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ぽかぽか春庭「ジョンソンタウンでおしゃべり」

2013-05-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/05/19
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記2013年5月(3)ジョンソンタウンでおしゃべり
 
 2013年5月18日、入間市を中心とする建築物の建築見学会に参加しました。午前中の見学は、建築学会埼玉支所の主催で、ヴォーリス設計「豊岡教会堂」。午後が埼玉県立近代美術館が主催する旧石川組製糸西洋館と、遠山記念館。(建築見学リポートはのちほど)
 間の昼食は自由参加ですが、「ジョンソンンタウン見学を兼ねて」というのが、お勧めでした。

 午前の部の豊岡教会から入間市駅にもどり、駅からはタクシー割り勘でジョンソンタウンへ。タクシーの中で、リュックサックに入れておいたケータイがブルブル震えました。妹モモからの電話でした。モモがジョンソンタウンに来ているというのです。

 「今日の見学会が終わったら、ももの次女ひつじの家に寄る」という約束をしていました。
 「お昼ご飯はジョンソンタウンでとるのがお勧めと、見学案内に書いてあるから、ジョンソンタウンってどんなところなのか、行ってみるよ」と話したのですが、妹の方からジョンソンタウンにくるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。
 妹の次女の家は、同じ入間市内とは言っても、それほどご近所というわけでもないからです。でも、車での移動に慣れている人と、どこでも徒歩か自転車の私では、ご近所の感覚が違うのかも。

 ジョンソンタウンという町に、初めて行ってみました。ジョンソンタウンは、旧米軍ジョンソン基地(現自衛隊入間基地)の近くに建てられた貸し屋群を再編成した町です。
 米軍の軍人や軍属が住んだ家をそのまま補修した街並を生かして、新しく建てた家もアメリカ古民家ふうに仕立てて、こじゃれた雑貨店洋品店やレストランが営業しています。

ジョンソンタウン公園側の入り口


 もともとは、昭和初期に、日本陸軍の航空士官学校の要請で、将校とその家族が住むための住宅を建設し、高級な「磯野住宅」として貸し出した土地。
 戦後は、朝鮮戦争のために米兵とその家族が急増し、ジョンソン基地内の軍人用宿舎が不足しました。そのため、周囲の住宅地をアメリカ人向けに改装して、民間宿舎として貸し出しました。
 周囲に雨後の竹の子のように立ち並んでいたアメリカ郊外風住宅は、朝鮮戦争が終わると、たちまち寂れました。米軍基地は返還され、民間の米軍住宅は放置され、やがて取り壊しに。元磯野住宅だけが、老朽化したまま残されました。

 これを改修して「ジョンソンタウン」として売り出したのが、磯野商会。今では、アメリカ古民家をまねた「平成住宅」という新しい家も建ち並び、店舗に住居に貸し出されています。
http://isonocorporation.com/

 2006年公開の映画『シュガー&スパイス~風味舌佳~』のロケ地にもなった町並み。私、映画を見たのですが、そのときには、ロケ地として福生市ばかりが取り上げられていたので、入間市のジョンソンタウンロケには気づきませんでした。

アメリカ民家風の家

貸し屋やお店が並んでいます。


 ジョンソンタウンのどこか手軽な店でランチをとるつもりでしたが、モモは休日のブランチをとったばかりでまだお腹がすいていないというので、ジョンソンタウンを抜けて、隣接している公園のベンチでサンドイッチを食べながらおしゃべり。
 モモは1分も黙っていることなく、しゃべり続けることができる人なので、私はあいずちのみ。

 モモの次女ひつじは、3人目の子を出産して半月。きのう、床上げの祝いをしたところです。ひつじの長男6歳と次男3歳は、お父さんが公園で遊ばしているとのこと。3人目の孫が女の子だったので、モモは前にも増して張り切っています。きっと入間市の三井アウトレットでかわいらしい女の子の服を買いまくりになるんじゃないかしら。

 入間市の西洋館と川島町の遠山記念館の見学を終えて、迎えにきてもらい、ひつじの赤ちゃんと対面。小さくてかわいい命です。私も久しぶりに赤ちゃんを抱っこするので、ちょっと緊張。毀さないように。
 赤ちゃんは生まれて半月。小さな手と足を動かしたり、あくびしたり。しばらく抱っこしていると、おっぱいの匂いがないことに気づいて、「ちが~う、おかあさんじゃな~い」と顔をしかめます。あらら、泣き出す前にひつじにバトンタッチ。

 お兄ちゃん二人はもっぱらゲームで遊んでいて、お母さんが赤ちゃんにかかりきりになっても、あまり気にしていないのは、かわりに抱っこしてくれるおばあちゃんが来てくれているからかも知れません。

 ひつじのミシンでは縫い物が思うようにはかどらないと、モモは田舎からミシンをかついで次女の家に来て、孫たちが小学校保育園で使う袋物などを縫っているんだと、見せてくれました。私も娘息子が保育園のころは、お昼寝シーツだのお道具バッグだの作ったものです。 
 ひつじの夫は、家事もよく手伝い、子どもの育児にも協力的な人なので、ひつじも安心して3人目を出産できました。

 1994年、私が最初に中国に赴任したとき、「単身で半年間の赴任」という条件をどうしようと思っていたときに、妹モモは娘と息子を預かってくれました、それでなんとか教師の仕事をつづけることができたので、妹にはいつも感謝の気持ちを持っています。
 妹は体が弱く、なかなかいっしょに旅行するチャンスもないのですが、夏休みに、以前いっしょに実にいった「野外バレエ」に今年また行ってみようと誘ってくれました。
 
 父も母も姉もいない今、妹はたったひとりの「生まれ育った家庭」の家族ですから、持病をたくさん抱えている妹、十分に体調を整えてすごしてほしいと思います。
 子どものころ、私がどれほどドジで奇妙奇天烈なことばかりやらかす姉であったかを笑っておしゃべりする妹の存在、私には大切な人です。

<おわり>
コメント (2)
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