20161013
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(4)秋の生活
農水省2015年の速報によると、農業就業人口は200万人割れ。2011年の統計で、農業就業人口のうち基幹的農業従事者数(農業以外の職業を持っていない専従者)は、186万2千人にまで減少したことがわかりました。しかし、それから4年で、農業に副業として携わっている人でさえも、200万人割りが迫ってきました。
TPP受け入れておいて、「農業人口を増やす人材育成」とはちゃんちゃらおかしい。減って当然。食っていけないもの。
今や農業は、マネーゲームで成金になった人が「自然農法で、自分だけは安全なものを食べるために趣味で行う道楽」となったのであるからして、大方の若者が、職業として農業で食べていこうとは思わないのも、当然でしょう。
日本が近代国家として走り出した1875年から、1960年まで。農地面積550万ha、農業就業人口1,400万人、農家戸数550万戸という数字が維持されてきました。高度成長期までは、一定の農業従事者がいました。
農業基本法が作られた1961年から、農業衰退は急速に進み、今、農業の総生産はGDP(Gross Domestic Product)の1%を切っています。日本の国土は、国民が食べる食料の1%も生み出していない。
豊洲市場の盛り土を決めた責任者さえ出てこない日本だから、日本の農業をだめにした責任者など出てくるはずもないけれど、2000年以上続いた農耕技術は消えてしまえば、だれもそれを伝えることはできなくなる。。
かくして金持ちは国産のまつたけなどお召し上がりになり、我ら貧乏人は、「食の安全」とやらに不安かかえながら、どこやらの輸入食品を日々食卓に上らせて、残留農薬やら添加物やら保存料やらを体に蓄積させていく。「きちんと検査をしてます」と、担当者は言うに違いない。しかし、きちんとやってきたはずの豊洲市場地下にはなにやらわけのわからぬ水がたまり、東京五輪の経費削減を計れば、利権にまみれている某森氏が「それはできない」とおっしゃる。
で、何が言いたいかというと、歳時記、季語の中の死語累々のページです。
時候、天文、地理にはそれほどの変化はありません。時代がどのように変わろうと、立春から210日たてば「二百十日」という季語は使える。陰暦八月十五日に空を見上げれば十五夜満月。
しかるに、「生活」とタイトルがついたページ、死語の山です。こんな言葉を日常生活で使う人はいるのか、と思います。
日本の詩歌では、行ったことない土地でも、名所であるなら「歌枕」として和歌にし、恋愛経験なくとも「忍ぶ恋」という題が出ればそれらしき歌を詠む。それが詩歌の技法でした。
だから、見たこと聞いたことない季語でも、想像で一句ひねって悪かろうはずもない。しかし、しかし、実感のない「落とし水」も「毛見」も、「添水」も、それらを使って、いったいどのような。句が生まれているのやら。
「砧」打つ音など、実際には聞いたこともない。「鹿火屋」など、見たこともない。
歳時記見ていて「高擌たかはご・たかはが」というものを、初めて知りました。竹串や木の枝に黐(もち)を塗って,おとりのそばに立てる。おとりの声を聞いて「なわばり」を取られるかもと、近づいてくる小鳥を捕まえる。現在では狩猟法で禁止。高はごで小鳥を捕まえた経験を持つ人はもはやいないだろうと思います。それでもちゃんと例句は載っています。
・高はごにつかず去る鳥美しき(山崎布丈)
生活実感はなくとも、歌枕のように、見たこともない農耕を句にすることもあるし、あるいは、東京も高度成長期以前は街中に空き地原っぱもあったということなので、今のようにビル林立の町よりは自然が残っていたのかもしれません。
・茜堀夕日の岡を帰りけり(尾崎紅葉)
紅葉は、江戸の終わり慶応3年に、芝中門前町(現・東京都港区浜松町)で生まれ、牛込でなくなった江戸っ子だったので、「茜を掘る」作業をどのあたりで目にしたのかわからないけれど、戦後生まれの私は、そもそも染料にする茜の根を見たことがありません。
山本作兵衛の炭鉱絵がユネスコ記憶遺産になってうれしかった。でも、季語のことばは「日本記憶遺産」として遺されたとして、意味があるでしょうか。
女性下着名称からシミーズやズロースが消えて、だれも困っていないように、榾火(ほだび)という物や言葉が消えても、それはそれで仕方がないのでありましょう。
農耕技術も、それに関わることばも、あるいは、他の「絶滅危惧語」となっていることばも、保存はできるでしょうが、生きた言葉ではなくなる。
それでもいいのかなあと思いつつ、歳時記をぱらぱらとめくり、初めて見ることばに「あらら、知らなかった」と己がことばの貧しさを知る。
ま、消えたことばをあれこれ惜しむのも、秋の夜長のひまつぶし。ひつまぶし食い、、、、あ、昨日も言ったな、これ。
こんな具合に、秋の生活もつるべ落とし。といっても、だれもつるべを使ってない。
