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ぽかぽか春庭「映画・桃さんのしあわせ」

2013-05-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/05/07
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>無料ですごすゴールデンウイーク2013(4)映画 桃さんの幸せ」

 「桃(タオ)さんのしあわせ 原題:桃姐」は、映画プロデューサーのロジャー・リー(李恩霖)と彼の家で長年働いた家政婦の話を元にした映画です。香港の女性監督アン・ホイ(許鞍華 1947年、遼寧省で中国人の父と日本人の母の間に生まれる)。英語版のタイトルは「A Simple Life」 
 2012年の第4回沖縄国際映画祭で、ゴールデンシーサー賞(金石獅子賞)を受賞しました。また桃さん役のディニー・イップ(葉徳嫻)は、ヴェネツィア国際映画祭で主演女優賞を受賞しています。ロジャー役はアンディ・ラウ(劉華)。以下、ネタバレ紹介です。

 香港の富裕層だったリャン家で13歳から60年以上も働き続けた鐘春桃は、桃姐(タオジェ=タオねぇさん)と呼ばれ、一家の家事育児を支えてきました。
 この香港の昔ながらの「家政婦」というのは、日本の「お手伝いさん」とか「ヘルパーさん」とはちょっと立ち位置が違います。インドでアーヤと呼ばれるのも似たようなものですが、乳母と家事責任者をいっしょにしたような存在です。英語でいうhousekeeping matron(家政婦長)とNurse(乳母)を合わせたようなもの。

 富裕層の女主人は、家庭の中で「家政の指揮をとる責任者」の立場であり、家の中で家事や育児は雇い人にさせます。桃さんも、リャン家の子どもたちを育て、料理をし、家事全般を仕切ってきました。子どもたちにとって育ての母ともいうべき存在なのです。

 香港の富裕層は、英国統治が終了する前後、相次いで財産を世界のあちこちに移転し、一家一族で移住を果たしました。人民中国の香港に残った富裕層香港人はそう多くありませんでした。リャン家もアメリカなどに移住し、香港を根城にしているのは、北京と往復しながら映画を製作しているロジャーだけ。
 桃さんは、一番かわいがって育てたロジャーが香港に帰るのを楽しみにしながら毎日すごしてきました。ロジャーにとって、桃さんは赤ん坊の時からいっしょにいる空気みたいな存在。

 ある日、桃さんは脳卒中で倒れます。70歳を過ぎている桃さんですから、いつかはこういう日も来ることはわかっていたのですが、ロジャーはようやく桃さんがかけがえのない人であることに気付き、最後まで寄り添おうと決意します。

 桃さんは日中戦争で身寄りを失った孤児。13歳のときにリャン家に奉公に来て以来、リャン家の使用人としての分を守って暮らしてきました。富裕なリャン家は、桃さんを家族のように一家の祝い事にも招きます。しかし、桃さんは、ロジャーの母がお金を与えようとするのも遠慮する人です。今まで働いた分のお給金はきちんともらってきたので、それ以上のお金をもらうのは勤労者としてのプライドが許さない。

 体の自由がきかず、家政婦として働けないなら、自分の貯金の範囲で入れる介護施設で暮らしたい」と桃さんは決めます。
 ロジャーは、自分にとって、育ててくれた桃さんが実母以上に大切な存在であったことに気付きます。実母は、サンフランシスコに移住して何不自由ない生活をおくっていますし、大勢の家族親がついています。身よりのない桃姐と、彼女に世話になりっぱなしできたロジャーとの新たな日々がはじまりました。

 ロジャーは桃さんが自分で支払える範囲の施設を探し、映画の仕事の合間に香港に戻っては桃さんを見舞います。施設には、身寄りがない老人、身寄りがあっても寄りつかない孤独な老人も多い。そんな中、桃さんはロジャーが来てくれることに誇りと喜びを感じながら晩年を過ごします。施設の職員や入居者たちも、凛として生きる桃さんの人柄を慕うようになります。

 ある日、ロジャーが製作した新作映画プレミアム上映が香港で行われました。ロジャーは桃さんを招待し、知り合いには「義理の母です」と紹介します。赤ん坊のころからロジャーを育ててきた桃さんにとって、ロジャーが映画人として成功したことを喜ぶ以上に「母」と呼ばれたことをうれしく思うのでした。
 このプレミアム上映シーンでは、香港映画ファンにとってはすごいお祭り騒ぎ的配役みたいですが、香港カンフーなどほとんど見なかった私には、誰がだれやら、、、、

 映画は桃さんの晩年を淡々と描き、特別劇的な事件も起こりません。ごく普通の日常、静かな晩年。シンプルそのものの人生でした。
 しかし、ロジャーと桃さんの間の、こまやかな交流のシーン、いっしょに散歩したり、一族の祝い事の集まりでいっしょに写真をとったりのようすに、桃さんのしあわせな気持ちがしみじみ伝わります。
 リャン家で働き続けた桃さんの人生は、ささやかな一生だったかもしれないけれど、十分に報われた一生だったと、映画は描きます。

 年老いた親を子が世話するのが当たり前とされてきたアジアで、もはやそれが出来ない社会になっているのが現実です。「桃さんのしあわせ」は、変化し続けるアジア社会で、年老いたときに、大切にしてきた人との絆を失わずに生きて行ける幸福を描いているのだと思うのですが、私には、介護施設の中で、10年以上も誰も面会に来る人もなく過ごしているという老女のほうに気をとられました。日本の老人ホームでも、子がいても、誰も面会にこないという老人が数多くいる、という現実を、ヘルパーさんをしている知人からも聞いているのです。

 桃さんのお葬式の場面で老人が朗々と詩を暗唱します。中国のお葬式の標準式次第なのかどうか分かりませんけれど、中国では昔ながらの教育を受けた老インテリはたいてい李白でも杜甫でも詩を暗唱できるのです。20年前に中国に赴任していたとき、大学の運動会でも詩の暗唱合戦みたいなことをやっていました。今はどうかわかりませんが。

「無題」李商隠(拙訳:春庭)
相見時難別亦難 人との出会いは難しいものですが、別れはさらに難しい
東風無力百花残 春の風は力なく、花々もしおれてしまいました
春蚕到死絲方盡 春の蚕は糸を吐き尽くして死に
蝋炬成灰涙始乾 蝋燭のすべてが灰になってからようやく涙が乾きます
曉鏡但愁雲鬢改 暁に鏡を見て髪が変わってしまったのをを愁い
夜吟應覚月光寒 夜更けに詩を吟ずれば月光の冷たさを覚えます
蓬山此去無多路 蓬山はここから遠くはありません
青鳥殷勤為探看 青い鳥よ(今は会えない恋人を)心尽くして探してきてほしい 

 なかなか会えない恋人を思って嘆く詩を、永遠の別れの時に吟じるおじいさん。タオさんを心ひそかに慕っていたのでしょうか。
 「使用人と雇い主」という関係ではなく、「義理の母と義理の息子」となって過ごした晩年の数年間は、桃さんにとって「心をこめて探す恋人」との蜜月のようだったかもしれません。

 人生の黄昏時に、ときどき会って笑顔を交わしあえる相手がいるという幸運を、私も持っていられるかどうかわかりませんが、桃さんのような穏やかな笑顔で最後の日々をすごせるよう願っています。

<つづく>
コメント (2)
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