20161012
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(3)鰯、鯖、鱗
10月。先週の火曜日4日は、東京の気温32度で真夏日でした。1週間すぎて、11日火曜日の気温は、正午にようやく20度を超えてすぐ午後はまた10度台。体温調節のきかない病人と年寄りには、難しい天気。女心と秋の空とばかりは言っておられません。暑い暑いと文句を言い、すぐに寒い寒いと不平を述べる。これ、女心ではなく、婆心。
昨日の天気もすぐに忘れてしまう婆脳ですから、「あの暑かった日、いつだったっけ」と忘れても、昨今のコンピュータは賢いから、キーワードを入れれば、即座に「それは、10月4日、32度でした」と、教えてくれる。トップ棋士も「googleアルファ碁」に負けるご時世、私の脳が天気記憶できなくても当然です。
すみともさんブログにも一句残しました。
AIに負けるこの脳冬隣(春庭)
9月5日。どっしりとわき上がる入道雲。その雄渾さに「東京でもこんな大きな入道雲出るんだ」とながめたのは、亀戸駅へ向かうバスの窓からの眺めでした。
東京新聞の写真ニュース「9月5日、首都高速中央環状線扇大橋付近から南東方向を見ると、まるで真夏のような上空に高く伸びる入道雲が現れた」というのが、私が見た入道雲と同じ雲だろうと思うので、写真借りました。バスの中からだったゆえ、うまく撮れなかったので。
もう、空は秋の雲。気象用語では巻積雲。
季語では、鰯雲鯖雲鱗雲。どれもいっしょのような気がして特に使い分けてもいませんでした。気象用語、学術用語としては、巻積雲というだけで、とくに鰯鯖鱗の区別はないのですって。ただ、雲の研究家が見た目で分けると、こまかい違いがあるようです。
けれど、巻積雲より高い空に出る高積雲は、別の雲。ひとつひとつの雲の塊が大きくて、俗称はひつじ雲。
・鰯雲
漁師ことばでは、イワシ大量の目安になる雲。細かくちぎれた雲が並び、イワシの群れのよう。
・鯖雲
鯖の背中の鱗が波のように見える、その背のような雲
・鱗雲
魚の鱗が並んでいるように見える雲
(画像どれも借り物)
な~るほど、そういう違いがありましたか。こちとら群馬の山奥育ち。寿司屋でサンマとアジとイワシの握りを三つ並べて出されて、はて、どれがどれやったかいな、とにかくどれもうまい、ということしかわからない山猿ですから、鰯雲も鯖雲も、区別したことがありませんでした。(鯖鮨は見た目でわかる。これもうまい)
かように、どれがどれでもいいような鰯鯖鱗でしたが、季語となるとだんぜん鰯くんの勝ち。鰯の俳句は、水族館のぐるぐる回り水槽の中をぐるぐる回っているどれも旨そげな鰯の群れの如くたくさんあるのに、鯖ときたら、私には一句しか見つからなかった。
これは、イワシグモが五音節で五七五にうまく当てはまるのに、サバグモだと、「鯖雲や」「鯖雲の」「鯖雲は」というように、助詞をくっつけないと納まりが悪く、前後のことばが組み立てにくい、という理由だと思います。
・鯖雲に入り船を待つ女衆(石川桂郎)
秋鯖大漁が目に浮かぶ。旨そうだ。
・鰯雲こころの波の末消えて(水原秋桜子)
・鰯雲日かげは水の音迅く(飯田龍太)
・鰯雲ひとに告ぐべきことならず(加藤楸邨)
この三句、鯖でも鰯でもいけそうな。
鯖雲やこころの波の末消えて 鯖雲の日かげは水の音迅く 鯖雲やひとに告ぐべきことならず
やっぱりね、どちらでもよさそう。
・妻がいて子がいて孤独いわし雲(安住敦)
孤独はやっぱりイワシかな。弱そうで。
・いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに(上田五千石)
雲が空一面に広がっているときは、今に消えてしまうとは思えない。しかるに、諸行無常はこの世のならい。猛きものも終には滅びぬひとへに風の前の塵に同じ。
こちらは、鱗雲にすると、片鱗と重なってごちゃごちゃするからイワシのほうがよかったのかな。私は「鱗雲亡ぶ片鱗も遺さずに」という鱗の重ねりが好き。
ま、イワシとウロコでは、イワシのほうがうまそうだ。鯛の鱗は揚げるパリパリしてうまいそうだが、山育ちゆえ、食べたことなかった。
