抱擁1966           香り1969    
   

第4章 人形芸術の大成
朝の庭1972            宴の花1975
   

 年代順にみていくと、平田が芸術としての人形制作をつぎつぎと革新していき、自己の表現を深化させていく過程がわかりました。物静かで上品な女性の表現が多いと感じますが、郷陽から現代の人形表現が広がっていった先に、四谷シモンもおり、昨年夏に松涛美術館で見た人形展のようなとんがった展示にもつながっていく。

 国立工芸館が金沢に移転してしまったので、まとめて人形を見る機会が減りましたが、新しい人形作家が育っていると思います。

<つづく>
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