消えたと思っていたら、どっこい生き残っていました。昭和の宣伝媒体、チンドン屋。10月5日、渋谷の駅前。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(4)秋の生活
農水省2015年の速報によると、農業就業人口は200万人割れ。2011年の統計で、農業就業人口のうち基幹的農業従事者数(農業以外の職業を持っていない専従者)は、186万2千人にまで減少したことがわかりました。しかし、それから4年で、農業に副業として携わっている人でさえも、200万人割りが迫ってきました。
TPP受け入れておいて、「農業人口を増やす人材育成」とはちゃんちゃらおかしい。減って当然。食っていけないもの。
今や農業は、マネーゲームで成金になった人が「自然農法で、自分だけは安全なものを食べるために趣味で行う道楽」となったのであるからして、大方の若者が、職業として農業で食べていこうとは思わないのも、当然でしょう。
日本が近代国家として走り出した1875年から、1960年まで。農地面積550万ha、農業就業人口1,400万人、農家戸数550万戸という数字が維持されてきました。高度成長期までは、一定の農業従事者がいました。
農業基本法が作られた1961年から、農業衰退は急速に進み、今、農業の総生産はGDP(Gross Domestic Product)の1%を切っています。日本の国土は、国民が食べる食料の1%も生み出していない。
豊洲市場の盛り土を決めた責任者さえ出てこない日本だから、日本の農業をだめにした責任者など出てくるはずもないけれど、2000年以上続いた農耕技術は消えてしまえば、だれもそれを伝えることはできなくなる。。
かくして金持ちは国産のまつたけなどお召し上がりになり、我ら貧乏人は、「食の安全」とやらに不安かかえながら、どこやらの輸入食品を日々食卓に上らせて、残留農薬やら添加物やら保存料やらを体に蓄積させていく。「きちんと検査をしてます」と、担当者は言うに違いない。しかし、きちんとやってきたはずの豊洲市場地下にはなにやらわけのわからぬ水がたまり、東京五輪の経費削減を計れば、利権にまみれている某森氏が「それはできない」とおっしゃる。
で、何が言いたいかというと、歳時記、季語の中の死語累々のページです。
時候、天文、地理にはそれほどの変化はありません。時代がどのように変わろうと、立春から210日たてば「二百十日」という季語は使える。陰暦八月十五日に空を見上げれば十五夜満月。
しかるに、「生活」とタイトルがついたページ、死語の山です。こんな言葉を日常生活で使う人はいるのか、と思います。
日本の詩歌では、行ったことない土地でも、名所であるなら「歌枕」として和歌にし、恋愛経験なくとも「忍ぶ恋」という題が出ればそれらしき歌を詠む。それが詩歌の技法でした。
だから、見たこと聞いたことない季語でも、想像で一句ひねって悪かろうはずもない。しかし、しかし、実感のない「落とし水」も「毛見」も、「添水」も、それらを使って、いったいどのような。句が生まれているのやら。
「砧」打つ音など、実際には聞いたこともない。「鹿火屋」など、見たこともない。
歳時記見ていて「高擌たかはご・たかはが」というものを、初めて知りました。竹串や木の枝に黐(もち)を塗って,おとりのそばに立てる。おとりの声を聞いて「なわばり」を取られるかもと、近づいてくる小鳥を捕まえる。現在では狩猟法で禁止。高はごで小鳥を捕まえた経験を持つ人はもはやいないだろうと思います。それでもちゃんと例句は載っています。
・高はごにつかず去る鳥美しき(山崎布丈)
生活実感はなくとも、歌枕のように、見たこともない農耕を句にすることもあるし、あるいは、東京も高度成長期以前は街中に空き地原っぱもあったということなので、今のようにビル林立の町よりは自然が残っていたのかもしれません。
・茜堀夕日の岡を帰りけり(尾崎紅葉)
紅葉は、江戸の終わり慶応3年に、芝中門前町(現・東京都港区浜松町)で生まれ、牛込でなくなった江戸っ子だったので、「茜を掘る」作業をどのあたりで目にしたのかわからないけれど、戦後生まれの私は、そもそも染料にする茜の根を見たことがありません。
山本作兵衛の炭鉱絵がユネスコ記憶遺産になってうれしかった。でも、季語のことばは「日本記憶遺産」として遺されたとして、意味があるでしょうか。
女性下着名称からシミーズやズロースが消えて、だれも困っていないように、榾火(ほだび)という物や言葉が消えても、それはそれで仕方がないのでありましょう。
農耕技術も、それに関わることばも、あるいは、他の「絶滅危惧語」となっていることばも、保存はできるでしょうが、生きた言葉ではなくなる。
それでもいいのかなあと思いつつ、歳時記をぱらぱらとめくり、初めて見ることばに「あらら、知らなかった」と己がことばの貧しさを知る。
ま、消えたことばをあれこれ惜しむのも、秋の夜長のひまつぶし。ひつまぶし食い、、、、あ、昨日も言ったな、これ。
こんな具合に、秋の生活もつるべ落とし。といっても、だれもつるべを使ってない。
消えたと思っていたら、どっこい生き残っていました。昭和の宣伝媒体、チンドン屋。10月5日、渋谷の駅前。
<つづく>