秋空の巻積雲も、季語も、腹の足しにはならぬが、いっときヒマツブシにはなる。ヒツマブシ食いたい。イワシ握り食べたい。鯖押し寿司食べたい。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>神無月のことば(3)鰯、鯖、鱗
10月。先週の火曜日4日は、東京の気温32度で真夏日でした。1週間すぎて、11日火曜日の気温は、正午にようやく20度を超えてすぐ午後はまた10度台。体温調節のきかない病人と年寄りには、難しい天気。女心と秋の空とばかりは言っておられません。暑い暑いと文句を言い、すぐに寒い寒いと不平を述べる。これ、女心ではなく、婆心。
昨日の天気もすぐに忘れてしまう婆脳ですから、「あの暑かった日、いつだったっけ」と忘れても、昨今のコンピュータは賢いから、キーワードを入れれば、即座に「それは、10月4日、32度でした」と、教えてくれる。トップ棋士も「googleアルファ碁」に負けるご時世、私の脳が天気記憶できなくても当然です。
すみともさんブログにも一句残しました。
AIに負けるこの脳冬隣(春庭)
9月5日。どっしりとわき上がる入道雲。その雄渾さに「東京でもこんな大きな入道雲出るんだ」とながめたのは、亀戸駅へ向かうバスの窓からの眺めでした。
東京新聞の写真ニュース「9月5日、首都高速中央環状線扇大橋付近から南東方向を見ると、まるで真夏のような上空に高く伸びる入道雲が現れた」というのが、私が見た入道雲と同じ雲だろうと思うので、写真借りました。バスの中からだったゆえ、うまく撮れなかったので。
もう、空は秋の雲。気象用語では巻積雲。
季語では、鰯雲鯖雲鱗雲。どれもいっしょのような気がして特に使い分けてもいませんでした。気象用語、学術用語としては、巻積雲というだけで、とくに鰯鯖鱗の区別はないのですって。ただ、雲の研究家が見た目で分けると、こまかい違いがあるようです。
けれど、巻積雲より高い空に出る高積雲は、別の雲。ひとつひとつの雲の塊が大きくて、俗称はひつじ雲。
・鰯雲
漁師ことばでは、イワシ大量の目安になる雲。細かくちぎれた雲が並び、イワシの群れのよう。
・鯖雲
鯖の背中の鱗が波のように見える、その背のような雲
・鱗雲
魚の鱗が並んでいるように見える雲
(画像どれも借り物)
な~るほど、そういう違いがありましたか。こちとら群馬の山奥育ち。寿司屋でサンマとアジとイワシの握りを三つ並べて出されて、はて、どれがどれやったかいな、とにかくどれもうまい、ということしかわからない山猿ですから、鰯雲も鯖雲も、区別したことがありませんでした。(鯖鮨は見た目でわかる。これもうまい)
かように、どれがどれでもいいような鰯鯖鱗でしたが、季語となるとだんぜん鰯くんの勝ち。鰯の俳句は、水族館のぐるぐる回り水槽の中をぐるぐる回っているどれも旨そげな鰯の群れの如くたくさんあるのに、鯖ときたら、私には一句しか見つからなかった。
これは、イワシグモが五音節で五七五にうまく当てはまるのに、サバグモだと、「鯖雲や」「鯖雲の」「鯖雲は」というように、助詞をくっつけないと納まりが悪く、前後のことばが組み立てにくい、という理由だと思います。
・鯖雲に入り船を待つ女衆(石川桂郎)
秋鯖大漁が目に浮かぶ。旨そうだ。
・鰯雲こころの波の末消えて(水原秋桜子)
・鰯雲日かげは水の音迅く(飯田龍太)
・鰯雲ひとに告ぐべきことならず(加藤楸邨)
この三句、鯖でも鰯でもいけそうな。
鯖雲やこころの波の末消えて 鯖雲の日かげは水の音迅く 鯖雲やひとに告ぐべきことならず
やっぱりね、どちらでもよさそう。
・妻がいて子がいて孤独いわし雲(安住敦)
孤独はやっぱりイワシかな。弱そうで。
・いわし雲亡ぶ片鱗も遺さずに(上田五千石)
雲が空一面に広がっているときは、今に消えてしまうとは思えない。しかるに、諸行無常はこの世のならい。猛きものも終には滅びぬひとへに風の前の塵に同じ。
こちらは、鱗雲にすると、片鱗と重なってごちゃごちゃするからイワシのほうがよかったのかな。私は「鱗雲亡ぶ片鱗も遺さずに」という鱗の重ねりが好き。
ま、イワシとウロコでは、イワシのほうがうまそうだ。鯛の鱗は揚げるパリパリしてうまいそうだが、山育ちゆえ、食べたことなかった。
秋空の巻積雲も、季語も、腹の足しにはならぬが、いっときヒマツブシにはなる。ヒツマブシ食いたい。イワシ握り食べたい。鯖押し寿司食べたい。
<つづく>