車輪とビール

次の人生を模索する日々

モーニング愚痴

2020-07-08 04:52:45 | 生活
 業務は直球で申し上げると「おたくたるんどるぞ→(「直接」の)応答0→(実質身勝手な最終日に)今日から長期休みます」というめんどくさい状況に。
 何となく結末は薄々勘づいており、個人的には「こんなことあるんやなぁ。」という感想。まぁまぁ長く一緒にやってきた方でしたので「体は大事にしてくれや」が第一。過去の仕事仲間としては業務上の信頼は実質消滅していたので「次の職場では頑張って」。
 裏側では自分の責任に押し付けられているのか現状どうなっているのかは完全に不明ですが、今度上司に聞いてみようかと。どう転んでもやるしかないので、どうでもいいですが押し付けられていたら・・・一波乱咲かせます。

 今回の経験を経て思ったことは「やはり業務と私生活は切り分けが肝心」だ。
 人間なので色々考えるのが普通だと思うのですが、「こう考えてほしいな」というのはよくある話。色々な場所から同じような論調に出くわしますし。そこには先人の知恵であったり、己の経験に基づいて切り抜けたメソッドがあったり、教科書や模範的なロジックであったり。
 「こう考えてほしい」の「考える」という行為は「その場」なのか「じっくりと」なのか「無意識」なのか、この3つの「考える」のどこでやってほしいかをコンセプトに掲げて伝達することが非常に重要だと思っております。というかこれも少し情報さぐれば色々出てくる話。
 自分は「めんどくさいのは大嫌い」なので「無意識に勉強出来たら最高じゃん」というノリで「無意識に考えている時間に考えれるためには」を逆算して伝達するようにしていました。無意識の時間はTV観ようと、本読んでいようと、ランニングしていようと、ゲームしていようと、他のことをやってもO.K.というところが最高で、マッチしていたと思いまして。
 睡眠学習に近いかもしれませんね。寝る直前に脳に刺激を与えて、多少なりとも寝ている間に考えているとしたら理にかなっている。
 家でじっくり考えれる人はすでに考えているので、先日綴ったように何もしなくてもO.K.な人が多い、というのが自分の見解。

 職場では「その場」と「じっくりと」考えるのは当たり前ですが、じっくりと考えるためには知識量&深い考察が必須。両方かけていたら・・・ただの早漏。
 じっくり考えるためには知識は必要ですがその知識を得るためには勉強が必須。勉強は職場でやるか自宅でやるか、ですが自分は早く帰りたいので専門知識以外は断然自宅派。考え方の引き出し方とか高校レベルまでの知識は自己研鑽で十分。
 てか、ほろ酔いで本読む、それなりのサイトで情報を仕入れる、といった量でだらだらと仕入れて、ウォーキングなどでぼんやり考える、などでも十分だと思うんすよね。一度手の打ちにできれば生涯使えるはずですし。
 「じゃぁてめぇ英語の勉強しろや」、と言われてもやりたくねぇからやりませんが。英語はまだ使わなくてもしばらくよさそうですし。。。

 何もしない、振り返りもしない、家に帰ったら仕事をする必要はないけど、生きるためには何かしないと迷惑かけているのだけどそれに気づかない。日々を垂れ流すだけ。
 なぜなら何も考えていないから。そして「考えてくれ」と言えばその場しのぎされて終わり。
 なぜなら全て他人事だから。実質押し付けるシーンになった瞬間の言葉遣いでわかります。
 それが成立するのは周りがカバーしてくれるため、その場しのぎさえできれば生きていけるから。
 「働かざる者食うべからず」、これは働いている気分ではダメなんすけどね。
 ミレニアム&ゆとり世代に関する情報も多少仕入れたけど、どこも同じようなものなのかなぁ。同じような気苦労されている方と話していても思いましたし。

 まぁ・・・今日も仕事行かなければ。爆風だ!大雨の危険のお知らせが!自分の胃のただれと同じような破天だ!
 この手の話はこれにて収束。明日からは天気が良い週末にバイクで長野にぷらっとふらつくプランを練っていく。
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